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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第七章
223/398

捲土重来

 カンディアでの救出劇から3日後。フリジアに集結していた南部諸侯同盟は、イオニアから海を渡ってやってきた戦艦ハンスゲーリックを大歓迎をもって迎えた。小型とは言えマストが無く、鋼鉄で出来ていて完全蒸気航行のみを行う異様な船を見て、町の人々は目を丸くすると共に、またアナトリア帝国がもたらそうとしている、新たな時代の訪れを感じるのであった。


 フリジアには先行してイオニアの街を発った連合軍がすでに到着しており、彼らの口からヴェリア砦の攻防戦の様子を聞かされていた人々は、帝国軍の勇姿を我が事のように喜び、惚れ惚れとして見つめていた。


 特に勝敗を決めた突撃を行ったゲーリック兄妹の人気は凄まじく、皇帝ブリジットがハンスゲーリックの甲板に現れると、港に集まった人々から地響きのような歓声が沸き立った。そしてカンディア公爵が婦人を救出したことが知れ渡ると、彼は一躍ヒーローとなり、町の人々からは賞賛され、南部諸侯からは手のひらを返したような祝辞をたんまりと頂いたそうである。捲土重来(けんどちょうらい)とはこのことだ。


 因みにブリジットは救出作戦のことを知らされなかったことに対し、但馬と兄貴に対してブータレていたが、なんやかや久しぶりに義姉と再会出来てまるで子供のように喜んでいた。


 ついでに言えば、ブリジットは皇帝とは言え女性であるから色々と気を使う面が多かったのだが、彼女と同格の女性が軍に加わってくれたことで、みんな色んな意味で助かった。常識人のジルがブリジットについていてくれれば、またこの間のようにバカな真似をしないように窘めてくれるであろう。


 他方、帝国宰相の名も地味ではあったが周知されつつあった。元々が勇者の名前を騙る詐欺師であったために、国も違う大陸の人々には軽視されがちだったのだが、今となっては錚々たる発明品の数々と、前回の戦闘で上げた彼の部下たちの軍功で、その実力は確かであると認識され始めたようである。


 まだまだ庶民たちからは謎の人物と目されて居るようだったが、諸侯たちからの見る目は明らかに変わっていた。


 特に帝国の政治面に関しては無二のものであるとして、なにかあったら皇帝や公爵を通さずに、直接但馬に相談を持ちかけてくる者も多くなった。但馬が庶民出身であるというのも気楽でよかったのだろうが、そのお陰で、フリジアに入るや否や、但馬は南部諸侯からの紹介や相談で忙殺される羽目になった。


 この紹介や相談と言うのは、ただ懇意にしている親戚や友達を紹介しあうという類のものではない。戦争がいよいよ大詰めとなったと判断したらしい敵方の諸侯が、南部諸侯の伝を頼って使者を送ってきたという、いわゆる外交戦である。


 中には帝国の方が旗色が良いからと露骨に鞍替えを申し出てくる者も居て、今更何言ってんだと武闘派の諸侯には不快がられてもいたが、相手の兵力を削ぐという点ではこれ以上無く有効なのだから、無碍には出来ず対応せざるを得なかった。因みに外務卿は例の救出作戦のせいで抗議を受けて、シドニアで手一杯であったから、こちらの対応は但馬が引き受けるしかなかった。自業自得とは言え、泣くに泣けない状況である。


 ともあれ嘆いていても仕方ないので、現地入りしていた外交官達と連携して、優先順位を設けて一人ひとりと会うことにした。肝心の優先順位とは、バカバカしいがまずは爵位、次にこれから戦場になりそうな領主、それから方伯との関係性の順にした。


 なんやかんや爵位が上の立場の者は、その周辺のリーダー格だったりするから、これを無碍に扱ってしまうと、周囲に影響が出る。


 この戦争の最終目標はビテュニアを包囲し、有利な条件で方伯と講和することであるが、その交渉のために血筋や方伯との距離が結構重要なのである。ブレイズ将軍のような駒を、もっと増やしたいわけだ。


 そして、これから戦場になりそうな領主を優先するのは……これは要するに街道沿いの都市を治める者達のことであるが、向こうが自分たちの領地が戦場になることを回避したいように、こちらも出来るだけ友好的な関係を築いておきたいからである。上手くビテュニアに到達したら、後々そこは兵站線になるのだから。


 戦争において攻めと守りはどちらが有利かと言う議論は古今東西尽きないであろうが、孫子は攻撃優位を説き、クラウゼヴィッツは防御優位を説いている。


 孫子が言うには、戦争の上手い者は戦場を選ぶ。だから、攻める者は敵が硬く守ってるところを攻めたりはしない。敵が居ないところを攻めるから必ず勝つのであり、敵の守っているところは避けて通るから決して負けないのだ。


 従って、守備側はこれら全てに対応せねばならないから、受け身にならざるをえない。つまり、攻撃側は戦場を選ぶ権利を持ってるから有利なのである。


 クラウゼヴィッツの時代も、戦争は先手必勝で、こちらから敵地におもむき打撃を加える戦術を考えるのが普通であった。例えばナポレオンのフランスは、全ヨーロッパから攻められてそれを撃退したのだが、いくら追い返しても他国からの侵略は止まなかった。そしてナポレオンは、守っているだけは埒が明かない、敵は退けるだけでなく追撃が重要であると考え、攻勢に転じてヨーロッパ諸国を屈服させた。


 なのに何故、防御が優位であるとクラウゼヴィッツが考えたのかと言えば、それは彼が兵站線の概念を取り入れたからであろう。彼は個々の戦闘ではなく、戦争全体に目を向けたのだ。


 確かに孫子の言うとおり、攻撃側は敵地に入って勢いを増す。敵地の奥に踏み入れば踏み入るほど兵士は慎重になり、将が何も言わずとも規律を守り団結心はより強固になる。こういう兵はちょっとやそっとじゃやられないだろう。


 だが、敵地の奥に入れば入るほど、兵站線に弱みを抱えるのもまた事実である。兵士は物資がなければ戦えないが、戦場が敵地の奥に行けば行くほど、その物資を届けるのは困難になる。攻撃側は踏みとどまって戦うには常に問題を抱えており、守備側がじっと耐え忍んでいれば、やがて彼らは撤退せざるを得なくなる。そしたら追撃戦だ。


 知っての通りナポレオンの軍隊も、ヨーロッパの辺境と呼べるロシアに攻め入って敗北した。彼は兵站線に問題を抱えていることに気づいていたが、首都モスクワを落とせばロシア人が屈服すると考え、無理をして攻勢を続けた。


 ところが、いよいよ追い詰めたかと思いきや、そのモスクワから火の手が上がる。ロシア軍はナポレオンに物資を奪われるのを嫌ってモスクワを焼き払い、首都から撤退してしまったのだ。いわゆる焦土作戦である。


 その後、ナポレオンの軍隊は焼け野原のモスクワで無為な時間を過ごし、冬の訪れとともに撤退した。その末路は悲惨なものだった。クラウゼヴィッツはその時ロシア軍に参加していて、これを見ていたのである。


 そんな実例がある通り、兵站線の確保は軍隊の生命線とも呼べるだろう。彼はこれを血管に例え、血液が流れるように物資が滞り無く流れなければ、軍隊は死んでしまうと説いた。


 さて、アナトリア帝国軍はアスタクス方伯軍への攻勢を仕掛けるために、これから敵地へと入ることになる。そのため、フリジアからビテュニアへ至る街道の確保は絶対なのである。


 幸い、両都市間にはガラデア川という運河が流れており、これを使えば大量の物資を運搬することが可能であるが、それでも街道や河川に近い都市には、出来るなら、事前交渉しておいた方が良いだろう。


 そのため、但馬はフリジアに戦力が集結したあとも、こうして時間をかけて訪問者に会っていたのだ。そうしてる間に、方伯の方も着々と戦争の準備をしてしまうのであるが、致し方無いだろう。


 帝国が次に気にしなければならないのは、これらの都市を通り過ぎた後に、兵站線を狙うゲリラであるが、これはビテュニアへ近づけば近づくほど悩まされることになるはずだ。


 だから味方に引き込めるものがいるなら、味方に引き込んで置いたほうが良い。攻め込んだあとに、言うことを聞けと言っても、何が起きるか分からないのだ。


 さて、そんな具合に但馬が多忙な日々を送っている時だった。


「失礼致します。宰相閣下、アナスタシア様の紹介とおっしゃる方が面会を希望されております。お会いになりますか?」


 仕事に忙殺される但馬のもとに、伝令がそんな知らせを持ってやってきた。


 アナスタシアはイオニアに現れたと言われているように、現在エトルリア大陸のどこかに居るはずである。このフリジアの地は彼女にとっても縁のある土地だから、居てもおかしくはないだろうが……


「……アーニャちゃんの、紹介?」


 だが来たのは本人ではないそうである。


 但馬とアナスタシアの関係を知ってるものは、リディアには多いが、このエトルリア大陸には少ない。だから何者かと怪訝に思いつつも、本当に彼女の紹介だと信じた但馬が面会者を招き入れると、


「あら~、宰相閣下、お久しぶりでーす! 元気してた? メグ、ちょっとそこ通りがかったらあんたのこと見かけたから、懐かし~って思って声かけたの。うふふふふ」


 但馬は自分の執務机に顔面を強打した。


「げェ~……ヒュライア」


 マルグリット・ヒュライアはかつてカンディア宮殿で晩餐会をした時の出席者である。アナスタシアの悪口を言ったらブリジットにキレられ人望を失い、因果応報とばかりにペストにまで感染し、悪態をついていたらまさかのアナスタシアに助けられ、調子のいいことを言って彼女を聖女に祭り上げた張本人である。


 見た目は貞淑そのものであるが中身はビッチであり、但馬のことを舐めきっているのかそれを隠そうともしない。女の武器を行使することに微塵の躊躇もなく、嘘と涙とセックスで世渡りをしているようなとんでもない女で、エリオスの奥さんであるランと混ぜると危険である。


 面倒くさそうだから、もう二度と会いたくないと思っていたのだが……但馬が吐き捨てるように彼女の名前をつぶやくと、


「ああん? あんた、ちょっとくらい出世したからっていい気になってんじゃないわよ。ちゃんとさん付けしなさいよね、さん付け」

「はいはい。つーか、アーニャちゃんの紹介とか、サラッと嘘つくんじゃない、嘘を」

「なによ~。嘘でも吐かないと会わせてくれないあんたの部下が悪いんでしょ。せっかくメグさんが来てやったって言うのに、どいつもこいつも宰相閣下はご多忙につきって、通してくれないのよ」

「当たり前だろう? あんた、戦時中だってこと分かってる? 下手したら拘束されてるところだよ」

「分かってるから来たんじゃない。もう……」


 するとメグは鼻にかかった声でわざと吐息を耳に吹きかけつつ、品を作って但馬にグイグイとおっぱいを押し付けてきた。


「ねえ~、宰相様ぁ~? メグ、宰相様にお願いがあるの」

「あの……すみません。そんな捕食するイグアナみたいな目つきで見ないで、もう少し離れてくれませんかね」


 Dカップなど物ともしない但馬がグイグイと押し返すが、彼女はなおも食い下がった。


「メグね、今度お父様から家督を譲られて、女男爵になったの。それで、不埒なお父様の代では道を違えちゃったけど、改めて宰相様の陣営に加えてほしいなあ~って」

「……ん? あれ、あんたんちって、南部諸侯同盟に入ってないの?」


 殆ど興味が無かったから、彼女のその後については気にしていなかった。あの場に居たくらいだから、てっきり同盟に参加してるとばかり思っていたのだが……


「うちって意外と内陸にあるのよ。あの時はフリジア子爵に頼まれたから参加してたけど、方伯を裏切ってたら、今頃首が胴に繋がってないわよ」

「へえ、そうだったんだ」

「顔が広いのも良し悪しよね。まあ、うちはそれしか取り柄がないんだけど。お陰でフリジアが独立してから、色々とうるさかったわよ。あんたらいい加減にしなさいよね」


 冷静に自分の立場を客観視している姿は結構意外だった。てっきり下半身で物事を考えるタイプだと思っていたが、割と達観しているらしい。


「ふ~ん……ヒュライア領ってどこにあるの?」


 ぶつぶつと文句を言うメグを無視して地図を差し出すと、彼女は拗ねたような顔つきをしながら地図の一点を指差した。


 意外……と言ったら悪いだろうか。ヒュライア領は結構な要所にあって驚いた。ただ、彼女も言っているように、その場所は南部諸侯の領地よりも内陸にあって、ビテュニアから一本の大街道が通っているため、裏切ったらまず間違いなく攻められる場所にあった。


 つまり、戦場になりやすいわけである。


「メグね、宰相様に、お願いがあるの。帝国が方伯と戦うのは止めないから、うちの領地は通らないでほしいな~って。そしたら……ね? メグのこと、抱いてもいいんだよ? ……宰相様だけ、特別」


 そんなわけで、戦場にされてはたまらんと、昔のよしみを頼って但馬に直談判しに来たと言うわけなのだろう。


 彼女はより一層くねくねと品を作ったかと思うと、今度は胸を強く押し付けるのではなく、そっと寄り添うように但馬の胸に顔を近づけたかと思うと、ポーッと赤らんだ顔に潤んだ瞳を輝かし、まるで最愛の人と言わんばかりの表情で、そしてどこから声を出してるのか分からない、耳に粘りつくような甘ったるい声で但馬に言った。


 そのまるで恋する乙女のような表情に思わずドキッとした但馬であったが、


「馬鹿め。色仕掛けが通用するとでも思ったか」


 再三言ってて虚しくなるが、Dカップなんかに靡くような彼ではない。


 但馬はそんなに触って欲しいならと言わんばかりにメグの胸をモミモミと揉みしだくと、驚いた彼女が身をよじって逃げた隙に、さっと距離を置いた。


「きゃうっ! ちょっ!? なにすんのよっ!!」

「どうした。処女膜から声が出てないぞ」

「ちっ、童貞のくせに生意気ね」

「どどど、童貞ちゃうわ! こちとら毎日Gカップとズッコンバッコンやりまくりだわいっ!」

「嘘おっしゃい。ブリジット様ならさっき見かけたけど、相変わらず少年みたいに目をキラキラ輝かせて、自分の武勲を自慢気に語ってたわよ。あんなにわかりやすく処女臭振りまいてちゃ、あんたたちの仲が全然進展してないなんて、誰でも分かるわよ」

「……確かに」


 それじゃ何か? ブリジットをもっとお淑やかにさせないと、但馬の童貞が世間にバレちゃうということなのか? これは早急に対処せねば……


 そんな風に但馬が深遠なる命題に突入しかけていると、呆れたような素振りでメグが言った。


「で、どうなの? うちの領地に来るの? 来ないの?」


 自分の領地が戦場になるかも知れないことに苛々しているのだろう。親指の爪を噛んでツンケンしながらメグが睨んできた。その性急な催促に、どうしても知りたいのだなと思うと共に、但馬はピンときた。


「……大方、方伯に頼まれて進軍ルートでも探りに来たんだろうけど」

「ドキッ!」


 但馬がボソッとつぶやくと、図星とばかりにメグの瞳が泳いだ。どうせそんなことだろうと思っていたが、隠そうとしないのはある意味好感が持てる。但馬は、はぁ~……っと長い長い溜息を吐くと、


「まあ、いいけどね。おまえんとこの領地は通らないよ。だから心配すんな。帝国軍は川沿いに真っ直ぐガラデア平原を北上するだろうよ」

「あ、そうなの」

「せいぜい方伯に媚でも売っておけ。すぐにストップ安するけどな」

「ストップ……? なんか分かんないけど分かったわ。それにしても、あんた意外と気前が良いわね。見なおしたわ」


 いや、相手にもよるのであるが……こんな女でも、方伯との太いパイプがあるのだ。但馬の優先順位に合致していたのだから、便宜を図らざるをえない。


 メグの方はその真意を測りかねているようだったが、せいぜいこの情報を方伯に持ち帰って、彼の気を引いてくれればいいだろう。ビテュニアを包囲した後は、メッセンジャーにでもなってもらうつもりである。


 そのためには約束通り彼女の領地を避けて通らねばならないが……


 進軍ルートが一つ潰れたわけである。それを知って方伯がどう出てくるか……但馬の頭の中で計算機が回りだした。


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