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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第七章
222/398

人質救出作戦

 恫喝者と相対する時に重要なのは、小出しにしてくる相手の要求を、あまり不用意には受け入れないことだろう。


 一度要求を飲んでしまうと相手は気が大きくなり、要求はどんどんエスカレートしていく。そしてこちらも一度要求を受け入れてしまった手前、なんらかの見返りが欲しくなるから、次なる要求までをも聞き入れてしまいがちになる。


 そうこうしているうちに何も得られないままに要求だけが大きくなり、気がつけばとんでもない額を払わされていたなんてことがありうるのだ。芸能人が金づるにされたり、子供同士のやり取りでも、友達にしてやるから金を持って来いと言われて、100万円規模の被害に上ったケースもある。おまけに、それはイジメではないのだ。


 クーデター勢力に対して、但馬たちが今現在一番欲していたのは、実はカンディアの解放ではなく、ジルとマーセルの解放であった。


 ぶっちゃけ、彼女らが人質にされてさえ居なければ、もはや背中を狙われる心配もないのだし、無視しても構わないくらいだったのだ。


 しかし、これは言うまでもなく、相手にとっても生命線であり、人質の解放を真正面から要求しても、まず受入れられないだろう。少なくとも、話し合いの必要があると言われて、相応の時間がかかるはずだ。今そんなことをやってる場合ではない。


 かと言って、時間を惜しむなら、相当の譲歩が必要だし、こちらの弱みにつけこんだ相手の要求がエスカレートする危険性もあった。


 故に、ことは慎重を期さざるを得なかったのであるが、いい加減、彼女らが捕まってから2ヶ月である。ウルフの辛抱も、そろそろ限界であった。


 そこで、救出作戦を計画した。


 ヴェリア砦の攻防が片付いた今、イニシアチブはこちらにあり、相手はこちらの要求に対応するために右往左往するしかない。その隙を突こうと言うわけである。


 もし失敗しても、相手にこちらの弱みを知られるだけであって、クーデター勢力がヤケになって人質を殺すような心配はないだろう。改めて交渉を再開するだけなので、一度試してみるのも悪く無いと言うわけである。


 かと言って特殊部隊が居るわけでもないのだから、誰を突入させるか人選に苦慮した但馬は、結局、万全を期して自らが出向くことにした。なんやかんや、彼の特殊能力であるレーダーマップは万能の隠密ツールになり得たし、今となっては彼自身が立派な戦力になるのだ。


 サポートとしてリーゼロッテとクロノアをつければ、この世に潜入できない場所はないだろう。問題はブリジットに感づかれたら、ついて来たがるだろうから、決して誰にも計画を漏らさないように心がけていたのだが……


 ところが、ウルフにだけは言っておかないわけにはいかなかったので、彼にだけ計画を話してみたところ、なんと彼自身がついてきたいと言い出した。


 ブリジットどころではない足手まといである。


 もちろん初めは断ろうとしたのであるが、ウルフにしては思いのほか粘り腰を見せ説得に苦労した……しかしまあ、あまり騒いではブリジットに勘付かれるかも知れないし、自分の女を助けたい男心というものはよく分かる。彼の意思が堅いとわかると、結局但馬は折れることにした。


 そんなわけでクーデター勢力との交渉後、夜の闇に乗じて但馬たちはこっそりとシドニアの街を出た。


 移動には馬を使い、街道を避けて田園を走った。カンディアも昔よりずっと開けて来たとは言え、それは軍港とシドニア周辺だけの話であり、少し離れるとぶどう畑ののどかな田園風景が延々と続くのである。


 但馬たちはそんな田園の中を進み、ヘラクリオンへ至る途中の農家で先行して潜入していたシロッコと合流した。彼はハンスゲーリックが空砲を鳴らして威嚇している隙に、エリックを連れてヘラクリオン近郊へと上陸し、軍港の様子を調査していたのである。


 但馬は作戦本部として一軒の農家の(いおり)を借りると、そこでシロッコから報告を受けた。農家は以前カンディアの調査をした際に知り合ったものだそうだが、帝国軍のことをあまり良くは思ってないらしく、つっけんどんなオバちゃんが出てきたかと思えば、どちらが勝ってもいいから我が物顔で街を歩く兵隊をなんとかしてくれと不愉快そうに愚痴られた。


 以前の生活に戻してくれ。帝国軍が来てからろくなことがない。金さえ払えば何してもいいと思ってるのか。


 もちろん、但馬やウルフの顔は知られていないので、それは単なる愚痴であろうが……歯に衣着せぬ物言いに、二人が冷や汗をかきながら愛想笑いをしつつ通り過ぎると、夕方に一雨あったからか、農家の軒先はぬかるんでいた。


 馬を降りたリーゼロッテがメイド服の裾をつまんでパシャパシャと水たまりを歩いていると、


「やや、エリザベス様、これはいけません。どうぞ、こちらをお渡りください」


 クロノアが自分のマントを脱いで、なんと水たまりの上にバサッと置いた。リーゼロッテはそれを見て何も言わずにマントを迂回し、庵の中へと入っていく……


 なに漫才やってんだ、こいつらは……と思いつつ、クロノアの珍しい姿を眺めて居たら、


「……クロノアさんが裏切らないのは、これが理由ですよ」


 と、通りすがりのシロッコがぼそっとつぶやいてから、但馬を追い越して庵へ入っていった。相変わらず存在の希薄な男である。


 一瞬、なんのこっちゃろうと思ったが、恐らくエトルリア皇家に連なるクロノアが裏切らないと、大蔵卿と近衛隊長が自信満々に言っていた理由のことだと思い当たった。


「あ、そうなのか……」


 と合点がいきつつも、


「え、マジで!?」


 すぐさま驚きの方が上回った。要するに、クロノアがリディアに来たのは、リーゼロッテを追いかけてきたというわけだ。しかし、メイドは三十路である。四捨五入すればアラフォーではなかったか……


 思わぬ人間関係を知って面食らったが、まあ、他人の恋路にケチを付けるのも野暮であろう。但馬は邪念を払うために頭をブンブン振ると、みんなの待っている庵の中へと足を運んだ。


「……俺が調べたところ、公爵夫人の監視はかなりゆるいですよ。宮殿から出さえしなければ、普段通りの生活が保証されてるようで、使用人たちもそのまま、監視役も宮殿内には立ち入らないように厳命されてるようでした。曲がりなりにも自分たちの戴く主人の奥様だからですかね」


 ウルフはそれを聞いてホッとしたらしく、愛好を崩して言った。


「そうか。彼女が快適に暮らしているのであれば問題ない。但馬よ、いっそこのまま引き返して、またの機会にしてはどうだろうか」

「ここまで来てそりゃないでしょう。で? シロッコ、潜入は出来そうか?」


 するとシロッコは短く二度頷き、


「使用人たちはそのままなんです。公爵様が直接乗り込めば、なんの障害にもなら無いんじゃないですか」


 ウルフが付いてくると言い出した時は渋ったが、こうなれば儲けものであった。問題は外をうろつく兵士であるが、これはリーゼロッテにでも任せておけばなんとでもなるだろう。


 そんなわけで、ウルフとリーゼロッテに宮殿の方へ向かうように指示すると、自分も行きたそうにしているクロノアの耳を引っ張って、チームを二班に分けた。


 快適そうなジルに対して、マーセルの方はかなり劣悪な状況であるらしかった。


「マーセル大将は、軍港の営倉に突っ込まれてから、ずっとそのまま監禁されてるようです。怖くて近づけないのか、まるで珍獣でも扱うかのように、交代で何十人からに見張られてますが、そのお陰で彼の目の届く範囲には兵士の影はないようです」


 近づけさえすれば、あとはなんとかなると言うことだろう。


「クーデター以降、軍港の兵士たちはストレスが相当らしく、風紀が乱れてエリックが潜伏していても何の問題もないくらいの状況でした。交代の門番兵を買収しておきましたんで、宮殿の方もそれに突入タイミングを合わせてください」


 元軍港務めの経験を活かして、シロッコのサポートにつけたのであるが、エリックが思わぬ活躍をしているようだった。二人はヘラクリオンに上陸した後、軍港の周囲で情報を集めていたそうだが、顔の広いエリックが軍港内の知り合いを見つけては、色々と情報を引き出してくれたようである。


 ハンスゲーリックの空砲が効いたのか、現在、兵士たちの士気はガタ落ちのようで、エリックが同情し、いざとなったら但馬が助けてくれると安請け合いしたら、かなり協力的になってくれたそうである。まあいいけども……


 そんな具合に上官命令だから仕方なく従ってるが、逃げられるなら逃げたい兵士がごまんと居るらしく、エリックは現在、彼らに匿われる格好で軍港内に潜伏してるらしい。営倉までの道はこれで確保出来たようだ。後は、監視の目をかいくぐって鍵を開けてマーセルを逃がせればいいのだが……


「すみません。あとは行ってみないと詳しいことはわかりませんね」

「不用意に近づいたら警戒されるだけだしな。仕方ないよ」


 但馬は頷くと、全員に向かって、


「それじゃ、手はず通りふた手に別れよう。ウルフとリーゼロッテさんは二人で宮殿へ。ジルさんを救出したら、そのままシドニアに走って船に乗ってくれ。俺たちは軍港内に入って、まずはエリックと合流する。もしも何か問題が起きたら、そうだな……適当に派手な魔法を撃って知らせあおう。そしたら無理はせずに、すぐシドニアまで全速力で逃げてくれ。以上だ。リーゼロッテさん、頼んだよ?」


 但馬が念を押すとリーゼロッテがこくりと頷いたが、そこまで頼りにならないかと思ったらしいウルフがムッとした顔を見せた。リーゼロッテに魔法を撃てるかと聞いたつもりだったが……実際に足手まといなのは本当だし、黙っていた。


 なにはともあれ……


 軍港内に潜入した但馬たちはエリックと合流し、営倉までやってきた。以前来たことがあるから、もはや勝手知ったる他人の我が家であったが、協力してくれた兵士たちも実は顔見知りで、あの日、あの晩、バンドに飛び入り参加したときの客やメンバーたちだった。


 彼らはあの夜のことをよく覚えていて、但馬が困ってるのであればと進んで協力してくれたそうである。なんでもやってみるものである。


 因みに、ジョンストン大佐の綱紀粛正以来、締め付けが厳しくなり、例のバー広場は営業していないらしい。そのため彼らはそろそろ鬱憤が溜まっているらしく、但馬たちが逃げる際には、陽動として派手にバンド演奏で送り出してくれるそうである。


 さて、そんな不良兵士たちの強力を得て、見張りの兵士を上手くだまくらかし、但馬たちは営倉に入った。


「ん……? なんだ、メシか? メシならさっき……んん!?」


 営倉なんてものは見た目どこも同じようなもので、要は留置所のことだから、鉄格子に囲まれた檻が沢山並んでる中で見つけたマーセルは本当に珍獣のようだった。


 あごひげは伸び放題で口元が見えず、何かしゃべるたびにゴワゴワのそれが胸の当たりでブラブラと揺れた。


 マーセルは初め、やってきたのが但馬だとは気づかず、見張りの兵隊のつもりでいたようだが、やがてその様子が違うことに気づき、


「なんてこった。俺はついに気が触れてしまったかな。あり得ない場所にあり得ない人が見えるときた」

「いや、マーセルさん。多分、夢じゃないですよ。助けに来ました。シロッコ、これ開けられる?」


 但馬がそう言うと、シロッコが鉄格子にはめられた錠を開けようとピッキングを開始した。マーセルは口をポカーンと開き、前髪が目に掛かって見づらいのか、しきりに髪をかき上げながら、


「本当に……宰相閣下なのか? すると、あの馬鹿野郎どもの要求を聞き入れちまったってわけですかい……?」

「まさか、そんなわけないですよ」


 マーセルは但馬たちがクーデター勢力に屈したと思ったのか、一瞬ムッとした顔を見せたが、但馬がここに至る経緯を話して聞かせると、今度は目を丸くして素っ頓狂な声を上げた。潜入中なんだから、もう少し静かにして欲しい。


「じゃあ、イオニアの方伯軍も片付けちまったってんですか? 俺が居ない間に……? 宰相閣下が?」

「ええ。方伯はパドゥーラ以南から閉めだされてビテュニアに帰ったはずです。俺たちはこれからフリジアに行き、今度は方伯の本拠地で決戦に挑むつもりですよ。相手はまた十万規模の動員が見込まれますが、なに、ここまで来たらもう負けはありません」

「そ、そうか……」


 但馬が自信ありげにそう答えると、マーセルは言葉を失いポカーンとした顔を見せてから、何か気難しそうに眉根に皺を作り、いきなりとんでもないことを言い出した。


「ならば、俺はここに残ろう」


 それがあまりにもあり得ないセリフだったから、初めは聞き流しそうになった。鍵を開けようとしていたシロッコの手が止まり、何言ってんだこいつ? と言った感じにマーセルの顔を見上げた。


 流石にこんな事態は予想だにもしておらず、但馬も戸惑った。なんでこんなことを言い出すのだ? まさか、自分が彼の仕事を取ってしまったから、へそを曲げたとかそんなことじゃないだろうな……


「そんなわけあるか」

「じゃあ、帰りましょうよ。何言い出すかと思ったら」

「そうじゃないんだ。俺が残るってのは、なんというかな……今回の騒動は元を正せば、俺が大騒ぎしたのが原因だろう? 俺が追い詰めなければ、あいつらもここまでやるつもりは無かったはずだ。なのに、俺だけが逃げてあいつらだけが悪者として残されたら、一体どうなる? 可哀想じゃないか」


 豪快を絵に描いたような男が言うものだから、但馬は意外過ぎて絶句した。それを見て彼はムッとしながらも、


「俺だって反省してるんだよ。酒のせいとは言え、とんでもないことをしたと」

「……ま、まあ、そうですかね?」

「多分、あいつらはジルが逃げたと知ったら慌てて俺のところへすっ飛んで来るだろう。そしたら、ここに宰相が来たことを伝え、今度は俺から説得しよう。ここに入ってる間に、俺も色々考えたんだ。俺も悪かったんだから、あいつらをこのまま放っておくのは気が引ける」


 どうやら、マーセルは相当反省していて、その意志は堅いようだ。


 確かに、彼は仕事が雑である以外には何の罪もない港湾職員を殺しているんだし、若い高官たちが死の恐怖を覚えるくらいに脅かしまくったのだ。軍事行動中に指揮官がやるようなことではないだろう。


 シロッコが鍵を開ける手を止めて、どうするかといった感じに見上げてくる。クロノアが、そろそろ引き上げないとマズいと言っている。


 と、その時、営倉の建物の外、宮殿の方角から派手な炎が上がった。どうやら、リーゼロッテの方で何かあったらしい。


 何事か!? と、事情の知らない兵士たちがバタバタと騒ぎ出した。時間的な余裕はもうない。但馬は少し悩んでから、唇を尖らせつつ、


「どうやらタイムリミットみたいです。兵士たちの士気にも関わるから、本当は戻ってきて欲しいんですけどね」

「俺が居なくても、宰相よ。おまえならなんとかしてくれるだろう?」

「……出来るだけ早急に方を付けてきます」

「いや、説得がすぐ終わるかわからんし、ゆっくりでいいぞ」


 軽口を叩き合いながら但馬たちは営倉を後にした。


 ド派手な火柱が上がったせいで、軍港内はてんやわんやの大騒ぎだった。昼間のハンスゲーリックの空砲が効いているらしく、彼らは艦砲を受けたと勘違いしているようだった。


 港湾施設のどこかで話し合いでもしていたのだろう、クーデターを起こした高官たちが出てきて落ち着くように命令をしていたが、収拾がつくまでまだまだ時間がかかりそうである。お陰で陽動の必要もなく、但馬たちは軍港からずらかることに成功した。


 その後、追っ手を気にしつつシドニアへと走ったが、元々存在を気取られて居なかった但馬たちの方は、特に誰に見咎められることもなく、スムースに帰ることが出来た。


 途中、農家に寄って馬を回収したが、リーゼロッテたちの馬は残されており、何があったかと心配になったが……


 シドニアに戻ってみると、先に帰っていたらしき彼らが、何事もなかったように姿を現したので、但馬はホッと胸を撫で下ろした。一行の中にはジルの姿もあって、どうやら救出自体は成功していたようである。


「公爵様と潜入した後、我々に協力的な使用人の手引きで、あっさりとジル様と再会出来たのでございますが、そんな使用人の中にも間者がいたみたいです。私達が再会を喜んでいる間に、こっそりと港湾に居る上司に電話で密告した者が出て、それが発覚し大騒ぎになったのです」


 それで、但馬たちにバレたことを伝えるために、魔法を撃ったようである。


 ジルはかなり自由にさせてもらっていたようだが、流石にそこまで相手も甘くは無かったということだろう。見張りを紛れ込ませていたようだ。


 ともあれ、こうして救出に成功したウルフは、久々の夫婦再会を喜び、周りが見てられないような熱々ぶりを披露していた。


 邪魔しちゃ悪いと、うんざりしながらその場を離れると、パジャマ姿の外務卿が走ってきて、たった今、交渉相手のカンディア高官たちに抗議の電話を受けたと言われた。


 そういえばこの人にも何も言ってなかったな……と、但馬が事情を説明すると、外務卿はそんなの関係ねえとばかりにおかんむりとなり、交渉相手との折衝もあるのだから勝手な行動は慎めと、一晩中くどくどお説教をされる羽目になった。


 ウルフたち夫婦は水を差すのも野暮だから特に何もなく、部下たちも但馬に命令されたからとお咎め無しで、何故か但馬一人だけが怒られた。


 そうこうしているとブリジットも気づいたようで、どうして自分も連れて行かなかったのかと、外務卿と一緒になって愚痴り始めた。右と左で言ってることが真逆なので、目が回りそうである。


 偉くなっても、ずっと自分はこういう役回りだ……


 背中を丸めてその小言を聞いていると、やがて空が白みだした。朝焼けの向こうにはフリジアがある。戦争はそのフリジアで、また新たな局面を迎えようとしていた。


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[一言] 私の元同級生は、友達から1000万たかられました。
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