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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第七章
221/398

最後通告

 カンディア、ヘラクリオン沖に帝国艦隊が現れた。戦艦ハンスゲーリックを旗艦とする輸送艦隊で、実を言えば兵力はほぼ皆無だったのだが、その数だけは壮観であり、それを見た軍港内の守備兵たちは震え上がった。彼らの殆どは、どうして自分たちが同じ旗をつけた敵と相対しているのか、良くわかっていないのだ。


 ハンスゲーリックは軍港に向けて轟音のような空砲を鳴らすと、これみよがしにターンしてシドニアへと向かっていった。


 カンディアでクーデターが起こり、海上が封鎖されてから2ヶ月ほどが経過していた。


 シドニアの周辺にはヴィクトリアを旗艦とする艦隊が集結しており、シドニアから外へ出る商船の通行は許可されたが、入る船は問答無用に邪魔された。そのため、今やシドニア港に停泊する船はほぼ皆無となっており、商売上がったりといった風情の漁師が堤防で退屈そうに釣り糸を垂らし帝国艦を睨みつける中、漁船がチャプチャプと係留されているくらいであった。


 帝国第二の都市シドニアは、この2ヶ月ですっかり活気を失い、メインストリートの商館は軒並み臨時休業で看板を下げていた。人通りは少なく、まばらな人影のその殆どが憲兵代わりの帝国兵であり、彼らはシドニア港へ入ってくるハンスゲーリックを見ると、怯えるような瞳を隠さなかった。


 堤防には事前交渉のために先行してカンディア入りしていた外務卿が居て、ブリッジから手を振る皇帝の顔を見てホッとした表情を見せた。心なしか顔がやつれているように見える。


 港に入った船から但馬とウルフが下船すると、その外務卿が走ってきたが、他に出迎えはないようであった。曲がりなりにも上司であるカンディア公爵の帰還であるのに、もはやクーデター勢力はまともな判断力を失っているのであろうか。但馬は溜息を吐くと、交渉のための施設へ向かう道すがら、外務卿にこの2ヶ月の報告を受けていた。


 尤も、受けるほどの報告は何もない。イオニアでの攻防戦の間、再三に渡って武装解除を促したが、クーデター勢力は聞き入れることなく、軍港を閉ざして帝国の政策への抗議を続けた。宰相である但馬の方針は、基本的に懐柔であり、ものすごく譲歩しているにも関わらずである。


 イオニアでの敗戦の報せを受けて、引っ込みがつかなかったのもあるだろう。暴力に怯えてマーセルを捕まえてしまったのもあるだろう。そして恐らく方伯の間者の存在もあるだろう。後に引けなくなった彼らは、これを機に徹底抗戦の構えを見せて、但馬を引きずり下ろそうと躍起になった。


 結局、こうしてゴネていれば、そのうち困った但馬が顔を真っ赤にしてやってくると思ったのだ。宰相を失脚させようと考えている向きは、何もカンディアに限らずリディアにも居たから、そう言う勢力に訴えかけることで起死回生を狙ったのかも知れない。


 だが、実態は、憎き宰相はカンディアを素通りしてイオニアに向かい、半年かけても勝てなかった敵の砦を僅かな期間で落としてきたのである。


 テレビやラジオがある世界ではない。だから事前交渉を頼んでおいた外務卿からその話を聞いた彼らは、それでも嘘だとの一点張りで全く信じようとしなかったそうだ。今日、ハンスゲーリックがヘラクリオン軍港に現れたことで、ようやく自分たちの間違いに気づいたようだが、後の祭りである。


 交渉のために宰相がシドニアに入ると告げられていたにも関わらず、何の用意もしていなかった彼らは、今頃泡を食って軍港からシドニアに駆けつけてる最中であり、それが出迎えも無かった理由であった。


 呆れることならとっくの昔にやり尽くしていた。ここから先はもう冷淡に対応するよりほか無い。但馬は黙って彼らがシドニアに到着するのを待った。


 ウルフが時折、その怒りを思い出したかのように顔を真っ赤にしてブルブルと震えるのを見ていると、行政官に斬りかかったというマーセルのことが思い起こされ、こいつも大丈夫かな……と不安になりつつ、ただ時間が流れるのを辛抱強く待った。


 結局、彼らが到着したのは夕方過ぎであった。


「武装を解除し、カンディアを平常通りに戻しなさい。君らの身の安全だけは保障しよう。それ以上はもう何も出来ん」


 やってきたクーデターの首謀者たちは皆、血の気が引いて顔が真っ白く、眉間に皺を寄せて但馬たちの前に現れた。まるで死刑囚のような絶望感を漂わせる者。敵を見るような目つきで憎悪を向ける者。どうせ話し合いなど無理だろうと思った但馬は、早々に諦めると開口一番そう言った。


「すでに前線はガラデア平原になっていて、ここは基地としての役目を終えている。君たちが軍港を占拠し続ける意味はもうないだろう。それでもやるのか」


 努めて冷静な口調でそう言うと、クーデター勢力の一人が言った。


「わ……我々は、このカンディアのためを思い、一日でも早い戦争の終結をと……」

「イオニアでの攻防戦の間、再三に渡って説得しただろう。そちらの条件も飲めるだけ飲んだはずだ……そうですよね? 外務大臣」


 外務卿が黙って頷く。


「それで聞き入れてくれないのであれば、こちらからはもう打つ手がない。今度はそちらが動く番だ。このまま軍港を占拠し続けるならそれもいいだろう。俺を糾弾するなら好きにすればいい。だが、一度何のためにこんなことをしているのか、良く考えるべきだ。本当にカンディアのためなのか? 交渉はとっくに最終段階を越えていて、君らがそれを望んでも、次は中々難しいぞ」


 但馬の淡々とした口調に、安心感よりも寧ろプレッシャーを感じたのだろう。クーデター勢力の若者たちは緊迫した表情を浮かべた。そして、ようやくその心境を吐露し始めた。


「ほ、本当は……我々もどうしてこんなことになってるのか分からないのです。このカンディアを思って居たのは本当です。僭越ながら申し上げますと、やはり我が主である公爵様ばかりが戦場に行かされることに、どこか不満を覚えていたのです。だから帝国議会が始まると、我々はこの機を逃さず上を動かそうと思って、毎晩みんなで集まって論陣を張りました。元々はそう言う真面目な集まりだったのです。それが不正が発覚した前後で、どう転がったのか宰相閣下を糾弾する集まりになっており……」


 その言葉には、恐らく嘘はないだろう。


 実を言えばクーデターが起こる以前から、カンディアの島民には反リディア感情がくすぶっており、あまり統治が上手く行ってない面も確かにあったのだ。


 カンディアは先帝の故郷ではあるが、結局は他国であるし、アスタクス方伯と戦争が始まったのも、思い返せばここを征服したのが切っ掛けだった。


 ハンス皇帝はこの地で当主の庶子として生まれ、その魔法的な才能から聖遺物に選ばれ、ついに当主にまで上り詰めた。その結果、嫉妬深い本家の連中に疎まれてリディアに島流しにされたわけだが……いくら陰険でクソみたいな連中だったとは言え、長い間統治していた君主に対して、島民は親しみを感じていたのだ。


 その地域にある歴史や慣習というものは、風呂おけにこびり付いた水垢のようで、力づくでは中々拭い去ることは出来ない。そんなことをすれば反感を買い、やがて抵抗を受けて追い出されてしまうだろう。


 知っての通りベトナム戦争で米国はその殆どの戦闘で勝利したにも関わらず、完膚なきまでに敗北した。多くの国民の命をいたずらに失い、政権は大批判を受け屈辱のうちに撤兵し、傀儡国家であった南ベトナムは消滅した。


 しかし、それによって米国が恐れていたようにベトナムが共産化したかと言えば、そうはならなかった。思いがけず中国とも戦争を始め、彼らは民主的な独立を勝ち取ったのである。


 要するに、彼らは始めから自分たちの生活を守るために戦ったのであって、大国の都合に振り回されていただけだったのだ。米国が攻めてきたから中国を頼り、今度はその中国が攻めてきたから撃退した。


 クラウゼヴィッツに言わせれば、戦争は相手に自分の意志を強要するための暴力行為であるが、それによって相手の心の中まで変えることは出来ないのである。それをするのは統治や占領政策などと呼ばれる政治行動であり、戦争が政治の一環と言われる所以である。


 思えば日本という国だって、戦後70年に渡って実質アメリカに支配されてるような状況にあるくせに、周りを見れば、天皇陛下万歳と言って死にそうな連中が未だに居るというのに、合衆国大統領万歳と言って死ぬような人間は一人もいないだろう。誰だって心の中までは侵せないのだ。


 因みに、目的のためには手段を選ばないことの代名詞として、マキャベリズムと言う言葉があるが、マキャベリが主張してるのは、それくらい世襲の国を乗っ取るのは難しいと言うことである。それをどう保持していけばいいかを、色んな角度で解説しているのが君主論なのである。別に悪巧みの話などはしていない。


 そんな具合に古来から統治に関して君主は頭を悩ましたわけだが、リディアのカンディア政策はどうかと言えば疑問に思わざるを得なかっただろう。


 島民も始めのうちは、征服して乗っ取ったのが、かつて追い出したはずの当主だったというところまでは、諸行無常としてまあまあ受入れられたのであろうが、それが孫の代になってしまうと話が変わる。


 特に、カンディアは帝国が手に入れた初めての海外領土と言うことだけあって、力を入れて開発を行っていたのだが、それによって潤っていたのはシドニアの周辺だけであり、以前訪問した時に見た通り、州都ヘラクリオンは相変わらずの、ど田舎だった。


 しかも、島民にお金が降りているわけではなく、シドニアで儲けているのは基本的に外からやってきた商人ばかりで、自分たちの生活は殆ど変わらないのだ。それなのに移民が増えて治安が悪くなり、軍港周りでは兵隊がうろちょろして、時折問題行動を起こす。中国……ではない、アスタクス方伯が工作員を送れば、いくらでも扇動できるだろう。


 実際、この狭い島の中に兵隊が集まることで、島民との間で問題も度々起きたようだ。ウルフは前線にかかりきりで領地に帰ってくることは殆ど無く、若い高官達はそう言うトラブルを片付けているうちに、段々と中央への不満が募っていった。


 彼らがそんな事情を切々と語ると、それまで沈黙を保っていたウルフが、但馬を押しのけるように言った。


「話は分かった。君たちが国を思って行動を起こしたことは理解している。俺こそ、この国を統べる領主だと言うのに、ろくに領地にも戻らず戦争に明け暮れてすまなかった。俺がもっと国内に目を向けていればこんなことにはならなかったのだ」

「公爵閣下! ……もったいなきお言葉」

「俺は君たちが裏切ったとは思っていない。実は、君たちが感じている違和感は、方伯の間者によるものなのだ。君たちは奸計に利用されたのだよ」

「な……本当ですか?」


 計画通りなのであるが、ウルフが優しい言葉をかけると、若者たちは感激したのか、嬉し涙を流しながら頭を垂れた。そして、ある程度はその可能性も考えていたのだろう、自分たちの中に裏切り者が居ると断言されて、ソワソワと動揺しはじめた。


 但馬はふと、そんな彼らを見ながら気づいたことを尋ねた。


「……ここに来てるのは全員じゃないね? 他の連中はどうしてるのか」

「先の空砲で兵士が動揺しており、全員で来ては軍港の統制が取れなくなると言って残りました……」

「ふーん」


 交渉のためにやってきたカンディアの高官は明らかに少なく、帝国議会で見かけた顔のいくつかが見当たらなかった。かつての但馬の部下であり、最も敵視していたネイサンもだ。彼はリーダー格のようだったし、本当ならここにいて嫌味の一つも言ってくると思って身構えていたのであるが……


 あやしいな……但馬はそう思いつつも、最後のダメ押しとばかりに若い高官連中に言った。


「多分、その中に方伯の間者が居るんだよ。おまえらはそいつに乗せられてこうなった。正直、誰が犯人なのか興味はあるが時間が惜しい。犯人探しは自分たちでやってくれ。さて……俺たちはこれからフリジアに渡り一戦交えるつもりだ。ビテュニアが終わったら……あとは分かるな?」


 方伯との戦争が終わったら後はないぞ。但馬はそう言っているのである。


 若者たちはそれを理解すると、提案を受け入れ武装解除するためにも、犯人探しのためにも、一日だけ猶予をくれと言って慌てて仲間の居る軍港へと戻っていった。もう抵抗は無意味なのだから、どっちにせよ早晩武装解除はなるだろう。だがその前にやるべきことがある。


 その晩……


 但馬たちは若者たちが帰って行くのを見届けてから、こっそりとシドニアを出て、一路ヘラクリオンへと向かった。


 彼らを追いかけたわけではない。


 間者が居ると知った彼らが内ゲバをしている隙に、宮殿で軟禁状態のジルをこっそりと救出しようと目論んでのことである。


 兵は神速を尊ぶ。繰り返すがカンディアとの交渉を悠長にやってる暇はないのである。早々に片付けるか……片付けられないのであれば、無視して先に進まねばならない。


 だからそのためのアキレス腱、人質の救出をさっさとやってしまおうと、但馬はウルフと相談して、予め奇襲策を決めてきたのだ。


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