裏切りの者の流儀
ヴェリア砦から凱旋した帝国軍は、イオニアの街から大歓迎を受けた。先だっての再上陸時とは雲泥の差であった。
特に、皇帝ブリジットの人気は爆発的なものがあり、彼女が街に入城するや地も割れんばかりの歓声が轟き、それは遠いヴェリア砦まで聞こえるほどだったそうである。
理由は長く苦しめられた方伯軍を退けたこともさることながら、勝敗を決める一戦で一軍の将である彼女が、果敢にも突撃していったことが、尾ひれはひれもつけて街中の噂として広まっていたことが原因だった。
彼女はそれに対し大いに喜び、凱旋式典で調子づいて演説をしていたが、もちろんその晩、兄貴と但馬と近衛隊長からフルボッコにされた。
何が悲しくて総大将が突撃する軍隊があるのだ。追いつめられて滅亡待ったなしの小国ではないのだぞ。
するとブリジットはしくしく泣きながら、
「だって、先生の作戦が失敗するわけありませんし、あそこは見せ場だと思って……」
などとほざいては但馬にシバかれていた。
神様じゃないのだから、但馬だって失敗するときは失敗する。と言うか、これまでも幾度も失敗を重ねてきたではないか。どうも彼女の頭からは、それが綺麗サッパリ無くなっているようである。
その崇拝にも近い愛情は時に恐怖さえ感じさせたが、こうして慕ってくれてるのを無碍にも出来ず、もしまた言うことを聞かないことがあれば、その場でリディアに帰すぞと約束させて、今回の件は不問に付したが……彼女のこの楽観的な希望的観測は、どうやらこの時にはもう全軍に行き渡っていたようである。
ヴェリアから凱旋して初の軍議の席でのことだった。
これからの方針を決めるための招集であったが、普段なら喧々諤々意見を交わす諸侯が、軍議が始まっても中々声を発すること無く、互いに牽制するように目配せしあっては、結局何も言わずにじっと意見を窺うように但馬のことを見ているのである。
ヴェリアでの手並みは拝見したし、作戦面はもう但馬に任せておけばいいと言うことだろう。
無責任な話であるが、そもそもその責任の所在はブリジットにあり、それを補佐するのが但馬の役目なのだから文句も言えない。どうせ、元から最終判断は彼に一任されているようなものなのだ。
いや、寧ろ軍議という形は効率が悪く、司令部に口を出す人間が多すぎたのだ。逆に文句が出ないのであれば、そちらの方がいいだろうと、但馬は不安を飲み込みつつも、今後の方針を語って聞かせた。
次戦は恐らくフリジアになる。
パドゥーラ以南の安全がなった以上、今度はこちらから攻める番である。問題は今回の戦争でどこまでやるかであるが、前回のフリジア戦役以降、アスタクス方伯がこちらとの和平交渉を渋り、賠償金を払わなかったからには、今回も同じく交渉で相手を屈服せしめることは難しいだろう。
方伯はイオニアの翻意を促すために挙兵したわけであるが、初めから話し合いではなく、武力を出してきたところからしても、こちらを舐めているのは間違いない。こうなってはもはや生ぬるい工作をするよりも、方伯の本拠地であるビテュニアを取り囲み、彼を交渉の場に引きずり出すのが一番である。
そのためにはビテュニアへ至る道を確保せねばならないのであるが、おあつらえ向きに兵站線を維持しやすい道がフリジアから通っている。ビテュニアからフリジアへ向けて流れるガラデア川(大アスタクス)である。
従って、帝国の次の狙いはこの河川の制圧である。
最も兵隊の集めやすいフリジアに兵力を結集し、ガラデア平原を北へ向けて進軍、ガラデア川周辺地域を制圧しつつ北上、アスタクス首都ビテュニアを包囲すると言う作戦である。その途上、恐らく開戦は避けられないだろうが……
まあ、手は考えてある。なんとかなるだろう。
その後、方針を伝えられたイオニア連合軍は、フリジアで会おうと言うと、およそ8ヶ月ぶりの領地に戻っていった。領地ではイオニアでの勝利を周辺国に周知してくれるそうである。後を追って帝国軍がフリジアに向けて進軍するが、その通行許可もこの席でいただいた。
軍議が終わると但馬は大隊長クラスを司令部に呼び寄せ、これからの方針を伝えて後は各自の判断に任せた。軍隊組織を細分化する最大の利点は、こうして細かいことを省き、迅速に命令を遂行できる点にある。
これが昔ながらの軍隊だと、大将が添乗員よろしく全軍を率いなければならないが、近代化し細分化されていれば、「渋谷で待ち合わせな?」「オッケー」で済むのだから、その差は計り知れないだろう。軍隊が大規模になればなるほど、その差は如実に現れる。
ヴェリアからの撤退は、方伯軍がパドゥーラを通り過ぎるまで確認してから行ったのであるが、多分、方伯がビテュニアに着くのと、帝国軍がフリジアに集結するのはほぼ同じくらいだろう。もしくはこちらが早いくらいではなかろうか。
そんなことを考えつつ、司令部にしていた市庁舎を出て小隊ごとに別れて行動する帝国軍の姿を見ていると、ブレイズ将軍が近づいてきた。
ブレイズ将軍はウルフと共に南山陣地への銃剣突撃を敢行したしたことで疑いが晴れ、イオニア連合諸侯にまた慕われて、立場を回復していた。
彼は結局、方伯の間者では無かったが、かつて方伯の腹心であったことは事実であり、最後まで疑われたのはある意味仕方なかったろう。実際、方伯の間者が彼に接触していたのはシロッコが確認している。
更に調べてみれば、第一回フリジア戦役で戦没者を多く出した国の一つに将軍の領土があげられており、帝国は恨まれこそすれ、彼が方伯を裏切り鞍替えするほどのメリットは何も無かった。
いや、地政学的な意味はあったが、直臣とも呼べる彼がどうしてこちらについているのかは、未だに結構な謎だったのだ。
「帝国の兵士はよく訓練されている。淀みなく動き回り、度胸が有り、国に対する誇りを持ち、そして裏切る心配がない……アスタクスの兵ではこうは行かない」
将軍は帝国軍を見ながら言った。
「徴兵の仕方に特徴があるんですよ。軍事に特化して、みんな小隊ごとに一蓮托生で暮らしてるから、お互いがお互いを助けあおうとして連帯感が生まれる」
「これも宰相殿が考えたのか」
「いえ、これは先帝陛下のお仕事ですよ」考案したのは勇者のようだが、「リディアは特殊な土地でしたからね。一定以上の武力を常に確保するためには、色々工夫が必要だったようです」
「ふーん……我が国も取り入れるかな」
「常備軍はお金がかかりますよ? まあ、これから先もずっと帝国と歩んでいくつもりなら、経済面で協力はしますが」
但馬が含みのあるセリフを吐くと、将軍はピクリと眉毛を動かした。初めは気にしていないような素振りを見せたが、
「……宰相殿は、私がまだ裏切ると考えているのか? ならば何故、あのとき我が隊に突撃をさせた。もしも私が裏切ったら、今頃、公爵の首は繋がっておるまい」
「そりゃあもちろん、裏切るわけ無いと思ってたからです」
将軍は煙たそうな顔をしながら、但馬へ粘りつくような視線を浴びせてきた。
「方伯の腹心とまで言われたあなたが裏切るなら、初めからこちらに参加なんかしてないでしょう。だから初めから疑ってなんか居ませんでしたよ。でも、どうしてこっちについたのかまでは分からなかった。方伯と喧嘩でもしたんですか?」
将軍は、ふんと鼻を鳴らすと、
「……喧嘩などしておらん。方伯は私の言葉など耳に入らんようだったからな」
将軍の領地はもしも南部の諸侯が方伯を裏切ろうとした場合、すぐに駆け付けられる要の位置にあった。その事実が示す通りに、ブレイズ将軍はいわば方伯の直臣だったのだが、それ故に、前回の戦役で一番の被害を受けたのが彼だったのだ。
将軍は領地を踏み荒らされ、彼が長年をかけて訓練した自慢の兵隊までをも失った。だというのに、方伯からなんの補償もなく、諫言も受け付けない。頑固ジジイめと憤慨していたところ、彼はまたイオニアの地でぶつかろうとし始めた……
方伯は帝国を甘く見すぎている。
多くの兵を失い、帝国の力を冷静に分析していた将軍はそう感じると、注進を聞かない方伯に見切りをつけ、お灸をすえるつもりで連合に参加したらしい。この動きに流石の方伯も驚いたようで、何度もしつこく将軍に戻って来いと言ってきた。それを裏切りの予兆と周りから捉えられていたようである。
ともあれ、何というか要するに、将軍は初めから方伯を説得するためにここにいるらしい。裏切りはしないが、元々味方という意識も低かったようだ。
「……私は初めから帝国に臣従したつもりはない。ミダース様が改心なされたら、また彼にお仕えするつもりだ」
彼はそう堂々と言い放つと、但馬に向かって更に言った。
「こんな男を、まだ信用して使うつもりか?」
「もちろんです」
しかし、但馬は即答すると、力強く頷いた。
と言うか、寧ろ居てくれないと困るのだ。
「話は分かりました。あなたは気になさっておいでのようですが、元々、南部諸侯の皆さんに求めたのは、方伯との従属の解消です。ですから、あちらに与しない限りは、こちらにつこうがつくまいが、どちらでも構わなかったんですよ」
「……そうか」
「我々の最大の目的は戦争の終結であって、征服ではありません。ちゃんと賠償金を支払って、和平条約を結んでくれればそれでいいのです。そのためには、方伯に交渉の場に出てきてもらわねば困るのですが、彼は聞く耳持ってくれない。ですが、あなたが居てくれるなら心強い」
そして但馬も将軍に負けじと臆面もなく言い放った。
「我々はこれからフリジアを北上し、方伯軍を打ち破り、ビテュニアを包囲します。激しい抵抗が予想されますが、まあ、なんとかなるでしょう。そうなった時、あなたには方伯に降伏を呼びかけて欲しいのです。俺は、虐殺者にはなりたくない」
アスタクス地方の人口は正確なことは分からないが300~400万。帝国の10倍の人口を誇り、恐らくこのつぎの会戦には10万規模の動員が見込まれるだろう。そしてビテュニアに近づけば近づくほど敵の数は多くなり、抵抗も激しくなるはずである。
だが、この男はそれを全く意に介さないらしい。
それどころか、この戦争をどう終わらせるか、そんなことをもう考えているのである。恐れを知らぬとはこのことだ。
「お願いできますかね」
将軍は、はぁ~……と溜息を吐くと、徐々にこみ上げてくる笑いが抑えきれなくなった。そしてカッカッカッと愉快そうに笑っては、怪訝な顔をして返事を待っている但馬の頭をポンと叩くと、その手でガシガシっと髪の毛をごちゃまぜにした。
「生意気な青二才が」
「わっ! ちょっとちょっと!」
それを嫌がって逃げまわる但馬を執拗に追いかけ、ペシペシと頭を叩きながら将軍は思った。
自分の孫と言っても良いような年の男に、どうしてこんなに惹きつけられるのだろうか。傲岸不遜なセリフは呆れ返るばかりで、どこまで本気かは分からないが、でも、この男なら本当にやってしまうような気がするのだ。
「人たらしめ……仕方ないから付き合ってやろう」
将軍はそう言うと、ガハハハッと豪快に笑った。
但馬はぐちゃぐちゃになった髪の毛を手で梳きつつ、恨みがましい目でそれを見つめた。
*******************************
但馬が将軍とそんな話をしている間、彼らから少し離れたところではウルフとミラー男爵、そしてその取り巻きが談笑を繰り広げていた。ウルフは一時期株を下げていたが、どうやら求心力が回復したようである。
理由は言うまでもなく、南山陣地への銃剣突撃を成功させたことであり、大将として勇敢に戦った彼が頼りになると諸侯は褒めそやした。
ぶっちゃけ、彼の名誉挽回策として仕掛けたものだったから成功してよかったのだが……ブリジットが空気も読まずに、しかも危険を犯して突撃してった時にはどうなることかと頭を抱えた。結果的に兄妹揃って株を上げた格好であるから、結果オーライなのだろうが……
いや、ブリジットのあれはやはり駄目だろう。
ともあれ、こうして求心力とともに自信も回復していたウルフは、アスタクスとの戦争が始まって以来、最も充実した日々を過ごしていた。自分だってやれば出来るのだとやる気が漲っていたのである。
無論、そうなったのは但馬の作戦のお陰であることを、彼は謙虚に受け止めていた。だから今後の作戦も、彼に従うつもりであったが……
ブレイズ将軍が離れていったのを見て、ウルフは舅に後を任せると、いそいそと但馬の元へと足を運んだ。
ヴェリアで勝利したからには、後顧の憂いは断った。次はカンディアである。
気にしてない素振りはしていたが、カンディアには自分の妻が軟禁されており、実はずっと気になっていたのだ。
だから、突撃前のスピーチでもカンディアの名を口にしたくらいだ。自分たちが辛酸を舐めさせられたのも、偏に空気も読めない馬鹿どもが、国のため、公爵のためなどとほざきながら、兵站基地を占拠してしまったのが原因だ。
これを糾さなくてはならない。粛清をもって。
「……なんだと!? カンディアを攻めない?」
「攻めないよ。なんの利点もないだろう? 前線はガラデア平原になって、兵站基地はフリジアなんだ。コルフも協力してくれる。兵隊だってもう海上輸送の必要はない。陸路で向かってるんだ」
ウルフは目眩がして思わずふらふらとよろけた。
「し、しかし……俺たちがここまで苦戦させられたのも、そもそもの原因はカンディアのせいではないか。これを捨ておいて次にと言われても」
「発端は方伯の奸計だろう。もちろん、最終的には正すけども、決戦前に兵力を減らしてどうするんだ」
「カンディアを制圧すれば、軍港にいる兵力を吸収出来るではないか」
「ついさっきまでクーデターやってた兵士と一緒に戦えるか?」
「……」
「あのなあ、おまえの部下がやらかしたことだから、頭にくるのはわかるが、ここで粛清だなんだってやってる場合じゃないよ。時間が惜しい。攻めるくらいなら、懐柔した方がまだ良いだろう。特におまえは一応リーダーなんだから、度量の深いところを見せてやって、あいつらが安心して武装を解除するようにしむけろよ。そして武装を解いたらぶっ殺せ」
「そ、そうか……」
ウルフは但馬にとってカンディアなど、ここまでどうでも良いことなのだと分かって、シュンとしょげ返った。なんとなくクーデターを起こした馬鹿どもの気持ちも分かるような気がした。但馬のやることは、自分たちにとってはいちいちスケールがでか過ぎて焦るのだ。
カンディアを併合した当時は、その島が帝国で最大の領地であったが、今となっては遥か西の海には手付かずの大陸が転がっていて、帝国の領土は広がる一方なのだ。今回の戦争だって、敵国に領土を割譲させようなんて気は、さらさら起こしていない。今更、島が一個無くなったところで大したことないのかも知れない。
「けど、ジルさん達をこのまま人質にさせとくわけには行かないからね。一応、フリジアに向かう途中に寄るつもりではあるよ。ただ、攻めるんじゃなくってあくまで交渉だから、そこんとこは勘違いしないでくれよ」
「ああ……それじゃあ、俺は奴らを寛大に許す演技でも練習しておくとしよう。今なら上手く出来そうな気がする」
「……? そう? じゃあお願いするけど。準備が出来たら戦艦ハンスゲーリックに乗艦してくれ。おまえのヴィクトリアは大佐が海上封鎖に使ってるから」
「クーデター勢力との交渉の窓口はあるのか?」
「問題なく連絡がいってれば、今頃外務卿が用意してくれてるよ」
但馬はそう言うと忙しそうに司令部にしている市庁舎へと帰っていった。
いつの間に外務卿と連絡を取っていたのだろうか。兵站部隊と共に後方をうろちょろしていたが、基本的にはずっと本陣にいたはずなのに……
兵は率いず後方支援に徹すると言っていたから、よほどやる気が無いのだとウルフは思っていたが……蓋を開けてみれば、いつの間にかこうして全軍を指揮していたのは但馬だった。
戦争は前線で戦うばかりでなく、後方との連絡が大事だからと彼は言っていたが……兵糧が尽きて敗走した自分とこうも違いが出るものなのかと、ウルフはため息が出るばかりだった。
明日1日お休みします。続きは水曜日から。