ブリット
全滅……
北へと去っていった騎兵に追撃を出した翌日、方伯はボロボロになって帰ってきた追撃隊の報告を聞いて絶句した。
3000は居た追撃兵の殆どがやられて、戻ってきたのは3桁に満たなかった。その数十人も勇敢に戦ったと言うよりも、幸運にも逃げ延びたといった感じで、まるで生気は感じられない。よほどの恐怖を味わったようである。
それはそうであろう。3000もの人間が為す術も無く、何かにすり潰されていく様は、まともな神経では直視できまい。おまけに自分たちは狩られる側なのだ。
これほどの敗北は前回の第一次フリジア戦役以来のことであり、方伯はあの時のことを思い出して背筋が凍りつく思いがした。あの時、小銃という敵軍の新兵器の威力を測りきれず、その常識外れの馬鹿げた陣形のせいもあって、不必要に相手を過小評価してしまったのが、あの結果だったのだ。
今回の負けはあの時に匹敵する。どこかまだ油断があったのだろうか。いや、北に向かった騎兵はせいぜい500のはずである。6倍もの追撃を出して足りないなどとは到底思えない。馬は人間が恐れさえしなければ弱いのだ。一方的にやられるはずがない。
それに報告を聞く限りでは、みんな騎兵にやられたわけではないようだった。追撃をしていたら、遥か前方から射撃音がして、伏兵か? と思った時には、もうバタバタと兵士たちが倒れていたのである。
その射撃は恐ろしく正確で、たった一度の斉射で数十人を撃ちぬいていった。おまけに連射が可能で、あっという間に指揮官がやられ、パニックになった兵士たちは畑の畝に足を取られ、逃げ惑う彼らを騎兵が容赦なく追撃した。
この前方から狙い撃ちにされた射撃音の主が何だったのか、それが方伯軍の兵士たちには分からなかった。
実は、この正体は、銃士隊による待ち伏せ攻撃、対エルフ戦で彼らが得意としている釣り野伏だったのだ。
但馬はイオニアに到着するや、すぐさま偵察にリーゼロッテとクロノアを走らせた。
ヴェリアの地で方伯が砦を築いていることを発見したのも、実は彼らであったのだが、この時、自分の直属に配備された200人の銃士隊をどう運用すべきかで、但馬は頭を悩ませていた。
ライフル兵はその射撃精度が売りで、密集するよりも散兵として最前線に立たせ、敵兵が近づくのを防いだり、打撃を与えて隊列を崩すのがセオリーだ。だが、現状、方伯軍は防衛陣地を構築して篭っており、近づいてくる敵兵が居ない。それじゃ本陣に置いておくのは無駄なので、どうせなら自由に動かし狙撃でも狙った方がいいだろう。
それで最初は小勢なのを活かして南山陣地を狙撃させようかと考えたが、思ったよりも森が深くて遠距離から狙うことは難しい。他に良い戦場はないかと探していたら、北の方へ偵察に行った斥候が方伯の補給部隊を発見し、これを襲って敵兵を釣りだすことを考えついた。
そして方伯に追撃されるのを承知で、派手に騎兵を暴れさせてから北へ逃走し、相手が対応せざるを得ないように、補給部隊を襲撃、村を襲いながら北上。クロノアの銃士隊が伏せる畑に誘き出して始末したというわけである。
追撃隊は畑の中で何者かに狙撃をされたことまでは分かったようだが、しかしこの正体は分からなかった……方伯軍はライフル弾の存在は知っていても、連射が可能で、それどころか伏せ撃ちまで出来る銃を知らなかった。彼らは何に自分たちが襲われたのか、最後まで分からなかったのだ。
クロノア率いる銃士隊が装備しているのは、ただのライフル銃ではなかった。後装式の薬莢を用いたライフル弾を使っていたのだ。
以前も述べた通りであるが、ライフリングという技術は銃身に弾が噛まないと回転が得られず意味が無い。そのため、ミニエー弾が出来るまでの、初期のライフル銃は弾をギュウギュウと力づくで押し込んでいたわけだが、銃口……つまり銃の先端から押し込もうとすると、労力が尋常ではなく、上手く装填することすら出来なかった。
なので、最初期のライフル銃は遊底と呼ばれる着脱可能な銃底を用い、銃身の後ろの方から弾を込めて発射した。我々がライフル銃と聞くと想像する、あの後装式銃であるが……この方法で弾を込めるとどうしても遊底と銃身の間に小さな隙間が出来てしまう。
微々たるものかも知れないが、これが厄介で、このまま銃を打つとその隙間からガスが吹き出してしまい、威力が落ちてしまう。それどころか、位置的に有毒ガスが射手の顔面に当たり、射手が怪我してしまうという問題があった。
初期のライフルであるドライゼ銃はそれを我慢して使っていたのだが……
ところで実包と言う言葉をご存知だろうか。現在では弾丸そのものを言うようになったが、元々は銃の弾込めを簡略化するために、紙に弾丸と火薬を包んだものをそう呼んだ。
マスケット銃は、銃口からまず火薬を入れ、次に弾丸を入れて、カルカ(槊杖)と呼ばれる棒で押し込んで装填した。そして発射した後に、またカルカを突っ込んで銃身を綺麗にし、火薬を入れ、弾を入れてと繰り返した。
この際、火薬と弾を別々に入れていると二度手間だから、予め一つにまとめて筒に入れておいたのが、日本ではいわゆる早合と呼ばれる技術であり、紙に包んでおいて噛みちぎって使ったのが欧州の実包と呼ばれるものだった。
この紙で出来ているというのがポイントで、どうせ紙で出来ているのだから、発射の際に燃え尽きてしまえば問題ないと、そのうち噛みちぎらないでそのまま装填できる実包が開発された。
初期のライフル銃であるドライゼ銃でも、その紙製の実包が作られたのだが……ところが、この実包を使っていると何故か銃の威力が増すのである。
初めは何故かわからなかったが、そのうち発射の際に出た実包の燃えカスが、遊底の隙間に挟まってガスが吹き出すのを抑えているということに気がついた。
それじゃ、初めから隙間を埋めるように、金属で作ったら良いじゃないと考案されたのが、現在の薬莢であり、真鍮や鉄で出来た薬莢に火薬と弾を詰めた、今の銃弾の形がこうして生まれたわけである。
この薬莢の登場で、それまではカルカで銃身を掃除していた作業も必要なくなり、持ち変えずにそのまま弾込めが出来るので、後装式ライフル銃は扱いやすく飛躍的に連射性能が増した。そして発射の際の反作用を利用して薬莢を自動的に排出する機構が出来ると、機関銃が登場し、戦場はまったく未知のものになっていく。
こんな具合に、特殊な薬莢を使った後装式ライフル銃を使っていたクロノアの部隊は、一分間に10発以上の射撃が可能で、しかもその狙いは現存するどんな銃よりも正確だった。
因みに、薬莢という技術自体は、元々は但馬が自分の短銃のために作って、5年以上も前から使っていた。だが、発射のために使う装薬に銀を使うのでコストが高く、軍では採用しなかった。水銀や鉛を使えばもっと安く作れるのであるが、言うまでもなく中毒になってしまうので、採用を見送ったのである。
しかし銃士隊は対エルフ戦術で銅の檻の中に入らなくていけないから、元々姿勢を低くして射撃する必要があり、初期から後装式のライフル銃を使っていた。その違いが戦場で如実に出たわけである。
ともあれ、クロノア隊が野に伏せて、射撃をしていたせいで、方伯軍は自分たちを襲った敵の正体が未だに分からず、謎の新兵器を持った騎兵が後方で大暴れしているのを無視できなくなった。
3000もの追撃を出したわけだが、それで足りないとなると、どれだけの兵力を出せばいいのだろうか……?
そうこうしているうちにも、北方の村々が亜人騎兵による被害を受けていると言う報告が入り続け、おまけに補給が途絶えた自軍陣地内は士気がガタ落ちしていた。そもそも、ここにいる兵士の殆どは、国に帰ればただの農民なのだ。腹を空かせて頑張れるだけの精神力は元から持ちあわせてはいない。
この時点で方伯は敵騎兵の追撃は諦め、北方の守備と補給部隊の護衛のために、全戦力を二分せざるを得なくなった。
そして北方の村々の守備に6000を、補給部隊の護衛に3000を投入し、敵部隊を発見しても深追いしないようにと厳命、北部パドゥーラの地へと送り出した。たった500騎の騎兵隊にである。
そしてそれを待っていたかのように、亜人の騎兵隊が再び姿を表したのは、北山の砦の戦力が激減したまさにその翌日の事だったのである。





