表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第七章
216/398

後方撹乱

「女王、準備が出来た」


 リーゼロッテは頷くと、部下である亜人たちに向けて言った。


「火を放ってください」


 うず高く積まれた食料の山に、ボウっと火の手が上がった。


 ヴェリア北、イオニア街道沿いの草原の片隅で、リーゼロッテ率いる亜人の傭兵団がキャンプファイヤーのように物資を燃やしていた。帝国軍の馬たちが奪った飼い葉をむさぼり食う様を、遠くの方で空馬が羨ましそうに見ながら、くるくる走り回っていた。


 草原には3万人の食料や武器弾薬を積んだ輜重車の残骸が大量に転がっており、亜人の一人が手斧で車輪や板を叩き割っては、盛大に燃え上がる食料の炎の中に薪をくべるように放り投げた。


 この大量の食料は言うまでもなく、アスタクス方伯軍の補給物資である。


 亜人騎兵はヴェリアの砦を攻めるふりをしながら、実は最初からこの補給隊を狙っていたのだ。


 但馬がヴェリアの地へやってきて、敵の砦を見ながら真っ先に考えたことは、籠城するには数が多すぎるということだった。


 敵がイオニアの街を攻めつつも、後方でこの砦を建設していたと言うことは、方伯はここが前線基地になると踏んでのことだろう。方伯はイオニアの街を落とせなかった場合、戻ってきた帝国軍とヴェリアの地で再戦することを、予め予想していたわけだ。


 砦は拠点防衛と、兵糧の備蓄のために建てられたものと考えて良いのだろうが、それにしたって3万人である。一日食べるだけで、何十トンの小麦が必要だろうか。


 帝国軍は、今たった1000人の砲兵陣地相手に苦戦を強いられている。本来、少数でも守れそうな砦にこれだけの人数を残しているのは、反転攻勢を考えてのことであろうが、後方任務を担当している但馬の目には、明らかに方伯が無理をしているように映った。


 何しろ、帝国の携行糧食は特別製だ。缶詰とフリーズドライを主食として、かなりの軽量化がなされている。それでも運搬が大変だと言うのに、対する方伯の方は前時代的なもので、恐らくはなんの工夫もされていないはずだった。


 おまけに、帝国は長距離を輸送すると言っても、その殆どが海路であるが、方伯はビテュニアからずっと陸路を辿ってくるわけだから、相当厳しいはずである。


 孫子が言うには、戦上手の者はまず敵が勝てない状況を作り上げ、敵が隙を作るのを待つそうだ。従って、敵がこちらに勝てないのはこちらに原因があり、こちらが敵に勝てるのは相手に原因がある。故に勝利は予め知ることは出来るが、無理に作り出すことは出来ないと言われる。


 帝国軍の弱点は兵站であったわけだが、実は相手のほうがもっと状況が酷いのではないだろうか。方伯は自軍の苦しい兵站線を見ていて、帝国軍の弱点に気づいたのだ。彼を知り己を知れば百戦して危うからずというが、それはどちらにも当てはまることだろう。


 但馬はそのことに気づくと、自軍の兵站線の警戒をしながらも、斥候を大きく迂回させて砦の北へと送り、相手の後方を偵察した。その結果、かなり頻繁に補給部隊が行き来していることが分かり、そしてヴェリアの北、パドゥーラの地に兵站基地があることを突き止めた。


 ヴェリアの地はイオニアとフリジアを結ぶフリジア街道と、イオニアとビテュニアを結ぶイオニア街道の交点であるが、そのイオニア街道の途中にパドゥーラはあった。


挿絵(By みてみん)


 パドゥーラはエトルリア大陸南西部にあり、ロンバルディアと国境を接している街だった。南部諸侯の領地とは離れており、帝国とは特に接点がない。エトルリア聖教の大聖堂がある以外は、特にこれといった産業もない落ち着いた山裾の街である。


 大聖堂は度々ロンバルディアから侵攻を受けたために、業を煮やした方伯が手を出させないよう、教会に働きかけて建てたものであるそうだ。


 そのパドゥーラは大聖堂があるせいか、信者の往来が頻繁で交通の要所となっている。イオニア街道の他、北街道という街道も繋がっており、それはガラデア平原やビテュニアへと続いている。物資が集めやすいから、方伯はここを兵站基地としたのだろうが……


 イオニアは大陸最南端の僻地であり、ヴェリアとパドゥーラを結ぶ道はイオニア街道一本しかない。つまり、補給部隊は必ずこの道を通るわけである。おまけに、大量の物資を運ぶ輜重隊はかなり目立ち、ろくな護衛もつけていなかったから、もう襲ってくださいと言わんばかりのものだった。


 但馬は、相手の弱点がこれであると見ぬくと、騎兵による迂回攻撃を提案、北へと向かい後方撹乱する作戦を立てた。単独行動で遊撃するには騎兵はうってつけであり、自在に動く軽騎兵を敵も止めることは出来ない。


 リーゼロッテ率いる騎兵500はこうして北へと抜けると、街道をトロトロと進んでいた敵の兵站部隊を襲撃した。そして援軍が来る前にその運搬物に火を放つと、今度は街道沿いにある村々を襲い、畑の刈り取りを行った。


 と言ってもすでに収穫を終えたあとだったから、狙いは村の備蓄倉庫を襲うことであったが、収穫物は火をつけるか、馬に食べさせた。畑に食べられそうな草が生えていたら、それすら徹底して引き抜いた。補給が滞った方伯が次に打つ手は、近場の村からの徴発であろう。但馬はそうはさせじと先手を打ったわけである。


 戦国時代、戦場ではよくこういった行為が見受けられた。刈り働き焼き働きと言って、敵領内の収穫前の作物を刈り取って自分たちの兵糧にしてしまうか、それが無理なら焼き払ってしまったのである。こうすることによって、敵国は兵隊に食わせる兵糧が減り、継戦能力を失うからだ。


 因みに、大昔の国々の国境がいまいち定まっていないのはこの刈り働きのせいであり、仲の悪い隣国同士が国境の村を襲いあったせいで、国境付近から人が居なくなってしまったのだ。


 それじゃたまらないから、地元の有力者で自警集団を作ったのが、土豪とか国人衆とか呼ばれる人たちであり、彼らは大名に従わなかったが、大名もそんなところを守ってられなかったから彼らのことを認めていた。弱小大名だと場合によっては国人衆と立場が逆転しているような国もあったようだ。


 この刈り働きよりもっと酷いものを乱取りと言って、いわゆる略奪や強姦のことをそう呼んだ。


 別に日本だけじゃなく、世界中のどこでもやっていたのだが、乱取りは兵隊の権利であり、まだ兵農分離の進んでいないころの兵隊には、これが目的で参加した者も多かったから、戦に勝利したあと総大将は頃合いを見て乱取りを認めていたようだ。戦に勝てば大名だけではなく、それに参加した農民も潤うから、みんな死ぬかも知れないのに頑張ったわけである。


 桶狭間の戦いで今川義元がやられたのは、現在ではこの乱取りの最中を狙われたというのが通説になっており、尾張に入ってからロクな抵抗もなく連戦連勝を重ねていた義元が油断して、部下に褒美とばかりに乱取りにいかせたところ、がら空きの本陣に信長が突っ込んできたらしい。総大将がやられてる間、部下はどっかでレイプしてたわけである。そりゃ遠州も錯乱するだろう。


 そんな具合に、国境付近の村々は尋常でない被害に遭うから、戦が始まると泣く泣く逃げ出した。だからリーゼロッテが刈り働きを始めた時には、戦場に最も近い村は、すでに村人が避難していてもぬけの殻であった。


 北へと進むに連れて村人の残っている集落も出てきたが、彼らは白装束の亜人の姿を見ただけで仰天して逃げていった。すると逃げた先でも噂が広がり、みんな我先にと逃げ出した。かつての勇者戦争は、亜人奴隷の解放戦争であったわけだし、前回のフリジア戦役でもホワイトカンパニーの名は轟いていたから、みんな亜人兵を怖がったのだろう。


 お陰で下手な抵抗に遭わずに済んでよかったが、顔を見ただけで逃げられてしまったのがショックなのか、亜人はみんなションボリとして耳が垂れていた。


「みなさん、元気出しなさいよ。嫌われるより怖がられるくらいが丁度いいじゃございませんか」


 リーゼロッテが苦笑してそんな風に慰めている時だった。


「女王! 敵襲だ!」


 街道の南の方からアスタクス軍の姿が現れた。村を襲いながらゆっくりと北上していた彼らに、追撃部隊がようやく追いついてきたようである。


 まだ敵の姿に気付かない亜人たちにクラリオンの音が鳴り響く。


「全員騎乗!」


 リーゼロッテの凛とした声が周囲に響き渡ると、畑の食べられそうな草を引き抜いていた亜人たちが馬に飛び乗り続々と集まってきた。


 500頭の馬が畑の中で隊列を組む。


 敵兵はそれに気づくと、ようやく追いついたとばかりにギラギラとした目で睨みつけながら、移動用の縦隊から、長い長い横隊へと組み直し、騎兵隊を取り囲むように動き始めた。


 数は3000は居るだろうか……500の騎兵を相手に、全軍の一割を投入するとは明らかに過剰であろうが、それくらい街道を抑えられることが方伯軍には痛いのだろう。これを打ち破ることが出来れば、敵軍に相当の痛手を負わせることが出来るはずだ。


 マスケット銃は当たるも八卦当たらぬも八卦。方伯の追撃部隊は見たところ銃剣もパイクも装備していなかった。方陣も組まず隊列も薄い。騎兵突撃を敢行すれば、簡単に食い破って彼らの背後を取れるだろうが……何しろ数が多い。


「博打になりますね。ここは予定通り退きましょう」


 リーゼロッテがあっさりと馬を返すと、亜人たちも一斉に振り返り、撤退のラッパが鳴った。騎兵はその打撃力よりも機動力と、いつも口を酸っぱくして言われていたのだ。


 彼女らが撤退しようとしていることに気づいたのだろう。一戦するつもりであった敵の指揮官は逃がしてはならぬと、まだ射程外であるにも関わらず一斉射撃を行ってきた。


 ババババンッ!!!


 っと、3000もの兵隊から、ものすごい射撃音が穀倉地帯に響き渡り、馬が驚いて隊列を乱した。


 弾は一発も当たっていなかったが、効いていると感じたのだろう、敵指揮官が第二射の弾込めを命令する。


 亜人騎兵たちは馬を宥めると、敵軍から逃れようと馬を走らせたが、方伯軍はそうはさせじと長い横隊で取り囲むように肉薄してきた。騎兵隊はやはり突破しようかどうしようかと迷っては、敵を前にウロウロとした後、結局あきらめたように縦隊を作り、穀倉地帯の狭いあぜ道を戦場とは反対方向へ進んでいった。


 その背中に向けて一斉射するとまた騎兵隊は隊列を乱し、モタモタとしながら逃げていく。馬から転げ落ちた亜人が、必死になって馬の背中にしがみついていた。それを見て、いけると感じた敵指揮官が大声で味方を叱咤すると、勢いをかって追撃を開始した。


 ……ところで、古戦場には大抵の場合、ナントカヶ原(がはら)とか、カントカ河原(がわら)と言う名前が付いている。だから、近所にあるヶ原(がはら)を調べてみたら、大昔に戦場になった場所だと分かってびっくりすることがあったりする。


 なんでそんな傾向があるのかと言えば、単純に大軍同士がぶつかり合うにはそれなりの広さが必要で、草原や河原が戦場に選ばれやすかっただけの話だ。誰だって森林だらけの秘境や、袋小路で大軍を戦わせたりはしたくないだろう。


 しかし、そんな中でも例外的に、ナントカ(なわて)と名前がつく戦場がチラホラと存在する。


 この畷とはなんのことかと言えば、字面から連想できるかも知れないが田んぼの畦道(あぜみち)のことであり、縄のように細い道が幾筋も絡み合い通っていることから(なわて)と言うそうなのだが……


 田んぼは一見、見通しが良くて戦場になりやすそうだが、基本的に指揮官はここを敬遠した。田植えをした経験があるなら分かるだろうが、田んぼに足を突っ込んだら、下手すれば足が抜けずに立ち往生する羽目になる。畑の(うね)なんかもそうで、掘り返された土は柔らかくて簡単に足を取られる。要するに足場が悪いから戦いづらいわけである。


 そんなわけで、こういう場所が戦場になると、結局足場の良い畦道に兵隊が集中することになる。大軍の運用には全く向いておらず、少勢にとっては逆に有利である。それじゃ何故、沖田畷だとか浅井畷だとかが戦場として選ばれたのかと言えば……


 そりゃあもちろん、待ち伏せにもってこいだからだ。


「撃てえええ~~~~!!!」


 パパパパン!!!


 方伯軍が亜人騎兵を追い立て、畦道を行進している時だった。突如、どこからか銃声が聞こえたかと思えば、先頭を進んでいた数十人がいきなりパタパタと倒れ出した。


 奇襲か!? と、敵指揮官が慌てて左右の小麦畑を見るが、敵影は全く無い。それじゃ一体どこから? と考える間もなく……ものの十数秒も経たぬうちに第二射が放たれ……


 そして敵指揮官は絶命した。


 第三射、第四射……ほぼ間髪を入れず、次々と敵の銃弾が飛んでくる。


 だが、それがどこから発射されたものなのかが分からない。


 何も居ないはずの穀倉地帯のど真ん中で突然撃たれ、指揮官がやられた追撃隊はパニックに陥った。


 しかし、慌てて逃げようとも畑のど真ん中。畑に入れば足を取られて倒れる者が続出し、将棋倒しになった敵兵は狙い撃ちされて次々と命を落としていく。


 辛うじて冷静さを保ち畦道を真っ直ぐ後退しようとした者は、しかし次の瞬間には呆然と立ち尽くすのであった。


 さっきまで、銃の一斉射にいちいち驚き、モタモタと逃げ惑っていた騎馬が、今、整然と隊列を組みながら、畑の中をものすごい速さで突き進み、アスタクス軍の退路を絶とうとしている。


 その光景に絶望し、ショックで座り込むと、目線が低くなったことで初めて分かった。


 襲撃者は遥か前方100メートル以上は先の茂みに伏せ、こちらに姿を晒すこと無く、黙々と射撃を続けていた。茂みの間から時折光るマズルフラッシュでそれが分かった。


 だが、分かったところで、もうどうしようもない。


 もはや隊列など組めるはずもなく、バラバラになって逃げ惑う兵達を、その何者かは正確に撃ち抜き命を刈り取っていく。追い立てる騎兵は残忍で、何の躊躇もなく背中を切り払っていった。


 まだ夕方でもないというのに、畑が真っ赤に染まっていく。3000も居た敵兵が、虐殺とも呼べる勢いでみるみるうちに減っていくのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
玉葱とクラリオン・第二巻
玉葱とクラリオン第二巻、発売中。よろしければ是非!
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ