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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第七章
213/398

ヴェリア砦攻略戦

 第二次フリジア戦役の初戦、両軍がぶつかったヴェリアと言う土地は、エトルリア南部アスタクス・イオニア国境にあり、東へ向かえばフリジアへ、北へ向かえばビテュニアへと街道が分かれる追分のすぐそばに、山に囲まれた湖がポツリとあるという風光明媚な土地だった。


 平時であれば弁当でも持ってハイキングに来たいようなところであったが、今そこにアスタクス軍3万、帝国軍2万5千が対峙しており、鳥の一羽も近づこうとしない、一触即発の雰囲気が漂っていた。


 ヴェリア湖畔へ進軍したアナトリア軍は、山に作られた敵の砦を前に苦戦を強いられていた。


 ただでさえ攻めづらい山城の前に湖があって、進軍方向が限定される上に、敵は高地を取って効果的な砲撃を浴びせられるのに対し、帝国側は有効な砲撃を行える距離にまで近づくことさえ出来ないのである。


 特に厄介なのは、方伯軍は砦の前方にある小高い丘の上に突出させるように砲兵陣地を築いており、その丘の上からの砲撃によって、帝国軍が砦に近づくのを防いでいた。


 この砲兵陣地の位置は曲者で、無視して通り過ぎることは出来ない。かと言って側面から攻撃しようとも、そこは崖になっていて、おいそれと近づくことが出来ないし、それではとばかりに真正面から近づこうとすれば、今度は敵の本陣から砲撃を食らうと言う、なんとも絶妙な位置にあったのである。


挿絵(By みてみん)


 そこで前任者であるウルフはどうしたかと言えば、無理に敵を攻めることはせず、持久戦に持ち込むことを選んだようだった。


 帝国軍の優位性は装備の質のみならず、兵農分離が済んでいるところにもあった。


 帝国兵士はその全てが職業軍人であるのに対し、アスタクス軍は農民が殆どなのである。つまり、ここで戦争を続けている限り、アスタクス内地では常に働き手の不足が生じており、今はまだ良くても、農繁期に差し掛かったら嫌でも軍隊を引かざるを得ないのだ。


 もし、そうしなかったら、アスタクス軍は次の収穫期に兵糧が得られなくなり、戦争を続けることが出来ないのだから当然だろう。


 そのため、ウルフは難攻不落の要害を前に、いたずらに兵を減らすこともないと考え、無理に攻めることはせず、湖の対岸に広く展開して敵軍を包囲し、粘り勝ちを狙った。しかし、結果は知っての通りである。


 アスタクス軍が初めからこちらの兵站線を狙っていたかどうかは分からないが、方伯の謀略により補給基地であったカンディアは混乱し、補給は滞り、ウルフは為す術もなく敗走するはめになった。補給軽視と後方との連携を疎かにしたツケである。


 その後、方伯はイオニアの街を攻めると同時に、この地に砦を築いていたらしい。こちらはこちらで長期戦を覚悟していたことを窺わせる。


 敵陣は急勾配の山の上にあり、数にまかせて攻めることは出来ず、かと言って少数では近づくことさえ出来そうもない、難攻不落の要塞だった。


 尤も、砲兵の居なかった時代であれば……という但し書き付きではあるが。


 ともあれ、そんな前例があったからこそ、帝国軍は二の轍を踏まないようにと、補給に関しては再三の注意を払い、イオニアから前線に運ぶ輜重隊には護衛をつけ、定期的にイオニアの街との連絡を取るようにした。


 後方任務担当には宰相・但馬が入り、彼の私兵集団であるホワイトカンパニーを遊軍として配置した。宰相肝いりの亜人傭兵団を、敢えて前線に置かなかったのは、彼が後方任務こそ重要だと考えているからであったが、まだまだ前線主義の南部諸侯たちは、後方に人員を割くことの意味を本当には理解していなかったようで、宰相は文官であるから後方に入ったのだと考えているようだった。


 戦争論の著者カール・フォン・クラウゼヴィッツは、兵站線は人間に例えれば血管に当たると表現した。兵站線とは後方連絡線のことであり、文字通り、後方と前線を繋ぐ道路や海路、そこを行く交通手段のことであるが、これを攻撃されると前線は孤立し簡単に崩壊する。


 大昔の馬や槍、弓で武装した軍隊であるならともかく、近代の小銃や迫撃砲の軍隊では、補給を受けられなくなるということは、そのまま継戦能力を失うということに直結するから言うまでもないだろう。


 人間の血液が全身に滞り無く巡らなければ死んでしまうように、広い戦場のどこかで兵站線が途切れてしまえば、戦線も同じく死んでしまうのだ。


「先生~! おーい! 先生~!」


 そんなわけで、前線と後方のイオニアの街と行ったりきたしていた但馬は、その日も前線にほど近い集落の軒先で、交流がてらに落ち葉焚きをやっていた。村は補給部隊の休憩地となっており、馬を休ませたり、飼い葉をわけてくれたりするので、とても有り難い存在だった。


 村人たちはこうして度々立ち寄る但馬がまさか帝国の宰相であるとは知らず、金払いの良い軍人くらいにしか思っていないようで、但馬が来るとよく差し入れに色々持ってきてくれた。彼はそれに対価を与え、世間話をしながら情報を仕入れていた。


 但馬は前線とイオニアの街の間に、こういった休憩地点を多数設けており、近隣に敵軍が潜んでいないか、監視の役目も兼ねて金をばら撒いていたのである。


 激しい砲撃戦が繰り広げられている前線を思えば優雅なものであり、確かに諸侯に軟弱者の(そし)りを受けても仕方ない姿であったが、こうして前線近くの集落にまだ村人が居て、軍隊に協力してくれるということが、どれほど有り難いことなのかをまだ誰もよく分かってないようである。


 ここ数日間の街道整備と近隣の村人の協力のお陰で、イオニアの街と前線を繋ぐおよそ25キロの行程を、物資を満載した補給部隊はたった2時間で走破することが可能となっていた。


 そんなこんなで但馬が村人と和気藹々と芋を焼いていたときだった。前線からエリックがやってきて、但馬の姿を見つけては大声で呼びかけてきた。


 エリックはラッパが吹けるので、シロッコと同じく伝令将校として但馬の直属にしていた。その姿を見ると、在りし日のシモンを思い出してなんとなく郷愁にかられたものだった。


 あれからどれだけの月日が流れたのだろうか。思えば遠くへ来たものである。


「先生、居たいた。探しちゃったよ」

「なんだいエリック、忙しいやつだね。前線で何か動きがあったのか?」

「うんにゃ。先生が中々帰ってこないから、陛下がしびれを切らして俺を寄越したんだよ。先生の意見を聞きたいんだって」

「あいつら、また軍議やってんか」

「うん。ところで先生はなにやってたの?」


 近寄ってきたエリックは但馬の手元をジロジロと見ていった。但馬はビーカーを片手にマドラーで中身をかき混ぜている。何か危険な薬品だろうか? と思ったのか、エリックはおっかなびっくり顔をそむけつつも、その中身に興味を示した。


「いや、ただのアルコールだよ。酒じゃないぞ、純粋なエチルアルコールだから、舐めただけでバタンキューだ」

「先生じゃないんだから、ちょっとくらい平気だよ」

「ちぇっ」

「んで、そんなもんでなにしてるんだい?」


 但馬は頷くと、黄色く色づいたイチョウの葉っぱをチラチラと振ってみせた。


「その辺に落ちている葉っぱをね、こう、粉々にしてからアルコールにつけてかき混ぜてたの。知ってるか? エリック。魔法使いの扱う、マナってのは、アルコールに溶けないんだ」

「へえ、そうなんだ」

「だから、こうしてマナを含んだ葉っぱをアルコールに入れてかき混ぜると、マナだけが飛び出してくるんだけど……」

「……何も起こらないじゃないか」

「そうなんだよ。つまり、この葉っぱには、マナが含まれていないんだ」


 但馬はそう言うと、今度は赤く色づいた楓の葉っぱを試し、続いて木にまだぶら下がっていたコナラの茶色い葉っぱを引きちぎってアルコールに浮かべた。


 そのどちらも反応を示さない。


 エリックは但馬が嘘を言ってるのかと疑いの目を向けてきたが、それを察した彼はクチナシの木から一枚葉っぱを取ってくると……


「おお! ……これがマナか。ヒーラーのまとってるオーラみたいだな」

「まさにそれだよ。ヒーラーや魔法使いが魔法を行使する時、空気中や木々の葉っぱに蓄えられたマナを利用している。だから緑色に光るんだ」

「へえ~……じゃあ、この黄色や赤の葉っぱにはマナが含まれてないんだ」

「その通り」

「これに、なんか違いがあるのか? そういやあ、大陸の葉っぱは変な色してて不思議だったんだけど」

「まあな、分かってみれば簡単だったんだけど」


 要するに、落葉樹の葉っぱにはマナが含まれない。恐らく、マナの修復機能がないということだ。


 但馬の生きた時代の企業オルフェウスが開発したナノマシン、CPN=マナは光合成エネルギーを使っているから、冬になって葉を落とし休眠してしまう木にマナが入り込んでしまうと、出口が無くなってしまうから困るわけである。そりゃ、春になったら普通に光合成が始まるから、長い目で見れば問題無いだろうが、単純に考えてその休眠期は資源の無駄であろう。


 だからマナは落葉樹に入り込まない。もしくは入り込んでも、すぐに出て行くという性質があるのだろう。多分、後者が正解ではないだろうか。


 また、木のように大きく育たない草本もまたマナは避ける傾向にあるようだ。シモンが持ってきた竹は冬場でも葉をつけているが、そもそもあれは木ではなく草であり、生態が違ったのだ。


 そしてリディアは熱帯雨林地方であるせいで、基本的に常緑樹しか育たないので、今までその違いが判然としなかったのである。


「一時期、ガッリアの森でマナのない木を探してたんだけど、とんだ無駄骨だったようだね。あるらしいって噂だけで動いて戦略性に欠けていた。竹っていう実例があったから、数撃ちゃあたるって思ったのが間違いだったんだなあ」

「なんか知らんが、楽しそうで何よりだな。先生がそうしてると、俺もホッとするよ」

「そう? なんでさ」

「先生って元々そういう人だったろ。政治家でもなきゃ軍人でもない。変な実験したり、うさんくさい商売したり、ピアノ弾いてた時はそりゃびっくりしたけど……でも、まだ吟遊詩人でもやってた方がしっくり来るよ。最近はそういうこと、全然してないだろう?」


 但馬は口を真一文字に結ぶと、うーんと唸った。


「リディアに居ると中々ねえ。もう、そういうことしてられる時間は無くなっちゃったよ。戦争するって言って連れてこられたけど……戦争してる方が、まだ余裕があるから笑えてくる」

「いっそ……金持って逃げちゃえばいいのに」


 但馬が乾いた笑いを響かせると、エリックがボソッと呟いた。彼は但馬に同情的なのだろうか。でもそう言うわけにはいかない。


「自分の彼女がいるのに? ブリジットを連れてっちゃったら、みんな困るだろう」

「そりゃそうだけどさ」

「さあ、馬鹿なこと言ってないで、そろそろ戻ろうぜ」


 アナトリア軍がヴェリア湖畔に布陣してから10日、前線は膠着したまま軍議だけを続ける日々が続いていた。味方の諸将もブリジットも大分焦れているようであったが、攻めるにも攻め手に欠けて軍を動かせないのだ。


 諸侯の中には前回の消極的な包囲戦を嫌って、無理にでも突撃すべしという声も多々見受けられたが、ブリジットは軍隊経験があるからか、猪突猛進の猛将タイプと思わせておいて意外にも冷静さを持ちあわせており、それらの意見を一蹴し、なんとか敵に隙を作ろうと試行錯誤しているようであった。


 但馬も皇帝の腹心として軍議に出席し、意見を求められていたが今のところ大した献策はしていなかった。


 後方連絡線の安定と情報収拾を重視したからであるが、もはや諸侯には当てにされてない感じである。前回失敗をしているウルフも似たようなものであり、軍議の度に眉根に深いシワを作っている彼の姿は、見るに忍びなかった。


 ミラー男爵になんとか彼の復権をと、お願いされているわけであるが……


 但馬は補給部隊に後を任すと、呼びに来たエリックと連れ立って前線へと早馬を走らせた。峠に向かう緩やかな坂道を登っていくと、やがて川にかかる橋が見えてきて、そこを超えると湖のほとりに広がる平原に、2万5千の帝国軍が布陣してる姿が見える。


 湖の北には急勾配の山の斜面に立派な砦が築かれており、更に頂には湖畔を見下ろす砲兵陣地があるのが見えた。


 直線距離にしておよそ2キロ弱であろうか、近いはずだが山の上の方にあるからか、その砦は大分小さく見えた。


 いや、実際、それほど大きくもないのだろう。


 大昔、東京ドームに行ったことがあるが、テレビで見ていたその球場が、中にはいってみたら思ったよりも小さいことに驚いた。東京ドームは実数4万6千人が収容可能だそうだが、それだけの人数を収容出来る施設だと言うのに、案外小さいものなんだなと漠然と思ったものである。


 山の上の砦は、最悪の場合三万人が篭もることを想定して建てられたのだろうが、三万人と一口に言っても、せいぜい東京ドーム程度のものなのだ。


 案外そんなものなのだ。


 自分なら、この距離からでも一撃で消し炭に変えることが出来る……


「おーい、先生! どうしたの?」


 暗い目つきで山の上を見つめていたら、先を行くエリックから声がかかった。カッポカッポと馬を返して近づいてくる。気づけば足が止まっていたようである。


 但馬はブルブルと頭を振った。


「いや、なんでもないよ。それより急ごうぜ、遅れるとブリジットがうるさくて仕方ねえ」

「なんだよ、自分が止まってたくせに……」


 自分は勇者にはならない。


 但馬はそう自分に言い聞かせると、ぶつくさ言うエリックを置いて本陣へと急いだ。


 鼻の頭にポツリと雨の礫が当たった。砦の向こうからどんよりとした雲が伸びてくる。山の天気は変わりやすい。それがまるで自分の気持ちを表しているかのようで、但馬は憂鬱な思いがした。


 前線で砲兵部隊が雨を警戒して忙しそうに動き回っていた。対して歩兵の方は退屈そうにしていた。彼らは未だにこの戦場で、一発の銃弾も撃っていない。軍議を行っている小屋の外で、タバコを吸っていた諸侯たちが但馬の姿を見つけてジロリと睨んだ。この地で戦が始まってから、一度の敗戦を経てそろそろ半年が経つ。彼らの忍耐も限界のようである。


 勝利のための布石は打ってある。あとはそれが戻ってくればいいだけなのだが……


 但馬はジロジロと無遠慮に見てくる諸侯たちの目を掻い潜り、陣小屋の中へと足を踏み入れた。


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