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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第七章
211/398

イオニア入城

 新帝ブリジット即位から半年足らずで、アナトリア帝国は建国以来最大の危機を迎えた。


 国内では急激な人口増加の弊害でいざこざが絶えず、移民とそれ以外との間で格差が広がりつつあった。社会福祉の充実を急げば経済政策はおぼつかず、終いには連戦連勝を続けていた大陸での戦争でついに土がつき、先帝時代に併合したカンディアではクーデターが勃発した。


 それは新皇帝の求心力が弱いのが原因ではなく、明らかに戦争相手であるアスタクス方伯の奸計によるものであったが、そうとは知らぬ世界の目にはどう映ったのかは、新聞もテレビもない時代では正確には測りきれなかった。しかし、帝国と皇国のあいだで揺れ動く南部諸侯へ影響が無かったなどとは、楽観的には考えられないであろう。


 カンディア造反の知らせを受け、ウルフがハリチに逃げ帰ってきたあと、帝国軍は皇帝親征の名の下に兵力を結集、本土の守備を予備役に任せ、およそ5000の増派を決定した。その中には宰相、但馬波瑠も含まれた。


 本来ならブリジットを止めるべき宰相が共に海を渡ったのは、皇帝自らが動くことによって、エトルリア皇国との対決も辞さないという強い姿勢を内外にアピールする狙いがあった。そしてもちろん、戦場で彼女が無茶をしないように、お目付け役を兼ねてのことだった。


 国内の内政も宰相個人に頼る部分が多かった帝国は、これによって痛手を負うことになったが、三大臣も大蔵卿も止めることは出来なかった。これ以上舐められたままでは、せっかく仲間に引き入れた南部諸侯が離れてしまうという懸念があったからである。


 もしそれで戦争が終わるというのであれば、それもやむ無しと甘んじて受け入れる道もあったろう。だが、今や帝国に無くてはならないイオニア海交易への影響を考えると、イオニア海沿岸が敵に回れば、戦争は拡大するだけで終わることは決して無い。やはりこの敗戦を放っておくわけにはいかなかったのだ。


 そんなわけで、これ以上の失敗は許されないと動員された兵隊であったが、前線基地であるカンディアが使えなくなった現状では、仕方なくハリチを経由して外洋からイオニアへ向かうしかなかった。だが、ただでさえ長距離輸送な上に、外洋を航行出来る輸送船の数が追いつかず、結果、海軍だけがシャーマンコーストへと先行することになった。


 そして、ハンスゲーリックに乗り込んだブリジット帝の艦砲射撃により、再度イオニアの街を奪還、現在に至るというわけである……


 総大将であるカンディア公爵が前線から離脱したあと、取り残された帝国軍本隊と連合軍は士気低下が著しかった。


 あの状況では、最も船速の出せるハンスゲーリックがハリチへ向かうのが得策だったのは確かであるが、結果として敵前逃亡のような形になってしまったのが、全体に悪影響を及ぼしていたのである。


 そのせいだろうか、但馬たちが上陸した時、最初は街からあまり歓迎されていないようだった。

 

***************************

 

「婿殿ー!」


 敵軍が撤退した後、水先案内人による先導のもとに、シャーマンコースト沖に錨を下ろした但馬は、ウルフと二人で上陸用舟艇(ボート)で海岸へと上陸した。


 しかし、総大将が帰ってきたというのに、そこに集まっていたのは帝国軍の士官ばかりで、出迎えた諸侯は彼の舅であるミラー男爵だけであり、他の連合諸侯の姿は見えなかった。


 ウルフはその事実に眉を顰めつつも、出迎えてくれた舅の手を取り、


「申し訳ない、男爵。援軍を呼んでくるのが遅れた。さぞかし、不安な思いをしただろう」

「なに。大したことはございません! 必ず帰ってくると信じておりましたからな」

「どうにか補給と増援を連れてくることが出来た。しかし、良いことばかりでもないんだ。その話をしたいのだが……他の諸侯は?」

「えーと……皆、婿殿の帰還を歓迎する準備に忙しいのですな、きっと。街に入れば、盛大に出迎えてくれるでしょう、多分」


 ウルフはぐるりと周囲を見渡すと、ため息を吐いた。その寂しい出迎えを見れば、それが彼に気を使っただけの言葉であるのが、容易に想像ついたからだろう。恐らく、ミラー男爵の盟主としての立場も怪しくなってきているのではないだろうか。


 ともあれ、ここで立ち話もなんである。但馬たちは男爵の案内で街へと入ると、ようやく他の諸侯が今気がついたと言った感じにバラバラとやってきて、みんな素っ気なく、形ばかりの歓迎の言葉を一通り述べては去っていった。


 誰も彼もウルフに対して含むところがあると言った感じであり、彼不在のこの10日間で、カンディア公爵は大分株を落とした格好のようである。


 しかし、その公爵と一緒に並んでいる男が宰相であると知ると、彼らは一転してギョッとした顔をしたあと、赤い顔をしながら無礼を詫びてきた。


 更には、増援としてやってきたのは宰相だけではなく、他ならぬ皇帝本人であることを知るや、彼らはこうしちゃいられないと、皇帝を迎えるために大慌てで方々に散らばっていった。


 どうやら、ようやく本当の意味で歓迎を始めたようである。


 こんな具合に、グダグダの対応で迎え入れられた但馬達であったが……それにしてもこの非歓迎っぷりはどうしたものだろう。ウルフに聞こえないようにこっそりとミラー男爵に訪ねてみたところ、どうやら彼らにも言い分はあったらしい。


 イオニアの街からウルフが出て行った後、街を包囲したアスタクス方伯は、連日連夜、激しい攻撃を繰り返してきた。恐らく、艦砲射撃がない今がチャンスであると腹をくくったのであろう。それは自軍の被害を厭わないものだった。


 元々、総大将が居なくなって士気が下がっていたイオニア連合軍にとって、その鬼神のような猛攻は相当堪えたようである。何が何でも街を落とそうと昼夜を問わぬ襲撃に恐れを為した諸侯達は、次第にウルフに対する不満を募らせていった。


 もちろん、ウルフが逃げるわけはない。だが、形の上では逃げたと取られても仕方ないものがあった。なにしろ彼は総大将だったのだ。


 食料が少ないのもまた彼らの不安に拍車をかけた。元々、補給が途絶えて兵糧が不足していたのに、拠り所にしているイオニアの街に残された食料だって、2万の兵隊が食べるには2週間も持たない程度でしかなかったのである。


 そのため、ウルフが逃げたと考える者の中には、かなり早い段階から降伏を視野に入れ戦闘放棄を画策する諸侯が出てきたらしい。それを、アナトリア軍本隊が、辛うじて食い止めていた。


「尤も、風向きは直ぐに変わりました。婿殿がロンバルディアに送った方の船が、暫くすると食料を沢山積んで帰ってきたのです」


 もちろん、兵糧攻めを行っていた方伯はこの動きを察知すると、街へ近づこうとする船を牽制するように動いた。だが、この時ばかりは士気の衰えていた連合軍も八面六臂の大活躍をし、補給を受けることに成功した。飢えた狼は怖いのである。


「そして、とても幸運なことに、その船に聖女様が乗っておられたのですよ」

「聖女様……?」


 横で聞いていた但馬がキョトンとして尋ねる。


 どうしてリリィがこんな僻地に現れたというのか? 最悪の場合、皇国との衝突もあり得ると覚悟はしていたが……まさか、すでに動き出しているということなのだろうか?


「そうなのです、但馬様。あなたとはカンディア宮殿での晩餐会以来ですな、お懐かしい。ご活躍はかねがね聞き及んでおります……いや、若いのに大したものです」

「ええ、まあ、どうも。で、その聖女様ってのは? リリィ様がどうして」

「ははは、ご冗談を。聖女様とは言うまでもなく、あなたのご養女、アナスタシア様のことですよ」

「はぁ~?」


 但馬はポカンと口を半開いた。そんな但馬の様子を怪訝そうに眺めながら、男爵は言った。


「幸い、私は平気でしたが、諸侯の中にはフリジアで聖女様に助けられた者もおりますからな、彼女の存在は我々に勇気を与えてくれました」

「……あ、ああっ!」


 そういやそうだった。フリジアのペスト騒動の影響で、彼女はイオニア海沿岸部ではリディアの聖女として崇められているのだ。本人が嫌がっているし、それを気にして引きこもっていたからすっかり忘れていたが……そんな彼女が慰問的にふらりと現れたことが、彼らはよっぽど嬉しかったようだ。


 けが人の手当も満足に出来なかったアナトリア軍は、彼女によって大いに助けられたそうである。彼女は挨拶もそこそこに野戦病院へと向かうと、破傷風の不安のある患者を治療し、いつの間に覚えたのかヒール魔法までも使って、並のヒーラーにも出来ないような傷をたちどころに癒やしていった。


 その奇跡は彼女をますます神格化し、その美貌も相まって、気づけば街中の人々が彼女に傾倒していたそうである。暗かった兵士の顔にも笑顔が戻り、士気も大分回復した。自然と顔がほころぶのを感じつつ、但馬が尋ねる。


「それじゃ、アーニャちゃん、街にいるの?」

「いいえ」


 男爵は首を振った。


「聖女様は街にいるけが人を治療したあと、お付きの神官様と共に戦を避けて街を出て行かれました。その際、暫く方伯側の陣営にも滞在し、けが人の手当をなされていたようですが……聖女様の為されることですから、もちろん、誰も恨んでおりません」

「はあ……」


 但馬は思わず苦笑いをした。敵味方関係なくその力でもって癒やしてまわり、双方から嫌われることもない。まさに聖女そのものである。多分、お付きの神官と言うのはザビエルのことだろう、だとしたら本当はアナスタシアの方がお付きなのだろうが……


 リディアを出て行ってから、彼女がどうしているか心配であったが、どうやら杞憂だったようである。彼女は彼女なりに頑張っているようだ。


 それにしても、どうしてこんなところに現れたのだろうか?


 それはたまたまロンバルディアで寄付金を募っていた彼女が、帝国軍が救援を求めていると聞いて居てもたっても居られず、但馬の助けになろうとばかりに船に飛び乗ったのが理由だったが、残念ながらそのことを知るのは相当後のことになる。


「ところで、増援はいかほど用意してくださったのでしょうか。失礼ですが、ここから見える限りでは、それらしい艦影はどこにも見当たらないようですが」

「ええ、実はどうしても輸送艦の足が遅いんで、我々だけが先行して来たんですよ。残念ながら、全ての兵員が到着するまでには、まだ一月はかかるでしょうね」

「一月? そんなにかかりますか……?」

「ああ、そっか。まだ知らないんですね……その点については、本当ならみんなを集めてから説明するつもりだったのですが……」


 男爵が首をかしげる。但馬が眉を顰めて、どう説明しようかと悩んでいると……


 彼の後を引き取って、苦虫を噛み潰したような声でウルフが言った。


「男爵よ。貴公にはもう1つ謝らねばならない」

「はて?」

「実は我がカンディアが邪なものに占拠された……ジルは、我が妻はその勢力に捕われ、今はどうなっているかわからないのだ」


 ミラー男爵は初め、ウルフが何を言っているのか飲み込めないようだったが、徐々にその意味が分かってくると、途端に慌てふためき顔を真っ赤にして泡を吹いた。しかし、但馬もウルフも、彼を安心させてやれるだけの言葉を今はまだ持っていないのである。


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