表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第六章
208/398

カンディア騒乱③

 インペリアルタワーの但馬の執務室に、但馬、大蔵卿、近衛隊長の3人がこっそりと集まっていた。


「不正があった……だと? 宰相、あんたの襲撃後、あれだけ調べても何も出てこなかったんだぞ?」

「うん。ところがどうもそうらしい。軍部に調べて貰っても出てこなかったのは、前線に近いカンディアの兵站部だったからだ」

「捜査権が及ばない地域だからか……それにしたって、公爵のお膝元でこれは。あの野郎、ちゃんとやってやがるのか」


 近衛隊長は元部下であるウルフに対し、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


「彼らは後方支援を軽視しがちですからなあ……」


 大蔵卿がため息を吐く。兵站部は帝国軍に所属しては居るが、民間出身者が多く、荷を運ぶときだけ臨時の人足を雇い、専門の兵士が割り当てられることは一切なかったのだ。


 今の時代では考えられないことであるが、中世時代、食料は敵国から奪えばいいとの考えから、軍隊に兵站を専門に扱う部隊というのは存在しなかった。


 仮に兵糧を持って追いかける兵站部隊を組織しても、数千人程度の小規模な戦闘では、一度主力同士がぶつかり合ったら勝敗が決してしまうことが多かったため、到着した時にはもう戦争が終わっていたなんてことが往々にしてあったからだ。


 だから、昔の諸将は戦争になってもあまり兵糧のことは考えず、腰兵糧と呼ばれる10日程度の糧食を、兵隊一人ひとりに持たせて参陣するのが普通だった。ただし、籠城戦になると話が変わり、相手次第ではいつまで戦場にいるかわからなかったので(大抵は農繁期まで)、そういう時、日本では輜重(しちょう)部隊と言う荷車を引いた集団が、兵隊の後ろからくっついてくるのが普通だった。


 構成メンバーは臨時雇いの人足ばかりで、ただ荷を運ぶだけだから武装もしていなかった。当然、戦闘に巻き込まれたらひとたまりもないから、そうなった場合は兵糧を置いて逃げ出した。そのため、前線で戦う兵士たちからは、輜重部隊は臆病者と呼ばれ軽侮されていたのだ。


 武器を持ってない人間に戦えというのもおかしな話なのだが、時代が進んで戦争が大規模になっても、こういった前線の兵士の意識は変わらず、兵站部隊や後方で作戦を練るだけの情報将校たちは長い間軽蔑の対象だった。よく工事現場で土方が交通整理のおっさんを馬鹿にしてるが、あんな感じだろうか。


 その意識が変わるには、日本では織田信長、ヨーロッパではクラウゼヴィッツの登場を待たねばならず、因みにナポレオンは長いこと兵站を疎かにしたために敗れたと言われていたが、実際には逆で、彼はヨーロッパで始めて大規模な兵站基地を組織した人物だった。


 但馬は大陸との戦争が始まると、兵站の弱さに真っ先に気づき、イオニア海に面した都市であるならば、どこにいても流通が届くよう交易路を整備していた。これにより、有事の際、アナトリア軍は兵站線を確保すること無く現地に向かっても、その手前までは民間の手によって必ず食料や武器弾薬が届くようになっていたのだ。


 そして、この形を維持するため、補給基地であるヘラクリオン軍港に対しても、帝国は商取引と言う形で装備を提供していた。彼らは与えられた予算で、帝国から武器弾薬を買っていたのだ。このお陰で、アナトリア軍はどこにいても民間からの調達を自由に行うことが出来るという仕組みだったのだが、民間との商取引であるからには当然税金がかかっており、その記録は全部残っていた。


 その記録を助っ人に呼んだフレデリックが調べていたところ、適正とは呼べないやけに高額な取引が散見されたため、不審に思った彼が更に詳しく調べてみたところ、カンディアに入っていく数と、実際に前線に出て行く武器弾薬や糧食の数が、合わないことに気がついたのである。


 しかし、気がついたところで場所が悪い。


 議会の時に示された通り、カンディアは自治が認められているから、捜査権がこちらにない。ウルフが居れば、おまえのところで不正があるっぽいよと指摘してやればいいだけなのだが、留守を守ってる若い議員達ははっきりいって信用がおけなかった。ぶっちゃけ、こいつらの中に犯人が居るんじゃないかと思っていたのだ。


 それにこの不正、ただ私腹を肥やす小悪党の仕業とは思えないのだ。


 事態を受けて市内の行商人から噂を集めてみたところ、今、彼らの間ではアナトリア軍の小銃が高額で闇取引されているらしかった。急にアスタクスがマスケット銃を装備しだしたのは、彼らが出処不明の小銃を取り扱い始めたからだったのだ。


 極めつけは但馬を襲撃した犯人の装備である。国家機密とも呼べるライフル弾が、どうして漏出していたのか……いくら調べてもリディア国内では何も見つからなかったが、カンディアの補給基地からと考えれば辻褄が合う。


「……しかし、これだけ派手に金を着服されていて、どうして気づかなかったんだ? 大蔵卿よ」

「面目ない。何しろ大蔵省が出来たのがつい最近で、それ以前は亡き先帝が公爵に小遣い感覚で渡していたので、私には知りようも無かったのです」

「ウルフはウルフで兵站を軽視してたからなあ……」


 先帝時代は先帝に強権があったために、但馬たちは部下としてやりやすくもあったが、統治が大雑把だった面も否めなかった。特に戦争になった後は軍部に遠慮して、大臣の誰も軍事予算に関しては口出しすることは無かった。いわば聖域だったのだ。


「しかし、もうそんなこと言ってられないだろうな……まだ憶測でしかないけど、スパイが入り込んでるのかも知れないし」

「間者ですか……厄介ですなあ」

「カンディア公爵の元では、近衛である我々でも手出しが出来ん。だが、陛下にお願いすれば強制捜査は可能だろう。いっそもう、そうするか?」


 但馬は首を振った。


「いや、向こうがスパイ使ってるなら、こっちもスパイを使おう」

「……え?」

「多分、真正面から行ったら、小金を着服している役人しか捕まらないよ。これを操って、アスタクスに機密情報を漏らしてる奴が居るはずだ。そっちを抑えなきゃ、なんの意味もないだろう?」

「なるほど……」

「それで、人選なんだけど……俺がS&H社を作った時、トーを監視役につけたのはあんたたちなんだろう?」


 二人はバツが悪そうに顔を見合わせた。但馬は頭を振って続けた。


「いや、別に非難してるわけじゃない。もし、あんたたちに、そう言った人脈があるんなら、今回のカンディア調査に向いてそうな人材を知らないかな? 証拠はすでに揃ってんだし、誰がやってるかは分かってる。そいつを根気よく監視して、アスタクスに情報を売ってるやつを特定して欲しいんだ」

「しかし、必ずしも間者がいるとは限らないのでは? 徒労に終わったらどうするのですか?」

「それならそれで良いじゃない。俺が知りたいのは、カンディアに間者が紛れ込んでないか。居るならそれが誰なのか。この二点だ。で、どう? 誰か心当たりは……?」

「それでしたら……」


 二人は目配せしあうと、黙って頷いた。


*********************************


 トーが社員だったころ、定時になると毎日のようにおねえちゃんの居るお店に遊びに行ってたものだが、年の頃なら但馬とそう変わらないくせに、どうしてあんなにキャバクラ通いを続けてるのだろうと思っていたが、その理由が分かった。


 大蔵卿も近衛隊長も、人選に心当たりはあるがその場で口には出さず、夜に会合で飲みに行くということにして、王宮からとある店に出てきてくれと指示された。


 それがいわゆるおねえちゃんが居る店で、但馬が近衛を外に待たせて店に入ると、すぐにむしゃぶりつきたくなるようなおねえちゃんが出てきて、乳首のあたりでのの字を描きながら、店の奥にあるVIPルームまで連れて行ってくれた。


 そして、鼻の下を伸ばしながら個室に入ると、中には大蔵卿と近衛隊長と、もう一人見知った顔が居た。


「おまえか……」

「どうも」


 男は但馬が入ってくると、ペコリと頭を下げた。銃士隊の一人で、確かクロノアの部隊の副官の男だった。最近、議会絡みでクロノアと良く会っていたから、その時に彼とも何度か顔を合わせていたので覚えていた。名前は確か……


「シロッコです」

「白と黒で覚えやすいな。二人の推薦ってことは、もしかして……?」


 但馬が疑問を呈すと、大蔵卿が代わりに言った。


「お察しの通り。クロノア大尉を監視させていました……彼は遠縁とは言え、エトルリア皇家に連なる人物でしたから」

「そうか……人柄だけで信用しちゃってたけど、考えてもみれば危なっかしいな。俺もウルフのことを笑えないわ……でもそれじゃ、監視の彼をカンディアに向かわせちゃったらまずいんでないの?」


 すると近衛隊長が苦笑混じりに言った。


「いや、もう安心して良いだろう。彼は完全に宰相閣下に心服している」

「そうなの……? なんかそう言われるとホモっぽくて凄く嫌だけど。俺に懐いてるふりをしてるってことは?」

「もしそうだとしても、他にも信じられる理由があるので。付き合っていれば、そのうち宰相閣下も気付かれるのでは」

「ふーん、なんだよ、気になるなあ……」


 マジでホモなんじゃないだろうな……


 それはともかくとして、二人が推薦してきたシロッコは特徴らしい特徴がない男だった。今まで何度も会ってるはずなのだが、驚くほど印象が薄い。多分、その点を評価されたのだろうが、目立たず騒がず、無難に仕事をこなすタイプの人間であるようだった。


 元スラムの住人で家族は居るが疎遠らしく、仕事の内容を伏せて、暫くカンディアに滞在することになるが平気かと尋ねても、まったく意に介さない感じで淡々と頷いていた。


 家族はともかくとして、能力の方は本当に大丈夫なのかな? とも思ったが、実際、クロノアを監視していた彼のことにはまったく気づかなかったくらいだから、少なくとも正体がバレて台無しになるということは無いだろう。こちらがヘマをしないかぎりは。


 と言うわけで、カクカクシカジカとこれまでの経緯を話すと、


「……わかりました。行商人に化けて探りを入れてみます。人を雇っても良いですか?」

「それで仕事内容が漏れることさえ無ければ」

「金は?」

「必要経費ならいくらでも出そう。あとで報告書にまとめてくれる?」

「じゃあ、それで」


 彼はボソッとそう呟くと、それ以上はもう何も聞かずに、出された酒を居心地悪そうに飲んでいた。まるで覇気のない姿に、本当に大丈夫なのかと思ったが、他にあてがあるわけでも無し、大蔵卿と近衛隊長を信じて任せることにした。


 数日後、彼は銃士隊を除隊してカンディアへと渡って行った。


 評価と言えば、実はクロノアからも評価が高かったらしく、シロッコが旅立つまでに数日かかったのは、彼が引き止めていたからだったようだ。暫くしてクロノアに会った際、こっちが聞いても居ないのに、優秀な部下に辞められたとガックリ項垂れていたところを見ると、本当に期待して良さそうである。


 実際、その通りだった。報告は早かった。


 彼がカンディアに渡ってから20日足らずで、彼との連絡窓口にしていた例のキャバクラに第一報が届いた。届けに来たのはこ汚い子供で、フリジアで路上生活している孤児だそうだ。スラム出身者らしく、そう言った人心の掌握に長けている姿が窺えた。


 ともあれ、間に無関係の人間を挟んでまで報告してきただけあって、その内容は緊急性が高かった。


 彼は軍港周りで探りを入れたところ、あっさりと横流しルートを発見した。それはシドニアに勢力を置くマフィアの仕業で、どうもそのマフィアと軍港内の兵隊が癒着してるようだった。


 マフィアはカンディア国内で飲み屋や風俗店を経営している。兵士は休養日にそこで遊ぶわけだが、中には羽目を外しすぎて首が回らなくなるような者も出てくる。するとマフィアはそう言った兵士に目をつけて声をかけていたのだ。借金をチャラにするいい方法があるぞと……


 そして、軍人が装備品をちょろまかしマフィアに渡しリベートを得る。そのマフィアが闇ルートで軍装を売りさばき利益を得る。


 シロッコが調べた限り、こういった構図が成り立っているようだった。


 関わっている兵隊は多数に上ると見られ、軍規の緩んでいたカンディアでそういう不正行為が、まるでお菓子でも配るような気安さで行われていたらしい。長いこと戦線が膠着し、上層部が留守にしている弊害だろう。


 軍内にスパイが紛れ込んでないのだけは行幸だったが、それで済む話ではなかった。


 さて、マフィアは手に入れた武器を闇ルートで売りさばくわけだが、シロッコがこれを追跡したところ、フリジアに行き着いた。


 フリジアもイオニア海交易では重要な拠点であるが、エトルリア大陸にあり、前線に近く、目の前のガラデア平原では、今でも軍隊同士のにらみ合いが続いている土地だった。どうやら、そこにあるエトルリア系の商館に、武器が密かに運び込まれているようなのだ。


 シロッコはこれを確認すると、緊急性が高いと判断し、すぐさま子供を使って連絡をよこしたようである。


「近衛隊長と閣僚を謁見の間に集めて欲しい」


 但馬は報告を受けると、緊急閣議を開いた。何も聞かされていなかったブリジットと三大臣は驚いていたようであるが……


「カンディアがそんなことになってるとは……」

「公爵が前線を離れると、すぐにアスタクスは何かしらのリアクションを取った。恐らく、公爵を前線に釘付けにする作戦だったんだろう」

「度し難い……すぐにカンディア軍港の引き締めを行いましょう。まったく、兄の留守に好き放題やってくれて……私自身が向かいます」


 ギリギリと奥歯を噛み締めながら、ブリジットが殺気立った声を上げた。集まった閣僚たちからゴクリとつばを飲み込む気配がする。但馬は冷静に続けた。


「いや……その前に、公爵夫人に連絡を入れた方がいいだろう。自浄作用がないとなると、それはそれで国内が動揺する」


 ただし、フリジアの方は一刻の猶予もない。


「商館の方はすぐにでも手を打たないとまずい。諜報員から届いた報告では、商館の丁稚が頻繁にガラデア平原に布陣するアスタクス軍と会っているようだ。どれだけの銃火器が流出したかは分からないが、だがもう数の大小は関係ない。これを使ってフリジアの街で反乱を起こし、それに呼応する形で決戦を挑まれたら、フリジア連合じゃ持ちこたえられないだろう」


 但馬は苦虫を噛み潰したような顔で言った。


「正直、舐めていた。謀略にかけては、相手のほうが一枚も二枚も上手であると考えたほうが良い」


 (いくさ)は謀かりごとの多いほうが勝つと毛利元就も言っている。その点アナトリア軍は、はっきり言って無防備にすぎた。いつまでたっても僻地の都市国家の意識が抜けないのは、成長が急すぎたために仕方ないことなのだろうが……言い訳をしても、国が滅んでからでは遅いのだ。


 その後、閣議でリディア本国からフリジアへ軍隊の追加派兵を決めたあと、ジルへの手紙をブリジットと共に(したた)めた。皇帝の手紙であるなら、近衛兵が直接届けても不審には思われないだろう。

手紙には、緊急時ジルが一番信用の置ける人に任せるように指示しておいた。


 数日後、カンディア軍港にて、留守居役であったジョンストン大佐による綱紀粛正が行われた。借金を抱えている者の軍籍を抹消し、マフィアに装備を横流しした兵士を全て拘束、本国への強制送還が決まった。これらはリディアに到着以降、軍部による取り調べが行われる予定である。


 同じ頃フリジアでは、追加派兵した兵隊による商館への奇襲が行われた。


 追加派兵は膠着するガラデア平原に対する備えと言う名目で入ったため、完全に油断していた商館側は為す術もなく降伏した。友軍からの突然の暴力に戸惑う市民が不安そうに見つめる中、商館から次々と運びだされた武器弾薬の数々を見て、人々は驚きを隠せなかった。


 そしてアナトリア軍がフリジアの街を封鎖し、密告を奨励、間者のあぶり出しを行うと、ガラデア平原に布陣していたアスタクス軍は撤退を始めた。関与を認めたようなものである。彼らはアナトリア軍の追撃により、少なからぬ犠牲を出しながらも、ビテュニアへと退却していった。


 こうして但馬は、敵の謀略を未然に防ぐことに成功したのである。


 イオニアで籠城戦を始めていたアスタクス軍は、これによって後方に不安を抱えることになり、戦争もいよいよ大詰めを迎えるかと思われた。ガラデアの残党狩りも終わり、そしてフリジア連合は、いつでも後背を突けることをカンディアを経由して前線に報告した。


 しかし、ホッとするの束の間、これはこれから始まる長い戦いの序曲に過ぎなかったのである。その異変は言うまでもなく、カンディアから始まった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
玉葱とクラリオン・第二巻
玉葱とクラリオン第二巻、発売中。よろしければ是非!
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ