カンディア騒乱②
登庁後、午前中は謁見の間でブリジットの仕事を手伝い、午後からは内務大臣に連れられて、お願いしておいた工場主のヒヤリングを行った。
集まった数がかなり多かったものだから、急遽、大会議室を借りて行ったのだが、意見交換というよりも寧ろ陳情合戦と言ったほうが良い有り様で、工場法制定後の利益が減少したことに、彼らはかなり不満を抱いているようだった。
しかし恨まれるからといってブラック企業をのさばらせているわけにもいかないので、そこは厳しく接しながらも、根気強く意見を集めていたところで、少々困った事態が起きていることが判明した。
工場主の殆どが、法律の制定後の損失の穴埋めに、労働者の給料を減らしていたのだ。
実際、労働時間が減っているのだし、最低賃金なんて概念もないから、その良し悪しはともかく非難も出来なかったが、これではまた打ち壊しが起こってしまっても仕方ないだろう。
なんとかやめさせたいが、上から命令するだけでは不満が貯まるばかりだし、工場主の方にも限界がある。労働者保護はそりゃ美しいが、資本家だって投資というリスクを負っているのだから、ただ敵視するだけではフェアではない。
現状を打開する一番スマートな方法はなんだろうか。
「法人税を下げる……かなあ? 大蔵卿を呼んでくれる」
大蔵卿はすぐやってきた。元中銀の頭取だった人物で、今でもインペリアルタワー内にある執務室で仕事をしていたからだ。呼びだされた彼に現状を説明すると、
「そんなの無理ですよ」
しかし返事はにべもなかった。
「宰相閣下。法人税を下げるどころか、その工場法のせいで現在、帝国は一時的にせよ税収が落ちているのですよ? どこに財源があるってんですか」
「そこを何とか」
「出来たら苦労がないことは、あなたが一番良くご存知でしょう? 閣下……閣下は色々と矢面に立たされる立場ですから、我々も申し訳なく思ってはおりますが、ここは下手に人気取りに走るより、産業界が落ち着くのを待ってみてはどうでしょうか? また生産力が戻って労働者が増えたら、所得が増え税収も上がってくるでしょう。それからやっても遅くないのではないでしょうか」
「そりゃそうなんだろうけど……襲撃の一件がどうにもね。気にかかって」
今となってはもはや国内の怨恨の線は捨てていたが、もし仮にアスタクス方伯がちょっかいかけて来ていたのだとしたら、何もせずに国内の動揺を見過ごしているのは、相手に付け入る隙を与えることになりかねない。
結局、誰が何の目的で但馬を襲撃してきたのかが分からない限りは、あまり弱みを見せたくないのだ。多分、見えない何かが紛れ込んでるのは確実なのだろうし。
「見えない何かですか……確かに。襲撃者に潜伏されていたのは痛いですな。我が国が移民労働力を当てにしている限りは、ああいった手法で何度でも騒ぎを起こせます」
「入管を厳しくしてどうこうなるもんでもないしな。そもそも、敵国から流れてくる人間を受け入れてる時点で問題外だ」
アメリカに倣って戦時中の日本人収容所みたいなものを作ったら、国内から人が居なくなる。大体、エトルリア人の入国を拒否したら、膨れ上がる労働需要をどうやって埋めればいいのかという話である。残念ながら、この世界はエトルリア、ティレニア、アナトリアの三カ国しかない。あとはコルフのような都市国家がちょこちょこあるくらいだが、その人口をあてにしても無理があるだろう。
例えばロンバルディア経由ならOKとしたところでも、そのロンバルディアがアスタクス国境を開いているのでは意味が無い。二国は建前上、エトルリア皇国の従属国同士だから、国境を閉ざすなんてことは出来ないのだ。
「問題が山積してるなあ……」
「一つ一つ片付けていきましょう。まずは財源ですか……うーん……アナトリア帝国が右肩上がりに成長し続けていることは事実ですし、無理をすればなんとかなるかも知れませんが……また国債を発行して、それをあてますか?」
「いや、それは市場から金を吸い取るだけだし」
「鉄道事業を縮小すれば、その分を回せますよ?」
「あれが一番市場に金を回せる仕事じゃん。やめたら不況が来るよ。それより一度、予算を精査して無駄遣いがないか調べてみよう。ちりも積もればって言うし」
「本気ですか? そりゃ、それが仕事ですし、やれと言われればやりますが。とんでもない量ですよ?」
即効性がないと困るので、じゃあ、どのくらいあるのかと具体的に教えてもらったのだが……渋い顔をしながら大蔵卿が出してきた資料を見て、彼が嫌がる理由がよくわかった。
大蔵卿のデスクには、チョモランマのごとく資料が聳え立っているのだが、それでもまだ一部だという。彼の部下たちを使って総ざらいしても、調査結果が出るまで数ヶ月はかかりそうだった。しかも、いい結果が必ず出るとも限らない。
こうなるとお手上げだなと思っていたら、大蔵卿がボソッと呟いた。
「こういう時に、トーが居たら楽だったのですが……」
また懐かしい名前が出てきた。元S&H社の出向社員で、実は但馬の行動を監視していたスパイだった男である。最後に別れてから、もう5年近くになるだろうか……
「そういやあ、あいつ、アホみたいに仕事早かったなあ」
それでバリバリ仕事をするかと言えばその逆で、仕事をさっさと片付けるのは可能な限りサボるためであり、定時に帰るのがポリシーと言って憚らない男だった。しょっちゅうどこかへ遊びに言ってしまう点を除けば、仕事が早いので重宝していた記憶はある。
「頭の作りが違ったのですよ。一度見たものは決して忘れない、パッと見ただけで違和感が分かるんだそうです。それで、ああいう仕事をさせていたのですが」
「映像で記憶するタイプだったんだろうか……そういやあ、皇太子派がどうのこうの言ってたけど、あいつって結局、中銀のなんだったの? 監査部?」
「いえ、回収員ですよ」
「……はあ?」
但馬が素っ頓狂な声を上げると、大蔵卿は苦笑しながら続けた。
「皇太子様を中心とした、リディアの暗部を見張るグループがあったのも事実ですが、それ以前に我々は金貸しですから、貸し倒れがないように調査員を多く抱えていたんです。お金を貸す前には当然、その身辺を調査し、資産を精査し、事業を監督しました。失敗したら何をやっても資産を差し押さえて少しでも回収する。彼はその一人で、特に優秀だったからあなたに付けた。単にそれだけのことです」
「……つまり、取り立て屋だったわけ?」
「はい。失礼ですが、あなたは出会った当初から、やることなすことが信じられないようなことばかりの人でしたから。絶対に逃がしてはならないと」
「失敗するの前提かよっ!」
それで、とびきり優秀な回収員を監視につけていたと言うわけか……頭が痛い。しかし、その頭痛とともに思い出したことが一つある。
但馬は執務室の電話を借りると、S&H社の本社にかけた。
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「社長! お久しぶりです!」
社長室で仕事をしていたフレデリックは但馬から電話が入ると、すぐに仕事を中断してやってきてくれた。本社はインペリアルタワーの目の前にあるから、徒歩で数分のことである。
「たまには本社に顔を出してくださいよ。みんな社長の顔を忘れかけてますよ?」
「俺が帰っても席がないじゃん。仕事もないし」
「給湯室が開いてますよ!」
「お茶汲みでもしろってのか、ちくしょうめ……まあ、それはそれとして、ちょっと用事頼まれてくれる?」
トーの話をしていて思い出した。彼には優秀な後輩が居た。言わずと知れたフレッド君である。
当時の彼はまだ12才の子供で、読み書き算盤が出来る以外はそこまで優秀というわけでも無かった。それを自分が楽をしたいという理由だけで鍛え上げたのがトーである。
トーが居なくなってからも、S&H社が滞り無く業務を続けられているのはフレデリックのお陰であり……その彼がいつもやってる仕事というのが、但馬がどんぶり勘定で始めた事業を精査し、無駄を無くし、具体的な数字に変えてくれると言う、今まさに大蔵卿がやろうとしているものだった。但馬は彼に手伝って貰おうと考えたのだ。
何しろ部外者であるから大蔵卿は最初渋ったが、子供にしか見えないが考えてもみればS&H社の大番頭が相手と言うことで結局は折れた。国内最大の企業を実質回してる彼が、優秀なのは言うまでもないだろう。
フレデリックはいきなり呼びだされた上に何か揉めてるので戸惑っていたが、但馬に理由を説明されると得心いったらしく、国の仕事のような大事が自分に務まるかは分からないと言いながらも、うず高く積み上げられた書類の山に無造作に手を突っ込んだ。
そして、ふむふむと書類を一瞥したあと、また別の山から適当に書類を引っ張りだし、次の山に移り……それを何度か繰り返した後に、
「これなら1週間もあればなんとかなるかも知れませんね!」
「………………はぁ~!?」
どうしてそんな雑な動作で山が崩れないのだろうか……と、理不尽な光景を目の当たりにして口をポカンと開けていた大蔵卿は、一瞬返事が遅れた。
「そんなバカな! あり得ません! あ、いや、ここにあるので全部ではありませんよ? 他にもまだ沢山あるので……いや、そんなの関係ないか。ここにあるのだけでも1週間なんて……冗談でしょう?」
「え!? そう言われちゃうと……でも、ざっと見たかぎり、うちの関連会社の資料が多かったんで……」
「そ、そうか。たまたま、抜き出した書類がS&H社のものに偏っていたのでしょう。そうに違いない」
「そうですね……えーっと……うーん、でも、他も似たり寄ったりですよ?」
フレデリックの言葉にプライドが傷つけられたのか、妙に突っかかる大蔵卿を宥めるように但馬は言った。
「あー、自慢じゃないけど、うちって国内最大の企業だから。多分、一番税金払ってるのは本当だからじゃないかな?」
「それでも全体の十分の一にも満たないんですよ? それを差っ引いても、残り9割を一週間なんて……」
するとフレデリックがケロリと言い放った。
「あ、孫請けまでの取引は資料化されてますから! 4割弱くらいは、うちでカバー出来てると思いますよ!」
但馬も大蔵卿も開いた口が塞がらないといった感じで、口をパクパクさせた。ニコニコしながら二人を見ている彼が、嘘を言ってるようには思えない。
事業が大きく多岐に渡るに連れ、人員を増やさなきゃ増やさなきゃ……と思いながらも、今まで何事もなくS&H社が回っていた理由が垣間見えた。
大蔵卿はゴクリと唾を飲み込むと、但馬に向かって静かに言った。
「宰相閣下……」
「はい」
「お茶汲んで来て?」
「はい」
その後、お茶を汲んで戻ってくると、二人は早速、乱雑に積まれた書類の束を挟んで向かい合い、黙々と仕事を始めていた。大蔵卿はよっぽどフレデリックのことを気に入ったのか、まるでリオンを見つめる親父さんみたいに目尻を垂らしていた。そう言えば、娘が年頃らしいけれど、変な引き抜きをしないか心配になった。
但馬がお茶を出してると、同じく呼びだされた職員がギョッとしながらすっ飛んできて、やたらペコペコしながら代わってくれた。職員は上司である大蔵卿をジロリと睨みつけていたが、話しかけても没頭しているらしく、もう返事は返ってこなかった。
代わりにフレデリックが時間外手当を要求してきたので、どうぞどうぞと言って、但馬は大蔵卿の執務室を出て階上へ向かった。どうせ、宰相なんかやっててロクに自由もないのだ。そのうち会社ごとくれてやろう。
インペリアルタワーの13階には、新たに宰相の執務室が設けられていた。但馬の家が吹き飛んでしまったので、その代わりとして作られた、殆どセカンドハウスみたいなものだった。
今までは王宮に帰ってやっていたのだが、お陰でブリジットに邪魔(誘惑)されないで済んでいる。
13は忌み数だから、最初の内はちょっと嫌だったが、周りを見ても気にしている者が居ないので、そのうち気にならなくなった。キリスト教でも地域によってそうではない土地があるそうだから、ここもそうなんだろう。
「……どっこいしょっと」
なにはともあれ、但馬は執務室の椅子に座ると人心地ついた。最初、資料の山を見せられた時は途方に暮れかけたが、あの調子なら本当に1週間もしたら、減税のための財源確保が出来るに違いない。これで多少は国内の不満が解消されれば良いのだが。
それにしても、大蔵卿と話をしていて懐かしい名前が出てきた。思えばあれから5年もの時が流れたのだ。
トーは彼も言っていた通り、中央銀行から送り込まれたスパイだった。皇太子派とか言うリディアの暗部を監視する組織に属し、但馬がおかしなことをしないか見張っていたようだ。
なんでこんな組織が秘密裏に出来たのかは疑問にも思ったが、ブリジットを見てれば自然と理由は分かる。彼女や、彼女の祖父は、何というか脳筋なところがあり、卑怯な真似が嫌いだからだ。だから国としては当然あったほうがいいはずの諜報機関を表向きは置かなかった。
ブリジットに権力が移譲されて以降も、そう言った話は聞いてない。一応、憲兵隊の中に公安部のようなものがあるのだが、この間の襲撃を見ると、機能してるかどうかは疑わしい。
5年前も但馬はパートナー企業に夜逃げされるという被害を被っており、その時は確か近衛隊が捜査をしていた。率いていたのはウルフで、別働隊と言った感じだった。もしかしたら、彼がカンディアへ行ってしまったお陰で、その部署はもうないのかも知れない。
「……新しく、作った方がいいかもな」
但馬の子飼いでもいいから、CIAのような機関を組織していたほうが良いだろう。何しろ、命に関わるのだ。これを怠って、三大臣や大蔵卿、無いとは思うがブリジットがやられたら目も当てられない。
「これが終わったら、また大蔵卿に相談してみるか……どうも取り立て屋を沢山雇ってたようだし」
そんなことを呟きながら、椅子に持たれて背伸びをしていた時だった。
ふと、但馬は何か頭の中に引っ掛かるものを感じた。
なんだろう? このタイミングなら、トーに関することだろうが……
あの後、彼は国から出てどこかへ行ってしまった。行き場所は分からない。但馬もその時、もしかしたら自分が亜人かも知れないと思って、余裕をなくしていたから、彼を追跡しようなどとは思わなかった。
もし、自分が亜人だったら、国から出て行かなきゃいけないのかなと弱気になっていたのだ。
「あっ!」
それだ! 但馬は思った。
あの頃、但馬は自分が亜人である可能性に気づいて精彩を欠いていた。今となっては、自分が亜人だろうがエルフだろうがどうでもいいことなのだが……当時の彼はショックだった。
結局、その気持ちをアナスタシアに吐露し、ブリジットに認められたことで癒やされたわけであるが……
数日前、襲撃の日、但馬はハリチのサンダースと連絡を取っていた。リオンが、亜人から万能とも呼べる血清を発見したと報告してきたのだ。事が事だけに、口外しないようにと指示を出し、どうしようと考えていた時に襲撃なんかがあったせいで、すっかり忘れてしまっていたが……
但馬が本当に亜人であるなら、どうしてペストに感染したんだ?
大体、但馬は普通に風邪もひくし、お腹も壊す。リディアに初めて来た日を思い返せば、水にあたって上から下から大洪水だったはずだ。つまり、病原菌に普通に感染するわけである。
「どういうことだ……? やっぱ、リオンの説が間違ってたのか? それとも、俺が普通の人間だったのか?」
但馬は頭がくらくらした。
いや、もう、本当にどうでもいいことなのだが、亜人だと思っていたら、やっぱり普通の人間で、何の力も持ってないと思っていたら、聖遺物なんかで勇者パワーに目覚めたりして……わけが分からなくなってきた。
一体、自分はなんなんだ? なんでこんなファンタジーな世界で宰相なんかやってるんだ。
但馬は首をひねりながらも、とりあえず自分の血液検査だけでも依頼しとこうかと、作業道具を取り出すと、ゴムバンドを腕に巻いた。そしてシリンジを出して針を熱し、アルコール除菌し、手慣れた仕草でいざ自分の血を抜こうとした時……
「宰相閣下! いらっしゃいますかっ!!」
「わっ! ちょっ! ばっ!?」
針が血管を外し、なんか変なところまで突き刺さった。
「ぎゃああ! あっ、あっ、あっ……ああ゛あっーーー!」
但馬が痛みに耐えていると、飛び込んできた大蔵卿が目を丸くし、
「ややっ!? 宰相閣下、いくら仕事がお忙しいからとクスリなんかに手を出しては……」
「誰が手ぇ出すかっ! 馬鹿野郎っ!!」
但馬は涙目になりながら針を引き抜くと、傷口をペロペロと舐めた。筋肉に刺さっちゃったのだろうか? ズキズキと痛む。
但馬が血をチューチュー吸いながら、闖入者を恨みがましい目つきで睨んでいると、
「うっ……ノックもせずに申し訳ありませんでした。急いでいたもので」
「……別にいいけどさ。で? なに?」
「あ、はい!」
大蔵卿はハッと思い出したかのように、慌てて但馬の元へ駆け寄ると、執務机の上にバシッと書類の束を置いた。
但馬が一瞥しても何がなんだか分からず、首を捻っていると……
「ロス卿と書類を精査していたところ、早速彼が気になる点を発見しまして……」
「気になる点?」
「はい。初めはS&H社関連の資料を省いて、残ったものを事業ごとに仕分けていたのです。その最中にロス卿が、ふと手を止めて何か変だと言い出しまして、何が変なのかと尋ねれば無駄が多すぎると……丁度無駄を探していたところだったので、そりゃ良かったと言いかけたのですが、そうではなく、数字が合わないと、あり得ない金額での取引が横行している気配が見られると」
「つまり、どういうこと?」
「特定の取引に不正の兆候が見られるということです。無駄に高額な支払いを要求されていたり、そもそもの数字があっていなかったり、書類が改ざんされた跡も見受けられました」
但馬は唖然とした。さっきの今で、もうフレデリックは汚職を発見したわけである。優秀だ優秀だと思っては居たが、これはもう天才か神に近いだろう。
だがそれを絶賛してる場合ではない。但馬はブルブルと頭を振ると、
「で、その不正があるらしき部署は?」
「それが……」
大蔵卿は眉を顰めると、実に言いづらそうにして言った。
「カンディアです。防衛大臣管轄下の兵站部……カンディア公爵のお膝元なのです」