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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第六章
202/398

旅立ちの時⑦

 コルフ大使としてタチアナが着任した。アナトリア帝国が国家として付き合う初めての、そして唯一の友好国の大使である。彼女の到着は盛大な式典をもって迎えられ、西港からインペリアルタワーに続く道ではパレードが行われた。


 国民から大歓迎を受けた彼女は感激し、謁見の間に入ると皇帝ブリジットに最大限の謝意を表し、両国の末永い友好を約束した。それが終わると二人は再会を祝して抱き合い、プライベートスペースで楽しげに御茶会を催した。このところ公務が忙しくて、ブリジットの鬱憤が溜まりに溜まっていたために、いい気晴らしになってくれた。君主と大使という関係だけではなく、彼女らはお互いに唯一無二と言っていい友だちなのである。正にタチアナ様々だ。


 実は二人には友だちがいない。二人の立場がそうさせるからだ。ブリジットは言うに及ばず、タチアナだって立派に国家元首の娘であり、大使となった今ではもはや彼女らに釣り合うような身分の女の子は、世界中を探しても中々お目にかかれないだろう。


 特にブリジットは女帝になってからは不自由な生活を余儀なくされているため、タチアナがリディアへ来てくれるのは彼女のストレス解消のためにも、非常に有り難いことだった。一人娘を快く送り出してくれた総統には感謝してもし足りなかった。


 それにしても思い返せば、コルフは元々エトルリアに唆されて、リディアに喧嘩を売りに来ていたわけだから、その両国のお姫様といっていい二人が、こうして仲良くしているのは奇跡に近いといえただろう。


 あのときたまたま但馬がコルフに行かなければ、クーデターが起こらなければ、メディアの事件がなければ……よくよく事件に巻き込まれる人であるが……彼女が居てくれて本当に良かったと、但馬もブリジットも心からそう思っていた。


 さて、そんな具合にブリジットのストレス発散も兼ねていたので、タチアナの着任は無理を言って早めて貰ったために、実は大使館がまだ出来ていなかった。


 と言うか、それを建てる場所すら決まっていない。そのため、大使館が出来るまでの仮住まいを見つけなければならないのであるが……


「本日はようこそおこしくださ……げええ! 宰相~!!?」


 タチアナが仮住まいにする予定であるホテル・グランドヒルズオブリディアのエントランスを潜ると、国賓を迎えることを事前通達されていた支配人が、揉み手をしながらやってきた。しかし、但馬の顔を見るなり彼は露骨に嫌そうな表情を浮かべて、


「はあ!? あんたどの面下げてここに? 大使殿、どうして宰相閣下なんか連れていらっしゃるんですか~! この男が、ここで何をしたかご存知でない?」

「え? え?」

「やあ、支配人さん。久しぶり、元気してた? 今日はちょっと寄っただけだから、別に迷惑かけないから」

「冗談じゃない、あんただけには敷居をまたがれるだけでも御免です。こちとら、どれだけの被害を被ったと思ってんですか」

「つっても全部弁償したじゃんか」

「弁償すりゃいいってもんじゃないですよ! あんたのお陰でリディア一の三星ホテルと評判だったうちが、今じゃちょっとおもろい三流ホテルに大転落ですよ! ちょいと誰か~? 塩持ってきてくれないかい? 塩! 塩まいてやる!!」


 タチアナを迎えようと集まっていたフロントやベルボーイたちが困惑する中、支配人はぷりぷりしながらレストランの方へと駆けていった。元気な人だなあ……と思いながらそれを見守っていると、


「……但馬様、一体ここでなにをやったんですか?」

「いや、言うほどのことは。うーん……金貨風呂作ったり、大規模デモの終着点にされたり、近衛と国軍とドンパチやったり、闇オークションやってキレたブリジットが大暴れしたこともあったなあ」

「何をやってるんですか、あなたは! 支配人さんが怒るのも当然ですよ!」


 ……いや、暴れたのは主にブリジットなんだよ?


 その後、本当に厨房から塩を持ってきた支配人がそれをぶっかけようとして、静止しようとする従業員と攻防を繰り広げていた。外を固めていたエリオスと近衛隊は、呆れた素振りでそれを見ていた。


 結局、タチアナのとりなしで事なきを得たが、


「ホント、これっきりですからね!? また騒ぎを起こしたら、いくら宰相だと言っても叩き出しますからね!」

「うっさいなあ。どうせすぐ帰るってば」


 但馬はポキポキと首を鳴らし、うんざりしながらもどこか楽しげにつぶやいた。


「いやあ、宰相になってから、これだけポンポン怒られるのは久しぶりだわ。寧ろちょっと清々しいね」

「……久しぶりって、そんなに偉くなられてまで、まだ誰かに怒られるような機会があるんですか、但馬様は」


 つい最近も、久々に家に帰ったらお袋さんにギャンギャン文句を言われたばかりである。


 タチアナは呆れる素振りを見せたが、しかし暫くすると何かに感心するように、うんうんと頷き、


「トップの但馬様が、こうして偉ぶらないでいてくれるお陰で、この国の自由な空気が損なわれないでいられるのでしょうね」

「……そう?」

「ええ。戦争中の国とは思えないくらいノビノビとしてらっしゃって、信じられないくらいだと。逆にビテュニアの方はピリピリしすぎて商売にならないと、行商人たちがボヤいていましたよ」

「そうなんだ。行商人たちがそう思ってくれてるなら、本当に良かったよ」


 ぶっちゃけ、この国も見た目ほどにはお気楽でもないのだが……但馬は口には出さずに、彼女から最近の話を聞いていた。


 先日の帝国議会以降、街には明らかに不穏な空気が燻っていた。工場法が成立したことにより、アナトリアの産業界が一変したからだ。


 工場法では低年齢層の就業の禁止と、労働者の労働時間に上限を設けたのであるが、この現代人にとっては当たり前のルールを適用しただけで、すぐに耐え切れなくなった工場が続出した。


 そうなると、当然のように法律違反を犯す企業が出てくるわけで、もちろん、それを見逃していたら何のために法案を通したのか分からないので、厳しく取り締まっていたら、やがて倒産夜逃げする工場も出てきたせいで、あっという間に但馬は恨みの対象にされた。


 そして、風が吹けば桶屋が儲かるとでも言おうか……


 労働時間を制限したおかげか、工場はどこもかしこも人手不足になり、就活市場は売り手市場へと綺麗な変貌を遂げた。そしてこれが功を奏したのか、工場の求人が増えたら、それまで虐げられていた移民は逆にルールを明確にした工場で働きたがり、国内で転職が活発化した。すると工場に限らず、国中のブラック企業が炙りだされて、労働条件が悪ければ人が逃げ出すものだから、結局そう言った企業も工場と同じ条件に変わっていったのである。


 但馬としては工場法を皮切りに、徐々に労働基準法へと舵をとっていこうと思っていたのだが、それは思わぬ副産物であった。そして、労働環境の改善は、また新たなる移民を呼びこむことに成功した。


 膨れ上がる労働人口に対応すべく、公共事業を乱発し雇用を生み出していくと、帝国はメディア・カンディア併合期以来の、第二の成長期が訪れた。国内はプチバブルと言っていいくらいの好景気に沸き立ち、鉄道の延伸計画は帝国の更なる発展の予兆とされた。


 しかし、良いことばかりでもない。


 その過程で倒産する会社、増える移民。新興国家として、また資本主義社会としても帝国は拡大を続けるしか無いのであるが、その続々と増え続ける移民に対し、元いた国民がアレルギーを起こし始めたのである。外からやってくる人間が多すぎるのだ。


 リディアは元々移民の国で、その歴史もたった65年ほどしかない。だから移民にはかなり寛大であったのだが、それでも王国時代から居た先住民と、帝国になってから渡ってきた移民との間で、明らかな意識の違いが生まれていた。


 そもそも移民は国民ではない。なのに国民と同じような扱いを受けるのはおかしいのではないか。その善悪はともかくとして、国民と移民には明確な格差があるべきだ。


 ブリジットの議会での演説が功を奏し、そういう非人道的なことは表立っては言われては居なかったが、国民の不満が徐々に拡大される中、一度は議会で但馬の失脚を狙ったカンディア勢力も、密かに暗躍を始めたようだった。


 ブリジットの演説はゲーリック家の主権を議会に認めさせることに成功したが、それと同時に兄ウルフが特別であることもまた明確にした。そして今回示された通り、議会はどんなに議論が白熱しても、結局最後はブリジットの意見に左右される。なら、ウルフを担ぎ上げれば、但馬を排除することが出来るのではないか……


 そういう意見をもつ人々の受け皿として、カンディアは格好の場所だった。彼らはその立場を利用して、反但馬の勢力を、徐々に増やしていったのである。

 

*************************

 

 ホテルに荷物を置いたあと、タチアナは但馬に連れられて、市外からほど近い草原へとやってきた。大使館の建設予定地としていい場所がないかと尋ねたら、そこを勧められたのである。


 しかし、周りには何もない原っぱが広がっているだけで、城壁外で街には遠く、そりゃ立派な建物は建てられるだろうが、どうしてこんな場所がオススメなのだろう? と彼女が首を捻っていると、


「街の中心には遠いけど駅には近いでしょ」

「はあ……郊外に出るには便利そうですわね。ですが、大使の用事は市内が殆どだと思うのですが」

「市内にはこれだけの土地を確保する余裕が無いんだよ。それに、どうせそのうちここが中心になる」


 但馬がそう言ってもタチアナにはよくわからなかった。だが、彼が自信満々にそう言い切るのなら、そうで間違いないのだろう。


 実際、現在は鉄道が引かれたばかりで、まだ駅の周辺には何もないが、延伸計画が進み利用客が増えるにしたがって、駅の周辺は開発が進みいずれは一等地になるだろう。日本の都市計画を見てればほぼ間違いない。


「鉄道ですか……私はまだ乗ったことがないのですが……煙を吐いて進む、あの大きな汽笛がどうも怖くて」

「この国に住んでたら、そのうち嫌でも乗るようになるよ。そしたら、ここに大使館作ってよかったって思うはずだ」


 鉄道駅は利用が増えてきたころに、市内にも伸ばそうかという話もあった。だが、やはり土地の確保が難しく、無理な立ち退きをするより、もうここにターミナルを作ってしまおうと言う話になっていた。この国の鉄道の始発点はここなのだ。


 確かに王宮がある街の中心からは少々離れているのだが、西区の城門からは歩いてこられる位置にあり、インペリアルタワーへの利便性はまあまあだった。


「それに、どうせ大使が用事があるのは、会社の社屋や庁舎の多いこちらの方だろう。そのうち、商店とか建つようになったら、便利にもなるさ」


 タチアナはそう言われると納得せざるを得ず、少々不安には思っていたが、但馬に任せることにした。なんやかんや、この男が自信満々に言って外した試しは殆どないのだ。


「それにしても、これだけ土地があれば、本当にすごい建物が建てられそうですね。どんな家にしましょうか……お庭を広くとって、白くて綺麗な建物が良いですわ。朝は自然と起きられるように、大きな窓をつけて……」


 人工島に作られたコルフと言う街は、ローデポリスとくらべても遜色ない過密都市だった。だから総統の家と言えども庭は猫の額ほどしか無く、タチアナは王宮の庭園のようなものに憧れを抱いていたのだ。


 しかし浮き浮きする彼女とは裏腹に、但馬はにべもなく言い切った。


「いや、大使館みたいな建物は基本的に壁が高くて、頑丈なほど良いよ。壁も床も分厚い鉄筋コンクリートで固めて、明かり取り以上の窓は極力作らず、軍隊が相手でも一月くらいは籠城可能な、要塞みたいな建物が良い」

「ええ!?」

「仮に将来アナトリアとの関係が悪化するような事態があったら、何が起こるか分からないからね。大使はそれでも踏みとどまって、外交を続けなければならないんだから、警備はこれでもかってくらい厳重にしといたほうが良い」

「そそそ、そんなことにはなりませんよね!? 私……荒事はもう勘弁ですわよ」

「もちろんさ。でも、万が一って考えは絶対に捨てないほうが良いよ。国同士の付き合いは何が起こるか分からないからね。そのために外交特権だってあるんだし……エリオスさん!」


 但馬が呼びかけると、敷地を色んな角度から見て回っていたエリオスが近づいてきた。


「どうかなここは、大使館の候補地として」

「申し分ないだろう。周囲と比較して若干小高い丘にあり、視界が開けていて高い建物が周りに無い。今後、そう言った建物が建たなければの話だが。地盤やなんかは工事のプロの方に聞いてくれ」

「そうか。タチアナさん、つーわけでどうかな?」

「おまかせしますわ」


 候補地をここと決めると、但馬は連れてきた工事関係者と何やらを話し始めた。内装の設計やなんやは機密になるだろうが、外壁や基礎工事は帝国で受け持つことになるはずである。なんやかんや鉄筋コンクリートは、リディアに一日の長が有り他の追随を許さない独自技術なのだ。


 タチアナは自分のことだが話についていけず、同じように手持ち無沙汰にしていたエリオスに話しかけた。


「お久しぶりですわね、エリオス様。ランさんもお元気ですか?」

「いや……実はハリチにはしばらく帰ってなくてな」

「まあ! 臨月も近いでしょうに」

「社長があの通りだからな……首都から離れることは難しい。一応、リズに留守は任せているから安心はしているのだが」


 リーゼロッテはのらりくらりとして見えるが、ああ見えても勇者の娘である。安全という面ではこれ以上安全な護衛は居ないだろう。ただ、対象が身重となると、いくら心配してもしたりないのであるが。


 タチアナは、そんな彼の気持ちを慮って言った。


「それでしたら、ランさんもこちらへお呼びになったらどうですか?」

「うむ……そうだな。実は、少々迷っていることがあって、タチアナ殿にもご相談をと思っていたのだが。出来れば近いうちにでも時間を取ってもらえないだろうか」


 但馬にベッタリのエリオスがそんなことを言い出すとは思わず、タチアナはビックリして目を丸くした。彼がこうして相談をしてくるところを見ると、きっと重要な話なのだろうと思い、彼女は気を引き締めなおすと、


「ええ、エリオス様は他ならぬ命の恩人ですもの。私でよければいつでもご相談に乗りますわよ」


 タチアナがそう言うと、彼はホッとした顔をして肩の力を抜き、


「実は……いや、いい年した男が、こんな年の離れた女性に相談など、情けないことだが……いかんせん、コルフのことだしな」

「ランさんのことでしたら、どうぞご遠慮なさらず、いつでもお話ください。もしかして、評議会のことで何かございましたでしょうか?」

「いや、ランではなく……」

「??」

「お~い! 二人共!」


 但馬から声がかかる。どうやら、工事の段取りをつけるために、市内に帰りたがっているようだった。


 エリオスは、何か口に出しかけたが、そのまま口をつぐむと、但馬の護衛に戻っていった。また近いうちにでも接触してくるだろう。それにしても……


 タチアナは思った。


 エリオスが相談というなら、きっとランのことだろうと思ったのだが、どうやら彼の様子から見て違ったようだ。


 一体、なんの用だろう?


 正直、今すぐ詳しく聞きたかったのだが……プライベートな話だったら詮索するのも野暮だと思い、タチアナは黙って彼にくっついて、但馬とともに市内に戻った。


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