旅立ちの時⑥
帝国議会において工場法の成立は時間の問題と思われた。演説も終わり、質疑応答も終わってそろそろ投票に移ろうかと言うところで、最後の最後にカンディア議員の中から異議を唱える声が上がった。
但馬は、どうせ何か言ってくるだろうと思っていたし、どうせこちらにとって都合の悪いことしか言い出さないだろうから、ある意味では気楽に待ち構えていた。だが、演説も終わり質疑応答も終わって、みんながホッとする一番やっかいなタイミングは出来ればやめて欲しかったものである。
ただでさえ、みんながどうしようかと迷ってる最中の意見は印象に残りやすいのだ。悪印象を植え付けようとするなら、最適のタイミングと言えよう。
「意見があるなら、もっと早くに表明するように」
そろそろ終わると思っていた議長が面倒くさそうに言う。かと言って、却下するわけにも行かないから、彼はカンディア議員の発言を許した。
カンディア高官のネイサンはそれを受けて演壇の前に置かれた質疑応答席に着くと、議長に謝罪しつつも、悪びれずに言った。
「申し訳ありません、中々言い出しにくかったもので、このタイミングになってしまいました……但馬閣下による工場法の立法案については、今日、議会が始まる前から皆さんもある程度の資料を受け取っておいででしょう。我々はカンディアの代表としてその資料を精査し検討して参ったのでありますが、但馬閣下の立法案への賛否ではなく提案といいますか、お願いをしたく機会を窺っておりました」
「時間も押しているし話が回りくどい、もっと率直に」
議長が言う。
「申し訳ございません、議会とは忌憚のない意見を交わす場と存じあげております……ならば、大変申し上げにくいことではありますが、率直に申し上げますと、今回の立案に関し、我がカンディアは投票を棄権し、独自の立場を取り続けることをことを宣言させていただきます」
「どういうことですか? 票を投じず、結果に従うということですか?」
「いいえ……」
議長が首を傾げて問いかけると、ネイサンは大仰に首を振ってから言った。
「我がカンディアは、法案の成否にかかわらず、工場法なる法律に縛られることなく、現状維持のままを望むと申し上げているのです」
彼の議会軽視の発言には、流石に議会にまだ慣れていない議員たちもカチンと来たのか、すかさず場内の声が聞き取れないほどの野次があちこちから飛び交った。
「帝国を馬鹿にしているのか!」「そのような勝手が通用するわけないだろう!」「おまえらはクーデターでも起こす気か!」
しかし、ネイサンは顔色一つ変えること無く続けた。
「クーデターなど滅相もない! ですが、我々の主張は通用すると存じております。何故なら……我がカンディアはメディアとともに、亡きハンス皇帝直々の命によって、高度な自治権が認められているはずだからですよ。これは先帝が崩御なされて以降、ブリジット帝に王権が渡ってから現在まで、特に撤回されること無くそのままになされている事柄です。つまり、カンディア内においては、公爵閣下の統治が最優先されるはずではありませんか」
どよめきが起きる。その点を突いてくるのは盲点であった。
確かに、カンディアには高度な自治権が今でも存在している。それを盾にして逆らおうと言うのなら、やって出来ないこともない。
メディアとの戦争が終結したあと、先帝は現地の亜人に自治権を与えた。メディアは今も昔も帝国の首都から遠く、どうせ統治が行き届かないし、勇者亡き後の亜人にもはや抵抗の意志がないことも汲みして、それまでの彼らの慣習を保証した格好だった。
カンディアもメディアと同時期に帝国に組み入れられた土地で、送り込んだ為政者も孫だったから、先帝はメディアの前例に習って特に考えもなく同じように自治権を与えた。そして、その特権はメディアと同じく、かなり大雑把で強力だった。
土地の慣習に従うと言うのは、要するに自分たちの好きにやっていいよと言ってるのと同じことだから、カンディア公爵ウルフが土地の住民が嫌だと言ってるといって拒否してきたら、帝国も考慮せざるを得なくなる。
だが、もちろん、本当にそんなことをしたら、議員がいきり立ったようにクーデターと見做されてもおかしくはない。それにウルフがこんなことをするとも思えない。どういうつもりなのか、その点を明確にしなければならない。
但馬は言った。
「それは地方統治に当たり、様々な特権を与えるという意味であって、それが帝国の法より優先されるということではないだろう」
「そのような文言が、どこかに書かれているとでも言うのでしょうか?」
「文言はない。先帝の口約束だから……しかし前陛下が自治権を認めたのは、公爵が直系の孫だから、信頼を置いていただけであって、その信頼を逆手に取るのは卑怯なんじゃないのか」
「ハンス皇帝陛下がどう考えてらっしゃったかは、誰にも分かりませんよ。それとも、亡き皇帝陛下のお気持ちを、あなたは語れるとでも言うのですか?」
棘のある言葉に一瞬むっとする。だが挑発に乗るわけにはいかない。
「確かに無理だな……では、言い方を変えよう。先帝が自治を認めたのは公爵個人であって、君たちではないはずだ。ところで、当の公爵本人はどう考えているのか。これは彼の考えなのか」
「公爵閣下は我々に全権を委ねておいでです」
「本人に、直接意見を聞いたのかと言っている」
「公爵閣下は前線であるエトルリアの地から離れることが出来ず、我々にすべてをお任せになられたのです」
「だから、本人が直接そう言ったわけじゃないんだな?」
「我々が一任された事実は変わりません」
但馬はため息を吐いた。
「……君らはウルフの立場が危うくなることを承知で、このようなことをしているんだな? 公爵に一任されたということは、責任は彼にあるということだぞ」
「それは恫喝ですか?」
「どう受け取ろうが自由だが、君らが帝国の法に従わないのであれば、結局カンディア公爵を喚問せざるを得ない。君らが国に帰った後、帝国は即座に公爵を召喚することになるだろう。君らはそれを望むわけではあるまい?」
だから無意味な茶番はやめろと言う気持ちを込めて但馬が言う。それを正面から受け止めるかと思いきや、彼はふっと肩の力を抜くと、声のトーンを変えた。
「それでも、我々は工場法などというものは受け入れられないのです」
「どういうことだ」
「我々、カンディアはイオニア海の中心にあっても、アナトリア帝国の僻地です。イオニア海交易では、コルフ、ローデポリスの後塵を拝し、いずれは宰相閣下のお膝元であるハリチにも抜かれそうなくらいに劣勢に立たされています。それもこれも、カンディアが前線に近いから。我々が帝国の盾となって戦っているからこそ、内地であるリディアが潤っていることを忘れてもらっては困るのです。この上、工場法などを導入された暁には、いよいよコルフ、ローデポリスに太刀打ち出来ません。公爵様がカンディアを統治するにあたってこれは由々しき事です」
今度は正攻法で来たようだ。確かに、カンディアは前線に近いせいか、交易の拠点としては栄えているが産業はあまり育っていない。それでは、外から来る人にとっては良いかもしれないが、島民は潤わない。
カンディアでは未だにワイン製造とブドウ栽培が最大の産業であり、石油は出るがこれは現状では使用用途が限られているから、現代のように莫大な富が得られるという代物でもなかった。
「開拓地という土地が無限に広がり、鉄道事業もあるリディアは工場法を適用しても、景気にさほどの影響もないでしょう。しかしカンディアはそうは行かないのです。カンディアにはリディアほどのインフラ投資も工場も観光資源もない。何故なら、国家予算はリディアにばかり投資されるのだから当然ですよ。おまけに公共事業の殆どはS&H社が取って行ってしまう」
「う、む、む~……確かに、偏っているのは認める。だが、それはその事業を行う上での技術力が、うちにしかないからであって……」
「S&H社の技術力は認めます。ですが、何もかも同じ会社で独占してしまうのは些か不公平なのではないでしょうか。国家事業の殆どは宰相閣下や大臣の一存で決められ、身内で仕事を回してしまうでしょう? しかもコンペもなく破格でやってしまうから、我々は太刀打ち出来ない。どうやってのしあがれと言うのですか」
「そうだ! S&H社の独占事業が多すぎる!」「我々にももっと仕事を回して欲しい」「宰相の独断なのではないか」
それまで黙って聞いていた議員たちからも野次が飛び出した。どうやら、思った以上に但馬の一人勝ち状態に対するフラストレーションが溜まっていたようだ。但馬は憮然としながらも、いずれは官製事業に関しても話し合いが必要だろうと思っていたので、いわば前哨戦として黙って聞いていた。
「その、のしあがる方法が今までのやり方だったのですよ。工場法によってそれを封じられては、富は今後ますますS&H社に集中するだけになり、それ以外のすべてが潰れます。我々はそうはなりたくない。工場法を拒否するのは、我々のいわば自衛手段なのです。そうでしょう? みなさん。みなさんの中にだって、今のやり方を変えたくないって人たちはいるでしょう? ならば一緒に声を上げてください。国内に、そう言う人たちの場所が残っていてもいいじゃありませんか!」
「そのとおりだ」「カンディアを例外にすることを検討しましょう」「綺麗事ばかりでは飯は食えん」「今までのやり方で上手くいってるうちは、無理に変える必要もないだろう」「宰相のやり方では、宰相しか儲からない!」
ネイサンの提案は、いわゆる特区構想とでも言うのだろうか。特区を作ることで、工場法に反対する企業を誘致しようという考えだろう。しかしそれは、言うまでもなく、うまくいくわけがないだろう。
何故なら、誰が好き好んで奴隷のように働かされる場所に行こうと言うのだろうか。ここはどこぞの日本とか言う島国ではないのだ。特区を作ったところで、移民はリディアにしかやってこないだろう。
しかし彼の弁は、本音では工場法に反対していた議員の心に火をつけたようだった。彼らはすぐさまカンディア勢力支持に周り、一緒になって不満をぶちまけ始めた。
そして不満は多岐にわたった。
「鉄道はハリチまで通されるそうですね。前陛下の霊廟もハリチに建てるとか……失礼ですが閣下。閣下に他意がないことはもちろん承知しておりますが、これは勘ぐらざるを得ませんよ。あなたの野心がそうさせているのではないかと」
「宰相は皇帝にでもなったつもりか!」「よもや、ハリチに遷都などと、目論んではいませんよな」「金山の権利は国に属する。だが、その精錬をS&H社が独占してるのはおかしい。着服がないと言う証明が必要だ」「霊廟をハリチに建てるのも反対だ。我々は宰相の領地に向かってお祈りを捧げねばならないのか」「S&H社は事業ごとにもっと分割解体すべきです」
次々と出てくる不満を、但馬は努めて冷静に書き留めていった。議事録は書記官が残してくれるだろうが、誰が何を言ったかは、やはりこうして自分で手を動かして記録しなければ、いちいち覚えて居られない。あとで覚えてやがれよこんちきしょう……
「それに宰相閣下、あなたは陛下と恋仲なのでしょう? そういう方が国政に携わるのはいかがなものでしょうか」「何を言うか、貴様は! 不敬であろう!」「いくら疑わしくても言っていいことと悪いことがある」「しかし、こういう場でもないと言えるものか」「皇帝陛下が私情を挟まれるとお思いか」「皇帝ではなく、宰相はどうなのか」「大臣たちは……!」
不満がくすぶっていることは重々承知していたが、面と向かって但馬に文句を言う者が居るわけもないし、ドサクサに紛れて本音が聞けるのはありがたくはあった。ただまあ、どれもこれも耳障りではあったが……
野次はどんどんヒートアップしていった。終いには野次は野次ですらなく、馬鹿とかアホとか死ねとかの罵詈雑言になってきた。
流石にそろそろ、混乱を収拾しなければ、本題に戻れないだろう。しかし、どうやってその落ち着きを取り戻させたら良いものか……と、但馬が考えているときだった。
……キンッ! ……キンッ! ……キンッ!
どこからか金属を弾く音が聞こえてくる。
……キンッ! ……キンッ!! ……キンッ!!!
っと、それは段々と大きくなっていった。
妙に緊迫感を煽る音なのに、但馬はなんだか懐かしい思いがした。
隣に座る大臣たちが真っ青になって冷や汗を垂らしている。
これだけ音が大きくなると、興奮する議員たちにもそれが聞こえたのか、ヒートアップしていた会場は次第に落ち着きを取り戻していった。
議場の方ばかりを見ていたから、すっかりその存在を忘れていた。但馬たち、閣僚席の背後には議長席と……それから展望席に玉座があり、そこにはブリジットが座っているのだ。
彼女は、混乱し罵声の飛び交う議場の光景を見て、大層ご立腹の様子であった。議員たちを睨みつける目は釣り上がり、いくつもの青筋がたっている。魔法こそ使っていないが、そのオーラが見えそうなくらい、周囲の空気が歪んで見えた。
そしてかつて、腹を立てている彼女がいつもやっていたように、いつの間にかその左手には宝剣クラウソラスがあり、彼女はその鞘をキンキンと苛立たしそうに爪弾いていたのである。
それが静まり返る議事堂の中で唯一の音になると、彼女は自分を落ち着かせるように、腹の底から息を吐いて、言った。
「カンディア議員ネイサン」
「はっ!」
「亡き祖父、ハンス皇帝が兄ウルフにカンディアにおける全権を与えたのは事実です。ですが、それは兄ウルフに限ってのことであり、皇族以外が代弁出来る類のものではあり得ません。分かりませんか」
「申し訳ございません! 思慮の浅い男のたわ言と、どうか平にご容赦ください!」
冗談じゃない、皇太女時代だったらたたっ斬ってるところだぞ……と言わんばかりの、物凄い迫力でブリジットが睨みつけると、ネイサンは自分の死を覚悟したかのような、悲愴な表情を浮かべた。
ブリジットは鞘を爪弾く音をやめると、再度、大きなため息を吐いた。
「……良いでしょう。今回にかぎって不問にいたしましょう。しかし、二度はないと心得なさい」
そう言うとブリジットは玉座から立ち上がり、緊迫する様子で彼女を見上げていた議員たちに向かって言った。
「皆さんには様々な駆け引きがあるのでしょうね。ですが、少々度を越えてますよ。今回の様なことが起こらないよう、今すぐ兄の権利を剥奪するのも可能なのですが、困ったことに私も兄のことを信頼しているのです。ですから今後は皆さんは、この男のように、兄妹の仲に波風を立てぬようにお願いします」
どよめきが起きる……それは徐々に議事堂全体に広がっていき、やがてあちこちからパラパラと拍手が沸き起こる。
年配の議員たちが、ブリジットの成長した姿に感極まり、滂沱の涙を垂れ流す。議長も同じく嬉しそうに壇上を見上げ、恭しくお辞儀をしていた。但馬は、
「陛下! 投票を前に、よろしければ所感をお願いします」
そう叫ぶと、はっとした議長が振り返り、ざわめく議員たちに静粛を求めた。
やがて議員たちが着席し、新皇帝の言葉を待っていると、彼女はちょっと顔を赤らめながら、緊張気味にいつもの彼女らしい柔らかな口調で所感を述べた。
「工場法とやらの所感ですね? ……正直、私にはよく分かりませんでした。だから商取引のことは、それに関わる皆さんで考えてルール作りをすればいいでしょう。どうせ、私が賛成したところで、宰相にそう言わされてると捉えられるのが落ちですしね」
ブリジットにしては珍しくエスプリの効いた皮肉に、議員たちは目を丸くしてから、お追従の笑いを漏らした。それを見て、彼女も成長したものだ……と、とある議員は感慨深げにつぶやいた。まあ、本当は、さっきの騒動に彼女がまだ腹を立てていただけなのだが……
「ただ……思い出してください。先代皇帝である我が祖父は、とてもお優しい方でした。メディアに自治権を与えたのも、敵であった亜人たちが困らないようにしたためですし、コルフが攻められれば手を差し伸べ、どんな罪人にあってもおいそれと極刑にはせず、いつも寛大な裁きを下しておられました。私の代になったからといって、この国の精神が失われてしまうようなことには、ならないで欲しい」
先代を思い出して、年配の議員たちが涙を流した。さっきまで工場法に反対していた議員たちも、腕組みをして唸っている。
「そして、私は皇帝である以前に、父なる神の子でもあります。同胞が苦しんでいる姿は、やはり見たくはありません。皆さんにも、出来ればこのことをよくお考えになって、投票に臨んでいただきたいものです」
ブリジットの演説が終わると、自然とすべての議員が立ち上がり、満場の拍手が沸き起こった。その表情は皆一様に凛々しく、確固たる意志を秘めた目をしていた。彼女の演説を聞いて、誰も彼もがこの法案の賛否どちらに票を入れるかを決めたようだった。
そんな中、カンディア議員の集まる席に戻ったネイサンは苛立たしそうに壇上を見上げていた。きっと、もっと場を乱し、出来れば工場法の不成立を狙っていたのだろう。
そんな彼を横目で見ながら、但馬もチッと舌打ちをした……
工場法は恐らく成立するだろう。だが、荒れるなら荒れるで、もっと膿を出しきってしまいたかった。必要ならば審議を続けて、別に今日成立させる必要はないのだ。
だが、まあ、いいだろう。ブリジットの権威はこれによって増すだろう。
議会を始めれば、抵抗勢力が出てくるとは予測していた。それがどのくらいの規模に上るのか分からないが、当面はこれを虱潰しに潰していくだけである……
彼はそう決意すると、他の議員たちと混じってブリジットに賛辞の拍手を送った。