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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第六章
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旅立ちの時⑤

 帝国議会はインペリアルタワーの両翼に広がる議事堂の中に作られた。そこは元々、各国の賓客を招いて社交界を開くために作られたダンスホールだったが、ついぞ使われたことはなかった場所であった。


 理由は言うまでもなく、かつてのリディアはど田舎であり、帝国となった現在でも各国との関係が微妙なため、社交界を開けるほどには客が集められなかったからだ。


 そのため、どうせ使われてないならもったいないと、但馬は議会を開くにあたって、ホールを改造して議事堂に変えてしまった。もしかしたらこれから本来の用途で使われることもあったかも知れないが、どちらかと言えば、王権の象徴たるインペリアルタワーの足元に議会があるほうが、らしいといえばらしいであろう。


 さて、その帝国議会では貴族200名からなる議員が集められ、間もなく初めての会議を行うことになっていた。


 議員の内訳は8割強がリディア貴族……貴族とは言っても、商人が貴族化したものが大半で、純粋な魔法使いは1割にも満たなかった。あとは先帝時代からの王宮勤めの官僚や、皇族関係者などで構成されていた。そして残りの2割弱がカンディアの勢力である。


 因みに、魔法使い貴族は銃士隊長クロノアを中心に派閥化しており、すでに但馬の息がかかっていた。皇族関係者や王宮勤めは皇帝に絶対服従なので、これらの取り込みも問題なく終えている。


 だから但馬が議会運営をしやすくするには、残りの商人貴族たちをどれだけ味方につけられるかが勝負であったが、そこはそれ、彼らも生き馬の目を抜く商売の世界の住人であるから、なかなかシビアなものがあった。元々、商売がらみの付き合いがあったから、話はしやすいのだが、絶対に確約は得られないと言う、したたかな連中ばかりなのである。


 そして最後のカンディア勢力に至っては完全に未知数であり、何を言い出すか分からない不気味さがあった。これの内訳はカンディア公爵ウルフや、その叔父帝国大将マーセルなど武官が多かったが、彼らは戦争のために大陸にいってるので欠席しており、知らぬ顔ばかりがずらりと並んでいた。


 知っている者はかつての部下で、正直あまりいい印象は得られていない。彼らはかつてこの世界の最先端を行っていた科学者、錬金術士であったが、近代の数学知識に乏しかったせいで、但馬にプライドをへし折られたのが原因だった。目をかけていた相手に裏切られた格好であるから残念ではあったが、もはや過去のこととして割りきらなければならないだろう。


 帝国議会はホールの中央にオーク材で作られた重厚な玉座があり、その前に議長席があり、そしてまたその手前に左右に広がるように閣僚たちが座るようになっている。その閣僚たちから見える位置に演壇があり、これらを取り囲むように議員の席が設けられていた。


 第一回目の議会ではまだ議長が決められていなかったため、その席は空であったが、オブザーバーであるコルフから派遣された議員が補佐を務め、内務大臣の進行で会議は始まった。


 ところで、民主主義ならありえないが、絶対王政では憲法もくそもないので、どんなルールも規範を作りそれを皇帝が追認するという格好になる。そのため、みんな初めての経験で何をやっていいのか分からない感じであったが、法律を決める会議なのであるから、まずは帝国議会法という議会のルール作りから行った。


 帝国議会法などと言ってもそう難しいことは何もなく、単に法の条文化には議会の多数を持って決めると言う、多数決の法則など、議会運営にあたって必要なルールを明確にしただけだった。


 これは議会が始まる前に、ある程度の資料を作って議員に配布しておいたので、殆ど何も問題なく進行し、まずは議員の三分の二の賛成をもって議案が成立することが、満場の賛成をもって成立した。


 続いて貴族院議員の最年長である男爵が議長に選出され、これも多数の賛成をもって成立した。彼は先帝の外戚関係にあたったが、年金暮らしをしているだけで、特に政治に興味がない感じだったので、都合が良かったのだ。


 さて、こうして議会の形が整ってきたところで、いよいよ本題に入ることになった。


 何しろ商人が多いので、まずは商取引におけるルールからだったが、その輝かしき第一回目の議案は、宰相による工場法の制定についてであった。


「……先日、首都郊外、メアリーズヒルの工場地帯において移民労働者による暴動が起こりました。結果、メアリーズヒルの工場は全滅し、現在も再建に向けて工事中であります。帝国は被害工場に見舞金として援助を行いましたが、この間も工場から上がる収益も、労働者からの所得税も入らないことになります。つまり帝国の収入に甚大な被害が出たといえるでしょう。このような事態はもう二度と起こってほしくありません」


 そうだそうだと野次が飛ぶ。だが、本題はここからだ。


「今回の件は移民労働者を酷使したせいであり、彼らの鬱憤が爆発し、破壊という形で現れたものと思われます。ところが事件が起こったあとに国内の工場を調べたところ、このようなケースが蔓延していることが判明しました。このままにしておいては、また同じようなことが起こってしまうに違いありません。そこで、ルールを設けるべきだと判断しました」


 どよめきが起こる。やはり、反対する勢力はあるのだ。


「具体的には、現在の労働状況の改善、及び、労働時間に制限を設けます。そして成人前の子供の就労を原則禁止とし、仮に働かせるのであれば、大人と変わらぬ賃金を支払うことを義務付けるべきだと考えます」

「異議あり!」


 早速、反対意見が飛び出してきた。質疑応答の時間はまだ先だが良いだろう。但馬は議長を振り返って促した。彼はフゴフゴと口の中で反芻するように質問者の名前を呼んだ。


「私は宰相閣下の意見には賛成しかねます。帝国は現在、移民の労働力によって繁栄しています。そこに制限を設けては、設けた分だけ生産力が下がるに決まってます。移民が反乱を起こすというのなら、それを取り締まる法律こそ作るべきです。奴らは一度甘い顔をしたら付け上がりますよ? そうなったら要求もどんどんエスカレートするに違いない、それこそ反乱が起きかねないではないですか。もっと厳しく当たるべきなんだ」


 そうだそうだとあちこちから歓声が上がった。但馬の時とはえらく勢いが違う。


「現状維持のままでも、やはり反乱は起きますよ? その度に鎮圧して、労働者を国外追放していったらどうなりますか。いずれ働く人がいなくなりますよ」

「そんな移民の代わりなどいくらでもいるじゃないですか。何も難しい技能を求めてるわけじゃない、ちょっとした仕事が出来ればいいんです。いなくなったらまた別の移民に変えればいいだけですよ」

「それを前線の兵士に向かって言えますか? 彼らの大半も、移民なんですよ?」


 質問者はうっと息を呑む。


「取り締まる人にしたって、移民出身者がいないわけじゃない。移民が移民を取り締まってるのが現状です。もし、彼らが移民に同情したとしたら、どういうことが起きるか想像出来ますか? 忘れないで貰いたいのは、現在、この国の人口比にしておよそ7割が移民出身者になっている件です。我が国は戦争をするためにも、領土を拡大するためにも、その労働力を外に求めてきました。それが都合悪くなったからって追いだそうと言うのですか。そもそも、ここは何もないガッリアの森だったのですよ? あなた方だって元を正せば移民だったわけじゃないですか」

「移民だと言ってもあいつらは平民じゃないか。我々は貴族だ!」

「エトルリア貴族でしょう……? ここはアナトリア帝国です」


 野次を飛ばしてきた男を但馬が睨みつけると、議場がしんと静まり返った。


「彼らはこの国に、自由と仕事を求めてやって来るんです。ところが、現実はそれとは真逆だ。それに幻滅してただ帰るだけならいい、しかし、実際に暴動は起きてしまった。このまま移民を受け入れ続けるかぎり、その危険性は考慮せざるを得ないでしょう」

「なら、移民は危険だ! そろそろ制限を設けて、寧ろ追い出したほうが良いのでは?」

「そうしたら帝国の繁栄も止まりますよ。あなただって最初に言ったじゃないですか。帝国は移民の労働力によって繁栄しているのです。使役する立場なんですから、よくご存知でしょう? これがごっそりといなくなって、工場が立ち行くのですか」

「う……むむ……質問を終わります」


 但馬は男が席に着くのをじっくりと待ってから、議会をぐるりと見渡して言った。


「それに、労働者を休ませ、健康を維持するのは結果的に生産力の向上に繋がります。これからその説明をしますから、みなさん、一度よくお考えになってください。サンダース先生、お願いします」


 ハリチの研究所から呼び出されたサンダースは、長旅で疲れていたのかじっと腕を組んで目を瞑っていたが、但馬に促されるとパッと目を見開き、何か闘志を秘めるような顔つきで演壇に上がった。


 彼は軽く自己紹介をしたあと、


「私は医者でありまして、今回の暴動後、国内の労働者の健康診断を依頼されて国中を回ってきたのですが……リディア王国時代に軍医を10年間務めてた私の経験からしても、はっきり言って国内の労働者の健康状態は酷いものでしたな。誰も彼も痩せて頬はこそげ落ち、慢性的な寝不足、それが原因とした思考力の欠如と注意散漫、不注意から出来た怪我と、恐らくは居眠りを咎められての殴打の痕。おまけに、不潔! そのせいで三人に一人は何らかの疾患にかかっているらしき症状が見受けられました。こんなの、戦場でも中々お目にかかれませんよっ!」


 議事堂内からどよめきが起きる。ここにいる人々が全員工場を経営しているわけではないので、現状を知らない者も多数居たからだろう。


「軍隊の厳しい規律のもとにあっても、必要最低限の休息は取りますよ。いざというときに疲労が溜まってて、動けなければお話にならない。寝不足は思考力を低下させ、反応を鈍くさせます。そんな軍隊じゃ危なっかしくて国を守れないでしょう。


 人間はどう足掻いても寝ることでしか疲労を根本的に取り除くことが出来ません。慢性的な寝不足状態とは、つまり徐々に疲労を蓄積していってるのと同じで、それがピークに達した時に様々な弊害が生まれます。最も危険なのは、疲労の蓄積した人は、病気になりやすくなるということです」


 サンダースは一旦言葉を区切ると、ぐるりと議場を見回してから続けた。


「ところで、フリジアの騒動は、皆さんご存知でしょう。あれは目には見えない病原菌と呼ばれる微生物が、我々の体内に寄生して引き起こしたものだったのです。実は病気とは、弱った動物の体内に入り込んだ病原菌が、体の中で繁殖している状態を指すのです。普通ならば、人はその繁殖を抑えこむことが出来るのですが、ところが疲れているとその機能、即ち免疫力が低下し、病原菌に抗えなくなってしまう。更に困ったことに、その病原菌にとって最も過ごしやすい環境と言うのが、弱った私達の体の中なのです」


 すると、そんな彼の主張に対し、疑義を唱える者が現れた。それは数人とは呼べない数だった。


 議長が発言を許すと、とある議員が胡散臭そうに立ち上がり、言った。


「申し訳ないが、軍医殿が言っていることは私には信じられない。あなたは目に見えないものが人間の体に寄生していると言うが、目に見えないのであれば、確かめようがないではないか」

「目に見えないというのは、裸眼では……と言う意味です。望遠鏡やメガネのように、小さな物を見るためのレンズを通してなら見えるもののことです」

「どうしてそのレンズとやらを通したら見えるようになるのか。あなたが嘘をついていないとは限らないではないか」

「なるほど、その質問は私よりも宰相閣下の方が適任ですが……」


 サンダースはムスッとしながら、自分の手荷物をゴソゴソと漁りだし、中から一つのビンを取り出した。


「ここに、フリジアで猛威を振るったペスト菌が入ったビンがあります。見た目はただの中身が空っぽのビンに過ぎません。ところでどうでしょうか、皆さん。皆さんの中で、もし私の言ってることが信じられないとおっしゃる人が居るなら、この中身を一息嗅いでみてはいかがでしょう。なに、お待たせするようなことはいたしません、一週間もしないうちに結果がでますから」


 彼がそう言うと、疑いの目を向けていた議員たちが目を逸らした。まだ疑っては居るが、自分はやりたくないといった感じである。まあ、やったところで何も起こらないだろうが……ペスト菌はまだ発見されていないし、第一そんな危険なものを持ち歩いてるわけがない。


 こんな場面でシレッと大嘘をぶっこくサンダースを、中々やるな……と感心しながら見ていると、彼はじろりと議場を睨んでから続けた。


「繰り返します。疲労状態の人間は免疫力が低下し、病気に罹りやすくなります。そして病原菌にとって住みよい環境は、その病気に罹った人間そのものなのです。つまり、病気に罹る人が増えれば増えるほど病原菌の数も増えていくわけであり、この病気の人々が移動することによって、広範囲に病原菌がばらまかれる。これが伝染病の正体だったのです。


 これを防ぐ方法はいくつか上げられますが、まず病人を動かさないこと。そして病人に栄養のある食べ物を採らせ、よく休ませること。しかし、なによりもまず病気に罹らないことが肝心で、そのためには疲労をあまり溜め込まず、健康管理に努めるのが一番の対策になると言えましょう。現在の工場はその逆を行ってます、国内に病床を育ててると言っても過言ではない! これは工場経営者だけの問題でしょうか!? 私はそうは思わない。みなさんもよくよく考えてみることですな。私の話は終わりです」


 彼は演説を終えると、しんと静まり返る議員たちに向かってお辞儀をし、振り返って但馬を促した。彼はサンダースと入れ替わりに演壇に立つと、


「伝染病で滅んだ街や国の話は、誰だって聞いたことがあるでしょう。あのフリジアの騒動を経験し、我々がそうならないとは言い切れません。だから対策が必要なのです。サンダース先生の言うとおり、そうならないためには、まず病気が蔓延しない環境づくりが必要です。そのために工場法の制定が不可欠であると考えました」


 今回の趣旨を改めて訴えると、今度は納得したと言った顔がいくつも見られた。すでに根回しを終えている者と合わせて、議案の成立は十分だろう。


「確かに、一時的に生産力は下がるかも知れません。ですが、労働条件の改善により、仕事能率が上がれば、それを埋めて余りある恩恵が得られるはずです。何より、先日メアリーズヒルで起きたような暴動を未然に防ぐことにも繋がります。被害が起きてから、あの時そうしておけば良かったと言っても遅いのです。皆さんの中には、実際に打ち壊された工場を見学に行った人も居るでしょう。あなたの工場が、ああならないとは言い切れないのです」


 サンダースの後を引き取った但馬がそう言って演説を締めくくると、パラパラと拍手が起こった。クロノアを中心とした魔法使いたちが真っ先に立ち上がって賛意を表すると、それを見て似たように立ち上がり、自分たちの存在をアピールしようとする議員もちらほらと見受けられた。


 後は壇上の玉座に座るブリジットが所見を述べ、議長が投票を開始すれば、今日の議会は終わるはずだった……


「議長!」


 しかし、そんな時だった。


 議事堂の端っこに陣取った、それまでずっと控えめで静かだった集団の中から、一人の男が立ち上がった。かつての但馬の部下であり、現在、カンディアの官僚貴族としてウルフに仕えている男である。


 ずっと大人しく、いつ仕掛けてくるかと思っていたが……ここで来たか。


 但馬は閣僚席に座ると、視線だけを男へ送った。


 ネイサンと呼ばれるカンディア議員のリーダーは、それを不敵な笑みで受け流しつつ、議長に向かって再度異議を唱えた。


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