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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第六章
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旅立ちの時④

 王宮の一番奥にある先帝の寝室は、今も当時の姿のままで残されていた。


 権力移譲の建前上、宮殿内の一番いい場所にある部屋を、いつまでもそのままにしておくわけにはいかないのだろうが、今やローデポリスの宮殿には、主であるブリジット以外に誰も住んでおらず、部屋がいくらでも余ってるくせに片付けてしまうのは忍びなく、結局そのまま残されていた。


 宮殿の中のことなんて、よほど限られた人間以外にはわからないのだから、別にそれでもいいだろう。


 その宮殿に、もう殆ど半同棲状態で暮らしている但馬は、よくこの部屋に来て一人で考え事をしていた。先帝の部屋で、彼が存命中のころを思い出して、今の自分の立ち位置を確認していたのだ。


 先帝が但馬にとって特別な存在だったのは言うまでもないだろう。この世界では、得体の知れない異邦人でしか無い但馬が何かする度、いつも身分を保証してくれたのが彼なのだ。


 だが、但馬は忠誠心が格別に高いわけではなかった。民主主義国家から来た現代人だったから、主君に対する忠節と言われても、いまいち実感が沸かないのだから仕方ないだろう。


 ただ、但馬は自分に良くしてくれた祖父に対し、幼すぎて孝行が出来なかったと言う悔いがあった。そして先帝にその祖父の姿を重ねてみていたから、祖父に孝行したいという気持ちが、忠節として現れていたのだろう。


 そして孫が祖父に対してするように、迷った時はここでこうして、頭のなかで先帝に語りかけるようにして考えを整理するのが、今の日課のようになっていた。


 アナスタシアがエトルリアへ向かったのは、ジュリアの孤児院経営を手伝うためだった。


 但馬はジュリアが労働者たちの子供を引き取ると言わなかったら、ロンバルディアのザビエルを頼るつもりだった。彼はエトルリア皇国内で銀十字修道会という慈善団体を組織しており、修道院と言う形で各地に孤児院を作っていたからだ。


 だから、これからジュリアが国内に、大きな孤児院を作るのならば、その先輩である彼にノウハウを学んだらどうかと助言していた。尤も、すでに何人もの孤児を抱えてる彼女であるから、行って直接手取り足取り教えてもらうわけにはいかないので、あくまで手紙をやり取りしたり、お互いに手が足りない時に助けあったり、情報交換をすればいいと、それくらいに思っていたのだが……


 アナスタシアは、孤児院の共同経営者として、その役目を買って出ることにしたようである。


 彼女が言うには、但馬の推し進める改革の歪で、これからまたこの間の労働者たちのように、犠牲になる子供が出てくるだろう。それを但馬がいつも救えるとは限らないから、だから、彼女は但馬に代わってその子たちを救うつもりなのだそうだ。


 ザビエルに師事してノウハウを学ぶ傍ら、自分の知名度が高いフリジアで寄付を募り、より多くの子供たちを救うシステムを作り上げる。そのために、彼女は聖女と言われて教会に利用されても構わない、寧ろ利用してやるつもりであるのだそうだ。


 修道院と言う閉鎖空間で、かつて彼女は性を搾取された。


 金が無くなってそこから放り出されても、彼女に一人で生きていく術はなく、結局また同じように水車小屋で生活をしていた。


 そんなひどい目に遭う子がまた出ないように、彼女は表に立って活動することを決めたようだ。


 きっと、好奇の目に晒されることだろう。中には心ない中傷を浴びせかける者もいるだろう。それでも、彼女はそうすることに決めたのである。


 子供を救いたいだけなら、お金ならいくらでも出すのに……でも、但馬がそうするんじゃ駄目なのだろう。但馬には彼女の気持ちがよくわからなかったが、あの時、但馬のことを信じきれなかったことが、彼女にとって痛恨だったのである。


 孤児院の近くの海岸で、彼女に考えを告げられた但馬は面食らった。多分、ジュリアの手伝いをしたいと言い出すだろうとは思っていたが、彼女の決心はそのさらに上をいっていた。


 正直、そこまでしなくても良いんじゃないか? と思ったが、但馬は何も言わずにその背中をそっと押した。もしかしたら駄目かも知れない。意地悪な中傷に傷つき倒れるかも知れない。だが、彼女が旅立とうとしているのに、それを阻む権利は誰にもない。


 多分、自分とアナスタシアは、いつまでも一緒には居られないのだ。彼女はいつか、独り立ちしなければならない。それが分かっているから、このところ、ずっと彼女を放置していたくせに……


 コンコン……っと、ノックの音が聞こえた。


 扉が開き、先帝の寝室にブリジットが入ってきた。


「先生、ここにいらしたんですか?」


 シルクの布が擦れるようなサラサラとした音を立てながら、彼女が近寄ってきた。ブリジットは但馬の隣のソファに座ると、にっこりと笑いかけて来た。かつて、ソファの対面に先帝が肘をつきながら寝そべるように座ってて、但馬たちはこうして並んで彼の話を聞いていた。


 お酒が入ると彼はすぐにウトウトとしてしまい、彼が寝てしまうとそっと部屋から忍び出て、自分の寝室へと戻る道すがら、二人でイチャイチャしていた。


「うん、ちょっと考え事」

「アナスタシアさんのことですか?」


 ブリジットが言った。


「エトルリアに渡ると聞いて、ビックリしました……わざわざ孤児院経営を学びに行くそうですね。そんなことしなくっても、ずっとこっちに居てくれればいいのに。寄付だっていくらでも出しますよ」

「それじゃ駄目なんだろう。自分の力を試したいんだと思うよ、きっと」

「……でも、寂しいじゃないですか」


 但馬は、にっと口だけで笑った。


「そうだね、正直、ちょっと寂しいかな」


 但馬が思いのほか、あっさりとその言葉を口にしたから、ブリジットは少し面食らった。本当はちょっとだけ、聞いて良いのかどうか迷っていたのだ。どうやらそれは杞憂であったらしい。


「でも、俺なんかよりもエリオスさんの方がよっぽどショックだったみたいだよ」

「エリオスさんが?」

「うん、最初は難しい顔して反対してた。でも、アーニャちゃんが意見を曲げないと分かってからは、なんかどっと老けこんだ感じの渋い顔をしてた。まるで娘を嫁にやる父親みたいだったね」


 そう言って、但馬は愉快そうに笑った。


 思えば、但馬と同じくらい付き合いが長いのだ。もしかしたら、本当に自分の娘のように思っていたのかも知れない。いつまでも手元に居ると思っていたのに、女の子はいつかお嫁に行っちゃうのである。


 エリオスはそれ以降、何か思うところがあったのか、但馬の護衛としても何か感じが変わった。それまでは不測の事態が起きても、とっさに庇える距離感を保っていたが、それを今まで遠慮していた近衛や憲兵に任せるようになった。代わりに彼が遠慮していた近衛や憲兵の配置にうるさく口出すようになり、その毅然とした態度は彼らの尊敬を集めていた。なんやかんや一目置かれているのである。


 もしかしたら、アナスタシアが変わろうとしているのを見て、彼も指揮官的な立場に変わろうと思ったのかもしれない。今までも、もちろん護衛長という立場の指揮官だったが、もっと参謀的な感じにであろうか。


 みんなどんどん変わって行く。人も、国も、自分の置かれた立場も……


「先生は、もしかしてアナスタシアさんのこと……」


 変わって行く人々の中で、不安になったのか、ブリジットが少し弱気なことを言いかけた。但馬は人差し指で彼女の唇を制すと、殆ど空気を吸うようなくらい自然な感じで言った。


「ブリジット、結婚しよう」


 それがあまりにも唐突だったので、彼女はポカンとするばかりで、何の反応も示さない。


 変わって行く人々の中で、変わらないものがあるとするなら、彼女の気持ちもその一つだっただろう。


 こんなに偉くなっても、色んな物を手に入れても、但馬が心から信じられるものはそう多くは無かった。寧ろ減っていったくらいだ。


 だからそうするのが自然なのだ。


「え、え、えええぇ~~っ!?」


 ブリジットはビックリして目を丸くしたが、


「いつになるか分からないけど」


 舌の根も乾かぬうちに但馬がそう続けると、ガックリと肩を落とした。


「いや、だってさあ、今すぐ結婚したくっても、多分すごい反対されるじゃん?」

「そりゃそうですけど……あれ? でも、これって……」


 プロポーズなんだろうか……?


 肩透かしを食らった格好なので、はっきりしない。喜んで良いのか悪いのか分からなくなったブリジットは、顔を真っ赤にして目を回し、バタンキューと但馬の胸に頭を落とした。耳の裏まで真っ赤である。


 但馬は彼女のフワフワの金髪を優しく撫でると、


「アーニャちゃんが帰ってきて、戦争も終わって、一段落ついたら、みんなに発表しよう。それまでに、みんなに認めてもらえるように頑張るからさ」

「先生は今のままでも、十分に頑張ってますよ。みんな知ってます」

「だといいけどね」


 アナスタシアがエトルリアから帰ってきて、ちゃんと独り立ちしたら、その時こそは自分の気持ちに整理をつけよう。そして、ティレニアにあるという、彼女のルーツについて聞かせてやろう。


 ランから話を聞いた後、何度も彼女に言うべきか悩んだ。しかし、自分の手から巣立ってしまうんじゃないかと思うと、卑怯だと分かっていても、彼女に告げることが出来なかったのだ。


 だが、彼女自身が過去と向き合い、自分の道を歩もうとしてる今、もう隠しているわけにはいかないだろう。


 戦争を終結させるのは、先帝とのけじめだ。彼は最後、ウルフに戦争を止めるようにと言っていた。今までは彼に任せっきりだったが、そろそろ口先だけでも介入した方がいいだろうか。


「陛下、閣下、お時間です」


 胸に抱いた彼女の頭を撫でていると、扉がノックされ、侍女がそう告げた。今日、ついに、帝国の初めての議会が開催されることになっていた。このために根回しをたくさんやってきたのだ。これから決めなくてはならない議題も山ほどある。


「分かった」


 立ち上がり、襟を正し、マントを羽織った。


 戦争をやめる。そのためには、まずは議会運営を成功させなければならないだろう。戦争をやってる最中に、国内で暴動を起こしてるようじゃお話にならないのだ。


 但馬は決意を新たにすると、ブリジットを連れて懐かしい先帝の部屋から出た。

 

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[一言] アーニャちゃんIFルートが気になる
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