旅立ちの時②
早朝の暗い内に宮殿を出た。まだ人気の少ないメインストリートに、物々しい数の護衛を引き連れた但馬の馬車が通りかかると、たまたま朝の散歩をしていただけの但馬の家の近所の人が、ギョッとして立ち止まり、壁に寄って道を譲った。
それを不審者でも見るかのような目つきで、ギロリと近衛兵たちが睨みつけていく。近所の人は馬車の中で退屈そうにしている但馬の姿を見て、複雑な表情を見せた。ただ家に帰るだけでこれだ。
ローデポリスの家に帰るのは久しぶりだった。宮殿にいる間、ちょくちょくとエリオスに様子を見に行ってもらっては居たが、自分が帰るのはいつぶりくらいだろうか。自分の家のはずなのに、なんだか懐かしい感じもする玄関の扉を開ける。中に入ってアナスタシアを呼ぼうかと声を出しかけ、早朝であることを思い出し結局やめた。
家の中は真っ暗で電気をつけなければ足元もおぼつかない様子だった。一晩中閉めっぱなしだったのか、湿気っぽい南国特有の空気が淀んでいた。アナスタシアの部屋の扉をトントンとノックし、悪いと思いながら扉を開けると、中には誰も居なかった。そのままリビングの様子を見て、家全体の電気をつけて隅々まで探してみたが、彼女はどこにも居なかった。
夜遊びするような子ではないので首をひねりつつ、離れのエリオスのところへ行こうか、それとも宮殿へ戻ろうか……と考えながら、ソファでウトウトしていると、玄関から誰か入ってくる音が聞こえた。
「アーニャちゃん?」
口からダラダラと垂れ流されていたよだれを拭いて立ち上がると、但馬はいそいそとリビングを出て玄関へと向かった。
「先生! おっかえりなっさ~い……なんて言うとでも思ったかい。家の周りが物々しいと思ったら、あんた帰ってきてたのね、全く、ずっとこっちに居たくせに今頃になって……あ、いいえ、しまった……あ~ら、いったいどこのどちら様でしたかしら、勝手に他人の家に入るなんて泥棒さんか何かかしら」
玄関の扉を開けて入ってきたのはシモンのお袋さんだった。但馬たちがハリチに居た時も、こっちに帰ってきてからも、毎日この家のハウスキーパーをやっていてくれているらしい。彼女は但馬を見るなり、顔も出さなかったことを皮肉っているようだった。
苦笑しつつ、
「いや、申し訳ない。お久しぶりです。ずっと忙しくて、なかなか家にも帰れなくてね……つーか、帰ってもこれでしょう?」
家の周りをうろついてる近衛兵と憲兵を指差すと、彼女は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「一体いつからここは王宮になったのかしらね、家に入るまでに3回も止められたわ」
新兵だろうか。要人の家族の顔くらい覚えていて欲しいものだが……写真くらいあるだろうに。
「それにしてもお袋さん早いね。いつも朝こんなに早いの?」
「亭主送り出してその足で来るからね。最近作ったばかりの、なんていうのかしら……自動車? それで送ってくれるのよ。そう言えばうちのがボヤいてたわ。社長があんまり相手してくれないって」
「う、う~ん」
最近はハリチで行っていた定例会議もサボっていた。言わずもがな、時間が取れないからである。まだ新体制の移行期で仕事を任せられるわけもなく、何かあったらすぐに対応出来るようにと、首都から離れられないのだ。
よく災害時に政治家がゴルフをやっていたと言って批判されたものだが、まさか自分がそれを身をもって体験するとは思いもよらなかった。
「もうしばらくしたら顔を出すくらいは出来るだろうけど、議会運営しなきゃだし、コルフにも行かなきゃだし」
「はぁ~……そりゃ大変ねえ」
「でも、親父さんたち自動車の開発は上手くいってるようだね、安心したよ。ところでアーニャちゃんは? 居ないみたいだけど、そっちにおじゃましてるのかと思った」
お袋さんは首を振ると、
「なんだい、あの子に話は聞いてなかったのかい? 家に帰ってこれなくっても、電話くらいは出来るでしょうに、薄情な人だねえ。あの子なら、ほら、なんて言ったかしら、鉄道に乗って行ける郊外の」
「メアリーズヒル?」
「そうそう、そこへ行ってるわよ。なんでも昔の知り合いが居るとかで、今度一緒に何か始めるんだって、いそいそ出かけてったわよ。お陰でしばらく家に帰れないそうだけど、ここんところずっと塞ぎこんでて可哀想だったから、良かったわよ。あんたが相手してやんないから。話くらい聞いてあげたらどうなのよ。ホント、ひどい保護者だよ。保護者失格よ」
「いや、面目ない」
「リオンちゃんも帰ってきてくれないし、おばさん寂しいわ。はぁ~……あんたとアナスタシアが、うちに転がり込んできたころが懐かしいわね。亭主もそこまで忙しくなかったし、私は店番やってたのよね、もう店はないけど。そのうちリオンちゃんが来て初孫みたいで可愛かったわ。今はだいぶ大きくなったの? 子供の成長はあっという間だって言うし、ああ、会いたいわねえ。いっそ私がハリチへ行こうかしら、亭主置いて」
「ひどい」
と、口をついて出たら、ひどいのはお前のほうだろうと返され、延々小言を聞かされる羽目になった。大臣になってからこれだけ怒られるのは久しぶりではなかろうか。タジタジになりながら、なんとか逃げ出す隙を窺っていたが、結局そのまま朝食もごちそうになって、見送られながら家を出た。
お袋さんと話した感じでは、アナスタシアはどうやらジュリアの孤児院経営のお手伝いをしているらしい。こっちへ帰ってきてからは、ずっとやりたいことが見つからなくて悩んでいたようだったから、一度ちゃんと話を聞いてあげなさいと怒られた。まあ、そのつもりで今日は来たのだが……
メアリーズヒルには午後に視察に行く予定だったので、丁度良かった。ジュリアの孤児院で捕まえようと思いつつ、インペリアルタワーへ登庁するために馬車にのった。
午前中の政務を終え、ブリジットの私室で休憩しないかと言う魅力的な提案を断って、西区の汽車の発着場へと向かう。今回は事前にスケジュールが組まれていたため、到着した駅のホームには貸し切りの客車が用意されていた。
だが、但馬が乗ったら入り口を数人の近衛兵が固めるだけで、後の近衛兵や憲兵は一般車両に乗るから結局混雑が起こってしまい、一般客が迷惑そうにしていた。別に、好きなだけこちらへ乗ってもらっても構わないのに……ラッシュ時の山手線を思い出して、少し懐かしく思う。
鉄道路線は現在総延長30キロで、その間に駅は2つあった。1つは終点手前の鉱山駅ともう1つは製鉄所である。これらの2つの駅は止まったり止まらなかったりである。だが、製鉄所の方は近いうちに旅客も停車するようになるだろう。
製鉄所の周りには、以前は所員の宿舎くらいしか無かったが、今ではかなり大きな街が出来つつあった。国内の鉄鋼需要を見越して、高炉も転炉もどんどんと巨大化していっており、更に少し離れた隣には、国内最大の化学プラントもあって、職員の家族を呼んできたら1つの街が出来上がっていた格好だ。最近では買い付けの商人や、工事資材の運搬のための人足も、いつの間にか住み着いてるようだった。
もちろん、製鉄所から出る資材の運搬には貨物列車が使われており、元々そちらの方がメインの使われ方で、旅客列車の方がついでだった。だが、メアリーズヒルの街が出来ると人の移動が増え、鉄道はどうやら、この国には無くてはならない物になりそうな感じである。
蒸気機関車の上げる汽笛の音を聞いていると、まるでメルヘンチックな夢でも見ているような気分だった。
終着駅に着くと一般客を下ろす前に但馬だけがホームに降り立った。あんまり悪目立ちしたくないので、みんなが降りた後で良いのだが、流石にそういうわけにも行かないらしい。ホームには町長と、この間知り合った工場主が揉み手をしながら立っており、但馬の来訪を歓迎した。
今日の予定はこの工場主を含めた、被害建物の視察だった。工場は今やこの国に取って必要な主要産業だったから、壊されました、はい自己責任……と言うわけにはいかない。雇用を確保し、その労働者から上がる所得税が、今はこの国の収入源なのである。
工場が10個潰れたところで痛くも痒くもないが、これを見て投資が萎縮してしまうと、帝国の成長速度が鈍化するおそれがある。国土が広がり、フロンティアの開拓も視野に入れ始めた今、そんなことが起こっては困る。
人を呼び込み根付かせて、いつかエトルリア皇国に匹敵する列強にならねばならないのだ。散々やられてるくせにアスタクスがちょっかいをかけてくるのは、なんやかんや人口比によるところが大きいのだから。
そんなわけで、打ち壊しに遭った工場に損害補償を適用し、見舞金としてある程度の支援を行おうということになった。起こってしまったものは起こってしまったものとして受け入れて、今回の事件を今後に活かそうと言うことである。
しかし、やはり自業自得なところもあるので、優遇し過ぎるとまた別方面から要らぬ反感を買いかねないから、あくまで国として最低限に止めようとは思っていた。そのための被害状況の確認なのである。
「宰相閣下自らご足労いただきまして、帝国の寛大なご処置には誠に感謝の念が堪えません」
よほど嬉しかったのだろう、事件当時は絶望のどん底に居るような顔をしていた工場主が、しっぽをふる犬のごとく愛想を振りまいていた。
「何もしないってわけにもいきませんからね。けど、2度目はないですからね? その点は勘違いしないでくださいよ」
「ええ、ええ、もちろんですとも。我々も心を入れ替えて、従業員の福利厚生に努めますとも」
ホントかどうか……胡散臭いものでも見るようなジト目で見ていたら、プレッシャーに負けたのか冷や汗をかきながら工場主が続けた。
「首都の方でも、労働者を劣悪な環境に置いていた工場が、操業停止させられたそうですね? 先日、街の工場主仲間に聞きました」
「はい。ここで起きたことはどこでも起きうると考えて、危険な工場に勧告を入れました。抜き打ちだったんでだいぶゴネられましたよ」
お陰でここ数日、あちこち走り回る結果になった。それでも、
「また打ち壊しが起こったら困りますからね、労働条件を改善するまで操業停止と、強権を使って無理矢理そうさせました。お陰で恨まれてますよ……」
「なんと! 宰相閣下のお気持ちも知らずに、とんでもない奴らですな!」
舌の根も乾かぬうちにおまえが言うなと言いたくなるが……やはり、商売人だけあっておべんちゃらに長けている。素直に感心する。
「自分の身に実際に起きてみないと、わからないんでしょう。みんな、自分だけは平気だと思ってる。特にお金持ちなんかはプライドが高いから……で、仕方ないから、オーナー連中にこちらの工場を一回見学するように指導してるんですよ。彼らが来たら、ここでどういうことが起きたのか、分かるように伝えて貰えませんかね。百聞は一見にしかずって言いますしね、この惨状を見て、身を持って体験した人に言われれば、彼らも理解出来るでしょう」
「それは素晴らしいアイディアですね。かしこまりました。その代わりと言ってはなんですが……」
「……ええ。立場上、明言は出来ませんが。期待してくれて構いませんよ」
その後、町長と工場主に案内されて、但馬は街中の工場を視察して回った。
街の状況はひどいものだった。労働者がごっそりいなくなったせいで、街はひっそりと静まり返っていて、打ち壊されたボロボロの工場跡がその静けさを助長した。
このような事態がもう起こらないように、工場法を制定したいのであるが、しかしそれもなかなか難しい問題だった。
クロノアに調査させていた首都の工場の労働状況は、どこもかしこも真っ黒だった。ランダム抽出で10件と言って調べさせたのだが、その10件とも、この打ち壊された工場と似たり寄ったりの悪条件だったのだ。
恐らく、移民法で移民を縛ってるのに、雇用主の方には何の枷もはめていないからだろう。他の業種でも、単にまだ見つかってないだけで、似たようなケースがあるのではないだろうか。
そして、一度甘い汁を吸うことを覚えると、人間はなかなかそこから抜け出せない。
しかし今や、この国の労働者の半数は移民で占められている。民主主義国家だったらとっくに暴動になっているだろうし、ヘタしたら革命騒ぎが起こっていても不思議ではないレベルだ。
だから早急に労働基準法と移民法の改正をしなければならないが……これも、先帝時代にぱぱっと決めてしまったものだから、ロクに条文化はされておらず、はっきり定めようとも国内の富裕層や保守層に反発を食らいそうで、頭がいたい問題だった。
しかも、ただ金持ちが悪いとばかりも言ってられないのだ。
この世界にはそもそもろくな人権という物がないのである。
この世界は基本的にどの国も、国民は国王の下に不平等であり、貴族や金持ちたちが移民を変えの効く部品か何かだと思っていても、実は移民たちもそれが普通だと思っているから、何をされても過労死する日本人みたいに耐え忍んでしまう傾向にあるのだ。
そして現在の移民法では、国籍を取得するには5年間の労働が必要ということになっているのだが、これが事態に拍車をかけていた。5年過ぎれば楽になると思うせいか、移民はギリギリまで頑張ってしまい、この間のようになってしまったわけである。
だが、本当に5年経ったら楽になるだろうか?
絶対にそんな事にはならないだろう。5年後に国民になったからって給料が上がるわけでもないし、ゴネれば新しい別の移民を連れて来てすげ替えればいいだけなのだ。このままでは国民が過労死する社会が生まれてしまう。
いや、過労死だけならまだいい。(いや、良くはないが)彼らは医学的な知識も乏しく、過労による免疫力低下のような健康被害も知らないのだ。そして人が移動する社会は疫病が蔓延する速度も早い。フリジアのような事態が起きては困るのだ。
しかし、工場を止めるときにクロノアが危惧していた通り、工場主たちに予防という概念は受けが悪かった。議会運営のために、本来ならこれらの人々の支持も受けたかったのであるが、真逆なことをやってる現状に、但馬は焦りを感じていた。





