七つまでは神のうち③
アナスタシアがジュリアに抱きついてオイオイ泣いていると、それを見ていた孤児院の子供がそわそわしながらやってきて、アナスタシアの服の裾をグイグイと引っ張りながら、
「あーあー、大人のくせに泣き虫なんて恥ずかしいなあ。赤ちゃんみたいで格好悪いなあ」
などと言い出した。多分、ジュリアを取られると思っているのだろう。アナスタシアはハッとして体を離すと、真っ赤に泣き腫らした目をゴシゴシと擦った。
「こ~ら~! お姉ちゃんが、可哀想でしょお~う? 大人にだって、泣きたい時ってあるものよ~う?」
ジュリアが唇を尖らせてメッをすると、子供はムスッとした顔をしてから……バシッとアナスタシアのおしりを蹴り飛ばした。
「痛っ」
「こらー!」
流石のジュリアもこれには怒り、手を振り上げて抗議すると、子供はキャアキャア言いながら庭の方へと逃げていった。好きな子には意地悪してでも注目して欲しいという、子供特有のあれであろう。
その後、二人は庭の菜園の周りをグルグルグルグルと追いかけっこして、やがてジュリアに捕まった子供は、シュンとしながらアナスタシアにごめんなさいをした。
アナスタシアが苦笑しながら、こっちこそジュリアを取ってごめんね? と言うと、子供はもじもじしながら、そんなのなんでもないと言ってから、プイッと背中を向けて建物の中に入っていった。
「困った子ぉ~ねえ……あの子ぉも、普段は聞き分けが良くて、とってもいい子なのよ~ん?」
「うん、分かるよ。それに、ジュリアのことを信頼してると思う」
「あらは~? そうかしら~? だったらお姉さん、すごく嬉しいわ~」
あの子も孤児院に来たばかりの頃は、何しろジュリアの見た目があれだから、とても怖がられていたそうである。それが徐々に慣れてきて、最近では率先して孤児院のお手伝いを引き受けてくれるそうだ。
なにはともあれ、立ち話もなんだからと、ジュリアはアナスタシアを促して建物の中に入った。孤児院は入ってすぐのところに大きな食堂があって、厨房に続く壁際に暖炉があり、十字架の掛けられた壁のすぐ側にはオルガンが置かれていた。ジュリアはクリスチャンと言ってもそれほど敬虔ではなかったはずだが、宗旨替えでもしたのだろうか。
その他の部屋は、どこもかしこも子供サイズでこじんまりとして薄暗く、どこか水車小屋の雰囲気を思い出させた。2階へと続く階段はとても急で、体の大きなジュリアが通れるのかと心配なくらい細かった。なんだか小人の国に来た気分である。
アナスタシアが食堂の席に着くと、先ほどの子供とは別の子が湯のみを乗せたお盆を持ってやってきた。彼がふるふる震える腕で慎重に湯のみを客に差し出し、ジュリアが必要以上に偉い偉いと褒めそやすと、実に嬉しそうに満面に笑みを浮かべてから、お客さんにごゆっくりと言って去っていった。
彼が去っていった部屋からドタバタと騒がしい声がする。どうも、先ほどの子供が嫉妬して喧嘩になったらしい。慌ててジュリアが子供部屋へと駆けていった。きっと、あの子はジュリアのことをお母さんのように思っているのだろう。
「ごめんなさいね~、何度もおまたせして~」
「ジュリアはいつからここで孤児院を?」
彼女が帰ってくると、アナスタシアは尋ねた。自分もこの数年、いろんなことがあったが、最後に別れたあと、ジュリアには何があったのだろうか。
「もう2年くらいになるわね~。あなた達とお別れして、すぐに宅地造成が始まっちゃったの。あの頃は追い出しがキツかったわねえ~……水車小屋は、ちゃんと土地の使用権利があったのにねえ」
但馬が現れてから、リディアの人口がどんどん増えていった。戦争を行っていると言うのに移民の流入が止まらなかった。そのせいで、すぐに街の外がスラム化し、治安の悪化を懸念した憲兵隊が取り締まりを始めなければならなくなった。
しかし、追い出したからと言って、彼らに行く宛があるわけもなし、放っておけばイタチごっこにしかならないので、帝国はすぐに市街の拡張と宅地造成を行うことを決定したそうだ。街からかなり近い位置にあった水車小屋のあるスラムは、真っ先にその煽りを受けた。
川に面していたのも災いした……いや、この場合は幸いと言ったほうが良いのだろうか。S&H社の台頭で水車動力が見直されたリディアでは、全世界に先駆けて工業化の波がどっと押し寄せ、川沿いに工場が続々と建ち始めたのだ。
話は前後するが、窒素肥料による農業革命が起こると、農作物の大量生産が可能となり、主力だった綿花の生産が増すと同時に織機が開発され、リディアでは紡績産業が流行しはじめていた。それが人口増とともに、工業化を加速させ、さらに進むと紙漉きの下請けも河川を利用し始めた。
そういった工場を建てたり、移民を住まわせる団地を建てるのに、スラムはちょうどいい位置にあったわけである。
そして宅地造成が始まると、城壁外すぐにある、おじさんの農場やスラムは地上げにあったのだが、貴族であるおじさんはともかく、借地権もないようなスラムの方は、それはそれはきつい追い出しを食らったそうだ。
水車小屋はアナスタシアの父親がちゃんと借地権と河川の使用許可をとっていたのだが、彼が死んで以降は曖昧で、更には、水車小屋には娼婦しかいないので、地上げ屋にだいぶ舐められて、あわや文無しで追い出されるところだった。
「それを社長さ~んが、助けてくれたのよ~」
「……先生が?」
「そうなの~。別れ際、ちょお~っと気まずかったからあ、もう頼れないって思ってたんだけどね~?」
その頃の但馬は自分が亜人である可能性を知りショックを受け、かなり精彩を欠いていた。それでもおじさんの農場の手続きをフレッド君がやっているのを見て、スラム街が追い出しを食らってることに気がついて、手を打っていたようである。それでフレッド君はジュリアの行き先を知っていたわけだが……
それまで暴力で追い出されそうになっていた水車小屋の面々は、それ以降、打って変わって丁重に扱われたそうである。土地の使用権や境界が曖昧だったから、区画整理するためにも立ち退きは結局しなくてはならなかったが、その代わり、かなり手厚い補償を受けられた。
水車小屋の面々は、それによって娼館を解散することにしたそうである。お金が手に入ったのだ。誰も別に、好んで売春を続けたいわけも無い。解散すると、みんな各々好きな生活をしに各地に散っていった。
だが、半数ほどはそれでカタギに戻ったが、もう半数ほどはすぐにまた別の場所で売春婦になってしまったようである。一度、こういう業界に足を踏み入れると、中々抜け出せないものなのだろう。中にはお金を手に入れたことを知った男に騙された者もいるらしい。
そしてそれがジュリアが孤児院を始める切っ掛けとなった。
水車小屋が解散したあと、彼女はどうしたのかと言えば、すぐにここで孤児院を始めたわけではなく、暫くは職を転々としながら各地を回っていたらしい。水車小屋で亜人の子供の面倒を見ていた経験から、メディアの寺子屋で雇われていた時期もあったそうだ。
しかし、そうやって仕事をしてる最中に、昔の仲間から連絡が入った。お金を騙し取られた母親が、子供を残して失踪してしまったらしい。
可哀想だから、仲間内で引き取って面倒を見ていたが、やはり他人の子、中々馴染めなくて里親をたらい回しにされた挙句、最終的にジュリアの元へと来たそうだ。
「本当はね~? お仕事なんてしなくっても、お金はた~くさんあったの~」
但馬の便宜によって水車小屋の解散資金はかなりの額が支給された。そんなわけで、ジュリアはそれを使って、メディアの寺子屋を真似た学校を、この場所で始めようとしたらしい。
けれど、土地を手に入れて学舎を建てているうちに、どういうわけか彼女の元には親に見捨てられた子供が次々と預けられていった。ここは孤児院じゃないと説明しても、すでに孤児を引き取っていたせいか、強引に押し付けられたり、黙って子供を置き去りにする親が後を絶たなかったのだ。
仕方ないから引き取って育てる決心をすると、今度は街のあちこちから、孤児の相談を受けるようになってしまった。それで当初は学校のつもりだったものを、孤児院に変えて今にいたるらしい。
「ジュリアはそれでいいの?」
「もちろんよ~? みんな、可愛い、お姉さんの子供よ~?」
「お金は大丈夫なの?」
「みんなで力を合わせれば、きっと平気よ~。それに、昔の仲間が協力してくれるの~」
「……なら、そのあとはどうするの?」
「ここから巣立っていったみんなは~、きっと新しい子たちの面倒を見てくれるはずだわ~」
そんな風に、ジュリアはかなり楽観的に言うが、果たしてそう上手くいくのだろうか……いや、それよりなにより、
「そうじゃなくって、ジュリア自身はどうするの? みんなに面倒見てもらえるか、そんな保証はないじゃないの」
「そうしたら、お姉さん、働くわ~。一生懸命、働けば、なんとかなるわよ~」
アナスタシアは少し不安になってきた。あまりにも行き当たりばったりの計画である。
但馬に相談しようか……いや、こんなことで国の重鎮である彼を煩わせるわけにはいかない。だいたい、自分はこれから、彼から独立しようとしているのだ。どうして、もう彼に頼ろうとしているのだろうか。情けない。
そんな風にアナスタシアが頭を悩ませていると、
「先生……キーちゃんが……」
孤児院の子供達がやってきて、何やら深刻そうに告げた。
「あら~? どうしたの~?」
「キーちゃん起きたんだけど、すごい苦しそう……先生、助けて」
「まあまあ、それは大変、すぐ行くわ~」
どうやら具合の悪い子供が居るらしい。ジュリアはそわそわと立ち上がると、
「ごめんなさいね~、少し、ここで待っててくれるかしらん?」
「病気? 私も行く」
「ダメよ~! もう、何日も病気の子なのよ~。お客さんに伝染ったら、大変だわあ」
アナスタシアはブルブルと頭を振った。
「だったら尚更、私に見せて。ジュリアも覚えてるでしょう。私が性病予防や避妊魔法をかけられたこと」
「……そう言えば、そうだったわね~。でも、そう言うのとは違うのよ?」
「ううん。説明は難しいんだけど……」
アナスタシアの魔法は病原菌に効く特殊なものである。病状をもう少し詳しく聞かなければはっきりしないが、それでも恐らくは、彼女が見れば一発で治るはずだ。
ジュリアはまだ信じられないようだったが、アナスタシアがこれだけ強く主張するのは以前だったら考えられなかったので、考えを変えて彼女の同行を許した。
問題の子供は、一目で病気であることが分かった。何しろ、全身の至る所に発疹があり、顔が真っ赤で、痒くて引っ掻いたのか、あちこちのカサブタから血が流れていたからだ。多分、水ぼうそうの類であろう。今まさに酸欠の鯉みたいに喘いでいる姿を見れば、その苦しみが誰にだって分かっただろう。
アナスタシアはその姿を見るや、すぐさま子供に駆け寄った。
伝染ったら大変だと止めるジュリアを振りほどいて、彼女は躊躇なく子供の手を握り締めると、
「ひとよ、汝がつみの大いなるを嘆け……」
彼女の祈りとともに、全身に緑色のオーラが広がり苦しむ子供まで覆っていく。
「……凄い」
そして、ジュリアや子供達が見守る中、さっきまであれほど苦しみ悶ていた子供が、まるで何事も無かったかのように穏やかな寝息を立て始めた。
更にアナスタシアが祈りを続けると、今度は子供全身についていたカサブタが剥げ落ち、傷口がふさがり、そしてブツブツと気持ち悪い痘瘡が引っ込んでいくのだった。
信じられない光景に、ジュリアが生唾を飲みこむ。
「……ナースチャ……あなた、どうしちゃったの?」
「あのね……実は、前から、私はどんな病気も治すことが出来たんだって。それを、先生が教えてくれたの」
カンディアでペストが流行した時、彼女は自分の能力の本質を生まれて初めて知った。
「そして、どうしても傷を癒やしたい人がいたの……必死だった……でも、その人は、私の目の前で死んだの」
ハリチの高原で、今まさに命の灯火が消えそうになっていた前皇帝に、アナスタシアは必死の祈りを捧げた。
皮肉なことに、それは本当に神様に届いていたらしい……
あの日から、アナスタシアは病気だけではなく、傷も癒せるようになったのだ。元々、抗生魔法が使える彼女は魔法使いの素養があったのだから、切っ掛けさえあれば世に有り触れたヒーラーの真似が出来ない道理がなかった。
彼女は、彼女の母親に近づいたのである。
誰にも治せない病気を癒やし、痛みと苦しみに喘ぐ患者の傷を塞ぐ。アナスタシアのその行為は、それを見ていた人からすると、正に神の奇跡に違いなかった。
「凄い……凄いわ! ナースチャ……あなた、本当に凄いわ~」
「わっ、わっ!」
感激したジュリアが、ギュッと抱きついてきた。
子供はもう2週間近くも病床に伏しており、症状が改善するどころかどんどん悪化していった。流石のジュリアも、もしかしたらこの子は助からないかも知れないと思っていたのだ。
それがアナスタシアが軽く触れたら、痛いの痛いの飛んでけポイッと治ってしまったのである。
「お姉ちゃん、凄いんだね!」「キーちゃん、もう平気なの?」「良がっだよ゛~」
その様子を部屋の外から見ていた子供達が駆け寄ってくる。
「ああ~、神よ。今日、この子をここへ連れて来てくれたことを感謝します」
水車小屋に居た時から、別段信心深くなかったくせに、ジュリアが十字を切って神に祈っていた。アナスタシアは思わず苦笑いした。
「でも良かったわあ。あなた、本当にお医者様になってたのね~」
「……え?」
「水車小屋に居た時から、お医者様の真似事をしていたじゃないの~。それを続けていたんじゃないの?」
アナスタシアが戸惑っていると、ジュリアがそう続けた。
そう言えば、ジュリアのことを聞くだけで、自分のことは何も話していなかった。だから彼女は勘違いしているのだ。しかし……
「医者……そっか、医者なのか」
アナスタシアの胸の中に、その言葉がストンと落ちてきた。
ずっと、自分が何になりたいのかが分からなかった。でも、今それが見えた気がする。
アナスタシアはジュリアを真似て十字を切ると、
「神よ、感謝します」
信じても居ないくせにそう言って、ちょっと笑った。





