七つまでは神のうち②
西区の城門から市外へ出ると、以前は穀倉地帯が広がっていたが、今はもうその面影は無い。農園の従業員たちがせっせと働くのどかな風景はいつの間にか無くなり、画一的な形をした分譲の家々が、丘の上の駐屯地に続く道に沿ってずらりと並んでいた。
ここにはS&H社の副社長のおじさんが所有していた農園があったが、人口が増えるに従って、土地の価値がみるみる上がって行くと、国の要請もあって農園の方が引っ越したのだ。おじさんはそれで莫大な富を得たという。
規則正しい碁盤の目をした分譲住宅地の道路をジグザグに歩いて行くと、やがて水車小屋のある川に出た。以前は行水するスラムの住人と、生活排水で嫌な臭いを振りまいていたそれは、護岸工事がされてコンクリートの堤防に覆われていた。
スラムに続く人が踏み固めただけの砂利道もすでに無く、いつもそこでよく分からないお経のようなものをつぶやいていた物乞いも居ない。代わりにアスファルトで固められた立派な道路と、その道路の左右に新緑の若葉が綺麗な、街路樹が続いていた。
首都・ローデポリスの街がどんどん外へと広がっているのだ。
アナスタシアが嫌な予感をさせながら、足早にそのアスファルト道路を辿って行くと、やがてかつてはスラム街があった場所には、とても大きな、それは見事な水車を備えた、でっかい紡績工場があるのだった。
「あの……以前、ここに水車小屋があったんだけど」
あまりにも様変わりしていたその姿に戸惑いつつも、アナスタシアは工場の門番に尋ねた。
「水車……? 工場の面接だったらハローワークを通してくれ。君は移民か? 外国人登録証は持ってるか? 入管に言えば貰えるはずだけど……」
「ううん……そうじゃなくって。ここには町があったはずなんだけど」
「ああ……あの不法滞在者どもなら立ち退き食らってどっかいったよ」
アナスタシアはショックで言葉を失った。
スラムは確かに不法市民の掘っ立て小屋が集まって出来たものだったが、アナスタシアの父親の水車小屋は、ちゃんと国の許可を得て建てられたもののはずだった……もしかして違ったのだろうか。
ともあれ、追い出したのなら追い出したで、その行き先はどこか? と尋ねても連れない返事しか返ってこず、彼女は悲嘆に暮れた。ただの門番相手に押し問答していても無意味だと思った彼女は、工場長に取り次いで欲しいと言ったのだが、これものれんに腕押しである。
仕方ないので、彼女は諦めると踵を返して街へと戻ることにした。工場が建ってるのなら、国に届け出があるはずだし、役所に行って調べてもらった方が早いだろう。それに、こういうことが得意な知り合いに心当たりがあった。
アナスタシアはローデポリス市街へ戻ると、インペリアルタワー前のS&H社本社へと足を運んだ。フレッド君に会いに行こうと思ったのだ。
本社に入ると、受付らしき女性に止められた。ここへ来るのはだいぶご無沙汰で、本社組の顔ぶれが変わっていたせいで、アナスタシアが誰なのかが分からなかったようだ。だが、いつもエリオスが詰めていた守衛室に、彼の部下が居たので事なきを得て、無事に奥まで取り次いでくれた。
自分はただ止められただけなのだが、受付の女性が恐縮しきっていて、なんだか悪いことをしている気分だった。
「アナスタシアさん! ご無沙汰してます!!」
暫くすると狭い本社の社長室からフレッド君がニコニコしながら飛び出してきた。以前から社長室とは名ばかりだったが、今となっては完全に彼の執務室になっていた。
案内されるままに社長室に入ると、中には地震が来たら大惨事間違いなしといった感じに、書類の山がそびえ立っていた。何台もの電話が壁にかけられており、ひっきりなしにそのベルが鳴った。
アナスタシアを通したフレッド君は、社長室に備え付けられた給湯室でお茶を入れながら、次々と掛かって来る電話に応対していた。一つ一つが別々の工場や業種から届いているだろうに、まったくつっかえず滞りなく返答する姿に感嘆していると、一向に鳴り止む気配のない電話に見切りをつけたフレッド君が、いきなりブチッと電話の線を引き抜いた。
そして何事も無かったようにニコニコしながら湯のみを盆に乗せてやってくると、
「それで、今日はどうされたんですか!? 社長のお使いですか! 僕でお役に立てますか!」
と言ってズズッとお茶を啜った。
途端に隣室の電話が一斉に鳴り出す……アナスタシアは彼女特有の眉毛だけ困った顔をしながら、
「あのね……水車小屋のことなんだけど」
スラム街が無くなっていることを尋ねても、彼は最初はなんでそんなことを気にするのか、分からないようだった。だが、すぐに何かに思い至ると、複雑そうに眉を曲げながら、
「ああ、それでしたら……」
と、膨大な机の上の書類の山を切り崩し始めた。
アナスタシアと話をしていると、誰もが彼女が売春婦だったことなんて忘れてしまう。ふとした切っ掛けでそれを思い出した時、その美貌とのギャップに、ドッキリしてしまうのだろう。
フレッド君は書類を引っ張りだすと、
「宅地造成でおじいちゃんの農園が買われた時に、例のスラムも同時に立ち退きが行われたんですよ! けど、社長は無理矢理追い出すんじゃなくって、一人ひとり丁寧に対応したようです。特に水車小屋のお知り合いには特別便宜を図っていたみたいですよ!」
「そうなんだ……良かった」
アナスタシアはホッとすると同時に、
「それで、みんなの行き先は分かる?」
「一人ひとりは追跡出来ませんが、代表者の方でしたら!」
フレッド君にジュリアの行き先を教えてもらったアナスタシアは、翌朝、彼女に会いに出掛けることにした。ハウスキーピングの仕事にやってきたお袋さんは、このところ元気がなかった彼女が、珍しく朝から出掛けるというのでとても嬉しそうにしていた。
どこへ行くのかと問われたアナスタシアは、ちょっと気分転換にとだけ言って、行き先を伝えなかった。なんとなくだが、昔の知り合いに会いに行くと言ったら、心配されるような気がしたからだ。
西区の発着場から汽車に乗ったアナスタシアは、流れ行く景色を見ながら物思いに耽っていた。
彼女は運良く席に座れたが、立っているかデッキにしゃがみこんでいる人の方が多かった。
ほぼ採算度外視で始めた鉄道事業は、但馬の予想が外れて、連日満員で旅客列車の増便が急務なほど利用されていた。総延長も現在の30キロから、ハリチまで伸ばすことがすでに決定している。
右手に海岸、左手にどこまでも続く穀倉地帯を見ながら列車は進み、巨大な煙突が目印の製鉄所を通りすぎて、新興都市まで線路は続いていく。
巨大な鉄の固まりがゆっくりと動き出すと、車内からどよめきが起こった。最大1千人近くの客を乗せて、30キロの道程を1時間で走破する蒸気機関車は、対岸のエトルリアの国々では、ホラ話かオカルトのように扱われてるそうだ。冷やかしのつもりで観光に来た貴族らしき男が、乗り合わせた誰かに向かって、興奮気味に話しているのが聞こえた。
終点は現在開発中の鉱山都市で、ブリジットの母親からメアリーズヒルと言う名前をつけられた。永住権を目的とした移民たちが沢山住んでいる、鉱山にほど近い中規模の街だった。街はここだけではなく、車窓から見える穀倉地帯にもちらほらと集落が見え、この国は本当に爆発的に人口が増えていることを感じさせた。
但馬に出会って、アナスタシアは自分が変わったと思っていた。だが、変わったのは自分だけではないようだ。
終点で汽車を降りると、ワーッと子供達が駆け寄ってくる。身なりが見窄らしい彼らは、どうやら物売りやポーターとして駅で働いている子供達のようであった。子供達は身なりの良い客を選んで群がっては、煙たがられて追い散らされると、また別の身なりの良い客に向かっていった。まるでミツバチのようで、とても勤勉で逞しい。
こんな小さな子供達まで働いているというのに、自分は何をしてるのだろうか……情けない思いを振り払うと、アナスタシアは近寄ってきた子供に荷物を預けた。
ジュリアは今、この新興都市で孤児院を経営しているそうである。
売春婦の元締めなんかをやっていたくせに、決してがめつくはなく、上前をピン跳ねることもなく、みんなの世話を焼いていた彼女らしいとアナスタシアは思った。
孤児院はその街の端っこも端っこ、海から少し離れた目立たない雑木林の中に、ひっそりと建てられており、あまりにもひっそりとしてるものだから、駅馬車の御者に聞いても誰も知らないようで、3台目の馬車を捕まえてようやく知っている御者に出会えたくらいだった。
首都に近い、あんないい場所からどうしてこんなに遠いところへ来なければならなかったのだろう……
いや、あの場所だって、かつては首都の端っこだった。この国が信じられないくらい大きくなっただけなのだ。
アナスタシアは雑木林の小道を辿って孤児院の前までやってきた。こじんまりとした建物のまわりには、家庭菜園があり、そこで子供がせっせと作物の世話をしている。養蜂箱が置いてあって、雑木林の中を縦横無尽にミツバチが飛び回っている。朝でもないのに、にわとりがコケコッコーと鳴いて、そのにわとりと同じ形をした風向計がカタカタと鳴った。
アナスタシアの心の中にも、そんな隙間風みたいなものがピューピューと吹き荒れていた。
家庭菜園にいた子供が来客に気がつき顔を上げると、じっと警戒するかのように、アナスタシアのことを遠巻きに眺めていた。
なんと声をかければ良いのだろうか。思えば、どうしてここに来たのか、今更ながらそんなことを考えていた。会おうと思えばいつでも会えたはずなのに、今までどうして会いに来なかったのだろうか。
何も考えずに汽車に飛び乗りここまで来てしまったけれど、ジュリアに会ったところで、一体何を話せばいいのだろう。今まで会いに来なかったことを、薄情だと言われたら、なんて答えればいいんだろう。危険だからもうあまり近づくなと、但馬に言われたからなのだが、でも、本当にそうだったのだろうか……
孤児院の子供達の姿を見て、アナスタシアはなんだか自分が怖気づいていることを感じていた。すると、ボンヤリと佇んで動こうとしない彼女を不審に思ったのか、
「先生! お客さん!」
子供が建物の中に向かって声をかけた。
先生という言葉にドキリと心臓が高鳴る。ここに、但馬が居るわけはない……でも、なんだか自分が悪いことをしているような気がして、アナスタシアは気が引けた。
ジュリアはここで、この子たちと新しい生活を送っているのだ。自分なんかが突然その場をかき乱すようなことをしては、いけないんじゃないだろうか。
彼女は誰にともなく、自分自身にそう言い訳すると、くるりと踵を返して来た道を戻り始めた。しかし、数歩も歩かない内にその足が止まった。
「ナースチャ……?」
背後から懐かしい声がする。
「あなた、ナースチャよねえ~!? まあまあまあ、懐かしいわ~! 2年……いいえ、3年ぶりくらいかしら~ん。あなた、私のことをまだ忘れないでいてくれたのねえ~? お姉さん、とお~っても嬉しいわあ~!!」
アナスタシアは足を止めると、恐る恐る振り返った。
すると、かつて一緒に暮らしていた体の大きな女性が、クシャクシャに顔を歪ませて滂沱の涙を垂れ流していた。
そのあまりにも汚い泣き顔を見たら、アナスタシアはまるで撃ち抜かれたかのように胸がキューっと苦しくなって、気がつけば視界がグンニャリと変形していった。
「ジュリア……」
口に出した声が小刻みに震えていた。ジュリアは両手を広げて駆け寄ると、
「ああ! よく来たわ~、よく来たわね~! 懐かしいわ~、元気してたあ~?」
と言って、アナスタシアの体をギュッと抱きしめた。彼女は堪らずジュリアの胸に顔を埋めると、
「ジュリア~……ジュリア、会いたかった……」
と言ってシクシク泣き出した。
「あらあらあら? まあまあまあ?」
かつて一緒に暮らしていた少女らしからぬ行動に、ジュリアは思わず目を丸くした。でも、泣く子に対してそんなことを言うのも野暮だから、ジュリアは黙ってアナスタシアを抱きしめると、背中をポンポンと叩いて受け入れた。
雑木林の中にある、こじんまりした孤児院に、アナスタシアの嗚咽が響く。子供達は突然やってきた彼女のそんな行いに首を傾げながら、指を咥えて恨めしそうに見ていた。





