そうならそうと早く言え
但馬が3人の兵士にボロ雑巾に変えられていると、やがて金がもらえそうにないと判断したのか、アナスタシアは無言でスタスタと元の部屋へと戻っていった。
「わあっ! 金ならあるっ! 金ならあるから!」
「ちぃぃっ!! まあだ言ってやがる」
「往生せいやっ! この性獣がっ!」
右から左から容赦なくパンチが飛び、ボコボコにされる。阿片窟の住民が日常茶飯事と言った感じにぼんやりとそれを眺め、ジュリアがやれやれと肩を竦める中、
「あっ……アナスタシア、ちょっと待ってくれよ」
と言って、シモンが彼女のあとを追っかけていった。
おや? 彼女は彼に自己紹介していないはずだ。もしかして、二人は知り合いだったのだろうか?
「ちょっとお~。あのお話はもう断ったはずよぉ~? こっちもボランティアじゃないんだからあ~……」
ジュリアが面倒くさそうな声をシモンの背中に投げかけ、後に続いて入っていった。
何の話だろう? まさか、この自分に先駆けて彼女といいことしようと言う腹積もりか、許せん許せんぞ~……などと勘ぐっていると、ぐいっと右の頬っぺたにグーパンチを押し付けられ、そちらの方を見やれば、非難がましい顔をしたエリックが但馬を睨んでいて、続けて左の頬にも軽くパンチが当てられたと思ったら、困ったような苦笑を漏らしたマイケルがいた。どういうこっちゃ?
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「え? 彼女の身請けをしようとしてたのって、シモンなの?」
水車小屋前に取り残された但馬がズボンについた泥をパンパンと払いながら立ち上がると、マイケルが言った。
「あいつら……っていうか、俺たち全員、幼馴染なんですよ。同じ町内で生まれて、シモンが一番年上だからリーダー格って言うのかな」
「去年、アナスタシアの親父さんが死んで、まあ、色々あって、こんなことになっちまったから……それからずっとシモンは気にしてたんすよ。んで、あいつが彼女に入れあげてることは、みんな知ってるからなんとかしてやりたいと……」
そんな時、但馬が現れて、なにやら嘘みたいな方法で信じられないほどの大金を稼ぎ出した。シモンは大喜びでそのあぶく銭で彼女の身請けしようとしたのだが……今回の騒動でそれもご破算となってしまった。
がっかりしながら軍による罰を受け、街のドブをさらっていたら、プンプンと怒りを隠しきれないと言った感じのブリジットが通りがかった。
聞けば、その但馬が女を買いに水車小屋へと向かったらしい……
なんだか嫌な予感がして、仕事を切り上げ飛び出してきたら、突如、空に謎の発光現象が起きて、上空で何かが爆発。そのあまりのデカさに恐怖に慄いていたら、なにやらもの凄い勢いで但馬が水車小屋のある川沿いのスラムへと駆け抜けていった。
それを見て、何事か? と、追っかけてきたと言うわけだ。
「あの発光現象、一体あれはなんだったんすかね……先生も見たでしょ?」
「……どうだったかな」
やべえ……どうやら、下手に魔法を撃つと大騒ぎになるらしい。今後気をつけよう……
但馬がしらばっくれていると、
「とにかく、そう言うわけだから、出来れば先生にもあの子には手を出さないで欲しいかなって」
「野暮なこと言ってるとは思うけどさあ……もしも、そんなことになっちゃったら、多分先生とはぎくしゃくしちゃうと思うんすよね」
二人は自分らの都合を押し付けて申し訳ないと言った感じの、すまなそうな顔をして言った。
いや、萎縮することはないだろう。そう言うことなら話は分かった。
「分かったよ。友達の女に手を出すわけにはいかないからな」
「友達だなんて……へへっ。ありがとうよ、先生。マジ、恩に着るぜ」
「こっちこそ、手遅れになる前に教えてくれて、有難うな」
そう言うと、兵士二人は照れくさそうに笑った。
そんな風に三人が友情を暖めていると、やがて店の奥から困ったような顔をしたジュリアが戻ってきた。シモンがいないのを見ると、どうやら押し切られた感じだろうか。
「あんたたちぃ~? 気持ちは分かるけど、商売の邪魔は程ほどにしてよぉ~? もう……ボク、ごめんねえ~ん? せっかく気に入ってくれたのに……良かったら、他の子紹介するわ~ん。安くしとくわよ~」
「いや、良いって良いって。もう勘弁してくれ」
今度こそ力士が来ないとも限らないのだ。大体、あんなに可愛い子を見た後では、感動が薄れて勃起するかどうか分からないだろう。14歳だし、Bカップだぞ?
「それに、初めから言ってるでしょ。俺は別にここに女を買いに来たんじゃないんだ」
「そうなの?」
「……一応、聞いておこうかな。ジュリアさん。あの水車って、使えるの?」
「水車~?」
ジュリアは顎に人差し指を置いて小首を傾げた。普通なら可愛い仕草だったろうに、彼女がやると軽く恐怖だから止めてほしい。
但馬はここへ来た経緯を話した。王様に言われて紙の製作をしていること、作業場と動力を求めて水車小屋へ来たこと。
「まさか売春宿になってるなんて思わなくてね」
「王様の依頼ぃ~? はぁ~、本当なら、それは凄いわね~……あの水車なら、ちゃーんと動くわよ~。着いてらっしゃ~い」
そう言うと彼女は巨女の肩を揺らして、ノッシノッシと水車小屋の中へと入っていった。但馬たち3人は顔を見合わせてから後に続いた。
小屋の中はやたらと暗くて狭く、人が一人通るのがやっとだった。先を進むジュリアなどは、天井にも頭がぶつかりそうで、よくもつまずきもせずに進めるものだと感心した。元々はこんな間取りはしていなく、後からつぎはぎの様に部屋を増築していったらこんな風になってしまったといった感じだろうか。因みに、その部屋一つ一つが何のために作られていったのかと思うと、部屋の扉の前を通り過ぎるたびに緊張してしまう。主に下半身が。
外観から想像できない長さの廊下を、グルグルと幾度も曲がり続けると、やがてそれまでの暗さとは打って変わって光り溢れるドアが見えてきた。ドアを潜ると、そこは他の部屋とは比べ物にならないくらい広い部屋で、大きな作業台と、大きなかまど、部屋の隅に積まれた石臼らしき物体には埃避けのシーツが被せられており、そしてカタッカタッと、今は動力部を止められている水車から、心臓のように規則正しい音が響いている。
恐らく、普段この部屋はダイニングキッチン代わりに使われていたのだろう。食器棚が置かれており、不ぞろいの陶器の食器と、持ち手の木の部分が腐りかけたフライパンが、洗い場らしき水溜りに乱雑に突っ込まれていた。
ジュリアは部屋の奥の隔離されたスペースに足を向けると、
「これが水車よ~。色々外してるけど、ちゃんと使えるはずだわ~ん」
と言って、水車の車軸を指差した。
最初に街を歩いた印象からして、この国は金属加工が盛んなのだろうか、金属製の車軸が日の翳った部屋の中でも一際きらりと輝いて見えた。手入れが行き届いているようで、埃は払われ、錆付かないようにちゃんと油も差してある。外されたギアなどの部品もそのようで、組み立てれば今すぐにでも使えそうである。
問題は、粉を挽きたいわけじゃないから、動力だけを利用して、別の機械を動かしたいのだが……勝手にやってはまずかろう。
「これを普段から手入れしている人って誰かな。相談したいことあるんで、呼んでくれる?」
「それなら、俺が話を聞くぜ」
てっきり、ジュリアから声が返ってくると思ったら、いつの間にやら部屋の入口のドアに背中を預けて、シモンが立っていた。
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「……あの水車の心棒やギアを作ったのは、俺の親父なんだ」
小屋の面々に挨拶をして、水車小屋を後にした。水車の動力室を見学していたら、突然やってきたシモンが、水車のことなら自分が詳しいから何でも聞いてくれと言ってきた。
どういうことかと問えば、元々、あの水車小屋はアナスタシアの父親の所有物であり、普段、水車の手入れをしているのは彼女だったらしい。そして彼女の父親に頼まれて、水車を作ったのは、シモンの父親だったそうな。
バラック小屋の建ち並ぶスラムを抜けて、丘に差し掛かると海風が吹いて来て街の声を運んできた。先ほどの爆発の影響で市内はざわついており、正直、あんまり帰りたくないなとソワソワとしてたらシモンが話を切り出した。エリックとマイケルは我関せずといった素振りを見せていたが、どうやらあまり面白くない類の話らしい。
「俺たちの父親は共に、北方の大陸出身で技師だったんだ。でも勇者が殺されて内戦が始まると、武器の開発ばかりさせられて、嫌気がさした親父たちはこっちの大陸に逃げてきたんだってさ」
彼らの持つ技術はこちらロディーナ大陸には無いものばかりで、特にリディアでは珍重された。そのため、多くの技師たちが海を渡ってリディアの地を目指したのだが、その中でもアナスタシアの父親は特別で、実は現在のリディアの主要産業であるゴムの加硫法を伝えたのが彼だった。
独占すれば大もうけ間違いなしだったのだが、欲の少ない人物で、彼は他人に請われるままにその製法を伝授した。そのお陰で国は莫大の富を得たわけだが、流れ者の彼が感謝されることは無く、その功績が知られることは殆んど無かった。普通なら腹も立てようものだが、当の本人は勇者に教えてもらった技術だからと意に介さず、それよりももっと国に貢献しようと、私費を投じて更なる発明を続けていたそうである。
実は彼もこの国に来て初めてそれを成功させたらしい。北方にはゴムの木も硫黄も無く、勉強家の彼が、かつて勇者に聞いたことを覚えていて、そっくりそのまま真似したら出来ちゃったと言うのが本当のところだったようだ。だから、彼自身が発明をしたわけじゃないと言う負い目があったのかも知れない。実際、それくらいゴムの加硫は分かってみれば非常に簡単な技術だった。
チャールズ・グッドイヤー。アメリカの発明家で幾度も破産を繰り返し、莫大な借金を作りながらついにゴムの加硫法に辿り着いたが、そのあまりの簡単さに特許侵害が相次ぎ、彼が死ぬまで借金と訴訟は無くならなかったという。ゴムの開発のために若いうちから様々な毒に晒され、晩年は痛風と胃痛に悩まされ早世した悲劇の発明家である。
方法は本当に1行で済んでしまうくらいに簡単だ。ゴムに硫黄を加え、約130度の状態で4~6時間蒸気に当てる。これだけで、常温で溶けやすく劣化しやすいゴムが、耐熱性に優れ長持ちなゴムに変わる。
「親父さんはそれでこの国に来た当初は羽振りが良かったらしいけど、後が続かなくってね。研究に明け暮れてるうちに奥さんも死んじゃって、アナスタシアの面倒を見られないからって、本国エトルリアの修道院に入れちゃったんだよ」
なんかそんな偉人がいたなあ……ジャン・ジャック・ルソーだっけ?
隣人であるシモンの父親が面倒を見ると言ったそうだが、仲間に迷惑をかけたくないと彼は断ったらしい。アナスタシアも彼女の死んだ母親も、敬虔なクリスチャンであったから、それも良いだろうとみんな納得したのであるが……残念ながらそれは間違いだったと言わざるを得ない。現実を知れば、きっと誰もそんなところに娘を送ったりはしなかったろう。
「親父さんは始めのうち、修道院に寄付金を送っていたんだけど……数年前からのリディアの戦争が激化しだしたら、国が粉引きの権利を取り上げちゃってさ……」
保存食などの存在しないこの世界では、軍隊の食事は現地で作るしかない。そのため、小麦粉やコーンスターチのような材料を大量に確保するわけだが、これを民間にやらせておく手は無いので、戦時特例で権利を国が引き上げてしまったのだ。
元々粉挽きは、粉をちょろまかす輩も多く、恨みを買いやすいこともあって、国の決定には誰も反対しなかった。
しかし、研究のために水車小屋を建て、その研究がてら粉挽きで儲けていた彼は、そのせいで大打撃を受けた。突然収入が途絶えた彼は、修道院への寄付をやめ、水車小屋を改造して売春婦に貸し出し、なんとか新しい収入源を得ようと躍起になったのだが……
「一年前に、とうとう首吊って死んじゃったんだよ。後に残ったのは借金だけで、それも莫大な額だから、水車小屋や彼の私財を売ったところでどうにもならなかった。それをジュリアさんがなんとかしてくれてるんだけど……」
「それじゃ、あの子はその金を返すために売春婦になったのか」
「いや、それが……」
当然、そうだろうと思っていたら、反語が出てきて混乱した。どういうことだ?
「エトルリアの修道院に入れられて、寄付金を納めていたうちは良かったらしいんだけど……元々、貴族の娘とかが入るようなとこだったらしくて……」
寄付金が滞ると次第に居場所がなくなっていったらしい。端から見てる分には、神に祈るだけの施設に見えるが、年頃の女ばかりが詰めこまれた閉鎖空間である。中で何が起きているのかは分かったものでない。
「あいつのお母さん、亜人だったんだよ」
そして、亜人はこの世界で蔑視されているらしい。それは何となく分かっていたが……どうやら、但馬が考えているよりも、もっと露骨で根深いものらしかった。
後は聞かずとも大体想像がついた。その後、シモンが淡々と語った事実には、胸糞が悪いを通り越して、胃がひっくり返りそうな気分にさせられた。
信じられない話かも知れないが、中世の修道院では結構管理売春が行われていた。
教会というものを経営するのは金がかかる。そもそも、ただ単に神に祈るだけの施設ではないし、出世のために賄賂を送ったり、周辺で災害があれば炊き出しを行ったり、路頭に迷う孤児が居れば施しを与えたりもする。年季の入った建物の修繕だってある。それじゃその金はどこから出てくるのか? とても寄付金だけでどうこう出来る額じゃない。
そこでこっそり売春婦に部屋を貸し出したりしていたのだが、これが儲かることが分かると、段々教会の上の方も黙認するようになり、次第に公然の秘密となっていった。特に修道院はその性質上、中で何をやっているかは分からず、純潔を守るために千の兵隊相手に戦い抜いた修道院もあれば、貴族が乱痴気騒ぎするためだけの修道院なんてのもあったらしい。
本国の修道院に入れられて、段々立場が弱くなっていった何の力も無い子供が、その後どうなったのかは推して知るべしだ……
但馬は何を言っていいのか分からなかった。
「でも、あの子は人間だろ?」
見た目、どこかおかしなところも無かったし、確かステータスを確認したとき、Humanって書いてあったはずだ。
「ああ、でも人の口に戸は立てられないからな。どこかから漏れたらそれまでだ。俺たちと何も変わらないんだけどな……」
寧ろ、身体的にはハーフの方が優秀だったりするようだ。遺伝子学的に離れた遺伝子同士を掛け合わせたほうが強くて優秀な子が生まれると言うし、そこは人間の国際結婚に通じるものがあるのかも知れない。だが、同時に差別が生まれるのも、元の世界とあまり変わらないようだった。
「だからさ、先生。もしもあの水車小屋で何かすんなら、俺や、アナスタシアを使ってくれよ。そんで、少しでも金を稼いで、一日でも早く借金をちゃらにしたいんだ」
なるほどな……と但馬は思った。
思い返せば、ねずみ講に最初に飛びついたのはシモンだった。但馬の銀貨を贋金と疑ったこともあったし、少し金に汚いところがある奴だなと思っていた。しかし、そう言う理由があったのなら、話は変わる。
「そうならそうと早く言えよ。水臭い。その代わり、やれることは何でもやってもらうからな」
「へへっ……ありがとうよ」
そう言うとシモンは目尻をゴシゴシとやって微笑んだ。正直、初めはペラペラ五月蝿いだけのイケメンだと思っていたが、今となってはこいつと……いや、こいつらと出会えてよかったなと、但馬は思った。
こんなわけの分からない世界ではあるが、こういう粋な出会いもあるなら、悪くない。王に依頼され、ぶっちゃけ単にケツを拭く紙が欲しかっただけだったのだが……そう言うことなら、今回の仕事にも全力を尽くそうじゃないか。
「まあ、それはそれとして」
そんな風に但馬が決意を新たにしていると、
「おめえのせいで俺ら休暇返上でドブさらいだよ!! 金も無くなっちまうし、どうしてくれんだ、この詐欺師野郎が!!」
「そうだそうだ! 全く、いい迷惑だぜ」「○せ! ○せ!」
「え!? せっかくいい雰囲気だったのに、そこに戻っちゃうの!?」
ぎゃあぎゃあとわめきながら、いくつものパンチが乱れ飛んだ。4人の男たち……と言うか、3人の軍人と1人の一般人だから、ぶっちゃけ、但馬が一方的にボコボコにされてるだけだったのだが……
丘に続くトウモロコシ畑で、野良仕事をしていたオッサンには、その影法師が兄弟のように仲良く見えたそうである。
って言うか、見てないで助けてくれ……