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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第六章
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七つまでは神のうち①

「……きなさい……起きなさい……起きなさい! アナスタシア!」


 ユサユサと体を揺さぶられて目が覚めた。


 アナスタシアはベッドから起き上がると、重い瞼を擦りながらボーッとする頭で漫然と周囲を見渡した。見慣れた自分の部屋は夜中のように真っ暗で、まだ寝ぼけているからか、ザーザーと雨降りの音がどこか遠くに響いていた。


 弛緩する脳みその片隅で、昨日は何時まで起きていたっけ? と考えていると、ベッドの傍らに居たシモンのお袋さんが、プンスカしながら彼女のことを見下ろしていた。


 こんなに朝早くから、一体自分に何の用だろう?


「いつまでも寝ぼけてるんじゃないよ。もう朝なんて呼べる時間じゃないわよ。いい加減に起きて顔を洗いなさい」

「……今何時?」

「あら、何時かしら……どうやって見るんだっけ?」


 お袋さんが差し出してきた懐中時計の針を見れば、そろそろ10時を回ろうとしていた。但馬から贈られたものなのだが、彼女は未だに時計の読み方が、いまいち分からないらしい。アナスタシアから時刻を聞かされたお袋さんは、大層驚いた素振りで改めて起床を促した。


 一体、何時のつもりで起こしに来たのだろうか……ともあれ、だいぶ寝坊をしていたことを理解したアナスタシアは、渋々ベッドから足を下ろした。なんだかまだ寝足りない。昨日の夜更かしと、外のザーザー降りのせいで、時間の感覚がずれているようである。


 ローデポリスの家は繁華街に近いせいもあってか、セキュリティの関係上、家を取り囲む外壁が高い。外から家の中が見えないように軒も深いから、こう天気が悪いと日中であっても夜みたいに真っ暗になった。


 尤も感覚が狂うのは何もそのせいではなくて、この家に電気が行き届いているからだった。


 お袋さんに追い出されるように部屋から出て暗い廊下を通って洗面所に行くと、彼女は壁のスイッチを押して電気を点けた。数年前のことを考えると信じられないが、今やこの街の至る所まで電線は繋がっており、家の中は夜であろうと昼間のように明るい。だから、ついつい夜更かしをしてしまいがちになるのだ。


 顔を洗ってタオルで拭いて、無造作に置かれていた時計のネジを巻いた。電気も時計も、但馬が不便だからといって作った物だった。それはもはやこの国に無くてはならないものであり、こうして思い返してみても、彼の登場の前後で世界は明らかに変貌しているのが分かる。


 それは自分の人生もそうだった。


 洗面所から出て台所に行くと朝食が用意されていた。以前は毎朝自分が、但馬とリオンのために作っていたのだが、今は二人共この家には居らず、自分しかいないから手を抜いていたところ、いつの間にかハウスキーパーの仕事でやって来るお袋さんが作ってくれるようになっていた。


 ふっくらと仕上がった小麦のパンをもぐもぐとコーヒーで流しこむ。変わったと言えば食生活もそうで、とうもろこしのパンも、ホットミルクもご無沙汰だった。今やこの街には、世界各地から色んな食べ物が集まってきていた。


 朝食を取り終えたら、お袋さんの仕事を手伝って、家の掃除洗濯を行った。お手伝いをすると、お袋さんがお駄賃をくれるのであるが、自分の住む家のことなのだから、手伝うもへったくれもないので断ろうとするのだが、


「それじゃあ他人の仕事を奪うことになっちゃうから、良かれと思ってもやっちゃいけないよ」


 と言われて、納得は行かないのだがありがたく頂戴していた。なんだかよそよそしくて嫌だなと思ったが、お袋さんが遠慮して来なくなったらそっちの方が嫌だったから、黙っていた。


 それに、本当はそんな深い考えもないのかも知れない。リオンが居た時はいつもそうしていたそうだ。彼女にとって、アナスタシアもまだまだ子供なのだろう。


 掃除洗濯が終わったら、夕飯の仕込みを二人でやった。以前は商店街まで食材を買いに行っていたのだが、今は放っておいても御用聞きがやってきて、彼に頼めば何でも揃えてくれる。


 ここ暫くはずっと一人飯であったから、買い物を頼むのも気が引けたのだが、それでも商店からすると但馬とつながっている方がメリットが大きいからか、嫌な顔ひとつしなかった。


 お袋さんに言わせると、アナスタシアが可愛いから丁稚の子も会えるのが楽しみなのだそうだが、また以前のように沢山の食材を買ってあげられれば、みんな喜ぶのになと、アナスタシアは少し物悲しく思った。


「社長さんは今日もお泊り?」

「うん」


 今現在、ローデポリスの家には但馬とアナスタシアの二人しか住んで居ない。但馬とエリオスはセットだから、彼が帰ってこないと必然的に食事は一人で行うことになる。以前は、リオンのお守り兼家政婦のお袋さんと、仕事帰りの親父さんもやってきて、いつも遠慮したがるエリオスや、たまに遊びにくるブリジットが混ざって、食卓からはみ出してしまいそうなくらい、お皿が並ぶこともあった。


 でも今はアナスタシアの夕飯の分だけをささっと用意してしまえば、それでお袋さんの仕事はおしまいになった。


「作り甲斐がないからねえ……いっそ、あんたがうちに来て一緒に食べればいいのに」

「ううん。先生が帰ってくるかも知れないし」


 お袋さんに夕食を誘われても、いつもそう言って断っていた。彼女にはアナスタシアが遠慮していることが分かっていたが、かくいうお袋さんの方も遠慮していたので強くは言えないようだった。


 親父さんもお袋さんも、今となっては気楽にこの家に来ることは無くなった。但馬は何も言わないだろうが、主人の留守中に勝手するのは悪いと思っているのだ。本当はアナスタシアが居て、リオンが居ないのだから、彼女がハウスキーパーの仕事を続ける必要はないのだ。だが思うところがあるのだろうか、放っておけなくて彼女は毎日家に来た。


「あのね、アナスタシア。あんたさえ良ければ、いつでもうちに来てくれていいんだからね? シモンのことがあってもなくっても、あんたはうちの子供と同然に思っていたんだからね」

「うん」


 アナスタシアが目を伏せて返事を返すと、お袋さんは少し罪悪感のあるような顔をしてから家を出て行った。日はまだまだ高くにあるというのに、薄暗い午後の廊下にカチコチと時計の針が鳴った。


 アナスタシアが一番つらかった時期、彼らは手を差し伸べることが出来なかった。但馬の登場で光明が差してきたと思ったら、結婚するつもりだった息子(シモン)が死んでしまった。だったら、但馬と上手く行けばいいのにと思ったのだが、それも駄目で、お袋さんも掛ける言葉が見つからないのだろう。


 ハリチからローデポリスへ帰ってきて、気がつけば、家族がバラバラになっていた。


 新帝の即位式や国家運営の新体制に向けて、但馬は殆ど家に帰ってくることが出来ないくらい忙しくなっていた。当然、エリオスはそんな彼に付き従って国中を飛び回り、リーゼロッテはハリチでお留守番、そしてリオンは但馬と一緒に首都へ戻るかと思ったら、工房に居たいからと言ってあっちに残ったのだ。


 蟻ん子やミツバチなんかの昆虫観察が好きなリオンは、工房の微生物研究も好きだった。観察したものをスケッチするのも得意で、ハンググライダーの図面も彼が書いていたくらいだった。


 そして何より、顕微鏡を活用する微生物学はまだ未知の分野であり、最先端の研究が行えるのはハリチの工房だけだった。リオンはそれに価値を見出し、どうしても研究を手伝いたくなったようだ。


 彼の目標は昔から但馬であり、最近はそれにフレッド君が加わった。そのフレッド君がS&H社で働き出したのは12歳の頃のことで、丁度今のリオンと同じ年だったのも、彼が決心する材料になったのである。


 首都に連れ帰ろうとした時、リオンにお願いされた但馬は少々戸惑っていたようであるが、どうせ但馬だって首都と領地と行ったり来たりなんだし、ハリチの屋敷の使用人達もリオンのことを好いていた。


 そして彼がはっきりと、将来学者になりたいんだと言ったことが決め手になって、彼はあちらへ残ることになったのだ。


 はぁ~……っと、アナスタシアはため息を吐いた。


 リオンはあんなに小さいのに、もう自分がやりたいことを決められている……それに比べて……


 お袋さんが帰宅して、誰もいなくなったリビングのソファにゴロリと横になる。アナスタシアは首都に帰ってきてからも定職にはつかず、日がな一日、暗い部屋の中でウジウジと悩んでいた。最近はいつもこうだった。


 工房に残ったリオンと比べて、彼女は自分がやりたいことがまだ見つかっていなかった。ハリチでは勧められるままいろいろな仕事をやってみたが、どれも不向きとは言えないが、やり甲斐が見出せなかったのである。


 こんな時代に贅沢だと言えば確かにそうなのであるが、どれもこれも結局は但馬の息のかかった職場であり、どうしても特別視されるのが苦痛だった。


 ただガムシャラにお金を稼いでいた時は何も考えないで済んだ。だが、お金の心配が無くなって、ほっとして辺りを見回してみたら、途端にダメダメになっていた。


 それに、但馬にはもう迷惑を掛けたくない。彼の元から独立したい……と言う焦りもあった。


 いつか……きっといつか、彼がこの国の王様になる前に、自分からお別れをしなきゃいけないのだ……


 そんなことを考えていると、じんわりと視界が歪んでくる。


 嫌だなあ……と思いながら、ゴロリと寝返りを打ってふて寝する。


 昨日も似たようなことをやってて、いつの間にか眠ってしまい、夜中になっても目が冴えてしまって、どうしようもなくなったのだ。今日、また同じことを繰り返している。アナスタシアはグズグズと、ソファから体を起こした。


 ふと窓の外に目をやれば、いつの間にか雨が上がり、庭には陽が射し込んでいた。


 日の射す外と比べて、家の中は薄暗くて、なんだか穴蔵にでも暮らしているような気分になった。そしてふと、昔のことを思い出した。水車小屋の部屋には窓がなくて、ランプの火がなければ真っ暗だった。カタンカタンと規則正しい水車の音が眠気を誘った。誰かが玄関のドアを開け閉めする度に、辛うじて薄い光が入ってくるだけで、子供達の遊ぶ声が聞こえてこなかったら、昼なんだか夜なんだかまったく分からなかった。


 アナスタシアはそんな部屋の中で、日がな一日じっとしていた。夜になって、客がやって来るまで。豚の餌みたいなスープを、他の売春婦と交代でかき混ぜる以外、生きてるんだか死んでるんだか分からないような日々を送っていた。


 あの頃の自分を思い返すと、今の自分がいっそう情けなくなる。何も考えないことと、何もしないことは一緒では無いのだ。


 そう言えば、こういう時、以前ならどうしてたのだろう?


 道に迷った時……但馬と一緒に暮らし始めてからは、彼がいつも方向性を示してくれた。それ以前の自分は何をどうしてただろう……


 アナスタシアはふと思い出した。


「ジュリア……どうしてるのかな?」


 水車小屋の面々の中で、一番体が大きくて、誰よりも優しい人だった。自分はお客さんが取れないからと言って、みんなの世話を焼いていた、水車小屋のリーダーだ。


 夕飯の支度は済んでいるけれど、窓の外はまだまだ明るかった。日没まではだいぶ時間があるだろう。


 アナスタシアはエイヤッと立ち上がると、暗くて憂鬱な気分になる家から出た。


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