皇位継承⑥
帝国がカンディアを併合し、アスタクス方伯と始めた戦争の余波をかって独立した南部諸国は、これ以降国境紛争も抱えることになった。それ以前は同じ国、同じ地方の従属国として、なあなあにしていた隣国同士の境界線が、これによって無視できなくなったからだ。
南部諸侯と国境を接したアスタクス方伯傘下の諸国は、第一次フリジア戦役の傷も癒えぬうちから国境問題を抱える羽目になり、到底そんなことに対応できるわけもなく方伯に泣きついた。無論、恨みもあった。
アスタクス地方全域を巻き込んだ戦争の惨敗により、その権威が揺らいでいた方伯は、即座にこの要請に応じると、また兵士をかき集めて遠征へと向かった。敗戦による厭戦気分も酷かったが、それ以上に裏切り者への怒りと、勝ち馬に乗った者への嫉妬心の方が強く、思いのほか兵士たちの士気は高かった。
カンディア公爵は南部諸侯との協定を理由に、帝国艦隊をイオニア海沿岸へと派遣。即応できる態勢を取りつつ、敵の動きを窺った。
ところが、それはアスタクスも同じことで、アナトリアとまともにやりあったのでは同じ轍を踏むだけなので、フリジア戦役とは打って変わって軍を一箇所にまとめず、広範囲へと埋伏させると、小規模な国境侵犯を繰り返すだけで、打って出てくることはなかったのである。恐らくは、どこまでやったらアナトリアが介入してくるかを試していたのであろう。
これがボディブローのように効いた。
アナトリア帝国と南部諸侯はあくまで経済的な協定を結ぶ関係であり、南部諸侯は建前上、エトルリア皇国に臣従したままである。だから、小競り合いのうちはアナトリア軍は介入しづらい。
かと言って南部諸侯がはっきりと従属を決めてしまうと、エトルリア皇国が出てこざるを得ず、背後のロンバルディア・シルミウム・トリエルも呼応するだろう。そうなるといくらアナトリア軍が精強でも勝ち目がない。当時のリディアの人口は10万人、人口が急激に増加した現在でも、せいぜい30万程度なのだ。対するエトルリア皇国は、ざっと1千万は下らないのである。
こんなのとまともにやりあうわけにはいかないので、帝国はあくまで南部諸侯への支援を行うと言うスタンスを崩せなかった。相手が国境を侵犯して攻めてくるなら防衛のために兵士を派遣は出来るが、こちらから打って出るわけにはいかないのだ。
そんなわけで、国境で小競り合いが散発的に起きる中、双方が動くに動けないまま時が過ぎた。ところが……そんなときに皇帝が怪我をして病床に臥せるという事態が起こってしまったのである。
報せを受けたカンディア公爵は、皇帝を見舞いにローデポリスへと帰還する。
それを見たアスタクス軍が、一転、大規模な動きを見せた。
方伯は公爵の留守中のアナトリア軍の即応性を試したのであろう。それまで嫌がらせのように続けていた小規模な戦闘をやめ、軍を一箇所にまとめると、いよいよ深く国境侵犯を開始した。
ここでアスタクス軍と南部諸侯軍が開戦する。
留守を任された帝国大将マーセルは苦しい判断に迫られたが、協定を重視して陸上戦力の派遣を決意する。そして、イオニア西部シャーマンコーストへと上陸のための艦隊を集結させた。
第二次フリジア戦役が始まろうとしていた。
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さて、時を戻して、但馬が納豆を作ってた頃の話である。
南エトルリア大陸には、ロンバルディアの山々からガラデア平原へ流れるフラート川、皇国とアスタクスを隔てる山脈から流れるイディグナ川が流れており、それがアスタクス方伯の根拠地ビテュニアで落合い、フリジアへ向かって流れるガラデア川(もしくは大アスタクス)となる。
エトルリア大陸南部の低地帯はこのガラデア川によって東西に分けられるのだが、この東側沿岸部をフリジア地方と呼び、西側をイオニア地方と呼んだ。
フリジアは言うまでもなく、イオニア海に面したガラデア川河口の交易都市のことであり、イオニアとは低地帯の南西角地にある都市のことで、エトルリア大陸とガッリア大陸の間にあるイオニア海とは、要はこの世界の端っこにあった都市の名前から取ったわけである。
このイオニアは、同じ南エトルリア大陸にありながら、皇国から最も遠い僻地に有り、外洋に面した土地柄からさほど重要な国とは思われていなかった。
ところが、アナトリア帝国が外洋航行能力を獲得し、ロンバルディアと個別に交易を始めたことで話が変わった。
イオニアは外洋に面してシャーマンコーストという湾が広がっており、つまり良港を抱えていたのである。
これは僻地にある貧乏国家にとっては大きなチャンスであった。南部諸侯連合には乗り遅れたが、新たなアナトリアとの協定国として名乗りを上げるべきか……イオニアは検討を始めた。
一方、揃ってアスタクスからの独立を果たした南部諸侯連合であるが、この小国家群が一枚岩であったかと言えば実はそうではなかった。
本来、南部諸国の盟主と呼ばれたのは南部最大の都市フリジアであり、貴族としてもフリジア子爵が最も位が高かった。しかし、知っての通り、南部諸侯連合はカンディア公爵夫人の実家、ミラー男爵家が発起人であり、アナトリア皇家との関係が最も緊密で影響力が強かったのだ。
そんな理由があって、仲良く独立を果たしたのも束の間、南部諸侯連合はフリジアを中心としたフリジア連合と、ミラー家を中心としたイオニア同盟に分裂し、派閥間で競い合っていた。そんな時にイオニアが自分も南部諸侯連合参加したいな……と秋波を送ってきたのである。これを逃す手はないだろう。
イオニア連合は西の外洋都市国家を取り込んで勢力拡大をすべく、アナトリアとイオニアの仲介を買って出た。ミラー家は公爵家の外戚関係に有り、話し合いはスムースに行われた。
こうしてイオニアは僻地からアナトリア・ロンバルディア交易の中継港としてアスタクスからの独立を決め、イオニア連合は新たな仲間を得て勢力を拡大し、誰も損をしないウィンウィンの関係で話し合いはまとまった……かに見えた。
もちろん、誰も損をしないなんてそんなわけはないだろう。
カンディア公爵が皇帝の見舞いのために留守にすると、アスタクス方伯はすかさず動き出した。
イオニアの独立は、背後にアナトリアが居ることは明白であり、エトルリア皇国への許しがたい背信であり看過できない。アスタクス方伯は声明を発表すると、それまで国境に伏せていた兵隊を組織しなおし、イオニアへ向けて進軍を開始した。
仲介を行った手前、面目丸つぶれであるイオニア同盟は、これを放っておくわけには行かず、即座に援軍を派遣することを決定した。そして、協定により手に入れたマスケット銃を装備した民兵を前線へと送りこんだ。
何しろ、あの大勝利の後である。マスケット銃の威力を過信した彼らは、アスタクス軍には兵力で劣るが、装備で勝てると楽観視していた。しかし、これがとんでもない誤解であると思い知らされることになる。
イオニア同盟は都市に防衛線を構築し、来るアスタクス軍を迎え撃つことにした。防塁を築き、馬防柵を並べ、どこから来ても対応出来るよう、射撃陣地を都市を囲むように配置した。武器弾薬は潤沢に供給されており、籠城になっても外洋から支援が受けられるはずだった。
ところが、いざアスタクス軍との交戦が開始されると、彼らはとんでもない光景を目の当たりにすることになる。
同盟が待ち構えるイオニア都市郊外に現れたアスタクス方伯軍は、数は少ないとは言えマスケット銃を装備していたのである。
動揺する同盟軍はさらに驚かされる。方伯軍は、粗悪品ではあったが巨大な大砲を、何十頭もの馬でもって引きずって来たのである。
まがい物だと希望的な観測に縋るにはリスクが大きすぎる。
そして間もなく布陣が完了したアスタクス軍からの一斉射撃が始まると、彼らは一転して絶望的な気分に晒された。
その野戦砲は精度は低いものの、紛れも無く大砲と呼んでいいものであったのだ。射撃精度の低さのおかげで今はなんとかなっているが、土嚢を積んだだけの防塁では、直撃を食らえば一溜りもないであろう。
もはや単独での対応は不可能と判断した同盟軍は籠城を選択、都市に引きこもるとアナトリア軍に援軍要請を行った。
留守を任されていた帝国大将マーセルは、一報を受けてもはや一刻の猶予もないと判断、軍の派遣を即断し外洋からイオニア西方シャーマンコーストへと艦隊を動かした。
カンディアから輸送艦が続々と出港し、外洋方面へと向かっていったことを知ったアスタクス軍は、イオニアの包囲を諦め、同じくシャーマンコーストへと再布陣する。
シャーマンコーストはいずれは良港になるだろうが、今はまだ上陸するのが難しい。方伯軍はそれを叩こうと、海岸に防塁を構築、湾を見下ろす丘陵地に大砲を配置して迎え撃つ構えを見せた。水際作戦である。
これを避けるためには、アナトリア軍は一旦イオニア同盟諸国に上陸し、陸路を使ってイオニアへ至るしかない。だが、もちろん、そんな悠長なことをやっていては、同盟は瓦解し、都市は陥落してしまうだろう。そのためアナトリア海軍は引き返すことも出来ず、海岸に向かって無意味な砲撃を続けるしか無かった。
事態が動き出したのは、カンディア公爵が根拠地へとんぼ返りして間もなくであった。
公爵はヘラクリオンの軍港に帰還すると、すぐさま各地に檄を飛ばした。
静観の構えを見せていたフリジア子爵は、それを受けて連合の戦力をフリジア郊外に結集、川を遡上してビテュニアを突く構えを見せる。
対するアスタクス方伯はこれに対抗すべく、前線から重騎兵隊をビテュニアへと戻す。重騎兵は甲冑に身を包んだ魔法使いの兵科であり、一昔前ならば方伯の最大戦力であったはずだが、今となってはお荷物に等しく、シャーマンコーストでは孤立していた。
甲冑に身を包んだ重騎兵は弓には強いが音には弱く、火器による爆発音を聞くと馬が動揺して役にたたなかったのだ。また、その重い甲冑も強力な銃撃の前には紙に等しく、動きを阻害するだけのただの重りにしかならなかった。だが、馬から下りさえすれば、魔法兵の攻撃はまだまだ現役だった。
特に、マスケット銃で武装した歩兵は、その火力を最大限に活かすために、薄くて長い横隊を組むことから、近接戦闘になってしまうと、簡単に突破されやすい。そして近接戦闘では魔法使いは人類最強であり、銃剣しか武装のない歩兵が敵うわけがなかったのである。
敵を分断し、各個撃破するのは戦術のセオリーである。歩兵しか持たないフリジア連合は、そのため、敵の突破を防ぐ予備兵力を後方に残し、隊列を厚く、敵が不用意に近づけないように、消極的な戦術を取らざるを得なくなった。ガラデア平原での戦闘は拮抗した。
しかし、敵を引きつけてくれればそれで十分だった。公爵は次の手を打った。
フリジアで戦線が膠着する中、シャーマンコーストでは別の動きが起こった。カンディア公爵率いるアナトリア海軍の増援がやってきたのである。
しかも、それはただの増援ではない。公爵は極秘裏に、ハリチの海軍工廠で作らせていた、新兵器を持ってやってきたのである。ロードスと名付けられたその艦は、船体のすべてが鋼材で造られた、世界初の蒸気装甲艦だったのである。
船の左右に大きな水車を付けた外輪船は蒸気の力で機敏に動き、全体が厚い鋼材で覆われた船体は弓矢や銃の攻撃を全く受け付けなかった。
唯一、傷をつけられるとしたら、それは大砲による攻撃だったろうが、それも現時点は絶対に不可能だった。
何故なら、マストの要らないロードスの船体中央には、3門からなる巨大な回転砲塔が備え付けられており、完全極秘裏に開発されたそれは、ライフリングの技術を取り入れた、後装式施条砲だったのである。
その威力はもちろん、命中精度も飛躍的に伸びたロードスの主砲は、最長18キロメートルもの長大な射程を持ち、その有効射程も10キロ超と現時点では破格の性能を備えていた。
湾に現れた浮き砲台を前に、アスタクス方伯は対応を決めかねていた。しかし、その砲撃が丘の上に造られた砲撃陣地を悠々と越えて、アスタクス軍の後方まで届いたことで、撤退を決めた。
海上から続けられる砲撃は当たりこそしなかったが、徐々に目標に向かって集弾しており、直撃するのも時間の問題と思われたからだった。
こうして水際作戦を続けるアスタクス軍を追い返し、上陸を果たしたアナトリア軍は、外洋都市イオニアの市民に熱烈な歓迎を受けつつ入城した。アナトリア海岸はエトルリア南部の沿岸部を完全制圧し、イオニア海に続き、外洋の覇権をも握ったのである。
しかし、歓迎する市民たちとは違い、公爵は喜ぶことは出来ずに居た。
第一回フリジア戦役でもそうであったが、方伯の危険感知能力は非常に高い。駄目だと思ったらさっさと逃げてしまうので、致命打を当てづらい。前回はまだ上手くいったが、今回は殆どの戦力を残したまま、後方に引っ込まれてしまった形である。つまり、まだ戦争は終わっていないのだ。
その予想が正しかったことをイオニア同盟はすぐ思い知ることになる。方伯はイオニア内陸部およそ15キロの地点に、再度野戦陣地を築城し、長期戦の構えを見せ始めたのである。
こうして予想に反して泥沼の様相を呈してきたシャーマンコーストの戦いは、その後数ヶ月に渡って続けられることになる。
その間に皇帝は崩御し、葬儀に出ることもかなわず、公爵は前線に釘付けとなった。
その不満をはっきりと表に出した公爵の部下たち。彼らは今、公爵が留守のカンディアを預かっている。
公爵のことを信用はしていても、その動きを見過ごすことは出来ず、但馬はブリジットの権力掌握を急速に進めつつ、警戒の目を光らせていた。
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簡略して行われた宰相就任式の後、コルフ総統とカンディア公爵夫人を招いて行われた御茶会で、但馬は両国の動きを探っていた。
新皇帝即位に当たって、コルフとアナトリアの蜜月は続き、寧ろ以前よりも絆が深くなったと言えるだろう。何しろ、ブリジットと総統の娘は友人関係にあり、二人で会社を作ったりと何かと接点が多く、親友と言っても差し支えない間柄だった。
コルフはこの関係を利用しながら、イオニア海交易の覇者としての立場を盤石のものとし、現体制を維持していくことを望んでいるようだ。
対してカンディアの方は中々難しい問題を抱えていた。先帝の遺言も虚しく、アナトリアとアスタクスとの戦争は未だに終わりが見えず、賠償金を軸とした第一次フリジア戦役の戦後処理も、ほぼなし崩し的に破談に向かっているようだった。
従って、軍事色が強くなっていくカンディアでは不満の色が濃くなり、現在、大陸から集められた若い才能たちが、それを利用して幅を利かせているようだった。激しくなっていく大陸との戦争で、カンディアこそが帝国を守る盾であるのだから、後方にあるリディアやメディアよりも自分たちの方が偉いのだと言うわけだ。
また、彼らは大陸出身の貴族の子息などで、エリートにありがちだがプライドが高く、根本的にリディアを見下す傾向が強かった。戦後処理が上手く行かず、十分な恩賞を与えられずにいる中で、この若者たちが今後暴走したりしないかどうか……ジルと話をして探っていたのであるが、何しろウルフが戦争のせいで留守がちだから、どうにも怪しい雰囲気である。
おまけに、なんの因果か、カンディアの行政官のリーダー派閥で、ネイサンと言う若者がのし上がってきたのであるが、これが元但馬の錬金工房の出身者で、どうにも但馬をライバル視しているのだ。非常に優秀な男であり、ウルフは但馬の元部下ということもあって覚えがよく重用したようだが、それが裏目に出た格好だ……
これがおかしな動きをしなければ良いのであるが……
いっそ、ブリジットのために潰してしまうか……
あくまで地方自治体の長官と違い、自分には対抗する手段はいくつかある。相手を失脚させるために強引な手をうつことだって可能だ。しかし、それをやるとウルフの立場がなく、本格的にリディア・カンディア間の関係が悪くなると、イオニア海全体に影響が出るだろう。それに正直に言えば、この手の工作は苦手である。但馬は、様々な葛藤が頭のなかで渦巻いているのだが、有効な手立てが何も思い浮かばない状況であった。
と……そんな風に、但馬が今後のことを熟考している時だった。
「……うおっ!? ビックリした」
よほど集中していたのだろう。気がつけば顔に息がかかるくらい近くにブリジットが居て、彼の顔をまじまじと覗き込んでいた。
「先生……もう、さっきから何度も呼んでいるのに」
「あ、すまん。何?」
どうやら息をするのも忘れるくらい、集中していたらしい。頭のなかで静電気が走るようにパリパリとした音がした。気がつけばティーメーカーに新しい茶葉が足されて湯気が立っている。
「何ってことはないですけど……お茶のお代わりいりませんか?」
ブリジットはそう言うと、出来立ての紅茶を指差した。先程はジルに止められていたが、本当は自分が淹れたかったのだろう。但馬がありがとうと言って空っぽになったティーカップを差し出すと、彼女は嬉しそうにそれに紅茶を注いだ。
ジルの言うとおり、皇帝がやるようなことではない。だが、彼女らしいし、こんな仕事まで取り上げてしまっては、本当にやることが無くなってしまうだろう。だから、二人っきりの時は何も言わずに受け入れていた。
紅茶に入れた砂糖が脳に染みこんでいくようである……どのくらい考え事をしていたのだろうか。但馬は懐中時計を取り出すと、その短針を見て低く唸った。御茶会がお開きになり、客人を送り出してから、だいぶ時間が経っていた。
但馬は、ふぅ~っと溜息を吐くと、肩をトントンと手で叩いた。ブリジットがすぐ隣に腰をおろして、ピッタリと体を寄せてきた。
「だいぶお疲れのようですね」
「ようやく仕事が一段落したからね……気が抜けて、一気に疲れが出たみたいだ。またすぐ忙しくなるんだから、これじゃいけないんだけど」
「ちゃんと眠れてますか?」
「多分……いや、お城のベッドは柔らかいから。柔らかすぎて却っていけないのかも? それに、侍女の人たちに見張られてるし、気疲れしてるかもな」
ローデポリスの家には、あんまり帰っていなかった。
先帝が崩御して以降、何故か家の中でアナスタシアと二人きりになると苦痛だった。自分の中でどんな変化が起きたのか分からないが、心境的な変化のせいでリラックスが出来ず、仕事に支障をきたすのは時間の問題だった。
それに帰ったところで、深夜だろうが早朝だろうが、すぐに誰かに呼び出されるし、ブリジットの決裁を仰ぐためにも、結局王宮に寝泊まりしていた方が都合が良かったのだ。だから、あれ以来、ずっとそうしていた。
それをブリジットは喜んだのだが、しかしお城の侍女たちは違った。
皇帝が存命中にもよく泊まっていたのだが、彼が亡くなったからこそ、結婚前の娘が傷物にされないようにと言う気持ちが芽生えたのだろう。以来、王宮では、但馬とブリジットが二人っきりになろうとすると、必ず邪魔が入るようになっていた。
もちろん、遊びに行ってるわけじゃないので、それはそれで構わないのだが、四六時中見張られていると間男にでもなったみたいで気疲れする。
いつかちゃんと伴侶として認めてもらえるのだろうか。いや、多分、はっきりするまで手を出すなということだろうが……
そんなわけで、但馬がここのところ、心の底からリラックス出来る場所は、何の冗談か謁見の間くらいのものだった。何かあっても門番が伝言を控えておいてくれるので、仕事を邪魔されることがないし、私室は皇帝のプライベートスペースであるから、誰かに見張られるということもない。
リラックス出来るので、時間さえあれば入り浸っていた。
「……先生」
そして、二人っきりになれるから、やっぱりそういう雰囲気になった。
同じソファに座りながら、但馬の肩に頭を乗せていたブリジットの顔が、いつの間にか但馬の頬にピッタリくっついていた。その頬を撫でると、彼女は何か言いたげに、唇を薄く開いて上目遣いに但馬の顔を見上げた。結局、彼女の口からは何も出てきはしなかったが、けれど目は雄弁に語った。
二人はどちらからともなく抱き合うと、その唇を重ねあわせた。彼女の息遣いにピチャリと唾液の音が混じった。但馬が舌を差し入れるようにしてその唇をトントンと叩くと、ブリジットはもう堪らないと言った感じに、スルリと逆に彼の舌に舌を絡ませてきた。
懐中時計の音がカチコチ鳴った。胸の奥がどうしようなく震えて、もう彼女のことしか考えられない。それは彼女も同じようで、彼女は唇を離すと、身悶えするようにしなだれかかり、その形の良い額をグイグイと但馬の胸に埋めて、すぐ思い出したかのように顔を上げると、ついばむようなキスを繰り返した。
どうでもいいが、どうしてキスって滅茶苦茶勃起するんだろう……直接触ってるわけでもないのに。
但馬はまるで水飲み鳥のように、飽きずにキスを繰り返すブリジットの脇に手を差し込むと、
「わひゃっ!?」
っと、悲鳴を上げる彼女を抱き上げ、自分の膝の上にストンと乗せた。
「……あの、先生……あたってます」
「何が?」
「え?! 何って、あ……あれが……」
「あれって何が?」
「ひぃ~……!」
そして、泣き笑いするような表情を見せる彼女を背後からギュッと抱きしめた。
この小さな……いや、一部分だけやたらと大きなこの体に、今、世界中の注目が集まっているのだ。
決して間違えないように、この体が折れてしまわないように……自分が彼女のことを守るんだ。
但馬はそう決意を新たにすると、
「ねえねえ、何が当たってるの? ねえ……」
「し、知りませんよっ!」
今はまだセクハラするくらいしか出来ない彼女の髪を、愛おしそうに撫で下ろした。