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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第六章
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皇位継承⑤

「お疲れ様です。先生」


 新政権、初の閣議がお開きになった後、ブリジットは謁見の間の上に作られた皇帝の私室に、客人であるロレダン父娘を招いた。かつて先帝の休憩用に作られたスペースであるが、基本的に国の重鎮と、リリィのような国賓しか中に入れない場所なので、そこに通されるということは非常に名誉あることだった。


 コルフ総統はブリジットのその行為に最大限の謝意を表するとともに、娘がたまたま但馬と知り合った幸運を神に感謝した。尤もそれは、たまたまタチアナのおっぱいのサイズを、但馬が調べたのが切っ掛けだったのだが。


 私室に但馬達を招き入れたブリジットは、そのまま当たり前のようにお茶を入れに行こうとして、すかさずジルに小言を言われて仕事を奪われた。まだまだ軍隊時代や、但馬の会社で無名だった頃の癖が抜け切らないらしい。


 しかし、よくよく思い返してみると、後々女帝となるはずの女の子に、よくぞお茶くみをさせていたものだ、どんなプレイだと過去の自分を殴りたくなる。まあ、お姫様というより用心棒と言った方が正しい、ブリジットの根っから武闘派な性格も悪いのだろうが……


 ジルがお茶を入れて戻ってくると、タチアナがさも嬉しそうに言った。


「まあ、美味しそう! これは何ですか?」

「いちごのミルフィーユですね」


 フリジアから小麦が入ってくるようになったので、城下ではお菓子作りが盛んであった。本場のフリジアからパティシエが海を渡ってきており、最近では様々なお菓子が食べられるようになっていた。


 お茶うけのミルフィーユはそんなパティシエが、S&H社の直営店ビディズカフェで開発したものだった。因みに、そのせいかブリジットが甘党だという噂が広まってしまい、即位が決まると国中から様々なお菓子が届くようになり、せっかくの厚意だから無碍にするわけにもいかず、いま王宮はお菓子の家みたいになっている。


 ブリジットも侍女も最初のうちは喜んでいたが、余りにも桁はずれな量を前に、今となっては彼女の歯を蝕み、お腹のお肉を運んでくる大敵と化していた。


「女皇陛下。改めて、ご即位おめでとうございます。この度はお招きに預かり恐悦至極。これからもこの関係が続きますよう願っております」

「こちらこそわざわざご足労ありがとうございました。いつも何かにつけてお世話になってます。一度、こちらからもお伺い出来れば良いのですが」

「いえいえ、女皇陛下をお呼び立てするなど滅相もございません。ですが、何かの折にお立ち寄りくだされば、国を挙げてご歓待致しますことをお約束しますよ」

「まあ、それは嬉しいですね。大臣たちが許してくれるなら、すぐにでも飛んでいきたいところです」


 なんか、盆暮れに集まった親戚同士みたいな会話だな……などと冷ややかな眼差しで見ていると、二人の間に挟まれたタチアナがそわそわしていた。やはり、世界が変わろうと、親が娘の友だち相手にこういうことをやるのは落ち着かないのだろう。可哀想なので横槍を入れてやることにする。


「陛下はいつになるか分かりませんが、俺の方は近いうちにでも一度お伺いしますよ。大使館のこともありますし」

「それは嬉しい。昨日の即位式に負けないくらい盛大に歓迎いたしますとも」

「そう言えば、そちらからは大使として、どなたがいらっしゃるのでしょうか?」


 タチアナが尋ねる。因みに、コルフの方は何事もなければ、彼女がやってくるはずだった。


 元々、彼女がコルフの窓口だったし、西海会社のこともあるし、ぶっちゃけ、今とそう変わらないのだが……しかし、彼女がローデポリスに住むと言うことに意味があるのだ。


 対してアナトリア側に関しては、まだ正式には決まっていなかったが、


「実はエリオスさんに頼もうと思ったんだけどね」

「ええっ!?」


 但馬がそう言うと、その場に居合わせた全員が目を見開いた……まあ、その気持ちは分かる。


「初耳ですよ!? どういうことですか? 先生とエリオスさんは一心同体みたいなものでしょう? 先生のいないエリオスさんも、エリオスさんのいない先生も、考えられません! そんな自分の片割れみたいな人を遠ざけるなんて信じられない!」


 ブリジットが大げさに言うと、周りの人々もうんうんと頷いていた。いや、否定はしないが、ホモじゃないんだからもう少し言葉を選んで欲しい。タチアナが後を引き取って尋ねる。


「失礼ですが、エリオス様は外交とは無縁の方ではありませんか? エリオス様に要職をという、但馬様の親心なのかも知れませんが、正直、私もどうかと思います。護衛は彼の天職でしょう」

「その護衛なんだけどねえ……」


 但馬はため息を吐きつつ続けた。


「最近、近衛や憲兵がどこまでも付いてくるようになっちゃって、正直、人数的に過剰なんだよね。今までエリオスさんにお願いしていた一番の利点は、彼一人で十分にガードが務まるし、どこにでも付いてきてくれるとこだったんだけど、もうそれは望めそうもない。彼自身も、自分の部下でもない者たちに周囲をうろちょろされて迷惑そうだったし……それならいっそ、護衛を解散させちゃおうかと」

「先生、それなら逆に近衛や憲兵を遠ざければ良いじゃないですか。なんなら、私の方から言っておきますよ?」


 但馬は首を振った。


「いや、それは出来ない」

「どうしてですか?」

「今は皇位継承の直後で、ブリジットの差配に注目が集まってる。ちゃんと、この国の権力を掌握出来ているのかどうか。主従として俺や大臣、カンディア公爵を扱いきれるのかどうか。そんな中で、俺がスタンドプレーに走ったら、その権威が疑われてしまう。俺はブリジットに逆らわず、宰相の仕事を無難にこなすことだけを望まれてるんだよ。


 だから、今は目立たないようにシステムに則って流れ作業的に、役割を演じないといけないんだよ。宰相ってのは国の偉い人なんだから、近衛や憲兵が護衛をするのが当然で、彼らを引き連れていた方が、それを見ている国民が安心するんだな」

「そう……なんでしょうか?」

「じゃあ、こう考えてくれ。俺が一人で好き勝手ほっつき歩いていると、何をするか分からない。だが、近衛兵や憲兵隊がいつでも見張っていれば、少なくとも汚職やなんや悪いことは出来ない」


 それを聞いていたタチアナがげんなりした顔を見せた。


「つまり、何も悪いことをしてないと言うことを、わざわざアピールして見せてるというわけですか?」

「そう言うことだね。あともちろん、警察権力がちゃんと機能していて、それを統括もできてるというアピールにもなる。だから、暫くはこの体制でいくしかない。だったら、その間、エリオスさんたち護衛には、他の仕事をしててもらったほうが良いんじゃないかと」

「でも、それでエリオスさんが納得するとは思えませんよ?」


 と、ブリジットが口を尖らせながら言った。


「まあね。もちろん、嫌がったよ。だから、まあ、保留なわけだけど……」

「なるほど……納得はいきませんが、理解は出来ました。それでも、エリオス様が大使になんて、想像もつきませんわ」


 と、タチアナ。護衛じゃないエリオスなど、但馬自身も想像がつかないのだが……


「そうだね、俺もそうだった。ところがねえ、それじゃ他に誰を大使にしようかなあ~……? って考えてみたら、意外と条件が合致しちゃったんだよ」

「……どういうことです?」

「大使の条件として、ある程度の人気や知名度、もしくは家格があって、相手国の事情に通じてて、相手国の重鎮と懇意にしてるとか、そう言ったプライオリティもあるだろう? これ、エリオスさん全部当てはまるんだよ。


 幸か不幸か、俺なんかの護衛をやってたばっかりに有名人になっちゃったし、本人が望めば、いつでも近衛でも軍の指揮官でも転職できる実績があるし、奥さん……じゃないけど、内縁の妻がコルフの議員さんでしょう? そしてタチアナさんと面識があって、総統閣下にも知られてる。ぶっきら棒で公の席には不向きかも知れないけど、仕事は真面目で俺もブリジットも信頼を置いてる」

「本当だ……言われてみると、これ以上ない人材ですね。エリオスさんなら、私も文句ありませんよ!」


 ついさっきまで文句たらたらだったブリジットが、もう手のひらを返してきた。まあ良いんだけど……但馬は続けた。


「それにさあ、ランさんそろそろ臨月だろ? なのに、俺のせいで離れ離れだし……あの人達、これを言うと揃って気持ち悪いって言うんだけど、本当だったら一緒に暮らしてた方がいいじゃない。家族なんだから。お産だって立ち会ってあげられたらその方がいいじゃない」


 但馬がそう言うと、それまで黙って聞いていたコルフ総統が飲みかけていた紅茶を吹き出しかけて、ゴホゴホと盛大に咽た。


「ゲホゲホッ……閣下。あなたは、普段からそんなことを考えておられるのですか? 普通、部下の家族のこと……ましてや女のことなど気にかけるものでもありますまい」

「……そうですか?」

「あなたほどの方が、そのような些事に煩わされているのでは、国家の損失です。そんなことは部下に任せておいて、閣下は国家の大局にだけ全神経を集中すべきではないでしょうか」

「そっくりそのまま、エリオスさんに言われましたよ」

「そうでしょうとも」


 総統がさもありなんと横行に頷く。しかし、それは女性陣には不評のようだった。


「そんなことありませんわ、お父様。但馬様のおっしゃることは大変素晴らしいことだと思います」

「そうですよ、私もいつか結婚したらセンセ……ゴホンゴホン! 旦那様には、毎日お家に帰ってきて欲しいです」

「私もまだですが、いつか赤ちゃんを授かったなら、ずっと主人に側についていて欲しいですわ」


 総統としては当たり前のことを言ったつもりが、全方位から集中砲火を食らってタジタジになっていた。


 尤も、別に但馬はフェミニズム運動がやりたいわけではない。ランなら全然問題ないだろうとも思ってるし、寧ろ感覚的には総統の意見に近かった。ただ、但馬は片親だったので、なんとなく女性が一人で子供を生むというのが嫌だったのだ。


「そ、それで宰相閣下。エリオス殿はなんと?」


 多勢に無勢の総統が苦し紛れに話を振る。


「冗談じゃないと、現状のままで良いと言ってました」

「そりゃそうでしょうね」


 ブリジットがうんうんと頷いていた。彼女も一時期、但馬の護衛をしていたので、辞めさせられる気持ちが分かるのだろう。


「でもまあ、大使だとかコルフに行けってのはともかく、このままってわけにも行かないからね。これを切っ掛けに、そろそろ歳相応の仕事したらどうか? って打診はしてる」

「歳相応って……先生、酷い言い方しますね。エリオスさんだって傷つきますよ?」

「いや、だって、あの人もそろそろ50だよ? いつまでも体張る仕事してないで、それ相応のポストに着いてた方が、らしいと思ったんだよ。例えば、今までの経験を活かしてセキュリティ会社作ってさ、そこで社長でもしてくれてたら良いんじゃないかと」


 以前、海賊がまだ居た頃、保険付きで貨物船を就航させたら、嘘みたいに利用されたことがある。経済発展による運送業が盛んな現在、海軍や憲兵隊が取り締まっては居るが、予期せぬトラブルに対する不安はやっぱりあるわけで、個別に対処できる安全保障(セキュリティ)会社は民間にも需要があると思われた。


 エリオスなら知名度もあるから人も集まるだろうし、アナスタシアを鍛えた実績もあるから、人材教育の点でも頼りになりそうだ。だからランの居るハリチに会社を作って、そこで人を鍛えながら、主に運送業相手に商売をやってみたらどうかと言っていた。なんだったら、リーゼロッテ率いるホワイトカンパニーを預けても良い。


「でも、これも嫌みたいで断られたよ」

「エリオスさんは、ずっと先生と一緒に居たいんでしょうね」

「かもね……オカンじゃないんだから、そろそろ子供離れしてくれって言ったら、凄い複雑な表情されたよ」


 多少、自覚はあったらしい。


 そんなわけで、未だにエリオスは但馬の護衛として付き従っているわけだが、彼の部下はあっちこっちに分散していた。一応、首都の本社や工場に警備として出向させてはいるが、そういうとこには元々守衛がいるから、行ったところでやることがないらしい。親父さんに会いに工場へ行った時、エリックが退屈そうにぼやいていた。


 彼らは近衛や憲兵に仕事を取られてしまったわけだから、本当に申し訳ないが、但馬だって好きで偉くなったわけじゃないのだ。自分は何も変わっていない。なのに、気がついたら他人が羨む何かになっていて、そして引き返せないところに居た。


 そんなことを考えていると、但馬のことを見上げていたブリジットと目が合った。但馬がニコッと唇の端を上げると、彼女はとても嬉しそうな顔をした。今にも尻尾でも振り回しそうな感じである。


 それを見ていたジルから、クスクスと上品な笑い声が漏れてきた。コルフ総統父娘もいかにもありがちな含み笑いをしていた。但馬は恥ずかしくなって、話題を変えた。


「エリオスさんの話はともかくとして、ジルさんの方はどうなんですか? そろそろ、待望の跡継ぎが出来てもいい頃合いですが」

「情けない限りですが、今はまだ……主人と一緒になって、もう三年にもなるというのに、申し訳ございません」


 と言ってジルが頭を下げるものだから、但馬は慌てて手を振って制した。意地悪したいわけじゃないのだ。


 それに、多分、公爵夫妻が子供を作らないのは、自分たちに遠慮をしているからではないかと踏んでいた。もしも今、ウルフの嫡出子が生まれてそれが男子だったら、また皇位継承であれこれ言い出す輩が出てきかねないからだ。正直、頭が上がらないのはこっちの方である。


 出来ることなら但馬とブリジットがさっさと子供を作ってしまえばいいわけだが……子供どころか、結婚すらいつになるのか分からないのが現状だ。


「結婚か……」

「どうかされましたか?」

「いや、なんでも……」


 マリッジブルーじゃないが、正直、自分のことなのに漠然とした不安ばかりがして、あんまり考えたくなかった……しかし、もうそんな感傷に浸っていられる立場でもないのだ。


 みんなで馬鹿やって、先帝に怒られていた、面白おかしい時代には、もう戻れないのだ。


 但馬はブルブルと頭を振ると話題を変えた。


「エトルリアの方はまだ片付きそうもありませんか」


 そう言うとジルは難しそうに眉を顰めて、


「中々、苦戦しておられるようです……元々、私の実家が起こしたことなのに、公爵の手を煩わせてしまい不徳のいたすところです。本来なら主人も可愛い妹君のご即位を、ご自分の目で確かめたかったでしょうが……」


 先帝の存命中に始まったエトルリア南部諸侯とアスタクスの小競り合いは未だに続いており、カンディア公爵はその支援として挙兵し、今も海の上にいるはずだった。


 戦争を止めるようにと言った、先帝の遺言は未だに守られていない。


 エトルリア大陸南西部、外洋に面したイオニア地方で起きた戦いは、戦況が膠着したまま数ヶ月に渡って続けられていた。


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