皇位継承②
カラッカラの秋晴れみたいな晴天の下、ローデポリスの宮殿から一台の馬車がゆっくりと出発した。綺羅びやかな装飾を施されたその馬車を守るように、前後左右を目の覚めるような白い駿馬に乗った騎士が固めて、更にその後ろには300騎からなる近衛騎兵たちが整然と続いていた。
王宮前広場から続く沿道には人気はなく、幹線道路まで続く道の左右の家々は全て鎧戸が閉ざされていて暗かった。実際、全ての家には人っ子一人いないはずである。セキュリティの関係上、そういう決まりとなっていた。
王宮のまわりにある高級住宅街も、いつもなら人で賑わっている商店街にも人は居らず、普段なら絶対に感じられない、まるで時が止まってしまったような静けさの中、馬車の車輪や馬の蹄の音だけが寂しく響いた。
しかし、市街のメインストリートへと馬車が差し掛かるとそれは一転した。
幹線道路にはリディア海軍の軍楽隊が、新帝を乗せた馬車を今か今かと待ちわびていた。彼らはゆるい下り坂から先頭の車列が見えてくると、先頭を進むバンドマスターのタクトに応えて一斉に楽器を鳴らした。
それが合図となって、沿道に詰めかけていた国中の人々が一斉に歓声を上げる。
沿道にはそれまでとは打って変わって、人人人の波が押し合いへし合いしており、それを憲兵隊が必死に押し返そうとしているのであった。沿道には今、国中の人々が集まっており、本日新たに即位する自分たちの皇帝に、一言お祝いの言葉を投げかけようと躍起になっているのだった。
軍楽隊がマーチを奏で、幹線道路を行進し始めると、まもなく、王宮へ続く通りからひときわ綺麗な馬車が現れた。その美しい真っ白な車体がカーブを曲がって人々の前に全貌を現すと、耳をつんざくような大きな歓声が辺りを埋め尽くした。
驚いて立ち上がろうとする騎馬を近衛兵たちが必死に宥める。いよいよ近衛兵団の隊列が幹線道路に広がると、その中央を進んでいた馬車の幌が開かれ、中からは瀟洒なドレスに身をまとった、二人の女性が出てくるのであった。
新帝ブリジットと、その義姉カンディア公爵夫人である。
大綬を提げた美しいドレスに身を包んだ二人の女性が立ち上がり、沿道に向かってにこやかに手を振ると、たちまち人混みは畝る大蛇さながらに暴れ始めた。憲兵隊がそれを必死になって押さえつけるが、その熱狂は押しとどめても押しとどめても、あとからあとから湧いてきた。
沿道に詰めかけた人々の間をパレードの隊列が進んでいく。
先頭は軍楽隊、そのマーチの音に誘われて近衛兵に守られた主賓の馬車が続く。それが通り過ぎると、その後には銃剣を着剣したマスケット歩兵、それから砲兵隊が重い大砲を引きずりながら続き、更には新型のライフル銃を装備した銃士隊が続いていった。大砲を引く馬はどれも大きくて、まるで戦車のようである。
メディアと戦争をしていた当時、こんな装備は一つもなかった。ほんの数年前のことなのに……
新帝を祝福するために集まった沿道の人々は、その余韻に浸る間もなく、あの柔和な女帝がこれだけの戦力を保持していることを示され、驚きを隠せなかった。しかもこれは一部であり、本隊はエトルリア大陸に居るのだ。
世界最強。
誰が言ったか知らないが、その言葉に嘘はない。先帝が亡くなり悲嘆に暮れていたが、不安がることはないのである。彼の残したこの国は、紛れも無く世界最強なのだから。
そして『アナトリア帝国万歳!』の声が自然と沸き起こる中、パレードの最後に奇妙な集団が続いていることに気づき、人々は更に驚かされることになる。
殿を努めるのは揃いの軍服に身を包みながらも、どこか不揃いな集団だった。他の兵科が隊列を崩さず整然と行進する中、練度が低いのか妙にばらつきがみえた。
尤も、その違和感はそれだけではなく、彼らの所持する武器にあった。毛並みの良い馬に乗りながら、他の兵隊とは明らかに仕立ての違う軍服を着た彼らは、一人ひとりが別々の武器を所有していたのだ。
先頭を進むのは、若き銃士隊のリーダーを務めたリディア貴族の魔法兵で、すでに何体ものエルフを屠ったことで名を上げた、最近では国内でもちょっとした英雄と呼ばれる男であった。名をクロノアと言う。
沿道の人々が奇異の目を向ける中、その彼が馬に乗りながら抜刀すると、周囲のマナが呼応して、ゆらりゆらりと蛍光色の光が埃のように周囲に踊った。普通の人ならば滅多にお目にかかれない、魔法使い特有の緑のオーラを見た人々から感嘆の声が漏れる。
しかし、彼らが驚くのはまだまだこれからだ。先頭を行くリーダーの抜刀を確認すると、後に続く兵士たちも各々の武器を抜き放ち空に掲げた。すると周囲から渦巻くようにマナが集まりだし、霧が立ち込めるかのように道を緑色の光で覆ったのである。
まるで光の絨毯の上を進むようなその光景に、人々は我を忘れて見入った。そこにいる200人からなる集団は、その全てが魔法兵だったのだ。
エトルリアと比べたら無いに等しいとは言え、65年からなるリディアの歴史の中で、これだけの魔法使いが一堂に介することは、今までになかった。信じられない出来事だった。
何しろ、リディアは僻地であり、エルフや魔物のうろつく秘境であり、貴族である魔法使いが寄り付くなんてことは、昔は絶対にあり得なかったのだ。この国に居た魔法使いはせいぜい、王族とその関係者くらいのものだ。
それが今や、これだけの数の魔法使いが、自分たちの新皇帝のために馳せ参じたのである。
その事実が、砂に染みこむ水のようにじんわりと心の中に浸透していくと、人々はもはや言葉もなく、ただただあっけに取られて両手のひらをひたすら叩いた。
まるでミュージカルのグランドフィナーレのような拍手が沿道を埋め尽くすと、先を進む隊列に見惚れていた人々が何事かと振り返り、また同じようにその光景に目を奪われた。
それがさざ波のようにいつまでもいつまでも、パレードの終着点である、インペリアルタワーまで続くのであった。
半日続いたパレードが終わり、式典が始まる頃には日はだいぶ傾いていた。午後の遅い時間に始まったから当然であったが、リディアにはもはや国の隅々まで電気が行き渡っているから、暑い日中にやるよりも、夜に式典をやったほうが群衆にとっても楽だった。
尤も、それ以前の問題で、式典を夜にやったほうがいい理由もあったのだ。
インペリアルタワー前の公園広場から沿道にいたるまで、みっしりと群衆が詰めかける中、周囲が段々と暗くなっていく中で、新皇帝の即位式は行われた。
沿道の水銀灯が落とされ、インペリアルタワー中階のバルコニーに新帝ブリジットが姿を現すと、街中から地響きがするくらいの歓声と、割れんばかりの拍手が沸き起こった。
その騒動は数分間に渡って続き、新帝はにこやかに手を振りながら辛抱強く人々の興奮が冷めるのを待つと、亡き先帝の冥福を祈る哀悼の言葉と共に、皇位の継承を宣言した。
そして、常に彼女が身に付けている、リディア王国に代々伝わる宝剣クラウソラスを抜き放つと、その剣は光を放ち、沿道を埋め尽くす人々を明るく照らすのであった。
まるで太陽のように眩しいその光輝なる剣は王権の象徴であり、これをもってブリジット・ゲーリックの即位の礼が完了した。
群衆から投げかけられる温かい祝福の声がまだこだまする中、三大臣が恭しく進み出ると、新皇帝に臣下の礼を取る。そして、カンディア公爵の代理である夫人が王位を表すクラウンを彼女の形の良い頭に乗せた。
そしてブリジットは右手に錫杖を、左手に剣を掲げ持ち、皇帝としての最初の仕事として、詰めかけた群衆に向けて、高らかに宣言した。
「我はリディア! あまねく大地に轟く、七つの海を統べし王の中の王である!」
その言葉がどれだけの人の耳に届いたかは、はっきり言ってわからない。
その時にはもう、群衆の興奮は最高潮に達しており、いくら静粛を求めても無理な相談だったからだ。
だが、彼女の声は確かに式典に集まった臣下にはしっかりと届き、彼らは恭しく礼をすると、ブリジットを自分たちの王と認めて膝をついた。彼女はそれを見届けると、バルコニーに作られた仮設の玉座に着いた。
と……その時、インペリアルタワーの向こうの空に、幾筋もの光が駆け上っていくのが見えた。
何が起きたのかわからない群衆が、どよめきながらそれを見守っていると……ヒューッと笛を鳴らしたような音がしたかと思えば、夜空に突然、大輪の光が溢れだし……続いてドンッ!! っと、腹に響くような音がやってきた。
次々と打ち上げられる光の花が、夜空を真昼のように染めていく。
生まれて初めて花火と言うものを見た群衆は、それが何であるかが分からず、初めこそ恐怖に慄いた……だが、それも最初のうちだけで、次々と上がる大輪の花に、いつしか我を忘れて見入っていた。
赤や緑、黄色や白、形こそ真ん丸しか無くて寂しかったが、そんなのは興奮する彼らには関係なかった。隣の人の声も聞こえないくらい大きな爆発音と共に花火が打ち上がると、誰もが馬鹿みたいにポカンと口を開けて空を見上げた。
そして、その神秘的な光景に高揚感が抑えられない群衆たちが飛び跳ね、手をたたき、歓声を口にすると、今度はずっと真っ暗だったインペリアルタワーに新皇帝の誕生を祝福する、光の文字が浮き上がる。
今までは忌避されていた背の高い街路樹がライトアップされて白く浮き上がる。この国はもう、エルフを恐れる必要はないのだ。
広場に面した建物のあちこちに仕掛けられていた電球が、チカチカと点滅して人々の興味を誘う。
更に軍楽隊の演奏が始まると、新皇帝の誕生を祝う式典は最高潮に達するのであった。
花火が終わっても詰めかけた群衆は家路につくこと無く、いつまでもいつまでも口々に新皇帝を祝福した。それがやがて彼女を呼ぶコールになり、その声に応えてブリジットがバルコニーから顔を出すたびに、群衆からワーッと歓声が上がり、続いてリディア国歌を高らかに合唱するのだ。
式典はとっくに終わっているのだけれど、それがいつまでもいつまでも、空が白んで来るまで続き、リディアは文字通り世界で一番熱い夜を繰り広げるのであった。
新帝の即位式のことである。