皇位継承①
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怪物と戦う者は、みずからも怪物とならぬように心せよ
深淵を覗きこむ時、深淵もまたこちらを覗いているのだ
ニーチェ
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皇帝の葬儀については一悶着あった。
リディア王国から始まり、アナトリア帝国を一代で築き上げた皇帝の前に皇帝は無く、従って皇帝の崩御と言う前例もないものだから、現実にそれが起きたというのに、誰も何をやっていいのか分からず途方に暮れた。
生前からその事態を想定して議論をしていたら良かったのだろうが、事故を起因とした皇帝の死はあまりにも唐突すぎて、また、まだ生きている皇帝の死を口にすることは憚られたから、親族であるブリジットやウルフ、但馬を含めた大臣も、誰も何も考えられなかったのだ。
だが、こうして死と直面して、いつまでも放心しているわけにもいかず、悲嘆にくれているブリジットを尻目に、まず大臣たちが動き出した。
但馬はハリチのザナドゥ離宮に皇帝の遺体を運び入れると、首都の大臣たちへ連絡を入れた。
皇帝は……と言うか、この世界の人間はよほどの変わり者でもない限り、全てキリスト教徒であったから、その遺体は土葬されるのが一般的だった。だから遺体が傷んでしまう前に、埋葬を行わなければならない。だが、それが中々決められない。
ドライアイスが存在するので、常夏のリディアであっても遺体の保存はある程度ならば許容できた。だから、埋葬場所さえ決まれば、そこに運ぶまではなんとかなるのだが、困ったことにこれといった候補地がないのだ。
皇帝はカンディアで生まれ、その魔法的才能から頭角を表し当主の座を奪うと、本家の人間に疎まれてリディアに渡った。殆ど島流しに遭ったような格好だ。だから故郷であるカンディアに思い入れは無く、埋葬するならばリディアの地の方が相応しいだろう。
だが、リディアはよくも悪くも新しい国で歴史が浅く、象徴となるような景勝地がない。皇帝ほどの人物を埋葬するための候補地がないのだ。いや、ロードス島と言う何よりも目立つものがあるにはあるのだが、火山島でいつ噴火するかもわからないような場所に霊廟を建てるわけにもいかない。
首都ローデポリスは世界でも珍しいほどの過密都市で、開けた土地がなく、今となっては市外にまで住宅街が広がっており、まとまった土地を確保するのが難しかった。
それで最後に候補として上がったのがヴィクトリア峰だった。
ヴィクトリア峰は長年メディアと領有を争った戦場であり、これを奪取したことがその長引く戦争を終らせる切っ掛けとなった。帝国の飛躍の象徴で、海軍工廠や離宮もあり、フロンティアへの玄関口でもある。
ここに霊廟を建て、ヴィクトリア峰を霊峰とするのは悪くない考えである。
ついでに、皇帝の遺体をむやみに移動させたりしなくて済むのも良かった。やはり、死んだ人を自分たちの都合であっちこっちへ引き回すのは気が引けたのだ。ヴィクトリア峰は但馬が手掛けたザナドゥ離宮以外にも、いくらでも土地が余っており、ケーブルカーも稼働し始めたことから資材搬入も楽になり、好きな場所に霊廟を建てることが出来る。
そうと決まれば話が早いと、但馬達大臣はヴィクトリア峰に候補地を決めると、国内に皇帝の崩御を伝えた。
しかしこれは些か早計であった。
皇帝が療養を始めてから一向に回復する気配がないことから、薄々それを気づいていた国民は、ショックを感じつつも、比較的冷静にそれを受け入れた。そして皇帝に最後のお別れをしようと一路ハリチを目指すことになったのだが、何しろハリチは遠いから、全ての国民が訪れることは出来なかったのだ。
それでも無理をして陸路と海路の両方を使って遠いヴィクトリア峰までやってきた彼らは思った。
どうして自分たちの王様に別れを告げるために、逓信卿の領地へ来なければならないのか……まるであいつが王様みたいじゃないか……
本当は、いくら気が引けても、皇帝の遺体を首都に戻すべきだったのだ。例え、その後、再度ヴィクトリア峰に埋葬したとしてもだ。
こうして但馬は国民に少なからず反感を買っていたのだが、大葬儀に、霊廟の建設に、新皇帝のお披露目にと、その後の国家行事の目白押しを考えると、気が急いていてそこまで思い至らなかった。
それが後々に禍根を残すことになる。
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大葬儀を終え、霊廟の建設が始まった。
帝国内は、戦争中のカンディアを除いて一ヶ月間の喪に服し、間もなく新皇帝……言うまでもなくブリジットが即位する手はずになっていた。
彼女はこの一ヶ月でだいぶ落ち着きを取り戻していたが、やはり突然の祖父の死と、皇帝になるというプレッシャーで精神的に不安定になり、見るからに精彩を欠いていた。
但馬は、そんな彼女の心の隙間を埋めるべく、常に彼女に付き従い、その行動を補佐していた。それと同時に大臣の仕事と国事の準備を行っていたため、もう殆ど家には帰っていなかった。
ブリジットの手を引きながら、国内のあちこちを忙しく飛び回る但馬の姿は国民にもよく目撃されており、もはや彼がゆくゆくは新皇帝の伴侶になるだろうことは、揺るぎない既成事実となっていった。
本当なら時間をかけて徐々に受け入れられていくべきものだったろうに、その姿がどのように人々の目に映っていたかは推して知るべしである。
そんな折、新皇帝の即位に先立ち、リディアは恩赦と新貴族の叙勲を行った。これは新体制に移行するに際し、新皇帝に忠実な貴族を出来るだけ取り込もうと言う狙いがあった。
皇帝のお膝元であるリディアには、現在、続々とエトルリアから貴族が集まりつつあった。彼らは聖遺物を持てども領地を持たぬ都市貴族たちだったが、停滞するエトルリア内での出世を断念し、今や新大陸へも版図を広げようとしているアナトリア帝国に活路を見出し、海をわたってきたのだ。
都市貴族とは大体は商人のことなのだが、もちろん生粋のエトルリア貴族でもあるから、彼らは魔法使いとしての実力を兼ね備えており、これを取り込むことは帝国にとってもメリットが大きかった。
大国としての権威付けとして、魔法使いの数はわかりやすい象徴なのだ。魔法使いの少ないアナトリア帝国は、魔法使いが居なくても戦える戦術を磨いていったわけだが、それでも居るのと居ないのとでは大違いだった。また彼らもガッリアの森やブリタニアのような、フロンティアになら念願の領地を持てるかも知れないので、お互いの利害が一致した格好である。
こうしてリディアはメディア人、カンディア人、コルフ人、エトルリア人と、いよいよ多民族国家、ひいては大国になりつつあった。領土的にもガッリアの森や海外へと広がり続けており、経済力、軍事力、そして人材と、正に大国に相応しい機能が備わりつつあった。
……そんな中、新たにリディア貴族として、一つの家が興ろうとしていた。
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「……あ! おじいちゃあ~~ん!!! おじいちゃああ~~ん!!!」
西区、インペリアルタワー前の中央公園広場に大きな声がこだました。
その元気な声に、誰もが驚いて目を上げた。
中央公園広場には、今、インペリアルタワーに続く赤絨毯の先に大きな舞台が備え付けられており、その壇上には綺羅びやかな服をまとった男女がずらりと並んでいた。
新貴族として叙勲式に出席していたフレデリックは、その姿を一目見ようと集まっていた群衆の中に、自分の祖父の姿を見つけ、嬉しくて思わず声を上げた。まだ年若く、にきび面のその顔にはあどけなさが残り、叙勲を受ける貴族の中では明らかに浮いているが彼もまた、今回の叙勲式で爵位を受ける一人だったのだ。
その場違いなほど大きくて無邪気な声に、あちこちからどよめきが起こった。彼の祖父である農場のおじさん……S&H社の副社長で、実は生粋のリディア貴族であるおじさんは、堪らずはしゃぐ孫を叱りつけた。
「こんれぇ~! お役人さ困っでーでねえがっ! シャンとしんさい、シャンと!」
会場から失笑が漏れる。おじさんの隣で一張羅に身を包み、神妙な面持ちをしていたマンフレッドが頭を抱えた。場違いといえばこちらもまた場違いだった、おじさんはいつもの作業着である。
訛り丸出しのそれがあまりにも滑稽だったものだから、フレデリックを式場に迷い込んだ子供だと勘違いした新貴族の一人が彼をつまみ出そうとした。だが、すぐにその行為を咎められ、相手が誰かを周囲から聞かされた貴族はギョッとして縮こまるのだった。
フレデリックの爵位認定は、今回の目玉の一つと言って良いほど、各方面から注目されていた。
S&H社の発足時から、ずっと大番頭を勤め続けた“フレッド君”は、今やリディア国内で知らぬものが居ないほどの有名人となっていたのだ。言うまでもなくS&H社は、今となっては帝国に無くてはならない大企業であり、その重要なポストを務め上げた彼もまた、但馬同様の大商人と見做されていたからだ。
彼をつまみ出そうとした貴族はビックリして背中を小さく丸めると、スゴスゴと引っ込んで恨みがましそうに横目で彼の姿を盗み見た。話には聞いていたが、こんなに若くてあどけない少年だとは思ってなかったのだろう。17歳を迎えて手足は伸びきっていたが、彼は子供の頃から変わらぬ愛嬌と無邪気さを未だに持ち合わせていた。
祖父に向かって手を振ってはしゃぐ彼に苦笑いしつつ、役人が勲章を授けると、会場のあちこちから大きな拍手と、黄色い歓声が上がった。
慎ましやかな生活を送っているから勘違いされ勝ちだが、言うまでもなくフレデリックもまた国内有数の大金持ちである。おまけに若くて三男坊とくれば、世の中の婦女子が黙っていないだろう。
案の定、会場の片隅から黄色い声が上がると、それを見ていたマンフレッドはチッと舌打ちをした。自分だって同じ社員なのに、偉く差をつけられたもんである。従兄弟同士で、年下なのも気に食わない。
尤も、彼のその嫉妬も、従兄弟同士の中では全然マシな方だったのであるが……
その後まもなく、勲章を授けられたフレデリックはニコニコと手を振りながら広場へと下りてきた。祝福の声に笑顔と大きな声で応えると、彼は祖父の元へと駆け寄って、ギュッとそのその体を抱きしめた。
おじさんは孫の背中をポンポンと叩きながら言った。
「まあ~ったくよう! 偉くなるっちゃに、おめは相変わらずだあなあ。オラあ肝さ冷やしたでな」
「あはは、ごめんなさい! つい、嬉しくって!!」
おじさんは自分よりも背が高くなった孫の頭をグリグリと撫で回した。せっかく整えた頭髪が乱れても、彼はニコニコと笑っていた。元々、無邪気で素直な性格だったが、数ある誘惑にも靡くこと無く、実に真っ直ぐに育ったものである。本当なら、結婚まで自分がしっかり面倒を見てやりたいのだが……おじさんはため息を吐いた。
「こんでおめさんもオラとおんなし爵位持ちでよう。ちったあ落ち着かにゃあ」
「うんっ! でも、誰も来てくれないと思ってたから。お祖父ちゃんの顔を見て、本当にホッとしたんだ!」
フレデリックは5人兄弟の三男坊である。マンフレッドの他にも従兄弟が18人居る。しかし、そんな大家族なのに、今日集まった親戚は祖父とマンフレッドだけだった。
どうしてそんなことになっているのか? 実はフレデリックは家族内で孤立していたのである。
元々、農家であるおじさんの三男坊の三男坊として生まれたフレデリックは、一家の序列で言えば、居ても居なくても変わらない、取るに足らない存在だった。普通だったら畑なんかとても貰えるわけがなく、独立はおろか、将来的には長男の援助の下で結婚もせずに一生を終えるはずだった。
ところが、リディアに但馬が現れたことで状況が一変した。
兄弟の中では一番勉強が出来た彼が但馬の会社で働き出すと、メキメキと頭角を現し、あっという間に親戚の中での稼ぎ頭となったのだ。
更にS&H社の貢献で、国土が広がり、農作物の収穫も増大し、国民の暮らしぶりが良くなり、本来だったら畑を貰えるはずもなかったマンフレッドにまで土地が与えられるほどに、リディアは豊かで強靭になっていった。
その中心に、取るに足らない三男坊がいることが、兄弟や従兄弟たちは面白くなかったようだ。
実は但馬の会社で働いてる間も、元気そうに見えて家では居場所を無くし、イジメられていたらしい。
おじさんが気づいた時には、フレデリックは親戚中で疎んじられて孤立していた。
特に、自分よりもずっと稼ぎのいい弟に長男が嫉妬し、あからさまに攻撃しているのは閉口した。そうやって一家の長を自負するのなら、自分こそが弟を守ってやらねばならないと言うのに、真逆のことをやっているのだ。
おまけに、その長男が弟をいじめるものだから、その嫉妬は周囲にも伝染し、気がつけばフレデリックは親戚中から生意気な奴と思われ嫌われていた。
それでいて、そこまで嫌がるなら、フレデリックを追い出せばいいのに、彼の両親も長男夫婦も絶対にそうはしなかった。
もちろん、彼が咥えてくる毎月の給料がなくなると困るからだ。
このままではいけない……
憤慨したおじさんは、そんなわけで三男夫婦に説教すると、フレデリックを独立させるべく但馬に働きかけた。三男夫婦も、そのお零れにタカる親戚連中も、気がつけばどいつもこいつも楽に手に入るお金のせいで、ろくに畑仕事もせずに荒れ放題だったのだ。
その過程で親戚一同を巻き込んで、揉めに揉めることになったのだが……今回、こうして爵位を授けてもらい、彼はリディアの新しい騎士となった。フレデリック・ロス。それが彼の新しい名前である。
「それでせっかくの晴れ舞台に俺と爺ちゃんしか来なくなっちゃうんじゃ、大きなお世話だったんじゃないの……いてっ!」
おじさんはぶつくさ言うマンフレッドにげんこつを落とした。
「おめえはいっっっつも、一言余計だでよ! あっただ根性ババ色な連中、こんでよかったと思うくれえで良いべさ。みんなで示し合わして、陰険ったらありゃしねえよう……オラあ、自分の子供さ思うと情けねえ」
おじさんはため息混じりにそう言いつつ、ふと思いついたように、
「そいや、おめえさんはでえじょうぶだったでのう? 親戚連中さ、村八分なんねえか?」
「別に。行くなって言われたけど、社長にバレたら仕事やめさせられるって言ったら黙ったよ。俺も実家に仕送りしてるんでね」
「おめえも苦労してんだなあ」
「なんかすみませんでした」
おじさんとマンフレッドがやれやれと愚痴っていると、フレデリックが萎縮してシュンと頭を下げてくる。
どう考えても、彼は何も悪くないのに……
おじさんたちは苦笑すると、彼の頭を左右からポンポンと叩き、
「いたっ! ポンポン叩かないでくださいよ!」
「おめえさんは、ほんに真っ直ぐ育ったあなあ。逆に心配になるでよう」
「まったくだな。でももうおまえはロス家の当主なんだから、謙虚なだけじゃダメだぜ? 爺ちゃんや社長みたいに、家名を守んなきゃいけない立場になったんだから、馬鹿にされたら怒らなきゃよう」
「そうなんですか? 喧嘩はいやだなあ……」
「……いや、知らないけど。俺、貴族じゃないし。なんとなくそう思うだけ」
「社長は気にしてないみたいですけど!」
「まあ、あの人は別格だからな……」
そうは言っても、フレデリックのようないい子でも、ただ金を持っていると言うだけでこの仕打ちなのだ。
但馬ほどになるとどのくらい嫉妬されるものなのだろうか?
言われない中傷を受けるものなのだろうか?
マンフレッドは思った。個人的に付き合いがあるから勘違いしないで済んでいるが、庶民の出でありながらあそこまで出世した人間を、世間の人々がどういった目で見ているのか……まだ但馬のことを知らなかった頃、あこがれと共に抱いていたもやもやしたものを思い出して、彼は暗い気持ちになった。
「マンフレッド! ほれえ! フレデリックの新居さ見つけてやらにゃあなあ、こいから不動産さ見てまわっぞ!」
「へーい」
独立したといえば聞こえは良いが、殆ど家から追い出された格好のフレデリックの住む家を探しにいくため、これから不動産屋めぐりの予定だった。そう言えば、亡き先帝も、その実力を疎まれてリディアに渡ってきたはずだ。但馬も金持ちになったら、命を狙われるようになったらしい。
どうして人間は、出る杭をむやみやたらと打ちたがるのだろうか。
テクテクと歩いていると、あちこちから従兄弟を追いかける視線を感じた。その殆どが女性である。
「まあ、これほどの優良物件もないだろうしな……」
彼は独りごちると、先を行く祖父とフレデリックの後を追いかけて、歩を早めた。
季節のないリディアにあって、何故か肌寒さを感じる午後だった。新貴族の叙勲式はまだ続いている。
会場は、どこかよそよそしさを感じさせた。この式典は、もう間もなく誕生する新帝の威光を示すための叙勲式であるのに……
その出席者の誰も、新帝の話をしていなかったからだろうか。





