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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第五章
182/398

遠き山に日は落ちて②

 それからまた時が過ぎた。


 但馬達大臣はその間、仕事に忙殺され、見舞客の対応に追われ、ブリジットの補佐に奔走し、気がつけば気がつかない間に年が明けていた。


 この国には季節がない。だから実感が湧きにくい。本当なら年末年始は街が賑わい、いやでもそれを意識するのであるが、今年は皇帝の容態が悪化してからはそんな雰囲気には到底なれず、自粛ムードで街がどんよりとしている中で、いつの間にか年が明けていた。


 その頃になると、皇帝はまるで幼い子供のように、一日の半分を眠って過ごしていた。体調の方は良くなったのだが、言い方は悪いが頭のほうがどうにもよろしくない。起きてもぼんやりしていることが多く、公務のことももうあまり思い出さないようだった。こうなってくると、嫌でも後継者のことを考えねばならないのだが、そんなことブリジットに言えるわけもなく、但馬達大臣4人は途方に暮れていた。


 ところが、そんなある日の事だった。


 いつものように、但馬が早朝の王宮からインペリアルタワーへと登庁しようとすると、部屋の外で待っていた皇帝直属の侍従長に引き止められた。


「閣下。皇帝陛下がお呼びです」


 王宮で寝泊まりするようになると、退屈をしているせいもあってか皇帝に呼び出されることはよくあった。だが、こんな早朝から呼ばれるのは珍しい。もしかして眠れなかったのかなと、心配しながら皇帝の私室へと足を運ぶと……


「おお、但馬か。入れ」


 コンコンっとノックすると、いつもとは違い、部屋の中から皇帝の元気な声が聞こえてきた。


 侍従に目配せしてから部屋に入ると、そこには久しぶりに寝間着からラフな部屋着に着替え、事故が起きる以前の彼らしいカクシャクとした姿で、皇帝がソファでくつろいでいた。


 どうやら今日はよほど体調がいいらしく、その姿にホッとしたが……但馬はすぐ、祖母の最期を思い出して気を引き締めた。


「おはようございます、陛下。お体に触りますよ。無理せずベッドに戻ってくださいよ」

「なに、今日は本当に具合が良いのじゃ。このところ、一日中寝ていたせいかな」

「ならいいんですけど……無理はしないでくださいよ? 本当に」

「お主は心配症じゃのう。しかし、それも無理からぬことか、最近の儂は自分でも嫌になるほど記憶が曖昧じゃ。後になってそれを思い出すと情けなくなるわい」


 そういう自覚があるときの彼は、本当に調子がいい証拠だった。だが、その事実と相反し、皇帝は深刻な顔をしていた。どうやら、真剣な話がしたいらしい。


「但馬よ。またいつ呆けるか分からんので、その前に言っておく。茶化さずに聞いて欲しい。儂はどうやら、お迎えが近いようじゃ。もう間もなく死ぬじゃろう」


 そんなことはない。


 例え気休めでもいいからそう言いたかった。


 だが但馬は何も言わず、彼の話を黙って聞いた。


「儂は人より長く生きておる、普通ならとうにお迎えが来ていてもおかしくない。思えば、小さな島国から追い出され、生きていくのも過酷なこの地に流されて、明日も知れぬ不安な日々の中で、よくぞここまで生き抜いてこれたと思う。そして幸運なことに、こうして配下にも恵まれ、世界にも名だたる帝国を築き上げた。じゃから悔いはないと言いたいのじゃが……これだけ生きていると逆に気掛かりばかりが思い浮かんでのう……情けない話じゃ」

「なんでも言ってください。出来ることならなんでもします」

「いやなに、気掛かりは確かに沢山あるが、もうお主らに任せておけば良いと思っておる。だから、そう畏まらんでも良い」

「はい」

「じゃが、最後にどうしても行きたいところがある。メディアじゃ」

「……メディアに? なんでまた」


 すると皇帝はその疑問は分かると言いたげに、うんうんと二度相槌を打ってから、


「なに、単純な話じゃ。行ったことが無いからじゃ。戦争をしていたというのに、儂は彼の地について何も知らぬ。何と戦っていたのかも……よく分かってない」


 意外であったが、言われてみれば確かに、彼には行く機会が無かっただろう。メディアに一方的に独立を宣言されて、当時のリディア王国は西方への進出を阻まれた。勇者もいなくなり、ローデポリス周辺の開拓も出来ず、争いはやがて戦争へ発展した。それが何十年も続いたのだ。


「お主の活躍でメディアを併合出来たはいいがのう……本当にそれで良かったのかどうか。亜人は未だにローデポリスに馴染めぬ。人間の差別もなかなか無くならぬ。仕方なくメディアの自治を許しておるが、儂が死んだ後にどうなるのか気掛かりじゃ。出来れば儂が生きている間になんとかしたい……じゃから勇者殿……儂をメディアに連れて行ってはくださらぬか」


 皇帝の目がボンヤリとし始めた。彼は空中にある見えない何かを見ているようだった。それが但馬に見えるメニュー画面のようなものなら話は早いが、多分そうではないだろう。彼は記憶が曖昧になった感じに、但馬と勇者を混同し始めた。


「勇者殿が理想とした、儂は人間と亜人が仲良く暮らせる国を作れたのかのう。彼の地の者が幸せであるなら良いが、そうでないなら、悲しいことじゃ……そうそう、勇者殿。最近、ブリタニアへ渡って帰ってきた部下がおってな? お主の故郷であるそうじゃが人っ子一人居らんと言っておったわい。やはり儂の睨んだ通り、但馬殿は嘘をついて居られたのじゃな。きっともっとどこか遠くからやってまいったのであろう。セレスティアよりももっと遠く、遠く。あの海の果てよりも遠く、空の果てよりも遠く……そう言えば但馬よ、お主、今日はヴィクトリアを連れておらなんだか。従者のアインは息災か、あれと儂とは友達じゃった。よく一緒に遊んだ。魚を獲った。本当は……何の話をしておったのかのう」


 目を(しばたた)かせながら、皇帝は夢うつつといった感じの脈絡のない言葉を話していた。上半身が前後に揺れて、まるで船を漕いでいるかのようだ。長く喋って疲れてしまったらしい。傍で見ていた侍従が忍び寄ってきて、彼を優しくソファに横たえると、フワフワのタオルケットをかけた。


 但馬は皇帝に向かってお辞儀をすると、何も言わずにその場を後にした。


*********************************


「メディアに行きたい……ですか」


 インペリアルタワー最上階の謁見の間で、ブリジットと但馬達4人の大臣が集まっていた。


 但馬は今朝、出掛けに皇帝に呼び出された時のことを話した。


「それは、なりませんぞ」「あそこには、陛下が滞在なされるような場所がありませんからな」「あんな暑いところへ行ってはイタズラに体力を減らすだけです」


 三大臣は揃って反対意見を述べたが、


「しかし、陛下たってのお願いなのでしょう……?」


 ブリジットにそう言われると、みんなシュンとなった。本心は皇帝のわがままを聞いてあげたいのだ。だが、場所が悪い。何しろメディアは赤道直下の熱帯雨林地方なのだ。


 但馬だって本当だったらすぐにでも連れて行って上げたかった。だが、メディアにはろくな宿泊施設もなく、不衛生で暑くてジメジメしていて、どんな病原菌がいるかわからない。アナスタシアが居れば平気かも知れないが、高齢からくるものもあるのだから、絶対とは言い切れない。


 正直なところ、今の皇帝が日帰りでちょっと行って帰ってくるなんてことは、絶対に出来っ子ない場所なのだ。連れて行ってあげたくとも、無理がありすぎる。


「ただまあ、連れてくのは無理でも、気掛かりを減らしてあげることは出来るんじゃないか。ウルフにも言っていたみたいだけど、どうも陛下は自分が撒いた戦争の種をちゃんと回収したいみたいなんだよ」


 自分が生きているうちに……


「どういうことです?」

「ウルフにエトルリアとの戦争に早めに決着を付けるように言ってたように、陛下はメディアを併合したは良いが、今、亜人たちは幸せなのか? って気にしてたんだ。だから、亜人たちが満足して暮らしてるって示してあげられれば良いんだけど」


 すると三大臣は顔を見合わせて意気消沈した。


「今更そんなこと言われても、併合してすぐに多くの亜人が国から出て行ってしまいましたからなあ」「今、彼の地に残っているのは子供ばかりでしょう?」「ローデポリスの住民も、相変わらず亜人を嫌っていますし、弱りましたな」


 せめて、亜人と人間が協力して暮らしていればいいのだが、メディアは金山が見つかったせいで、逆にガラの悪い連中が増えすぎて治安が悪化し、労働者を閉じ込める租界を作る始末だった。そんなのを見たら、皇帝はきっとガッカリするだろう。


 かと言って、亜人保護をうたって肩入れすれば、他の国民が不満に思うだろう。あっちを立てればこっちが立たない。


 みんなため息を吐き、なんとかならないかと嘆いていると、


「それでしたら、ハリチにお連れしてみてはいかがですか?」


 ブリジットがボソッとそんなことを言い出した。


「あそこはメディアじゃないぞ?」

「でも亜人と人間が仲良く暮らしているじゃありませんか」


 まあ、確かに……言われてみれば、国内であれだけ亜人が堂々としていられるのはあそこくらいだ。尤も、それはホワイトカンパニーの傭兵であったり、牧場の従業員だったり、競馬場の騎手だったり、但馬の会社の社員だからなのだが……


 いや、それでいいのか? ローデポリスの人間だって、但馬の会社の社員だらけじゃないか。


「亜人が職業を得て、人間と対等に暮らしてるって言ったら、そうだな」

「それにザナドゥ離宮は元々陛下のために建てたもの。高原は避暑地として申し分ない涼しさで、体調を崩しやすく空調を使えない今、常春と呼べる離宮は陛下の養生先として最適なのではないでしょうか」


 ブリジットの提案は説得力があった。大臣たちはお互いに目配せしあうと、頷きあった。


「そうでございますな。このままローデポリスに残っていたところで、いたずらに体力を削るばかり」「問題は、彼の地までの移動で疲れてしまわれないかですが……」「それでしたら最近は、アスファルト道路のおかげで、馬車もさほど揺れませんぞ」


 こんな時、鉄道が通っていればと思うが、悔やんでも無いものは仕方ない。周辺のエルフを排除し、アスファルトで地面を固めておいただけでも上々だろう。


「あとは、陛下がハリチで我慢してくれるかどうかですな」「我々だけで考えていても仕方ありません」「次に陛下の気分がよろしい時にでもお尋ねしてみましょうか」

「それは多分、平気なんじゃないかな」


 但馬が言った。


「陛下と話してた時、段々と記憶が混乱してっちゃったんだけど、途中で気になることを言ってたんだよ」

「気になること?」


 メディアの執政官として、ただ一人、ヴィクトリアの村に残った老齢の亜人を、但馬は思い出していた。


「多分、陛下はメディアに行きたいんじゃなくって、ある人に会いたいんだと思う。ザナドゥ離宮で庭師を探してたから、やってみないか相談してみるよ。最近はメディアも落ち着いて、きっと暇してるだろうし」


 但馬がそう言うと、大臣たちは思い当たるフシがあったのか、うーん……っと唸ると、バツが悪そうに唇をへの字に曲げていた。状況がよく飲み込めないブリジットが問う。


「リディアは元々、陛下と勇者様が人間と亜人が仲良く暮らせる国を作ろうとして出来た国」「ですから、陛下は本当は亜人のことが嫌いでは無いのですよ」「ただ、それを表立って言えば不満に思う国民もおりますので」


 勇者に絶対服従であった亜人たちは皇帝の呼びかけには応えず、手ぬるいやり方をあまり配下に見せられなかった皇帝も、やがてその気持ちを表に出さなくなっていった。そうこうしている内に、お互いに引き返せないほど仲がこじれていったわけだが……


 元を正せば、メディアの亜人達だって、リディア国王の配下だった時代がある。きっとその頃は、彼らは友達と呼べるほど、仲が良かったのではなかろうか。

 

****************************


 皇帝の容態が回復し、またメディアに行きたいと言い出したのは、あれからすぐのことだった。メディアは無理だが、ハリチへ行くのはどうか? と提案すると、皇帝は初めは難色を示したが、暫くして落ち着くと、本当はそっちにも行ってみたいと思っていたと言い出した。但馬が作る街というものにも、それなりに興味があったらしい。


 いきなりハードルを上げられたが、許可を得たので王宮の侍従たちに相談すると、彼らは自分たちの同行を条件に協力を申し出た。そして、移動中に身体にさしさわりがあると困るからと言われ、但馬は特注の馬車を用意することになった。


 そんなわけで、元々鉄道の客車のつもりで開発中であったものを流用する形で、巨大なトレイラーのような物を完成させ、内装をキャンピングカーのように充実させて見せると、その巨大さに皇帝は大いに喜んでいた。デカい=強い=凄いが脳内で直結している、実にリディア人らしいリアクションである。


 本来なら蒸気機関車に引かせるはずであったから、それを無理矢理馬に引かせようと思ったら、馬が20頭も必要になった。そのため、道路には馬が乗りきれず、並走する形で横から引っ張る……と言うか押していったのであるが、それだけやっても巨大馬車は殆ど揺れず、乗り心地は抜群に良かった。


 道中、車窓からゆっくりと流れる景色を見ながら皇帝が言っていたのだが、彼は生まれてから殆ど国外へ出たことがなかったそうだ。ただ一度切り、爵位を貰いにアクロポリスへ行ったことがあるくらいで、リディアを建国した後はエトルリアともギクシャクした関係になったせいで国内から動けず、王宮と政庁舎以外に行ったことがなかった。だからいつも息子たちが羨ましいと思っていたそうで、


「ビディは自由がない自由が無いと言っておるが、儂に比べたらこの孫娘は大したことないぞ。儂の若いころは国内もこれほど広くは無く、街はローデポリスしか無かったのじゃ。メディアに行ったり、カンディアに行ったり、ついには探検船団を組織して未知の海域を制覇したりと、羨ましい限りじゃわい」

「うっ……すみません」


 同行しているブリジットに愚痴をこぼしながらも、皇帝はたいそう機嫌がよく、馬車旅行を楽しんでいた。馬車は、馬を代えながら丸2日の行程を進んだが、その間、彼は一度として王宮に居た時のような記憶の混同を見せず、かつてのカクシャクとした姿でずっと居た。どうやら、外からの刺激が良い方に出ているらしく、ホッとする。


 彼は車窓の景色を物珍しそうに眺めては、あれは何だ、これは何だと、子供のように孫娘に尋ねていた。ヴィクトリア峰を間近に見るのも実は初めてで、その大きさに感嘆の声を上げていた。


 ハリチに入ると、そこは首都ほど人通りは多くないが、道幅がゆったりと取られたメインストリートを通って、馬車は街の中心部へと向かった。メインストリートには街路樹が立っていたが、それはローデポリスでは見られない高木であり、皇帝は大丈夫なのか? と不安に思ったそうだが、街中に入り、近衛兵と共に周囲を警戒している亜人兵を見て安心したらしい。


 領内へ入ると、いつものメイド服とは違い、白い軍服に身を包んだリーゼロッテが馬車の前に踊り出て先導を始めた。彼女を取り囲むように亜人騎兵たちが付き従い、周囲を威圧しながら街を行った。


 疲れるので歓迎式典などは一切予定に無かったが、沿道には自然と人々が集まり、通り過ぎる車列に黙ってお辞儀をしていた。あまり大声を出したりして、皇帝の心労になってはいけないと自然とそうなったのであろう。


 馬車がハリチ港の見える街の中核部へと入ると、皇帝もいつぞやのタチアナみたいに、


「なんだか狭い街じゃのう……土地がないから仕方ないのじゃろうが。じゃから、好きな場所を好きなだけ切り取って良いと言ったではないか」

「いや、ここは港だけなんですよ。離宮はあっちの方です」


 但馬が山の上を指差すと、皇帝は首を捻っていたが、今回のために急いで完成までこぎつけたケーブルカーの乗り場まで来ると、彼は興奮を隠し切れない様子であった。


「凄い! これは凄い! まるで空を飛んでるようじゃ」


 急造のケーブルカーに乗ると、もしかしたら怖がるかな? と思ったが、皇帝は窓にかぶりつくように顔を張り付けると、逆に嬉しそうに外を眺めて下を覗き込んでいた。ローデポリスに居た頃は、こんなに元気な姿は全く見られなかったから、感極まったお付きの侍従がこっそりと涙を流す中、


「陛下、凄いのはこれだけではないんですよ? なんと、私のお友達は、空飛ぶ機械に乗って、本当に空を飛ぶんです」

「何じゃと!? それは(まこと)か?」

「本当ですよ。首都へ戻る前にはもうかなり飛べるようになってましたから、いずれお目にかけることも出来るでしょう」


 但馬がそう言うと、皇帝は感嘆のため息を漏らした。自分が知らぬ間に、世の中がどんどん変わって行く。


 標高1000メートルはある高原にも、あっという間に到着した。ケーブルカーに乗って、ものの15分足らずで山の中腹まで上がってきた皇帝は、ケーブルカーから出るやいなや、下とは違う涼しい気候に驚いていた。


 しかし、これまでの出来事で、物凄く期待が膨れ上がっていたのか、


「なんじゃ……みすぼらしい所じゃのう……1階建てではないか」


 ワクワクしながらやってきた離宮をひと目見るなり、皇帝がガッカリしながらそう呟いた。


「みすぼらしい……ではなくて、せめて渋いって言ってくださいよ……」

「……? どこが違うんじゃ?」


 この国の人達は、どうしてこうワビサビというものがわからないのだろうか。但馬がプンプン怒りながら案内をしてると、ブリジットが、


「いえ陛下、住めば都って言いますが、ここの寝殿からの眺望は素晴らしいですよ。西の海はどこまでも続いて冒険心をかきたててくれますし、夜になると麓のハリチ港の明かりがキラキラして、まるで空を飛んでるような気分になります」

「ほう、それは夜が楽しみじゃ」


 そんな会話をしながら中央の寝殿まで案内すると、そこから見える庭の方は気に入ったようだった。


「これはなかなか良いものじゃ。ただ広いだけではく、大きな池と様々な植物が同居しているようじゃの。あの池には魚もおるのか?」

「はい、あっちの釣り堀で釣りも出来ますよ。池の中にある飛島は、世界地図を模して見ました。中央にあるのがロディーナ大陸です」

「なんじゃと? あれが、か……? 世界はこんなにも広いのか。リディアは爪の先にもならんではないか」

「いえ、それどころか、ここにある島は今判明しているものだけです。この先には、まだ見ぬ世界がずっと広がってます」


 皇帝は、ただただ、唖然としてため息を吐いた。遠い遠い西の海にブリタニアを発見したのは1年ほど前であるが、そのブリタニアすら一跨ぎ程度の距離しか無い。


 自分の作り上げた帝国は、三界に轟くほど大きくなったつもりであったが、その帝国ですら、世界の大きさに比べればちっぽけなものでしかなかった。


 悔しい……皇帝は思った。せっかく、外洋を航海する技術がこなれて来て、冒険はこれからだと言うのに、それを見ずに自分は逝かねばならないのか……眼下にはハリチ港があり、その先にはどこまでも続く海が広がっている。その先の先までたどり着くにはあと何年必要だと言うのか。


 電気も、外洋を走る船も、世界一周だって……かつて但馬が大風呂敷を広げたホラ話は、今はもう夢物語ではなく、その殆どが現実のものとなっていた。あと少しだと言うのに……


 未練は残したくない、そのための気持ちの整理はつけたはずなのだが、こうしてまた次々と新たな未練が沸いてくる。楽しいことがどんどん見つかる。かつて勇者と共に駆け抜けた時代のように、新たに冒険心が掻き立てられる。


 でももう、皇帝はそれについていくことが出来ないのだ。


 彼は、はぁ~……っとため息を吐いた。


「お疲れですか、陛下? 移動でくたびれたのでしょう。今日は早いですが、もうお休みになられては」

「いや、疲れては居らぬ……それより、この庭の木々は見慣れぬな。リディアのものではないだろう」

「はい。メディアの物です」


 但馬が言うと、皇帝は眉をひょっこり上げて目を丸くした。そこにはハイビスカスやバナナなどの熱帯特有の樹木が植えられていた。


「ほう、これがメディアの……」

「陛下が彼の地へ行きたがっていたので、せめて雰囲気だけでもと思い、こうして用意して貰いました。あちらがこれを作庭してくださった庭師です」


 但馬がそう言って紹介したのは、白髪の老亜人だった。短命の者が多い亜人の中で、よほど長生きしたのだろう、彼の特徴的な耳は垂れて萎れており、顔もしわくちゃで腰も曲がっていた。ただ瞳だけが炯々と輝き、皇帝の顔を捉えると、彼は申し訳無さそうな素振りで頭を下げて、視線を地面に投げかけた。


 皇帝はその顔を見て、杖を取り落とし、足を引きずるようにして庭への階段を居りていこうとした。ブリジットと侍従長が駆け寄って彼の両脇を支える。


「アインか……」


 皇帝はズルズルと足を引きずりながら彼の前へと進み出ると、アインは少し躊躇するような素振りを見せてから、


「お久しゅうございます、ハンス様。本当は、このような場に出てこれるような身ではございませんでしたが……」

「何を言う」


 皇帝は彼を支える二人の女性を振りほどくように体を揺さぶると、目の前で頭を低く低く垂れている亜人に向かって一歩一歩近づいた。そしてその肩を強く叩くと、


「我々は友達だったじゃないか」

「申し訳ございません」


 皇帝はアインを抱きしめると、ポロポロポロポロと涙を流した。


「どうして我々が争わねばならなかったのか」

「申し訳ございません」


 彼の垂れ下がった耳元に、ポタポタと涙の雫が滴り落ちた。アインはそんな皇帝の腰にしがみつくようにして、ただ頭を下げていた。


「どうしてなのか」


 その言葉に応えられる者は誰も居なかった。戦争が引き剥がした二人の老人が、こうして60年ぶりの再会を果たす光景を、みんなが何も言えずにただ見守っていた。


 本当に、どうしてなのだろうか。勇者はただ、亜人が利用されないように、あの世界樹を隠したかっただけなのに。どうしてそれが、こんなにも悲しい悲劇を生み出してしまったのだろう。それは誰にも分からなかった。


************************************


 ハリチで療養を始めた皇帝は日に日に元気になっていった。


 特にアインと再会を果たしたことが、いい刺激になったのか、あれ以来、彼は記憶を混同したり呆けたりすることが全く無くなった。


 思えば皇帝に同年代の友達と呼べるような者は居らず、一番親しい他人と言えば、おそらく但馬だった。連れ合いも息子も他界し、後継者は孫達で、そんな若い連中に囲まれていて、自分の老いを強く感じていたのだろう。記憶の混同は昔の楽しかった日々へと帰りたいという、回帰願望の現れだったんじゃなかろうか。


 昔話をするということが、彼にはとても重要だったらしく、あれ以来、毎日アインがやってきて話し相手をしてくれるだけで、皇帝の体調はみるみる回復していった。特に、二人で但馬を弄るのがとても楽しいらしく、但馬はよく二人に呼び出されては、勇者はああだったこうだったと説教されたり、なにかと彼と比べられては槍玉に挙げられていた。


 正直、ムカついたが、これで皇帝が元気になるのであれば、お安い御用である。


 但馬は甘んじてそれを受けつつ、大臣連中と電話で情報交換したり、ブリジットと三人で食事会をしたり、隙を見つけて首都と領地を行ったり来たりする日々を送っていた。


 そんな中、ケーブルカーでブリジットが宣言した通り、暫くしてアナスタシアのハンググライダーによる単独飛行を皇帝にお披露目すると、彼は仰天してひっくり返った。


 但馬が首都へ戻っていた間も、アナスタシアたちは作業を続けており、一端のエンジニアになりつつあったリオンの設計で、セイルを加えたハンググライダーは、操縦面でも進化しており、彼女は上昇気流を上手く捉えて、自由自在に空を飛び回れるようになっていたのだ。


 まるで空を泳ぐ魚のようで、それを羨ましがった皇帝は、是非自分もやってみたいと言い出して、お付きの人々を大層困らせていた。隙を見れば外へ抜けだして、あのハンググライダーを奪ってやろうと画策しているらしく、体もろくに動かないくせに無茶をしようとするので、みんなピリピリしていた。


 但馬はなんだか自分が煽ってしまったような気がして謝ったが、


「陛下があんなに楽しそうにしていらっしゃるのは、いつ以来でしょうか。逓信卿には感謝の念が堪えません」


 と言われて、喜んでいいのやら、なんとも複雑な思いをした。


 そんな具合に、一時期と比べて明らかに元気になりつつあった皇帝を見て、みんな峠は超えたと錯覚していたのだろう。


 ロウソクは最後の一瞬に一番強く燃え上がる。


 そのことを忘れて、但馬は忙しくなった日々に追われ、いつかその時が来るということをまったく考えなくなっていた……


「陛下、お体のお加減はいかがですか?」

「うむ、大事無い。ここは良い所じゃ」


 皇帝が療養を初めて以来、一緒にハリチに入り、付きっきりで世話をしていたブリジットもまた、気が緩んでいたのだろう。ある朝、彼を起こすと、侍従たちに後を任せて麓のレストランへと向かった。麓のレストランは皇帝に滋養にいい物を食べて欲しいと、研究に余念がなく、その日もその一環で療養食を受け取りに向かったのだ。


 それ自体は悪いことではなく、彼女だって24時間付きっきりというわけにはいかないのだから、時折、離宮から離れることもあった。ただ、彼女の唯一の失敗は、自分の愛剣であるクラウソラスを離宮に置いていったことであり……


「おや……これは」


 そしてそれが元々は、皇帝の物だったのを忘れていたことだった。


「クラウソラスよ……儂に力を貸してくれんかのう」


 皇帝は彼女が置いていった剣を握ると、誰ともなしに呟いた。数年前に孫娘にそれを継承して以降、剣は彼の手を離れて彼女のものとなった。そのせいか、いつしか剣を扱おうとしても応えてくれなくなっていたのだが……


 その日、偶然、かつての愛剣を手にした彼が強く願うと……ボーッと剣が光り出し、彼の全身に力が漲ってくるのだった。


 クラウソラスには術者の体力を強化する魔法がある……皇帝はそれを知らなかったが、ブリジットがそれを体得したと聞いていた。


「もしや、これがその身体強化か……うーむ。凄い」


 彼は剣を握ると信じられないほど軽くなった体を起こした。今ならどこまででも行けそうな気がする。試しに庭に出て剣を振ってみると……ブンッ! と、若かりし日の彼が得意にしていたように、空気を裂いて斬撃が空へと飛んでいった。


 軽い体を翻し、軽やかにステップを踏むと、つま先だけで1メートルは飛べそうな感じだった。彼はひょいひょいと庭の池の飛島を飛んで渡り、庭の隅までやって来ると、ピョンと塀を飛び越えた。


 ピューッ……と、風が吹き抜ける。周りには誰もいない。


 皇帝は丘の上で一人、お供を誰も連れずに佇んでいた。


 こうやって、たった一人で外を歩いたのは、一体何十年ぶりだろうか……ならばやることは一つ。彼は踵を返すと、風の吹き抜ける方へ……丘の上へと歩いて行った。


*************************

 

 ブリジットに請われて皇帝の前でフライトを行って以来、アナスタシアは毎日高原に上がってきて空を飛んでいた。


 本当は偉い人である皇帝の頭の上を飛ぶなどけしからんと言われると思い、自粛するつもりだったのだが、逆にその偉い人達から、皇帝が喜ぶから出来れば毎日飛んで欲しいと頼まれたのだ。


 但馬とは違って、アナスタシアは皇帝と馴染みがない。


 でも、こうして聞き及ぶ彼の噂からすると、ブリジットと同じように冒険心が強い人のようだった。


 彼女はそれを知るとなんだか嬉しくなり、今日も飛ぶつもりで仕事を早く終えると、リオンの待つ丘へといそいそやってきた。


 エリックとマイケルはあとからやって来るはずだ。リーゼロッテもたまに覗きに来て、興味深そうに見上げている。ハンググライダーは今となってはハリチの住民たちにも有名で、アナスタシアたちが歩いていると、最近ではよく声を掛けられた。中には、あれはいつ発売されるのか? と訪ねてくる人も居たから、但馬の思惑とは裏腹に、これはもしかしたら商売になるのかも知れない。


 だったら本当にテストパイロットになるのも悪くないかもな……とアナスタシアは思うようになっていた。エンジニアはリオンで、家の中の工房を借りて、家内工業にするのだ。そしたら但馬の家にずっと居られるかも知れない。


 そんなことを考えながら、今日も二人で竹の骨組みに翼を通していた。リオンは揚力の仕組みが分かるらしく、もっとよく飛ぶようにと、なんだか不思議な出っ張りをつけたりしたせいで、準備が大変になっていた。最初はそれに不満を漏らしていたが、何度か飛んでる内に、それが非常に有効だと分かると何も言えなくなった。


 エリックとマイケルも加えて4人でやればすぐなのに、2人でやると大変だねと、リオンとぺちゃくちゃ会話しながら作業をしていると……


 そんな時だった。


 翼をピンと張っていると、丘に向かって誰かが歩いてくるのが見えた。


 大抵、ここへやって来るのは身内なので、見ればすぐに分かるのだが、今やって来るのは見たこともない白髪の老人だったから、アナスタシアは戸惑った。


 最初は下の街からリフトを使って登ってきたのかな? と思ったが……近づくに連れて、その人が誰なのかがわかってくると、アナスタシアは絶句した。


 ラフな格好で、髪の毛がぼさっとしているが、間違いない……


「皇帝陛下……?」


 アナスタシアが独りごちると、リオンがびっくりして飛び上がった。彼はローデポリスでは家から余り出歩けないので、皇帝を見るのは初めてだったのだ。


 仰天して戸惑う2人に対し、皇帝の方は実に優雅な足取りでリラックスして近づいてくると、


「それはお主らの翼かのう」


 と尋ねるのだった。


 アナスタシアは声が出なくて、コクコクと頷くだけの返事を返した。すると皇帝はまるで子供みたいに破顔して、


「儂もそれで飛んでみたい。貸してくれんか」


 何を言い出すんだ? この人は……アナスタシアはブンブン首を振って、


「駄目だよ」

「良いではないか、減るものではあるまいし」

「駄目ったら駄目だよ」

「ケチじゃのう……若もんが、老い先短い年寄りのお願いくらい聞けんでどうする」

「危ないもん……王様、病気じゃないの?」

「治った」


 皇帝はそう言うと、手にした剣をザクっと地面に突き刺し、アナスタシア達からハンググライダーを奪い取ろうと近づいていった。


 しかし、彼は二三歩歩いたところでガクッと態勢を崩し……


「危ないっ!」


 駆け寄ってきたアナスタシアの腕にドサッと体ごと投げ出した。


 クラウソラスを手放したことで、身体強化が止まってしまったのだろう。


 体がガクガクっと揺れて、彼はハアハアと息を乱して倒れこんだ。


「……情けないのう……体が言うことを聞かん」


 アナスタシアは、支える皇帝の体が信じられないほど軽いことに驚いた。だが、そんなことを言えるわけもなく戸惑っていると、


「お嬢さん……すまんが、座らせてくれんかのう」


 言われたとおりに地面に座らせると、


「今度は肩を貸してくれんか」


 座っているのもきついようだった。アナスタシアが彼の隣に腰掛けると、皇帝は彼女の背中にドサッと体を預けた。但馬と同じくらい大きなその体は、小柄なリオンよりもずっと軽かった。


 そのリオンは皇帝の様子を見るとアナスタシアに目配せし、離宮の方に指をさしてから走っていった。途中で何度も振り返りながら、心配そうに駆けていく彼を見送りながら、いよいよ孤立無援になってしまったアナスタシアは困り果てた。


 どうして皇帝がいきなりこんなところに?


 わけがわからない。


「……ここは、良いところじゃ」


 そんな彼女の戸惑いをよそに、皇帝は息を取り乱しながら呟くように言った。


「毎日、涼しくて、空気がうまい。夜は静かで、朝は穏やかじゃ。飯は美味い、酒も美味い、何よりも、こうして人間と亜人が仲良く暮らしているのが凄い」


 皇帝の見下ろす牧場で、人間と亜人の牧童が会話をかわしては仲良さそうに歩いていた。彼らはまさか、こんなところに皇帝がいるとは思いも寄らず、丘の上にアナスタシアを見つけては手を振っていた。


「お嬢さん……お主、但馬の家におった子じゃろう。いつぞや、あれを見舞いに行った時に会ったことがある」


 但馬がメディアで死にかけた時だ。あの時のことを覚えているなどとは思わず、アナスタシアの心臓は早鐘を打った。


「それに、孫娘ともよく遊んでくれた……何度か、庭先で剣を振ってるのを見たことがある」

「う、うん……」

「いつも、ありがとう……そして」


 皇帝が言葉を切ると、それを待っていたかのように風が吹いた。


 冷たい風がアナスタシアの頬を掠めて、続く言葉をさらって行く。


「すまない」


 皇帝は殆ど聞き取れないほど、小さくそう呟くと、頭をガクリと下げた。


「え?」


 この国で、いや、下手したら世界でも一番偉いかも知れない人が、どうして自分なんかに頭を下げるのか。わけが分からず、アナスタシアは考えが追いつかなかった。何かの間違いかと思ったが、そうではなかった。


「お主は、但馬のことが好きなんじゃろう。但馬も、お主のことを好いておる……儂はそれを知っておった」


 皇帝はそう言うと、何かを吐き出すかのように、あ~……っと声を出しながら、ため息を吐いた。


「じゃが、どうか、堪えてくれんか……孫娘が可愛いだけの、ただの耄碌ジジイのたわ言だと思ってくれて構わない……聞き流しても良い。じゃが、忘れないで欲しい……あの男は、この国にどうしても必要なのじゃ」


 アナスタシアは何も言い返せなかった。ただ、皇帝の独白を聞いていた。


「本当は、メディアなぞどうでも良かった。最期に、お主に会えて……良かった……すまなかった……」


 さっきまで、息苦しそうにしていたはずの彼からは、もうその息遣いが聞こえなかった。ただ穏やかで、そして弱々しい声が、優しく耳に飛び込んでくる。それが彼女の胸にじわりじわりと浸透していくのだ。


「ここは素晴らしいところじゃ。人間も亜人の区別もなく、望めば皆に職がある。ちゃんと三食食べられて、街はどこも衛生的じゃ。電気の力は夜を払い、人々の不安を和らげてくれる。一年中暖かく、病気をしてもすぐに治してくれる医者も居る。作物だって、魔法のような力でこんなにも沢山根付いておる。海の向こうにはまだ見ぬ大陸があり、その恵みは更に人々を潤してくれるじゃろう」


 アナスタシアの背中で、ズルズルと皇帝が滑り落ちていく。


「勇者殿が作りたかったのは、こういう国だったのじゃな……儂は、それが見れて……本当に、幸せであった……」

「王様!」


 彼が預けていた体を地面に横たえると、アナスタシアは堪らず叫んだ。


「王様……か。もう、儂を王様と呼ぶ者も久しく居らぬ。但馬もいつの間にか、そう……儂はかつて小さな国の王様じゃった……リディアへ流れ着いて60余年……一生懸命生きた……妻が死に……息子が死に……友達も死んでいった。儂は……少しは王様らしくなれたのかのう」

「……王様? ……王様!!」


 横たわる皇帝に、アナスタシアがいくら呼びかけて、彼はもう起き上がることはなかった。表情は苦悶に満ちて悲しげで、だが、どこかやり遂げた男の顔をしていた。


 アナスタシアは必死になってヒール魔法をかけようとした。しかし、彼女は病気を治す魔法は使えても、ヒール魔法が使えない。それでも必死になって、何度も何度も、使えもしないヒール魔法の祈りを捧げた。やがて、その真摯な姿に応えてくれたのか、彼女の体が緑色のオーラに包まれるが……その奇跡の力を持ってしても、皇帝はもう目をさますことは無かった。


 絶叫のような祈りが、風にのって高原中に響いた。


 その祈りは、いつまでもいつまでも続いた。


 アナスタシアの肩がポンと叩かれて、泣きじゃくる彼女が振り返ると、神妙な面持ちのブリジットが立っていた。アナスタシアは泣きながら、何度も何度も首を振り、


「助けようとしたの! でも、私はヒール魔法が使えなくって……! 助けようとしたんだけど!」

「分かっています」


 ブリジットは跪くアナスタシアを、ギュッと抱きしめると、


「祖父のために、涙を流してくれて、ありがとうございます」


 そして一緒になって泣いた。


 続々と、離宮から人々がやってきて、横たわる皇帝の亡骸を前に崩折れた。


 やがて、いつまでもこんな風の吹きすさぶような場所で寝かせてはおけないから、担架を持ってきて遺体を運んだ。


 あちこちからすすり泣く声が聞こえてきた。


 右を見ても、左を見ても、どこを見ても泣き顔だらけだ。


 まるで世界が泣いているようだった。


 遅れてやってきた但馬は、離宮にブリジットの姿がないことに気づき、侍従の者達に聞いて丘へと駆けつけた。


 日が暮れてもまだ泣き暮れる二人のシルエットは、夕日を浴びてどこまでもどこまでも伸び、やがて夜に溶けこむまで、抱き合う石像のように固まっていた。


 夜風が身に沁みるほど強く吹き付けても、ブリジットは未だに動けず。アナスタシアがそんな彼女を温めるかのように、必死にしがみついていた。


 但馬はそんな二人を前にして……


(自分が絶対にこの子(ブリジット)を支えなければ……)


 そしてアナスタシアは……


(自分はもう、ここには居られない……居てはいけない……)


 そう、考えていた。



(5章・了)


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― 新着の感想 ―
[一言] なんで誰も彼もアーニャちゃんを遠ざけようとするのさ? 間が悪いなんてもんじゃない呪いだ。
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