西海会社 - West sea company ⑨
飛行機の話を始めたら、もう仕事にはならなくなった。やはり、どんな時代の人々でも、鳥のように空が飛べると知ったら居てもたっても居られなくなるのが人情なのだろうか。なにより、ブリジットは性格的にもこういった冒険行為が好きそうである。
仕方ないので但馬はブリジットを連れて高原まで上がっていき、牧場の隅っこで作業をしているアナスタシアたちの元へと連れて行った。
ハンググライダー制作は会社をあげてやってるわけではなく、但馬の趣味の範囲で行っていた。空を飛ぶということに興味を示す人は多いのだが、やはり半信半疑だったり、危険を伴うから商売にはなりそうもなかったのだ。
制作はパイロット候補のアナスタシアをはじめ、リオンとエリックとマイケルの4人で行っており、それに但馬がアドバイスをする感じで進めていた。殆ど学生のサークル活動みたいなものだった。
特に、3人は昼間仕事がある関係上、夕方それが終わってから但馬の家に集まって作業をしていたため、制作はもっぱら最年少のリオンが行っていた。それじゃ心許ないので、昼間やっぱり家に居た但馬が出来る限り口を出していたら、どんどん知識を吸収していって、今では彼らの中で一番博識になっていた。
まあ、子供は吸収が早いし、リオンは細かい作業も得意のようで、使用人に手伝って貰いながら、糸を撚り合わせたり頑丈な布を拵えたりと、かなり丁寧に作業を行っていた。意外なのだがリオンは使用人を扱うのも上手く、但馬やアナスタシアとは比べ物にならないくらい、彼らの信頼を得ていた。多分、お袋さんとマダムごっこをやっていた賜物だろう。
他にも手先が器用なので凧作りが上手く、やる作業がない時は一人で凧を改良して遊んでいた。今、飛ばしているのも、そんな彼が改良した物だった。4人はそうしてハンググライダーを組み立て、今ではそれなりに形になっていた。
ハンググライダーは無人でも紙飛行機のようにまっすぐ飛んで行くくらいでないと、上空で錐揉みして大惨事になってしまう。だから機体が出来上がっても、何度も何度もテスト飛行をしてみて、調整は慎重に行われなければならない。そんなわけで、今日の休日に、彼らは早朝から集まって、高原で作業していたのだ。
さて、但馬が抜けてから数時間が経過して、だいぶ作業も煮詰まっていたのだろう。但馬達が高原に上がってくると、今まさにアナスタシアが離着陸の練習をしている真っ最中だった。
遠い坂の上に4人の姿が見える。組み立てた翼をみんなで支えて急勾配の坂の上から駆け下りると、機体の真ん中のベルトにぶら下がっているアナスタシアだけが、スーッと浮き上がり、そのまま数十メートル先までゆっくりと滑空してから着地した。
動きはパラシュートに近い。見た感じ、明らかに但馬が席を外す前と比べて、機体は綺麗にまっすぐ飛ぶようになっていた。ここまで上手く行けば、もう滑空するだけなら問題なさそうだ。
ブリジットは牧場でそれを見つけるや否や大喜びで駆け寄っていった。
「おーい!」
彼女が手を振り振り駆け寄って行くと、それに気づいたアナスタシアが着陸したばかりの機体に繋がれたベルトを外して手を振った。
「あ、姫様。来てたんだ。先生もおかえり」
「あ、おーい! 先生! 分隊長!!」
それを更にエリック達が目ざとく見つけて寄ってくる。
「エリックさん、マイケルさん、お久しぶりです。二人共こちらに住んでるそうですね。うらやましいです」
「そうなんすよ……って羨ましい? 俺は人が多い首都に戻りたいけど」
エリックが調子にのってそう言うと、但馬がムスッと唇を尖らせて、
「戻りたいなら戻って良いんだぞ、退職金は出ないからな」
「わ~! うそうそ! 社長のお陰で毎日が充実しております!!」
「二人はこちらで何のお仕事をされてるんですか?」
「いろいろやってますよ。護衛に、牧場に、養蜂所に、ホテルマンに……今は工場だけど。そうそう、今度先生の護衛に復帰するんすよ、1日でクビにしたくせに、エリオスさんが戻って来いって……なんでか知らないけど」
「なんででしょうかね」
「マイケルはずっとコックやってんだよな」
「うん。なんか向いてるみたいで。姫様もいつか食べに来てくださいよ」
そんな話をしていたら、おずおずとしながらリオンがやってきた。
「こん、にち、わ」
「あ、こんにちわ、リオン君。カンディア以来ですね、お元気でしたか?」
ブリジットがニコニコしながらリオンの頭をなでなですると、彼は顔を赤くしてもじもじしていた。前々から少し気になっていたのだが、もしかして、リオンはブリジットのことが好きなのだろうか……? それともおっぱいが好きなのだろうか。
将来、ブリジットを取り合って彼とやりあうなんてことになったら嫌だなあ……などと、おっぱいさえ見なければ小学生同士に見えなくもない二人を前に但馬はブルブル震えた。馬鹿な考えはやめよう。
「これ、作ったの殆どリオンなんだよな」
「え!? そうなんですか? 凄いですね、子供が作ったなんて思えないですよ」
目を丸くしてブリジットが褒め称えると、リオンはくすぐったそうにしていた。
「重量を軽くするために骨組みに竹を使ってるんだけど、まったく問題ない感じだね。アーニャちゃんどう? 飛んでみた感想は」
「うん、ホントにこんなに簡単に飛べるとは思わなかったからビックリした。ただ、上空で風が吹くと、竹がギシギシ言ってちょっと怖いよ。あんまり高くは飛び上がりたくないかも……」
「やっぱそっか……重いと離着陸の速度が必要になるから竹にしたんだけど」
「本当に飛べることが分かったから、別にそれでもいいよ」
と、アナスタシアは言ってるが、やはりリスクは出来るだけ排除した方がいい。離着陸の速度が上がると言うことは、それだけ事故の可能性が増えるからだ。アルミフレームなら軽さと丈夫さの両方を満たせるだろうから、それが手に入るまでは、本格的な制作はお預けにしといたほうが良いだろう。
そんなことを考えている傍らで、ブリジットがアナスタシアと気さくに話していた。
「アナスタシアさんもお久しぶりです。トレーニングは……ちゃんと積んでいるようですね。久しぶりに手合わせしましょうか?」
「え!? やだよ……姫様、手加減してくれないから」
「手加減なんかしたら、やられちゃいますよ。それにしても……最近はこちらにもちょくちょく来てるんですが、中々会えませんね」
「うん。お仕事あるし、普通はこっちまで上がって来ないから」
「そう言えば、今は何のお仕事をしてるんですか?」
「工場だよ。缶詰工場」
するとブリジットは意外と言った顔をして見せた。
「あれ? 先生の護衛ではないのですか?」
「うん」
「そんな、勿体無い。近衛にも負けないくらい強いのに」
アナスタシアは困ったような顔をして言った。
「……うーん。でも、私は試合だけだよ。いざというときにちゃんと動けるか分からないから」
多分、エルフ討伐の時のことを言っているのだろう。ブリジットはそのことを思い出し、同情しながらも、
「それでも、工場で働くよりはいいと思いますけど。なんなら、訓練教官をするのもありかと」
「うーん……」
「もしくは、またカフェに戻ってきてくれると嬉しいんですけど……アナスタシアさんが居ないから、最近は遊びにも行けず」
「それなら良いかな」
「おいおい……ブリジット、そんな理由でアーニャちゃんを唆すなよ」
「うっ……すみません」
ブリジットのためというなら言語道断であるが、
「でも、本当に戻りたいならそうしてもいいよ? 別にお金はもう稼がないで良いんだし、無理に働かなくても……なんなら、このままテストパイロットとしてこっちに専念してくれてもいいんだ」
「先生は甘やかし過ぎだよ」
「うっ……すみません」
すると今度はアナスタシアの方からダメ出しが出た。二人があんまりにも口出しするから、彼女は機嫌を損ねたようだった。
「二人共、そんな心配してくれなくてもいいよ。私はこれで満足してるのに」
「そうだよな、工場だって悪くねえよな。二人共金持ちだから忘れてるのかも知れないけど、普通は仕事があるってだけで有り難いことなの。仕事終わりにこうして遊びにだってこれるんだし、俺たち恵まれてるよな?」
「うんうん」
エリックに言われて思い出したが、確かにその通りなのだ。ここは生存権なんて考えはおろか、職業選択の自由なんて憲法に書かれてもいない世界だった。なんとなく、アナスタシアのことは放っておけないから、つい口出ししてしまうが、大きなお世話だったかも知れない。
反省して二人してシュンとしていると、空気を察したのか黙って見ていたリオンがオロオロしながら提案した。
「……姫様も、やってみる?」
「え?」
リオンがハンググライダーを指差しながら言うと、アナスタシアもうんうん頷いて、
「そうだね。姫様もやってみなよ」
「良いんですか?」
「さっきからやりたそうにチラチラ見てたし。みんな一回ずつやってるから」
それじゃお言葉に甘えてということで、ウキウキして即座に機嫌を直したブリジットを引き連れて、みんなでハンググライダーを担いで坂を登った。
そこは坂というより小高い丘になっていた。傾斜がきつい崖のような坂道を迂回して上がり、その坂道を利用してハンググライダーは離陸するようにしていた。ところが、こういった物の定番というか何というか、下から見ると大したことはないのだが、いざ上に登ってみると高く見えるから、最初はみんな恐れを為した。
だからブリジットもそうだろうと思ったのだが、
「わあ、高いですねえ」
「そうだろそうだろ? だからまずはゆっくり慎重にだな……」
「速度を出して飛び出せば良いんですか?」
彼女はロクに説明も聞かずに飛び出そうとするから、みんなでタックルして止めた。恐れを知らぬ奴は傍から見ると恐ろしい。
「おまえねえ……操縦の仕方も分かってないだろうに」
「……ただ捕まってるだけじゃ駄目なんですか?」
こいつは何をやるか分からない……そんな臭いがプンプンする中で、みんなで左右から口を酸っぱくして説明すると、ブリジットは目を回していた。何というか、家庭教師の気持ちが今はじめて分かった気がする。
「と、とにかく、このコントロールバーを掴んで、体重移動を意識して。右に傾いたら左にって感じにバランスを取って、まっすぐ飛ばすんだ」
「は、はい……えーっと……体を前に倒すと機首が上がるんでしたっけ?」
「逆だ逆!」
一抹の不安を残しつつも、それでも数メートルの高さから十数メートル滑空するだけだからと諦めてゴーサインを出した。ブリジットはそれまでパニックを起こしそうなくらい頭が混乱していたようだが、飛んでいいと言われたらすぐにテンションを上げて喜々としていた。何というか、頭の悪い犬のようである。
ともあれ、無駄な動きは出来るだけしないようにと口を酸っぱくして言い聞かせてから、いざ、みんなで翼を支えながらテイクオフをすると……
ブリジットを乗せたハンググライダーはふわりと浮き上がり……彼女が特別軽いからだろうか、それとも、たまたまいい風が吹いていたのだろうか、思った以上にぐんぐん上っていくそれに、ヤバイと思った但馬が大声で叫んだ。
「わあ! ブリジット! 機首下げろ、機首!」
「ええ!? 機首下げるのはどっちでしたっけ……わわっ!」
気持ちよく滑空していたつもりのブリジットは、突然そう言われて案の定パニックを起こし、逆操作しては機首を上げてしまい、失速しては慌てて機首をグンと下げてしまい、今度はスピードを出し過ぎて、
「わああああああ!」
と叫びながら、あっちへフラフラこっちへフラフラしてから、右に大きく旋回して地面に突っ込んでいった。
それを見て、アナスタシアが何も言わずに駆け出していく。
「ぎゃあああああ!!!」
但馬もいきなり事故らせてしまったみんなと一緒になって叫びながら現場へ向かうと、血をダラダラと流したブリジットが腰を擦りさすり、
「あたたたた……あはは。失敗しちゃいました」
と苦笑しながら面目ないと頭を下げた。彼女は自分のせいでハンググライダーを壊してしまったと思い、それに対して謝罪をしただけだったのだが……血を流し、貧血で青白い顔をしていた彼女が俯いたことに、男どもは動転した。
男というものは、男同士なら全然平気なくせに、何故か女の子が血を流しているだけで信じられないほどパニックを起こすものである。
「あわわわわ……ヒーラー呼んでくる!!」
彼らは一様にそう叫ぶと、一目散に駆けていった。
「え!? あ、あの……ヒーラーなら間に合ってるんですけど……」
対して女の性なのか、血を見慣れているせいか、まったく動揺しなかったブリジットとアナスタシアの二人がその場に残された。
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ブリジットは自分で自分にヒール魔法をかけると、腰をトントン叩きながら立ち上がり……
「あ゛あ~……やっちゃいました。ごめんなさい」
「そんなのいいよ。それより姫様、本当に大丈夫?」
「ええ、ただのかすり傷でしたし……うわっ、血がべっとり」
傷は大したことなかったのだが、血がかなり出ていたせいで、彼女の服があちこち汚れていた。こんなのを見たら、離宮の侍従たちは大騒ぎするだろう。どうにかして隠蔽できないだろうかと思いつつ、ブリジットは改めてアナスタシアに謝罪を述べた。
「ごめんなさい。せっかくみんなが作ったものを……ちょっと遊びに来ただけの私が壊しちゃって……」
「大丈夫だよ」
アナスタシアは首を振ると、壊れたハンググライダーを見ながら言った。
「竹が折れちゃったけど、布は殆ど破けてないから、また別のを取ってくれば、明日にでも直ると思うよ」
「本当ですか? ……良かった」
「でも、事故起こしたって聞いたら、エリオスさんが怒りそうだけど……多分、みんな、捕まってるんじゃないかな」
いくら動転していたとは言え、そろそろヒーラーが必要ないことに誰かが気がつくはずである。それが中々帰ってこないところを見ると、恐らく彼らは怖い護衛長に捕まっているのだろう。
このまま牧場に帰ると自分も捕まりそうだ。時間を潰した方が良いだろう。アナスタシアはハンググライダーの残骸から布を外し、それを折りたたむと、その上にちょこんと座った。
ブリジットも、帰らないのかな? と思いつつ、彼女の横に一緒に座った。
海から吹き上げる風に、アナスタシアの長い髪の毛がなびいていた。太陽は中天を過ぎたところで、午後で一番暑い時間帯だった。離宮から見えるから、牧場の馬のいななきも、白詰草にとまるミツバチももう慣れた。
ブリジットは地面にゴロリと横になると、
「ここは長閑でいいところですよね……首都の喧騒も悪くないのですが、それもずっとだと肩がこります」
「そうだね」
「私もこっちに越して来たいです。久しぶりに会ったらみんな楽しそうで羨ましい」
「そうかなあ」
「羨ましいですよ。みんな自分で自分のことを決めて生きてるって感じがして……私ももっと頑張らなきゃですね」
「ふーん」
アナスタシアが白詰草をブチブチと摘みながら、生返事を返してくる。ブリジットは彼女が何をしてるのだろうか? と思いつつ、ゴロリと寝返りをうって、彼女の方を見上げながら言った。
「テストパイロットになったら良いのに。私だったら飛びついちゃいますよ、きっと」
「うーん……でもお仕事もしないと」
「これも立派なお仕事じゃないですか」
それも人類にとって偉大な一歩のような、そういうたぐいの仕事だ。アナスタシアだってその価値は分かっているだろう。
「でも、お金にはならないから」
「ええ? もう借金はお返ししたんですよね、先生に。だったら……」
お金よりも但馬の役に立つ方がいいだろうに。自分だったら、工場で働くよりも、彼の護衛や補佐をしたりしたい……自分にはそれが出来ないが、アナスタシアは望めばそれが出来るのだ。ブリジットはそう思ったが口には出さなかった。それを言う前に、
「私は姫様の方が羨ましいよ」
「えっ?」
「はい」
唐突に彼女にそう言われて、ブリジットは戸惑った。びっくりして聞き返そうとしたら、アナスタシアが何かを差し出してきた。
なんだろう? と思ったら、白詰草で作った花かんむりである。
王族だから花束やブーケは見慣れていたが、こういう素朴なものは中々見る機会がない。器用に作るものだなと、まじまじと見入っていたら、ポンっとそれが頭の上にのせられた。
「姫様はずっと姫様で、羨ましい」
「……え?」
「何もしなくても、ずっとお姫様でいられるなら、そんなに羨ましいことはないじゃない」
アナスタシアはそう口走りながら、頭のなかでは別のことを考えていた。
花かんむりの作り方を教えてくれたのは死んだ母親だった。それを水車小屋で知り合った女の子に作ってあげたら凄く喜んでくれた。まるでお姫様みたいねと、小さいころの自分と同じようなセリフを言った。そんな素朴なセリフが、その時妙に突き刺さった。
自分は、自分が自分のままでいたら、あの時生きていられなかっただろう。
何かを決められるだけの意志が自分にあったなら、きっと耐えられなかっただろう。たまたま但馬と出会わなければ、きっと今でもそのままだったろう。自分で決めてるんじゃない。泳がされてるだけだ。もう流されるのは嫌なのに、何も決められないから、こうしているだけなのだ。
あの人と、いつまでも、一緒に居られるわけじゃないのに。
花かんむりを被ったブリジットは本当に可愛らしかった。アナスタシアが少し意地悪を言ったと思ったのか、ちょっと拗ねてる感じだった。アナスタシアは薄く笑うと、彼女の頭で傾いている花かんむりを、そっと直した。