NEW GAME! ⑧
2つの月が昇っていた。夜空には牛乳をこぼしたような星空が広がり、遠い銀河の果てにはかつて見たこともない二連星が輝いていて、そしてオリオンの肩口の、あるべき場所にあるべき星が見えなかった。
アスファルトで固められた道路の両脇には、電話線の電柱が数十メートルおきに建てられていたが、まだ街灯は無くて薄暗く、月明かりだけが頼りだった。そのうち、この辺りも電気が通るようになるだろうが、今は時折人が通りかかるといった程度だったから、それも仕方ないことかも知れない。
ブリジットの車を拝借して、意気揚々と領地へ帰ろうとした途中、何というか、お約束というか、あとちょっとと言ったところでトラブルが発生した。エンジン系ではなくてパンクである。いつ見てもブリジットが一人で(お供も連れないで)乗り回しているものだから、てっきりもっと頑丈だと勘違いしていたが、大の男が二人も乗ると流石に重量オーバーだったらしく、うっかりアスファルト舗装からちょっとはみ出した瞬間にパンクした。夜は深く、最寄りの駅逓まではまだ数キロあった。
仕方ないので車を下りて、泣く泣く二人で車を押そうとしたのだが、
「君はどうせ役にたたないから、ハンドルを握っていてくれないか」
と言われて、逆にムキになって押す羽目になった。本当はパワステなんか無い車なんだから、どっちかがハンドルを握ってなきゃしょうが無いのであるが、こうなりゃ意地である。そして、
「ふぐぉぉぉおおおおおおおおおおお~~~~~!!!!!」
っと、気張って車を押し始めた時だった。
「う、うおっ!? おい、社長!」
但馬が目を瞑って死ぬ気で車を押すと、ものすごい勢いでそれが走り始めた。あまりにも手応えがないものだから、エリオスにイタズラでもされてるのではないかと目を開けたら、但馬の隣に彼は居らず、振り返ると遥か後方に置き去りにされているのだった。
え? なにこれ? ……と思うのもつかの間、ハンドルを固定してない前輪がグルンと回って、車は道路を外れて砂浜に突っ込み、但馬は勢い余ってアスファルトの上をゴロゴロ転がっていった。
「うぎゃああああ!!」
「あっ! おいっ! 大丈夫か!?」
慌てて駆け寄ってくるエリオスに、但馬は頬をふくらませながら文句を垂れた。
「エリオスさんひでえよ。こんな時にからかわんでも」
「いいや、俺はからかったりなんかしていないぞ。社長がいきなり魔法を使ったんじゃないのか」
「え?」
言われて初めて気がついた。見れば但馬の体が薄っすらと緑色のオーラで包まれている。
おかしなもので、それに気づいたら、意識的にも自分の体がやたらと軽いことに気がついた。おまけに、盛大にすっ転んだくせに擦り傷の一つも負ってない。但馬はチンぐり返しの態勢からいそいそと起きだすと、ものは試しとその場で垂直跳びしてみた。すると……
ふわり……と、体が宙に浮いて、殆どつま先だけで飛んだと言うのに、エリオスの頭の上よりも高く自分の体が浮き上がっているのであった。そしてまたふわり……っと地面に着地すると、体を覆っていた緑色のオーラが、火花みたいにキラキラと輝いて飛んでいった。
但馬はゴクリと唾を飲み込んだ。
「スーパーサイヤ人かよ……」
「スーパー……なんだって?」
「いや、なんでも……それはともかくとして」
但馬は砂浜に突っ込んでしまった自動車に目をやった。考えられることは一つしか無い。車の荷台に縛り付けるようにして刺さってる矛槍が見える。
「あれの仕業だろうな……」
「……アーティファクトか」
「うん。俺は魔法は使ってないよ。大体、エリオスさんも知ってるだろ? 俺の魔法は自然破壊くらいしか能がなくって、こんな便利な力は存在しない」
「そう言えばそうだったな」
彼は頭痛がすると言った感じに頭を指で抑えながら、
「嘘みたいな話だけど、どうやら聖遺物が勝手に、俺がやろうとしたことを察してサポートしたっぽいね」
「なんだって? 聖遺物っていうのは、そんなことも出来るのか!?」
「さあ……俺は知らないよ。今まで聖遺物なんて触ったこともないのにさ」
「そう、だな。う~ん……良くわからないが、社長ならそういうこともあるのかも知れん」
彼はそう言うと、それ以上難しいことは考えても仕方ないといった感じで、車を回収しに砂浜まで降りていった。但馬はその後姿を見つめながら、少し考えていた。
但馬ならあり得ると彼は言うが……本当のところどうなのだろう。
これはブリジットやリーゼロッテがやってる身体強化魔法と同等のものだろうが、自分もこうして出来るようになってしまえば当たり前のように分かるのだが、身体強化魔法とは体内のマナの流れを制御して運動エネルギーに転換する技法であり、常にかかってないと役に立たない類のものだ。だから、こんなこといちいちサーバーとやりとりして制御しているとは思えなかった。何というか、トンネルとか入ったら身体強化が切れそうだし……
もしかしたら魔法使いでなくとも誰でも出来ることなのでは……?
「おーい、社長! ぼーっと見てないで手伝ってくれないか!!」
砂浜にタイヤが埋まってエリオスが難儀していた。但馬も戦力になるとわかるとすぐにこれだ。彼は苦笑すると、考え事は後回しにしてエリオスの救援に向かった。
そんなことを考えつつ、砂浜に突っ込んでしまった車を回収して、エリオスと交互に押しながら駅逓まで進んだ。駅逓に到着した時には既に深夜を回っており、馬が眠っていては仕方ないので、結局泊まりになってしまった。
その後、パンクを直すにしても自分たちではお手上げなので、電話で首都の工場に連絡を入れ、後日直しに来てもらうことにした。そんなやりとりをしていたものだから、結局ハリチへ帰還出来たのは、翌朝、日が昇ってからだいぶ経ってからのことである。
ところでその際、ハリチまで残りの距離はそれほど無かったので、いつものように馬車を頼もうとしたが、ふと思い立って但馬は試しに早馬に乗せてもらった。すると案の定と言うべきか、なんというべきか、但馬は軽々と馬を乗りこなせるようになっていたのである。今までのケツの痛みが嘘のようだ。
それにしてもこの変わりようは……まるで乗馬スキルをゲットした。レベルが上った。とでも言わんばかりに劇的である。どうしてこの世界は、ここまでゲームっぽいのだろうか? まるで勘違いしてくれと言わんばかりに。
但馬は自分の身に起こった変化を受け入れることに、心理的な抵抗を覚えていた。実際、もし仮にこれがこの世界で目覚めて数日の間に起こった出来事であるなら、間違いなく自分はここがゲームの世界だと思い込んでいたに違いないだろう。
そして特別な能力を与えられたゲームの勇者として、この危機に瀕した世界に君臨し、人々を導くのである……
「……危機に瀕した?」
但馬が独りごちると、隣に居たエリオスが怪訝そうに尋ねてきた。
「どうかしたのか?」
「いや……」
自分の頭の中にだけ流れるメッセージ。
『破滅へと向かうこの世界を救うために、あなたの力が必要なのです』
本来、与えられるはずだった神々の武器の名を冠したチートアイテム。
『聖遺物は先祖代々のものを継承するか、アクロポリスの世界樹からしか手に入れることは出来ないはずですよ』
この世界は自分の生きていた時代の延長であることは確かだが、ベテルギウスが爆発したり、月が2つあったりと、天体レベルの災害が起きている。
そんな世界が危機に瀕していて、破滅に向かっていると言われたら、信じてしまいそうであるが……しかし、これは但馬の頭の中にだけ流れるメッセージだぞ?
なんなのだ、これは……
一体、何をやらせようとしていたのだ……?
分からない……分からないが……
このメッセージを鵜呑みにしてはいけないような気はする。何しろあのイルカ……まだ右も左もわからない但馬に対して、エリオスを殺せと言ったような奴と関係があるはずなのだから。
渋面を作って塞ぎこむ但馬を見て、彼が不機嫌だと思ったのだろうか、エリオスは怪訝そうな顔をしてみせたが、特に何も言わずに付き従った。やがて二人が邸宅まで戻ってきて門をくぐると、主人の帰還を知らなかった使用人たちがそれを見つけて、大慌てで玄関から飛び出して来ては、一列に並んでお辞儀をした。
見たところ、やはりと言うか何というか、メイドの姿が見えない。
「リーゼロッテさんは?」
「ええ~……メイド長さんはなんと申しますか」
リーゼロッテはメイドの格好をしているが、別に使用人ではない。ついでにメイド長などというリーダーでもない。でもメイド長っぽく振る舞って、家事全般に口出すから、彼らもどう扱って良いのか困ってるようである。
まあ、おおかた競馬場にでも遊びに行っちゃってるのだろう。仕方ないなと思いつつ、彼女を探しに家を出ようとしたら……
「ん? なんだ、居るんじゃないか」
庭園のほうで彼女の気配がして、但馬は踵を返すとそっちへ向かって歩いて行った。使用人たちは、え? っといった感じの顔をしていたが、彼は構わずに家の中を突っ切って庭へと歩いて行ったら、
「ありゃ? アーニャちゃん?」
庭園にはアナスタシアが居り、タオルで汗を拭っているところであった。どうやらリディア時代から続けている、毎朝のトレーニングを行っていたようである。彼女は但馬とエリオスがひょっこり現れたことに驚いた様子で、
「え? 先生、今週はあっちに泊まるって言ってなかった?」
「そのつもりだったんだけど、ちょっと用事が出来ちゃって。リーゼロッテさんを探してるんだけど……」
「お姉さまなら競馬しに行ったよ」
どうして、自分はアナスタシアと彼女を間違えたのだ? 最初は競馬場に向かおうと思ったのだが、ふと彼女の気配を感じたような気がして、引き返してきてしまった。
いや……そもそも、気配を感じたって何だ。どうしてそこに人が居るって分かったのだ。達人か?
但馬がポカンと口を半開きにしてつったって居ると、アナスタシアは例の眉毛だけが困ったような表情をしながら、じっと彼のことをやぶ睨んだ。そして、
「……先生? なんか感じ変わった?」
「え?」
「なんか……変な感じ」
アナスタシアは明らかに警戒しているように見えた。隣にエリオスが立っているから辛うじて踏みとどまっているといった感じである。
但馬はハッとして自分が握っている矛槍を見た。そう言えば、ローデポリス郊外の海岸で、ブリジットたちに同じような目で見られた記憶がある。慌てて矛槍を地面に突き立てて手を離すと、途端に彼女は緊張がほぐれた感じで、小首を傾げながら言った。
「あれ? ……いつもの先生だよね。どうしたんだろう」
「うん、それね。多分、この矛槍が原因なんだけど……」
但馬が詳しい事情を話すと、アナスタシアは初めはびっくりした表情で聞いていたが、次第にさも当然と言わんばかりの顔に変わっていった。魔法使いといえば聖遺物を持っているのが普通なので、但馬くらいの人物がそれを持ってないほうがおかしいのだと彼女は思っているようだ。
言われてみれば確かにそうなのだが……しかし、持ってるだけで人の見る目が変わってしまうなんて、聖遺物というよりも呪いのアイテムみたいだ。
それに、彼女の言う通り、感じが変わったというのも、あながち間違いではないようだ。
こうして彼女と対面して改めて思ったのだが、今までは強い強いと言われていてもイマイチその強さが分からなかったが、アナスタシアは強い。それも相当のレベルである。ブリジットが自分もうかうかしてられないと言っていたのは、なにも但馬に気を使って言ってたわけじゃなさそうだ。
さっき、外へ出ようとして庭園にメイドが居るような気がしたのはそれだ。どうやら、但馬はアナスタシアの気配を感じて、そこに強い人間が居る=メイドが居ると錯覚したのだろう。嘘みたいだが、どうもそうらしい。
現に今、彼女を見るだけでその強さがヒシヒシと感じられるのだ。
『Anastasiya_Shikhova.Female.Human, 158, 46, Age.19, 83C, 58, 84, Alv.1, HP.118, MP.23, None.Status_Normal,,,,, Citizen, Lydian,,,,, Prayer.lv8, Cast.lv5, Rote.lv9, Swords.lv6, Rapier.lv12, Comunication.lv1,,,,,』
一瞬、脳裏に彼女のステータス画面がちらつく……但馬が意識して見たわけじゃないのに、何故かそれが分かる気がする。無意識的にだ。さっきから感じている気配ってのはもしかして、数値化されたその強さを肌で感じていると言うことだろうか?
『Helios.Male.Human, 206, 114, Age.xx,,,, Alv.0, HP.389, MP.0, None.Status_Normal,,,,, Class.Private, Guard.Anatolian_Minister, Lydian,,,,,Strength.lv3, Mace.lv5, Equestrian.lv2,,,,,』
隣に立つエリオスの気配を探ってみると、同じようにそれが何となく分かる。そして彼からは、アナスタシアほどの脅威を感じないことも……
感じが変わったというのは本当だ。
まるでスーパーサイヤ人みたいだと吐き捨てたが、冗談じゃなくそんな感じになってしまっている。意識すれば遠くの人の気配すらも手に取るように分かるようだ。
何というか、補助輪の取れたばかりの自転車に乗って居るような気分だった。今まで不自由に感じていたのが嘘のように、どこまでもどこまでも走っていける、そんな感じがするのである。
「ああ……頭がいたい」
「おい、大丈夫か? 社長、具合が悪いなら休んだらどうか」
「いや、そう言う頭痛じゃなくて……」
もう、そこそこ良い年齢にもなるのだが、自分がまさか他人の気を探れるようになるなんて、思いもしなかった。少年漫画の世界じゃないんだぞ? ここはれっきとした現実世界に違いないのだ。大体、今更こんなチート能力を与えられたところで、嬉しいなんてこれっぽっちも思わない。嬉しいなんて思ってしまったら、今までやって来たことはなんだったのか……
ため息を吐きながら、但馬は意識を最大限集中して、周囲の気配を探った。すると遠い遠い競馬場の方向から、明らかに他を圧倒する気配がする。これが多分、リーゼロッテの気配ってやつなんだろう。その周辺に感じる数人の強い気配は、おそらく騎手の亜人たちである。
但馬はノロノロと起き上がると、矛槍を引き抜いて言った。
「エリオスさんゴメン。メイド見つけたからちょっと行ってくる。すぐ戻るから、護衛は要らないよ」
彼はそれだけ言うと、中庭を跳びはねるように突っ切っていって、あれよあれよという間に敷地を取り囲む城壁のような壁にまで辿り着いたと思ったら、その3メートルはある壁をヒョイッとひとっ飛びに越えていった。
取り残された二人はそれを呆然と見送った。城壁の四隅には物見やぐらが建てられて、周囲を警戒しているというのに、そんなのもう関係ないといった感じである。
エリオスはその時になってようやく気づいた。聖遺物を手にした但馬は、尋常ならざる何かになってしまっていた。





