絶対、出てってやるからな
『リディア王ハンスは但馬波留に対し、製紙製作を命じる見返りに、
一、5日毎に金1枚を支給する
一、開発資金は国が保障する
一、成功の暁には、5年間の専売を許可する。ただし、貿易は除く
一、成功報酬として、金1000枚を与える
一、製作工程はリディア国にのみ開示し、他国には絶対秘匿とする
一、開発期間は最長100日間までとする』
そんな日数必要ないよと言う但馬が、ウルフに連れられて謁見の間から出て行くと、リディア王ハンスはぐったりして、ずるずると玉座に腰を深く埋めた。しかし、周りにはまだ大臣も書記官もいる。だらしないところは見せられないと、すぐに姿勢を正そうとして、アームレストを掴もうとしたら手が滑った。どうやら、思った以上に緊張していたらしい。手のひらが汗でびっしょりだった。
ガクリと体勢を崩したのを見て、王が疲れていると勘違いした大臣が言う。気がつけばもう、夜も遅い。
「お疲れのご様子ですな。あとは我々に任せてお休みください。まったく……市場を混乱させるわ、暴動は起こすわ、混乱を避けるためとはいえ、こんな夜更けまで陛下のお手を煩わせるとは、いやはや何とも、とんでもない男ですな。本当に放免でよろしかったのでしょうか。また何をしでかすかも分かりません。今からでも追いかけて、やはり無かったことにしてはいかがですかな」
「大臣よ。方法はどうあれ、1週間足らずであれだけの大金を、お主は集めることが出来るかの?」
何も言い返せず、大臣は押し黙った。
「そもそも、本来ならば責められるべきはお主らじゃろうて。大方、詐欺の類ではあっただろうが、見知らぬ方法であったが故、誰一人対応出来なかったではないか。あれが他国の間者であってみよ。完全にしてやられて、我等は手を出すことも出来なかった……それを、こちらが強引に私財を奪おうとしても、怒るどころか、恨み言の一つも吐かぬ」
王はクククッと鼻を鳴らすように笑った。
「傑作ではないか。そのような男を、他国にくれてやるなぞ、もったいないわい」
「なるほど……口が過ぎましたようですな。大変申し訳ございませんでした」
「よいよい。明日からは後始末で忙しかろう、苦労をかける。そなたらこそ今宵は早く帰って休むが良かろう……さて、ブリジットはおるかの」
柱の影からひょっこりとブリジット・ゲールが顔を出した。大臣たちは彼女に深々とお辞儀をすると、邪魔をしては悪いと言った感じに部屋から出て行った。
ブリジットは彼らが退室するのを見送ってから、改めて王に向き直り、膝をつくと腰に佩いていた剣を差し出しながら言った。
「だから、大丈夫だと申し上げたでしょう」
王は首を振るうを溜め息混じりに言った。
「会ってみんことには、分からんこともあるじゃろうて……それより、それは、そなたが持っておくのが良かろう」
「よろしいのですか?」
「これから必要になるやも知れん。クラウ・ソラス!」
王がそう言い放つと、ブリジットの掲げていた剣が突然ブーンと音を発し、続けて目も眩むほどのまばゆい光を放った。彼女が剣の柄を逆手に握り、鯉口を少し切ってから鞘に戻すと、それは程なくして収まった。
「謹んで、拝領いたします」
彼女はクラウ・ソラスと呼ばれた剣を頭の上に捧げるように持ち上げ、王に深々と頭を下げた。
そんな彼女から、妙な男が現れたと報告を受けたのは1週間前のことだった。
このリディアの地には時折勇者が現れる。もちろん、大概は勇者ゆかりのこの地で勇者を僭称する愚か者の類であったが、中には本気で彼を崇拝している者もいたので、強く取り締まることは出来なかった。何しろ、この国は勇者に借りがある。そして彼ら、勇者の信奉者の中には、北の大陸から渡ってきて、この地に富をもたらす者もいたからだ。
しかし1週間前に現れた男、但馬も初めはその類だと思われたのだが、すぐに様子が違うことが分かった。やけに世間知らずな言動ばかりするかと思えば、妙に知識が豊富な面もあり、口八丁手八丁と不思議な方法で金を集めたかと思えば、それで何するわけでもなく、仲間と金持ちゴッコをして遊んでいたらしい。極め付けは聖遺物無しで魔法を操るのだ。
聖遺物無しで魔法を行使することなど、普通なら出来ない。だから初めて近衛兵たちから報告を受けたときは、トリックか何かだと思った。だが、たまたま現場に居合わせた、聖人として名高いエトルリア皇女リリィが「あれは本物」と太鼓判を押したことで、無視が出来なくなった。
そして何者かは分からないが、野放しにしておくわけにもいかないと、鈴代わりに孫娘のブリジットをつけたのであるが……よもや、たった1週間足らずで、これだけの騒ぎを起こすとは夢にも思わなかった。
それで、今回、直接会ってみようと思い、こうして呼び出したわけであるが……
いつの間にか取り込まれていたようで、最後は但馬を逃がすために抵抗を見せたらしいブリジットが、バツが悪そうな顔をしながら答えた。彼女は近衛隊に取り押さえられた後、つい先ほどまでコンコンとお説教を食らっていたらしい。
「で、どうでしたか? 私の言ったとおりでしょう。飄々として掴みどころがなくて、適当なことを言ってそうでちゃんと筋が通ってて。付き合ってみると分かりますけど、あの人恐ろしく博識ですよ。何を見ても動じることがありません。とてもリディアに初めてきたおのぼりさんとは思えませんでした」
だから、どこからやってきたのかが気になった。リディアに住む者の贔屓目もあるが、この街は大陸でも随一の発展を遂げた都市である。技術的にタメを張るのは北方大陸くらいなのだが、あそこは勇者が死んだ20年以上前から内戦を繰り返している。だから、旅行者も難民も変わらず、リディア首都ローデポリスへ来たものは、その空を覆いつくす摩天楼に少なからず驚きを覚えるはずなのだが……
あの男はまるで興味を示さず、あろうことか南からやってきたと言い張るのだ。
はっきり言って眉唾だが、ブリジットの言うとおり博識だからか、話をしていると本当かもと思いこまされてしまうようだった。そこで、王は彼女から受けた報告から、一つ試してみることにした。
「それにしても、紙でのう……」
「嫌んなるくらい、いつもボヤいてましたよ。あの先生、弱いくせにお酒が大好きで、なのにおなかも弱いから毎朝トイレに篭っていたんですけど、そのたびに紙がぁ~紙がぁ~、水洗便所がぁ~って……あまりにしつこいから、その内部下たちがからかって、トイレの上からバケツでザバーッと水をかけたんですけど。でも、大騒ぎするくせに、怒らないんですよ、あの人。本当なら消し炭にされててもおかしくないのに……」
基本的に魔法使いとは、生まれもっての素質と、聖遺物に選ばれると言う二つの要素が必要だった。戦場で特に役立つその性質から、各国がこぞって彼らを集めていることもあり、そのため、魔法使いは選民意識が強い者が多く、そして得てしてそういう者は怒りっぽかった。
しかし、但馬は魔法を使う素振りを見せず、偉ぶるようなこともまったくしない。あまりにもしないから、ブリジットとシモン以外は彼が魔法使いであることを知らないくらいだった。
聖遺物無しで魔法を行使する魔法使いなど、危険窮まりないので、普通なら王が直接会うなんてことは絶対避けるべきだろう。しかし、ブリジットからの推薦もあり、今回直接会ってみたのだが……
「本当に、おかしな男じゃった」
国家間であれば戦争が起きてもおかしくないほどの財産を奪われたと言うのに、あまりに欲が無く、野心も感じられない。少しくらいはごねると思ったのだが、やけにあっさりしたものだった。王は首を捻るよりなかった。だから彼の去り際にふと聞いてみた。
「お主……その気になれば、今この場におる者全てを殺して逃げることも可能じゃろう。何故そうしない」
すると彼はぎょっとして、絶対にそんなことしないと断ってから、
「だって、恥ずかしいし……」
魔法は一人でこっそり使ったほうがいいですよ、と言って、彼は頬を赤らめつつ去っていった。
はっきり言って、わけがわからない。
「本当に、なんなんじゃろうな、あれは……」
「ですねー……」
彼らの理解の及ばないところで、何かを嫌がっている但馬に対し首を捻りつつ、ともあれ、王は昔を思い出しながら言った。
「それに、あの黒目黒髪……あれは勇者殿に似すぎておる……タジマ・ハルを名乗るからには、もしや何か関係があるのやも知れぬが……」
しかし、勇者は生きていれば80歳を越える老齢である。直接関係があるとは思えない。もしくは、血縁者であるとするなら、可能性は否定できないが……それなら、それを隠す理由がないのだ。他国ではどうか知らないが、このリディアの地では歓迎されるだろう。
「なんにせよ、本当に紙を作って持ってくることが出来るなら、この国にとって益にもなろう。だからビディや、もう暫く彼の動向を探っておいてくれんか」
「かしこまりました」
「それまで、何があってもあやつを怒らせるでないぞ。へそを曲げられて、他国へ逃げられでもしたら事じゃからの」
そう言うと、王はブリジットを下がらせた。彼は昔を思い出していた。およそ60年前、このリディアの地で出会った勇者のことを。この地にはまだ国はなく、街もなく、家すら建ってないような中で、勇者と仲間を率いて駆け抜けた、輝かしい日々のことを。
しかし、彼は結局、この地から去っていった。
それは彼が新天地を求めたのではなく……彼と、かつてのこの国との意見が食い違ったのが原因だったのだ。
「今度は、仲違いなどしてはならぬ……今度こそは……」
王は但馬にかつての勇者の面影を重ね、そう呟くのであった。
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「何が恥ずかしいだ! 舐めてるのかあああ!!!」
「うひゃあああああ! すんませんすんません!?」
謁見の間から下がらされると、但馬はいきなりウルフに蹴り飛ばされた。彼は魔法が使えないので、魔法使いの但馬が羨ましく、なのにわけのわからない理由でそれを使わないのが許せなかったのだ。おまけに、王を侮辱するようなあの態度……カッとなりやすい彼には我慢の限界であった。
そんなこと露とも思わない但馬は、(なにすんだ、こいつ!? 初めてみたときから思ってたけど、やっぱサイコパスなの? やべえよ、やべえよ……)とビビリながら、ゴキブリのように四つんばいでシャカシャカと距離を取った。
まだ怒りが収まらないといった塩梅のウルフを他の隊員が羽交い絞めにする中、
「殿中でござる! 殿中でござるぞ~!!」
と叫びながら、但馬は転げ落ちるように階段を下りていった。
ほうほうの体でどうにかこうにかインペリアルタワーから外へと出、ぜえぜえと荒い息を吐きながら、膝に手をついて汗を拭う。
「つーか……ぜえぜえ……エレベータ無しの15階建てって、マジでありえないだろう……はあはあ……あったまおかしいよ、この国」
見上げると、二つの月に照らされたビルのシルエットが浮かび上がる。見栄えは確かに良いのだけど、もう二度と近づきたくないと思いながら、但馬は逃げるようにその場から去った。
「……ぺっ!」
ホテルに戻ると、出てきた支配人に唾を吐きかけられた。
「ぎゃっ! なにすんだ、こんちくしょう!!」
「どの面下げて戻ってきたんだ」
「なんだと! 金なら1か月分前払いしてただろうがっっ!!」
「この惨状を見て、そんなことがよく言えるな!」
ホテル・グランドヒルズ・オブ・リディアの玄関はそれはそれは酷いことになっていた。飛び散る生ゴミ、耐え難い腐敗臭、あちこちに金返せの落書きがされて、窓は破られドアは破壊されている。但馬を拘束するために突入した近衛隊と、応戦した兵士たちとで、上階は水浸しになっており、ぶっちゃけ酷い有様であった。
但馬は目の前でバタンと扉を閉じられた。ドンドン! とその扉を叩く。
「おいっ! 開けろ! 開けろこんにゃろ!!」
ザバーッと上から水をぶっ掛けられた。なにこれ……
通りすがりの酔っ払いが、鼻歌交じりに言った。
「お! 詐欺師の兄ちゃんじゃねえか。ぎゃははははっ! ざまあ!!」
足元がなんか生ぬるく感じると思ったら、犬が小便を引っ掛けていった。
ちくちょう……ちくしょう……
但馬は、月に向かって叫んだ。
「絶対、出てってやるからなっ! こんな国っっ!!!」
覚えてやがれよ……そう吐き捨てると、但馬はとほほと背中を丸めて、寝床を求めてもと来た道を戻るのであった。