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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第五章
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孤独のグルメ②

 但馬が納豆を作っている頃、この世界は一つの節目を迎えた。ハリチ海軍工廠(こうしょう)にて、世界初の蒸気機関を搭載した鋼船が竣工したのである。


 蒸気船自体はそれよりも先に、ハリチ~メディア間をつなぐ定期船に搭載する予定で開発が進められていたが、船体を含めて全て鋼で出来た船舶はこれが初めてだった。


 軍事機密であるがゆえ人の目に触れられることを嫌い、進水を遅らせるだけ遅らされたそれは、進水式と竣工がほぼ同時と言えるくらい、スケジュールがタイトだった。そのため、エンジンの始動もギリギリまで遅れたものだから、開発者である親父さんは、それが本当に動くのか気をもんで夜も眠れぬ日々を送っていたらしい。


 いよいよボイラーに火が灯され、そして外輪がパタパタと水をかいて進む姿を目の当たりにした時、ようやく安堵した彼はそのままパッタリと気絶するようにぶっ倒れた。驚いた弟子たちが駆け寄って彼を抱き起こしたら、ぐうぐうと盛大なイビキをかいて寝てるものだから、ホッとすると言うよりも、逆に腹が立ってきたと言っていた。


 とにもかくにも、そうして出来上がった外輪装甲船は、カンディア海軍基地へと配属された。喫水が浅く平べったい船体は、座礁を気にせず沿岸部を航行したり、川を遡行する能力を持っており、全てが鋼で覆い尽くされたそれは、どんな矢でも鉄砲の弾でも軽く弾く事が出来る。


 これによりアナトリア海軍は沿岸部の制圧並びに平野部の分断を目的とした作戦行動を取ることが出来るようになり、陸軍との連携をより密にすることも可能となった。折しも、紛争地であるガラデア平原には縦横に川が流れ、その支配者であるアスタクス方伯の領地ビテュニアは、その河川を利用した要害として知られていた。


 第一回フリジア戦役から数ヶ月、未だに賠償金交渉を渋る相手に対し、カンディア公爵は切り札を手に入れた。ハリチから遠いエトルリア大陸では戦争の火種はまだ尽きず、新たな局面へと発展しようとしていた。


 時を同じくして、ハリチ港に首都ローデポリスの造船所で作られた外洋航海船が続々と集まっていた。これらは蒸気機関とまではいかなかったが、どれも最新の縦帆を備えた大型のキャラック船で、速度のみならず、航続距離をも重視した作りとなっていた。


 これらの船が集められた理由は言うまでもなく、ブリジットの西海会社による西洋探検航海のためであったが、但馬があれだけ苦労して出資を募っても鳴かず飛ばずだったそれが、こうも手のひら返しに盛り上がっているのは、なんとも形容しがたい屈辱だった。


 西海会社が発足して、その出資者(パトロン)が皇帝であることが知れ渡ると、ブリジットの元には次から次へとご祝儀のように投資話が舞い込んだ。やはり、国の最高責任者がこれをやると言えばみんな右へ習うのだろう。中には単なるお追従のためでなく、本当は気になっていたのだ……と言う人も含まれていたから嫌になる。


 そして出資者が集まり湯水のように金が使えるようになると、西海会社はそれで最新式の新造船を8隻も建造し、大船団を作り上げた。難破のリスクが減ればフロンティアスピリッツの溢れた乗組員も集まってきて、気がつけばあっと言う間に外洋航海の準備が整ってしまった。今までの苦労は何だったのか。


 ブリジットはこれらの船団を、まずは但馬が作り上げたオークランド諸島の入植地へと向かわせた。次に船団を2つに分け、ニュージーランドをぐるりと回ってその海岸線の地図を作る船団と、適当な入植予定地を探して寄港地を作る船団とに分けることにした。そして地図ができたら、今度はその寄港地に前線を移動する予定である。


 何をまだるっこしいことをしてるのだと皇帝あたりはやきもきしていたが、こればっかりは仕方がない。但馬は確かにブリタニアの南方(今で言うニュージーランドの西方)に、大陸があることを知っているが、この世界の人達はそんなもの知らないのだ。


 それなのに、何もない海に船を漕ぎだせと言われても、誰もなかなか受け入れられないだろう。ハリチからオーストラリアまでは直線距離でおよそ3200キロほどであり、かなり遠いがコロンブスの航海よりは無謀ではない。だから無理を押し通すことも出来るが、もしそうやって大陸を発見したとしても、彼らは凄いと思う前に、まるで初めから大陸があることを知っていたようだと胡散臭い思いを抱くだろう。それでは困るのだ。


 だから、オーストラリアを発見するにも、その報せを大衆に無理なく受け入れさせるには、段階を踏む必要があり、そのため、当初ブリジットはオークランド諸島から、まっすぐに南西を目指そうとしていたが、但馬は彼女を説得してまずは手近なブリタニアの地図を作ることを勧めた。


 理由を理解した彼女はその案を受け入れ、そしてついに、本格的な外洋探検航海が始まろうとしていた。搭載できる食料だけで計算すれば、船団はおよそ3ヶ月間の継続した航行が可能だが、移動に関しては風まかせなので、概算の航続距離では8000キロ~12000キロと全く当てにならない。ただ、船団がどこまで調べてくるかは分からないが、仮にニュージーランドの両方の島を回ってきたとしても十分に回りきれる距離だから、次に船団が帰ってくるおよそ半年後には、更に色々なことが分かるだろう。


 さて、話は長くなったが、但馬はその半年間で、次なるステップへ進もうと画策していた。本来ならば、自分がニュージーランドの地図を作るつもりだったが、それを恋人が肩代わりしてくれるのだから、自分も期待に応えねばなるまい。


 話の流れ的に、もう言わずとも分かるかも知れないが、彼が次に作ろうと考えていたのは、蒸気機関を備えた外洋探検船であった。それも外輪船ではなく、スクリュー船である。


 海軍工廠で装甲艦を竣工させたばかりの親父さんは、気絶するように眠った起き抜けに早速次の仕事を振られてげんなりしたが、同時にニヤリと笑った。元々、但馬に聞かされてリオンの玩具にゴム動力のスクリュー船を彼は作ったことがあり、その能力を既に知っていたのだ。


 問題は、船底に穴を開けるため、その水密性が問われるわけだが、それも今回の鋼船建造である程度目処がついた。やってやれないことはないと言うと、彼は意気揚々と首都へと帰っていった。


 世界は着々と、新たなる時代へ向けて動き出している。


**************************


 とは言え納豆である。


 但馬は一夜明けて頭が冷えると、ブリジットのみならず、離宮の料理人たちにまで不評だった納豆の何が駄目だったのかを考え始めた。確かに納豆は見た目といい臭いといい、初めての人にはハードルが高いものだが、それでも舌が命の料理人にまでペッと吐き出されてしまうほどのものではない。


 みんなそれを覚悟の上で口に含んだはずなのに、簡単に吐き出してしまうのは流石におかしい。それで、たくさん作った納豆を一つ一つ調べてみたところ、藁によって出来がまちまちなことにすぐ気付かされた。但馬が食べたのは、たまたま上手くいったものだったのだ。


 大豆の茹で方が足りなかったのか、カチカチに硬いまんまのものがあったり、藁の殺菌がいまいちだったせいか、雑菌が繁殖して酸っぱい臭いやアンモニア臭を放ってる、明らかな失敗作もちらほらあった。他には保温のし過ぎで納豆ではなく、腐った煮豆になっているのがあったり、菌糸と思ってよく見たらただのカビだったなんてのもあった。


 あわよくば商品化しようと思っていたくらいなのに、これはまずい。どうも作り方が雑すぎたようだ。思えば、温度管理も適当だったし、一度に大量に作ろうとしすぎた。


 菌類は見えないくせに勝手に増えるから取り扱いが難しいし、酒蔵なんかだとそれ専門の職人もいるくらいなのだから、素人がいい加減に作ったところで上手く行かないだろう。もっと小分けにして慎重にやらねば……


 ただ、但馬が食べた物は比較的上手くいってたので、それを選り分けて残しておこうと彼は考えた。納豆は納豆菌さえ残しておけば、また同じものをいくらでも作れるのだから。


 但馬は工房の微生物研究所へと足を運んだ。


 ハリチの研究所は、この世界で唯一の微生物研究所であった。と言うのも、それまで世界中の人々は、目に見えない小さな生き物がいるという事実を誰も知らなかったからである。ぶっちゃけ、今でも九分九厘はそうだろう。


 だが微生物のことは、但馬は常識として知っていたので、カメラ制作でレンズ加工を始めてから、すぐに顕微鏡も作り始めた。あの頃は森の植生を調べている真っ最中で、純粋にそれが欲しかったのもあったし、ガラスの研磨は職人技なので、出来るだけ多くの職人を育成するためにも、レンズの用途は多いにこしたことはないと言う考えもあった。


 そのお陰で、今ではカメラの性能も良くなり、個人向けの物もついに売り出され始め、高額で取引されることが知れると、職人見習いも続々と増えはじめた。しかし、老眼鏡代わりの拡大鏡までもが、それなりに売れ始めたと言うのに、ミクロの世界を見ようという顕微鏡の方は、特殊性が高くて全く売れず、職人があまり作りたがらなかった。


 そのため、顕微鏡はあるにはあったが、せいぜい100倍以下の倍率しかないものしか存在せず、仕方なく但馬は私財を投じて懸賞金を設け、それなりの倍率を持つ顕微鏡を特注することにした。お陰で、現在では500倍以上の倍率がある、かなり強力な顕微鏡を手に入れている。


 なんでそこまでして欲しがったのかと言えば、単純に持っていたほうが良いと言うのもあったが、フリジアでのペスト騒動が大きかった。あの時、アナスタシアがいたから事なきを得たが、もしも彼女が居なかったら、但馬はとっくにお陀仏のはずだ。彼女が居るから問題ないと言えれば簡単だが、やはりこの先何があるかはわからないのだし、対処法があるにこしたことがないだろう。


 そのためには、病原菌を特定するための設備が必要だし、その治療法の確立も大事だろう。そして治療法として但馬がパッと思い浮かんだのは血清治療で、これを機に工房内に微生物研究所を設立し、研究員を集めたと言うわけだ。


 血清とは名前くらいは聞いたことがあるだろうが……動物の血液を体内から抜き出し、アンプルなどで保管静置しておくと、やがて赤黒い固まりが沈殿し淡黄色の上澄み液が出来る。この上澄み液が血清である。


 通常、血液型の違う人の血液を体内に入れると、血液が凝固して血管が詰まり死んでしまうが、血清はすでに固まる成分が抜き出されているわけだから、血液型が違っても固まることはない。


 そこで、以前に病気にかかったことがあり抗体がある人の血清を作り、それをまだ病気にかかったことのない人に注射すると、抗体が作られて病気を克服することが出来る。抗生物質の登場で一度は廃れた治療法だったが、21世紀になってエボラ出血熱が流行すると、抗生物質の効かないエボラに対する唯一の治療法として見直された。


 この治療法を熱心に研究していたのは日本人である北里柴三郎で、彼は血清治療を用いて破傷風の治療に成功した。同じく、ジフテリアの治療法について研究していたエミール・ベーリングも血清治療に注目し、1890年、北里とベーリングは連名で『破傷風とジフテリアの血清治療法』についての論文を発表することになる。


 因みに、ベーリングはこの功績によって第一回ノーベル医学賞を受賞するが、北里は受賞することが出来なかったという経緯がある。理由は諸説あるが、ベーリングは後に単独で『ジフテリアの血清治療法』に関する論文を発表しており、これだけが評価されたらしい。(なんでだろうね)


 さて、話を戻すが……当然、病原菌を人間に注射して抗血清を作るという人体実験じみたことは出来ないから、当時の血清治療は馬などの家畜に抗血清を作らせて、それを人間に注射して病気を治療した。だが、これでは確実性にかけるし副作用も強かったことで、ペニシリンが登場したらすぐに廃れてしまったわけだ。


 但馬がテレビの知識で作ったペニシリンがこの世界にもあるので、本来ならばこんなものを出してくることはなかったのだが、ペストのようにペニシリンが効かない感染症は他にもある。そう言った突発的な危機にも対処できるように、彼はこの療法も必要だと実感し、騒動後にリディアへ戻ると、すぐにハリチに微生物研究所を設けて病原菌の特定を始めた。


 残念ながら、今のところは病原菌の特定はおろか、様々な菌類や微生物の発見や分類に大忙しで、それどころではないのであるが……


 今回の騒動はそんな研究所に但馬が納豆を持ってフラリと現れたところから始まった。


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