孤独のグルメ①
人間の味覚は幼少期に作られるから、子供のうちに良い物を食べておかないと、大人になってから味覚音痴になるとよく言われるものだが、ぶっちゃけ、これには根拠が無いと思っている。
事実、子供と大人の味覚には明確な違いがあり、子供の頃に嫌いだった物が、大人になったらあら不思議と食べられるなんてことが往々にしてある。だが、それは子供の味覚が大人の何倍も鋭敏であるからであって、大人になって味覚が発達したからではない。寧ろ逆なのだ。
人の味覚には認知されているものだけで、甘味、塩味、酸味、苦味、うま味の五種類が存在する。他に辛味なんてものもあるが、これは現在では、舌の痛覚神経が刺激を受けて感じている食感であると知られている。
これら味覚の内、かつて大昔の料理人達は、料理の美味さを決めてるのは、塩味と酸味であると信じていたそうで、物事が程よい状態にあることを『いい塩梅』と形容するのは、この塩味と酸味の加減がうまく行った状態を表しているのだそうだ。
ここに甘味が含まれていないことは意外だが、ハチミツが無ければヨーロッパにこれといった甘味が無かったように、昔は甘味を得る手段が限られていたからだろう。信長の野望をプレイしてると、カステラや金平糖がお宝として売買されてるくらいだし……
逆に苦味が含まれないのはしっくり来るだろう。苦味はどちらかと言えば不快な味であるし、毒や薬、もしくは食べてはいけない異物のような感じがする。苦虫を噛み潰すという表現もあるくらいだ。
実は、子供の味覚が敏感なのは、この苦味と酸味に対してなのだ。人間に限らず、動物の子供は体が小さくて弱いから、外から受ける様々な刺激に影響されやすい。腐ったものを食べたらすぐにお腹を壊すだろうし、下手したらそれが原因で死んでしまうかも知れない。市販の薬の用量を見ても、大人と子供では一度に飲む量が違っているし、毒に対しても大人の方が経口致死量が多く、毒に耐えられるように出来ている。
つまり子供の味覚が鋭いのは、毒が口の中に入った時、間違って飲み込んでしまわないように体が危険信号を発するからであり、ピーマンが苦くて食べられないと言うのは、本能的な拒否反応なわけである。
大人になれば体も大きく強くなってきて、やがて慣れもあって舌の感覚も鈍くなり、苦いものや酸っぱいものに拒否反応を起こさなくなってくる。つまりいい塩梅になってくるわけだが、子供は体の作りからしてそうではないのだ。だからまあ、泣くまで食え食えというのは、ただのイジメなんじゃないかと思っている。
味覚が子供の頃に作られるというのが根拠に乏しいと言うのも、実際のところ、こんな経験をしたらトラウマになるのがオチで、味覚にいい影響を与えるとは思えない。だから、苦いものや酸っぱいものは体に良いんだから、いつか食べられるようになれば良いね程度に言っておいて、無理をさせないほうが後々の性格形成上にも良いだろう。お百姓さんに申し訳ないと言うのとはまた別の話だ。
飽食の時代、特に日本は宗教的なタブーもないから様々な料理が集まってきて、世界に名だたる食の都と相成った。ちょいとその辺をうろつけば、美味くて栄養豊富なものがいくらでもあるのだから、何も無理して不味いものを食べなくてもいいではないか。
それに世の料理人たちを見てると、申し訳ないがそれほど裕福な家庭に育ってきたとは思えないし、普通にタバコも酒も両方やってる者も居る。何より、美食家として名高い北大路魯山人なんて、虐待が酷すぎて、この子ちゃんとご飯食べてたのかな? と心配になるような幼少期を過ごしてきている。どこに味覚を鍛えるような余裕があったというのだろうか。
これらの人たちが味覚を鍛えたのは、やっぱり大人になってからであり、特に魯山人なんかは過酷な幼少期の反動だろう。つまり、美味いものは大人が大人向けに作ってるのであるから、子供が美味しくないと感じても仕方ないことである。
しかし、こうして生まれた美食の数々は、苦かったり酸っぱかったり複雑怪奇な味をしていて、なおかつ、どれも栄養価が高いのは何故だろうか。多分、美食家は混沌の中から、自然と体に良い物を選んでいるのだ。
これはどうしてだろう。
ただの憶測でしか無いが、飢えた経験がある者は、食に対しより貪欲であるからではないだろうか。彼らは足りない栄養を補おうとする本能が強く、知らず知らずのうちに体に良い物を選んでいた。彼らはどん底にあって、食の真髄にたどり着いたのだ。美食とは即ち、生きることそのものに違いないのだ。
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ハリチに新しく建てられた離宮は、後々ザナドゥ離宮と呼ばれて親しまれるようになった。ハリチの高原でも一段高い高台の上に、贅沢に土地を確保して作られた宮殿は、なんでもかんでも鉄筋コンクリートで、とにかくデカい建物を建てたがるリディア人の中にあっては珍しく、但馬の好みが反映されて、寝殿造りを意識した平屋の渋い建物となっていた。
寝殿を囲むように建てられた幾つもの建物の間を、板張りの広い廊下でつなぎ、敷地は白い漆喰の壁で囲まれている。和瓦がないので洋瓦葺きの建物で、壁は漆喰で固めていたが、見た目はとても和風とは思えなかった。だが作庭には拘って、遠くの川から集めて来た白い丸石だけの砂利敷の庭には灯籠が立ち、敷地の半分を埋める大きな池にはいくつもの人工の島が作られ、その全てに橋が掛けられ渡れるようになっており、様々な植物が植えられ、館の主人の目を楽しませた。
高台の目立つ位置に建てられたそれは、目立つゆえに逆に侵入者の接近を防いでおり、玄関や寝殿の周りには、護衛の兵士が詰める屯所もおかれていた。当然、セキュリティの関係上、周辺には高い建物を建てることは許されず、そのお陰で日当たりがすこぶる良い離宮からは、山の下のハリチ港が一望でき、夜には夜景も楽しめた。
ブリジットはまさか但馬が平屋の建物など建てるとは思っておらず、出来上がったばかりのそれを見て当初は明らかにがっかりしていたが……住めば都というのだろうか、庭の池に映る月影と木々のざわめき、そして眼下のハリチ港から遠くの水平線までを一望できるその景色を気に入り、暫くすると首都の宮殿よりもこっちの方が好きになっていた。
それに、ここへ来ると但馬が良く尋ねてきてくれるので、それも嬉しかったのだ。
離宮を建てたは良いが、流石に専門家とはいかない但馬は宮殿のあちこちが気になる様子で、特に作庭に関してはまだまだ納得がいっていないのか、暇さえあれば庭師と話し込んだり、休日返上で黙っててもやってきて、一生懸命手入れをしていた。
エリオスと大きな岩を運んできたり、釣ってきた川魚を池に放したり、新しい見栄えの良い木を植えたり(首都ではあり得ないことだが、ここでは高木も普通に植えられていて、目で楽しむだけでなくその実を収穫も出来るのだ)……そんな具合に、彼は自分の趣味全開で庭いじりをするために、いそいそと離宮に通ってくるので、まだまだ人の少ない山の上でもブリジットは退屈することが無く過ごせた。
但馬は、自分でも庭造りにこんなにハマるとは思ってもみなかった。始めのうちは文字通り、かる~く、日本庭園っぽいものでも作ってみようかな……程度にしか思っていなかったのだが、自分のイメージしているものと出来上がったものとの差にガックリときて、ああでもないこうでもないとやってるうちにどっぷりとハマってしまった。
尤も、それも仕方ないことかも知れない。まず日本庭園と言うと、庭に松の木、池には錦鯉と相場が決まっているのだが、この国にはそのどちらも見当たらないのだ。
だから代替品として、松の木の代わりにニセアカシアを、錦鯉の代わりにニジマスを放してみたのだが、もうこの時点で自分の中のイメージがガラガラと音を立てて崩れ去っていった。なんと言えばいいのだろうか、これはなんか違うといったライトな感じではなく、初めてカリフォルニアロールを見た日本人が、お前日本舐めてんのか? と、意味もなく腹をたてるような感じである。(でもあれ、日本人考案だったりするんだけど)
そこで、流石にニセアカシアはなかろうと、日本のシンボルと言えば松竹梅、せっかく竹があるのだからちょっと遠出して竹を持ち帰り、植えてみたら結構いい感じになった。やはり和風建築には竹が合うと気を良くし、ついでに鹿威しなんかも作ってみたりして、せっかくだから竹箒も欲しいなと、そしたらやっぱ落ち葉焚きかなと……気が付くとあれやこれやと作っていた。
なんでこんなにハマっちゃったのかなと不思議にも思ったが、多分、水田に実る稲穂という原風景に触発され、知らず知らずのうちに日本らしさを求めていたのだろう。
思えば、但馬の主観時間でどれくらい日本に帰っていないのだろうか……このリディアで目覚めてからもう5年以上が経ち、その前は10年以上、海外と宇宙を行ったり来たりする生活だった。はっきり言って、懐かしいと思うことすら難しいくらいご無沙汰で、今となっては、醤油の味すらすっかり忘れてしまっているくらいだ。
まあ、今まで全然平気だったのだから、多分、気にしなければ特に問題なかったのだが、やはり茶碗いっぱいの白米が湯気を立てている姿を見てしまうと、どうにも居てもたっても居られなくなったのだろう。
そして、そんな時だった……今年、ついに初めての稲刈りを終えて、みんなで脱穀をして、稲わらを束ねていた時に、但馬はふと思いついた。
農場の従業員達が、稲わらを灰にして肥料にしようか、それとも家畜の飼料にしようかと話していたところをパッと取り上げ、彼はその稲わらを見つめながら独りごちた。
「そういや……納豆って簡単に作れるんじゃなかったっけ?」
その呟きを聞いても何のことかわからない従業員たちを尻目に、取り敢えず稲わらは使わずに取っておいてと頼むと、但馬は一抱えほどの稲わらを持って、離宮の台所を貸してもらいに走った。
納豆の起源は良くわからないが、平安時代にはもう言葉自体はあったようだ。尤も、その頃の納豆は納豆菌を用いた糸引納豆ではなく、大陸から入ってきたいわゆる豆鼓や醤のことだった。大雑把に言えば豆味噌みたいなもので、現在の納豆が登場するのは室町時代以降のことであるそうだ。
納豆の作り方をザックリと説明すると、よく煮込んだ大豆を、茹でるか蒸気で蒸した稲わらに包み、40℃くらいで保温して納豆菌の繁殖を促す。ただそれだけ。1日ほどそのままにしておいたら、大豆のまわりに白い納豆菌が菌糸を伸ばしているはずだ。
この納豆菌と言うのも、有用だから名前がついただけで、本当はどんな稲わらにもついている有り触れた枯草菌の一種にすぎない。
そして納豆菌は他の雑菌とは違い、高温でもなかなか死なない。だからその性質を利用して、稲わらをグツグツ煮込んで加熱すると、うまい具合に納豆菌だけが生き残った稲わらが出来上がる。
実は、こんな具合に納豆は、稲わらと大豆さえあれば誰でもすぐに作れちゃうのだ。大方、始めの納豆は、茹でた大豆を稲わらの上にでも置いて冷ましていたところ、うっかり忘れて2~3日経っちゃったのではなかろうか。
じゃあ市販されてる納豆は何なの? と言えば、美味しい納豆を作る菌を厳選し、培養したものであるそうだ。美味しい納豆が出来たら、それを全部食べちゃわないで、菌だけ培養して取っておけば、また同じ味の納豆が食べられるという寸法だ。
なにはともあれ、作り方は簡単のはずだし、せっかくお米を作ったのだから、こういった懐かしい食材も食べたいと思った但馬は、離宮の台所を借りると、料理人達が奇異の目を向ける中、納豆を作り始めた。
そして2日後、白く膜の張ったネバネバの大豆を取り出して、おもむろに茶碗でクッチャクッチャとかき混ぜたら、料理人達は目を背けたり鼻を摘んだりしていた。また但馬が変なことを始めたと聞いて、面白がって見に来たブリジットは、台所に入るなり回れ右して去っていった。
失礼な奴らめ……と思いながらもタレがないから塩と油を混ぜ込んで、いざ白米に乗せてパクリと一口食べたところ……
「先生……?」
台所の入り口でコソコソとこちらを覗き込んでいたブリジットは息を飲んだ。
ホロリと但馬の目から涙が零れたのである。
「……あれ? おかしいなあ……どうして涙が出るんだろう」
但馬は驚いて涙を拭った。だが後から後から流れ出る涙に、ついに堪えきれず音を上げて、人目をはばからず彼は涙を流した。震える手を懸命に押さえつけながら箸を動かし、ヒックヒックとしゃくりあげる喉を納豆ご飯が嚥下するたび、
「美味い……美味いぞう……!」
涙の味を噛み締めながら、彼は何度も何度も呟いた。
一口ごとに様々な味、景色、言葉、そして顔が思い出される。
日本の朝の食卓といえば、海苔、シャケ、ご飯、そして納豆である。
ああ、これだ、この味だ。文字通り、糸を引くような味の奔流が、舌の上でとろけ、喉の奥で沸き立つ。ご飯の上に乗せられたそれはシンプルな味付けしかされていないと言うのに、時にその白米よりも甘く感じられるのだ。
腐敗した豆と言う見た目は決して褒められたものではないが、始めの取っ付きにくさを越えた先にある、旨味を凝縮したその真髄が茶碗から引き上げられた箸の上で踊っている。糸を引くその箸すらも旨味の暴風に襲われて、行儀が悪いと分かっていても、思わずちゅうちゅうと吸い付きたくなるほどである。
ああ、そうだ。これだ、これなんだ。自分は毎日、これを食べて育ってきた。甘いでもなく辛いでもなく、塩っぱいようなそれでいて甘いような、なんとも形容しがたいこの味だ。子供の頃から慣れ親しんだ、この味なんだ。
「美味い……美味いぞう……!」
ボロボロと涙を垂れ流しながら、鬼気迫る勢いでお茶碗にがっつく様を見ていたブリジットは、そのあまりの豹変ぶりに驚きを隠せず尋ねた。
「そ、そんなに美味しいんですか? それ……」
「ああ、美味い。これ以上ないほどに美味い……甘味、酸味、塩味、苦味、そして第五の味覚うま味。そのシンプルなうま味だけを凝縮したものが、ここにあるのだ」
「は、はあ……」
ブリジットは何を言っているか分からなかったが、それでも但馬がそれをとんでもなく美味い物だと言おうとしていることだけは分かった。見た目も臭いも酷いものだが、彼がそんなにまで言うのなら……興味が出てきたところで、但馬がカッカッカッと茶碗をかきこんで、
「美味いー! もう一杯っ!」
と、唖然とする料理人にその茶碗を突き出したところで、ブリジットは我慢しきれずに叫んでいた。
「そ、そんなに美味しいなら、私も食べたいです!」
「むむ!? そうか。君と僕の仲であろう。何を遠慮するものがあるというのか。コックさん、ちょっとこの人にも一杯つけてあげなさい」
「はっ!」
料理人は必要以上に背筋を伸ばして返事をすると、おひつからご飯をよそいながらおずおずと言った。
「……ところで恐れながら閣下! 私もそのナットゥなるものに興味が湧いてきたのですが、よろしければ一口だけでもご相伴に預かれませんでしょうか。何分、職業柄どうしても、このような新食材は見過ごせません」
但馬は鷹揚にうなずいた。
「北大西洋条約機構みたいな発音はともかく、料理人が研究熱心であることを恥じることはありません。興味が有るのならば、是非、あなたもこの納豆を食べるのです」
「ははぁ! ありがたき幸せ」「俺も俺も」「僕も僕も」
するとそれを見ていた彼の弟子らしきものたちも一斉に手を上げた。おまえら、やんごとなきお方たちを前に自重しろよと煙たそうにする料理人を制して、但馬はみんなもこの美味を分かちあうべきだと主張した。
「まあまあ、用意した納豆はまだまだある。ご飯も沢山炊いてある。みんなが食べても食べ切らないほどあるのだから、なにもケチケチすることはあるまい」
「はっ! ありがたき幸せっ!」
「一人でどの納豆が一番美味しいかって調べるつもりだったんだけど、君らの味覚ならば問題ないだろう。それぞれ、食べた感想を聞かせてくれ。さあ、はじめよう! 納豆まつりだ!!」
「わー! わー!」
そして彼らはご飯をよそうと、納豆をクッチャクッチャとかき混ぜた。
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「……野蛮な未開人共め」
但馬は一人、黄昏れていた。
その後、納豆祭りは地獄絵図と化した。見た目も臭いも酷いそれは、但馬がどんなに美味しそうに食べて見せても、やっぱり受け入れられなかったのだ。何というか、ドリアンを食べてゲエゲエ吐くような感じである。
美味い美味いと言われても、やっぱり駄目なものは駄目なのだ。
まず、いの一番でブリジットが涙を流しながらトイレに駆け込み、次に若い料理人が堪えきれずに吐き出した。それを見て、次々とみんながドロップアウトしていって、ついに最期まで頑張っていた料理長もペッ……と観念した。
台所に酸味がかった臭気がまとわりついていた。とても物を作って食べるような場所の雰囲気ではなくなり、但馬の食欲も減退した。
そしてバツの悪そうな顔で料理人達が見守る中、但馬は涙を流して飛び出したのである。
ハリチの海に夕日が沈む。涼し気な高原には秋めいた風が吹き付け、収穫を終えた田んぼの上には赤とんぼが飛び交っていた。放牧地をダッシュする彼はすぐさまエリオスにとっ捕まったが、一人イジイジと地面を見つめ四つ葉のクローバーを探しながらも彼は決意するのだった。
絶対、あいつらに美味いと言わせてやる。この世界に、納豆を流行らせるのだ……そして彼の孤独な挑戦が始まるのであった。





