ハチミツとクローバー④
白詰草の白い花にハチが止まった。但馬に促されてタチアナが辺りを見渡すと、ここヴィクトリア峰中腹の放牧場のそこかしこには、沢山のミツバチが飛び回っているのが見えた。
「次にタチアナさんに見せたかったのがこれ」
と彼が言うからには、どうやらこの地では馬の飼育の他に養蜂もやっているようである。
リディアの主力輸出品目には砂糖があり、そのせいでなのかイオニア海交易ではあまりハチミツというものは出回らない。
もちろん、物が無いわけではなくって、砂糖に対して比較的高価であるというのがネックとなって、積極的な貿易が行われていないと言うのが理由であった。
ハチミツを欲するのは、主にパティスリーやレストランなどの外食産業くらいのもので、一般家庭ではまず取り扱われない。寧ろ、砂糖があるというのがイオニア海沿岸地域の強みであって、大陸の北へ行けば行くほど砂糖とハチミツの価値は逆転する。
何故こんなことになるのかと言えば、言うまでもなく生産量の違いが原因で、サトウキビというものは、その生育に多大な日照時間と水量を必要とするため、熱帯雨林地方でないと育ちにくいという実態があるからだった。
そんなわけで、安いからこの界隈では砂糖ばかりが出回っているが、
「値段が同じくらいなら、普通にハチミツだって売れるはずでしょう? 特に、パン食が主流のエトルリア人には、砂糖よりもハチミツの方が一般的だ」
「ええ、そうですわね。アクロポリスでは毎朝の食卓に上るようです……と言っても、貴族の食卓ですが」
「まあ、それも値段の問題だと思うけど。安ければ普通に買われると思うんだよね」
「でしょうね。安ければですけど……但馬様はそれが可能であると?」
「そういうこと。マンフレッド君、養蜂場に案内して差し上げて」
牧場長のマンフレッドに先導されて、一行は広い牧場の中ほどにある厩舎の影へと入って行くと、そこには何の変哲もなさそうな四角い箱が整然と並んでいた。その数は見たところでも50を下らず、それが規則正しく並んでる様を見ると、まるでモルグの中の棺桶みたいだった。
養蜂場のそばには作業員の着替える更衣所があり、但馬達はそこでベールのついた帽子と割烹着のようなジャケットを羽織ると、先頭に立って養蜂場へ入っていったマンフレッドが、
「危ないからあんまり近付かないでください」
と言ってから、一番手前にあった養蜂箱を開けて、巣枠を慎重に引き抜いた。
すると中からおびただしい数のミツバチと共に、ハニカム構造の巣が出てきて、ビックリしたタチアナが悲鳴を上げた。
「きゃあ~!!」
気持ちはわからないでもないが、余りにも想像通りのリアクションに、思わずほっこりする。
そんなタチアナの悲鳴に気がついたのか、養蜂場の隅っこで小さな影が動いた。エリックがその姿に気づき、
「あ、リオンじゃねえか。おーい!」
と呼ぶと、スケッチブックを持ったリオンが、ブカブカのジャケットを引きずるようにしながら、タタタッと駆け足で近寄ってきた。
「こん、にち、わ!」
「こ、こんにちわ。リオン君もいらしたのですね」
面識があるリオンが挨拶をすると、タチアナは子供相手にみっともないと思ったのか、姿勢を正して挨拶を返した。一生懸命笑おうとしているが、その表情はぎこちない。年の頃なら12歳と、そろそろ大きくなっても良さそうなのだが、発育が遅いのか相変わらず小柄なリオンはタチアナよりも小さかった。
しかし、その小さなリオンが一向にハチを恐れないので、
「リオン君はハチさんが怖くないんですか?」
「うん」
「私達が来るまで、ずっとここで何をしてたんです? ハチさんのお世話でも?」
「うん。ハチがどうやって蜜を取って来るのか、見てたの」
「見てたの?」
リオンの言葉足らずで理解が追いつかないタチアナが首を捻っていると、但馬が苦笑しながら後を続けた。
「ミツバチってのは女王バチを中心に、働きバチと呼ばれるワーカーが蜜を集めてくるという、社会的な昆虫でしょう。こう言う集団で行動し、個々の役割が決まった行動を取る動物は、脊椎動物ならよくいるだろうけど、昆虫だとハチとアリくらいのものなんだ。例えば哺乳類は子供が生まれたら親が子供の面倒を見るのが普通だけど、大抵の昆虫は産みっぱなしが基本でしょう?」
「……言われてみればそうですわね」
「馬でも人間でもなんでもいいけど、大型動物が子供の面倒を見たり複雑な行動が出来るのは、脳みそが発達してるからなんだろうけど、ハチやアリなんて昆虫はそんな複雑な脳みそを持ちあわせちゃいないんだから、どうして集団行動を取れるのかが謎だ。で、どうやって社会性を維持しているのかを観察してみなさいって、リオンに宿題を出してたんだよね」
リオンがコクコクと頷く。それに対してタチアナは興味なさげに言った。
「そんなの……本能だからじゃないんですか?」
但馬は苦笑しながら言った。
「もちろんそれもそうだけど、まあ、種を明かしちゃうと、ハチは蜜源を見つけるとお互いに情報交換をする事が出来る……コミュニケーションを取ることが出来る生き物なんだ。もちろん、ハチがベラベラ喋るわけないから、それはジェスチャーなんだけどね」
「はあ……」
「で、あっちに沢山蜜があるぞってわかると、一斉にみんなで蜜を取りに飛んで行くんだけど……って、タチアナさんは全然興味なさそうだな」
すると彼女は申し訳無さそうに言った。
「すみません……私、虫が苦手で……」
「あ、やっぱり……まあ、女の子だから仕方ないんだろうけど……でも、甘いものは好きでしょう。ハチミツをどうやって採集するのか、それくらいは見ときなさいよ。特にエリックとマイケルは、自分の仕事になるかも知れないんだから、しっかりな」
但馬がそう言うと、マンフレッドが幾つかの養蜂箱を見て回り、採集が可能な箱を見つけてくると、
「日が出てるとハチが活発になるから、本当は早朝……可能な限り午前中にやらないといけないんだけど」
と言いながら養蜂箱を燻煙し、内部に残っていたミツバチを大人しくさせた。近代養蜂では、養蜂箱の中に巣枠と呼ばれる板状の細長い木枠がいくつも入っており、それが6~10ミリ間隔で縦に立てて並べられている。
基本的に女王バチは巣の下段中央辺りに居て、産卵した卵や幼虫はその周りに固まっている。故に、その周囲に働きバチが蜜を貯めこんでいくわけだが……産卵期を過ぎると、女王バチが卵を生む速度よりも、働きバチが蜜を貯める速度の方が速くなるから、段々と産卵圏を圧迫してくる。
そうなって来たら、養蜂箱の上にまた別の箱を重ねて置くと、働きバチは巣を拡張し上の方に蜜を貯めこみ始めるから、2段目以降の養蜂箱はハチミツだけが詰まったものになる。
彼がその巣枠を取り出し、ハチを羽毛でサッと優しく払い落とすと、タチアナがまたきゃあきゃあ騒いでいたが……その後、巣枠の表面についた蜜蝋を剥がしてから、遠心分離機にセットして回転させ、ハチミツがトロリと流れてくると、今度は逆に興味津々でそれを覗き込んでいた。
「凄い……これがハチミツですか? こんなに簡単に採れるなら、もっと商品として出回っても良さそうなものなのに……」
タチアナが感嘆のため息を吐きながら言うと、マンフレッドがブルンブルンと大げさに首を振りながら、
「とんでもない! これはうちのやり方が特別だからそう見えるだけで、普通はもっと大変っすよ。社長さんがおかしいだけっす」
「おかしいって……おい」
但馬に突っ込まれて、マンフレッドが青ざめていたが、それでもこれが特別な方法で、他の養蜂家に相当のアドバンテージがあるのだとタチアナは理解した。つまり、投資するならこれだと言うことだ。
タチアナの家、ロレダン家は海運と流通を主な生業としている商家であり、そこに独占的な商品が加われば、これは非常な強みになる。
対して、S&H社は多彩な商品を取り扱っているが、販路が少なく流通に関しては他を頼らざるを得ない。
共同出資社として事業に参画すれば、S&H社の新商品を独占的に扱えると言うわけだ。
S&H社の商品は、実は既にいくつかが類似品として出回っている。特に紙は、リディア国内ではご法度であっても、エトルリアの法律では関係ないことから、その製法が漏れると積極的に真似された。しかし、それでS&H社の優位が失われたかと言えば、そんなことはない。その品質もさることながら、皇室御用達という箔があり、同じ値段であれば当然のこと、若干高くてもS&H社の製品が選ばれた。
要はここにきてブランドとして成立してきたと言うわけである。玉葱とクラリオンの旗は、最初期のコルフ解放戦で使われたことから、慣例としてアナトリア海軍の海軍旗となっていた。そのため、イオニア海航路を利用する船舶は必ず掲揚する義務があった。
そんな理由もあり、アナトリア海軍の強さもあって、S&H社と言うかそのロゴは知名度が非常に高く、それがついてるだけでブランドとして通用し、消費者が商品を選ぶ切っ掛けになっていたわけである。それを自分たちの商売に利用できると考えれば悪くない。それに、ハチミツ自体も普通に商品力がある。何しろ物が少ないのだから……
タチアナはそう考えると、後は製品コストと生産量について興味が湧いてきて、但馬に詳しい話を尋ねることにした。
「生産量についてはまだまだこれからだ。でも……これは俺の見立てなんだけどね、エルフ問題が片付いたことで、リディアの基幹産業として、これから鉱山開発が活発になるはずなんだよね。するとまず間違いなくハリチと同じ問題に直面すると思うんだ。新しい炭鉱街を作ったは良いものの、食べ物が少なくて、その調達に苦労するという。で、結局炭鉱と共に周辺の開発も必要になってきて、その緑化の一環でクローバーを植えることになるはずだ」
「そうすると生産力が増すと?」
「産業開発の一環として開拓者に養蜂を奨励しようかと。それをうちが買い取って、国外に売りだせば良いんじゃないかな。一応、今となっては大臣だからねえ。雇用を生み出すことも考えてかないと」
「それは良い心がけですね」
そんな具合に但馬とタチアナが商売について話し合いを始めてしまうと、彼に今日の成果を報告しようと思っていたリオンがモジモジとし始めた。今日、スケッチしたハチの話をしたいのだけど、仕事の邪魔をしたくないし……
するとそんな素振りに気づいたマイケルが言った。
「おっ? それはリオンが描いたの? なかなか上手じゃないか……これはなんだ?」
「……見てくれる?」
「おうよ!」
「……たまにおかしな動きをするハチがいるの」
ミツバチは絶えず巣の周りを蜜源を探して飛び回っている。しかし先に述べた通り、ミツバチは単一の花の蜜だけを集めようとする習性があるから、巣のすぐ近くの蜜源を採り尽くしてしまうと、同じ蜜源が見つかるまで、遠くまで探しにいかなくてはならなくなる。
そして仮に首尾よく花を見つけたとしても、一匹だけで蜜を運ぶのではいくら時間があっても足りない。そこで他のハチと情報を共有しなければならないのだが、彼らが一体どうやってお互いにコミュニケーションを取っているのか、オーストリアの動物学者カール・フォン・フリッシュはミツバチを研究し、その方法を突き止めた。
それはいわゆる八の字ダンスと呼ばれるもので、新しい蜜源を見つけたミツバチは、仲間にその場所を知らせるために、八の字に歩き回りながらお尻を振るという独特のダンスを踊ることに彼は気がついたのである。
20世紀に入ったとは言え、まだダーウィンの進化論すら懐疑的な時代に、昆虫がこのような伝達手段を持つという事実を突き止めたのは画期的なことであり、彼はこの功績で教授の地位を手に入れると、以来、動物行動学者として旺盛な研究欲を満たした。特にミツバチの生態に関する本をたくさん残し、後の動物学者に多大な影響を与えたことを讃えられ、彼は1973年にノーベル賞を受賞する。
ところで、彼の研究を助けたのも、ラングストロスの養蜂箱のお陰と言えるだろう。彼の養蜂箱は、巣枠に作られたハチの巣が平面状になっているので、巣の中のミツバチの様子を仔細に観察することが出来る。実際、巣枠を持ち上げてじっと見ていれば、素人でも特定のハチがおかしな動きをしていることに気づくだろう。
「……ホントだ。なんか変なのが居るな」
リオンに話を聞いていたマイケルも、彼と一緒に巣枠のハチを観察してみたら、すぐに独特な動きをするハチがいることに気がついた。
「クルクル回ってるハチに触れたのからどんどん飛び立っていくから、多分、これが会話の方法なんだろうけど……」
「それ以上はわからない感じか」
「うん……」
マイケルとリオンがジーっと巣のハチを観察していると、エリックもやって来て三人でああでもないこうでもないとディスカッションが始まった。但馬はタチアナと会話しながらそれを眺め、相変わらず仲がいいなと感心した。自分もリオンと遊んであげたいのに、彼らのように上手くお兄さんのように振る舞えない。
そうこうしているとマンフレッドもやってきて、彼らに暇だったら手伝えと3人を引っ張っていった。但馬がチラチラ見ているのに気づいて、怒られるとでも思ったのだろう。
見よう見まねで燻煙を始めたエリックが、
「これ、煙を吸って気絶してるの?」
と尋ねると、リオンは首を振って、
「ううん。あのね……ハチミツを沢山吸って、食い倒れてるんだって」
「え!?」
エリックとマイケルはゲホゲホ咳き込みながら、燻煙中の巣枠をじっと見つめた。実際、ミツバチは燻煙をされると巣から逃げようとはしないで、逆に巣に入っていこうとする。
ミツバチは煙を吸うとどういうわけかハチミツを大量に吸い込んで大人しくなる。これは一説によると、山火事が起きたと勘違いしたミツバチが、大事な蜜を守ろうとしてお腹いっぱい吸い込むのだとか。
その後三人はハチを払い落としてから、先ほどマンフレッドがやってみせたように、安全な場所まで行って蜜蝋を剥がし、遠心分離器を回してハチミツを採った。それが思った以上に簡単だったので、養蜂家になるのも悪くないな……と言いながら、和気あいあいと話してると、商談していた二人もやって来て合流した。
タチアナは養蜂に投資することをほぼ決定し、詳しい話を聞きたいとマンフレッドに質問を浴びせていた。先程まではハチを恐れていたくせに、今はもう気にならないようだった。
但馬はリオンの元へ行って、
「さっきのスケッチ見せてくれる?」
と言って、今日の彼の成果の報告を受けた。
リオンは観察の結果、ハチが動きまわる時の角度に何か謎がありそうなところまでは突き止めていた。しかし、ここは蜜源が密集しているせいで、遠距離の蜜源の場所を知らせる八の字ダンス自体があまり出てこず、それ以上は難航しているようだった。ハチの動きまわる角度が何の角度かまではまだわからないようだ。
正解は太陽と蜜源との角度なわけだが……まあ、ハチを観察するために地面ばかり見ていたらわからないかも知れない。そこで但馬はふと思い、ローデポリスで特注で作らせた懐中時計を取り出すと、
「なかなかの成果だな。よし、今日のご褒美にこれを進呈しよう」
と言って彼に手渡した。
言うまでもなく、懐中時計はこの時代にあって非常に高価なものであり、子供に持たせるようなものではない。リオンはビックリしながら受け取ると、おっかなびっくり蓋を開けて時計を眺めた。
「ちゃんと毎朝ネジを巻くんだよ。ところで、時計の見方は分かる?」
「うん」
「それじゃ、短針を太陽の方向に向けてごらん。その時、短針の位置と12時の方角の丁度中間の方向が真南になる」
「真南??」
「方角のことだよ。地図……の見方は分からないか。えーっと、お父さんの部屋に方位磁石があるだろう?」
「うん」
そうやって但馬が時計を使った方角の調べかたを教えると、彼は暫くじっと考えこんでから、すぐにあちこちに移動しながら、時計と太陽を見比べていた。
その姿を見ていたエリック達がやって来て、何をやってるのかと尋ねると、リオンは意気揚々と今但馬に教えてもらったことを彼らに伝え、オーバーアクションで驚いてリオンは賢いなと揉みくちゃにする彼らに対し、こそばゆそうな顔をしていた。
いいお兄さん達だなと思ったのはタチアナも同じだったらしく、彼女はニコニコしながら但馬の方へやって来ると、
「それにしても、あんなに高価なものをあげちゃってよろしかったのですか?」
「まあ、ね。意地汚い奴だったら困るけど、あの子は基本的に欲しがらないから」
「但馬様の養子のお二方は、不思議と辛抱強いですわよね。普通、金持ちの息子なんて厭味ったらしく育つのが相場だと言うのに……」
彼女は何やらを思い浮かべながら、思いっきり眉を顰めた。多分、身に覚えがあるのだろう。そう言えば、彼女が初めてリディアに訪れた時、謁見の間でランと共に現れたコルフの使者の中にそんなのが居たっけ……
「まあ、リオンにはご褒美あげなきゃなって思ってたんでね。実は、養蜂を始める切っ掛けを作ってくれたのはあの子なんだよ」
「そうなんですか?」
「うん……あの子、ローデポリスだとあまり家から出れなくってね……」
メディアと戦争をしていたせいで、ローデポリスでは亜人の子は差別されないまでも嫌がられる。市外やスラムなんかには普通に居るから然程でもないが、但馬の家のような上流階級の住む地域は少々話が異なった。
だから、基本的に家の中か、あとは庭くらいでしか遊べない彼はお袋さんが居なければ孤独であり、そのせいで非常に大人しく育ってしまった。以前、但馬が倒れた時に、休養ついでに遊んであげようとした時も、庭で穴を掘って埋めてたくらいだ。
だが、その穴を掘って埋めると言う行為は、実はそんなヤバイものでもなかったのだ。
どうやら、リオンは遊び相手が居ない代わりに、庭に来る鳥や動物を捕まえたり、昆虫を採集したり、観察するのが好きらしく、あの時も穴を掘って埋めてるだけでなく、アリの生態を観察しようとして巣穴を掘り起こしていたらしい。
ああ、そうか、そんな趣味があったのか……と感心すると同時にホッとした但馬は、どうせアリを観察するならと、瓶に巣穴ごと地面の土を詰めて、暗い場所に2~3日放置してみせた。こうしておくと、アリが瓶の外側に面した場所にまで巣を作るので、巣穴を観察するのにもってこいなのだ。
その方法を教えてあげたらリオンは大喜びで、それから数日すると、沢山の瓶に別の蟻の巣を詰めて一生懸命に観察していた。
「どうも、あの子はこう言うのが好きみたいでね。ただ見てるだけじゃなくって、スケッチしたり、アリに餌をやってみたり、とにかく夢中なんだ。だから、ある日、言ってみたんだわ。もっと観察対象を増やしてやろうと思ってね」
「なんて仰ったのです?」
「アリは働き者に見えるけど、実はよく働いてるのはごく一部で、殆どのアリは巣穴でボケーっと待機しているだけで、2割は全く働いてないらしい」
「……は?」
「いや、マジなんだって。パレートの法則とか2:8の法則って言って、結構なんにでも当てはまる。人間の会社組織だと2割の人間が8割の売上を叩き出してるとか、百貨店なら2割の来客だけが購買者であとの8割は冷やかしだとか」
「そこはかとなく、信じてしまいそうですが……でも、気のせいでは?」
「だと良いんだけどね。アリの場合はマジなんだ。本当に調べた人が居てね……で、リオンもそんなに好きなら確かめてみたら? って言ったら、凄い鼻の穴広げてフンフン言い出して、翌日からずっと蟻の巣の観察日記を書いてたんだ」
「あらあら」
タチアナは苦笑いした。自分とは対極にいる子だと思った。
「でもさ、瓶の中に入れたことで観察しやすくなったけど、アリの巣の中央付近はやっぱり見えないから、大変そうだったのね。で、もっと見やすくならないかな? って思って、平べったい瓶を作ったら良いんじゃないかって思って……」
「ああ! それで、あの巣枠のような板状のハチの巣を作ってみたんですか」
「そういうこと。蟻の巣を観察するのに役立つだろうと思ったところで、ハチの巣のことを思い出したんだ。だから養蜂をやろうって切っ掛けはリオンが作ってくれたようなものなんだよ」
「ははあ~」
タチアナは感心しながら何度も頷いた。そして、エリックたちと一緒にハチミツを採っているリオンのことを見ていたら、それに気づいた彼らが、
「おーい! タチアナさんもやりませんか?」
と呼ばれたので、但馬はどうぞと彼女を促した。タチアナはそれを見て、ニッコリと笑うと、優雅にお辞儀をして彼らの元へと歩いて行った。少しは慣れたようだが、まだまだおっかなびっくりと言った感じで、動きが少々ぎこちない。
そんなこんなで、どうやらタチアナから投資が引き出せそうだと判断した但馬は、一仕事終えたと言わんばかりにトントンと自分で自分の肩を叩くと伸びをした。
そしてパキパキと鳴る腰を解そうと、グイグイと左右に回転運動を始めたら……
視界の片隅に、なにやら見覚えのある金髪がチラリと見えた。
「あ~……」
但馬が振り返ってそっちの方を見ると、もうその金髪は見えなくなっていた。言うまでもなく、その金髪の正体はブリジットだろう。今朝、冷たくあしらってしまったから、気になって気になって仕方なく、ここまで追いかけて来てしまったのだろう。
仕事が終わったら、ちゃんとフォローするつもりだったのだが……
放っておくわけにも行かず、但馬はちょっと席を外すとみんなに言ってから、養蜂場から放牧場へと足を踏み出した。





