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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第五章
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ハチミツとクローバー③

 18世紀中期、産業革命前夜のヨーロッパで起きたのは、農業革命だった。ノーフォーク農法と呼ばれる、この画期的な農法を取り入れることにより、ヨーロッパの人口はこの時期急激に増加し、続く産業革命への引き金となっていった。


 その農法とはどんなものだったのかと言えば、圃場(ほじょう)(田畑、農園の総称)を4つに区分けし、1年毎に育てる作物をローテーションする輪作農法であった。それ自体はそれまでに行われていた三圃制(さんぽせい)農法と変わりなかったが、この農法の違いは休耕地を作らず、年中何かしらの作物を育てているところにあった。


 その基本的なローテーションは、小麦~大麦~クローバー~カブ、などが一般的で、1年目には小麦、2年目に大麦を育てたら、3年目はクローバーを植えて、4年目の冬にカブを育てる。そんな具合に4区分から毎年それぞれを収穫を得ていたわけである。


 この内、小麦・大麦はいわずとも分かる通り人間が食べるために栽培し、カブは冬場に作ることで家畜の餌にしてその越冬を助けた。それじゃクローバーはなんのために栽培していたのかと言えば、牧草にして畑を放牧場にしていたのである。


 今更言うまでもなく、家畜の糞は畑の肥料になり、小麦や大麦を育てた後の痩せた畑の回復を助ける効果があった。故に三圃制では3年に一度、畑を休耕地にして何も育てず、そこを放牧場として村に開放していたのだが……(因みに、これは村の財産で、それを利用出来るか出来ないかが村民の権利に関わっていた。他所から来た農奴は家畜を飼えなかったわけである)……しかし、牧草もそれ自体が育つためには肥料を必要とするので、休耕地とは言っても毎年少しずつ畑は疲弊していく。そしていつか突然作物が育たなくなると言うことが多々あった。


 そんなとき、恐らく最初は偶然だったのだろうが……クローバーが密生した休耕地は翌年の収穫が良くなることに、イギリス・ノーフォークの農家が気づいた。そして、ある時から積極的にそればかりを育てるようになり、それによって飛躍的に収穫量が上がったのだった。


 ところで、何故、そんなことが起きたのだろうか?


 クローバーを始めとするマメ科の植物は、その根っこに根粒と呼ばれるコブを作る。見た目通り本当にコブで、はっきり言って気持ち悪いのだが……何のためにこんなものが付いているのかと言えば、その中で根粒菌と呼ばれる微生物を飼っているからなのだ。


 この根粒菌とマメ科植物は共生関係にあり、宿主が光合成や根っこから取り入れた栄養を根粒菌に与える代わりに、根粒菌はコブの中でアンモニア……つまり、窒素系肥料を作って宿主に供給してくれるのである。この時、根粒菌が行うのは空気からの窒素固定であり、人間があれだけ苦労したアンモニア合成を、微生物は実に簡単にやってのけてしまうから恐れ入る。


 さて、こういったカラクリがあるお陰で、休耕地でクローバーを育てると畑の地力回復に役立つことに気づいた人類は、積極的にそれを取り入れていくことになった。人間の食料にはならないクローバーを育てる代わりに、穀類の作付面積が一時的に少なくなったが、天候不順以外の理由で不作にならなくなったのが非常に大きかった。そして、家畜の飼育とマメ科植物の回復力のお陰で休耕地を廃することが出来、結果的には食料生産が増加したのだ。


 この、クローバーを利用した地力回復法は徐々にヨーロッパ中に伝播し、およそ100年後にはノーフォーク農法(輪栽式農業)は一般的になっていた。面白いことに、日本にクローバーが入ってきたのは黒船に遡ること10年前、1840年代のことだった。当時、長崎に来航したオランダの商人が、ガラス製品の緩衝材代わりにクローバーを敷き詰めていたためであり、箱のなかに敷き詰められた見慣れぬ草の花が白い色をしていたことから、日本では白詰草(シロツメクサ)の別名で呼ばれるようになったと言われている。


 今となっては日本国中どんな河原にでも群生してるクローバーが、実はこんなつい最近入ってきた外来種だと言うこともビックリだが、鎖国政策を取っていた江戸時代中でもオランダとの交易はずっと維持されていたのにも関わらず、日本に入ってくるのがこんなに遅れたことにも驚かされる。


 これは要するに、農業革命が起こる以前のクローバーはヨーロッパでもそんなに生えておらず、あっても何の価値もないただの雑草だったのに、19世紀に入ると途端にどこにでも群生している一般的な植物になっていたと言うことだろう。


 それを裏付ける資料は他にもある。実は世に出回るハチミツの蜜源の大半が、このクローバーだと言うのだ。一説には7~8割がそうであるらしい。これは18世紀の話ではなく、現代の話だから、その偏り具合がよく分かるだろう。我々は知らず知らずのうちに、クローバーの蜜の味に慣れ親しんでいるのである。


 ミツバチはその本能で、出来る限り1種類の植物から蜜を集めようとする。クローバーの花の蜜が無くなったからって、近くにあるレンゲの花から蜜を取ろうとはせず、また別のクローバーを探そうとする傾向があるのだ。そうやってミツバチが集めてくる蜜源が、殆どクローバーだと言うのだから、どれだけのクローバーが世に溢れているのか想像しても、まるで見当もつかず底知れぬ思いがするだろう。そんな具合にハチミツとクローバーには思いがけない因果関係があるのだ。


 ところでハチミツとクローバーと言えば、有名な漫画のタイトルであるが、多分あの漫画の原作者はそんなこと欠片も考えちゃいなかったろう。あれはタイトルが思いつかなかった作者が、たまたま机の上にあったスピッツとスガシカオのアルバムから偶然取ってつけたのだというから、なんとも因縁めいたものを感じるものだ。何も知らない農大生あたりが本を手にしたら、もしかしたら農業漫画と勘違いするのではないだろうか。


 さて、そんなハチミツであるが、現代のように大量に生産されるようになったのは、19世紀に新たに近代養蜂技術が開発されたことが大きいと言える。


 近代養蜂の何が素晴らしいかと言うと、それはハチの巣を壊さないで、ハチミツだけを回収することが出来ることである。実は、それ以前の養蜂は、蜜を取る度に必ず巣まで壊していた。だから、巣を壊されたハチがまた巣を作り蜜を集めるまで時間がかかり、生産効率が非常に悪かったのだ。


 ミツバチと言えども、自分たちの巣が壊されそうになったら一斉に襲い掛かってくる。スズメバチほどでは無いがそれでも何十何百と刺されたら、とんでもなく痛いし下手すりゃ死ぬので、何の対策も取らずに巣から蜜を奪おうなどとするのは危険だ。せめて、刺されても平気なように厚手の服を着るべきだし、ハチを無力化するために、巣を燻煙するべきだ。


 大昔、養蜂が興ったのはおそらく、ミツバチが燻煙によって無力化することに人々が気がついたのが切っ掛けだろう。そして、ギリシャ時代の頃になるとハチが狭い空間に巣を作るのを好むという性質を利用した養蜂箱が登場した。


 養蜂箱と言っても、それは単に狭い木箱のことで、その中に女王蜂と数匹の働きバチ、巣の断片を入れておくと、ハチが新しい巣をそこに作り始めるのだ。燻煙してハチの巣を壊しハチミツを取ったあと、動けなくなった女王蜂と働きバチが残るので、それを養蜂箱に入れてまた巣作りをさせる。続くローマ時代にこう言うサイクルが確立されると、世に養蜂家が増えていった。


 その頃の養蜂家は、かなり特別な職業だった。何故なら、その頃のヨーロッパにはサトウキビから取れる砂糖が無く、唯一の甘味がハチミツだったからだ。これを時の為政者が野放しにするわけもなく、養蜂はやがて領主の特権に変わっていった。また、蜂の巣はそれ自体が蜜蝋(みつろう)と呼ばれる物質で出来ており、それがロウソクの原料になったから、宗教的な儀式のためにロウソクが沢山必要な修道院などでも養蜂が行われたため、いよいよ養蜂は特別な物になっていった。


 しかし時代が進むに連れ、甘味は砂糖が、ロウソクは石油由来のパラフィンが使われるようになり、需要が減ると養蜂は特別なものではなくなっていったようだ。特に、独立したばかりのアメリカでは、また大昔のようにサトウキビが手に入らなかったせいで、唯一の甘味がハチミツになってしまったという事情から、かなり積極的に養蜂が行われていたようである。


 そんな中、アメリカ人養蜂家のラングストロスが蜂の巣を壊さずに蜜だけを取り出す方法を考案した。


 彼は、ミツバチが狭くて暗い空間に巣を作るのを好むなら、何も立方体の箱ではなく、板状の平べったい箱でも良いのではないかと考えた。箱にある程度空間があると、ミツバチは巣を球状に作っていくが、もしもそこまでの空間がなければ、板状に横に伸びていくのではないかと思ったのだ。


 そこで実際に試してみたところ、板状の空間でも問題なくミツバチは巣を作り始めた。そして、ハチが巣を作る手がかりのために、予め六角形の土台を蜜蝋かパラフィンで作っておき、あとは針金を数本横に通しておけば、巣箱に綺麗にハニカム構造が並ぶことを発見したのである。


 この時の巣穴は、例えるならカプセルホテルのように縦に並んでいるから、板状の養蜂箱を遠心分離機にかけると、巣穴の蜜だけが遠心力で飛ばされて出てきて、巣は壊れない。


 そして遠心分離機にかけた巣を元に戻してみたら、これまた問題なく、働きバチ達はまたせっせと蜜を集めだしたのである。


 ラングストロスの方法は画期的で、彼のお陰でハチの巣を壊さなくて済むようになったお陰で、それまでの養蜂では必須だった巣作りのプロセスが省かれ、ハチミツの生産量は段違いに向上した。しかし、彼の新しい方法はちゃんと特許があったのに、その特許料はついぞ支払われたことが無かったという。


 それは彼の方法が余りにも簡単すぎたため、特許侵害が相次いだからだった。彼の方法が広まると、世の養蜂家たちは当然のこと、素人でも簡単に蜜を得ることが出来ることから、一般家庭でも手工業として普及し、19世紀の中頃から終わりにかけて、養蜂は一大ブームとなったのだった。


 因みに、この時期の養蜂家で世界一有名な者と言えば、間違いなくシャーロック・ホームズが挙げられる。論理学を研究していた彼は晩年、英国王室からの依頼でアメリカに渡ると、名前を変えて養蜂家として潜伏していた。まあ、そういったメタい話はさておき、コナン・ドイルが彼の主人公を養蜂家にしてしまうくらい、ラングストロスの方法はこの頃、世間に広く受け入れられていたようである。


 ノーフォークの農家がクローバーの価値に気づき、そのクローバーにミツバチがやって来る事に養蜂家が気づいた。産業革命期、都市部では工場が乱立し、近代国家がその生産力を増大しつつあった頃、農村もまた様変わりしていたわけである。それは農具や機械によるものではなく、自然に起こった変化なのだから、なんとも優雅なものである。


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