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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第五章
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ハチミツとクローバー②

 街の中心は山の上にある……タチアナはからかわれてるんじゃないかと思いながらも、案内されるまま馬車に乗っていると、確かに馬車は山の方へと向かっているようだった。


 ハリチの山は海側に突き出している関係上、断崖絶壁と言えるほどの急斜面で、とても素人がハイキングがてら登れるようなものには見えない。一体どうするつもりだろうと疑問に思ったが、質問するよりも黙ってついていくと、やがて山に面した小高い丘の上に、背の高い7階建てのビルが見えた。馬車はそこで止まった。


「まだ中身が出来てなくて、建物だけなんだけど」


 彼がそう前置きして建物の頑丈そうな鉄扉を開けると、中は思っていたものとは違って、内装が一切無い3階くらいの吹き抜け構造になっていて、外壁にそって螺旋状に階段が続いていた。その階段を登っていくと、4階、5階は通常のフロアになっており、何のテナントも入っていないから殺風景だったが、6階へと上がったら今度は突然風が吹き付けてきて、タチアナは目を細めると、次には目に色鮮やかな山の景色が飛び込んできて驚いた。


 ビルの6階部分は山に面して壁が開いており、中央に桟橋のようなプラットホームがあったが、その両脇は陥没していた。


「ここはホームになる予定なんだけどね……えーっと、山の方を見て欲しいんだけど、こっから山の上に向かって数百メートルおきに鉄塔が建てられてるのが見えるかしら」

「はい。あれはなんですか? ただぽつんと立ってるだけのようですが……」

「あれはロープをかける支柱になるんだ。山の上からこの建物まで、一本の長い長いロープをかけて、人間や荷物を運ぶための索道を作る」


 山登りをするとき、普通、人間はジグザグにコースを取って、頂上までの道を長い時間をかけて登ることになる。そうしないと道が険しすぎて、途中で力尽きてしまうからだが、しかし、機械であればどんな傾斜だろうが疲れないので、一直線に頂上を目指すことが出来るはずだ。


 たとえ仮にそれが標高1000メートルにも満たない小さな山であっても、人力で登るとなると結構な距離を歩かされる。多分、10キロくらい歩かされるのではないか。だが、実際問題、もしも頂上まで直線で行けるなら、場所を選べば数キロにも満たないはずである。時速10キロの駆け足程度の速度でも、10分もかからないで頂上に到着するはずだ。


「と言うわけで、上の高原まで一直線に上がれるように、ここにロープをかけて道の代わりにする。これを索道って呼ぶんだけど、あの山の途中にポツンポツンと立ってる鉄塔で、鋼鉄で出来たワイヤーを支えるわけだ」

「そんなに長いと途中で切れたりしませんか?」

「そこはそれ、糸を沢山より合わせるとロープになって頑丈になるでしょう。それと同じで、鋼鉄のワイヤーも何本もより合わせればちょっとやそっとじゃ切れなくなるから。今、首都の製鉄所で30トンの荷重に耐えられる物を作ってテストしてるんだけど、何しろ一品物だし、お金がかかってかかって……」

「30トン!?」


 人間500人くらいである。それでも100人乗りのケーブルカーを上下2台同時稼働するとなると、そのくらいの耐荷重が必要となるだろう。タチアナは話を聞いていても想像がつかないらしく、眉を寄せて肩をすくめた。


「あまりに壮大過ぎて、想像もつきませんわ。もし仮にそんなロープをかけたとして、一体どうやって登って行くんですか?」

「曳索と呼ばれるまた別のロープで引っ張るんだけど……うん、まあ、実際に見てもらえればわかるよ」


 スケールが大きすぎて目が回りそうなタチアナを先導してビルから出ると、今度は脇道から山道へと続く間道へと出る。そこは最初、ヴィクトリア峰中腹にある高原まで続く、緩やかな登山道になっていたが、今では人間は通らずに馬の通り道になっていた。


 人間の方はと言えば……


「これがさっきの索道のスケールを小さくしたもの」


 荷物運搬用のリフトに乗って頂上まで向かうことになっていた。感覚的にはスキー場にあるリフトと同じものだが、この世界の人々……特にリディアの住人は山に馴染みがないせいか、一つ作るだけでも説明に難儀した。


 リフトは目的地の高原まで5回も乗り換えるようになっており、途中で登山道を歩いたりもして移動が不便であるから、早く本命の索道が通ることが望まれていた。


 特にリフトが設置された斜面は急であることが多く、当然その途中は数十メートルもの高さにまで吊り上げられるので、その高さに恐れをなしたタチアナが何度もキャーキャー泣き言を言っていた。まあ、気持ちはわからないでもない。


 それでもどうにかこうにか宥めすかしながらリフトを経由して、ついに目的地の高原に着いた時には陽は大分傾きかけて、遠くの海がキラキラして見えた。そして標高の高い場所から見下ろすハリチの街はこじんまりとしており、工場から上がる黒煙と、遠洋から帰ってくるトロール船がゆっくりと近づいてくる様子を見ていると、時間がゆったりと流れていくような錯覚を覚える。


 まさに絶景かな。


 ここまで苦労して登ってきた甲斐があったとタチアナが感嘆の息を上げると、その様子に気づいたらしい人影が、手を振りながら近づいてきた。


「おーい! 社長さ~ん! 遅かったっすね」


 パカパカと馬を走らせて、男が但馬たちのそばまでやって来たかと思うと、ひらりと下りてタチアナにお辞儀をした。中肉中背の若者であんまり特徴的な顔をしていないが、独特な朴訥とした雰囲気を醸し出しつつ、引き締まった筋肉で馬を落ち着けるように首のあたりをペチペチ叩いていた。


「やあ、マンフレッド君。お待たせしてしまったようだね」

「いや、全然構わないっすけど」


 マンフレッドとは、農場のおじさんの孫で、S&H社の番頭フレデリックの従兄弟である。但馬が胃潰瘍で倒れた時のお肉と野菜を届けに来たのが彼で、その時、エリオスに脅しつけられたせいで大分ショックを受けたらしく、元気を無くして寝込んでいると伝え聞いたので、但馬が元気になってからエリオスと二人で謝りに行った。


 まさか但馬達が自分に謝りに来るなどとは思いも寄らず、気を良くした彼はやる気を取り戻した後、有機栽培についてかなり勉強していたようで、気がつけば農家の若者の間ではメキメキと頭角を表してきた有望株になっていた。まあ、何というか、乗せられやすいタイプのようだ。


 そんな縁があって今回、ハリチで畜産をやるから力を貸してくれないかと声をかけたら、二つ返事でオーケーしてくれたという経緯があった。


「タチアナさん、うちの牧場長のマンフレッド君」

「はじめまして。お待たせしてしまったようで、大変恐縮ですわ」


 タチアナが丁寧にお辞儀をすると、彼はそう言う態度に慣れていないのか、ウッと息を飲んでモジモジしながら、


「どうも……」


 と首だけのお辞儀をした。もし、おじさんがここに居たら引っ叩かれてるのだろうなと思い、但馬は苦笑いしつつ続けた。


「……俺が領地を手に入れて、ある程度港の機能を整備していった後、真っ先に始めたのが実はこの牧場だったんだよね。工場とかはそれよりも後だった」

「そうだったのですか? 意外ですね……」

「うん。と言うのも、初めは軍事施設から作っていったからなんだよね。とにかく大至急必要だってんで、湯水のように予算が出るから……」


 但馬がハリチという外洋に面した僻地に領地を構えたのは、そもそも戦争のためという事情があった。当時、アナトリアは立て続けにメディア・カンディアの二国を併合した直後で、その強引なやり方を嫌った大陸と一触即発の状況にあった。


 しかし、その頃のアナトリアは、まだ歩兵隊にマスケット銃は配備されておらず、野戦砲の数も揃っていない。海軍力も但馬が作った二隻の改造軍艦に頼り切りで、実は結構危険な状態だったのだ。艦砲射撃を警戒して、エトルリアの艦隊はイオニア海に出てこなかったが、もしも数を揃えて攻めてこられたら、恐らくは負けていた。だから、早急にこの二隻に変わる軍艦の建造が急務で、更にそれをサポートする船も沢山作る必要があったのだ。


 そこで、本来は工場用地を確保するために領地を欲していたのであるが、方針転換をしてここヴィクトリア峰の西岸に入江を見つけ、そこをハリチと名づけて領地にした。すぐさま海軍工廠を作り、現在の二隻の軍艦メディア・カンディアの建造に着手した。


 そしてその間、マスケット銃の量産と、亜人たちには騎兵としての訓練をさせ、どうにか大陸で戦える戦力を整えていったわけである。


 ところで、どうしてこの地で亜人たちに騎兵の訓練をやらせたのかといえば……


「リディアってのは山がちな国だから、歩兵による密集戦術が得意で、騎兵には全く力を入れてなかったんだよね。あっても役に立たないから仕方ないんだろうけど。ところが、海を渡った先の大陸は広い平原だから、騎兵による迂回攻撃がかなり有効なんだ。それで騎兵が必要になって、早急に数を揃えて訓練しなければならなくなったんだけど……今更人間にそれをやらせようとしても、付け焼き刃過ぎて返って混乱する。そんで、亜人に目をつけたんだよ」


 亜人は身体能力が人間の何倍も高く、教えれば乗馬もすぐにマスターした。おまけに従順で規律のとれた行動を得意とするので、新たに騎兵として育てるにはうってつけの人材だった。


「それで、初めは山の向こうにある元リディア軍の駐屯地で騎兵の訓練を始めたんだけど……この辺って熱帯でしょう? 暑いから馬がすぐやられちゃってね。やっぱりこれだけ大きな動物だと血圧が高いし、激しい運動をするとすぐに熱が上がっちゃって。これじゃ訓練にならないから、なんとかしようと……そんで、少しでも涼しいところって思って山の上に目をつけたんだ」

「はぁ……そういえば、山に登ってきたら心なしか涼しく感じられますね」

「うん。標高100メートルにつきおよそ0.6℃下がるんだ。ここは1000メートルちょっとあるから、下と比べて6℃低い」

「そんなに違うんですか?」

「うん。ところで、この辺って年中通して気温が変わらず30℃くらいの常夏なんだけど、山の上は気温が下がるから、言うなれば常春なんだよね。すっごい過ごしやすいんだ。馬の馴致のためにこうして上に登ってきてそのことに気づいてね。もしかして、ここに街を作ったら、避暑地として人気が出るんじゃないかなって……」


 タチアナはポンっと手を打った。


「それは良いアイディアですわね。これだけ過ごしやすければ、バカンスにはうってつけですよ。港には遊び場もありますし……それであの索道を建てようとしてらしたんですか」


 但馬はうんうんと頷いた。


「そうなんだよ。登ってきてみると高原は意外と平坦で、街として機能しそうな感じだったんだ。リディア軍がヴィクトリア峰を制圧するために、この辺一帯を焼き畑したみたいで、土地が均してあって建物が建てやすく、頂上にはカルデラ湖があって、そこから川が流れているから、水の確保も容易なんだ。その川に治水も兼ねてダムを作れば電力も賄えるし、下との往復はロープウェイを使えばものの十分だ」

「下は歓楽街、上は避暑地として街の機能を分けるんですね」

「うん。どっちにしろ、下は開発出来る土地が少ないから、あのまま発展させてくのが利口だろう。そんで、上の方で食料の自給自足を兼ねて農場と牧場をやって、余った土地を別荘地にしようと考えてるの」


 ただし、ここが但馬の領地と言っても、全ての土地は皇帝に帰するから、好き勝手に切り売りすることは出来ない。従って、コテージを建てて貸し別荘にするのがせいぜいである。それはネックだった。


 タチアナはその豊満なバストを寄せるように腕組みし、うーんと唸りながら考えこんだ。エリックとマイケルの鼻の下がだらし無く伸びる。


「但馬様の思い描いてらっしゃることは、とても良く理解できます。あなたが力を入れて街を作ったなら、きっとここは将来、リディアのみならず、イオニア海沿岸諸国の人たちの良いバカンス先になると思いますわ。ですが、現在はまだ何も実現しておりませんから、投資をするには些か確実性に欠けます。ですから、別荘地への投資に関してはあまり魅力を感じませんね」

「あらら、意外と手厳しいね」

「但馬様が仰ったのですわ。投資先のことはしっかりと考えて欲しいと。私が今のところ面白いと思いましたのは、寧ろ競馬場の方ですね……あとは索道も。別荘地のコテージよりも、ずっと回収率が高いかも知れませんね」


 それこそ本当に意外だった。お嬢様だからてっきり競馬場なんてものは毛嫌いして検討にすら入れないと思ったが……但馬はプルプルと首を振った。


「ごめんね。あれらは街の公共施設なんで、投資対象にされても駄目だよ」

「それは残念です」

「まあ、別荘地は駄目でも、タチアナさんにはもう1つ取っておきのを見せてあげよう。そっちの方は気に入ってくれると思うよ」

「あら、それは一体何です?」

「実はもう、さっきからずっと見てるんだけどね……マンフレッド君。リオンは?」


 但馬が尋ね、彼が答えた。


「坊ちゃんなら朝早くから来て、熱心にやってますよ。絵を描いたり、ふんふん鼻息を荒くしながら飛び回ってます」

「なんだ、リオンも遊びに来てるのか? 何やってんだろ」


 カンディアで仲良くなったエリックとマイケルが、またリオンと遊んでやろうと思ったのか、背伸びをしてキョロキョロと辺りを見回していた。


「いや、遊びじゃないって。なんつーか……宿題かな? 勉強は彼の仕事なのさ」

「宿題?」

「うん。アーニャちゃん。この辺に生えてる牧草はなんて名前かわかる?」


 彼らの後ろについて、ボーッと歩いていたアナスタシアは、突然問いかけられてドギマギしながら慌てて辺りの様子を見た。いきなりそんなことを言われても分かるはずないと思ったのだろうが、しかし、すぐに落ち着きを取り戻すと、地面に生えているその一本を摘み取り、


「クローバーだね。小さい時、みんなで花かんむりとか作った」

「おお、懐かしいな」「あの頃はまだシモンもいたんだよなあ……」


 そんな風に幼なじみ三人が懐古してしんみりしていると、アナスタシアが摘み取ったその白い花に、一匹のハチがブンととまった。


「わっ! わっ! ハチっ!!」

「ミツバチだから大丈夫だよ。放り出したりして、刺激しないようにね」

「お詳しいのですか?」


 但馬がニヤニヤしながら、おっかなびっくりクローバーの花を握りしめているアナスタシアのことを眺めていると、タチアナがボソリと呟いた。


「うん。詳しいっつーか、次にタチアナさんに見せたかったのがこれ」

「これ?」


 タチアナが首を捻ると、蜜を吸い取ったハチが満足して、またブンっと飛び立っていった。


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