西海会社 - West sea company ①
リディア本国で但馬波瑠が逓信卿に就任したころ、海を越えたカンディアの地もまた新たな体勢に向けて動き出していた。
先の戦争の結果、エトルリア南部諸侯の切り崩しに成功したカンディアは、アスタクスから離脱した南部連合を事実上従属化、公爵の細君であるジルの実家(ミラー家)を旗印とし帝国軍のエトルリアにおける橋頭堡とした。
また、連合はカンディアと同盟関係にあり、有事の際にはアナトリア軍が駆けつけることはもちろん、そのアナトリア軍を精強足らしめたとされるマスケット銃も、条件付きで配備される運びとなった。
このあまりに太っ腹な施策は世の為政者たちの感心と動揺を誘った。こんなに簡単に自分たちの優位を手放してしまうなど、人々には考えられなかったからだ。
故に、きっとアナトリアにはまだ何か秘策があると感じ取った連合諸侯は、その底知れぬ懐の深さに畏敬の念を抱き忠誠を尽くし、カンディアによるガラデア平原の支配を確固たるものとした。
尤も、マスケット銃をばら撒いたのは、何らかの秘策があってのことではない。
1543年の鉄砲伝来から2年後、火縄銃が当時の価値でおよそ2億円で売れたと聞き及んだポルトガル人が、どっと日本に押し寄せてきた。しかし、そのときにはもう、とっくに日本人は自力で火縄銃を解析し、量産を始めてしまっていたという。
これは当時の日本人が戦時中ゆえ必死であったのも確かだろうが、それ以前に、仕組みさえ分かってしまえば、案外火薬や銃の生産は簡単だからだ。極端な話、現代なら工事現場に転がっている鉄パイプからでも作れてしまう。パイプ爆弾というものが実際にあるくらいだ。
つまり、いくら秘匿したところで、放っておいてもいずれは真似されてしまうのだ。だったら開き直って最初から気前よく売ってやり、他国に自前で作らせない方が良いだろう。
条件とは要するにそのことで、彼らにはマスケット銃を売る代わりに、決してそれを作らず、またアナトリア以外の国家間で勝手に売買しないようにと誓約を交わしたと言うわけだ。
それに、マスケット銃などアナトリアの強さの、ほんの一部にしか過ぎないのだ。帝国の最大の強みは、その科学技術力の高さと機械動力を用いた生産力、そしてイオニア海交易を背景とした経済成長力にあった。
さて話は変わるが、アスタクス南部、ガラデア平原は穀物の宝庫で、エトルリアの台所とされる土地だった。火山灰に覆われたリディアと違って火山がなく、平原には縦横にフラート川、イディグナ川と呼ばれる長大な河川が流れており、その肥沃な土地を強みとした大規模農業があちこちで行われて、特に小麦生産が盛んであった。
エトルリアとしてはその穀倉地帯を失ったわけだからかなりの痛手で、また好景気を背景としたインフレにより、その収穫物がごっそりとリディアに向かってしまったから、アスタクス地方に相当のダメージを与えた。食料の不足が人々の生活を圧迫し、耐え切れないものから倒れていくか、または海を越えたリディアへと向かった。これにより、アナトリアは相当の恨みを買うことになった。
なんやかんや戦争の火種は、まだまだ燻っている状況なのである。
そう言った地政学的な諸問題もあり、カンディア島は軍拡が進んでいた。特に島国だけあって海軍力の伸びが顕著であり、ヴィクトリア、カンディアの2艦以外にも軍艦が建造され、今となっては4艦体制……近年中にも更に倍の8艦が就航予定となっている。
また、フリジアを抑えたことで、現在、川を遡上して攻撃が行える装甲艦が極秘裏に建造中であり、それは恐らく人類初の蒸気機関を搭載した鋼船になる予定だった。現状でも、アナトリア海軍の軍艦には鋼鉄のエプロンが付けられて矢を防ぐ構造になっているが、これにより火矢や銃撃を含むあらゆる攻撃が無効になるはずで、砲を持たないエトルリア軍では太刀打ち出来ないことになる。
さて、以上のような軍事的優位もあって、イオニア海交易の中心はコルフからカンディアの副都シドニアへと完全に移ることになった。シドニアの街は但馬達が訪問した頃よりも更に繁栄し、現在は商館や移民街の建設ラッシュが始まっていた。
そんな中、S&H社はシドニア近郊にある油田を買い取り、いよいよこの開発を始めた。
パイプラインとまでは行かないが、バルブから噴き出る石油を海岸付近に作ったコンビナートへと運び、そこで重油、軽油、ナフサなどを蒸留分離したり、重油の接触分解の研究を開始した。
現状は石油ガスと灯油のような燃料の他には、アスファルトで道路を固めるくらいの使い道しか無かった。ただ、それが出来ることがかなりの進歩であり、それらの用途が新たな雇用を生み、但馬の新しい仕事の役に立った。
新しい仕事とは、大臣の仕事のことである。
新大臣に就任した但馬の仕事が何かと言えば、ぶっちゃけ今までと大差ないものだった。元々、但馬の会社で行っていたのは、電気、電話、造船などの公共事業、社会インフラ整備であり、今後はこれに道路が加わることになったのだ。
但馬が大臣就任前にベラベラとぶちあげた、国富とは生産力を高めることだ、と言う考えはすぐに受け入れられた。そして、今後はそれに必要なことに力を入れていこうという運びとなり、自然の成り行きで但馬がその担当……交通網を整備して、電信電話や郵便事業を担当する……すなわち逓信大臣となったわけだ。
なにはともあれ、国内の電信や交通を担うことになった彼が真っ先に始めたことは、リディアからメディアへの幹線道路を開通させることだった。現状、ローデポリスからハリチへ、軍用路と一本の長距離電話線が通ってるくらいで、都市間の交通はまだ海路に頼ることが大きかったのだ。
今はそれで十分事足りているのだが、しかし、エルフ討伐の算段がついた今後、リディアの海岸線に沿って東西に伸びる山脈の開発に目が向けられており、首都~ハリチ間にはこれからどんどん新しい集落が生まれる予定になっていた。その際、この貧弱な交通網ではなにをするにもボトルネックになりかねない。
特に金山が発見されたメディアとの交通整備は急務とされ、フリジア戦役で得た捕虜による道路の敷設と、新たな蒸気船の開発が急ピッチで行われていた。
その、道路の敷設にはアスファルトが大いに役に立った。要するに但馬は、現代ではお馴染みのアスファルトで固めた道路をガンガン作っていったわけである。
それまでのこの世界の道路は、都市内の主要な幹線道路だけ石畳で出来ており、後は土を踏み固めたり、雑草が生えないように砂利を敷いたり、馬車が通る道であるなら轍を掘っておいたりするくらいのものだった。
ローデポリス~ハリチ間の軍用路にしたって、軍用路と言っているが、砂利敷の簡素な馬車道と言った程度の物であり、これでは交通量が増えれば簡単にデコボコになってしまう。石畳なら馬車道にも適しているが、代わりに敷設が大変だ。石畳なんてものは、まず石を切り出しある程度平らに加工して、それを手作業でモザイク状に並べて踏み固めていくわけだから、そんな道路を300キロも敷こうとしたら、とんでもないことになるだろう。(因みに、これを何十万キロにも渡ってやったのがローマ帝国なわけだが……凄いね)
その点、アスファルト道路は非常に楽だ。適当に採石場で砕いた砂利や、製鉄所で排出されるスラグを地面に敷いて、アスファルトを塗って、重いコンダラを引いて固めるだけなのだ。道を平らにするのも簡単だし、傷んだところで補修も楽だ。雑草は生えてこれないし、馬車程度の重量では車輪が沈むこともない。水はけが良くて、不要になったら簡単に引っ剥せる。いいことづくめである。
このアスファルト道路の敷設が始まって以降、人も物も目に見えて流動し始めた。首都~ハリチ間の駅馬車が増発され、駅逓(馬車駅)の数も増え、その周囲に人工物も建ち始めた。
そんなシムシティでお馴染みのにょきにょきタイムを目の当たりにしながら、但馬は次なる一手を打つことを考え始めていた。
こうしてアスファルト道路を敷いていると、思い出すのはかつての世界の年末の道路工事だ。どうしても欲しいのはランマと呼ばれる機械である。あの、工事現場なんかでドドドドッと凄い音で地面を叩き固めているあの機械である。
しかし、これを作るには必要な物がまだ足りなかった。それが何かと言えば、言うまでもなく……
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カモメの飛び交うハリチ港に、一隻の大型帆船が入港してきた。
この世界では珍しく、その帆船には玉葱とクラリオンの旗がついておらず、代わりに金の鷲の旗が翻っていた。それはS&H社から、コルフ総統・ロレダン家に贈られた、現在、イオニア海唯一の外国帆船であった。
タチアナ・ロレダンはその甲板に立ち、意気揚々と港に向けて手を振った。桟橋には遠目にもすぐに分かる巨漢のエリオスと、カンディアで知り合った二人の男性、エリックとマイケルが居て、彼らは船の上にタチアナの姿を見つけると、飛び跳ねながらブンブンと大げさに手を振った。
おたふくの仮面みたいにだらしなく目尻を垂らした彼らは、船が港に到着するや否や、先を競ってタラップを駆け上がった。そして、
「ようこそタチアナさん! さあ、お荷物はこのエリックに……」「こらこら、タチアナさんのお荷物が汚れてしまう。どうぞ、タチアナさん。その役目は是非このマイケルめにおまかせを……」
と、彼女の荷物を奪い合うように争い始めた。
「まあ、お二人共、お久しゅうございます……あの、そんなに争わなくても、私が自分で運びますから……」
これにはタチアナも苦笑いしつつ、なんとか争いを止めようとしたところ……ヌッと彼女の背後から長身の女性……ランが現れ、その暗殺者のような瞳に射抜かれた二人はシュンと大人しくなるのだった。
「それで、私の荷物はどっちが持ってくれるんだい?」
さっきまで先を争うようにタチアナの荷物を奪い合っていた彼らは、
「あわわ、あわわわわ……ランさんも、ようこそおいでくださいました。その役目でしたら、エリックに」「抜かせ、このマイケルが運ぶと言ってましたよ」
今度はお互いに荷物を押し付けあうのだった。
全く、現金なものだと苦笑しつつ、こんなことをしていても埒が明かないので、ランは自分のみならず、タチアナの荷物もヒョイッと持ち上げると、スタスタとタラップを伝って桟橋へと降りていった。背後でまた男たちがやいのやいの言っていたが、知ったことではない。
桟橋は荷降ろしをする船員たちでごった返していたが、船を見上げるエリオスが仁王立ちしているところだけが、ぽっかりと穴が開いているかのように目立っていた。おっかなびっくり彼を避けて行く船員たちを尻目に、ランが彼のもとへと近づくと、いよいよ彼らを遠巻きにするその輪っかは大きくなった。
「久しいな、ランよ。息災だったか」
ランに再会の挨拶をすると、エリオスは彼女の持っていた荷物を、これまたヒョイッとお手玉でもするかのように受け取った。
「ああ、元気さ。久し振りだな、エリオスよ。そっちこそ元気だったかい」
ランはそう言うと、強い日差しを遮るかのように目を細め、以前、但馬にもらったミラーグラスをサッと装着した。周囲の緊張感がほんのちょっとだけ緩和した。
「ああ、俺も変わりない」
「なんだいなんだい。やけに、やる気に満ちて見えるじゃないか」
「ん? そう見えるか」
「主人がついに登りつめるとこまで登りつめたからかな。充実してそうで何よりだ」
そう言われると、エリオスは口角をグイッと釣り上げ、彼らしからぬ晴れ晴れとした表情を見せた。それを見て、ランもにやりと笑みを浮かべる。周囲の緊張感がまた若干増した。
「して、ランよ。そちらの首尾はどうだった? ここへ来たと言うからには……」
「ああ、抜かりない。私達の目論見通りさ……」
「そうか。やったんだな」
思わせぶりな会話を交わす二人は、真顔でお互いに見つめ合うと、次の瞬間、まるでプロレスラーの組手争いのようにガッチリと握手を交わした。それがやたらと緊迫感を煽るものだから、周囲から人はいよいよいなくなった。
「ええええええええええ~~~~~!!!!!」
甲板の上では二人の男たちが素っ頓狂な声をあげていた。彼らは苦笑しながら何かを告げたタチアナの周りを取り囲み、天を仰いで絶叫した。そして桟橋にいるエリオスたちの方に顔を向けると、ヒッと小さく息を飲んでから絶句した。
ランはそれを振り返りながら、やれやれとため息を吐いた。
「それにしても、騒がしい奴らだ」
「うむ……俺の部下にと思ったのだが……浮ついていてどうにも落ち着きが無いから諦めた。まるで社長が3人に増えたようだ」
「……それは……大変だな」
但馬が聞いたら泣き出しそうなセリフを吐いて、エリオスも一緒に溜め息を漏らした。
ランはクククッと笑うと、
「それで、あんたのご主人様は? 姿が見えないけど」
するとエリオスは黙って港から見える一番背の高いビルを指さし、
「今は会議中だ。技術者を集めて、また何か新しい物を作るらしい」
「へえ。今度は一体どんな珍しいものを作るのさ」
「俺が聞いていても分かるものか……なんとかかんとかエンジンと言ったか」
「エンジン?」
「そうだ。エンジンと言っていた」
ここで言うエンジンとは、言うまでもなく、内燃機関のことである。





