逓信卿時代⑦
「国務大臣に任ずる」
その言葉に謁見の間に集まった人々は歓迎の意を見せたが、その張本人である但馬は一人、冷や汗をかいていた。皇帝の構えるクラウソラスが光を反射してキラリと光る。多分、爵位を授与された時のように、またこれでトントンと肩を叩かれて、但馬はこの国の重鎮として迎えられるのだろう。
しかし、彼は困っていた。それを受け入れるのは、時期尚早に過ぎると。
「あの……すみませんが、その件に関しましてその……謹んでお断り申し上げるわけにはいきませんでしょうか」
但馬はダラダラと冷や汗を垂らしながら、上目遣いに皇帝を見上げて、殆ど聞き取れない調子でそう言った。
まさか断られるとは思っていなかった皇帝は、当初は聞き間違えたと思ったのか、ポカンと口を開いて首を傾げてから、ようやくその意味に思い当たり、今度は目を丸くして驚きの声を上げた。
「な、なにぃ? 断るとな……?」
「えーっと、その……すみません。ちょっと俺には荷が重いと言うか。まだ早いんじゃないかと……」
但馬が煮え切らない態度を取っていると慌てた大臣が口を挟んだ。
「荷が重いと申されますが、准男爵であれば決してそんなことはございませんよ? なにせ、私がやれるくらいですから」
「そうですな」「確かに」「間違いない……」
残った二人と頭取が同意すると、言われた大臣はキッと睨みつけてから、
「年が若いと言うことは、我々の間でも問題になりました。ですが、結論としてはそんなことはどうでも良いと思えるくらい、我々はあなたと仕事がしたい。もしも年を問題とする者が居るならば、我々が全力で守って差し上げればいいではないかと、そう誓い合ったのです」
「いいこと言うなあ……」「おい! それは私が考えた殺し文句ですぞ」「あんたがた……足引っ張り合うの好きですね」
外野がうるさいが、彼の言う言葉は但馬の胸を打った。
しかし、そうではないのだ。出来る、出来ないが問題なのではない……但馬はボリボリと後頭部をかきむしってから、
「その……やる、やらないじゃなくて……やりたくないって言うか……いや、やりたくないわけじゃないんですが……」
言葉にならない言葉を漏らしては煮え切らない態度の但馬を見て、謁見の間に集まった全員が動揺し、困った顔をしてお見合いしていた。何かトラブルが起こったと察した近衛兵たちがどよめいている。
謁見の間に緊迫した沈黙が流れる。
皇帝陛下の命令に背くことなど論外だ。しかも、これは命令ではない。寧ろお願いに近いものであり、そして非常に名誉あることなのだ。その名誉を断るとは一体どういうことか……不可解だが、相手があの但馬であるし……なんとも言えないどよめきが謁見の間で轟いた。
当の本人、但馬としては別にやりたくないわけでは無かった。この国を大きくすると決めた時から、請われればなんでも力を貸したし、これからもそのつもりであった。政治に関われというなら、そうするのも吝かではないのだ……
だが、それには順序と言うものがあるだろう。
但馬は迷っていた。まだ自分の出自について、確かなことを皇帝に明かしていないのだ。そして、彼の大事な孫娘と恋仲になったこともである……
そんな宙ぶらりんの状態で国の重要ポストに任ぜられたからと言って、ほいほいと引き受けていいものだろうか。流石にそれは後ろめたい。
煮え切らない但馬に皇帝が優しく問いかける。
「ふむ……但馬よ。儂はこれまでのお主の献策を評価し、何らかの褒章をもって報いようと考えておった。じゃが、今更お主に爵位や金をやっても嬉しくなかろう? 故に、この国における権限をお主にも分け与えようと考えたのじゃが……」
「もったいなきお言葉……」「准男爵、このままですと不敬になりますぞ。我々もフォロー致しますゆえ」「ここは一つ、お受けになってから、お悩みになられたら」
「こら! よさぬかお主ら……」
皇帝が煙たそうな顔をして手にした剣をブンと振るうと、大臣たちは縮こまるように気をつけをして口をつぐんだ。
「……コホン。もちろん、お主がやりたくないと言うのであれば、無理強いはせぬ。じゃが、今一度考えなおしはせぬか? お主は、年は若いが実績もあり、十分に役割を果たす力もある。そして、国民からの厚い信頼もある。いつも目立たぬように控えておるが、我が国の生活環境が著しく向上したのも、我が軍が世界最強になり得たのも、此度のエルフ討伐におけるお主の働きも、本当は国の皆が知っておる。実を申すとのう……祝賀の儀の際しては、お主への献上品も数多く受け取っておるのじゃ。じゃから、お主が大臣に就任した暁には、みなが喜ぶじゃろう。儂はそう思っておるのじゃが……」
皇帝や大臣のみならず、国民が評価してくれていたというのは身にしみた。こんなに評価してもらってるとは思わず、そして、その信頼に対し、自分はまだ本心を明かしていないことが、非常に歯がゆかった。
言い出しづらいのは確かだが、もはや躊躇してる場合ではない。せめて、皇帝だけにでも、本当の事を話しておかねば……但馬がそんな風に考えつつ、かと言って、こんな衆人環視の中ではなにも言えないので、どうやってそれを伝えようかと迷っていたら……
それを見ていた頭取から助け舟が飛んできた。
「恐れながら、陛下……准男爵にも心の準備と言うものがございましょう。少々猶予を差し上げたらいかかでしょうか。このような大役を、いきなり授けられても、とても整理が追いつかないでしょう」
「ふむ……それもそうか。あいわかった。なに、今日はお主の意志を確認するため、打診だけにとどめておくつもりじゃった。本来の式典は、国民も集めて、盛大に伝えるつもりであるゆえにな」
「申し訳ありません……」
「良い返事を期待しておるが……まあ、無理にとは言わん。今更、こんなことでお主を失うことの方が、儂にとっても、この国にとっても痛手であるからな」
皇帝のその言葉で、大臣就任の話は一旦白紙に戻った。
会議はまだ続いたが、流石にこの空気の中に居るのは耐えられないので、但馬はその意を伝えると、謁見の間から辞去した。
近衛兵達のジロジロと遠慮のない視線が突き刺さる中を、通り過ぎるのが辛かった。
謁見の間の扉を閉め、背後から聞こえていた会議の声が閉ざされ、辺りが静寂に包まれると但馬は長い長い溜め息を吐いた。もう少し、上手く断れなかったのだろうか……いや、せめて先に打診さえしてくれれば、こんな事にならなかったのに……
インペリアルタワーの長い長い15階建ての階段を、ノロノロとおりていると、背後から階段を早足で降りてくる足音が聞こえた。踊り場で立ち止まって上を見上げたら、
「先生! 待ってください」
ブリジットがスカートの裾をたくし上げながら、但馬のことを追いかけてきた。慣れないスカートのせいで、よたよたと歩いてくる彼女を見上げながら、但馬はその場で待った。
そして彼は、ようやく追いかけてきた彼女が隣に並ぶと、ハアハアと息を荒げて膝に手をつく彼女に対して力いっぱいデコピンした。
「いぃ~~っ! 痛ぁっ!」
額の汗が飛び散る。
「なにするんですか! もう……」
「ブリジット……おまえ、今日、こうなるの知ってたな? よく見りゃ着てる服も、心なしかいつもより上等っぽいし」
「うっ……すみません」
但馬に批難されると思わなかったのだろう、彼女は姿勢を正してシュンとした。シュンとしながらも上目遣いで、
「あの……先生、断っちゃうんですか? 私はてっきり、先生が喜んでくれるだろうと思って黙ってたんですけど……ごめんなさい」
と言って、不安そうな目で見つめてきた。
単純な彼女らしく、大役を任せられたら誰だって喜ぶと思っていたのだろう。まさか但馬が嫌がるとは思わず、ブリジットは自分の選択を後悔した。自分が先に但馬の意志を確認しておけば、祖父も大臣たちもガッカリしないで済んだのだ。
しかし、それは杞憂であり……
「いや、断るつもりもないし、あんなに評価して貰えてたなんて分かってさ、普通に嬉しかったよ……」
「え? そうなんですか? だったらなんで……?」
「だから、受けるにしても隠し事してるままでいるのは良くないと思ってさ。少なくとも、陛下にはちゃんと言わなきゃ」
「え!? 先生……何か隠し事が? あの……私で力になれるなら」
但馬は再度ブリジットにデコピンを入れた。
「あいたっ! なにするんですか!?」
「あのなあ……隠し事って、おまえのことじゃんか」
「え?」
おでこを擦りながら、涙目のブリジットが小首をかしげていた。
この女……
但馬は少々苛ついた。だが、思えば恋人らしいこともまだあんまやれてないし……時折、宮殿の近くの浜辺であって散歩するくらいのものである。お互いの手が触れると顔を赤らめて……キスはおろか、デートらしいデートも……っていかんいかん。そんなことを考えている場合では無かった。
但馬は溜め息をつきつつも、少しもじもじしながら言った。
「だから、俺とおまえが付き合ってるってこと! まだ陛下に報告してないじゃん。隠し事してるのに、なに食わぬ顔であんな重要なポストにつけないよ」
「え!? あ……わわわっ、そうでした!」
但馬がそう言うと、ブリジットは一瞬キョトンとしてから、ボンッと音が出るくらい顔を真っ赤にして体をくねらせた。紅に染まる唇が光を反射してテラテラと光り、見上げる瞳は潤んでいてキラキラしていた。
以前だったらこの瞬間に躊躇なく引っ叩いていたというのに……但馬はその潤んだ瞳に見据えられたら、何ともいえない高揚感に包まれて、ドギマギしながらソッポを向くしか無くなった。意識の違いがこれだけ人の印象を変えると言うのか。可愛いじゃないか、ちくしょう!
但馬は邪念を振り払おうと、ブルンブルン頭を振った。
「と、とにかく……そういう事だから。今晩、王宮にいくんで会食をセッティングしておいてくれないか? 出来るだけ内密に。三人だけで話せるように」
「え? 宮殿に!? ……何しに来るんですか」
「だから、おまえとの関係を報告にって言ってんじゃないかっ!」
すると彼女はスルメみたいにくねくねしながら、
「えーっと……その、本当に陛下にお伝えしちゃうんですか?」
「当たり前だろう? 大事なことなんだから」
「内緒にしたまま、こっそり逢瀬を重ねるのではダメなんでしょうか。私はその……二人だけの秘密でも一向に構わないんじゃないかと」
「……ブリジット。おまえ、付き合うってどう言う意味かわかってる?」
「え!? そりゃあ……その、手を繋いだり、デートしたり……キスしたり」
言った瞬間、ブリジットの顔がゆでダコのように染まった。
但馬の顔も真っ赤に染まった。
周囲の気温が2~3℃ほど上がった。
「そ、そうだろ? 大事なお孫さんと影でコソコソそんなことしてるのに、何食わぬ顔で居るなんて、陛下に対する背信行為だよ。だから、ちゃんとお伝えして、俺達のことを許してもらわなきゃって思うじゃん」
「は、はい」
「それに……キスだけじゃ済まないかもだし……」
「はうわっ! す、済みませんか?」
「ブリジットはお姫様だろう? もし、そんなことになったら、ちゃんと責任取らなきゃじゃん?」
「責任……責任って……こここ、婚約ってことですか!?」
「お姫様とお付き合いするって、そういうことだろうと俺は思ってたんだけど……違ったかな?」
ブリジットの潤んだ瞳が見上げてくると、その瞳の中に真っ赤になった自分の姿を見つけた。彼女はフルフルと小さく首をふると、オデコをトンっと但馬の胸に押し当てた。ふわりとした彼女の髪の毛が鼻腔をくすぐる。彼はもんどり打って倒れそうな気分になったが、必死にそれに耐えながら、彼女の肩を抱くと、すると彼女はその姿勢のまま彼を見上げてきた。
視線が交錯する。二人はまるで絵画のように射すくめられて動けなかった。もうあとほんのちょっと、数センチでも近づけば、きっと二人の知らない未知なる化学反応が起こるのだろうが、二人はそれを始める切っ掛けを見つけられないまま、ただ見つめ合っていた。
ブリジットの肩に置かれた手が、スッと彼女の輪郭をなぞるように動き、彼女の腰を優しく抱いた。但馬の胸に置かれていたたブリジットの手が窮屈そうに押しあげられて、彼のほっぺたを愛おしそうに撫でた。
そして彼女の踵が地面から離れようとした時……
「オホンッ!」
階段の踊り場に、わざとらしい咳払いの声が反響した。
ズガンッ!
今まさにつま先立ちしようとしていたブリジットの頭が、勢い余って但馬の顔面を捉えた。
「うごばああああああ!!」
「わあっ! すみません、すみません!」
頭突きを食らった但馬がもんどり打って倒れる。大慌てでブリジットが彼を引き起こすと、階上からコツコツと足音を立てながら、銀行の頭取が降りてきて、
「准男爵が何かお悩みのご様子だったので、説得がてら追いかけてきたのですが……いやはや、そうですか。私の杞憂だったようですな」
彼は呆れた顔をしながら、ツカツカと但馬たちの横を通り過ぎ、
「お幸せに」
と言って、去っていった。
顔面に強烈なのを食らった但馬は、涙目でブリジットに抱き起こされつつ、顔を真っ赤に染め上げた。
ブリジットも顔を赤くした。
周囲の気温が2~3℃ほど上がった。
その晩、ブリジットに頼まれ、但馬と会食をすることになった皇帝は驚いた。多分、昼間のことを気にして、改めて断りを入れにくるか、もしくは何か条件を付けてそれを引き受けると言いに来るのだろうと思っていた。
ところが、そんな彼の予想に反して、但馬が口にしたのは思いがけない言葉だった。
「ほ……ほう! そうか! なんと、お主ら、そうかそうか!」
会食後、改めて内密に話があると言われた皇帝は、私室に孫娘たちを招き入れ、ソファに座ってリラックスしながらその報告を聞いた。
その報告に驚いたことも確かだったが、普段からそれほど口数の多いタイプではなかったが、こういう時は輪をかけて語彙が無くなってしまうものである。
皇帝がそうかとか、なんととか、そうかとしか言わないものだから、ショックのあまり言葉を失っているのではないかと勘ぐって、但馬は冷や汗をかいた。だが、もちろんそんなわけはない。
皇帝も、カンディア公爵も、だいぶ前からブリジットが但馬に懸想していることに気づいていたし、上手く行けばいいと思っていたのだ。彼女の恋心的にも、但馬を取り込むといった意味でも。
念願かなってブリジットが幸せな報告をしてきたことに喜ぶと同時に、今後、有能な部下を失うことが無くなったという事実にホッとして、皇帝はどうにも言葉が出なかった。この喜びをなんと表現したら良いものか。
「そうか。そうじゃったか……さては但馬よ。お主、ブリジットと恋仲であるから大臣になれたと、贔屓目に見られるのが嫌で辞退すると言ったのじゃな?」
「いえ、そういうわけでは。いや、それもありますけど……」
「そうなのか? とにかく目出度い。それくらいしか言うことがないぞ。そうじゃ、祝杯をあげよう。確かウルフが送ってきたスパークリングワインが地下のワインセラーにあったはず……ビディや。持っておいで。一番良いやつじゃ」
「はい!」
反対されるのかと不安になっていたブリジットは、上機嫌になった祖父のことを見て、すぐに笑顔を取り戻すと、喜び勇んでワインを取りに向かった。
「ちょっとちょっと! まだ報告しなきゃいけないことがあるんだけど……」
但馬が急いでその背中を止めようとしたが、
「なんじゃ? まだ他になにかあるのか? なあに、それならばワインを飲みながら聞こうではないか。今はとにかく飲みたい気分じゃ」
と皇帝が言うので、彼は渋々従った。
本当は酒を飲みながらという気楽な話でも無い。しかし、酒の力を借りたいような話でもあったから、結局は踏ん切りがつかずにそのまま受け入れた。
報告しなきゃいけないこととは、但馬の出自に関することだ……
「なん……じゃと……?」
ブリジットが酒を取って返ってくると、皇帝は意気揚々とその栓を飛ばした。スパークリングワインは3年前にはこの世に存在しなかったが、今ではカンディアでも普通に作られるようになっていた。
かつての世界同様、お祝いの席で好まれたが……しかし、但馬の次なる報告を聞いた皇帝は、お祝いという雰囲気では無くなってしまった。
「お主が人間じゃ無い……?」
「はい、状況から考えて、俺も勇者もメディアの世界樹から生み出された亜人のようです。ただ、その記憶だけが亜人と違って、大昔の実在する『但馬波瑠』という人物の物を植え付けられて生まれてきたらしく、こうして自覚するまで自分が但馬本人だと思い込んでいました。いや……今でもそうなんですけど」
「あの勇者殿もなのか」
「はい、彼もそうです。そして彼も、俺達のような人間が、繰り返しこの地に生まれてきていたことに気づいていたようでした」
皇帝はアングリと口を開けたまま、目を瞬かせた。
「おまけにお主らは同一人物じゃったと言うのか……?」
「いえ、正確には同じ記憶を持った別人です。その証拠に、勇者は戦闘に特化していたようで、俺とは似ても似つかないそうですし」
確かに……皇帝が憶えている勇者は、気さくで優しいところはあったが、こと戦闘に掛けては鬼神の如き強さであった。
リディアの森ではエルフをバッタバッタと切り刻み、エトルリア諸侯が攻めてきた時には、激怒して船ごと薙ぎ払った。そう言った熱いところは、目の前の但馬には微塵も感じられない。
しかし、これで分かった。かつて目の前の但馬を初めて見た時に、どことなく雰囲気が似ていると感じたのは、そういう事だったのか……
彼と勇者は性格は違えども、ルーツは同じだったのだ。
「しかし、にわかに信じられん」
まあ、そうだろうなと但馬は思った。何しろ、彼の記憶にある21世紀の日本について話したところで眉唾なのだ。それが宇宙だとか人造人間だとかナノマシンだとか、言ったところで到底信じられるものではない。
だから以前は、自分の出自について語ろうなんて思いもしなかったし、都合が悪くなればどこか他所の国にでもバックれてしまえばいいと思っていた。しかし、ブリジットと交際してこの国で生きていくなら、その家族である皇帝に隠し事など出来るわけもなく、嘘偽りのない真実を告げたら、どうしても荒唐無稽な話になってしまうのだ。
皇帝は低く唸った。但馬には胡散臭いところはあった。始めの頃は、もしかしたら国元を追われた犯罪者かも知れないとも考えた。それでも、その知識と物腰の柔らかさから、せめてどこかの上流階級の出身だろうと検討をつけていたのだが……まさか、こんなことを言い出すとは思いもよらなかった。
人間ではない? 大昔の人間の記憶を持った亜人であるとか……
信じられないが、もしもそれを真に受けたとして、じゃあ今度は、そんな得体の知れない輩に、孫娘との将来を約束させてもいいものだろうか……
この期に及んで彼は少々躊躇った……しかし、そんな皇帝の不安を払拭したのは、他ならぬ孫娘本人だった。彼女はこうして恋人と自分の保護者が抜き差しならぬ会話を続けていると言うのに、一貫してニコニコして、楽天的な顔を隠そうとしないのだ。
自分のことを話し合っている、ちゃんと理解してるのだろうか……?
「ビディや……」
「はい、陛下。なんでしょうか?」
「お主は但馬の話を聞いて、なんとも……そう、不安にはならんかったのか?」
すると彼女は目をパチクリさせて、
「不安にですか? いいえ、全く。どうして不安に思うんですか?」
何故と言われても、但馬の話が相当胡散臭いのは間違いないのである……もしや、この少々オツムの足りない孫娘は、彼が何者であるのか、理解しきれていないのではなかろうか……
「酷いです……ちゃんと理解してますよ。私は先生と師匠とリリィ様と、メディアの世界樹で勇者様の残したメッセージを、この目と耳で確認した一人ですよ?」
「それで何とも思わんかったのか?」
「凄いとか、やっぱりなとか思いましたけど……勇者様も先生も、私達など及びもしないほど高貴なお生まれだったのだなって」
「こ……高貴とな」
「ええ! 何しろ神代の国から遣わされたのですからね」
その言葉に皇帝はポカンと口を半開いた。
丁度グラスを傾けていた但馬は盛大に咽た。鼻水を吹き出る。
「神代て……ブリジット、お前、そんなこと考えてたの!?」
「はい。違うんですか? 先生が暮らしていた世界は、主、イエス・キリスト様が生きておられた時代なのですよね?」
「いやいや、それは俺が生きてた頃より2000年も昔の話だよ」
それに神代って言ったら、3000年以上前じゃなかったっけ? 人の歴史自体が1万年くらいは遡るし……
「それじゃあ、先生の生きていた時代って、今から何年前なんですか?」
「え? そうだな、詳しくは分からないけど……1000年……2000年……最低でもそれくらいは経ってるかな」
聖女リリィがエトルリア大陸に渡ってきたのが1000年前、それ以前の人類はかつての記憶を失うほど衰退していたようだから、やはり1000年くらいは最低でも経っていなきゃおかしい。更にガンマ線パルサーの直撃や、地軸の傾き、空に浮かぶ2つの月など、未曾有の危機が起こってから、ここまで回復したことも考慮すると、もしかしたら、1万年じゃきかないんじゃなかろうか……そう考えると、途方も無い時間である。
「私達からしてみれば、余りにも遠すぎて、1000年も2000年も変わりありませよ。それに、神様が生きて居られた文明と一続きだったのは事実なんでしょう? 今、私達が恩恵を賜る、魔法を生み出したのも先生の時代なのでしょう?」
「……ああ、そうだね」
そう考えれば確かに、神代に生きていたと言われても間違いではないかも知れない……実際、文明レベルが違いすぎて、但馬のやってることは魔法じみているのだから。
「先生とエリオスさんと、ヴィクトリア峰でエルフに襲われた時、私は死を覚悟しました。腕には覚えがありましたが、井の中の蛙だったと後悔しました。そんな時、私達の命を救ってくれた先生は、まるで神様が遣わしてくれた天使様みたいでした。だから私はこの時、この人にお仕えしようと……いいえ、是非お仕えせねばと決心したんです」
「て、天使って……言いすぎだよ」
但馬の顔がボンッと真っ赤に染まった。周囲の気温が2~3℃上がった。
「あ、ありがとう、ブリジット……その……君だって、天使みたいに可愛いぞっ」
「はわっ! はわわわわわ!」
ブリジットの顔がボンッと真っ赤に染まった。周囲の気温が2~3℃上がった。
「……あいわかった。まあ、なんじゃ……お主らはそう、お似合いじゃよ」
皇帝は冷静に言い放った。こう言う場面に遭遇すると、冷静になるタイプだった。彼はやれやれと溜め息を吐くと、仕方ないなと苦笑いしつつ、
「しかし、孫娘がお主に懸想しておるのはよく分かったが、やはり、お主の言う古代文明というものは信じがたい。いや、お主のこれまでの実績を鑑みて、そう考えれば辻褄が合うのじゃろう。しかし、こればっかりは……なかなか、のう」
「はい。俺も仕方ないと思ってますよ」
「じゃが、証明をすることも出来るじゃろうて……確かブリタニア……お主の言うニュージーランドのすぐ近くには、まだまだ大きな大陸があるそうじゃな」
「あ、はい。オーストラリア大陸ですね。このロディーナ大陸の半分程度の大きさで、鉱物資源に恵まれた豊かな土地でした」
「では、予告通りそれを見つけて来るがよい。さすれば、儂もお主の話を信じられよう」
「分かりました」
そう言うと皇帝はグラスを傾けて、すっかり気が抜けてしまったスパークリングワインに口をつけた。甘く、清涼な液体がのどごしを通ると、体全身に染み渡るような充足感を感じた。
突然、信じられないことを言われて少々驚いてしまったが、なんやかんや、この男を国に取り込むことが出来たのは、とてつもない僥倖だ。いや、素直に孫娘の幸福を喜べばいいか。それを成し遂げたいま、格別に酒が美味かった。
この数日後、リディアインペリアルタワーで国を挙げての式典が執り行われた。
それはいよいよアナトリアが帝国として、エトルリアと袂を分かつことを内外に示すため、アナトリア帝国爵位を一斉にリディア貴族に授与することだった。これにより、国内の貴族のうち騎士は男爵に。准男爵は子爵と伯爵に封ぜられた。
そして、その式典の最後、新大臣のお披露目を見物に来た群衆は見た。
てっきり、親任式は皇帝が執り行うと思っていたら、宝剣を携えて出てきたのは皇太女であった。そしてその彼女が剣でもって、ポンポンと新大臣の肩を叩くと、彼は新大臣の拝命を恭しく承ると共に、皇太女の手を取りその甲に接吻した。
皇太女がこのような場に出てくることは今までに無かった。その意味を取り違えるほど群衆も野暮ではない。
彼らは満場の拍手でもって恋人たちを祝福した。ヤンヤヤンヤと野次が飛ぶ。壇上で顔を真っ赤にする初々しいカップルを見ると、とても彼らがこの時代を形作るリーダーであるとは信じられなかったろう。
折しも世界は長足の進歩を遂げる経済成長の真只中にあり、これよりアナトリア帝国は帝国史で最も華やかな時代を迎えることとなる。
果たして後の世の人々はこの花火のように輝いて、あっと言う間に過ぎ去っていった時代をこう呼んだ。
逓信卿時代の幕開けである。
明日一日お休みします。まだ読んでなかったら過去作でも読んでてくれれば。ではでは。