逓信卿時代⑥
エルフ討伐成功の報せは瞬く間に広まった。
失敗の許されない作戦であったが故に秘密裏に行われたそれは、第一報こそ眉唾だと誰も信じなかったが、皇太女であるブリジットが作戦部隊を引き連れて、意気揚々と凱旋してきたことで風向きが代わり、エルフの死体が駐屯地に運び込まれたことで一気に国中に広まった。
凱旋した彼女が但馬波瑠を連れてインペリアルタワーへと赴き、皇帝に吉報を伝えると、間もなく国中に戦勝の報せと恩赦が発布され、祝賀祭が執り行われる運びとなった。
ここまで来て、どうやら噂は本当だと確信した国民は間もなく中央公園へと押しかけて、足の踏み場もないほどごった返す人々が見上げる中、タワーからつきだしたバルコニーに皇帝が姿を現すと、耳をつんざくような歓声が何十分も鳴り響いた。
皇帝はその歓声が静まるのを根気よく待ち、やがて群衆が落ち着いてくると、かねてよりの噂は本当で、つい昨日、アナトリア皇太女の手によって、人類の宿敵エルフが打倒されたと報告し、次いで人類の勝利を宣言した。
そして再度の鳴り止まない歓声の中、国はそのままお祭り騒ぎへと突入し、休日でもないのに人々が街中を練り歩き、誰も彼もが喜びを胸に道行く人々同士で抱き合った。機を見るに敏な飲食の屋台が飛んできて、飲めや歌えやと騒ぎ出すと、国中の商店や市場がそれに呼応して大盤振る舞いをし、どこを見ても活気に満ちた喧騒が、それから数日間続いたのだった。
そんなお祭り騒ぎも収まり、徐々に人々の暮らしに落ち着きが戻ってきた頃、功労者への式典が執り行われて、集められた決死隊と共に勲章を授与された但馬は、そのまま請われてインペリアルタワーの謁見の間へと参内した。
今後のエルフ戦を見据えた予算配分と先の戦争から続く国庫の歳入歳出、国内景気に関しての会議を行うから、但馬も出席するようにとのことだった。
その手の会議自体は何度か出席したことがあるので、特に嫌がるまでもなく応じた。恐らく、今後のエルフ対策について意見が聞きたいと言うことだろう。普段から色々と意見具申やお願いをしている手前、この手の会議出席率も高かったので、今回もそのつもりだった。
謁見の間につくとそこには皇帝ハンス・ゲーリック以下、ブリジット、三人の大臣、銀行の頭取と近衛隊長が居て、全員が集まると近衛隊長は邪魔をしないようにという配慮からか、頭を下げて皇帝の前を辞した。普段は必ず皇帝の前で剣を突き立て仁王立ちし、退屈そうにしているのだが……まあ、ブリジットが居るのだから警護は必要ないということなのかも知れない。
国内の重要な取り決めを行う会議は、ブリジットと但馬を除いて、大体この面子でやっていた。たまに説明が必要な場合に、彼らの部下や但馬なんかが出席することもあったが、概ね大臣と頭取の4名だけで議題が進み、皇帝が裁可するというスタンスだ。機密性の高い議題に関しては書記官も置かれない。
たったこれだけの人数でこの国の将来を決めてるのかと思うとビックリだが、現代社会の船頭多くしてを地で行くような会議と比べたら、なにしろ決断が早いので、少数精鋭もそれはそれで良さがあるのだろう。
因みに、会議に出席していて段々わかってきたことだが、三人居る大臣は一人ずつ役割が違うみたいだった。簡単に言えば、それぞれ内務大臣、外務大臣、法務大臣のようである。
それ式に考えると頭取は大蔵大臣なわけだが、面白いことに、この大蔵大臣は下っ端で、皇帝と三大臣で何か方針が決まれば、頭取はそのための予算が国庫にあるかどうか、また国内の情勢から鑑みて、その可否を唱えるだけで、口を挟むことはまずなかった。
彼の普段の仕事は国内に流通する貨幣の鋳造と、国庫の管理、国内の有力商人相手の貸付業務と、経済が滞らないように流通を見守るのが役目のようだった。現代の中央銀行のように、金融政策などは行わない。多分、国庫と言っても全部皇帝の私財なので、全ての決断が彼に委ねられるからだろう。
従って、大臣たちは予算が足りなければあっさりと諦めて別の手段を講じる。余った予算は単純に内部留保とされる。国債を発行するということはない。と言うか、そもそも国債……皇帝が国民からお金を借りるという考えは欠片もないようであった。
「先の戦争以降、国内の貨幣流通量並びに消費はうなぎ登りであります。本年度の国内金貨流通量は600万枚を超え、来年度予算は180万枚を見越しております」
大臣が鼻高々に発言した。
今回、但馬が呼ばれた会議は、先の戦争から続く国庫の歳入歳出、国内景気についての報告と、今後の予算編成に関してのものだった。
今年はエトルリア皇国との戦争があり、そのための軍備増強でかなりの歳出があったが、結局はそれが戦争特需となって国内は好景気に沸き立っており、かなりの歳入……つまり税収が見込めるようだった。
因みに、最大の納税者は言うまでもなくS&H社で、次いで炭鉱である。軍需品生産は製鉄所、造船所、鉄砲鍛冶に部品製造まで、全部関わっているのだから当然だ。帝国の歳入は、こうした好景気を背景とした税の取り立てとアスタクス方伯からの賠償金でプラスに転じ、回収の見込みはすでについてるそうだ。尤も、その賠償金支払いを、まだ方伯は渋っているようで、場合によってはもう一戦あるかも知れない。
それはともかく、国内情勢は軍需品生産と好景気を当てにした移民の流入で、労働人口が著しく増加したのだが、
「人口の増加は非常に喜ばしいことですが、過剰になりすぎて、現在、かなりの失業者が発生しております。特に、東区、新市街の治安の悪化が著しいと、憲兵隊から報告が上がっており、早急に手を打つべき問題だと考えております」
10万人強であったローデポリスの人口は20万を軽く超え、尚も増加中であった。恐らく、1年もしない内に30万を超えるはずだ。これだけの人口増加に耐えうる食料自給力も、経済的余裕も既にあるのだが、働かざるもの食うべからずが原則の世の中で、そのための就業の機会を生み出せていない現状があった。
また、アナトリアではその土木建築技術の高さに裏付けられた公共住宅制度が一般化しており、本来なら家のない移民に対して一時的に部屋を貸し出していたのだが、人口の増加に供給が追いつかず、あぶれた移民が市外でスラムを形成して、治安の悪化に拍車をかけていた。
「続いて兵役の義務に関してなのですが、これも移民により著しく増加傾向にあり、平時の今となっては過剰であると認めざるを得ない状況です。このままですと国庫を食いつぶし兼ねません。早急に対処すべき事案と考えております」
アナトリア帝国は移民を奨励しており、その市民権を得るために兵役の義務が課せられていた。しかし、それはメディアとの戦争が続いていた時代の話であり、そのメディアを吸収した今となっては無用の長物である。
また、命の危険がない兵役なら、多少訓練が厳しくても我慢が出来るし、軍隊に所属している限り食いっぱぐれることはないので、食い詰めた難民が食料目的で海を渡ってくるのが殆どなので、今となってはとんだボランティアになってしまっている。
時代が変わり、制度を見直す時期に差し掛かったと考えるべきだが、
「しかし兵役の義務をなくしたら、今まで義務を果たして市民権を得た国民に対して不公平じゃろう。それをどう対処するのじゃ」
と皇帝が問うと大臣は、
「はい。移民の入隊人数を絞り、それにあぶれた希望者には順番待ちをさせたら良いでしょう。その間、移民申請者は在留外国人として管理し、国内での活動に制限を設けます。そうすれば国民に対し不公平にはならずに済むでしょう」
要するに入管を厳しくして外国人登録を義務化しようと言うことだろう。そして帰化条件はこれまでと変わらないが、一度に帰化人が増えないように制限を設ける。それほど悪くない手法だと思う。
「ふむ……但馬よ。お主は何か意見はないか」
そんな風にぼんやりと彼らのやり取りを聞いていたら、皇帝から声が掛かった。
「いや、なかなか良い方法だと思いますよ?」
「…………」
皇帝のみならず、三大臣もジーっと但馬の意見を待っている。
なんでもいいから対案を出してみろということだろうか……そんなに期待されても困るのだが……まあ、決定権は向こうにあるのだ。テレビのコメンテーターにでもなったつもりで、他人事のように気楽に答えりゃいいだろう。そう思い、但馬は口を開いた。
「……強いて挙げるなら、帰化条件を緩和してはどうですかね」
「ですから、それでは今までの国民に対して不公平だと陛下はおっしゃっておるのですぞ」
大臣の一人が、ちゃんと話を聞いていたのかとプリプリ怒っていった。もちろん聞いていたが、
「それなんですけど、はっきり言って既に不公平なんじゃないですか。メディアと戦争を行っていた当時の軍隊と、今では明らかに状況が違いますよね? 戦ってる相手も装備も違いますし、衛生面は向上してるし、食ってるものまで違ってる。勤務地だって、以前は何の娯楽もないヴィクトリア峰で、当直は常に死の危険に晒されていたのに対し、今はカンディアで酒も休暇も遊び場まである。リディアって、元々はエトルリアで食いっぱぐれた人とかが、最後の手段として海を渡ってきてたわけじゃないですか。でも最近来る人達は、こっちの旗色が良いからって、単に勝ち馬に乗りにやって来てる感が否めません」
「……むう。確かに」
「厳しい時代に兵役を終えた人たちからすれば、こんなの許せないですよ。これ続けてると、その内自分たちでやるから移民は帰れって言い出すんじゃないでしょうかね」
軍隊のあり方が完全に変わってしまっているのだ。徴兵制を行っていたのは、明らかな敵が居たことと、リディアの人口が少なかったのが原因だ。その2つが解決してしまった今、志願制に変えてもそれなりに機能するはずだろう。
「しかし兵役にも付かずに移民を許可しては、尚更許せないではないか。これをどうするつもりじゃ」
「もちろん、ただで入国許可なんてさせませんよ。俺も最初に大臣が言ってたみたいに、新規入隊者数を減らすのは賛成です。どっちにしろ早晩そうならざるを得ないと思ってます。でも、まあ、それで入国申請者を門前払いしたり、ボーッと待たせたりするのはもったいないから、帰化条件に兵役以外も設けたらどうだろうかと」
「ふむ……例えばどう言うものが挙げられるのか」
「そうですね……」
通常、移民申請には一時入国と永久入国、つまり出稼ぎのような労働目的のものと、移住目的のものがある。今まで、リディアで移民と言えば基本的に後者を指したが、最近の好景気のお陰で、出稼ぎ目的の移民も増えてきた。そんな彼らにまで兵役を課そうとする必要は無いだろう。
「彼らはお金さえ稼げればいいのだから、季節労働者として期限を区切って入国を許可する。つまり短期労働許可証を発給すればいいかと……そして移住目的の者達は、5年間の兵役の義務と同じように、国内で労働者が不足している事業に対し、累計5年間継続して勤務すれば、帰化申請を行う権利を与えるようにすれば良いんじゃないでしょうか」
現代社会では一般的な手法だ。結局、国籍や永住権を得るには国にどれだけ貢献できる人物なのかが問題なので、それを兵役だけに求める必要はないはずだ。大金持ちの商人や、確かな技術を持った職人などは、寧ろ条件なんかつけずに移住してもらいたいくらいである。
しかし、大臣たちが慌てて言った。
「ちょっとお待ち下さい。但馬殿は先の話を聞いて居られたのですかな。その労働をしようにも現在、移民の数が多すぎて失業者が発生している始末なのですぞ。それに、季節労働者などを雇い入れては、せっかくこれまで溜め込んだ国内の金貨が、他国へ流出してしまうではございませんか」
「それなんですけど。現在、この国の輸出入動向ってどうなってますかね、もしかしてうちの製品を除いた輸出は減ってるんじゃないですか?」
「え……?」
但馬がそう尋ねると、黙って聞いていた頭取が、大慌てで資料を見ながら答えた。
「確かに……綿、砂糖、トウモロコシなど、農作物の輸出が著しい減少傾向にあり、逆にフリジアからの小麦を中心とした穀物の輸入が非常に増えてますね。あとは鉄鉱石、木材、生ゴムなど、原材料の輸入も増えてます。ですが、准男爵の会社のお陰で全体的には大幅に黒字です」
「うちを除くと?」
「……大幅な赤字です」
「つまり、うち以外儲かってない……もしくは、国内でしか物が売れずに輸入に頼ってる状態ってわけですね」
S&H社が出来る前のリディアも、豊富な地下資源と火山の恩恵で輸出で儲けていたはずだ。ところが、それらの製品は気がつけば逆転してる。理由は言わずもがな、好景気を背景としたインフレが原因で、景気が良いと物価が上昇し、輸入が増え輸出が減る。という当たり前のことが起こっているだけだ。
「本来なら、炭鉱や農場なんて、いくら人手があっても足りない職場が、生産調整に入ってるんでしょうね。そして、作っても売れなければ人を雇うことも出来ないから、失業者が増えてる。本来なら、人口増加に対応するべく、農業生産は伸びなければいけないんですが……海の向こうから安いものが入ってくるからなあ」
大臣たちは青ざめた。
「いつからこんなことに……?」
「うちが出来てからってのは間違いないですが、国内の金貨流通量が急激に伸びた頃からです。市場に出回る通貨の量が増えると言うことは、それだけ使えるお金が増えたってことですから、消費者の間で商品の奪い合いが発生するんです。商人は商品をより高く売りたいでしょうから、結果的に好景気だと物価上昇が起こる。まあ、高過ぎると今度は売れなくなるから、勝手に価格調整が起こるのですが……でも、今回のように急激な物価の上昇が続くと、調整が追いつかなくて、どんどん物の価値ばかりが上がっていく。そうなると、それが起こってない地域との間で価格差が生じますから、輸入が増えて輸出が減る、直撃した産業が赤字になる。赤字になった産業が生産調整に入る」
但馬はそれをアナスタシアの異様に速い借金返済で気づいた。要するに、プチバブルが起こっていたわけである。
本来なら、そうならないために、急激な物価の乱高下を監視し適切な処置を施すのが、中央銀行の役目なのだが、この世界に金融政策などという概念は無く、いわゆる通貨供給量が過剰になっているにも関わらず、ずっと野放しにしていたようだった。寧ろ、重商主義社会は金を貯めこむことが国富を増やすことと考えるから、国内にお金が増えれば増えるほど良いと考え、逆に手放しで喜んでいたくらいだ。
まあ、自分にも関係があることなので、あまり他人事のようにもしてられないが、ともあれ、それが弾ける前に気づけたのだけは僥倖だ。今なら対策も出来るだろう。
「あわわわわ……これは拙いですな。早急に関税をかけて、輸入を抑えなくて……」
「保護貿易も良いですけど、またコルフの時みたいに貿易摩擦を起こしますよ? それに今はエトルリア南部の懐柔を行ってる最中なんですから、そんなことしたらカンディア公爵が怒鳴りこんで来ますよ。貿易の不均衡は確実に相手の感情に悪影響を及ぼしますからね」
「ウ、ウルフ様が……」大臣たちがみんな酸っぱい顔をしていた。「それでは、准男爵はどうしろと?」
「丁度、移民が大挙してやって来てるんですから、彼らに国内の物を買ってもらいましょうよ」
18世紀のイギリスの経済学者アダム・スミスはその著書・国富論で、金銀財宝を集め国を富ませることが、国を強くすると考える重商主義を厳しく批判した。
確かに他国から金を奪うことで相対的に国は強くなるが、それで集めたお金は何に使うのか……絶対王政のもとで重商主義は一国の富を増大させたが、その政策は結果的に過剰な軍事支出を伴い、国民の経済を圧迫した。他国の商船を襲ったり、逆に襲われないように護衛艦をつけていたのだから、当たり前である。また、当時のイギリスはフランスに対し輸入超過状態で、それを取り返そうとして穀物を大量輸出すると言う暴挙を行い、結果、国民が飢えてしまった。
折しも産業革命の黎明期、多くの国民の労働力が輸出品の生産に当てられ、大量の製品を生み出していたのだが、その結果、軍隊ばかりが立派で国民は飢えてるのだから、批判されて当然だった。間もなく暴動が起こり、それを軍隊が鎮圧するという事件が多発して、議会は紛糾した。
アダム・スミスは、国富とは金属の貨幣を集めること、ではなく、その結果として生まれる国民の生産力のことであると説いた。
みんな金貨が欲しいから働いてくれるのであって、金貨が働いてくれるわけじゃないのだ。国民が労働の結果、生産物を生み出し対価を得る。その生産物を、対価を得た国民が買ってくれる。そうやって経済が回り、国民が労働を行い、生産力が増大することこそが、国家が富むと言うことではないか。
また彼は政府の輸入制限を批判した。輸入だって悪いものではない。国内に足りないものを輸入し、逆に余っている物を売ったほうが、国民生活が向上するではないか。彼はこれを自由放任主義と呼び、過剰な政府の介入をやめるように提言した。
この啓蒙思想は広く受け入れられ、イギリス社会は金銀を集める重商主義から、労働者の生産力の増大を目的とする資本主義社会へとコペルニクス的転回を果たす。そして自由主義の観点から関税を撤廃、租税改革を行い、政策は海外貿易から国の生産力を増大するための国内投資へと向かった。
「もっとも、放任が行き過ぎると今回のようにインフレを起こして大不況に陥りかねないんですけどね。さて、市外がスラム化しているのは、労働力があるのに仕事が無いから、住宅需要があるのに供給が追いついていないからです。まずはここに投資して、雇用を創出しましょう。そうすれば一石二鳥です。そして新たに作る集合住宅は無償ではなくし、家賃を払ってでも定住の意思を示す者から順に入居させます。雇用さえ確保出来れば、彼らは良い消費者になってくれるでしょうし、労働力の増加は、国全体の生産力の増大に繋がります」
それに移民だって霞を食って生きてるわけじゃないから、衣食住を満たし、社会インフラを利用するために金を使う。内需が拡大すれば、国内の物もまた売れ始める。
「家が確保出来たら、今度は郊外に進出します。ようやっと最近、エルフを倒す算段が立ちましたんで、こいつらを退治がてら東西の山々の調査を行うんです。そして地下資源が見つかったら、そこに炭鉱街を作ればまた新たな雇用が生み出せますよ。同時に、首都~ハリチ間の軍用路を拡張して、人の移動を活発にし、物流と消費を活性化させましょう。現在、ローデポリスの人口は30万人近くですが、将来的には100万人が暮らす都市になるでしょうから、それだけの人間を養う基盤が必要です。今ある市街の穀倉地帯だけでは全然たりませんよ、開墾もしなくては」
「100万人!?」
「それくらいの開発余地は十分ありますよ」
数字に驚いているようだが、広さだけなら東京23区ほどもあるところに、たったそれしか暮らしてないのだ。但馬の知ってる東京23区には、1000万近い人が住んでたのだぞ。
「いや、しかし……准男爵、それにしても財源が必要です。現在のスラムの住人を住まわせるにしても、定職につかせるにも、どれだけ投資すれば良いのか……初期資金が掛かり過ぎますし、それを回収する見込みも立たなければ、とても国庫を開くことは出来ませんよ?」
「それについては当てがあります」
そう言うと大臣は素直に黙った。もしかしたら但馬が出すとでも言うと思ってるのかも知れないが、もちろんそんなわけはない。ともあれ、
「続いて輸出入の不均衡ですが、品目を聞くと今はまだそれほど気にしないでいいんじゃないかと。まず、鉄鉱石、木材、生ゴムは、それら材料を買って二次製品を輸出してるからで、小麦の輸入が増加してるのは、エトルリアからの移民がパンを欲しがってるからでしょう。必要な物を必要な分だけ輸入してるのであれば問題ありません。物価を安定させれば、その内、落ち着くはずです」
リディアの主食はトウモロコシだが、海を挟んだ向こう側は小麦なのだ。海を渡ってきたばかりの人たちは、元々食べていた物を欲しがるだろうし、何しろリディアの人口はこの数年で3倍にも膨れ上がったのだから、不均衡に感じるほど偏っていてもおかしくない。
他の農作物に関しても、今は物価高が原因で輸出が落ち込んでいるようだが、生産力は逆に向上しているのだから、いずれそれが価格に転嫁されてまた物が売れるようになる。もしくは国内に出回るだろう。
「その物価高ですが、これは国債を発行して市場から資金を吸い上げるのが良いかと」
「……国債?」
やはり、馴染みがないようで、出席者全員が首を捻っている。
「国がする借金のことです。例えば額面金貨1枚の国債を買うと、毎年5%、つまり銅貨5枚が支給される券を発行し、それを広く国民に売りつけます。その券を、いつでも国が額面通りに買い取ることを保証すれば、家に金を余らせている金持ちなんかは欲しがるでしょう? そうやって市場に出回る資金を吸い上げてしまえば、国民が使えるお金が減るので、消費性向が下がり、物が売りにくくなる。そして結果的に物価の上昇も抑制されるんです」
要するに売りオペと呼ばれるものだ。本来は金利を上げるのが手っ取り早いが、そもそも銀行を利用しているのが一部の商人と金持ちだけの世界では、国民から広く金を吸い上げるには国債発行くらいしか手がない。
「で、そうやって吸い上げたお金を投資に当てるんです。そして投資したお金で住宅を増やして移民を呼び込み、労働者を増加させる。その労働者によって生産力が拡大すれば、経済規模が大きくなり、景気が良くなれば人口が増え、人口が増えれば税収も増えます。これだけでも十分に回収可能でしょうが、もうちょっと踏み込んで、所得税を創設しましょう。現在は雇用主からしか税金を得ていませんが、これを被雇用者にまで広げます。ただ、それじゃ現在働いてる人たちのお給料が減ってしまうことになるから、それは雇用主に減らないように調整させ、その代わりに雇用主の法人税を下げて対処します。これによって一時的に税収が下がるかも知れませんが、長い目で見れば人口増加と共にプラスに転じます。そして法人税が安くなれば、国外の投資家……コルフの豪商やエトルリアの貴族なんかの投資も呼び込めますし、彼らが帝国内に会社を作れば、そこに新たな雇用が生まれます」
要は税制改革と財政出動を同時に行おうと言うことだが……前から常々、中銀があったりハロワがあったりするくせに、いまいち活用しきれていないことが気掛かりだった。元々、勇者が中途半端に容れ物だけ作って出ていってしまったために、中身が伴っていないのだが、これを是正して本来の機能を取り戻せば、それだけでも十分に価値があると但馬は踏んでいた。それでつい、問われるままに色々と思っていたことを言いたい放題してしまったのだが……
但馬が調子に乗ってベラベラ喋っていると、気がつけばその場に居た全員が沈黙し、真顔で彼の顔をじっと見つめていた。皇帝は肘掛けに顎をついて、どこか退屈そうにしていたし、大臣たちはなんだか気まずそうにしている。頭取だけが何とか相槌を返してくれていたが、ブリジットに至っては青ざめていた。
但馬は口を閉ざした。
久し振りにやっちまったようだ。
但馬の知ってることは、それが彼にとって常識であったとしても、この世界の人達にしてみれば非常識なことだらけなのだ。まともに聞こうとしてくれる彼らだからこれで済んでいるが、普通の人達からすれば煙たいだけだろう。下手したらただの気狂いだ。
『なあ先生。あんた、一体何者なんだよ?』
いつかシモンが但馬に投げかけた言葉だ。常識がないやつと思いきや、異常に知識が偏ってる但馬に対し、底知れぬ不安を感じたのだろう。但馬にはそれに答える言葉はなく、思いつめた彼はヴィクトリア峰で無茶をやった。
「……ってな感じに、なれたらいいですね。いやもう、ただの机上の空論ですけどね」
もう、あんな思いをするのはごめんだ。これ以上続けるのはまずかろう……但馬が空気を読んで、適当にごまかしながら話を終えると、それまで退屈そうに話を聞いていた皇帝が、「お?」っとした表情を見せてから、
「ふむ、終わったか。儂は途中からついていけなくなったが……大臣よ」
と、皇帝が大臣たちに呼びかけると、彼らは一斉にあさっての方向を向いて顔が合わないようにするのだった。皇帝は苦笑しながら、
「では、頭取よ。お主はどう思う?」
お金の話なので大臣たちも自信がないのだろう。あからさまに話し掛けられることを嫌がってる彼らに対し、しかし、銀行の頭取は流石に反応が違った。
「机上の空論ですな。准男爵のアイディアは何もかも前例がなく効果が見込めるとは断言できません」
彼は皇帝に問われると、それまで我慢していたのがありありと分かるほど、楽しげな口調で言った。
「ですが、面白い。目の付け所が違う。我々、金融家とは違う、思いもよらない方法や理論で経済にアプローチしていて、見習うべきところが多々あります。是非一度、余人を交えず語り合いたいものですな」
「ふむ、なるほど、そうか……では、お主は此度の件をどう思う?」
「私が口を挟めるようなこととは思えませんが。言うまでもなく賛成です」
「大臣たちは?」
「申し分ございませんな」「遅すぎたくらいかと」「今後は芸術面にもこの力を発揮してほしいものです」
何の話だ? と思いながら見ていると、さっきまで真っ青だったブリジットがニコニコしながら腰に差していたクラウソラスを抜刀し……ぎょっとして思わず背筋をピンと伸ばして退路を確保しようと背後を振り返ったら、いつの間にかどっかへ行ったと思っていた近衛隊長が、隊員をずらりと引き連れて整列していた。
なんだかやけに仰々しい。何が始まるのだろう? と不安に思っていると、ブリジットが抜刀した剣を捧げ持ち、皇帝に差し出すと、彼は玉座から腰を上げ、トントンと腰を叩いてからそれを受け取り、
「但馬よ、そこへ直れ」
「っていきなり言われても、かなり嫌なんですけど……これは何事なんですかね?」
「うむ、但馬波瑠よ。此度のエルフ討伐の立案とその成功、並びに、これまでの数々の献策を賞して、帝国勲章を授与すると共に、お主を我が帝国大臣に任ずることとした。よもや、断りはしまいな?」
「……は?」
その言葉に但馬は仰天して、素っ頓狂な声を上げた。
その姿にしてやったりと言った感じにブリジットがニヤついていた。大臣たちはしたり顔でウンウンと頷いて、頭取がニコニコと手を叩いてる。誰もが祝福するムードの中、国宝であるクラウソラスを構えた皇帝が、早くしろと言った顔で、じっと但馬を見下ろしていた。
彼はそれを見上げながら、内心、まずったな……と舌打ちしていた。大臣就任? そんな話は聞いていない。どうして先に打診くらいしてくれないのだ。そんなことをいきなり言われても、今はまだ、絶対に受けるわけにはいかないというのに……
彼はゴクリとつばを飲み込むと、冷や汗を垂らすのだった。