逓信卿時代②
馬車にガタゴト揺られること十数分。西区インペリアルタワー前の中央公園までやってきた。本社はもう目の前である。
リディアに迷い込んでから何度もお世話になった広場はかつての賑わいを失い、今はどことなく落ち着いている。理由はあちこちに出ていた露店が全て撤去され、別の場所へと行ってしまったからだ。
無一文で放り出された時に飯をくれたおじさんも、羽振りが良い時に金をばら撒いて宴会をした連中も、今となってはすっかりご無沙汰だ。ゲロにまみれて眠った植え込みは綺麗に整えられ、新しく花壇を設けて色とりどりの花が植えられていた。シモン達戦没者の慰霊碑も綺麗に掃除されて、献花代わりのお香がよく焚かれていた。
露店の列が政庁舎前の景観を損ねるからというのがその最たる理由であったが、何も意地悪で言ってるわけでなく、人口増加に公園のキャパが追いつかなかったのが現状だった。人口が増え、仕事を求める人々が庁舎内のハロワに良く来るようになると、目の前にある公園の露店もそれにしたがって増え、いつの間にか失業者の竹下通りみたいなことになっていたのだ。
憲兵隊本部が目の前にあるので治安の方は良かったのだが、皇帝のいる庁舎前でこれは流石に限度があるからと、ある時ついに排除勧告がなされて露店はみんな他所へと退去させられた。元々西区で商売をしていた大半はそのまますぐ近くの埠頭に移ったが、中には新市街へと流れていった屋台もあるようだった。
おかげと言ってはなんであるが、猥雑さの消えた中央公園はすっかり手入れが行き届いて、どこに出しても恥ずかしくない庭園になっていた。但馬が毎日手を合わせて拝んでいる慰霊碑は、彼がそうしているのを見た人の中で思うところがあったのか、いつの間にかボランティアが掃除してくれるようになって、今ではピカピカに磨かれ、中央公園のオベリスク的な存在になっていた。
公園前で馬車を降りた但馬は、慰霊碑で手を合わせたあと、そのまま徒歩で本社へと向かった。
エリオスが入り口脇の詰め所に入り、続いて但馬が社内に足を踏み入れると、デスクワークをしていた社員が一斉に立ち上がってお辞儀をした。それを但馬が慌てて手で制して、仕事に戻るようにとジェスチャーを返す。
ここまでがテンプレのように儀式化された、今の本社組の習慣だった。市内の一等地と呼べる場所にある建物であるが、今となってはもはや手狭で、見た目にも窮屈だし無駄だからやめようぜと提案したいのだが、相手を萎縮させるかも知れないので黙っていた。それよりも事務所を増やすか、新しい社屋を建てた方が良いのだが、それもなかなか難しかった。簡単にいえば、国内の一等地はどこもかしこもバブっていて、手が出しづらいのだ。
無論、今更そんなことで困らないくらいの資金力はあるのだが、何というか貧乏性というか、日本人特有のモッタイナイ精神が働いてどうにも踏ん切りが付かない。そんな金を払うくらいなら、いっそ新市街に新社屋でもデデンと建ててしまえばいいと思ってしまう。しかし、立地条件というものがあって、デカい箱が建てられるからって、安易に中央から離れた場所に引っ越しては仕事にならない。かと言ってこの近所は高いし……そして結果的にズルズルと引き伸ばして今に至ると言うわけだ。
だが、流石に事務員に窮屈な思いをさせ続けるのもバツが悪く、そろそろ決断すべき頃合いなのかも知れない。一度重役連中を交えて話し合ってみたほうがいいかも知れないなと思いつつ、一般事務員に見送られながら社長室へと向かう。
この社長室というのも今ではもう名ばかりで、以前から社長室兼応接室兼会議室だったそれは、食堂と休憩所と仮眠所も兼任するようになり、ついにフレッド君に乗っ取られた。
まあ、基本的に但馬が本社内にいることは少ないので良いのだが、寂しい限りである。
そんなわけで、自分の部屋であるが一応ノックをしてから扉を開けると、中から元気な挨拶と一緒にコーヒーの香ばしい香りが漂ってきて鼻腔をくすぐった。
「あ、社長! おはようございますっ!!」
「おはようフレッド君、君一人……じゃないよな」
お盆を抱えるようにしながら、入室してきた但馬に元気よく挨拶する彼の傍ら、本来なら但馬のデスクであるはずのリクライニングチェアに腰掛け、ソーサーを手に持って優雅にコーヒーを啜るメイドが居た。
「ごきげんよう、社長。いつまでもそんなところに立っておられないで、座ったらいかがですか?」
「……色々と突っ込みたいところだけどね。まずはそこをおどきなさいよ、俺の席なんだから。社長室で当たり前のようにくつろぐんじゃないっ」
「おや、これは失敬……とても居心地が良いものでして。流石社長の椅子でございますね」
などと言いつつ、リーゼロッテはリクライニングチェアごと退こうとするので、いい加減にしろとツッコミを入れて自分の席を死守した。
彼女は椅子から退かされると、渋々と言った感じでノロノロ起き上がり、会議用の椅子を並べてそこに寝そべり、横になりながら器用にコーヒーを飲んでいた。どう見ても転げ落ちそうな格好なのに微動だにしないのは流石剣豪と言うべきか……いや、本当にこの人強いの? と疑いたくなる。一度だけ、実際に戦ってる場面も見たことあるし、ブリジットに言わせれば、間違いなく国内最強とのことなので本当なのだろうが……
自分の周りにいる体育会系の面々を思い返すと、ブリジットにしてもエリオスにしても、あのアナスタシアだって、毎日のトレーニングを欠かすことはなく、日々研鑽を積み重ねているのだが、ところがリーゼロッテに関してはそういった努力をしてる姿を見たことがないのだ。
おまけに雇い入れて分かったことだが、彼女は腕っ節が強くて用兵が得意で、人当たりが良くて(亜人に限るが)人望もあり、見た目通り掃除洗濯料理が得意で、大抵のことは卒なくこなすのだが、指示待ち人間と言うか、指示されなければ絶対に動かないと言うか、とにかく仕事をしなかった。
亜人傭兵団のこともあってハリチで留守居役をやらせていたのだが、あとのことを任せると言って領地を空けると、任された範囲で可能な限りサボろうとするので、気がつけば但馬の仕事が溜まりに溜まっていた。おまけに電話があることで楽を覚え、本社にかければ大抵のことはフレッド君がなんとかしてくれると気づいてからは輪をかけてズボラになり、仕方ないからそれ以来、常に監視の行き届いている場所に置いている。
尤も、そんなことしてもあまり関係ないようで、ほんのちょっとでも目を離すとすぐにサボるので性質が悪い。まあ、ぶっちゃけ、傭兵のまとめ役だけやってくれればそれでいいのだが、なんかこの人をサボらせておくのは癪だった。能ある鷹は爪を隠すではないが、少年漫画の主人公じゃあるまいし、積極的にサボろうとするやつを見ると何故だかイライラするのだ。大体、これだけチャランポランなくせに、人並み外れた能力があるのもいただけない。
しかしある時、そんなことをグチグチとエリオス相手に漏らしていたら、
「それは同族嫌悪だな」
と言われて、ゲロを吐きそうになった。
「はあ!? 何言ってんの? エリオスさん。俺も確かにちょっとひどいとこあるかもだけど、あそこまで露骨じゃないよっ!?」
「そうではなくてだな……ほら、社長だって理不尽な能力を持ってるじゃないか。端から見れば大差ないぞ」
「理不尽って……俺だって努力してるんだよ? そりゃ確かにこの時代の人達からすれば、なんでもかんでも楽ちんぽいで実現してるように見えるのかも知れないけどさ。本当に手を抜いてるなら、ぶっ倒れるまで仕事しないよ……いや、反省してるけど」
「違う違う、そうじゃない」
エリオスは頭を振って溜め息を吐いた。
「社長が努力をしてるのは知ってるさ。だからみんな付いてきてるのだろうし……そうではなくて、君だってすごい力を持ってるだろ?」
「はあ? 俺、エリオスさんに散々脆弱軟弱惰弱って言われ続けてるんだけど……」
「そうだな。だが、そのくせ、君は凄い魔法を使えるじゃないか」
「……あ、ああ~」
「凄い力を揮えるだろう? 何か特別な努力をしてるわけでもなく。普段は使いもしない。なのに、その威力はエルフさえ凌駕するだろう?」
言われてみればそんなチート能力を持っていた。使い道がないから、すっかり忘れていたが……
「はっきり言って、リズの能力は、君と比べたら子供だましみたいなものだ。彼女は一軍に匹敵するほど強いかも知れないが、それでもエルフには勝てない。恐らく、人類でエルフに対抗できるのは、社長くらいのものだぞ」
「……そうか」
「なのに、君はただの賊相手にでも、コロッと殺されちゃうくらい弱いじゃないか。こんな理不尽なことがあるか」
「うっ……」
「手がかかると言ったら、君のほうがよっぽどだ。目を離しても、あの娘ならサボるだけで済むが、社長の場合は死んでるかも知れないんだぞ……ああ……俺は気が休まる隙がない」
「酷いッ!」
エリオスの酷評はともかく、言われてみれば確かに、但馬とリーゼロッテは二人とも何の努力も無しに凄い力を振るえると言う点では似ているかも知れない。何故そうなのか、理由は判然としないが、原因と言うか、種明かしなら知っている。CPN、いわゆる魔素の存在だ。
おそらくはこの地球上に満遍なくばら撒かれている、目には見えないナノマシン。それが魔法の正体で、傷ならなんでもかんでも回復しちゃうヒール魔法や、アナスタシアの抗生魔法のような奇跡の力を生み出している。聖遺物を使えば、ゲームみたいに剣気を飛ばしたり、範馬勇次郎も真っ青な身体強化をしたりも出来る。
この能力、但馬とリーゼロッテに関しては、どうも他よりも贔屓目に設定されているようである。普通ならば魔法使い……つまりCPNの力を利用する者は、聖遺物というデバイスを用いる必要があるようなのだが、彼ら二人はそれが無くても力を行使することが可能であり、但馬はCPNに蓄えられたエネルギーを根こそぎ使って大爆発を起こすことが出来、リーゼロッテはこれによって常に身体強化されてるようだった。
彼女は聖遺物の扱いにも長けていて、魔法使いならばどんな聖遺物も多少は扱えるそうなのだが、彼女のそれは特筆に値するらしい。例えば、ブリジットのクラウソラスは剣気を飛ばしたり、身体強化したり、目眩ましで光ったり、存外マルチな能力を備えているのだが、皇帝がこれを受け継いだ時、元々は剣気を飛ばす能力しか持ってないと思われていた。
だが、リーゼロッテは聖遺物をちょっと触れば、これがどんな能力を持ってるのかが分かるらしく、大分以前の話になるが、彼女がリリィと一緒にリディアにやって来た際、ブリジットと手合わせをする機会があって、まだ幼い彼女を軽くひねったそうなのだが……立会の者が空気を読めよと沈黙する中、何気なく得物を取り上げて「こんな使い方もありますよ」と実演して見せて大層驚かれたそうだ。
ブリジットはそれを見て彼我の実力差を悟り、最大限の礼を持ってこれを賞賛し、以来、リーゼロッテは彼女の師匠なのである。
ともあれ、そんな抜群の力を持った彼女であっても、単独でエルフを打ち倒すことはまず不可能で、その攻撃を受け流し逃げるのが精一杯だった。ぶっちゃけ、全人類から言わせれば、エルフから逃げることが出来ることすら凄いことなのに、そのエルフが逆に逃げ出し、逃げることすら許されず消し炭になるという、但馬の魔法は破格を通り越して理不尽であり、そりゃないよとエリオスがボヤくのも当然だった。
まあ、確かに、言われてみるとその通りであるが、但馬が弱いことも確かである。そしてエルフという古代人の成れの果てが、但馬と同様の力を持ってることもおそらくは確かであり……そう考えると、なんで自分は人間相手にコロリとやられちゃうのに、エルフは人間に強いんだ? それこそ理不尽ではないか……などと要らぬことを考えてしまう。
エルフだって人間にやられたって良いじゃないか。但馬がやられるのなら……そう思って、とある作戦を思いついたのだが……
社長室で寝そべるメイドの姿を見ながら、そんなことを考えていると、いつの間にか但馬にもコーヒーを淹れてきたフレッド君が言った。
「あれ? リオン君、いらっしゃい! 今日はお父さんと一緒ですか?」
そうだった。すっかり忘れていたが、リオンを連れてきたのだった。
そのリオンは彼に認識されると、いつものように人見知りを発揮して、但馬の足にギュッとしがみついてから、おずおずと……
「……うん」
と答えた。
フレッド君は兄弟親戚が多いからか、そんなリオンの姿にさして気にする素振りも見せず、ニコニコとしながら彼の頭をぐちゃぐちゃと撫で上げ、
「ジュース持ってきてあげようか! それとも、お父さんと同じのが良い?」と言ってから、流石にコーヒーは無いなと思い直しのか、「カフェオレにしてあげよう!」と元気いっぱい提案した。
しかしリオンはフルフルと頭を振ると、持ってきたドリルを差し出し、
「……これ」
「え!? もう終わっちゃったの? 凄い!」
フレッド君はそれを受け取り、パラパラとページを捲ると、オーバーアクションで驚いて見せてから、またニコニコとリオンの頭をかいぐりかいぐりした。リオンはそれを嬉し恥ずかしそうにしている。
「でも困ったな……こんなに早く持ってくるなんて思わなかったから、まだ次の宿題が用意してないんだ」
「うん……」
それは想定していたらしく、リオンが素直に頷く。多分、一生懸命やったことを早く誉めて貰いたかったのだろう。
「今日は添削だけにして、またドリルが出来たらお家に持って行ってあげるよ!」
「うん!」
「……それでは社長、申し訳ないんですが」
今度はおずおずとフレッド君の方が但馬に言う。話の流れ的に、リオンの相手をするから仕事を後回しにしていいか聞きたいのだろう。
「ああ、もちろん構わないよ。ごめんね~、仕事の邪魔になるなら遠慮無く言っていいから」
「いえ、そんなことないですよ! と言うか、そうじゃなくってですね!」
なんだろう? と首を捻っていると、
「社長にご裁可を頂きたくて、書類をまとめておきました! 机の上に置いてありますんで、一つずつ目を通して、判子押してください!」
言われて机の上を見ると、なにやらうず高く書類が積み上がっていた。
「げえ……これ、全部?」
「はい! その間に、リオンくんのお勉強を見てますね!」
寧ろ見ていて欲しいのは但馬の方だったのだが……リオンの手前そんなことも言えず、
「うっ……わかった」
但馬は観念して書類仕事を始めた。
S&H社は初めこそほぼ但馬のワンマン企業だったが、今となってはインフラ整備やら海外交易やら、国家事業にもいくつか参加していたり、おまけに但馬の領地経営もあって、規模が大きくなりすぎて手に負えなくなっていた。
経理仕事は本社の優秀な社員とフレッド君がまとめてくれるのだが、自分が手がけた事業なのに、もはやそれを見ても金の流れは把握しきれない。首都ローデポリスだけでも写真館が4店舗、直営店が3店舗、大きな倉庫が1つ、工場が4箇所、造船所が1箇所、製塩所とコークス炉がそれぞれ2棟、発電所が3箇所にあり、それぞれ2台ずつ火力発電機が回っていた。これらがハリチ・カンディア・コルフにもあって、それぞれが生み出す商品の売買はまた別の話だ。
電気事業などは電線工事やら、照明機器の販売やら、その設置やら、やることがいっぱいあるので分社化しており、そうなるともうその内部の細かい動きまでは分からない。
ただ分かることは、これらが生み出す利益が莫大なもので、決済書に漫然と判子を押しているだけでも、それが読み取れるくらい基本的にどこもかしこも黒字だった。
かつて海賊に負わされた借金なんかは、もうとっくに返済しており、それどころか、それが切っ掛けで始まった戦争特需でアホみたいに儲かっていた。何しろ、マスケット銃はS&H社の専売特許で、それが2万丁、全部国持ちなのだからウハウハである。他にも製鉄所の設備を請け負っていたり、海軍工廠への技術供与、兵站などがあり、作れば作っただけ売れるのだから、戦争って本当に儲かるのだなと実感させられた。
尤も、戦争のための特別税を一番払っているのも自分の会社なので、戦争って馬鹿みたいにお金が掛かるのねと実感も出来た。アスタクスとの戦争はまだ賠償金の額も決まっていないので、国としてはこれまでの費用が回収出来てないので、早く何とかして欲しい。
そんな風に借金のことを考えながら書類を捲っていると、
「……ん? あれ? これって、アーニャちゃんの??」
会社の書類に紛れてアナスタシア個人の借用書が出てきた。貸主は但馬である。なんだろうと思い首を捻っていると、その様子に気づいたフレッド君が、
「あ! そうだった! 忘れてたっ!!」
と言って、飛び上がって駆け寄ってきた。
「社長が来たら真っ先にお伝えしようと思ってたんですよ」
「えーっと、なにかな?」
「おめでとうございますっ!」
なんだか分からないが祝われた。
「アナスタシアさんの借金が、この度、ついにゼロになりました。完済です!」
その言葉が最初は何のことか分からず、但馬は一瞬ポカンと口を開けてから、改めて書類に目を落とし、そこに自分がアナスタシアに金を貸したという文字を見つけて、ようやくその意味を思い出した。
「……あぁ……ああ~、ああー! アーニャちゃんの身受けした時の金貨千枚か! って、ええええ!? あれ、もう返しちゃったの!!?」
「はいっ! 間違い有りませんよ!」
「マジでッ!? ……いや~、凄い頑張ってたのは知ってたけど、ビックリしたな。だって金貨千枚だよ?」金持ちの但馬が言うとなにかと語弊があるが……「確か、普通の人の生涯賃金でも返しきれないくらいだったよね」
「はい!」
「……あの子……無理してない? 働かせ過ぎちゃったのかな?」
「そんなことないですよ!!」
するとフレッド君が大げさに首をぶるんぶるん振って否定した。
「アナスタシアさんは、本社の社外取締役として役員報酬が出てる他に、直営店の統括本部長としてのお給料もありますから、あっという間です!」
「そうなの?」
「はい! うちの会社は、世界で一番お給料が良いですからね! その役員報酬を二重に受け取っていたら、金貨千枚なんて、あっという間です!」
「マジか」
いつの間にそんなことになってたんだ……
「いつの間も何も、社長! ご自身のお給料にも無頓着ですよね!?」
「う、うん……小切手あるから困らないし。そういや、どのくらい持ってるんだろ、俺」
「ご自分のことですよ!? もっとしっかりしてください!」
「うっ……すみません」
「いかがでしょうか、社長……一度、銀行へ行ってご自身の預金残高を確かめてみるのは?」
そんな話をしていたら、さっきまでゴロゴロしていたメイドが、いつの間にか背筋を伸ばしてシャンとした姿で背後に居て、首を突っ込んできた。但馬が渋面を作ってシッシッとジェスチャーすると、うふんとウインクしてから、チラチラとスカートの裾を上げ下げしてみせた。どないせいっちゅーねん。
しかし、実感が沸かなかったが、思えば金貨に換算して10万20万を平気で稼ぐようになって来ちゃってたので、役員報酬と言えばそれくらい貰って当然なのかも知れない。
更によくよく話を聞いていたら、人口増加で通貨流通量がかなり上がっているらしく、結構なインフレを起こしているようだった。
この国……と言うか、この世界は完全に金本位制で不換紙幣もなく、通貨供給量を国がコントロールする術がない。有価証券もなく、金融政策というものをやってる気配がない。すると、移民が増えて人口が急激に増加したら、それだけ彼らがもつ貨幣が流入して国内市場に出回るので、簡単にインフレを起こしてしまうのだ。
急なインフレはあまり良いことが無いと思うのだが……
しかしまあ、国が富んでいるのも、アナスタシアの借金が完済されたのも確かなことなので、一先ずめでたいことだと喜んでいいのだろうか……
「そっかあ~……アーニャちゃん、本当の意味で自由になれたんだな」
「そうですね!」
「こりゃお祝いしなきゃな。全社を上げてアナスタシア祭りだ!」
「わーい!」
何のことかよく分かってないリオンが首をかしげる中、そんな風に二人でワイワイ大騒ぎしていたら、トントントンッと社長室の扉が鳴った。
「お忙しいところ失礼します……」
すると事務所から社員の一人がやって来て、
「今、事務所の方に電話がありまして、トラブルです。護衛長にお伝えして指示を仰いだところ、社長にご報告差し上げろと言われまして……」
「エリオスさんが俺に聞けって? なんだろ」
「はい。直営店ビディーズジェラート本店で、客が大暴れして手がつけられないと……」
「なななっ、なんだってっ!?」
本店と言えばアナスタシアの勤務先だ。客が大暴れとはどういうことだ。ヤクザがショバ代払えと難癖つけてきたのだろうか? 刃物を持った男が立て籠もっているのか? 核爆弾を持った男がナイター中継を最後まで放送しろと息巻いてるのだろうか? 但馬は仰天すると、泡を食って社長室から飛び出した。
普段の彼からは想像もつかない機敏な動きに驚いた社員が大声でその背中に叫ぶ。
「アナスタシア店長が、営業妨害だから、こいつらもう畳んじゃって良いですか? ……って、社長!! 聞いてますか!?」
しかし、彼がそれを言い終わった時には、但馬はとっくに本社から出て行った後だった。





