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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第四章
131/398

BIOSPHERE 2.0 ④

 ある日、オリオン座α星・ベテルギウスが超新星爆発を起こした。それによって太陽系第三惑星・地球ではおよそ4か月以上もの長きに渡って、夜空に2つの月(のように明るい星)が昇ると言う珍妙な現象が起こったのだが、それはいつまでも続かず、やがて徐々に消えていった。


 人類史上でも間違いなく最大であったであろう、この天体ショーに人々は酔いしれ、その4か月間はほぼ連日連夜、クリスマスのようなお祭り騒ぎが世界中で繰り広げられた。そして4か月が過ぎて、その恒星の光とともに徐々にお祭り騒ぎも沈静化されてくると、人々の興味は次の段階へと進んでいった。


 ベテルギウスはこの後どうなるのか?


 太陽の20倍の質量をほこるベテルギウスは、その巨大さからブラックホール化する可能性も無くはないが、恐らくは中性子星へ変化するだろうと言われている。核融合を起こすための燃料が無くなった恒星の核は、やがて自重に押しつぶされて超新星爆発を起こすが、その後ブラックホール化するまでには至らない恒星の核の中では、陽子と電子が重力によってくっついてしまい、中性子化すると言う現象が起きる。


 そうした星の核は中性子の固まりとなり、もう光を発すること無く宇宙を漂うことになるのだ。


 ところで、フィギュアスケートのスピンを思い出して貰うと分かるだろうが、手を広げて回っていた選手が、サッと腕を縮めて体に密着させると、スピンの回転が急激に加速する。


 中性子星もそれと同じように、自分の重力に押しつぶされ、元の恒星の時と比べて極端に小さくなることから、猛烈な勢いで回転していることになる。回転する天体は地磁気を生ずるはずなので、中性子星を調べてみると、自転軸方向に強烈な磁力線を放出していることが分かるはずだ。


 宇宙には強烈な磁力を放出している場がいくつもあり、これをパルサーと呼んだ。


 このパルサーはなんらかの切っ掛けによって、ある時自転軸と垂直の方向に向かって膨大な量のガンマ線(電磁波)を放出することがある。これをガンマ線パルサーと呼ぶが、何しろ元は恒星の核であるから、とんでもない高エネルギーのガンマ線を数秒から数時間にかけて放出するそうだから、もしこれが直撃したら地球がヤバイ。


 ベテルギウスは地球に近い天体であるから、もしもこのガンマ線が地球に向いて放射されたら、人類滅亡の危機もあり得る。そこで、超新星爆発というスペクタクルな天体ショーの後には、ノストラダムスやアステカの予言のときのように、終末論が人々の間で大流行することになった。


 しかし、科学者に言わせると、そのパルサーから発せられるガンマ線は非常に指向性の高い現象であり、影響を受ける範囲はその天体の自転軸に対して2度の範囲でしかなく、ベテルギウスの自転軸は元々、地球の方角に対して20度も傾いていたことから、それが超新星爆発のせいで偶然こちらへ向くとは考えにくかった。


 360度、上下左右、全方位に渡ってどこへ向くか分からない自転軸が、たまたま地球に対して2度などという極小の範囲に向く可能性など、殆ど無きに等しいことであり、それによって人類が滅亡するなんてことはあり得ないから、終末論なんて詐欺師のたわごとなど、信じないほうが良いと知識人たちはこぞって主張した。


 だが、そのあり得ないことが起こってしまったのだ。


 オルフェウス社の手により創りだされた人類初の有人火星往還船、キュリオシティ01は、その人類にとって初めての重要な任務(ミッション)を果たし、地球への帰還中にこの災害に見舞われた。


 高エネルギーのガンマ線の直撃を食らった宇宙船は精密機器がほぼ全滅し、一時操船不能に陥った。そしてその事故のせいで、船は地球への帰還軌道を大きく逸脱した。


 最初の直撃で不幸なクルーの何人かは大量の放射線を浴びて即死、生き残った者も、突然の機械の故障に見まわれ、何も分からない状況での仲間の死を受けパニックに陥り、どうにか落ち着きを取り戻した時には、船は地球へ帰還する航路から大きく離れ、元へ戻すことは不可能になっていた。


 キュリオシティ01は長期間の任務に耐えられるように、船体内に人工生態系が再現されており、それによりサバイバル生活をおくることは可能だった。しかし、おそらくは向こうも精密機器が壊れパニック状態だったのだろう、地球との連絡がまったく取れなくなり、乗組員は精神を蝕まれていった。


 諍いを起こし、グループが分裂し、危機的な状況も度々あった。


 だがそれでもやはり、人類初の火星往還船の乗組員に選ばれた宇宙飛行士達であるから、最終的には全員が最善を尽くした。


 いつか必ず来るはずの救助の時まで、みんなで生き残ろうと努力した。


 だが、それはいつまで経っても来なかった。


 乗組員たちが地球に何度呼びかけても返事がないまま……数ヶ月が経ち、もしかしたら数年が経過したかも知れない。昼夜もない環境下で、やがて日数を数えるのもやめた彼らには、どれほどの時間が過ぎ去ったのかもよくわからない。


 そんな中、限界を超えた者の中から一人、また一人と脱落者が出た。長い閉鎖環境下でおかしくなり自殺したもの、栄養失調を起こし病気になったもの、宇宙船の修理のために外へ出て犠牲になったもの、理由は様々であったが、結局はみんな過酷な状況に耐えられずに死を迎えたのだ。


 人が死ぬと初めのうちはみんな悲しみに暮れた。だが、そのうち慣れてくると、その死体という資源をいかにして役立てるかという考えにシフトしていった。人間性は失われ、会話も殆どなくなった。


 そして、もはや救助は決して来ることがないと自覚した者たちが悲観して、次々と死んでいく中で、最後まで生き残ったのが、火星探査計画最年少クルーであり、唯一の日本人である、但馬波瑠だったのだ。


(ああ……そうか……)


 但馬は思い出した。


 あのアルバイトの面接を通ったあと、自分は次のステップへ進んでいたのだ。人類初の火星往還船の乗組員になるためのサバイバル訓練を乗り越えて、何年間にも及ぶ研修を経て、そしてついに、キュリオシティ01の乗組員として選抜されたのだ。


 若くて体力があり、学力もそこそこあった。日本人らしく物分りがよくて、従順で辛抱強くて、そしてなにより、彼が死んでも誰も悲しまないことが、都合よかったのだろう。


 但馬には家族が居なかった。父親が居ない私生児として生まれ、幼くして母親を無くし、引き取ってくれた祖父母の家で育てられて、祖父が死に、大学受験の最中に祖母も死ぬと、彼は生きる目標を見失った。彼は天涯孤独だった。

 

 

 

「ひとよ、()がつみの大いなるを嘆け、悔いて涙せよ……死にたるを生かし、病を取り去り……主のたてまいし、愛を世に示せ……」


 アナスタシアの呟く祈りの声で目が覚めた。


 目を開けるとここ数日間ですっかり見慣れた天井があった。いつの間に戻ってきたのだろうか、気がつけば但馬は宮殿の部屋の中で、ベッドに寝かされていた。傍らでは手を組んで目を瞑り、何かを熱心に祈るアナスタシアが居て、ベッド脇の机の上には病人用の水差しと、但馬がさっきまで着てたはずの洋服が折りたたまれて置かれていた。


 確か、港でブリジットを無理矢理船に乗せたところまでは覚えている。すると、その後倒れたのか。ブリジットを見送ることが出来たことで気が抜けたのだろう。本当は立っているのもやっとだったのだ。


 今日は朝から体調が最悪だった。目覚めたら頭が痛く、体の節々が痛んだ。それも普通の痛みではなく、何かいけないクスリでも注射されて、それが血液によって循環してるような、そんな痛みだった。


 実際にそうだったのだろう。


 肝臓に感染したペスト菌が毒素を生み出し、それが血液やリンパ腺を通って全身を巡っていたのだ。


 それでも数日前の出来事から、宮殿内の空気を悪くしてしまった但馬は、自分の休養よりも自宅への帰還を優先させようとした。エリオスと相談し、船に乗ってリディアに帰り、休むのは家に帰ってからでも良いだろうと思ったのだ。


 その時はまだ酷い風邪程度にしか思っておらず、ガマンすれば普段通りに振る舞えた。それがほんの数時間でここまで悪化するとは……但馬は熱に浮かされ、全身に汗をかき、ぜえぜえと息を荒げながら、絶えず襲ってくる痛みに苦しめられた。


 手足の感覚があまりなく、動かそうとしても錆びついたブリキのおもちゃみたいにぎこちなかった。機械的に呼吸をしていたが、それも止めてしまいたいくらい苦しかった。頭はぼーっとしていて、こんなに苦しんでいるというのに、どこか他人事のようだった。


 人間、死ぬ間際に自分の人生を走馬灯のように顧みると言われているが、先ほど思い出したあれがそうなのだろうか。地球との連絡は途絶し、重力制御装置も失われ、右も左も上下もない無重力状態の中で、何ヶ月も何年も漂流したあのSFのような記憶も……


 他人事といえば、自分の記憶ほど他人事のようなものも無かった。


 ローデポリスにほど近い海岸線ではっと目覚めたとき以来、自分の記憶がすっ飛んでいることには気づいていた。失われた記憶があるとは思っていたが、それは2年前の遺跡で自分が作られた存在だと知って以降、元々無かったんじゃないかと思うようになっていた。


 だが、どうやらあったらしい。ただ、完全ではないが……


 思い出した記憶も、ところどころ断片的でしかないし、特に一人で生き残ったあとのことは何も思い出せない。尤も、その後何が起こったのかを想像すれば思い出せないのではなく、思い出したくないのだろうと容易に想像はついたが。


 自分は……いや、記憶の中の但馬はこの後死んだのだろう。誰もいなくなった閉鎖空間の中で、他人の死骸を糧にして生き残った末に何がある。夢も希望も未来もない。


 だが、それだと一つ疑問が残る。この状況下で、どうして但馬はその事故が、ガンマ線の直撃を受けたからだと断定出来たのだろうか……状況から推測してそう思ってるだけかも知れないが、なんとなくそうではない気がする……


 それに、本当に自分は最後の一人だったのだろうか……


 上手く思い出せないが、他に誰か居たような……


「……リ……リ、ィ」


 掠れるような声で但馬がそう呟くと、一心不乱に祈りを捧げていたアナスタシアの声が途絶えた。目を真っ赤に腫らした彼女が但馬の顔を覗き込む。彼はどこか他人事のような気分でそれを見返した。映画館のスクリーンでも見てるような気分だった。


「先生……目覚めたの? 喉乾いてない? お腹すいた? どこか痛くない? 何かして欲しいことはない?」


 強いてあげれば全部だったが、多分、そのどれも実現しようとすると体が拒絶反応を起こすであろう。但馬は返事の代わりに、黙って体を揺すり、上体を起こそうとすると、アナスタシアがサッと背中に手を入れて、起こしてくれた。


 頭に上っていた血が一斉に足の方へと移動していくような気がする。その感覚すらも痛みを生じてうんざりさせられた。呼吸は荒く、眼の焦点がいまいちあってくれない。


 ここはどこ? 私はだれ? などというお決まりのセリフすら言う気力もなかったが、何か声を掛けねばという義務感から、但馬は言葉を発した。


「……さっきのは?」

「え?」

「……祈り? キリスト教の?」


 目覚めた時、彼女が一心不乱に唱えていた。その彼女の体は緑色のオーラに包まれていて、ヒール魔法を使う時のブリジットのようだった。だが、アナスタシアはヒールを使うことが出来ないはずだ。


 彼女はその意図を汲みとったのか、


「あれは……小さい時、お母さんに教えてもらったの。辛い時や苦しい時には、こうやって神様に祈るんだよって……」


 彼女は以前水車小屋で、避妊魔法や性病治療を行っていたが、これがその正体らしい。彼女自身が修道院でつらい目に遭った時に唱えていたところ、避妊や性病予防に効果があることがわかり、以来続けていたそうだ。


 但馬と一緒に暮らし始めてからも、先に起きた彼女が朝の祈りを捧げている光景を時折見かけた。その時、緑色のオーラも発していたが、あれにはそう言う意味があったのか。


 但馬はぜえぜえと呼吸しながら言った。


「……そうか。俺が寝てる間にずっと付いててくれたの?」

「うん」

「ありがとう。でも、もういいよ。それより、君もここから離れたほうが良い……そうだな、ブリジットが俺の船を使っちゃったから、リオンと一緒にシドニアへ行って、船に乗ってローデポリスに帰るんだ」

「……嫌」


 だがアナスタシアは頭を振った。ブリジットの時と同じで、多分、素直に言うことは聞かないだろうと思った。だから但馬は意地悪をすることにした。


「……あの日、どうして待ち合わせ場所に来なかったの?」

「……」


 そう言えば、彼女がだんまりを決め込むことはわかっていた。


「俺は君に振られたんだ。だから一緒にはもう居られない。さあ、リオンを連れて家に帰るんだ」


 彼女は涙を流し、イヤイヤをする。


「私は……先生が居なきゃ、生きている意味が無い。先生に助けてもらったお陰で、こうして今を生きていられるのに、私はまだ何も返せていない」

「おかしなことを言うなあ……だったら、どうしてあの時来なかったの?」


 アナスタシアはギュッと目をつぶって、まるで胸が苦しいと言わんばかりに胸に手をやった。但馬も胸が苦しかった。それが果たして彼女のせいなのか、病気のせいなのかは分からなかったが。


「……怒ってるわけじゃないんだ。ただ、理由が知りたい。どうして来なかったの? 何かあったの?」


 だが彼女は一切の言葉を発すること無く、唇を噛みしめると、涙を流してじっと耐えていた。但馬は溜め息を吐いた。


 諦めよう……今はもう、そんなことをしている場合じゃないのだから。


「……そっか。言いたくない、家にも帰りたくないんじゃ仕方ないなあ……わがままを聞いてあげたいんだけど、でも、今回ばかりは俺の言うことを聞いてもらえないか? 多分、突拍子もない事を言うと思うんだけど……」


 但馬はそこまで一口に言うと、一拍切ってから言った。


「俺は人間じゃない」


 ギュッと目を瞑ってだんまりを決め込んでいたアナスタシアの目が、えっ? と開かれた。


 但馬は決心すると、これまでずっと言えなかった、自分の記憶のことを口にした。


 それは、現代社会の話をしても理解されないだろうし、下手をしたらキチガイのように思われるかも知れないと思って誰にも話さなかったものであるが……今にして思えば、もしかしたら自分自身が思い出したくなかったから、口にしなかったのかも知れない。


 但馬は、自分の人生に飽いていた……いっそ、死んでしまってもいいと思えるくらいに。だから、この世界に……リディアでいきなり目覚めた時も、夢かゲームかと斜に構えておきながらも、どこかで現実を受け入れていた。そして、そこで出会った仲間たちとの、家族ごっこを楽しんでいたのだ。


 だが、それももう終わりだ。


「俺は、どうやらメディアにある遺跡の中で作られた、亜人らしい。みんなにどこから来たのか? と問われても答えられなかったのは、その記憶が無かったからなんだ。俺はある日突然、但馬波瑠という人間の記憶を植え付けられてこの世界に作られた。その記憶は今よりもずっとずっと大昔……気の遠くなるほど昔の記憶なんだ……


 そうだな……以前、君はレベッカにマグダラのマリアの逸話を教えてもらったと言ってたね? そして、主は姦通の罪をお許しになられたと感激したと彼女は言っていたそうだが、ありゃ都合のいい嘘だ。


 ヨハネによる福音書に姦通の罪に問われた女が登場するのは、紀元80年頃の創作だ。その頃のキリスト教は教祖が刑死し、世を乱す宗教であるとローマ皇帝ネロから激しい弾圧を受けていた。当時の世界は多神教が一般的で、神は自分たちの信ずるただ一人しか存在しないという一神教の教えは、到底受け入れられなかった。だからキリスト教は弾圧下で徐々に信者を失い、苦し紛れに教義をねじ曲げたんだろう。娼婦や罪人を許すことによって、信者を増やす選択をしたんだ。君たちは救われたんじゃない。利用されただけだ。そして俺は……そんな世界から来たんだ。


 俺の母親は、ピアニストである厳格な両親の下に生まれて、子供の頃から厳しく育てられたんだそうだ。けれどその期待に応えきれず、大学に進学する頃にはドロップアウトしてしまったらしい。それでも音楽一筋でやってきたから、音大の声楽科へ行ったそうだが、やはり色々コンプレックスとかがあったんだろうね。ある日、突然それが爆発して、ブロードウェイでミュージカルスターになると言い残して、親の反対を押し切り渡米してしまった。芸術家のやることだから、やっぱ突拍子もないんだな。


 アメリカに渡った彼女がどう言う生活を送っていたかは分からない。彼女が言うにはそこそこ頑張って、いくつかの舞台に出るくらいにまでなったそうだが、そんな時に俺を妊娠した。父親のことは知らない。どこの誰だかも、人種も、民族も。配役をチラつかされて騙されたのかも知れない。それとも彼女の言った通り、熱いラブロマンスがあったのかも分からない。だが、俺を産むことによって、彼女が夢を断念せざる得なくなったのは事実であって……そして彼女は帰国した。


 でも、帰国しても家出同然で逃げてしまったために引っ込みがつかなかったんだろう。母は家に帰らずに、一人で俺を育てることにした。俺の覚えている母の記憶は、とにかく明るい人で、いつも周りに誰かがいた。歌と踊りが大好きで、友達に囲まれては、彼らのダンサーとして明るく振舞っていた。その反面、俺にはきつくて、よくバレエやダンスの稽古で失敗すると、人目を憚らずに怒られた。多分、俺に自分の夢を重ねて見ていたんだろう。その頃の記憶は正直あんまり思い出したくないし、正確ではないと思う。


 彼女はいつも人を連れていたけど、今思えばいつも相手は男だった。友達に囲まれていたはいたけど、喜ばれてるというより母に呆れてる感じで、みんな派手でどこか厭世的な雰囲気を漂わせてた。母が機嫌がいい時は、いつもアルコールの臭いがしたし、明るく見えたのも浮き沈みが激しいだけだったように思う……大きくなってからもお祖父ちゃんたちは教えてくれなかったから、はっきりとは分からないが、多分、娼婦だったんだろうね。だから俺はそういう人たちを軽蔑しないし、ちょっと変わってるけど、根っこは普通の人達なんだって思ってる。でも、母はそうじゃなかったらしい、ある日酒の力を借りて飛んじゃったんだ」


 但馬は一旦言葉を切り……深呼吸をしてから続けた。それは思い出したくない出来事だったが、今は不思議と冷静に受け入れられた。


「何しろ、小さいころの話だから、その後何があったかは記憶も断片的でよく覚えてない。ただ、母の友達から彼女が死んだことを伝えられ、良くわからないまま警察でぼんやりしていたら、自分の祖父母だと名乗る人たちがやって来て、俺は彼らに引き取られることになった。特に感慨も無かったなあ。


 お祖父ちゃんの家に引き取られた俺はかなり安定していたかな。初めはすごく暗くって、いつも邪魔にならないように部屋の隅っこに座って目立たないようにしてた。お祖父ちゃんたちはそれを嫌がったけど、そのうち何も言わずに好きにさせてくれた。

 

 家にはグランドピアノとアップライトの二台があって、俺がその椅子に座っていると、お祖父ちゃんがやってきて良くピアノを弾いてくれたんだ。いろんな曲を弾いてくれたけど、俺が特に好きだったのは、ブロードウェイのミュージカル曲で、要はお母さんの記憶が引っかかっていたんだろうね。お祖父ちゃんにせがんでは、よく聞かせてもらった。


 そのうち、自分でも弾きたくなって拙いながらも鍵盤を叩いてたら、お祖父ちゃんが教えてくれるようになった。彼は本当に辛抱強くて、何度やっても上手く行かない俺に対しても、一言も怒ること無く優しく教えてくれた。お陰で俺は中学に上がる頃にはすっかりピアノが得意になって、でも、それはお祖父ちゃんが厳しく育てたという母に対する行為の反動だったんだろう。お祖父ちゃんは俺が中学二年の頃……丁度アーニャちゃんが俺と出会った歳と同じ時に死んじゃったんだけど、彼は死ぬ間際にピアニストにだけはなるなって言って息を引き取った。母が死んだ時も泣かなかった俺は、この時ばかりは本当に泣いた。おじいちゃん子だったんでね……


 で、まあ、お祖父ちゃんとの約束もあって、俺はそれっきりピアノをきっぱりと止めた。もう自分に残ってる肉親はお祖母ちゃんだけだったんだけど、うちはそこまで裕福じゃなかったから、生活を切り詰めていくしかなかった。お祖母ちゃんは、お祖父ちゃんの遺産と自分の年金で、俺に大学までいかせてくれるって言ってくれたんだけど、俺はそれは申し訳ないから、高校に入るとバイトを始めて家計を助けることにした。でも高齢だったお祖母ちゃんが倒れ、介護が必要になるとそれもままならなくなった。そんで介護の傍ら、仕方ないから勉強を始めたんだけど……意外と向いていたらしくってさ。これなら大学進学も夢じゃないと思うようになると、今度は少しでも良い大学入って、良い会社に就職して、お祖母ちゃんを喜ばせたいって思うようになった。


 それには学費が少なくて済む国立がいいだろう? ただ、そうすると受験勉強の範囲が広くなるから、俺は寝る間を惜しんで勉強するようになった。学校行って、介護して、夜遅くまで勉強して、とにかく必死だった。それで念願かなって良い大学へ進学する算段もついてきたんだけど……受験日が近づくに連れて、お祖母ちゃんの容態が悪くなっていった。元々高齢で体も弱かったから、一度体調を崩すと後は早くって、日に日に弱っていくお祖母ちゃんの介護で、俺はくたくたになり、ついには彼女に怒鳴り散らす有様だった。これには自分も情けなくなって、後で謝りに言ったんだけど……ほぼ寝たきり状態になってしまったお祖母ちゃんを放ってはおけず、俺は受験を断念せざるを得なくなった。


 でもさ……やっぱ分かるんだろうね。ある日、お祖母ちゃんが気分が良くなったって急に言い出して、それからパッタリとわがままを言わなくなった。受験日の当日なんかは元気が出たからって弁当まで作ってくれたんだ。気を使って無理しているのはわかっていた。それでも俺は嬉しくって、自分のことを優先した……でも、そうして大学受験が終わったらすぐに、お祖母ちゃんの容態がまた急変して……救急車で運ばれていったっきり、彼女はもう家には戻れなかった……


 お祖母ちゃんの葬式を挙げた後、俺に残されたのは大学の入学案内書だけだった。正直、もう生きる気力も目的も無くってさ、どうして良いかわからなかったんだけど、ただ、それは捨てられなくって、結局、なけなしの遺産を使って進学したはいいんだけど、俺は殆ど大学に通ってなかった。日がな一日、ぼんやりと家で過ごすことが多かった。学校行かなきゃって思うんだけど、中々腰が重くって。そうこうしてる内に、あっという間に夏休みになって、こりゃ休学もやむ無しかな……と思っていた時、無茶苦茶な内容のアルバイトの広告を見つけたんだ。


 オルフェウス社にとって、俺は都合が良かったんだろう。天涯孤独の身の上で、そこそこの学力があって、体力もある。アメリカ国籍を持ってて、日本に留まる必要も皆無。死ぬかも知れないミッションをやらせるには、うってつけの人材だった。生きる目的を失っていた俺にもそれは合致した。修行僧のように傷めつけられてるほうが、その時は気楽だったんだ。そして俺は様々なミッションをクリアし、ついに人類初の火星往還船のクルーとしてキュリオシティ01に乗り込み、ベテルギウスの超新星爆発の興奮も冷めやらぬ中、宇宙へと飛び立った」


 アナスタシアは口をポカンとして、ただ唖然として聞いていた。多分、但馬の言うことの殆どを理解できていないだろう。だが、それで構わなかった。但馬は一方的に、自分の身の上に起きた話を語って聞かせた。宇宙船、太陽系、惑星、事故。地球との連絡が取れなくなって、宇宙を漂流し、そして、自分がそこで力尽き、死んだであろうことも。


「これが俺。但馬波瑠という人間の記憶だ」


 但馬は続けた。


「以前、君に、俺の国は見つけたけど帰れないって言ったけど、それはこういうことだったんだ。俺の国……いや日本列島はちゃんとある。このロディーナ大陸から南西へ向かうと、オーストラリアという大陸が有り、さらに西へ進めばインドネシア、ポリネシア、フィリピン、台湾を通って沖縄諸島をたどり、日本列島はその先にある。ただ、そこへ辿り着いたところで、もうそこには日本という国はない。大昔に人類ごと滅んでしまったからね。そこにはもう、ただの島が転がってるだけなんだ……」


 但馬はかつて自分が生きた、日本という国を思い出した。


「ただ平和で、取り立てて面白みもない国だった。狭い国土の中で人がひしめき合ってて、便利な暮らしの中で人々は飽食に明け暮れていたけど、誰一人としてそれを実感することはなく、みんなどこか疲れた顔をしていた。今思えば、糞みたいな国だったけど……」


 だが、今にして思えば、戦争による死の危険もない、腹をすかせることもない、為政者に対する不平不満を声高に唱えたところで、誰に罰せられることもない。夢の様な世界だった。


「帰りたい……帰りたいなあ……帰りたい。帰りたい……」


 但馬は何度も何度もそうつぶやいた。呟けば呟くほど郷愁の念が湧いてきて、どうしようもなく感傷的になっていった。渋谷のスクランブル交差点や、浅草の雷門。地下鉄が張り巡らされていて、まるで迷宮のようだった。

 

 どこへ行っても人混みがあふれていて、満員電車では見知らぬ人と肩をくっつけあって、汗臭くて息苦しかった。夏の暑さは殺人的で、空気が悪く、肌に突き刺さるようだった。冬の寒さは身にしみて、凍てつく大地を踏みしめると、ジャリジャリと音が鳴った。


「帰りたいなあ……」


 まるで黄砂に吹かれたように、思い出が目に染みた。止め処もなく涙が溢れ出してくる。次から次へと、走馬灯のように、かつて自分が暮らした日本という国の光景が脳裏をよぎっては消えていく。

 

 確かに不満もあったけど……それでも自分にとって祖国と言えば、あの日本だった。でももうそれは失われて、今となっては世界中のどこを見渡してみても、あんなに素敵な国は見当たらない。もう、あの日々には戻れない。

 

 失ってみて、初めて気づいた。それは自分にとって大切な故郷(ふるさと)だったのだ。


「俺は多分、このあと死ぬ。そうしたらまた、メディアの世界樹か、もしかしたらもっと別の場所で、同じように俺の記憶を持った何者かが生み出されるかも知れない。そして、そいつは俺や勇者と同じように、中途半端な記憶しか持ってないんだと思う……」


 長いこと話して、そろそろ疲れてきた。但馬はほうっと深い溜め息を吐くと、ヨロヨロと起こしていた体をベッドに横たえた。驚いたアナスタシアがさっと背中に手を入れて、支えきれなくて、覆いかぶさるように顔と顔が近づいた。

 

 彼女の息遣いが聞こえた。


「だから……君は生きて、そいつを探しだしてくれないか。探しだして、但馬波瑠という男が、どんな男であったのか……君の口から教えてやってはくれないか……これが俺の最後のお願いだと思って、どうか聞き届けてはくれないか」

 

 但馬は目を瞑って言った。

 

「今にして思えば、君と暮らしたこの3年間はとても幸せだったと思う……まがい物の記憶だけど、俺の人生の中でも、最高に良い思い出だった……だからどうか、君は生きて、また生まれてくるであろう、どうしようもない俺に、こいつはこんなだったって、教えてやってはくれないか。あいつも少しくらいは満足して逝ったんだって、伝えてはくれないか」


 たっぷりと時間をかけて、自分の中で何度も何度も反芻するように、彼女との思い出を思い返しながら、時に少しにやけたり、時に少し悲しくなったり、苦しくも暖かい、人との触れ合いを思い出しながら、彼は腹の中の空気を全て吐き出すように、長い長い溜め息の後で囁くように言った。声が枯れていた。


「たのむよ……」


 アナスタシアは返事を返すことが出来ず、ただグズグズと鼻を啜っていた。次から次へと溢れ出てくる涙を左右の手で交互に拭い、いくら拭っても尽きること無いそれに苛立つように、乱暴に拭い、時に顔を手で覆ったり、色々と手をつくしてみたけれども、到底制御出来ない感情の起伏についに観念したら、泣きながら、


「うん……」


 と、一言だけつぶやいた。

 

 但馬はそれに満足そうに頷くと、もう思い残すことはないという心境で瞳を閉じた。

 

 意識が徐々に混濁していく。もう間もなく、眠りに落ちるのだろう。次、もう一度目覚めるかどうか分からないし、目覚めた時、自分がまともな思考を保っていられるか分からなかった……

 

 だがもう、良いだろう。満足した。生まれてきて良かった。みんなに出会えて良かった。本当に短い人生だったけど……素晴らしい生涯だった……但馬はそう判断すると、自分を苛む苦しみに身を任せ、病魔に抗うことを放棄して、思考を完全に暗闇の中へと落っことした。

 

 そして彼は、気絶するかのように、ぷっつりと意識を失い……


……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

 

 そして次に目覚めた時は、


「ウホーホーウホー! ヒャッハー!」


 お目目パッチリ気分爽快、未だかつて無いほど快調な目覚めを経験した但馬は、らんらんと輝く目を瞠目しながら、ギュンっと力強く上体を起こすと、朝日眩しいテラスに向かって、ニコニコ笑顔をかましながらベッドからホップ・ステップ・ジャンプした。


 体の奥底から、ものすごい活力が(みなぎ)っており、今ならフルマラソンだっていけそうだった。何というか、一仕事終えた後にバタンキュ~した翌日のような、夏休み前の終業式のような、そんな爽快感が体を支配していた。


 あるぇ? おっかしいぞぅ……自分、死ぬんじゃなかったのか? 確かに、眠る前は、今にも死にそうなくらいに困憊していたのだが……え? なにこれ? 想像妊娠ならぬ、想像ペストだったの? マジで? いやいやいやいや、ありえんて、ちょっと神様、もし居るんなら、少し時間を巻き戻してくれないか……自分、眠る前にものすごくいい感じに酔いしれて、めっちゃ自分語りしてたと思うんだけど……


「死にたいっ!」


 誰もいない部屋の中で、但馬は叫ぶように吐き捨てた。


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― 新着の感想 ―
[一言] ふざけるのもいい加減にしろ(白目)
[良い点] 涙かえせ
[良い点] お?主人公交代かな?と思ったのに草
感想一覧
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