姫さまが嬉しそうじゃないから
アナスタシアとのデートの約束を取り付けた但馬は、なんだか気持ちがふわふわしたまま、みんなの元へと戻った。バレるとからかわれるから知れないから、内緒だよ? と言うと、アナスタシアは無邪気にはにかみながら子供っぽく、うんと返事を返した。その何気ない仕草すら可愛く見えて仕方ない。自分の中のスイッチが切り替わってしまったようだ。
思わず走り出したくなる気持ちを懸命に抑え、もはや頭の中身はアナスタシア一色だったが、まだみんなと海水浴している最中なので、気取られてはいけないと但馬は気を引き締めた。
尤も、引き締めたつもりだったが、その直前まで、アナスタシアと手を繋いで幸せ全快の顔をしながら歩いていたのを思い出すと、自然と顔がにやけてしまうので、抵抗むなしく、ぶっちゃけみんなにはもうバレバレだった。
そわそわしながらも、バレてないと思い込んでる但馬だけが、いつもより必要以上にはしゃいでリオンの相手をしているので、周りのみんなはある程度何があったかを察して、何も言わずに暖かく見守っていてくれているようだった。
「……なあ、先生。ちょっとそこまで来てもらおうか」「なに、朝までには返してやるからよ……あ、エリオスさんも来ます?」
だが、軍人二人組が空気を読んでくれるわけもなく、夕方になってお開きになると、宮殿に帰ろうとする但馬は、5年間の徴兵で屈強になった男たちに取り囲まれて、無常にも軍人たちが屯する港まで連行されるのであった。
数日前にも来た軍港内のパブは今日も賑やかで、楽隊の面子が好き勝手に楽曲を披露しては、それを目当てに集まった酔っぱらいたちに野次を飛ばされていた。
エリックとマイケルがやってくると、ステージの上にいた仲間が彼らのために隙間を作ろうとしたが、彼らは今日は演らないからと言ってそれを断ると、連行してきた但馬を奥のカウンターまで押し込んだ。
何も言ってないのに、目の前に置かれたコップに並々とテキーラが注がれる。
「おい、社長は弱んだから、程々にしてくれよ……」
というエリオスの言葉など耳に入らないと言った感じに、二人は但馬の左右をガッチリと固めると、顔がくっ付くくらい近づけて、
「……で、先生、どうなったの? 詳しく教えてよ」
「ついにアナスタシアと上手くいっちゃったの?」
と、ストレートに尋ねてきた。
ものすごく恥ずかしかったのだが、嘘を吐きたくても顔がにやけてしまって仕方がない。今更、隠すまでもないので、「実は……」と素直に今日あったことを話した。彼らはそれを鼻の下を伸ばしながらフンフンと聞いていたが……話が終わりに近づくにつれて徐々につまらなそうな顔になって行き、
「なんだよ……デートの約束取り付けただけかよ」
「てっきりキスくらいしてるんだとばかり……つーか、先生、アナスタシアと何年一緒に暮らしてるんですか? 奥手にもほどがあるでしょう」
「うわっ……何その言い草。勝手に期待しといて勝手に落胆しやがって。俺はおまえらの玩具じゃないぞ」
「って言っても……なあ?」
「なあ……こないだの今日で進展あったら、普通期待するでしょう。何かあるとしてもこれからかあ」
このチキン野郎と言われてるようで癪ではあるが、
「一緒に暮らしてるからこそ、難しいのもあるんだよ。失敗したら悲惨だぞ。あなたとは良いお友達で居たいの……なんて言われた相手と同じ家に帰るんだぞ?」
「……言われてみりゃ、それ怖いっすね」
「俺なら耐えられないです……」
「だからまあ、マジで失敗出来ないからそっとしといてくれよ」
「いや、寧ろ失敗できないからこそ俺らの出番でしょ。デートって何処行くんすか?」
「シドニアだけど……」
「いきなり泊まりかよ、そういうとこだけガッつきやがって」
「うっせ!」
そんな具合にワイワイやっていると、マイケルが酒場の仲間に向かって叫んだ。
「おーい! みんな、この人、シドニアでデートするんだって。失敗できないから、みんなも知恵貸してやってよ」
「あ、おい、こら!」
訂正するよりも前に耳ざとい酔っ払い連中が大挙して押し寄せてきた。
「なになに? 何の話?」「シドニアだったら、あそこと、あれと……」「これも良いな」「全部、風俗じゃねえか!」
そんなこんなで、結局但馬は酒の肴にされて、その日は夜遅くまで軍人たちのいい玩具にされた。屈辱的ではあったが、代わりにシドニアのデートスポットをたくさん教えてもらえたので良しとしよう……
一方、その頃、アナスタシアも女性連中に捕まっていた。
海水浴から帰って街の中心部でみんなと別れた後、宮殿に帰って但馬と二人で今後の予定をこっそり話しあおうと思っていたアナスタシアは、但馬がエリックたちに連行されていくのを見て、自分も付いて行ったほうが良いのかどうしようか迷ったが、そんな選択肢など無いと言わんばかりに、ガッチリとブリジットとタチアナにホールドされた。
「あの……姫様」
「アナスタシアさん。少々お尋ねしたいですが……」
「大丈夫ですわ、痛くしませんから。ね?」
「その……離して」
「師匠命令ですよ」
そう言われてしまうと弱い彼女は、諦めてブリジットたちに連行されていった。一人だけ何が起きてるか分かっていないリオンが指をくわえて見守る中、ランが彼女らの背後から肩をすくめながら付いて行く。
「まあ! それは素敵ですね。早速おめかししなくては」
宮殿のブリジットの私室に連れ込まれたアナスタシアは、夕食を一緒にしようと呼びにきたジルも加わって、今日の出来事を洗いざらい白状させられた。
みんなには内緒だよと言われていた手前、少しは抵抗しようとしたのだが、そのみんなには言わなくても既にバレていたようで、聞かれたことにイエス・ノーを答えてるだけなのに、殆ど全てを話したのと同じことになってしまった。
カンディアに到着した初日もそうであったが、スタイルの良いアナスタシアを等身大着せ替え人形のように気に入っていたジルは、彼女が但馬とデートするということを知ると、喜々として自分のコレクションでもある綺羅びやかな洋服の数々を出してきた。
せっかくの初デートなんだから、精一杯おしゃれしなきゃと言いながらも、目つきが怖い彼女らを前に、アナスタシアは嫌な予感がして逃げようとするが、そこは百戦錬磨のブリジットから逃れられるわけもなく、あっという間に捕まって、
「いたたたたたた……痛い! 姫様、痛いってば!」
「我慢なさい、この苦しみが女を美しく見せるのです……フンッ!」
「キャアア! 痛い痛い痛いっ!!」
コルセットをギュウギュウと締め付けられ、アナスタシアは涙を流しながら地面をのたうち回った。多分に私怨も入ってるのではと、タチアナが若干引き気味に眺めてる中、拷問のような着付けが続き……
長い時間が経過した。
やがてテーブルマナーを教えるということで、アナスタシアが食卓へと連れて行かれると、ブリジットは一人席を外して、宮殿のテラスからカンディアの海を眺めていた。
島で一番高い建物から見下ろす海はキラキラと輝いていて、まるで星空のように見えた。軍港から照射されるサーチライトが薄っすらとした輪郭を帯びて、遠い大陸の方まで照らして見えた。
頬を撫でる生暖かい風を浴びながら、アンニュイな気分で手すりに持たれていると、背後から気配を感じた。
テラスの入り口にはここ数日で仲良くなったリオンがじっとブリジットの方を見ていて、大人たちの間であぶれてしまって退屈そうにしているのが見て取れた。ブリジットが手招きすると、
「姫様……みんな変だよ。お父さんと、お姉ちゃん、どうかしたの?」
おっかなびっくり近づいてきた彼は、聞いて良いのか悪いのか、でも聞かずには居られないと言った感じに、ソワソワしながら聞いてきた。
ブリジットは彼の目線に合わすために腰を屈めながら言った。
「うーん……そうですね。お父さんとお姉さんが、仲良くなったから、みんな喜んでるんじゃないでしょうか」
「……? お父さんとお姉ちゃんは、ずっと仲良しだよ」
「より一層仲良しになったと言いますか」
するとリオンは聞きづらそうに、
「……結婚するの?」
と尋ねてきて、ブリジットはその言葉に、どきりと心臓が高鳴った。
「……そうですね。もしかしたら、そうなるかも知れません」
「ふーん……」
「嬉しくないんですか?」
「うん……姫さまが嬉しそうじゃないから」
言われてブリジットは言葉に詰まった。自分は今、どんな顔をしているのだろうか……リオンは、みんなが仲良しの方がいいと言うと、つまらなそうに去っていった。今日はもう、誰も遊んでくれないだろうから、一人で部屋に戻ったのだろう。
夜風がテラスに吹きつけて、彼女のやわらかい髪を靡かせた。ほっぺたに張り付いたそれを剥がすつもりで、ブリジットは腕を上げると、指でギュッと頬をつまんでみた。
本当に、どんな顔をしてるのだろうかと思いながら、指でマッサージするかのように左右に引っ張っていたら、またテラスの入り口に誰かの気配がして、顔を上げたらアナスタシアが立っていた。
ジルのドレスを着せられた彼女は、自分なんかよりもずっと本物のお姫様のように見えた。
「……姫様」
「どうかしたんですか? あっ、二人が厳しいから逃げてきたんでしょう。今日は駄目ですよ。幸せな人は、みんなにからかわれるべきなんです」
「あのね、姫様。ごめんなさい……」
ブリジットの軽口に対して、アナスタシアは神妙に謝ってきた。どうしたんだろう? と思って、ブリジットは姿勢を正し、彼女の言葉の続きを待った。
「私は……姫様が先生のことが好きなのを知っていたのに。なのに、自分の気持ちの方を優先した」
ブリジットは胸がズキリと痛むのを感じた。
「こんな私なんかに、とても優しくしてくれたのに……たくさんの物を与えてくれたのに、自分のことばっかり考えてた。謝って許して貰えるとは思ってないけど……でも、それでも、この気持ちに嘘は吐きたくてなくて……」
逆だろうとブリジットは思った。仲良くなったからこそ、譲ってはいけない気持ちがあるのだろうと。もしも、彼女が自分の気持ちに嘘をついて、但馬の求愛を拒否していたら、自分は許さなかっただろうと思った。
しかし、彼女はそんな気持ちなどお首にも出さずに、ニッコリと笑うと、
「馬鹿ですねえ、アナスタシアさんは……」
ビクリとアナスタシアの肩が震える。
「そんなことを気にしていたんですか?」
夜風が勢い良く吹き付けて身に沁みる。耳元でざわざわ音が鳴って、上手く言葉が伝わらない気がした。ブリジットはアナスタシアの方へ歩いて行くと、彼女の前に立ち、自分よりも背の高い彼女の頭を優しくなでた。
そして彼女は泣きそうな気持ちをギュッと胸の奥にしまうと、出来るだけ優しい声で彼女に語りかけた。
「私は……本当は私は、リリィ様の騎士になりたかったんですよ」
うつむきがちだったアナスタシアの視線が上がった。どうして、今そんなことを言うのだろうと言う疑問と、口を挟んじゃいけないという気持ちで、彼女は揺れていた。
「私のお父様は古今東西に名を馳せた剣豪でして、若いころはエトルリアの剣術大会なんかでも活躍していたから、それはそれは有名な方だったんですよ。だから私は物心ついたころから、ずっとお父様を尊敬してて、彼のようになりたかったんです。
小さいころの私は、なんといいますか傲慢で、お父様から受け継いだ才能にあぐらをかいていました。努力しても中々強くなれない兄さんを馬鹿にして、私には鍛錬や修行など必要なく、時期がくれば勝手にお父様のようになれると信じていたんです。
そんな時、本国……じゃないか、もう。エトルリアからリリィ様が湯治にやって来まして、私は本物のお姫様に会えるんだって、すんごく喜んだんですよ。自分だってそうなのにね……うふふ。でも、その頃の私は、自分がお父様のような剣士になるんだってことしか考えられなかったんです。
リリィ様がリディアへやってくると、私はその日の内に彼女を連れだしてしまいました。リリィ様はお体の弱いお方で、そのための湯治だったのですが、そのせいで大変不自由な生活を強いられており、傍から見ている分には彼女が気の毒に思えて仕方なかったんですね。それで、私は隙を見てリリィ様を連れだして、彼女の騎士のつもりになって、街を案内したんです。
それはとても楽しい時間でした。リリィ様はあの通り、こだわらない方でしたから、出会ったばかりの私にも優しくしてくださいまして、私はそれが誇らしくて、近衛たちの目を掻い潜り、必要以上に彼女を連れ回してしまったかも知れません。
夕方過ぎに王宮へ帰ると、私はとても怒られました。そんなのは日常茶飯事だったので、大して気にも留めなかったのですが……ですが、そんなことよりショックだったのは、リリィ様がその日の夜に熱を出して寝込んでしまったことでした。
私はその時になってようやく、彼女の体が弱いことを知ったのです。それどころか、目が見えないことすら気づかなかった。二人で遊んでいるときの彼女はとても楽しげで、そんな素振りは見せなかった。私は不自由な生活をおくるリリィ様を楽しませるつもりで、実際には彼女のほうが私の欲を満たしてくれていたのです。
私はその時、なんて自分が浅はかだったのかって思いました。お父様に折檻されてる最中、本気で泣いたのはあの時が初めてだったかも知れません。
そして、そのことが切っ掛けで、私はそれまでの父の真似事をするだけの子供じみたごっこ遊びはやめて、リリィ様のための騎士になれるように、精一杯努力が出来るようになったのです」
そのことが皮肉にも、ウルフとブリジットに決定的な差を作ったのであるが……元々才能のある彼女が、才能にあぐらをかかずに鍛錬した結果、リディア王家の聖遺物は彼女に託され、そして彼女は国に縛られることになった。
「ですが、リリィ様の騎士になりたいと思っても、大きくなる内にわかってくるんですね。私たちは国が違う、背負っているものが違う。リリィ様は皇国の皇女様でしたし、私はリディアの王位継承者、そんな私がリリィ様の騎士になるなんて言うのは、口にするのも憚られる行いでした。
父が死に、母が暗殺されて、国がおかしくなっていく中、私はかつて夢に描いたものを捨てざるを得ませんでした。そして、私のリリィ様の騎士になろうという思いは、リディアのために使うべきだと思うようになったのです。
でも、そんな時に出会ったんです」
どんな神話の勇者にだって真似できない圧倒的な力を持ち、誰も知らない知識を惜しげも無く人々に授け、世界の端っこの小国に過ぎなかったリディアを、世界有数の国家へと押し上げた神様みたいな人だった。
「私は、先生の騎士になりたかったんですよ。アナスタシアさんはもしかしたら知らないかも知れませんが、あの人はとても凄い魔法使いで、その力はエルフだって敵わないのです。それを目の当たりにしたとき、私はこの人にお仕えすべきだって、はっきりとそれ以外に考えられなくなったんです」
「……先生が魔法使いだって話は聞いてるけど……」
「それで良いんだと思いますよ。あなたは何も知らずに、あの人のことをただ普通に好きになった。私とは違う。だからあなたが選ばれたんだと思います。ただ、もしお願いを聞いてもらえるなら……」
胸が張り裂けそうだった。だが、ブリジットは精一杯の笑顔を作って、決してアナスタシアに悟られまいと努力した。
「私は先生の騎士になれませんでした。願わくば、あなたが騎士となって、今後の先生を守って差し上げてください」
アナスタシアはその言葉に心を打たれ、自然と涙がこぼれるのを感じた。彼女は自分の師匠でもある姫様を、ギュッと抱きしめた。
「……ごめんね? ごめんね、姫様」
「もう……せっかくのドレスが台無しですよ? それに、私が欲しいのは謝罪の言葉じゃありません」
「はい……姫様。私が姫様に代わって、絶対に先生のことを守り抜きます」
「……はい、お願いします。うふふ……多分、あの人、これを聞いたらいつもの調子でがっくり項垂れちゃうんでしょうね」
そう言ってブリジットが笑うと、釣られてアナスタシアもおかしくなってきて、二人して声を上げて笑った。それが心底楽しげで、それを聞いた者達はみんな幸せな気分になったが、その実二人の表情は対照的で、ブリジットはどこか寂しげで、アナスタシアは涙でくしゃくしゃだった。