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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第四章
125/398

男女の仲には何の役にも立たないだろう

 アナスタシアの気持ちを聞いてみたい……とは言え、聞くタイミングが掴めず数日間が経過した。


 晩餐会の出席者は概ね国へと帰っていったが、ウルフは手応えを感じているようだった。


 仮に今回の出席者の誰かが、やはりアスタクス方伯を裏切れないと言ったとしても、目的は敵の分断なので、晩餐会へ使者を送ってきた段階で気持ちは揺らいでおり、目的は達していたと言えるだろう。


 少なくともジルの実家は既に離反を公言しており、その周辺諸国も流れには逆らえずに彼を支持し、小さいながらも連合の結成は現実味を帯びていた。あとはフリジアを引き込むことが出来れば、イオニア海の全ての主要港を抑えることが出来、アナトリアの制海権は盤石のものとなるはずである。


 尤も、やはり南部諸侯間の長い付き合いからか、中々結論を出せずに迷っている貴族もちらほらいて、その使者は国へ帰れず長期逗留を余儀なくされているようだった。そして、不気味にも、ヒュライア男爵令嬢もその中に残っていた。


 彼女自身の動向もさることながら、フリジアもまだ結論を出しかねている様子で、予断を許さない感じである。フリジア子爵は現在ビテュニアにおり、アスタクス方伯の庇護下に置かれているので、かなり厳しい駆け引きを強いられているのかも知れない。


 尤も、そんなことはもう但馬には関係なく、晩餐会に出席した段階で義理は果たしたといえるであろう。後はウルフに任せて考えないようにしていた。


 それより、当初の目的は家族サービスだったのだ。


 貴族同士の駆け引きなんかより、遊ばにゃ損だとばかりに、但馬達はカンディアを満喫した。


 初めはヘラクリオン周辺の散策から始まり、海水浴や釣りを行っていたが、やはり観光地ではないのですぐにやることが無くなってしまい、仕方ないので足を伸ばしてカンディア第二の都市シドニアまで一泊旅行に行くことにした。


 旅行と言ってもシドニアはそこまで遠くもなく、馬車で3時間程度の距離にあったのであるが、観光地としては圧倒的にこちらが上で、更に街の規模も首都のヘラクリオンと比較しても、比べ物にならないほど大きくて、どうしてこっちに宮殿を建てなかったのかと面食らうほどだった。


 シドニアは買い付けに来る商人たちの商館がまず建てられ、次いでバザール目当ての観光客用のホテルが次々建てられて、そして現在は貿易港のみならず、リゾートとしても成長を続けていた。


 但馬たちはそんなリゾートホテルのスイートルームを借りて、シドニアの街で大いに遊んだ。


 午前中にヘラクリオンを出て、到着してから日が暮れるまでバザールを見て回ったのだが、それでも半分も見きれなかった。雑多に賑わう街の景色はローデポリスとは違って、エトルリア色が強く、いくら見てても飽きない。散々露店を冷やかしたり食いだおれたりしても、翌日にはまだ見るところがある。多分、観光地としてはもうアナトリアで一番の街なのではないだろうか。


 本当は、フリジア戦役がなければ、そちらからの商人や観光客が沢山来ていたはずなので、普段の人混みはもっと凄いそうだ。露店のおっちゃん相手にそんな話をしていたら、隣にいたアナスタシアが、その時はまた見に来たいなと言っていた。


 翌日。ウルフの宮殿に戻ると、置いて行かれたタチアナが不貞腐れていた。


 ヘラクリオンへ戻ったのは夕方だったが、移動で疲れていたので今日はもうゆっくりしようと言うことで解散し、但馬は一人、コーヒーでも飲もうかと1階のロビーまでやって来た。


 すると貴族の夫人方と共にお茶会をしていたタチアナが、丁度お開きになっていたようだったので声をかけたら、彼女は唇を尖らせ、ジト目で但馬のことを恨みがましく睨みつけてくるのだった。


 聞けば、但馬たちだけシドニアで遊んできてズルいだとかなんだとか。


 彼女はあの日以降、エトルリア貴族の覚えが良くなり、しょっちゅうお茶会に呼ばれては接待する日々を送っていた。元々、善人の上に育ちがよく礼儀正しいので、とにかく夫人連中にモテたのだ。


 彼女の目的はコルフとエトルリア南部諸侯の友好、ひいては独立国家間の連合であるため、呼ばれたら断ることが出来ず、但馬たちが遊んでる間もずっと仕事で、悔しそうにほぞを噛んでいた。


「って言っても、それが仕事だろう?」

「それはそうですけど……(わたくし)だって、みなさんと一緒に遊びたいのですわ」


 臆面もなくそう言ってのけるのはどうかと思うが、確かに、いくら品が良くてもオバサン連中と連日お茶会をさせられていてはストレスも溜まるだろう。


「それじゃ、明日、海水浴行くけど、タチアナさんも来る? 俺の男友達も来るんだけど……」

「行きます!」

「即答かよ……そういや、水着作らないと無いんじゃ……」

「持ってます!」

「……持ってるのかよ」


 この人、ここへは外交のためにやって来たんだよな? と思うも、きっと言わぬが花だろう。


 それじゃあそういうことで、明日の朝迎えに行くと言うと、タチアナは喜々としながら去っていった。公務の邪魔にならないようにと気を配っていたつもりだったが、もう少し誘って上げたほうが良かったのだろうか。


 そういえば、コルフ組はランもあれきりご無沙汰なのだが、彼女の方は何をしているのだろうか。お茶会面子には入ってなかったようだし、あちらは逆に相当暇しているのでは……後で一応訪ねてみようかと思い、そのことを手帳に書き記しながら、テクテク歩いて行くと……


 ドンッ! っと、誰かにぶつかって、


「あ! すみません! よそ見して……げっ!」


 謝ろうとした相手がヒュライア男爵令嬢であることに気がついて、但馬は相手が目の前に居るにもかかわらず、うっかり舌打ちしてしまった。


 途端にサーッと血の気が引いていく。


 やばい。今のは露骨過ぎた……女のイジメっ子って、報復が怖いんだよなと思うと、もう気が気でなく、但馬は後退りながら、出来るだけ平静を装って、


「大変失礼いたしました。では、私はこれで……」


 とさっさと退散しようとしたが、振り返ろうとした瞬間にガシっと肩を捕まれ、次の瞬間には腕をガッチリホールドされ、グイグイと胸を押し付けられていた。


「あら~! 准男爵ではございません? こんなところでお会い出来るなんてえ、奇遇ですわ~」

「え、あ、そうですね」

「ここで会えたのも何かの縁。よろしければお茶をご一緒しませんこと?」

「あ、いや、でも僕、これから用事があって……急いでますんで」

(わたくし)、仲良くしていたお友達ともこのところご無沙汰でして、せっかく素敵な宮殿にご招待して頂けたというのに、退屈で退屈でしょうがないの」

「あ、そ……そうですね。お茶くらいなら……」


 行きつけのキャバ嬢に同伴を求められる個人商店のおっちゃんのごとく、腕を絡め取られた但馬は渋々彼女に従って、人の居なくなったラウンジへと引っ張りこまれた。


 ヒュライア男爵令嬢は、流石に例の事件があるまで晩餐会の女王をしていただけあって大変見栄えがよく、我が強そうでありながら花のある美貌が、娼婦のように艶やかな微笑を湛えながら、それでいて恋する処女(おとめ)のように頬を染めると言う、並の男だったらそれだけで簡単に恋に落ちてしまいそうな、実に良い笑顔を披露してくれた。


 1階ラウンジは先程までタチアナがお茶会で使っていたが、彼女たちが居なくなると静かなもので、辺りには人影が見当たらない。2階から誰か降りてこようとしていたが、そこに但馬と男爵令嬢が居ることに気づくと、わざとらしく忘れ物をしたというジェスチャーをしてから去っていった。


 ラウンジに連れ込まれた但馬はどすこいどすこいと奥までうっちゃられ、恐々としながらソファに座ると、彼女はそのすぐ隣に、おまえそれ膝に乗っかってない? ってくらい密着して座った。いや、正面にもソファがあるでしょ、そっち座ってよと言うと、彼女は頭をコツンとやってからテヘペロし、やだ、あたしったらはしたなーい、などと言いながら、気持ち半歩だけ横にずれた。


 怖い……


 全力で雌の香りをプンプン匂わせてくる令嬢に尻込みしつつ、やってきたウェイターに紅茶を頼む。職業倫理の塊みたいな彼が何も見てはいないと言うすまし顔で注文を受け取り去って行くと、辺りには誰もいなくなり本当に二人きりになってしまった。


 すると令嬢は、女が但馬以外のイケメンを見つめるときに見せる顔をしながら、但馬の胸の乳首の辺りをグリグリしつつ、


「あのね、准男爵さん? 晩餐会の席ではごめんなさいね? うちの使用人がちょーっと気が利かないばっかりに」

「……いえ、もう気にしてませんから」

「うっそ~! やっさし~……それでね? 話は変わるんだけど、メグ、准男爵さんにちょっとだけお願いがあるの……」

「メグ……? 誰? ホンジャマカ?」

「誰よそれ……もう。メグはメグ。准男爵さんの、コ・コの中に、住んでる女の子のことだぞ」


 と言って男爵令嬢は但馬のB地区を指先で的確にナイスショットした。


「あふんっ!」


 但馬は思わず仰け反った。何すんだこの女と、流石にこれには抗議の声を上げようと思うも、先程までは妖艶な娼婦のような顔をしていたくせに、気がつけば今はあどけない少女のような顔をしていて、但馬は毒気を抜かれた。


「メグ……あれからすっごく反省したの。本当はみんなとまた仲良くしたいんだけど、タチアナ様が意地悪くって、メグのこと仲間に入れてくれないの。だから~……准男爵さんからも、お願いしてもらえないかしら~?」


 怖い……


 それにしても表情をコロコロと変える女である。並の男ならイチコロではないだろうか。但馬だって、もし彼女が限りなくDに近いCカップ(推定)でなければ、今頃コロッと騙されていたかも知れない。


 男爵令嬢はどうやら関係改善のために、タチアナのお茶会に参加したい様子である。そういえば、先ほどタチアナと別れたらすぐに現れたが、もしかしたら彼女らの動向を遠くから探っていたのかも知れない。


 そんなことしなくても、タチアナに頭を下げたら普通に仲間に入れてくれそうなのに、どうして自分のところへ来るんだよと辟易しつつ、


「あ、あのさ……話は分かったから。取り敢えず、もうちょっと離れてくんない? こないだの夜の失態を挽回したいんだろ? どうして俺のとこに来たのか分かんないけど、そういう事なら、普通に謝って貰えれば、普通に許したんだけど……」


 すると令嬢は色仕掛けが効かないと悟ったのか。顔中の筋繊維が全てプッツンと切れてしまったかのような、実にフラットな表情へと変わった。


 怖い……人間がしていい顔じゃないぞ。


「ああ゛~? ちっ……どうしてあたしがあんたみたいな男に頭下げなきゃなんないのよ。ふざけてんの?」


 すると令嬢はそれまでと打って変わって、ソファにふんぞり返ると横柄な態度で但馬を見下すような目つきで言い放った。


 うわっ……これが素の表情なのかと戦慄するも、イメージ通りだったのでこっちの方が落ち着いた。


 但馬が思わず苦笑を漏らすと、それが気に喰わないのか、彼女はまたチッ……と舌打ちしてから、ポーチの中から紙巻たばこみたいな何かを取り出し……


「……火」

「……え?」

「火よ。気が利かない男ね」

「あ、はい」


 ヤクザかよ……そう思っても顔には出さずに、但馬は持っていたマッチで火をつけた。令嬢は多分マッチを見るのは始めてだったのだろう。一瞬目を丸くしてマジマジと炎を見つめた後、気を取り直した感じに紙巻たばこに火をつけた。


「ふ~……スパー……ふ~……スパー……ああ゛~、効くわ゛~……」

「……あの……メグ……さん? 一体何をお吸いになられてるので……」

「あ゛あ゛ん゛!? 誰がメグって呼んでいいっつった?」

「す、すんません……なんてお呼びすれば……」

「マルグリット。マルグリット・ヒュライア」

「はぁ……マルグリット……様」


 いや、マジでこいつ何吸ってんだろう……思わずごくりと生唾を飲み込んでいると、職業倫理の塊みたいなウェイターがまたやってきて、注文していた紅茶とハーブティーを置いて、顔色一つ変えずに、


「ごゆっくり、おくつろぎください」


 と言って去っていった。あいつすげえな……スカウトして帰ったらウルフに怒られるんだろうか……


 そんな風にウェイターを羨望の眼差しで見送っていたら、無視されたと思ったのか、マルグリットがガシっと但馬の向こう脛を蹴り飛ばしてきた。


「いたっ! いっ……たああ~……なんで蹴るの!?」

「あたしもさあ……こんな田舎貴族のパーティなんかで、まさかこのあたしがトチるなんて思わなかったわけよ」

「え? あ、はい……」

「こう見えてもアクロポリスの社交界じゃブイブイ言わせてるわけ。抱かれた貴公子の数は両手じゃ数えきれないわ。子爵様から直々に頼まれなきゃ、こんなど田舎来るわけないじゃない」

「え、あ、そうなんですか……」

「それが何よ、ほんのちょっと猿みたいなのをからかってやったらこの仕打ち。あんた一体何様なの?」

「え? あ、すみません……あれ? なんで俺怒られてるの?」

「普通さあ、あれくらいで怒る?? 自分のことじゃないのに。ブリジット様がお怒りになられてから、あたしずっと逆境よ! 関係改善しようにもあのタチアナとかいうのが邪魔してくるしさあ!」

「タチアナさんが? そうなの?」

「そうなの! アナトリア人とはともかく、エトルリア貴族とは関係改善しなきゃなんないでしょ? 今はあいつが牛耳ってるから、だから、わざわざこっちから出向いてやってるのに、あなたと仲良くしてると但馬様に怒られますぅ~……とかなんとか顔真っ赤にして拒否りやがって……プルプル震えてるくせに生意気に……あ゛あ゛~……思い出しただけでムカムカする……ふ~……スパー……ふ~……スパー……」


 いまいち要領は得ないが、どうやら元々仲の良かったエトルリア貴族との関係修復のために、タチアナのお茶会に参加しようとしたが断られたといったところだろうか……きっぱり拒否するとは、タチアナにしては頑張ったな……と思ったが、良く考えてみると、但馬を口実に断ってるだけだから、怒られるのは但馬だけじゃないか。


「あの女……許せないっすね」

「でしょ!? ……あんたもそう思うでしょ!? なによ、話せるじゃない、あんた」

「あいや……」


 なんで意気投合してるんだ? とにかく、


「なんとなくわかってきたけど、あんたとしては、エトルリア貴族と仲直りしたいんだが、タチアナさんが邪魔するから、俺になんとかしてくれって言いに来たってわけ?」

「そうよ。あんた、なんとかしなさいよ」

「つってもなあ……あんた、さっきから散々上から目線で俺に当たり散らしてるけど、そもそも、あんたがうちの家族を侮辱したのが切っ掛けだってわかってる?」

「はあ?」


 するとマルグリットは鼻で笑って、


「家族って、公爵様が話を盛ってたようだけど、あんたまで慈善家ぶるわけ? そんな話、信じるわけないでしょ。女買っておいて、今更格好つけないでよ」


 流石の但馬もこれにはカチンと来た。


「おまえが信じられないのは勝手だがな。口の聞き方には気をつけろ」

「はあ?」

「あの子は俺の大事な家族で、誰憚ること無い真っ当な道を歩いているんだ。俺は確かにあの子を買った。だが、その金は全てあの子自身が働いて返してくれることになっている。言うなれば彼女が彼女自身を助けたんだ。独立した一個の人間に対し、憶測や勝手な噂を根拠に侮辱するなんてことが、許されるわけがないだろう」

「……なによ……」


 令嬢も令嬢で、社交界で揉まれてるお陰で機を見るに敏と言おうか、但馬の様子が変わったことをすぐに悟ったようだった。だが、それですぐに謝れないのも彼女の性質なのか、ぷいっと顔をそむけると、


「フンッ……あんたにとって、そんなに大事な子だなんて知らなかったんだもん。あたしは悪く無いわよ」

「悪いに決まってんだろ。謝らないなら話はここまでだ。お嬢様のお遊戯に付き合ってる暇は無いんでな、そろそろ帰らせてもらう」

「ああ! もう! わかったわよ! 謝れば良いんでしょ、謝れば! ご・め・ん・な・さいっ!!」


 するとマルグリットは不貞腐れたように言った。だが悔しくて仕方ないらしく、小さな声でまだグズグズと文句を言っていた。


「……女に謝らせるなんて、紳士の風上にも置けないやつね……ブリジット様は、どうしてこんな奴がいいのかしら……」

「何か勘違いしてるようだけどね。それこそ公爵が盛った嘘だぞ。ブリジットは俺が怒ったから怒ったんじゃなくて、友達が侮辱されたから怒ったんだ」

「……?」

「アナスタシアは彼女の友達なんだよ。いや、友達っつーか、師弟関係? みたいな感じ?」


 但馬がそう言っても、彼女は初めのうちは何を言ってるのか分からない感じだった。だが、徐々にその意味がわかってくると、


「え!? ……だって、彼女って……あれでしょ? あの修道院に居て……その」

「そうだよ。今更隠すつもりもない」

「なのに、ブリジット様のお友達なの? 彼女はそのことを知ってるわけ?」

「ああ、そうだよ」


 但馬がそう断言すると、彼女は唖然としたあと、毒気が抜かれたような表情を見せた。今までいろんな表情を見せてくれた彼女だったが、但馬にはそれが一番魅力的のように思えた。素に戻った彼女は、ウンウンと頷くと、感嘆のため息を吐いた。


「はぁ~……ブリジット様は凄いわね」

「……? まあな、凄いかもな」

「そういう事なら、あたしの方が間違っていたわ。機会を作ってくれるなら、彼女に正式に謝罪してもいいわよ」

「そんなことしてくれなくていいから、寧ろ放っておいて欲しいんだが」

「嫌われたものね。でも、こっちだってそういうわけにはいかないの。このまま国に帰ったんじゃ、子爵様に無能の烙印を押されちゃうから。うちだってピンチなのよ」


 はっきり言って知ったこっちゃ無かったが、ここで突き放してもしつこいだけだろうし、取り敢えず話だけは聞いてやることにした。


「じゃあ、とにかく、エトルリア貴族と関係改善するために、お茶会に出れるように出来ればいいわけ? そんならタチアナさんに言っとくけど」

「そうね。そうお願いするわ」

「いや、だが待てよ? どうして俺がそんなこと聞かなきゃならんのだ」

「なによ、ケツの穴が小さいボーイね。見返りに何かほしいってわけ?」


 別にそんなつもりは毛頭なかったのだが、こうなっては寧ろ貰わない方が釈然としない。但馬は何か無いだろうかと頭を巡らせて、レベッカが謝りに来たとこのことを思い出した。


「そういや、おまえに会ったら一言文句言って置かねばならんと思ってたんだ」

「なによ?」

「使用人の扱いをもう少しどうにかならんのか?」

「あら? うちのが何か粗相でも?」

「逆だ! 逆! おまえが追い詰めるから、いつ見ても辛そうにしてて、可哀想になるだろうが。もう少しやさしく出来んのか。殴ったり、置いてけぼり食らわしたり、一人で謝罪にいかせたり……」

「使用人なんだから、それくらい当然じゃない」


 当然じゃないから言ってるのだが……言っても多分埒が明かないのだろう。但馬はピクピクするこめかみを指で抑え、溜め息を吐くと言った。


「もういい。それじゃ言い方を変えよう。おまえんとこの使用人を俺にくれ。そうしたら、おまえの言うとおり、タチアナさんに便宜を図ってやってもいい」


 アナスタシアの友達が不幸に遭ってると思うと気の毒だ。どうせ言っても聞きそうにないのであれば、自分が引き取った方がマシだろう。あの扱いを見てれば、彼女も惜しいとは思わないだろうし……しかし、返答は素っ気ないものだった。


「そんなの駄目よ」

「なんでだよ!? 別に大事にしてるわけでもないんだろう?」

「寧ろ邪魔なくらいよ。でも駄目。あの子は皇国から預かった孤児だから、勝手なことは出来ないわ。うちがアナトリア人に売り飛ばしたってことになっちゃうでしょ?」


 レベッカはリリィのお取り潰しの一環で、修道院から解放された孤児だった。それを貴族に面倒見させているわけだから、彼女が今現在、どこで何をしているのかは追跡調査されていると言うことか……


 リリィに直接頼めば何とかなるだろうが……今はアナトリアとエトルリアは戦争中。気軽に会いに行くというわけにもいかない。手紙を送るか……いや、これだってちゃんと届くか分からない。但馬は歯噛みした。


「……うーん。じゃあ、せめてもう少し優しくしてやれよ。友達とまでは言わないが、近所の人くらいの感覚で……おまえの使用人に対する仕打ちは酷すぎる」

「そうかしら? 普通じゃない?」

「普通じゃねえから言ってんだよ。どうすんだ? こっちの要求を聞くか聞かないか。聞かなきゃ便宜も図らないが」

「聞くわよ。聞くしか無いじゃない。あの子に優しくすればいいのね、それくらいお安い御用よ」

「……ホントかなあ」


 自分で言っておきながら確かめようがないことに、但馬は落胆しつつも、他にしようもないのでそれで受け入れることにした。タチアナは嫌がるかも知れないが、少なくともマルグリットのアナスタシアへの偏見は消えたようなので、この辺で手打ちにしとくのが無難だろう。


 但馬はヤレヤレと思いつつ、先に上へ上がっていったタチアナに事情を説明するため、ラウンジを出て階段を上がっていった。




 マルグリットはラウンジに一人残り、優雅にお茶を飲んでいた。ウェイターがやって来て、ポットのお湯を取り替えていく。


 エトルリア諸侯から距離を置かれた時は、一時はどうなるかと思ったが、これでなんとかなるだろう。まだ修復が完全に終わったわけじゃないから、これからが大変ではあるが、少なくとも取っ掛かりだけはつけられた。


 但馬という男については噂程度には聞いていたが、思った以上にアナトリアにとっての要人だと知って驚かされた。だが知った時にはあとの祭りで、たかが商人と侮っていた相手に、大分辛酸を舐めさせられた感がある。


 彼の発明や会社の商品に多くの人々が惹きつけられているそうだが……だがその価値が彼女にはわからなかった。そりゃ照明だの冷蔵庫だの、さきほど見せてくれたマッチのような物は確かに便利そうであるが、それだけだ。男女の仲には何の役にも立たないだろう。


 大体、面倒くさいことは使用人にやらせればいいのだから、そんなものがあろうが無かろうが、マルグリットの生活は何も変わらない。なのに、みんながあれを褒めそやす理由が彼女にはわからなかった。


「……お嬢様。お迎えに参りました」


 レベッカが主人を迎えにやって来た。但馬が帰ったら迎えに来るように言い含めておいたのだ。マルグリットはそれを見ると、いつものように手荷物を放リ投げて寄越そうとしたが……


 優しくしてやれ。せめて近所の人くらいの感覚で……


 そう言われたことを思い出し、近所の人ってどのくらいなのかしら……と首を捻った。自分の屋敷の近所といえば、使用人と領民の家しか無い。それじゃ結局今までと同じじゃないか。


 ……多分、もう少し違う意味なんだろうけど。


「難しいわね……」


 彼女はそう独りごちると、手荷物を自分で持って立ち上がった。


 レベッカはいつもと違う主人の態度にオロオロしながらついてきた。普段なら嫌味の一つも言って、手荷物を放り投げて寄越すのに、どういう風の吹き回しだろう……


 そんな態度はマルグリットを苛々させたが、さっき約束したばかりなのに、もうそれを反故するわけにもいかず、彼女はぐっと我慢した。それにしても、どうしてこんな子に優しくしなければならないのだろうか……


 そういえば、以前、別の晩餐会で出会った男の中にも、自分ではなく使用人のレベッカに色目を使う者が居た。そいつも但馬と同じように彼女が可哀相だとかなんとか言っていたような……思えば、男の中にはこういう何も出来ない、弱い女を好む者もいたっけ。


「ははーん……なるほどね」


 優しくしろとは、つまりそういうことか……マルグリットは疑問が氷解した。


 なんやかんや言ってたけど、あの但馬とかいう男もそうなのだ。レベッカをくれと言ってたのもそういうつもりだったのだ……


 マルグリットはクルリと背後を振り返った。


 主人が何かをやるのではないかと警戒していたレベッカの肩がビクリと震える。


「ねえ、あなた。ちょっと、あの男に抱かれてきなさい」

「……え?」


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