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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第四章
124/398

ジャズっぽい

 喧騒の渦巻くフードコートでは、あちらこちらから気ままな音楽が音の洪水のように流れてきた。所狭しと軒を連ねる店の中には、みんなそれぞれ思い思いのステージが拵えられていて、それを取り囲むようにして下卑た野次を飛ばす男たちが、酒瓶をらっぱ飲みしながらやんやと手を叩く。演奏はその野次も一種のメロディに昇華してしまい、広場にあちこちから流れてくる音楽は、折り重なり一つの音楽となって夜空に溶けていった。


 やけに野次が多いなと思ったら、ウズウズとした客がいきなり、そんなんじゃ眠っちまうぜと言いながら、自分の楽器を抱えてステージに飛び込んでいった。バンドメンバーは、突然、押しのけるように飛び入りしてきた客を物ともせずに、彼のためにスペースを開けると、申し合わせていたかのように、彼による自由即興が始まった。


 途端にあちこちから今まで以上に辛辣な野次が飛んで来る。


 ああ、なるほど、これがここのスタイルなのか……


 仕組みがわかってしまえば、先程からの野次も心地よく聞こえてくる。但馬は指笛をピーッと鳴らすと、引っ込め下手くそ! とブーイングを飛ばした。


 すると即興の彼がガクッと肩を落とし、あちこちからゲラゲラと笑い声が上がって、軍服を着てない但馬が珍しいのか、気のいい軍人がやってきて肩を組んでは、まあ飲めよと、スコッチの瓶を但馬に突き出してきた。


 エリオスがその軍人をたしなめようとするとランが肩を叩いてそれを制止し、但馬がウインクして合図を送ると、彼はヤレヤレといった感じに肩をすくめてから、自分達も酒をもらいにカウンターへと連れ立って向かっていった。


 長身の男女はとにかく目立つ。エリオスの姿に気がついたエリックが、ドラムを叩くスティックをクルクル回してから演奏を止めて、


「誰か替わってくれよ!」


 と叫び、返事も聞かずにステージを降りると、それが気持ち悪いと言わんばかりにピューッと広場の方から男が飛んできて、勝手にドラムを叩きだした。


 マイケルも即興男を押しのけてグイッとステージから躍り出てくる。どうやら、ここにあつまった演奏者はみんな、好き勝手に集まってやってるようだった。


「先生! 昨日の今日でもう来てくれたの?」「おーい、みんなー! 准男爵様がいらしたぞー」


 但馬が来たと伝わると、広場中からどよめきが起こってあちこちから但馬を一目見ようと軍人たちが集まってきた。途端に店内が混みだして、但馬達はギュウギュウと壁際まで押しやられた。なんだかラッシュの山手線を思い出して懐かしくなった。


「おいっ! こらっ! 潰れる潰れる!」「失礼だろ! 押すな馬鹿!」


 集まってきた軍人たちは思い思いに、但馬に会いたかったとか、いつも感謝してるとか、ツナ缶サイコーとか叫んでいるところみると、それが今日とはわからなかっただろうが、どうやら但馬がやってくるのを、エリックとマイケルからあらかじめ聞いていたらしい。


 気を利かせた誰かが椅子を持ってきて、但馬はそこに座らされると、なんだか知らないが握手会のようなものが始まってしまい、面食らいながらも有り難いことだからとそれに応じた。


 今まで気にも留めたことも無かったが、意外と自分は人気者だったのだなと、呆然としながらつぶやくと、


「そりゃ、先生に憧れないリディアの若者はいないっすよ」


 と言われて、なんともこそばゆかった。だが、一瞬喜びはしたものの、集まった面子を見ても、女の子にキャーキャー言われるような人気とは違うのだと理解させられ、逆に悲しくなってきた。


「それにしても、すごい熱気だな、毎晩この調子なの?」

「はい。俺ら、基本、他にやること無いですからね。元々暇つぶしに始めたことなんですけど」


 カンディアで海軍が新設されたのは2年前、彼らも最初期からこの軍港で軍務についていたそうだ。


 当初の軍港は周りに何もなく、この場所に申し訳程度のPXがあったくらいで、勤務後に軍人たちはみんな暇を持て余していた。そこで最初はトランプ賭博が流行ったそうだが、やり過ぎて破産するものが出てきたせいで、規律が乱れるからと例のジョンストン大佐が激怒し禁じられてしまった。


 その頃には港の外に軍隊を当てにした店が建ち始め、夜鷹もこっそり集まり出したので、そこそこ遊べるようになっては来たのだが、まだまだ規模が小さく大半の者はあぶれてしまい、軍港内で酒を呑むくらいしか楽しみが無かった。


 そんな時、勤務時間後も真面目に練習していた楽隊の一人が、酔っぱらいに何か一曲やってよと絡まれて、それに応じたために、以来、酒の席で何かしら楽曲をやるのが慣例になった。


 そのうち、新人の度胸つけに丁度良いからと積極的に楽隊が参加するようになると、基本的に海軍はみんなラッパが吹けるものだから、気がつけば目立ちたがり屋が集まって、あっちこっちで勝手に演奏を始めてしまい、以来、こんな調子であるらしい。


 みんなが示し合わせたかのように野次を飛ばすのは、新人に度胸をつけさせる一環だったそうだ。


「へえ、そんでみんなジャズやりだしたのか」

「ジャズ? なんすかそれ?」


 但馬が感心してそう言うも、彼らは自分たちが演っている音楽のことをよく分かっていないようだった。正直面食らったが、そもそも、この世界にどんな音楽があるのかよく分かっていないのは自分の方である。確かに彼らが演っているのはジャズっぽいが、ジャズっぽい何かであって、ジャズでは無いのだろう。


 彼らの話しによれば、最初期は普通にマーチを奏でていたそうだが、次第に飽きてきて、アクロポリスの宮廷音楽をやり始め、そのうち、勝手に演奏するバンドが増え始めると、リズムもメロディも周囲に釣られてみんなバラバラになってしまうから、いつの間にか周りと協調しているうちに、独特のスイングするリズムと即興演奏を混ぜた、今のスタイルが確立されていたらしい。


「じゃあ、これ自然発生したの?」


 と問うと、彼らはキョトンとしながらそうだと答えた。自然とジャズっぽい音楽が、このカンディアの地に生まれたというわけか。陽気のなせる技なのか、それとも海のなせる技なのか。人間の体の中には、太古の昔から同じリズムが眠っているのかも知れない。


 やってくる握手客を捌きながら、演奏の邪魔にならないように店の奥のカウンターへと椅子ごと移動すると、先に来ていたエリオスが目立たないように隅っこの方でグラスを傾けていた。彼は但馬に向かって誇らしげにサムズ・アップすると、いつにも増して上機嫌そうな笑顔を見せた。それは但馬が褒められて嬉しかったからだろうか、それとも今日は隣にランが居るからだろうか。


 エリックとマイケルも知らない仲で無し、エリオスに挨拶に行こうとしていたのだが、彼女がいるので行きづらく……


「あれ……誰っすか? エリオスさん、結婚したの?」

「こう、そこはかとなく圧力を感じる……美人? のような、そうでもないような、そう言っておかないとヤバそうな」


 的確な表現だなと感心しつつ、


「いや、単に俺達の共通の知り合いだよ。コルフの議員さん」

「へえ、お二人は付き合ってんすか?」

「まさか。彼女とも昨日2年ぶりに再会したんだよ。見た目通りヤバイ人だから、下手なこと言うと命の保証はないぞ」

「なーんだ。エリオスさんにもようやく春が来たんだなと思ったのに」

「だったら良かったんだけどね……しかし、あの二人が結婚か……」


 但馬はゴクリと生唾を飲み込んだ。


「なんかこう……強い遺伝子残しそうだよな」「特殊能力とか持って生まれてきそう」「……口から糸を吐くとか?」


 三人はたまらず吹き出した。


「それだっ!」「プーックックック!」「おまえ、ひでえな! よくそんなん思いつくな」


 そんな感じにゲラゲラ笑っていたら、何か空気を察したのだろうか、ランが突然かけていたミラーグラスをスッと外して、ジロリとこちらを睨みつけてきた。


 間違いない。あれは命を獲る目だ。


 但馬達は引きつけを起こしたように固まった。




 その後、再会を祝して三人は乾杯をすると近況報告をしあった。


 エリックたちはこの二年何をしていたかというと、ブリジットの321小隊が解散してしまったせいで行き場を無くし、暫くはたらい回しにされていたのだが、理由が理由なので内勤へ転属するか? と軍司令部から打診が来たそうだ。


 内勤はほぼエリートコースなので悪い話ではなかったが、そもそも彼らは徴兵で、いつまでも軍隊にいるつもりは無かったからそれを固辞、だったら好きな部署に入れてやるから自分たちで決めろと言われて、色々と悩んだすえに海軍へと志願したらしい。


 シモンが残した形見のクラリオンは、親父さんからマイケルに手渡されていたそうで、それ以来暇を見つけてはよく練習していたそうだ。それでシモンの後を継ぐというとおかしいかも知れないが、彼と同じく伝令将校でも目指そうとしたのだが、実は伝令将校とはエリート中のエリートで、とても自分たちでは歯が立ちそうになかったそうだ。


「あいつ、実はすごいやつだったんだな」

「弓馬やれて工兵の真似事も出来ましたからね」


 そういえば、ブリジットにも下士官にならないかと打診されていたんだっけか……


 改めて幼なじみの凄さを目の当たりにした二人は挫折しつつも、何か関係のある部署にいけないかなと漠然と考えていたおり、カンディア編入で海軍が新設され、広く隊員が募集されている中に軍楽隊の募集を見つけ、それに応募したらしい。


 クラリオンを練習していたから、きっと役立つと思ったそうだが……実は信号ラッパは海兵は全員必須で覚えさせられるため、あまり意味がなかったそうだ。船の上では生活リズムが崩れがちになるから、規則正しい生活を維持するためにラッパによる伝令を行うため、乗組員はそれを一通り吹けるように練習するそうである。


「そんで、あてが外れた感じだったんすけど、自分らで我儘言って入れてもらったからには、うだうだ言ってられないし、俺がリズムやって、マイケルがホルン」

「お陰さまでマーチは一通り吹けるようになりましたよ」

「へえ! 意外と苦労してるんだな。それじゃ、おまえらこのままカンディアで軍楽隊にいるの?」

「それなんですけど……」


 但馬は普段、リディア国内にいるので、彼らがカンディアにいては滅多に会うことが出来ない。それを残念に思って尋ねてみたのだが、


「実は、俺ら今回の任務が明けたら、晴れて徴兵期間終了なんすよ」

「それで、リディアに戻って何か仕事探そうと思ってるんですけど……」

「なんだ、水臭い」


 但馬は彼らが言わんとしてることを先回りして言った。


「そういうことなら早く言えよ。いつでもおまえらのポストを用意して待ってるぜ?」

「マジっすか!?」「あざーっす!!」

「いい加減、ローデポリスにもちゃんと下水を整備しようぜって言っててさ、今度、清掃員を広く募集するんだよ。いやあ~、懐かしいなあ、路地裏のウンコ掃除」

「ぎゃあああ! それだけは勘弁っ!」「あんた鬼だよっ!!」


 そんな具合に他愛のない会話を交わしながら夜は更けていった。


 お祭り騒ぎのようだったジャズっぽい演奏も、次第にテンポがゆっくりとしてきて、アルコールで弛緩した脳みそに、眠気と気だるさを運んできた。


 2つの月が照らす夜空はどことなく青く見え、それが建物の輪郭を縁取り、まるで夏の夜明けのような雰囲気を漂わせていた。


 客も少しずつ減ってきて、会話も徐々に途切れがちとなり、別々に飲んでいたエリオスとランもそろそろ帰らないかと言いたげな視線を送って来たころ、ポロッとマイケルが言った。


「そういえば……先生、アナスタシアとはどうなったんですか?」


 質問が余りにストレートすぎたから、気の利いたボケが全く思い浮かばなかった。


「どうもこうも。特に何も変わってないよ」

「……以前はシモンに遠慮してんのかなと思ってたけど」

「それ、親父さんにも言われたなあ」

「もうそろそろ、いいんじゃないですかね」

「……いいと言われてもね」


 机に突っ伏すようにして飲んでいたエリックが、じいっと見上げるように但馬の目を覗き込んできた。


「アナスタシアにも昨日久し振りに会ったけど、ホントいい女に育ってたな。俺だって、幼なじみじゃなきゃ放っておかない感じだった」

「そうだろ。実は昨日、貴族の連中の間でも話題になってさ……」

「あと、良く笑うようになってた。先生のおかげだ」


 そう言って彼はニカッと笑った。それは但馬も同感だった。彼女はよく笑うようになった。だが、それでも今朝みたいに、突然過去が重くのしかかってきて、彼女の顔を曇らせることもある。


 そうならないように、彼女の顔が曇らないように、そろそろ、次のステップを考えても良いのではと考えた時もあった。彼女との新しい生活を意識しても良いのだろうかと。


 ただ、そうするにはどうしても避けて通れないことがある。それは自分がもしかしたら、人間ではないかも知れないと言うことだ。自分自身ですら、どこの誰かも分かっておらず、人ですらないと知ったら、彼女はなんて答えるのだろうか……


「なあ、エリック」

「なんすか?」

「あれって……もしかしてピアノ?」


 但馬は二人の言葉には答えず、ボーッと店の壁を眺めていた。二人も別に返事を期待して言ったわけではないから、このまま今日はお開きになるかと思っていたとき、但馬がふと気づいたように言った。


 店の隅っこには埃を被ったアップライトピアノらしきものがあって、よく見れば但馬が今座っている椅子はピアノ椅子に見えなくもない。


 リディアには高級ホテルにこそ楽団が居たが、宮廷音楽のようなものは一切なく、ピアノを見たことがなかった。現実のピアノ自体も、ルネッサンス以降に出来たもので、その歴史はそれほど長くはない。


 だからてっきりこの世界には無いものだとばかり思っていたのだが……


「ん? ああ、そっすよ。弾ける人があんま居ないんで。楽隊の中に数人居るだけだったかな? だから、いっつも埃かぶってるんです」

「ピアノ、あったんだ」


 ピアノは楽器が出来ない人のために、誰でも音楽が奏でられるように作られたものらしいが、少なくともこの軍港には、弾けるものはほぼ皆無だったそうである。大抵、みんな何かしらの楽器をかじってる割りには、皮肉なことである。


 但馬が椅子を引っ張っていってピアノの前に座ると、酒場にいた他の客達が何をするのだろうと注目した。


 ピアノの蓋を開けて中を確かめると、88鍵の白と黒の鍵盤が規則正しく並んでおり、それは但馬の記憶の中にあるそれと全く変わりが無かった。


 こんなものがあると言うことは、もしかして勇者が作ったのだろうかと思いきや、


「え? いつからかは知らないっすけど、大昔からありますよ??」


 と言われて首をひねることになった。よく考えてもみれば、クラリオンの他、ホルンやらトランペットやら、金管楽器のデザインも同じである。用途が決まってるのだから、似るのは当然かも知れないが、ここまでそっくりと言うことは、もしかしたら勇者の他にもやはり別の誰かが居たのかも知れない。


 それもやっぱり、自分とは違う但馬なのだろうか……


 それはどんな但馬だったんだろう……


 そんなことを考えながら、鍵盤を叩くとポーンと辺りに音が響いた。調律はちゃんとされてるようだ。


「先生、弾けるんですか?」

「……どうかな?」


 記憶の中の但馬は弾けた。ただ、お祖父ちゃんの家にはピアノがあったが、弾けたとしても、何しろ数年ぶりだし、それにこの体は記憶にある但馬のそれとは違うはずだ。弾こうと思っても指がついてこない可能性のほうが高い。


 だから殆ど期待せずに、なんとなく弾き始めた。


 駄目だったらさっさと止めるつもりで、初めは弱く、ピアニッシモで。


 だが、思いのほか指がついてくる。それどころか、自分の想像していたよりもずっとよく動くのだ。


 清涼な音が広場に鳴り響く。それが記憶の中にあるメロディとダブって聞こえ、まるで自分の音じゃないみたいだった。


 滅多に聞こえてこない音が聞こえてくると、広場で駄弁っていた人たちの声が途切れた。


 決して上手いわけじゃない。けれど懐かしいメロディを自分の指が奏でると、但馬はもっと先が聴きたくなって、夢中になって鍵盤を叩いた。


 それはいつか母が口ずさんだメロディ。


 そしていまは亡きお祖父ちゃんが奏でたメロディ。


 かつてブロードウェイミュージカルのために書き下ろされた楽曲で、ジャズのスタンダードナンバーで、ありふれた恋のメロディだった。


 繰り返し繰り返し流れ続ける旋律に、最初はウッドベースがついてきた。


 それが自分とセッションをしているのだと気がつくと、途端に指が軽やかになる。


 曲調が変わり、二人のアレンジになった曲に更にパーカッションが加わった。


 力強く加速していくスピードの中で、いつしかアップテンポになった恋のメロディが、まるでサンバのような陽気なリズムになって夜空にこだました。


 いよいよ楽しくなったセッションに釣られて、広場のあちらこちらからホーン・セクションがバラバラと勝手に入ってきた。


 みんな思い思いに、勝手気ままに即興演奏で入ってくるくせに、どの音もまるで十年来の友達みたいな顔をしている。


 トチる者も完璧な者も、みんな等しく巨大なメロディラインに飲み込まれていって、気がつけば但馬は、いつの間にかビッグバンドの一員になっていた。


 広場に集まった酔っ払いたちからは容赦無い野次が飛んだ。


 引っ込め、下手くそ。そんなんじゃ、俺がやったほうが断然いいぜ。


 ステージからも容赦無い罵声が飛び交った。


 うっせ、バカヤロー、見てろよ? まだまだこんなもんじゃないぜ。


 指先と共に口の方もなめらかに動く。


 やがて自分のソロパートがやってくると、但馬は全くそんな経験も無いくせに、体が勝手に即興で鍵盤を叩き始めるのだった。


 すると一際野次が大きくなり、煽るように但馬が鍵盤を叩きつけると、みんな幸せそうにゲラゲラ笑った。


 そのまま、はじめから決まっていたかのようにメロディは終盤へと向かっていって、フィナーレはもはやメロディさえなく、音が土砂降りになって辺りに降り注ぐのだ。


 誰も彼もが思い思いに、自分の音が一番目立つように、飛んだり跳ねたり、時には踊ったりして……


 そしてピタリと静寂が訪れた。


 みんな不思議な余韻に酔いしれて、恍惚の表情を浮かべていた。


 額から流れ落ちた汗がボタボタと腕に垂れた。


 鍵盤から手を離して振り返ると、ステージの上で楽器を手にしたエリックとマイケルがニヤリと笑った。


 カウンターでやり取りを見ていたエリオスが、ほうと溜め息を吐くと、ぱちぱちと大きな拍手を送った。


 それを切っ掛けに雪崩のような歓声が、うおおおおおおおっと辺りを支配した。


「楽しかった」


 ゼエゼエと肩で息をしながら、但馬はそう独りごちた。


 どうしようもなく楽しかった。こんな楽しい気持ちは久し振りだ。でも、自分はずっとそうして来たじゃないか。沢山の人達に囲まれて、リディアの街の広場で、毎夜毎晩お祭り騒ぎを繰り広げていたじゃないか。


 会社は大きくなったけど、この2年間、自分は一体何をやってきたのだろうか。ずっと停滞を続けていただけじゃないか。


 但馬が椅子から降りると、当たり前のように人々が集まってきて、みんな笑顔でハイタッチを求めてきた。彼はそれら一つ一つに応じて、パンパンとハイタッチしながらステージまで歩み寄ると、そこで待っていたエリックとマイケルと固い握手を交わすのだった。


 但馬はなんと言っていいのか分からなくて、ただ馬鹿みたいに、


「楽しかったなあ」


 とだけ繰り返した。他に言葉がなかった。エリックが近づいてきて、


「先生、全然やれるじゃないっすか」


 誇らしげにそういうのだが、体が勝手にやったことなので、本当は実感があんまりなかった。


 本当は他人がやったことなのに、手柄だけ自分が横取りしたみたいで、気持ちが悪い。ただ、そう思っても興奮が体を支配していて、なんとも歯がゆい思いがした。


 どうして自分はこの世に生み出されたのだろうか。どうして中途半端に他人の記憶が植え付けられているのだろうか……


 そして、頭の中ではぐるぐるぐるぐると、アナスタシアのことが回っていた。


 2年間も待たせてしまったけれど、あの日、故郷に連れて行ってと言っていた彼女は、まだ自分のことを待っててくれてるのだろうか。但馬の故郷はもうなくなってしまったけれど、そのルーツを探る旅に、一緒についてきてくれるのだろうか。


 ついこのあいだ彼女は言っていた。


 彼女の借金はもうじき完済されてしまうらしい。それはとても喜ばしいことだけれど……そうなったとき、彼女はまだ自分と一緒にいてくれるのだろうか。


 但馬は今、それが無性に聞きたくて仕方なかった。


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