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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第一章
12/398

恐らくは見張られているのだろう……

 確か、さっきまでもの凄い地獄を見ていたような気がするのであるが、驚いたことに、目が覚めたら気分爽快だった。あれ? もしかして盛大な夢落ち……? 異世界もウンコも全部夢か、と期待する気持ちもあったが、そうは問屋がおろしてはくれそうになかった。


 駐屯地内の医務室かどこかだろうか、営倉とは違う柔らかなベッドの上で目覚めた但馬は、まず自分の体調が改善していることに驚いた。すぐさま起き出して辺りをキョロキョロ見回していると、彼が目覚めたことに気づいた医師らしき男性が、


「酷い有様だったぞ。軍曹に感謝することだな……薬を飲んでおきなさい。これはショウガの根を乾燥させて砕いたもの」


 と言って漢方薬らしきものを手渡してきた。


 これを飲めと……白湯を一緒に出されたが、何しろあれだけの下痢便に苛まされた直後であるから、とても飲む気になれなかったので、粉薬だけ口に放り込み、ゴホゴホ言いながらここに連れてこられた経緯を尋ねた。


 トイレで但馬がぶっ倒れると、ブリジットが助けを呼んで来て、医務室まで運んでくれたらしい。その際、ヒーラーである彼女がヒール魔法をかけてくれたらしく、気分が良いのはそのお陰だろうと医師は言った。


 そうか、それは良かった。あとでちゃんと礼を言わなきゃな……とホッとするのも束の間、やらかしたのは別にそれだけではないことを思い出す。


 ところでケツは誰が拭いてくれたのだろうか……もちろん、拭いてくれるわけが無いよな……と思うと途端に肛門が痒い気がしてきて、居てもたってもいられなくなり、但馬は医師に一通り礼を述べると、いそいそと医務室から出て、パンツを洗いに水場へ向かった。


 まさか異世界に来て、それらしい冒険をする前に、まずウンコのついたパンツを洗うはめになるとは思わず、情けなさに涙がちょちょ切れそうになった。こんなこと誰も想像がつかないだろう、なにしろこちらは生まれてこの方、トイレには紙があるのが当たり前の世界で暮らしてきたのだ。トイレットペーパーの生産量世界第三位、水洗トイレ普及率90%オーバー、世紀の発明と名高い温水洗浄便座(ウォシュレット)の発祥地、男性がビデのボタンを押した経験80%(但馬調べ)の日本から、いきなりアマゾンの奥地に飛ばされたようなものなのだ。


 そう考えると、未知の病原菌とかやばいものがウヨウヨしてるような気がして怖くなる……いや、しかし、ヒール一発でこれだけ気分爽快にもなるし、案外平気なのか……?


 そう言えば、パンツを洗っていて気づいたが、気分も爽快ならケツの穴もヒリヒリしない。直腸が突き出てるんじゃないかというくらい、酷い腫れ方をしていたはずだが、多分、ヒール魔法で治ってしまったのだろう。ちょっとした傷口なら、すぐ塞いでしまうようだ。エリオスの指もにょきにょき生えてきたし、やっぱりファンタジー世界だけあって、ヒール魔法のもの凄い奇跡に素直に感心した。正に医者要らずである……あれ? だったらなんで医者がいるんだ? 基準がいまひとつ分からない。


 ともあれ、びしょ濡れのパンツをはきなおし、ジーンズもはいて水場を出ると、外でブリジットが待っていた。朝から迷惑かけっぱなしである。とっくに見捨てられたと思っていたのだが、付き合いがいいのだろうか何なのだろうか。


「ところで、見た?」

「え?」

「俺の……見た? どうだった?」


 とセクハラをしていたら、通りすがりの医師にボコられた。


 さて、バカなことをいつまでもやっていないで、そろそろおいとまして街へ向かおうかと、恩人であるブリジットに殊更丁寧に礼を言い、昨晩の支払いの銀貨を1枚手渡し、いざ駐屯地から出て行こうとしたら、


「街へ向かうんですか? だったらご案内しますよ」


 と言って、頼んでも無いのにブリジットがくっ付いてきた。


 何だなんだ? 自分に気があるとでも言うのだろうか……?


 もちろん、そんなはずあるわけない。恐らくは見張られているのだろう……じいっと彼女の瞳を覗き込んだら、バツが悪そうにひょいっと目を逸らした。


「……まあ、いいけどね。じゃあ、行こうか」


 正直言って、昨日の戦闘後の事情聴取で、但馬は怪しさ全開だった。人気の無い砂浜で発見され、目を見張るような魔法を行使したかと思えば、名前を聞けば勇者を名乗る。世俗に疎くて、質問されても何かを探るようにつっかえつっかえだ。


 普通に考えればテロリストか、敵国の間者と疑われてもおかしくないだろう。寧ろ疑わないような軍隊があるとしたら、その存在の方が疑わしい。但馬を営倉にぶち込んだ、あの書記官の態度が普通なのである。


 ところが、但馬はお咎め無しで、今こうして自由を謳歌している。理由は色々考えられるが……敵なら敵でボロを出さないかと思って、泳がされてる可能性が最も高いだろうか。


 もしくは、あのお姫様の存在だろう。


 リリィと言ったか、あれは一体何者だったのだろうか。但馬の持つステータス表示能力に、どれほどの意味があるのかは分からないが、あの数字は異常すぎる。裏ダンジョンのボスみたいな感じだった。


 さすがに気になったので、酒を飲みながら聞いてみた限りでは、どうやらこの国・リディアの宗主国・エトルリアの姫様らしい。銀貨になるくらいの知名度はあるが、シモンやエリオスが知らなかったことを見ると、その顔は殆んど知られていないのだろう。


 そういえば、エトルリアと言う名前は、確か大昔のイタリアの国家ではなかったか。ブリタニアと言い、度々聞き覚えのある単語が出てくるのが、なんとも違和感を拭いきれない。


 そのリリィが何でこの国に滞在しているのかと問えば、


「リリィ様はお体が優れなくて、子供の頃から度々、うちの温泉へと湯治へやってきていたんです」


 湯治とはまた意外な言葉が出て驚いた。見れば、リディアの街の海岸線には港があり、その更に先には火山島が見える。とするとこの辺は火山帯で、温泉がちょくちょく沸くのだろう。風呂に入れると知って顔が綻ぶ。


「幼い頃は成人まで生きられないと言われていたのですが、ロードスの温泉効果で、今では元気いっぱいに回復なされたんですよ」


 と、ブリジットは嬉しそうな素振りを隠さずに続けた。お姫様のことがよっぽど好きなのだろう。体が弱いそうだが、そう言えば昨日、彼女のステータスを盗み見たとき、なにやら知れぬデバフがいっぱいくっ付いていた。慢性的にあの状態なら、元気そうに見えて、案外やばいのかも知れない。


 それはさておき、湯治とは言え、そうちょくちょく本国からやってくるのはおかしかろうと探っていたら、やたら聞き覚えのある単語が飛び出して、頬が引きつる羽目になった。


「……クリスマス休戦?」

「はい。リリィ様の今回のお忍び滞在は、休戦の調印のためでもあったんですよ。それを良く思わない勢力が、誘拐を画策したのではないかと……」


 いや、そっちではなくて、クリスマスを祝うってことはクリスチャンが居るってことだろうか? それとも現代日本みたいに慣習だけ輸入した、名目だけの存在なのだろうか。


「キリスト教はわが国の国教ですよ。メディアの亜人にも少なからず信者が居ます……なのに、主教であるリリィ様に手を出すなんて、やっぱり亜人は信用なりません」


 ブリジットは怒りを隠さずそう言うと、胸にかけていたロザリオを握って、ぶつぶつ祈りを唱えていた。


 ゴスロリなんかの中二病御用達ツールで見慣れていたからスルーしたが、良く考えればロザリオを持ってるのは相当な違和感だ。十字架を装飾すること自体にそもそも意味は無い。キリストが磔刑(たっけい)に架けられたから意味が生まれたのであって、但馬の生まれ育った世界とは違うこの世界の十字架に、どれほどの意味があるというのだろうか……そういえば、リリィも十字架の血がどうのと唱えていたような……


 詳しく聞いてみても、キリスト教とは、本当に但馬の良く知るあのキリスト教のようであった。本気でこの世界にはキリスト教があるらしい。それじゃ、ゴルゴダの丘やバチカンもあるのかよ? と突っ込んで聞いてみたが、きっとどこかにある的な伝説の地みたいな扱いで、はっきり言ってよく分からなかった。


 しかしまあ、世の中には、ミカエルとルシファーを仲魔にして唯一神をぶっ殺す、なんてゲームも存在するのだ。この世界がゲームだと思えば不思議ではないのかも知れない。これ以上理由を突っ込んで聞いても、頭が痛い答えしか返ってこなさそうで、やめておいた。


 不可解な世界なのは、あの空に浮かぶ二つの月を見た瞬間から分かってたはずだ。地球の常識が通じるような土地ではない。それより早く、元の世界に戻る方法を見つけよう。その方がよっぽど建設的である……但馬はそう心に誓うと、駐屯地のゲートから外へ出た。


 それには、とにもかくにも先立つものが必要であろう。何をして金を稼げばいいのだろうか。ここが現代日本ならリクルートの雑誌でも読めば良いが、異世界では勝手が違う。魔法技能を活かして、魔物退治でもやればいいのだろうか。街を渡り歩いて交易で儲けてはどうだろうか。現代人の知識をフル活用すれば、きっとなんとかなるだろう。


 あとは衛生面にも気をつけねばなるまい。絶対にもう生水は飲みたくない。コリゴリだ。あとトイレットペーパーをなんとか確保しなければならない。さすがに、あのケツ掻き棒のインパクトはヤバすぎた。あれがあるってことは、多分、どこかの国みたいにケツ拭いタオルみたいのもあるはずだ。誰が使ったか分からないような奴が天井からぶら下がっているのである。その他にも他人の左手には注意を払っておいた方がいいだろう……もしかしたら不浄の手としてウンコを握ってる可能性が否定出来ない。


 ああ、なんだか考えていると憂鬱になってきた。とにかく、手っ取り早く金を稼いで、なんとしても、日銭稼ぎから脱しないと、ウンコからも解放されないし、元の世界にも戻れないだろう。


 駐屯地は丘の上に建てられており、街やそれに付随する港までが一望できた。


 昨日は緊張してあまり良く見えていなかったが、こうして日の光の下で改めて見てみると、海岸線に沿うように伸びた街は、とんでもなく巨大に見えた。海沿いにずーっと細長く伸びているのだが、その終着点が、この小高い丘からでも確認出来ないのだ。


 ……って言うか、なんかマジで大きいんですけど。日本の地方都市くらいの規模が無いか……?


 但馬が手を(かざ)してマジマジと眺めていると、


「どうですか? 勇者さん。これがリディアの首都、大陸随一の人口を抱える都市ローデポリスです……って、あなたこの街出身って言ってましたっけ。知ってて当然でしたね」


 などと、ブリジットがワザとらしく、仰け反るようにその無駄に大きな胸を張りながら得意げに言った。


 うざい。


 しかしまあ、自慢したくなる気持ちも分からなくも無い。昨日少し歩いた限りでは、リディアの地に平地は少なく、海岸線を過ぎるとすぐに大森林と峻険(しゅんけん)な山脈に阻まれ、人が住めそうな土地があまり無いように見受けられた。火山帯でもあるようだし、山がちな日本に近い感じの地形である。


 騎士たちと一緒に海岸線を1時間ほど歩き、ようやく平野部に出たが、それでもせいぜい10キロも内陸に行けばすぐに山にぶつかる、猫の額みたいな狭さであった。


 その狭い土地の中に建物が重なり合うように整然と建ち並んでおり、それが海岸線に沿って延々と続いている。そして、それをぐるりと囲うように城壁が張り巡らされ、ところどころ物見やぐらのような城塞が建ち、魔物や外敵の侵入を防いでいるのである。


 全長数十キロにも及ぶであろう城壁を作る、これだけの建築技術を、どうやって獲得したのだろうか……? よく見れば港の埠頭も地形を活かした作りではなく、人工物オンリーの幾何学的な形をしていた。区画整理されたであろう住宅街らしき土地には、画一的な石造りの建物が見受けられたが、それがまるで郊外の団地のように見えた。早計ではあるが、もしかしてあれはコンクリートではなかろうか……


 まさかとは思うのだが、それらしき建造物が見えなくもない。もっと近くで確かめねばなるまい。


 狭い土地を生かした縦に細長い街の周りは、それを取り巻く平野部が凡そ10キロほど続き、その殆んどすべてに延々と穀倉地帯が続いていた。


 その街の食料事情を支えるのであろうこれら畑も中々のもので、見渡す限りのトウモロコシ畑が続き、休耕地が見当たらない。休耕地がないと言うことは連作を続けてると言うことだ。


 ブリジットに先導され、街へ向かう道すがら、通りすがりの農民を呼びとめ、


「あ~……そこな農民よ。より多くの収穫を望むのであれば、春に小麦やライ麦を植え、収穫したらカブやジャガイモを植え、夏に大麦や豆を植え、土地が痩せたらクローバーやウマゴヤシを植えて家畜を放牧するが良かろう……」


 などと、ありがちな預言者じみた助言を与えてみたら鼻で笑われ、


「そっただこと言ってもよ。オラんとこさ塩害が酷くて、小麦なんざ植えても育つわけねえべ。だども、本土ではそうしとると聞いたべや。おめさん、畑仕事さ興味あんべか」

「え? あ、はい……少し」

「オラんとこじゃ、トウモロコシ・ワタ・トウモロコシ・ワタと繰り返し植えんべ。後は芋さやっとるけえの、肥料さなんで。けんど、ぺーはーが下がんで、虫が湧いだら掘り起こしでな。そんでほれ、この水が青くなんまで石灰さ撒ぐんだ」


 輪作や有機肥料は当たり前、驚いたことにおっさんは独自開発した指示薬で土壌のpHまで調べているらしかった。作り方は簡単で、ブルーベリーを潰し入れた水をろ過するだけだそうだ。確かに、ブルーベリーや紫キャベツにはアントシアニンという成分が含まれており、それが反応して色を変える。


 オッサンはその他にも農業従事者らしく、様々なことを親切に教えてくれた。但馬の知ってることなどオッサンもとっくに知っており、但馬はそれを小さくなって聞くだけだった。彼はどうやらこの辺一帯の大地主らしく、特にコットンの輸出に関しては大陸でも指折りのものらしい。この街きっての資産家でもあった。


 それにしたって妙に近代的な知識を持ち合わせているので、もしやと勘ぐって聞いてみれば、案の定、勇者の名前が出てきた。


「こんな塩と火山灰だらけの土地さ、まどもな畑出来ねえ思ってったら、誰もこんなことせんと魚取っとったけえ、だどもオラは魚獲りが苦手でな。ほしたら勇者様がなあ」


 トウモロコシやサトウキビ、ワタを植えて農業をやり始め、徐々に森を切り開いて街の基礎を作ったらしい。それが凡そ60年前のことなのだとか。


 その後勇者が、その他にも様々な技術を導入し、街を発展させていったことは言うまでもなく……


「おめさも畑さ興味あんなら、はろーわーくさ行ってオラとこの求人さ応募すんべよ」

「ハローワーク……? え? ハローワーク??」

「あんだ、そっただことも知んねか。ほれ、こっからでも見えっだろ、街のど真ん中さ、でっかい『びるぢんぐ』さあんのよお。あん中に勇者様が作られた、はろーわーくがあるでよ、おめえも仕事はよ見つけんべ。いい若いもんが、真昼間っからブラブラしてんでねえよ」


 オッサンはそう言うと、街の中心にこれ見よがしに建っている、一際でっかい建物を指差した。


 但馬は唸った。やっぱり、あれを無視するわけにはいかないのか……


 彼はオッサンに別れを告げると、いい加減に覚悟を決めて、ブリジットを連れて街へと向かった。


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