ウルフの新宮殿
カンディアの軍港に降り立った但馬は懐かしい顔と再会した。
ブリジットを囲む人垣の向こう側で、二人の男がぴょんぴょんと飛び跳ねて手を振ると、ぐるりと迂回してこちらへ駆けてくる。エリックはドラムスティックを、マイケルはホルンを抱えているところを見ると、どうやら軍楽隊に所属していたらしい。
「よう! 懐かしい顔が居ると思えば、こっちに来てたんだな。道理で最近リディアでは見かけないと思った」
「そりゃないっすよ、先生。仕事ばっかしてて、俺らに構ってくれなかったじゃないすか」「俺らもこっちに来ること伝えようと思ったのに、ガードが硬くて全然近づけないから」「昔みたいにPXに飲みに来てくれればいつでも会えたのになあ」「なあ」
二人は非難がましく但馬に恨み言を言った。この二年は余裕がなくて、私生活を省みることが全然無かったから、なし崩しに疎遠になってしまったのだろう。そりゃ悪いことをしたと、但馬はポリポリとほっぺたを掻いた。
エリックとマイケルは但馬だけではなく、アナスタシアとエリオスとも旧知であるから、彼らが近寄ってくると、二人も懐かしさに顔をほころばせた。リオンだけが知らない相手だったので、子供特有の人見知りを発動させてアナスタシアの背中に引っ込んでしまったが、
「お……その子が先生のお子さん?」
「アナスタシアがお腹を痛めて産んだ子か」
「違うよ」
二人の冗談にアナスタシアがプンスカしながら抗議する。二人はそんなことお構いなしと言った感じに、イヒヒっと笑うと、リオンを引っ張りだして頭をポンポン叩いたりしてもみくちゃにした。
「おー! まだまだあどけなくて可愛いな……え? 10歳? ちっちゃいな、おまえ」
「若干、アナスタシア似か……良かったな、おまえ。先生に似なくて」
「だから違うってば」
幼なじみ相手で遠慮がないのか、アナスタシアにしては珍しく子供っぽい仕草でポカポカと二人のことを叩いていた。
二人はシモンやアナスタシアと同じく、北方系移民の出身なので、亜人に抵抗感が全く無いのだろう。ローデポリスにいるときは、どうしても警戒されてしまうリオンも、彼らが屈託ないのですぐに打ち解けたようだった。
それにしても二人は子供の相手がとても上手だ。移民は移民同士で固まっていることが多いから、年長者が小さい子の面倒を見ることが多かったのだろう。アナスタシアだって、普段は但馬にも見せないような顔でリラックスしているし……
やはり、そういったコミュニティに参加することが大事なんだろうなと痛感する。リオンにはそういう気の置けない間柄の友達が全く居ないのだ。
そんなことを考えていると、
「こらっ! 姫さまは長旅でお疲れだ。そろそろ持ち場に戻らんか!」
一際大きな声が響いて、一瞬にして辺りの空気にピンと緊張の糸が張り詰めた。初老のいかつい顔をした男がジロリと海兵たちを睨みつけると、彼らは背筋を伸ばして敬礼をし、ブリジットに歓迎の言葉だけを残して、さっと散っていった。
エリックとマイケルの二人も、こりゃヤバイとあとに続き、
「あ、先生。良かったら、夜にでも遊びに来てくださいよ。俺ら、いつもここで遊んでいるんで」
「じゃあな、リオン。またお兄さんたちと遊ぼうな?」
と言って、地図の書かれたコースターらしき紙を手渡された。見れば、軍港内にあるパブか何かの地図らしい。彼らはそれを手渡すと、返事も待たずに一目散に逃げていった。どうもやって来た初老の男は相当偉い人らしい。
男はブリジットに対し几帳面なくらい丁寧な敬礼をすると、二三言葉を交わしてから、ジロリと但馬の方を振り返った。なんか怖い……とたじろいでいると、彼はお構いなしにズカズカ近づいてきて、
「お初にお目にかかります、准男爵。私は帝国海軍2番艦『カンディア』艦長のジョンストン海軍大佐であります。准男爵の寄贈なされた最新鋭軍艦を預かるという、大変栄誉ある役目を賜りまして、恐悦至極に存じます」
「あっはい……」
「マーセルの部下として、幾度かお姿を拝見する機会はございましたが、こうしてお話をさせていただきますのは初めてであります。まずは『カンディア』のような素晴らしい艦を授けていただけたことに対する感謝を。誠にありがとうございました」
「いえいえ、どういたしまして。ちゃんと代金は頂いてますんで」
と言うか、ものすごく堅苦しいオッサンである……但馬は若干顔面を硬直させながら、ジョンストンに愛想笑いを浮かべた。
但馬が外洋船にするために初めて作った二隻のキャラベル船は、コルフを奇襲するために急遽大砲を積んだ戦列艦として改造を施され、その後、帝国の所有物となった。
帝国軍はこの二隻をそれぞれ『ヴィクトリア』『カンディア』と名づけて、これを中心に新たに海軍を創設、ヴィクトリアを旗艦としてイオニア海の海賊掃討任務につかせた。彼はこの僚艦の艦長であるそうだ。
あの時の船はその後、幾度も改造を施されて、今では原形をあまり留めていない。元々、急拵えであったために、艦に搭載されていたのは青銅製の臼砲が殆どで、散弾を撃つためには上部が大きく開いたフランキ砲を使っていた。現在のアナトリア軍の装備とは威力が違って、大分貧弱だったのだ。
これを両舷5門ずつのカノン砲へ載せ替え、船尾に回転式の臼砲を据えた。更に鋼材が安く手に入るようになったので、矢を弾くための鋼鉄の装甲が施され、いつマストが折られてもいいように鋼材パイプに変えられて、カノン砲の重量を支えるために、ところどころ鉄骨が仕込まれている。今となっては鉄の塊というか、海の要塞みたいになっていた。
しかし、やはり最初期に作った船であるから、もう時代遅れで、更に無理な改造を施しているせいで、せっかくの外洋航行能力も失われていた。大きさも但馬が今回乗ってきた自家用船と大差ない。いずれ新たな船を作らねばならないと言われており、ハリチの海軍工廠で新造艦が建造される予定となっていた。
「ところで准男爵……休暇中に大変申し上げにくいのですが……」
港に停泊中の2番艦を見ながらそんなことを考えていると、堅苦しい男がことさら深刻そうな顔をして何かを言おうとしていた。お悔やみでも述べられそうな雰囲気で、もう少し愛想よくして欲しいのであるが……
「カンディア公爵より、急ぎの用事を仰せつかっております。ご休暇中に大変不躾ではございますが、公爵のご希望に添えますように、どうかお時間を頂戴したい」
なんじゃそりゃと思っていると、ブリジットがこちらへ近寄ってきて、
「先生……すみません、どうも連絡の行き違いで、兄から仕事を押し付けられてしまったようです……」
「どゆこと?」
それについては宮殿に着いてから詳しく話すと言われ、取り敢えずいつまでも立ち話をしててもなんだから、さっさと移動しようと言うことになった。
四頭立ての豪勢な馬車に乗り込み、海軍基地の高い壁の外に出ると、そこには至って長閑な田園風景が広がっていた。
元々、カンディアはエトルリア大陸の端っこのど田舎であり、そこそこ広い土地面積を持つ島であるのに、人口自体は非常に少なかった。占領される前は1万人に満たない程度で、いくつかの集落があちこちに点在し、それぞれが別々にぶどう園を持ちワインを作る、つまり酒造ごとの村落がある、特殊な農業国家だったのだ。
従って、占領当初は軍人の方が島民よりも多いという、なんだか良くわからない状況になったそうだ。
州都のヘラクリオンの人口も、元々は少なく、せいぜい2~3千人程度のものであり、排他的な島国であるせいか移民もさほど増えては居らず、現在でもはっきり言って軍港の方が人口密度が高かった。
それでも、編入から2年が経過し、アナトリアの実効支配が着々と進むと徐々に人口が増加してきて、それなりの規模の街が出来上がりつつあった。尤も、それは軍港の置かれた州都のヘラクリオンよりも、一般港を設けた副都のシドニアの方が顕著であり、今こうして馬車から眺める風景は、まだまだど田舎のそれである。
ウルフの新宮殿は、そんなど田舎を見下ろす小高い丘の上にあり、元々は領主の館が置かれていたらしいその土地を均してボーリングを行い、鋼材をふんだんに使った強固な鉄筋コンクリート7階建てのビルだった。
外観はこの国特有の中二趣味とでも呼ぶべきか、ビルの上に取ってつけたような尖塔が装飾のように施されており、スターリン様式と言うか、シンデレラ城というか、ぶっちゃけ目黒エンペラーのようにしか見えず、ブリジットは頻りと兄のセンスを褒めていたが、但馬ははっきりいって脱力した。
尤も、城壁はかなり頑丈そうであるから、要塞としての機能は必要十分にあるだろう。
星形要塞のように張り巡らされた水路の上を通り、高い壁に囲まれた城内に入るとこじんまりとした庭園があり、その中央に噴水が作られていた。なんやかんや電化されている城の中は明るく、詰めている近衛兵たちも心なしか誇らしげである。
ブリジットの到着が告げられると、城のエントランスに女性が出てきて、
「ブリジット様! ようこそお越しくださいました。お元気にしておられましたか?」
「お久しぶりです、ジルさん……いえ、お姉様とお呼びしたほうが良いでしょうか」
「うふふ、どちらでもお好きなように」
ジルと呼ばれたその女性こそがカンディア公爵ウルフの奥方であり、但馬もそれなりに親しい人物だった。柔和な笑顔とストレートのブロンド、綺羅びやかなドレスがとても似合う美しい女性だ。
彼女は元近衛兵で、政庁舎に詰めて皇帝のプライベートの手助けをする、秘書官のような役割を担っていた。その頃は近衛の鎧に身を包み、長い金髪をポニーテールに結んだ、凛とした佇まいの女騎士といった感じだったが、女性は着る服一つでガラリと印象が変わるものである。
謁見の間の上には皇帝の私室が設けられていたが、そこでの世話係が彼女であり、その性質上、謁見の際に彼女が立ち会っている機会は多かった。
それで顔見知りになったのだが、まさかウルフのフィアンセだったとは知らず、結婚したと聞いた時は、だからあんなにしょっちゅう居たのかと、妙に納得した。大抵、ウルフと行動を共にしていたから、実は地味に但馬がリディアで初めて遭遇した近衛兵の集団の中にも居たらしく、後で聞いてびっくりしたくらいだ。
「准男爵には、せっかくのお休みのところお邪魔しまして、本当に申し訳ございません」
ウルフの押し付けてきた仕事と言うのが、どうやらそのジルに関係あることだった。
彼女の実家はエトルリア大陸南岸に領地を持つ貴族であり、土地柄からアスタクス方伯に従属していた。そのため、ウルフがカンディア公爵を名乗ってから、かなり立場が危うくなってしまったらしい。
しかし、それで婚姻破棄を迫ったりするわけでもなく、どちらかと言うとアナトリア寄りの思想を持っているそうで、なんとか穏便に方伯との従属関係を解消できないかと、助けを求めてきたそうな。
娘がローデポリスで暮らしていたから、この国の現実がよく見えており、考えがアナトリアに染まったと言った感じか。実際、一度でもローデポリスに行ったことがあるなら、イオニア海を挟んでその生活レベルが段違いであることは誰にでも分かる。尤も、段違いすぎて又聞きをするだけの者には到底信じられないわけだが……
しかし、方伯から離反するにしても単独で旗印を変えては、周辺の諸侯から袋叩きに遭うだろう。そこで、今までは方伯に従う振りをしながら機会を窺っていたわけだが、今回のガラデア平原会戦でエトルリア軍が大敗したお陰で、エトルリア南部、特に沿岸部の諸侯の結束が揺らいでおり、切り崩すなら今しかないと、せっついて来たのだとか。
「それで、俺に何をやれっていうの?」
「准男爵にはブリジット様と共に、宮中晩餐会に出席していただきたいのです」
ガラデア会戦におけるアナトリア軍の強さは衝撃的であり、数多くの戦死者と捕虜を出した方伯はその責任から逃れようとして、今、求心力を失いつつあるらしい。特に占領下にあるフリジア子爵は、そもそも領地を守れなかったおまえが悪いと名指しで非難を受けており、亡命先で相当鬱憤が溜まっているのだそうだ。
それは別に方伯の性格が悪いとかそういう類の話ではなく、責任の所在を分散することによって、捕虜交換の際の損失を薄める狙いがあるのだろう。ぶっちゃけ、捕虜の数が尋常では無いため、すべての要求を聞いていては彼は破産してしまう。
その動きを見てウルフは一計を案じ、相手の分断を目的とした工作を開始した。フリジアの従属を求めるのではなく、子爵に独立するよう促したのだ。そしてフリジアを海軍の寄港地として利用できるよう、アナトリアと条約を結ぶように迫ったのだ。
どうせ、無理をしてフリジアを係争地にしたところで、戦火がくすぶるだけで、それほど旨味はない。フリジアには港としての価値はあれど、土地自体は大して広くもなく、資源があるわけでもない。その港の価値というのも、フリジアが広いガラデア平原を流れる川の河口にあり、その地方の多くの諸侯が利用しているから生まれたのである。無理に土地を奪い取っても、交流を絶たれたら何の意味も無いだろう。
だったら、フリジアは子爵に返して、方伯との従属関係だけを解消するよう迫ったわけだ。このまま行くと、子爵はアスタクス方伯の尻拭いをさせられるだけであって、場合によっては領地を失う可能性だってある。これで済むなら安いものだろう。
元々、建前上、エトルリアの貴族は、すべてが皇国に臣従している身分なので、方伯の支配から逃れたところで、形の上では何も変わらないのだ。かつてのリディアもそういう国だった。もしこれに方伯が文句をつけてきても、アナトリアが守ってやるのだから、悪くない取引と言えよう。
「なるほど、物は言いようだな」
独立しても、アナトリアに守られていなければ独立が保てないなら、実質従属しているようなものである。だが、フリジアはエトルリア皇国に臣従したままだし、アナトリアに条約でもって独立を保障されてるのだから、体面だけは立つ。
「うまい手を考えたものですね」
「はい。そしてこれに同調するつもりで、私の実家が、いま方伯に対して不信感を抱いている貴族に、こっそりと呼びかけております。あの会戦の衝撃は多くの諸侯を揺さぶっておりますが、あとひと押しがほしいと……公爵閣下はここカンディアで宮中晩餐会を開き、彼我の技術の差を見せつけようとおっしゃりました」
ローデポリスに比べたらまだ些細なものだが、カンディアにも発電所が設けられており、電気も通じている。軍港はそれによって24時間周辺の海を照らし警戒に当たっており、この新王宮もすべての部屋に電灯がつけられていた。
「晩餐会に訪れる使節は、恐らくこれらに興味を引かれるかと……しかし、様々な質問が飛び交うでしょうが、私達では満足の行く答えが返せるか疑問です。そんな折、我がカンディアへと准男爵がいらっしゃると聞き及び……」
「あー、はい。よく分かりました。俺はその晩餐会に出席して、彼らの質問に答えればいいんですね?」
そういうことならお安い御用である。せっかくの休暇中に何をやらされるのかとビクビクしていたが、単に晩餐会に出て、他国のお偉方相手に愛想よく受け答えしてればいいだけなら、問題無いだろう。
問題はせっかくのバカンスに水を差された家人たちであるが……みんな但馬が多忙な人間だと言うことをよく理解しているのか、文句の一つも出なかった。
なんだか申し訳ない感じもするが、カンディア公爵家の方も正念場なのであろう。断ってはアナトリアの安全保障にも関わるだろうから引き受けることにした。
「それで、晩餐会ってのはいつなんですかね?」
「到着したばかりでお疲れのところ申し訳ありませんが……」
だが、今晩だと言われて流石に面食らった。手際が良すぎる。
ウルフの奴は、きっと但馬がカンディアに来ると聞いた瞬間、ねじ込んできたに違いない。一応、病み上がりの休養を兼ねた慰安旅行だと知ってるはずなのに……ブラック企業の中間管理職みたいな奴である。
一言文句を言ってやりたいが、そのウルフはまだ海の上だった。自慢の戦列艦に出席者を同乗させて、午後か夕方には帰ってくるそうだ。こうなっては仕方なし、自分たちの歓迎パーティだと思えば腹も立たないので、大人しく時間まで待つことにした。