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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第四章
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但馬、家族サービスしてみる②

 胃潰瘍でぶっ倒れて、アナスタシアに怒られたことで、ようやく己を省みること出来た但馬は、無茶をやめて体調を整えることに専念したお陰で、大分体力を取り戻していた。


 そして不思議な事にあれ以来、例の悪夢を見なくなった。


 恐らく、怒ってる彼女に自分の抱えていた不安を、ほんの少しでも吐露したことでストレスが緩和したのと、彼女の抱えていた不安を知って反省したことで、気が引き締まったのだろう。


 元々、悪夢を見るのが嫌で仕事にかまけていたのだから、こうなれば仕事ばかりしている必要もなく、精神的にも余裕が出てきた。まだ休み始めて1週間ではあったが、体調はもうすこぶるいいし、そろそろ復帰後を視野に動き出してもいいかも知れない。


 考えたくは無いが、自分が記憶の中の但馬波瑠本人(オリジナル)で無いことは、もはや明白だ。そのことがプレッシャーになってアイデンティティが崩壊し悪夢を見せていたのだろうが……それじゃあ、自分は一体何なのだ? と言うと、亜人と同じ装置で生み出されて、但馬波瑠の記憶を植え付けられた何者か、と考えるのが一番無難だろうか。


 世界樹の遺跡に残されていた勇者の記録では、彼自身もどうやら自分と同じ追体験を経てこの世に生み出された存在だったようだ。ただ、それじゃあ二人は同一人物なのか? と言えば、そんなことは無い。同じスタートラインから始まっても、別々の人生を送ってしまえばやはり別人のようで、リーゼロッテやリリィに言わせれば、但馬と勇者は似ても似つかなかったようである。


 話に聞く勇者はどうも武闘派のようだったし、脆弱な但馬とは明らかに性格が異なる。どうして同じスタートラインに立った二人が、こうまでも違う人生を送っているのかは分からないが……健全な精神は健全な肉体に宿るというし、肉体が違えば精神もそれに引っ張られる、ということなのかも知れない。


 もう勇者はただの別人として、深く考えないほうが良いだろう。


 ……分からないと言えば、そもそもどうして但馬波瑠なのかと言うこともだ。


 例えば60年前に現れた勇者が但馬波瑠の記憶を持つなら、もしかしたらそれ以前にも但馬波瑠の記憶を持つ何者かが存在した可能性があるのではないか。そんな痕跡は今のところ見つかっていないし、ただの憶測に過ぎないが……もしそうであるなら、なんで但馬の記憶を持った人間が生まれてくるのか、意味が分からない。それが但馬である必要があるとは思えないのだ。


 自分のことではないと、割りきって客観的に振り返っても、但馬はそれほど大した人生は送ってきていない。そんな但馬をわざわざ選んで、生まれ変わらせる理由などさっぱり思いつかない。


 ただし、仮説はある。自分の持つ但馬波瑠の記憶は、火星探査船のクルーを選抜する面接会場にいた時で終わっている。その時、但馬は危機的状況にあったわけではなかったから、自分の記憶がそこで終わっているとしても、オリジナルの但馬の人生がそこで終わったとは言い切れないのではないだろうか。


 但馬が19歳までの記憶しか持たずにいるのは、多分19歳としてこの世に生まれたからで、本当はそれ以降の記憶もあるのではないだろうか。


 製鉄業は、かつて世界一でもあった日本の主要産業であり、鉄やその化合物についての無機化学の問題は、大学入試の定番だった。現実の高炉や転炉になぞらえた例題を解いた記憶もある。だが、それと実際の高炉の設計やら転炉の仕組み、農業と関連付けたりするような知恵は、流石に受験勉強だけでは身につかないだろう。


 身に覚えのないような知識が、当たり前のようにスラスラ出てくるのは、但馬波瑠のその後の人生の記憶も、自分の中に眠っているのではないかと……そして、その思い出せない記憶の中に、こんなことになってしまった理由が隠されてるのではないかと、但馬は最近そんな風に考えていた。


「それを、思い出せと言われて思い出せるのなら、苦労がないわけだが……」


 なんにせよ、もう記憶の中にある日本には戻れないのだから、結局、但馬はこの世界で生きていくしかなくなったわけだ。今更それを思い出そうがどうしようが、結果は変わらないのかもしれない。


 だったらそれよりも、今後のことを考えて、この世界に馴染んでいくほうがよっぽど建設的だろう……いや、もう大分馴染んでるような気もするが……そして頃合いを見計らってアナスタシアを食事にでも誘ってみて、自分のことをちゃんと話してみようかな……


 などと、但馬は暫くはこうして気楽に構えていようかなと思えるようになった。


 それに、それとは別にほんのちょっとだけ気がかりがあった。


 家でダラダラし始めてから分かったことだが、どうもリオンは基本的に外へ出て行かない。外というのは家の敷地外と言うことで、要するに街に友達が居ないっぽかった。


 正直、この世界のことはわからないから、どうこう言えない面はあるが、リオンくらいの時分に同年代の友達が居ないというのは、但馬としてはあまり考えられないことだった。普通は学校があるからだ。


 ただ、この世界の子供たちだって学校がないからってみんながみんな孤独なわけでもなく、適当に近所の子供らで寄り集まって遊んでいるので、リオンに友達が居ないのはもっと他の影響が強いと言えるだろう。


 考えられる要因としては、まず但馬の養子だと言うこと。それからリオンが亜人であることだろう。


 但馬は貴族のコミュニティに属しており、付き合う人間もそれなりのものだった。すると但馬の養子であるリオンは貴族の子供くらいとしか知り合う機会が無く、ところが貴族にとって亜人は奴隷みたいな存在なので、まともに付きあおうとはしてくれない。


 子供は良くも悪くもはっきりしたところがあるので、差別するにしてもわかりやすく差別してくる。知り合ってもあまり良い結果が得られるとは思えない。親だって気を使うだろう……そう考えると、積極的にリオンを誰かに紹介したいとは思えなかった。


 親父さんを始め、お袋さんにアナスタシア、たまにフレッド君なんかがリオンの相手をしてくれてたから、まあ、それでいいかなと思ってはいるのだが……大人に遊んでもらうことが返って同年代の友達が出来ない理由になってるのかも知れないし、だとしたら、ちょっと可哀想な気もする。


 亜人という種族は本当に従順であるらしく、普段のリオンはこんな窮屈な生活を送らされているのに不満を一切漏らすことなく、毎日読み書きソロバンの勉強を続けて、たまに帰ってくる但馬に褒めてもらうことを無常の喜びとしているようだった。


 いつも面倒を見てくれてるお袋さんに、かなり甘やかされて育ったはずが、決して甘ったれるのではなく、規則正しい生活と勉強を怠らない姿勢を見てると、偉いと褒めてあげるのは当然だが、どちらかと言うと心配に思えてくる。


「なんとかしてやれないかなあ……」


 家の庭を爆破して、エリオスに殴られお袋さんに折檻を食らった但馬は、罰として皿洗いを命じられたあと、ほうほうの体で部屋へと戻った。つい数日前までは、あんなに優しかったのに、もう病人扱いはしてくれないらしい。


 まあ、実際、ヒール魔法のお陰か、もうとっくに病人という感じでもなかったし、今後のスケジュールについて考えようかなとか思ってるくらいだったのだが……ワーカホリックというわけではないが、体調が戻り次第仕事に復帰しようと思っていたのだが、ちょっと考えが変わった。


 せっかく休みを取れたのだし、暫くは家族サービスするのも悪く無いだろう。それに、S&H社は但馬のワンマンなところがあったが、いい加減に但馬がいなくてももう十分に稼働するはずなので、そのテストをしてみたいと思っていた。


 会社にいるとつい口出ししてしまうのだが、実際にここ1週間休んでみても、特に問題なく回ってるようだし、組織としてのあり方を見直すいい機会になるかも知れない。


 などと……先ほど使った薬品を片付けつつ、そんなことを考えていると、ふと、白い粉に目がいった。覚せい剤ではない。硝安である。


 硝酸アンモニウムは硝酸のアンモニア塩で、硝酸自体もアンモニアから作れるから、考えてもみれば全てがアンモニア合成から作れる、本当に材料に空気しか使われていない肥料だった。


 それ自体も大変面白い特性だが、更に面白いのは、この物質は爆轟を受けると誘爆して更に大きな爆発を起こすと言う性質があることだ。


 1921年、ドイツ・オッパウの化学工場で大爆発事故が起き、死者5~600人、負傷者2000人にも上る歴史的大事件として後世に伝えられている。この事故は、工場が生産していた硝安と硫安の混合肥料を作ろうとして、ダイナマイトで爆破したことによって引き起こされたそうである。


 それまでも同様の処理を行っていたため、こんな大爆発が起きるとは思わなかったそうであるが、この時の事故をヒントに、後の科学者が硝安の性質に着目して新しい爆薬を開発し、これが現在、世界中の鉱山でダイナマイトに変わり利用されていた。元はただの肥料なのだから、不思議な話だ。


 余談であるが2015年、中国天津で大規模な爆発事故が起き、未だに原因が特定されていないそうだが、この時に倉庫の中にあった化学物質の中にも硝安は含まれており、恐らくこれが爆発の原因として最有力のものだと思われる。


 ところで、この硝安の生産過程で副産物として亜酸化窒素が生成される。これは一般に笑気ガスと呼ばれており、全身麻酔や歯科麻酔に使われているものであるが、人間が酸素と一緒に吸うと鎮痛作用と多幸感が得られるらしく、簡単に手に入るものだから海外を中心に一時期脱法ドラッグとして流行った。シバガスと言えば分かるだろうか。


 この亜酸化窒素は、実は硝酸アンモニウムを加熱することで作れる。ただし、慎重にしないと爆発するので、触媒として食塩を加えて、じっくりゆっくり加熱していくと、やがて硝安は亜酸化窒素と水蒸気に分解されるので、あとは冷却分離すればいい。


「……と言うわけで、何故か書斎に蒸留器があったから、つい作ってしまった(わたくし)なのであるが……」


 ビーカーに無色透明の気体が溜まっているはずだが、見えやしないからなんとも言いがたい。大体、本当にそんなのが効くのかな? と但馬はものは試しと、それを慎重に吸い込んでみた。


 しかし、特に変わった様子はなく、あれ? 失敗したのかな……と思いながら、装置を見なおしていると、トントンと部屋のドアがノックされた。


「……お父さん」


 見れば、小さく開けられたドアの隙間から、リオンがもじもじしながらこちらを覗き込んでいた。


「あ・そ・ぼ」


 どうやら遊んで欲しいようだ。


「……こんな情けないお父さんでも、遊んでくれるのかい?」

「うん」


 先ほどみっともない姿を見せたばかりだから、暫く近づいてももらえないと思っていたのだが、杞憂だったらしい。


「いいですとも! それじゃ、なにして遊ぼうか?」


 但馬がそう言うと、リオンの顔がぱっと輝いた。なにこれ可愛い、世の中のお父さん方が、子供の寝顔を見るだけで頑張れるという気持ちがよくわかる。胃潰瘍は辛かったが、病気になって良かったと本末転倒なことを考えてしまう。


 それにしても本当に優しい子に育ったなと思うと但馬は嬉しくて、体の底からなんだかぽかぽかとした気持ちになった来ると言うか、うきうきした気持ちになってくると言うか、楽しいと言うか、あれ? なんだろう、この気持ち。なんか妙にハイテンションなんだけど……


「う……うひっ……うひひひひっ……うひひひひひっ!!」


 気が付くと但馬は何故か知らないが、可笑しくもないのに腹を抱えて笑っていた。


 リオンの頭が怪訝そうに傾く。


 ……はっ!? もしやこれは……書斎の机の上にあるビーカーを振り返った。


「うひょっ……うひょっ……! うひょひょひょひょひょ……!!」


 間違いない、笑気ガスが今頃効いてきたっぽい。気持ち悪い笑い声を上げながら、但馬が顔を真赤にして笑いこけてると、不安げな表情でリオンが泣きそうになっていた。


「ちがっ! 違うんだ! うひっ! ちょ、ちょっと来なさい……うひっ!」


 いけない。変な誤解をされてはたまらないと、但馬は手招きするとリオンを部屋に招き入れた。彼は小首をかしげながら近づいてくる。


「これっ……この中の空気を吸うと……腹っ! 腹がよじれ……ウヒッ!」


 そう言ってビーカーを差し出す但馬を怪訝に見つめながらも、リオンは殊勝但馬に言われたことを確かめようと、ビーカーに口をつけた。そして……


「……ぷぅ……ぷくくく……ぷぅー!」

「うひゃうっ! な!? な!? は、腹が……あーっはっはっはっは!!」


 腹を抱えて但馬が爆笑すると、それに釣られてこらえ切れなくなったリオンも声を上げて笑い出した。


「う……いひひひっ! いひひひひ」「うぷぷぷぷ」「いあははは」「うひゃひゃひゃ」「うひうは」「うきょきょ」


 あかん、これ、なんだ、これ、おかしすぎる……


 そんな具合に二人して、気でも触れたんじゃないかと言わんばかりに大爆笑していたら……


「……あんた、命のスペアはあるんだろうね」


 部屋の入口には般若が立ち尽くし、但馬を今にも殺さんばかりの形相で睨みつけているのだった。


「うひっ! うひひっ! ひぃいいいい~~~!!!!!」


 但馬はその日、二度目の涅槃を見た。


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