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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第四章
111/398

知りませんよ

 但馬が倒れたという知らせはあっという間に街中に広まった。


 皇帝は近衛兵からの知らせを受けて、手にしていた杖を取り落とし、大臣たちは卒倒した。国家予算の計算をしていた頭取は頭を抱え、但馬に今倒れられたら計画が立たないと、すかさずヒーラーと医者を手配し、但馬の元へ向かうように指示した。


 何故かS&H社が解体されるという噂がたって、あちこちで商品を買い占めようとする動きが起こり、突然殺到した客の対応に追われた直営店のスタッフが悲鳴を上げた。アナスタシアはその騒ぎで、但馬が暗殺されたという嘘を告げられ、ショックで放心しかけたが、そんなはずがないと気を取り直し、方々に連絡をして無事を確かめると、店を任せて家に急いだ。


 ブリジットは王宮で嫌々ながら勉強をさせられている最中だったが、飛び込んできた近衛兵に但馬が倒れたと聞くと、顔面蒼白になってこんなことしてられないと部屋から飛び出し、引きとめようとする近衛兵たちを一蹴して、王宮から飛び出した。


 飛び出したはいいものの、一体どこへ向かえばいいのか分からず、取り敢えず家に向かうことにしたのだが……息も絶え絶え彼女は思った。それにしても、いつ帰ったのだろう? 前回帰ってきて、すぐまたとんぼ返りして、まだ1週間くらいしか経っていないのに……


 その但馬は本社で倒れると、その場に居た従業員の一人にヒール魔法をかけられ、気絶したまま担架に乗せられ家まで運ばれた。むせ返る度にかなりの血を吐いていたが、魔法によって喀血はピタリと止まり、容体は落ち着きを取り戻したようだった。


 家で但馬を迎え入れたアナスタシアは、彼を寝室のベッドに横たえると、祈るように聖書の一節を読み上げた。続いて頭取に手配されたヒーラーと医者がやってきて、彼女をどかし、脈を取ったりまぶたの充血を確かめたり、色々触診しながら但馬の倒れた状況を問診していると、ようやく但馬が意識を取り戻し、その場にいた全員を安堵させた。


「う……う~ん……あら? みんなどうしたの?」


 しかし、どうやらヒールで全快してしまったせいで、気分すっきり目覚めてしまった但馬は、自分が倒れた時のことを覚えてなかったせいで何が起きたか分からず、ポカンと口を開いて、一体何事かと尋ねては駆けつけた人たちを脱力させた。


 それを聞きたいのは医者の方で、


「准男爵、少々お尋ねしたいのですが……最後にごはんを食べたのはいつのことでしょうか?」

「飯? 飯は……なんでそんなこと聞くの?」

「いいから、お答えください」

「……いつだったかなあ。昨日は食べてないと思うけど……」


 歯切れの悪い返事もさることながら、なんで丸一日何も食べてないのかと唖然とさせられた一同であったが、それだけではなく、


「……顔色も優れないようですが」

「そう? 日焼けしてるからかな。いや、これは単に見た目だけで……」

「いえ、誤魔化されませんよ。唇がカサカサに乾いていて、下瞼は真っ白です。こめかみの血管は浮き出てますし……相当お疲れのご様子ですが、一体どういう生活をしてらっしゃるのですか?」


 但馬が医者に説教を食らってる中、突然エリオスがあっ! と小さく声をあげると、


「……社長。やっぱりおかしいと思ったんだ。君は、いつから寝てないんだ? さては製鉄所にいた間、一睡もしてないな!?」

「まあ、確かに徹夜だったけど、馬車の中で寝てたろう? そんな心配するほどでも」

「馬車の中なんて……そんなので熟睡なんて出来るわけないじゃないか。そう言えば……ハリチからこちらへ帰ってくる間、毎晩、見張りの暇つぶしに付き合ってたそうだな? 後で聞いて驚いたが……君がいつでも安心していられるように、俺たちは交代で眠ってるんだぞ? ……なのに肝心の君が起きててどうするんだ!」


 流石にこの言葉に、集まった人々は違和感が拭えず、一斉に但馬のことを見るものだから、但馬はうっと言葉を飲み込むと、バツが悪そうに視線を逸らせた。


「いや、だから、馬車の中で移動中に寝てたから」

「だから、そんなことでは疲れは取れないだろう! そう言えば……移動中は、あまり食事もしていなかった……まてよ? ハリチにいる間も……ヴィクトリアではどうしてたんだ!」

「その話、詳しく聞かせていただけませんか」


 エリオスが但馬を詰問していると、医者が興味を示して話に乗っかってきた。


 その結果、このところの但馬の生活が暴かれて行ったのだが……ブリジットと会食をしてから、ハリチへ戻るのに2日間船に揺られ、ろくに休みもしないでそのままヴィクトリアへさらに2日かけて船で向かい、村で一泊したあと金山発見を知らせるために今度は山道を3日間乗馬で走破し、ハリチの執務室に篭りっきりで中央と電話で何日間もやりとりし、派遣された調査隊の案内でまたヴィクトリアへ逆戻りし、山を歩き回って地質調査を行い、また3日かけて馬を走らせハリチに戻り、今度は船を作るため馬車で3日かけて製鉄所まで移動し、そこでまる二日飲まず食わずで徹夜して、フラフラでおかしくなっているのに肝心の本人が気付かず、当たり前のように野菜炒めを食べたら胃が受け付けずに卒倒したらしい。


 その間、食事も睡眠も、合間合間にほんの少し取ってるだけだった。


「准男爵。死ぬ気ですか?」

「いや、そんなつもりは。これでもずっと平気だったんで、大丈夫かなって」

「ずっと? ずっととは……以前からこんな生活を続けてたんですか?」


 あ、やばい、藪蛇だった……と思っても後の祭りで、もはや取り繕うことも出来ずに但馬はそれを肯定した。


 医者はため息を吐きつつ、


「准男爵の病状は典型的な胃潰瘍ですよ。恐らく、仕事のストレスで胃酸過多になった胃袋が、更に偏食や睡眠不足で胃粘膜を傷つけて、ボロボロになっていたところに、突然重い食べ物が取り込まれたせいで、びっくりして胃酸が異常に分泌され、一気に胃袋に穴を開けてしまったのでしょうね。喀血がどす黒い色だったのは、大分以前から胃袋が傷ついて、定期的に血を流していた証拠です」

「あー、そっか。胃に穴が開いただけだから、ヒールで治っちゃったんだな。いやあ、変な病気じゃなくて良かった」

「あのですねえ……そういうことを言ってる場合じゃありません。下手をしたら、死んでいたところですよ!? 早急に今の生活を改めないと、何度だって同じことを繰り返しますよ?」

「うっ……わ、わかりましたよ。それじゃ、そうならないように、今度からヒーラーでも雇います。そうと決まれば、早く仕事に戻らなきゃ」


 医者は天を仰いで首を振るった。こいつは何も分かっちゃいないと言いたげである。だが、彼が説教を食らわす前に、始めてこのことを知った親父さんが珍しく声を荒げて怒りを露わにした。


「いい加減にしないかっ! 社長、一体君は何をやってるんだ!? そんなになるまで仕事しなくたって、君は十分働いているのだし、ちょっとしたことくらい俺達に任せればいいじゃないか! 最近はやけに領地にばかり行ってて、よっぽど仕事が楽しいんだろうと思ってはいたが、君のは度を越しているよ」

「いや、そうは言っても、俺じゃないと出来ない仕事もありますし……」

「仮にそうだとしても、そうじゃないものだっていくらでもあるだろう。どうして俺たちに仕事を回さないんだ? そんなに俺たちが信用出来ないのか!?」

「いや、そんなことは無いですけど……向こうだと、本当に仕事を任せられる人がいないんですよ」

「だったら、俺でもフレッドでも呼び寄せればいいだろう! 君が一番偉いんだから、命令すればいいんだ! ……いや、それだけじゃない。君が居なくなったら、この会社は持たないぞ? そしたらどれだけ多くの人達が露頭に迷うと思ってるんだ。従業員やその家族に無責任だと思わんのか!」

「う、う~ん……でも、皇帝陛下直々に頼まれてる仕事もありますし。そんなの断れないでしょう?」


 但馬が親父さんに怒られても、なお言い訳を続けていると、凛とした声が響いた。


「なら、それは私が撤回します。陛下には私からご報告しておきますので、先生はもうご無理をなさらないでください」


 見れば、いつの間にか大勢の近衛兵を引き連れて家にやって来ていたブリジットが、いつもの柔和な表情とは打って変わって深刻な顔をしながら但馬を見つめていた。


 但馬はいきなり別方向から飛んできた声に驚きながら答えた。


「ありゃ、ブリジット? いつの間に来たの」

「ついさっきです。あまり大勢でつめかけてもご迷惑でしょうから、部屋の外で待たせて頂きました。先生、もうお加減はよろしいでしょうか」

「ああ、大分良くなったから、もうそんな心配してもらわなくても……少し休めば仕事だって出来るさ。みんな、大げさなんだよ」

「そういうわけには参りませんよ。先生には暫くご静養していただかなければ……」

「だから大げさだって」

「大げさじゃありませんよ。とにかく先生、もう観念して、しばらくは養生に努めてください。そうじゃないとみんな心配します。どう見てもあなたは疲れてますよ。まったく……それにしてもエリオスさん、いつも一緒にいるあなたが、どうして気づかなかったんです?」

「面目ない……」

「主人を立てて自由にさせるのも、食事を一緒にしないのもいいですが、それで肝心の主人の健康が疎かになってることに気づかないのでは、本末転倒ではありませんか。やはり、あまり遠慮しすぎない方がいいんじゃないですか?」

「む……すまない、姫。今回は全面的に俺が悪い」


 大男のエリオスが、ブリジットに言われて小さくなっていた。だいぶ前から同僚だったり上司と部下だったりしたから、気のおけない間柄だったのかも知れないが、但馬は少しムッとして、


「何だよ、ブリジットが口を挟むような問題じゃないだろう? もう、うちの社員でも何でもないんだし。おまえが居たからって、防げた話でもないじゃん」


 と言うと、ブリジットもカチンと来たらしく、


「ええ、ええ、私が何を言っても先生が聞き入れてくれなければ意味無いでしょうよ。だったら、こっちにも考えがあります。先生が生活を改めて、健康を回復なさらないと言うのであれば、それまで国内のS&H社の営業を全部停止させます」

「はあ!? おまえ何いってんの? そんなこと出来るわけないだろう」

「出来ますよ。私は次期女王候補ですからね。駄目だって言っても従わせますよ。もう決めました。先生が悪いんですからね」

「無茶苦茶言うなよ。大体、そんなことしたらお前の立場だって危うくなるんだぞ? 女王なんて言ってられなくなるぞ」

「どうでもいいですよ、そんなこと。ずっとそう言ってるじゃないですか」


 だったら王位継承権とか持ち出すなよ……水掛け論になりそうなので、その言葉をぐっと飲み込み、但馬はギリギリと歯噛みした。


「あのなあ! そうは言っても色々仕事を残したままなんだ。それをほっぽり出したまま休んでるなんてこと、気になっちゃって俺にはとても出来ないよ。我が社は今、大事な時期なんだ。せっかく製鉄所まで作って貰ったのに、鋼材需要を満たせるのは今国内ではうちだけなんだ。休んでるわけには行かないんだよ」

「知りませんよ」

「おまえなあ、この国だって今が正念場だろう? 対岸では戦争やってて、移民が大挙して押し寄せてきてて、新しい街も雇用も創設しなきゃならない。そんな時、予算もかつかつの中、金山が見つかったんだ。これを早く稼働させなきゃ」

「別に急ぐ必要はないでしょう。金山が逃げるわけじゃないんですから」

「いや、そう言う問題じゃないだろう。どうして分からないんだよ!」


 但馬にしては珍しく感情論が先走っているので、流石にこの場にいるみんなも、彼が少しおかしいことに気がついた。それは体調不良だけじゃなく、精神的なものかも知れない。だが、基本、S&Hはワンマンなところがあったから、彼がおかしいと思っても、みんな何て言って良いのか分からなくて、押し黙るしかなかった。


 なんやかんや、彼らはみんな但馬の出自など、不審な点に目をつぶっていたり、そんな但馬に頼りきっているフシもあったからだ。


 だがブリジットはピシャリと言い切った。


「分かりませんよ! 私には金山なんかより、先生の健康の方がよっぽど大事です!」


 それは殆ど愛の告白のようなセリフだったが、不思議とその場にいるみんなの心を打った。


 ただ、但馬だけがむかっ腹を立てて……


「おまえ、自分の国のことだろう!? ふざけんなっ!!」

「いい加減にしないか……」


 それまで何か言おうとしては躊躇して黙っていた親父さんが、もう限界といった具合に、言い争う二人の間に割って入った。


「姫さまの言うとおりだ。何があったか知らないが、君は最近焦り過ぎだろう。こうして倒れてしまったのは事実なんだから、観念して、まずは体調を整えるために大人しく休養してくれ」

「しかし……」

「しかしもかかしもない。もし、君がまだ無理を続けると言うのなら、俺も君の手助けをしない。部下も全員引き上げさせる。ストライキだ」

「ええ? そんなの汚えよ……」


 エリオスが後を引き取るように続けた。


「すまないが、俺も賛成だ。社長、俺は優秀な護衛とは言えないが、仮にそうだしても、護衛対象が自分自身を守ろうとしないのでは、護衛しきれない。そんなのでは部下に命を預けろとも言えない。どうか悔い改めて欲しい」

「う、う~ん……」


 さしもの但馬も中年組には弱く、立て続けに諭されると何も言い返せなくなった。続いてフレッド君とお袋さんにもしっかりしろと言われ、アナスタシアが出逢った頃のように眉だけが困った真顔で、


「……先生。お願い」


 と言われ、全方向から絶対安静を言い渡されると、彼はもう抵抗するのもバカバカしくなり、


「あぁあああ~~!! ああー! もう! 分かったよっ!」


 どう考えても自業自得なのだが、納得しきれない但馬はなんだか悔しくて目頭が熱くなってきた。それを悟られまいとして、彼は布団を引っ被ると、ふてくされたように叫んでそっぽを向いた。


「休めば良いんだろ、休めばっ!? 分かったよ! 分かったから、もうみんな出てけっ! もうほっといてくれ。このまま永眠してやる……ちくしょう」


 そして手近にあった枕やらペンやらメモやら書類やらをポイポイとぶん投げて、癇癪を起こした子供みたいに暴れた。


 恐らく寝不足も手伝って相当イライラしてるのだろうが、みんなその姿に呆れながら部屋から退散すると、腕組みをしたり、頭を抱えたり、思い思いに嘆いてから、但馬のことを憂いつつも、今後の対策協議を行った。


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― 新着の感想 ―
[一言] 本当に子供だなあ。精神的な意味じゃなく二十歳という設定で作られた人間なら こいつは設定は22歳だかの実質3歳の子供なのかもしれないが
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