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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第四章
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鋼色の日々④

 製鉄所で所員が作業をしていると、但馬がふらりと現れた。昨日来て、今朝帰ったばかりのはずなのに、何でまた居るのか? と不思議に思っていると、


「ちょっと待った。高炉止めて」


 と言って、彼は所員に作業を止めるように指示した。


 しかし、高炉は止めろと言われても、すぐに止められる物ではない。それくらい知ってるだろうに、どういうつもりだろうと疑問を呈すと、彼は火を落とせと言ってるわけではなく、昨日言っていた低品質の鉱石を使うのをやめろと言っているのだった。


「昨日の対処法は間違ってたんだ、やり方変えないと転炉が壊れる」


 作業員達はそれを聞いて、慌ててまた使うようになっていた低品質鉱石を砕くのをやめた。



 

 高炉も転炉も、溶けた鉄を扱っているわけだから、超高温に耐えられる構造をしていなければならない。高炉では最大2000℃を超える熱に耐えているわけだが、そんな高炉が何で出来ているかと言えば、昔ながらの焼き窯と同じく、やっぱりレンガを使っていた。


 岩を砕けば石になる。石を砕けば砂利になる。砂利は風化してやがて砂になり、その砂が更に風化すると粘土になる。粘土は岩の風化の最終段階の極小の粒子であり、元々は石だったわけだから、水で固めて高温高圧をかけて水分を飛ばしたら、また石に戻る。


 地球上で最も多い元素は酸素であり、続いてケイ素、アルミニウムと続いていく。石や砂の成分は、大体この3種類の元素から成っており、シリカ(二酸化ケイ素)とアルミナ(酸化アルミニウム)が主な成分である。


 意外かも知れないが、石は鉄よりもずっと融点が高い。鋼鉄のハンマーで、簡単に打ち砕かれてしまう石であるが、こと熱に関しては鉄がドロドロに溶けるような温度でも、石はへっちゃら平気で原形を留めていられる。具体的には、鉄の融点は1500℃程だが、石のそれは2000℃を優に超える。


 レンガは粘土を焼き固めたものであるが、粘土が何故、粘り気を持つのかと言えば、それは水を含んでいるからである。


 例えばサラサラの砂であっても、水をかければ砂同士がくっつき合って泥になり、砂の城を作ることが出来るだろう。粘土もそれと同じことで、風化の最終段階というものすごい微小な粒子であるから、粘土を構成する粒子同士の間にも水分子が入り込んで、あの粘り気を生み出しているそうなのだ。


 つまり、水も込みで粘土なのであり、もしも水を含まなければ、粘土は極小の平べったい粒子でしかない。太陽系では地球にしか存在しないであろう鉱石であると言われている。


 さて、粘土は水を含んだ鉱石であるから、高温にして水分を飛ばせば元の石に戻るはずだ。粘土は粘性を持っているから、容易に皿や壺、花瓶の形に出来るので、そうしてから焼き上げれば、これが陶器になるわけである。


 レンガは陶器と同じく、粘土をブロック状にしてから焼き上げたものであり、結局は石と同じ成分であるから、それ自体が非常に耐熱性に優れている。


 ただし、鉄は珪酸(シリカ)より融点が低いので、粘土中に鉄分が含まれているほど耐熱性が損なわれるから、耐熱性に優れたレンガは鉄分の少ない粘土から出来たものと考えられる。因みに、陶器は鉄分を含むと赤くなり、少ないほど白くなる。耐熱レンガは実際、白っぽいので見てすぐ分かるはずだ。


 ところで、レンガを焼き上げることは即ち水分を飛ばすわけだから、元の粘土の塊よりも焼き上がったレンガは必ず小さくなる。水が抜けた分、粒子のつながりが甘くなる部分が出来て、質の悪いレンガは肉眼でも小さな穴があいているのが見て取れるだろう。


 その状態ではレンガは脆く、耐熱性もさほど高くない。そこで一旦焼き上がったレンガを細かく砕き粒子にする。この粒子をシャモットと呼ぶが、それをセメントの骨材のように新しい粘土に混ぜて、再度焼き上げることにより、以前より粒子同士が密になるので、これが耐熱レンガになるのだ。


 かなり大雑把に言うと、耐熱レンガは大体こんな方法で作られていた。




 転炉は鋼鉄を使って頑丈な炉を形成するが、鋼鉄は溶銑の熱に耐えられないので、レンガを内張りすることによって熱に耐える構造をしている。転炉は、溶銑に酸素を吹き込むことによって、溶銑に溶けている不純物を酸化させて、二酸化炭素やスラグに変えるものだが、これによって出来るスラグはケイ酸やリン酸、酸化鉄、酸化カルシウムといった酸性の物質である。


 さて、ここで思い出して貰いたいのは、リン酸肥料が酸性雰囲気下では、鉄やアルミニウムと結合しやすい性質があるということだ。


 溶銑にはリンも溶けているが、酸素を吹き込まれることによってリン酸に変化したリンは、このせいでスラグよりも溶銑の方と結合しやすい。このままだと出来上がる鋼は脆く使いものにならないので、そこでアルカリ性の石灰石を投げ入れて、スラグをアルカリ性にし、リン酸をスラグに溶けやすくしたわけだが……


 実はこれが大問題なのだ。何故なら、転炉の内壁に使われるレンガも、シリカやアルミナといった酸性物質であるからだ。


 つまり、石灰石を投げ入れると、スラグだけでなく、内壁とも激しく化学反応を起こしてしまい、暫くすると転炉の内壁が傷つき使えなくなってしまう。そのため、初期のベッセマー転炉はリン酸を含む鉱石を扱うことが出来なかった。


「それじゃあ、やっぱり低品質鉱石は使わないんですか?」

「現状は使わないほうがいいです。でも、それはそれで回避方法があって……」


 石灰石を投入する方法では、酸性のレンガを使った内壁が傷ついてしまう。これに答えを出してくれたのは、イギリスの裁判書記官であるギルクリスト・トーマスの作ったトーマス転炉だった。


 トーマスは父親に早く死なれ、一家を養うために17歳で裁判所に就職したが、学問を捨てることを惜しみ、夜学に通って勉強を続けていた。その夜学の先生が、転炉の脱リンに成功すれば一生安泰であると言っていたため、以後、その問題解決に執念を燃やした。


 彼は従来の研究から石灰を使う方法を知り、これを発展させれば解決するだろうと考えた。そして、転炉の内張りである耐火材が酸性であるのが問題なのだから、アルカリ性に置き換えてしまえばいいと結論した。


 ところが、これは非常に難しいことで、当時の技術ではアルカリ性の耐火レンガを作ることは不可能だったのだ。


 だが、彼は根気よくこの問題に取り組み、最終的にドロマイト(苦土石灰)を高温で焼き上げ、クリンカー(半分溶けた石、セメントの材料)にし、それを砕いてコールタールを接着剤代わりにして固めたものを、転炉の内壁に使うことで、この問題を見事に解決したのだった。


 こうして、アルカリ性の耐火材を使った転炉が出来たお陰で、それまで使えなかった鉄鉱石も使えるようになり、転炉以外の精錬炉は廃れていった。因みに、ヨーロッパの鉱石のおよそ9割がリン鉱石であったため、彼の発明は世界の鉄鉱山の分布図を変えたと言われるようになる。


「ドロマイトは肥料になるんで、地味に隣の工場にも置いてます。ちょっと貰ってきて、やってみましょう」

「今ある転炉を改造するんですか?」

「流石にそれじゃ操業を止めなきゃならないんで、新規に作ったほうが良いでしょうね。それまでは鉱石を選別して、今後はこっちに順次切り替えてく方向で」


 その後、持ってきた材料を窯で焼き上げ、耐火材の出来を確かめたり、製鉄所の管理職クラスを集めて、今後の方針を話し合ったりしているうちに深夜になっていた。管理職は眠気と迷惑そうな顔を隠さず、会議を終えると宿泊所へと仮眠を取りに消えていった。


 従業員はとっくにシフトが変わっており、初めに説明した者達がいなくなっていたので、但馬は改めて最初から説明し、またその彼らと一緒に耐火材を改良したり、転炉の痛み具合を確かめたりしてまた一晩を明かした。


 日が昇ってくると徹夜明けのダルさと、なんだか良くわからない気分の高揚でハイになっていた但馬は、顔を洗うと仮眠を取らずに本社へ向かうことにした。


 今から向かえば朝礼で親父さんを捕まえることが出来るだろうし、懸案事項である蒸気船の話も詰めなければならない。金山は待ってくれないのだ。


 立ちっぱなしで痛くなった腰をトントン叩き、首の骨をポキポキ鳴らしながら厩舎へ向かうと、護衛の一人が「えっ!?」とした顔をしながら迎えてくれて、エリオスがまだ来てないので呼んでくると言って宿舎へ飛んでいった。


 間もなく眠たげなエリオスがやってきて、


「……社長、君は一体いつ眠ってるんだ?」

「いやあ、なんか絶好調でさ。それより早く行こうよ、本社で親父さんを捕まえたいんだ」


 呆れる彼らを尻目に馬車に乗り込むと、早くしてよとカンカンと馬車のフレームを叩いた。


 製鉄所から市街はせいぜい10キロ程度の距離であったから、馬の早足で30分程度で着いた。時間帯としてはまだ早朝であり、穀倉地帯の農場にはいくらかの人影が見えたが、街を出てどこかへ向かおうとする人はまだ見当たらない。


 ローデポリスの城壁が見えてくると、城門に詰めていた憲兵隊が但馬の姿を発見し、慌てて数十人規模が駆けつけてきて、彼を取り囲んで入城する。


 そして大名行列みたいに憲兵隊を引き連れて馬車を本社前の広場まで進めると、丁度出社してきたばかりらしきフレッド君が本社の前を掃除していて、


「あれ!? 社長、お早うございます! どうしたんですか、一体!?」

「朝礼に間に合いそうだったから、親父さんに会いに来たんだけど」

「えー!」


 すると、どうやら昨日、伝言を頼まれたフレッド君が親父さんにその旨を伝えると、彼は仕方ないなといった顔をしてから、待ってたらドンドン自分の優先順位が下がっていきそうだと、今日の朝にでも製鉄所の方へ行くと言っていたそうだ。


 すると行き違いだろうか……しかし、製鉄所から市街へは一本道なので、すれ違ったら分からないわけがない。とすると恐らく、親父さんはまだ出かける前だったのだろうから、まだ家に居るか、今ちょうど向かってる最中のどちらかだろう。


 その旨をエリオスに伝え、護衛諸君に追いかけて貰うことにして、但馬は社長室へと足を向けた。だがもうそこは社長室というか、ただの会議室であった。


 元々会議室と応接室を兼任した部屋だったから、このところ領地と首都を行ったり来たりしているお陰で、あまり本社にも寄り付かなかったせいで、但馬のパーソナルスペースは端っこに追いやられてしまったようである。


 トホホと思いながら会議室の机に座っていると、やがて本社組が出社してきて、珍しい姿を見つけていちいち驚いていた。いや、社長の顔を見てそのリアクションはどうなんだと思いつつ、最近景気はどうなのと世間話をしていると、やがて朝礼の時間になってしまったので、最高責任者ということで訓示を垂れるはめになった。


 本社は現在、事務方しか詰めていない。手広く事業を広げた結果、統括する部署が必要となって、金融や経営に詳しい人材を一箇所に集める必要が出来て、ここがそうなった感じである。


 大番頭であるフレッド君をトップに、十人ほどが常駐しており、各部署と子会社との連携を上手く保ってくれている。それもこれもやっぱり電話機能が大きく、市街で唯一複数回線が引かれているこの本社は、もしかしたら世界で最もハイテクな建物なのかも知れない。


 そんなことを考えつつ、適当にお仕事頑張りましょうと訓示を垂れて、始業になると邪魔しては悪いと思い、一人で会議室の机に座っていた。


 親父さんを追いかけていった護衛たちはまだ帰ってこない。多分、もう家には居らず、入れ違いで街から出て行ってしまったのだろう。時間がかかってるところを見ると、恐らく親父さんは馬車を使っているのではないか。


「こんにちわー……フレデリック居る?」


 ぼんやりと待つこと数十分、いい加減退屈していると来客のようだった。話しぶりからしてフレッド君個人に用があるようなので、一体誰だろう? と思って会議室から事務所を覗き込んでみると、


「あ! 社長! 調度良かった! 今呼びに行こうと思ってたとこですっ!」


 目ざとく見つけたフレッド君に、いつもの元気な声でそう言われた。見れば来客とは昨日会ったばかりの彼の従兄弟、マンフレッドであり、


「……ども。爺ちゃんに言われて、ちゃんと礼言って来いって……准男爵様のお陰で俺も畑が持てました。ありがとうございました。これ、俺の畑で採れた野菜と、爺ちゃんから……美味い肉だって」


 と言って、彼は食材のどっさり詰まったカゴを差し出してきた。


「うひゃー、こりゃ凄い」


 その量たるや凄まじく、但馬の家にいくら冷蔵庫があるとは言え、とても食べきれない感じである。持って帰るのも一苦労のそれを腐らせてしまうのも悪いし、どうしたものかと思案していると、それを見ていた従業員と目があった。


「……せっかくだし、みんなでいただこうか?」


 そう提案すると、待ってましたとばかりに従業員の一人がでかい中華鍋を持ってきて、備え付けのキッチンで早速鍋に油を引いた。従業員の中に料理が得意な者がいるらしく、昼食などをよくご馳走してくれるそうだ。楽しくやってくれればそれで良いので、黙って料理を見届ける。


 見た感じ、かなり手際がよく、配置する部署を間違えてるんじゃないか? と思いつつ、ちょっとしたレストラン並に充実した調味料を使って、肉を焼き野菜を焼いていると、まるで香ばしい香りに釣られたかのように親父さんとエリオスたちが帰ってきた。


「これは一体なんの騒ぎだい?」


 理由を聞いて苦笑する親父さんに従業員一同が小言を貰いつつも料理は進み、やがて人数分の野菜炒めが出来ると会議室に並べられた。


「……俺もか?」


 普段は主人と同じ席には座れないと言って拒むエリオスも、こういう席だからと卓を囲み、


「それじゃ、他の部署にバレるとやばいから」


 と言って、笑いながら会食は始まった。


 従業員が作った野菜炒めは、味付けは生姜焼きみたいなものだったが、もぎたての野菜がとても甘く、特上のお肉は口の中でホロホロと融けて、火は通しすぎてもなく油も丁度いい塩梅で、まさに絶品であった。


 こりゃあ良いとパクパクしていると、ソワソワとしながらマンフレッドが近づいてきたので、


「いやあ、とても美味しいよ。わざわざどうもありがとう」


 とお礼を言った。彼は満更でもないといった顔で、もじもじしていた。どうも口数の少ない男で、感情表現が苦手のようだ。苦笑しながら、もっと感謝して見せようと、


「特にこの……」


 お肉が素晴らしいと言いかけて、いや、彼が作ってるのは野菜の方なんだから、肉より野菜を褒めたほうが良いだろうと思い直し、その甘さと旨さをどう形容しようかと言葉を選んでいる時であった。


 但馬の全身に唐突に悪寒が走り、彼はブルブルと体を震わせた。


「……あ……れ?」


 急に体に力が入らなくなり、彼は持っていた皿と箸をカランと取り落とした。


 まるで別の生き物になってしまったかのようにガクリと膝が折れると、崩れるように腰が椅子へと収まった。だが椅子の背もたれにも支えきれなかった背中がずり落ちて、結局但馬はこらえ切れずに地面に落っこちるかのように倒れ込んだ。


 ドンッ! っと大きな音がたって、硬直した全員が一斉に但馬の方を向いた。


「貴様っ! 何を食べさせた!!」

「お、俺は何もっ!!」


 血相を変えたエリオスがすっ飛んできてマンフレッドの胸ぐらを掴んだ。


「……ま、待って、エリオス……みんな同じものを食べてただろ……」


 だから彼のせいではないと言おうとしたとき、猛烈な痛みに襲われた。


「……痛っ……いだだだだだっ! ……あ……あ゛ああ゛あ……ああ゛ああぁ、あ゛!!!」


 但馬は全身を駆け巡る激痛に、思わず絶叫のような悲鳴が漏れた。胃がまるで別の生き物になってしまったかのようにビクビクと震え、ものすごい勢いで収縮していくのを感じた。みぞおちに強烈な一撃でも食らったかのような鈍痛が走り、呼吸が上手く出来ずにひどく息苦しい。吹き出した汗で前が見えない。それを拭おうとしても手が動かない。


 こりゃやばい……と思ったのがまともな思考が出来た最後の瞬間で、限界を迎えた但馬は、あとはひたすら激痛に晒されイモムシみたいにのたうちまわった。猛烈な吐き気に襲われて、さっき食べたばかりの食事を全部吐き出したと思ったら、それはどす黒い血で染まっていた。


 そして但馬は意識を失った。


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