表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第四章
107/398

鋼色の日々①

 金山発見の知らせは瞬く間に全国に広がった。国庫を潤すであろうその知らせに、大臣たちは大いに喜び、ローデポリスは祝賀ムードで浮かれているそうである。そして山師の調査が終わるよりも早く、呼んでも居ないのに開拓者がやってきて、ヴィクトリアの集落近辺に居座った。


 アナトリアは兵役の義務さえ果たせば誰でも国民の権利を得ることが出来るのだが、やってきた開拓者たちはそれとは毛色が違って、国民権が欲しいというよりも、単に一攫千金を狙った者達で、勝手に山に入ろうとしたり、隙を見計らって川で砂金を取ったりしたので、穏やかだったヴィクトリア周辺は俄に騒がしくなってきた。


 その手の不届き者を取り締まるために憲兵隊がやって来て、人手が足りないので但馬の傭兵団にも要請が来たのだが、実は憲兵隊とは言え、ヴィクトリアに人間の兵士が入るのはこれが初めてのことであり、かつてのメディアの兵隊であったホワイトカンパニーの面々に、軽いショックを与えた。


 露骨に不愉快そうにする彼らと、不安そうな子供たちを見て、穏やかでない雰囲気を感じ取った但馬は、また内乱が起こるぞと政府を焚き付けて、大臣たちにメディア国内でのルール作りをさせた。


 結果、ヴィクトリアの村は亜人の自治区となり、メディア湾内にある島を租界にして憲兵隊に守らせることになった。外からやってくる外国人労働者は、仕事の時以外島から出られないことにして、もし勝手に出た者は問答無用で射殺すると脅しつけることで、ようやくヴィクトリア周辺は落ち着いた。


 さて、ルールも出来てひとまずは落ち着いたところで、何しろ貴金属だから、遊ばせておくのはもったいないと、早速採掘を始めようとしたのだが、すぐに問題が発生した。いかんせん、ヴィクトリアは交通の便が最悪であった。せっかく取った鉱石を、精錬施設まで運ぶ手段がないのだ。


 丁度、但馬がフリジア戦役の捕虜を使って街道を作らせようとしていたところだったのだが、いくら急ピッチで作業しても開通まで1年はかかる。精錬所をヴィクトリアに建てようにも、資材を運び入れるのに、結局、道路が必要になるのだ。


 そのため、海路を使えるように、ハリチ~ヴィクトリア間の定期航路を開通させよと、首都の大臣からお達しが来たのであるが、これには少々問題があった。


 ヴィクトリア周辺は丁度この世界の赤道直下にあって、風が非常に弱いのだ。


 地球が自転をしてる関係上、赤道周辺は貿易風が絶えず吹いているのだが、それは北半球では南西に、南半球では北西に向かって吹き、丁度赤道付近で双方がぶつかる。風が合流して西に向かってくれればいいのだが、現実には赤道直下は暑いため、上昇気流が発生してしまい、ぶつかった風は上空に向かって吹き上がる。結果、海抜付近ではあまり風が吹かなくなる現象が起こり、これを赤道無風帯と呼んだ。


 無風帯……とは言え、まったく風が吹かなくなるわけではないので、待っていればそのうち風は吹くのであるが、それがいつになるのかがさっぱり分からない。感覚的には台風の目の中に入った感じで、この中に入ってしまうと、船は風が吹くまで錨を下ろして待たねばならず、つまり、定期航路を作ろうにも、ヴィクトリア周辺は風に左右されすぎるために、予定が立たないと言うわけだ。


「ではお断りになられるのですか?」


 と、話を聞いていたリーゼロッテが尋ねた。


「いいや、それでも結局は受けるよ」


 領地の執務室で首都からの電話を受けた但馬は、それが難しいと前置きしておきながらも引き受けることにした。いずれ避けて通れない道なのだ。


「突貫工事で道路を通したとしても、運ぶのは鉱石だからね。重すぎてすぐ道が駄目になっちゃうだろう。それなら不定期でも海路を選んだほうがいいし、その間にしっかりとした道路を敷いたほうがいい。あっちに専用の精錬施設を作るにしても、結局は時間が掛かるから」

「では、諦めて不定期に航行させるのでございますか?」

「いや、それならそれで、回避方法はあるから」


 なにかと言えば、言うまでもないだろう、補助動力として蒸気を使うことだ。


 都合のいいことにこの世界にはすでに蒸気機関が存在し、簡単なレシプロエンジンを使って発電まで行っているのだ。これを船に乗せて動力にするのは、今更わけがないことだった。


 問題は、穏やかな河川や内海ではなく、外洋を航行出来るくらいの蒸気機関は重いということであり、それだけの重量を乗せ、燃料を乗せ、更に乗員と積み荷を満載してなお喫水を稼ぐために、船が大型化することであった。


 しかしいい加減、聞き飽きたかも知れないが、この国は木材を輸入に頼るほどそれに困っている。メディアとカンディアを編入したことで、ある程度は改善したが、それでも以前よりはマシといったところで、林業は全然育っていなかったし、育てる気もないようだった。


 大きな船を作るには、それだけ大きなマストや竜骨(キール)を作る必要があるのだが、お陰で、それを切り出せるほどの巨木を手に入れる算段が全く無いのだ。


 尤も、これにも当てがあり、時間さえかければ何とかなると思っていた。それは木材ではなく鉄を使うことである。


「鉄で船を? そんなことが可能なんですか?」

「全部が全部鉄じゃなくっていいから。例えば船底やマストのような、頑丈さが求められる部分を鉄で作って、全体の重量を減らすわけ。動力も蒸気だけに任すつもりはない。基本的には帆走主体で、必要なときだけ蒸気で動かす」

「なるほど。ガレー船がオールと帆走を切り替えるようなものですね」

「うん。つーわけで、製鉄所のある中央にとんぼ返りだな」

「……もう、お戻りになられるのですか? こちらへいらしてまだ1週間ほどではございませんか。それも、殆ど移動だらけでお疲れでしょうに……」

「もう少し近ければいいんだけどね。それか新幹線でも通ってればいいのに。いっそ作って見ようか。ははは」


 但馬はヘラヘラ笑いながらリーゼロッテに後を頼むと、エリオスを呼んで馬車の手配をするように言った。流石のエリオスも、このところの慌ただしい移動の連続に、若干引き気味であったが、彼は基本的に但馬の仕事には口を挟まないように心がけているからか、結局は何も言わずに馬車を用意してくれた。


 二頭立ての馬車に御者、エリオスを含め護衛10名でハリチを出る頃には、日が傾きかけていた。但馬は馬車に乗り込むと、アイマスクをつけて柔らかい座席に体を埋めた。最近は忙しいせいか、こうして移動の合間に寝ることが多かった。


 エリオスや護衛たちは、よく動いてる乗り物の中で眠れるなと言っていたが、日本人気質なのだろうか、寧ろこっちのほうがよく眠れた。規則正しい馬の蹄の音を聞いていると、なんだか日本にいた時の電車の中を思い出すのだ。


 新幹線は無理だけれど、そろそろ鉄道という交通手段も考えていい頃合いだろうか。以前、親父さんと蒸気自動車を作っていたが、あれは完成して皇帝に献上された。ちゃんと復水器も付けて、一度の燃料投入で、航続距離は50キロくらいにまで達した。街中で乗り回す分には十分だろう。


 しかし、いかんせん燃費が悪く、おまけに一品物だから目ん玉が飛び出るくらいに高くつくので、とても商品化出来るようなシロモノではなかった。車があれば移動に便利だろうと思ったのだが、とんでもなく浅はかだった。やはり、現実に沿って汽車から作るべきだった。だがその時は、機関車はともかくとして、レールの方が作れないと思っていたのだ。


 あの頃のリディアには、鋼材を安定的に供給できるほどの製鉄所が無かったのだ。

 

 蒸気船と聞くと鋼材で出来た鋼船を思い浮かべるかも知れないが、例えば浦賀沖に来航したペリーの黒船は木造であり、船体が黒かったのは、単に腐食防止にコールタールを塗っていたからで、初期の蒸気船はみんな木造だったのだ。


 たまたま木造船から鋼船に切り替わる過渡期、蒸気船も同じ頃に登場したので、蒸気船=鋼船というイメージがついたわけである。


 鉄の船が水に浮かぶであろうことは、アルキメデスの時代から分かっていたことで、どうしてそれをしなかったのか? といえば、単純に冶金技術が未熟で、鉄で船を作るなんて真似が出来なかったからだ。


 鉄鋼の精錬技術が発展してきたのは19世紀半ば、ヨーロッパの森林資源も枯渇してきたことで、鉄で船を作れるようになると、1860年台から80年台までのおよそ20年間であっという間に、世界の造船は木造船から鋼船へと切り替わっていった。


 その立役者と呼ぶべきものは、産業革命期の旺盛な鉄鋼需要に対応すべく改良された高炉と、ベッセマーによる転炉の発明であり、世界規模の製鉄業の勃興にあった。この頃に確立された技術は製鉄の長い歴史でも決定稿みたいなもので、現在でもあまり変わらずに使われている。


 高炉とは溶鉱炉のことであり、要するに鉄鉱石を鋳溶かす施設のことである。仕組み自体は製鉄の長い歴史を遡っても大体変わらず、耐熱性に優れた煉瓦で作った炉の中に、鉄鉱石と燃料を入れて火をおこし、フイゴで空気を送り込んで、高熱でもって鉄鉱石をまるごとドロドロに溶かすといったものである。


 この時、鉱石に含まれる石も一緒に溶けるが、比重の重い鉄の方が下に沈むので、上に溜まった(スラグ)を捨てて、鉄だけを取り出してやればいい。だが、初期の溶鉱炉には何の対策も施されていなかったので、出来上がった鉄には目には見えない細かい不純物が多く含まれ、硬いが脆かった。


 因みに、これを鋳鉄(ちゅうてつ)と呼び、鋳型に流し込んで形を成型することを鋳造(ちゅうぞう)と呼んだ。


 日本の刀鍛冶はこれを再度赤熱させ、槌で叩くことによって不純物を取り除き、それによって鉄を強化している。これがいわゆる鉄を(きた)えるという作業であり、これを鍛造(たんぞう)と呼んだ。


 よく日本刀と西洋の剣が斬り合うと、西洋の剣の方が弱くて、折れたり切り落とされたりするなど、日本刀の優秀性がアピールされるが、それは上述の理由の通りで事実である。日本刀はさらにこれを折り曲げて、叩いて鋼の層をいくつも形成するという、積層鍛造という構造をしているから、強くて丈夫で切れ味が鋭かったわけだ。


 さて、以上の通り、昔の鋳鉄(ちゅうてつ)は不純物が多いせいで存外脆く、そのため鉄製の大砲はその衝撃に耐えられなかったために、一時期、大砲は鉄製から青銅製へと『進化』したことがある。その頃はまだ、大砲のような大型の兵器は鋳造(ちゅうぞう)するしかなく、鍛造(たんぞう)するのは至難の業だったのだ。


 しかし、鋳鉄(ちゅうてつ)が弱い理由がわかってくると話は変わる。要するに、不純物が問題なら、それを取り除く方法を見つければいいのだ。


 鋳鉄(ちゅうてつ)に含まれる不純物は主に石の成分、シリカ(二酸化ケイ素)とアルミナ(酸化アルミニウム)、燃料に使われる木炭や石炭から出る、炭素である。


 そこで、溶鉱炉に石灰石を混ぜて一緒に溶かすと、石の成分はこれと反応して溶けやすくなるので、鉄の中に不純物として残ることはあまりなくなった。こうして出来上がった鉄を銑鉄(せんてつ)と呼び、これが鋼鉄の材料となる。


 また、フイゴで吹き付ける空気は予め温めておいた方が、燃料効率が良くなることが判明すると、送風機は冷たい空気を送り込むフイゴではなく、高温の熱風を送り込む装置に取り替えられていった。因みに21世紀にもなって韓国ポスコが爆発事故を起こしたのは、なんでか知らないが、この送風を従業員が止めてしまったからだそうである。


 なにはともあれ、こうして一つずつ問題を解決していった高炉の構造は、19世紀末には完成して以来殆ど変わっていない。高炉について調べようとすると、どんな資料を見ても、まず同じ建物の設計図を見せられるのは、それが完成しきってるからであろう。


 ところで、そもそも鋼鉄とは何だろうか? それは鉄と炭素の合金のことである。


 炭素が混ざっていない純粋な鉄は軟鉄(なんてつ)と呼ばれ、思いのほか柔らかくて伸びがある。故に、そのままじゃ兵器や資材にはとても使えない。これに炭素を混ぜれば混ぜるほど鉄は硬くなっていくが、それと同時に衝撃に脆くなる性質があった。


 さて、先ほど高炉で作られた銑鉄(せんてつ)は不純物を取り除いても、まだ炭素を過剰に含んでおり、硬くて脆かったから、このままでは使えない。炭素量を上手く調整してやる必要があった。


 そこで出来たばかりでまだドロドロに溶けている銑鉄(せんてつ)に、空気を吹き付けることによって、銑鉄(せんてつ)に含まれている炭素を二酸化炭素に化合して飛ばすという方法が編み出された。


 初めは平たいプールに溶銑(ようせん)(溶けた銑鉄)を入れて上から空気を吹付け、それをパドルでかき混ぜるという方法が取られたのだが、これはまだまだ手間がかかり、一度に出来る鋼が少なかったため、その頃の鋼材は非常に高価であった。


 しかし19世紀中頃、イギリスの発明家ヘンリー・ベッセマーが、回転するでっかいポットのような形をした転炉と呼ばれる装置を発明し、それが非常にシンプルかつ強力だったことから、それまで宝石のように高価であった鋼材価格が一気に安くなり、製鉄業は革命的なまでに、世界中に広がりを見せることになる。


挿絵(By みてみん)


 仕組みは以下のとおり。ポット型の転炉は回転して傾けることが出来るようになっており、まずはそれを傾けて、高炉で溶かされたばかりの銑鉄(せんてつ)を転炉に注ぎ入れる。次に傾けた転炉を元に戻して、転炉の下に開けてある空気穴から空気を送りこむ。すると空気中の酸素と反応した銑鉄(せんてつ)に含まれる炭素が、二酸化炭素となって転炉上部から抜けていく。冷たい空気を送り込んだら固まっちゃいそうであるが、炭素が二酸化炭素に変化する反応は、要するに燃焼と同じことなので、この時転炉を温める必要は全く無い。


 さて、こうして転炉によって鋼に変化した溶銑(ようせん)は、また転炉を傾けることで取り出せるようになっており、それを鋳型に注いで成型し、冷やして固めれば鋼材の出来上がりというわけである。


挿絵(By みてみん)


 これが一連の製鉄の流れであるが、最大で2000℃にもなる鉄を使ってこれだけのことを流れ作業で行うのだから、とんでもなく土地を必要とした。そんなものを街中になんて作りたくないし、それから作った鋼材を搬出しやすいよう、製鉄所は基本的に港の近くに作られた。


 カンディアを狙う大陸の勢力がきな臭い動きをしてきた頃、アナトリア軍に正式にマスケット銃が採用されると、鋼材需要が著しく増した。


 アナトリア軍は常時2万の兵士を擁し、予備役はその何倍にもなる。これだけの数の銃を生産するとなると至難の業だ。


 そこで但馬は高炉を建設しようとしたのだが、何しろこんなことをやったことがある人材など、世界中のどこを探しても居るはずがないから、皇帝の号令のもとに、街の鍛冶屋を総結集して、ローデポリスから10キロほど離れた場所に、港と国営の製鉄所が新たに建設されたのだった。


 製鉄所はローデポリスとハリチの途中にあるから、但馬はここに用事がある時、わざわざ家には帰らず、そのまま製鉄所で寝泊まりした。


 そのほうが気楽であったし、アナスタシアやお袋さんにも迷惑がかからなくて良いだろうと思っていたのだが……実際には、家に帰ってこない但馬を待つアナスタシアを不安にさせる行為であった。普通ならば気づきそうなものなのに、だが、その頃の但馬は、そんなことを考えられるような心の余裕がなくなっていたのである。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
玉葱とクラリオン・第二巻
玉葱とクラリオン第二巻、発売中。よろしければ是非!
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ