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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第一章
10/398

やっぱり、これゲームだわ

 

 PXとはPost eXchangeの略で酒保(しゅほ)のことである。


 酒保とは軍隊内におかれた日用品・嗜好品を格安で提供する売店のことである。


 かつて戦場において兵站は、それぞれの部隊ごとで自前に用意しており、軍人は貰った給金で現地調達するのが常だった。当然、多少の携帯糧食は持っていたし、兵糧部隊が後を追いかけたことも確かであったが、これらがまともに行き渡ることは無かった。色々と理由があるのだが、軍は神速を尊ぶのが最たる理由か。


 しかし、荒くれ者の軍人に任せては原住民を脅しつけたり、略奪も横行したので、結果的に自分たちの首を絞めた。村の近くが戦場になると、農民が農作物を刈り取って逃げてしまったために、自発的焦土作戦のような事態に陥ってしまったのだ。


 それでは本末転倒で、侵略後の占領統治にも不都合が出るので、為政者は軍人による略奪を禁止し、従軍商人に現地調達を任せたのが酒保の始まりであった。因みに、当時、略奪と言うものは軍人の権利であったため、それを奪ったのだから、当然、商品は全てサービス価格で振舞われた。その名残が現在でも残ってるわけだ。


 しかし、PXとは元々、日本の米軍基地内の売店が由来の言葉であり、それを真似た陸上自衛隊くらいでしか使われていない呼称だった。なんでそんな名前がここで飛び出してくるのか……彼らの貧弱な装備のこともあって、但馬はブリジットたちに、こちらの軍隊の詳しい事情を尋ねてみたら、出てきたのが先のカントン制度なわけである。


「じゃあ、このPXってのも勇者が名づけたの?」

「さあ? 多分、そうじゃねえの。勇者と言えば、この食堂には勇者ゆかりのメニューがあってさ……」


 シモンが得意げに語り、そして出てきたのがミートボールスパゲッティだった。大皿の上に大量のミートボールとパスタが盛られ、取り皿などは使わずに、直接みんなで奪い合うようにして食べるのが『勇者流』なのだそうだ。


 それはいつか映画の中で見たことがある。


 これではっきりした。


 どうやら、かつてこの地に居たという勇者は日本人、それも現代人である。


 彼は現代人の持つ知識を駆使して、この地にリディアという国を建国し、やがて北へと去っていった。残ったのはこの世界にしては強力な軍隊と裕福な都市、そして多様な文化とタジマ・ハルという名前だ。


 この勇者とは、一体何者だったのか。


 なんで同姓同名なんだろうか。


 普通に考えれば偶然の一致でしかないはずだが、こうも状況が特殊では、何か裏があると疑わざるを得ない。但馬の記憶が科学的な力で消されてるとか、ファンタジーらしく魔法の力で忘れているとか、勇者とは失敗した過去の自分と言うゲーム上の設定であるとか……そう言った可能性だって否定できないだろう。


 しかし、結局は但馬には何も身に覚えが無かったものだから、そんなことを気にしても仕方がなかった。最後に覚えているのはバイトの待ち時間にソシャゲをやってたことくらいだし……気づいたらここに居た。それ以外、何も覚えていないのだ。


 だから、この世界が一体なんなのかと言うのは常に考えている。元々、但馬が暮らしていた世界と同じものなのか。それともまるで別次元に存在する異世界なのか。それともゲームの中の世界なのか。


 今まで出てきた条件を踏まえると、どうやら最も可能性が高そうなのはゲームの世界である。中世ヨーロッパ風の名前と見た目の人々。エルフや亜人、魔物の存在。MPを行使する魔法という奇跡。祈りの力でニョキニョキと生え変わった指。考えても見れば、自分が何語で喋ってるのか良く分からないし、極めつけはメニュー画面だ。


 そういえば、この世界に来てから暫くのうちは、いかにもゲームっぽい『実績解除』なるイベントが幾度も起きた。但馬が使える魔法のリストは、ソシャゲで設定した『神道』に由来するもののようだった。イルカと言ってしまうとシーシェパードに追っかけられそうな感じの、変なキャラクターも居た。チュートリアルを途中で終えてしまったが、あいつをまた呼び出せないだろうか……しかし、メニューをいくら見ても、ヘルプらしき物はない。


 しかしまあ、ゲームの中の世界であるなら、まだ都合がいいかな……と但馬は思った。


 もしもこの世界がゲームなら、普通に考えれば但馬の体は元の世界にあるはずなので、それなら多分、いつかはゲームをやめることが出来るはずだから。


 地道に元に戻る方法を探そう。特に気になるのは、最終的に勇者が命を落としたと言われる北方であるが……


 しかし、いきなり北へ向かおうにも、先立つものが心許ない……それに、この世界の勝手が分からない。RPGの序盤と言えば、スタート地点の近辺でレベル上げが定石だし、暫くは生活基盤の確保を模索するのが妥当であろうか。


 本当に、この銀貨10枚って、おいくら万円なのかしら……


 そんな風に考えながら、先に貰った銀貨をジャラジャラやっていたら、バーボンらしき酒をグビグビやっていたシモンがそれに興味を示した。


「なんだあ? それ……って、リリィ銀貨じゃん、本物かあ?」

「官憲から手渡されたものが偽物であってたまるか」


 彼は抗議に耳を傾けず、但馬から銀貨をひったくると、腰に差していたナイフを取り出した。まさか削るつもりか? と焦ったが、彼は刀身に銀貨を乗せただけで、


「本物だ。あるところにはあるんだな」

「どうしてそんなんで真贋(しんがん)が分かるんだ?」

「ん? ほれ、このナイフ、黒錆(くろさび)加工がされてるだろう」


 磁気が込められているので、混ぜ物がしてあったらナイフに吸い付くという寸法だ。こんな庶民の知恵が発達しているところを見ると、贋金(にせがね)が横行してるのだろうか。


「なるほどなあ。ところで、珍しいのか? これ。リリィって、あの姫様ことだろ」

「まあな」


 姫様の成人を祝して、属国であるリディアが発行した新銀貨らしい。記念硬貨らしく発行数が少なくて、流通もリディア国内でしかしていない。簡単に言えば二千円札みたいなものらしい。13歳で成人と聞いてびっくりしたが、江戸時代の日本もたしかそうだったし、案外そんなもんなのかも知れないと納得する。


 ところで、姫様で思い出したが、例のALVと言う数値だ。確か、最後にちらっと見たとき、彼女はALVも99だったはずだ。


 左のコメカミを叩いて、ちらりとブリジットを盗み見る。


『Bridget_Gaelic.Female.Human, 152, 48, Age.17, 92G, 59, 88, Alv.9, HP.174, MP.18, None.Status_Normal,,,,, Class.Sergeant, Cadet.Lydian_Army, Lydian,,,,, Sword.lv11, Healing.lv5, Cast.lv5, Equestrian.lv7, Command.lv5, Unique.Artifact.Proprientary.lv1, Claiomh_Solais.Equipment.lv1,,,,,』


「おお?」


 あまり期待してなかったのだが、ブリジットのステータスを表示すると、ALVの値が0ではなかった。ついでにMPも18ほどあり、Healing.lv5と書かれてあることから、どうやら彼女はヒーラーでもあるらしい。


 しかし、このALVとは本当に何なのだろうか。書かれてる位置からして、結構重要そうな数字なので、てっきりベースレベルだと思ってたのだが、シモンやエリオスが0と言うのがどうにも気になり、駐屯地ですれ違う人間を片っ端から見てみたところ、すべての人間が0だった。


 尤も、その人たちはMPも0だったので、魔法が関係あることなのかも知れない。但馬は今度は右のコメカミを叩いて、自分のステータスを表示した。


『但馬 波留

 ALV003/HP105/MP008

 出身地:千葉・日本 血液型:ABO

 身長:177 体重:62 年齢:19

 所持金:銀10……』


 実は駐屯地に着くころには、ALVとHPが上がっていた。MPは自然回復に任せるしかないらしく、まだ低いが、恐らく上限が上がってるだろう。敵を倒したのでレベルが上がったのかな? と、漠然とそう考えていたのだが、どうやら違ったらしい。


 本当に、この数値は一体なんなんだ……? とシモンに勧められた酒をちびちびやりながら考えていたら、


「あの……さっきから、何か気になることでもあるんですか?」


 と、少し棘のある声でブリジットが言った。


 見ると、彼女は胸を隠すように体の前で腕をクロスしていた。ちょっと怒ってる気もする。何だろう……と思って、ハッとした。いつの間にやら、但馬はステータスを見ているつもりで、彼女の胸を凝視していたらしい。


 当たり前だが駐屯地内では、初めてあったときのような胸甲をつけているわけもなく、彼女は薄手のコットンらしきTシャツを着ていた。そしてネームタグの代わりにロザリオを首からぶら下げた彼女の胸には、成熟したスイカップがたわわに実り、望郷の山並みを思わせるような、実に魅力的な陰影が強調されていた。さぞかし、世の男性を釘付けにしてきたことだろう。


 しかし、但馬も紳士の端くれ、女性の胸はこよなく愛するが、それを気取られるような愚を冒すわけがなかった。おっぱいとは、庭の梅ノ木にやってきたホトトギスを、そっと愛でるような楽しみ方をするものであるべきだ。ガン見して、女性の嫌がる姿を喜ぶのは決して紳士とは言えないだろう。大体、但馬は貧乳党だ、こんなGカップごとき脂肪の塊には、殆んど興味が沸かないのである。従ってそれは彼女の盛大な勘違いだったのであるが、こういった場面では圧倒的に男性のほうが立場が低いと言わざるを得ないだろう、ここは逆らわずに素直に謝罪したほうが賢明である。


 だから、その不名誉な勘違いを訂正しようと弁解の声を上げたところで、


「いや、ごめんごめん。ちょっと考え事してて……ん?」


 あれ? っと但馬は自分の発想に違和感を覚えた。


 なんでGカップって思ったんだ?


 確かに但馬はこれまで様々な女性のおっぱいを観察してきたおっぱいソムリエだ。しかし、その知識は丘の低い方へ低い方へと傾いており、ブリジットのようなデカいことしか取り得の無いブツに関しては疎いと言わざるを得なかった。具体的にはAカップとBカップとCカップの違いを但馬は一目見ただけで判別できるが、FカップとGカップとHカップの区別はつかない。なのに但馬はブリジットの乳を一目見たときGカップと判断した。


 何故だ!!


 まさか、この世界に来た衝撃で、自分の嗜好が変わったとでも言うのだろうか。実際、あのバイト先の待合室から、この世界に来るまでの間に、何が起こったのかはかなり謎である。もしかしたら覚えてないだけで、巨乳が好きになるようなイベントが起きていたのかも知れない。だとしたら但馬は過去の自分が許せない。どうした但馬、おまえはあんなにちっぱいが好きだったじゃないか……


 絶望に駆られて但馬が真っ青な顔をしていると、


「あ、あの……私、そんなに気にしてませんし……」


 と困惑した感じにブリジットが声をかけてきた。


 当たり前である。そんな92Gなどという下品な肉塊など、誰も見ちゃいないのだから。なんで、おっぱいの大きな女性というのは、こうも自意識過剰なのだろうか……おっぱいを見た見ないで怒り出すのは、大概巨乳の女である。満員電車の限られたスペースで無駄に場所を取り、不愉快なものを自分から押し付けておきながら、何故か相手のほうをキッと睨んでくる。わけがわからないではないか。それに比べてちっぱいの娘は、その胸同様控えめで奥ゆかしい。人間として、明らかに後者が優れていると言わざるを得ないだろう。そう考えると段々腹も立ってきた。ちょっと五月蝿いからズッキーニでも挟んで黙っててくれないか……と、イライラしながら己の変化に悲観している時、ふと気づいた。


 あれ? なんで自分は92Gなんて、具体的な数値を思い浮かべたんだ……


 但馬は、ハッとして、すかさず左のコメカミを叩いた。


『Bridget_Gaelic.Female.Human, 152, 48, Age.17, 92G, 59, 88, Alv.9, HP.174, MP.18, None.Status_Normal,,,,, Class.Sergeant, Cadet.Lydian_Army, Lydian,,,,, Sword.lv11, Healing.lv5, Cast.lv5, Equestrian.lv7, Command.lv5, Unique.Artifact.Proprientary.lv1, Claiomh_Solais.Equipment.lv1,,,,,』


「こ、これだあああああ!!!!!!」

「ひっ!?」


 突如、大声を上げて立ち上がった但馬に、PX中の視線が突き刺さった。


 しかし、すぐに酔っ払いの奇行と判断されると、何事もなかったかのように無視された。


「どうしたどうした?」


 赤ら顔のシモンが質問し、エリオスは黙々と酒を煽っている。どうでもいいがこのオッサン、ここに来てから一言も喋ってない。


 とまれ、92Gの正体はこれだ。


 他人のステータス画面を表示し出して、始めのほうに謎の数字が並んでるのは気づいていた。Ageは年齢だろうと分かったが、他はさっぱり分からなかったし、ALVやHPMPのほうが目立っていたので、あまり気にしていなかった。


 しかし、今にして思えば真っ先に出てくるこの『152,48』と言う数字は、身長と体重ではなかろうか。試しにシモンとエリオスを確認してみると、それぞれ『181, 75』『206, 114』とあり、ぱっと見た感じでも間違いなさそうである。


 そしてその後に続く『92G, 59, 88』である。これはもう、間違いない。スリーサイズだ。それもグラビア表記である。


 説明しよう。グラビア表記とは日本のグラビアアイドルにつけられた記号でありタグであり、一種のファンタジーである。アイドルのスリーサイズとされているが、実際にその数字が正しいことはないらしい。と言うのも、女性だって男性と同じで、自分のスリーサイズなど殆んど把握してないし、人間なのだから朝と晩でサイズが変わるのは当然であり、飯を食えば腹も(ふく)れる。あんなに瑞々しい肌をした彼女たちが、断食明けみたいな数字でいるわけが無いのである。


 つまり、その数字は男性の妄想を書きたてるためだけに付けられた記号に過ぎず、オナニーのための道具であり、そして女性が男性を蔑視する物笑いの種でしかないのだ。女性たちは、男性たちが雑誌のアイドルを見てニヤニヤしているのを見て、あんな数字嘘なのにねえ~……っと、ニヤニヤするのが生きがいなのだ。


 特に『92G』という数字とアルファベットの組み合わせがグラビア表記の最たる例であり、女性たちからの敵愾心(てきがいしん)を一心に浴びている嘲笑の的なのである。現実にはこんな表記は存在せず、例えばカップ数とはバストとアンダーバストの差であるのだから、表記すべきはその二つであり、実際、女性がブラを買うときにはその二つの数字が書かれたタグを見て判断しているそうである。


 もしくは『G67』のように、カップとアンダーバストの組み合わせで表現する。ちょっと考えれば分かるだろう。ブラジャーは、アンダーから合わせなければ、最悪おっぱいが潰れてしまうではないか。


「やっぱり、これゲームだわ。しかも男が作ったシステムだわ。ぎゃははははは!!」


 但馬はその事実に行き着くと、この世界の謎が解けたとばかりに、快哉(かいさい)を挙げて大喜びした。そのあまりの豹変振りに、シモンとブリジットが戸惑って、とにかく大騒ぎをする但馬を黙らせようと羽交い絞めにして引っ張ったら、


「きゅ~……」


 と情けない声を上げて、彼は床にぶっ倒れたのであった。


 あまりに唐突な出来事に、二人は呆然としてお見合いをした。


「こいつ……めっちゃ酒よわっ!」


 二人は知らなかったのだ。この世界の成人は13歳だから、彼らは酒に慣れ親しんでいたが、現代日本から来た但馬はまだ未成年で、酒など全然飲み慣れていなかった。お酒は20歳になってから。それなのに、シモンに勧められるまま、バーボンなんかをストレートでグビグビ飲み続けていた但馬は、あっという間に分水嶺を越えてぶっ倒れた。


 真っ青になって転がっている但馬を見下ろしながら、店に入ってから初めてエリオスが口を開いた。


「分隊長。ここの払い、誰がするんですか」


 分隊長、と殊更に役職を強調するこの男は、今年42歳の厄年である。


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