五十五話 静動
――――ゴゴゴゴゴゴゴ……!
「ふん…………ッ!」
(あれは……?)
怒れる王が取り出したのは、一本の平たい棒。
先端がやや逆ハの字になるようになヘラの形状をしており、質感は見るからに使い込んでそうな、古びた木製の質感だ。
王はそのヘラ棒を両手で強く握り、そして力を込め始めた。
王の力みと共に棒の表面から、沸々と光るまだら模様が浮かび上がる。
やがてそれが全体を覆い、ブブブと光度を発する、光のヘラと化した。
『なんつぅ魔力や……あんなにギラつく魔力見たことないわ!』
あのヘラが、王の”得物”であることは明白だった。
スマホの言う通り、魔力を込められたヘラか目が痛くなる程に輝きを見せる。
まるで映画に出てきたレーザーソードみたいだ。フオンフオンと独特の効果音を出せば、例のSF映画の影響を受けた事がわかるのに。
「コォォォォォォ………………ッ!」
そして王は、両の脚を大きく開き、脇を締めるように大きく”構え”た。
来る……それ以外ない。僕は恐怖心を何とか抑え、同じくメイスを両手に水流を発生させた。
シュルシュルと穏やかな流れが僕の周囲を巡る……これが僕の基本の”構え”。
この状態が、今の僕が持つ技へ速やかに移行できるベストポジションだ。なんとなくだが感覚でわかる。
誰にも真似できない僕だけの戦闘スタイル。加えて昨日もらった精霊石と回転による水流術を学んだことで、恐怖心を少しだけ上回る自信が芽生えた。
――――そして、その自信は二度と戻ることはなかった。
「――――シッ!」
「えっ」
――――パチィン! タイヤがパンクしたような甲高い破裂音が聞こえた。
かと思えば突然。編集された映画のように、さっきまでとは場面が”切り替わっている”。
僕と王との空間が入れ替わったような錯覚を受けた。眼前の王はヘラをすでに振りかぶり切っており、そして何故か僕の視点が、王の”側面”へと変化している。
急に切り替わった情景に頭が混乱する……なんだ? 今何が起きた? なぜ僕は今、王の横にいるんだ?
『おい! 大丈夫か!?』
「スマホ……? 今、何が起こって……」
『ああくそっ、やっぱり見えてなかったか……』
「ゴポポッ!」
『ありえへんスピードや……。あのおっさん、開幕いきなり突っ込んできおった』
王の先制攻撃は実に素早く、そして雄々しい物だったとスマホは言う。
つまり先手を打たれたわけか。王が近づいているにも拘らず何もしない僕に業を煮やし、とっさに水玉が自己判断で避けてくれたらしい。
ああ、だから瞬間移動したような感覚になったのか……その判断は大正解だ。マジで助かった。
王の初撃。見えるどころか、言われるまで何が起きたのかがわかってなかったのだから。
「ふんッ! バカ魔女に似て逃げ足だけは優れておるわ!」
「ま、マジかよ……!」
『とかく動け! 水玉、【水蛇】や!』
「逃がすかァ――――!」
いつの間にか僕ではなくスマホが水を操る形になっているが、それも仕方がない事。
王の速度は尋常ではない。すばしっこい系とかスピードタイプだとか、もうそういうレベルを超越しており、王の動きは”人間が反応不能”な程の速度で迫り来るのだ。
「ぬるい―――― ハ ッ ッ ! 」
『たぁーぃ、水玉、避けえェェーーーーッ!』
シュンシュン、バシュバシュ――――風切音を立てながらこの広い空間を存分に使い、躱しそして逃げる。
最新スマホ機種の処理能力を持ってして辛うじて見る事のできる現状。今の一撃をギリギリ躱す事が出来たのも、こいつに備わったナントカチップのおかげだろう。
その証拠に王は、水蛇の動きにまだまだ余裕を持って付いてきている。
『おい全然足らんぞ! もっと速いイメージせえ!』
「振り切れない……!」
――――王はピタリと、日に照らされ出来た影のように付いてくる。
全力で逃げてるんだよ、言われずとも。でも……こんなもん、離れる隙なぞありゃしないじゃないかl。
そんな人知を超えたせめぎあいの中に、僕のできる事など何もなかった。
「ぬぅぅぅおおおお――――ッ!」
「スマホォ! なんとかなんねーのかよ!」
『ちょおまて、今計算中……いぃ!?』
「どうした!?」
『”スピードガンアプリ”。その名の通り物の移動速度を測るアプリやねんけど……』
「 ゲ ッ ! ? 」
スマホが今計測していたのは、先ほどの王の初撃の速度。
少しでも情報を得ようと、情報端末らしく解析作業も並行していたらしい。
スマホの画面には今、スピードガンアプリで計測した速度が出ている。移動中でもしっかり見えるよう、大きな文字で画面いっぱいに。
それを見て――――”無理”だと思った。
「じ、じじじ」
(時速931km――――!?!?!?)
「 ぬ ぅ お ぉ ぉ る ァ ァ ァ ー ー ー ッ ッ ! ! 」
王の一撃が、水をぶち破った――――
……
――――
『……おーい、生きとるかぁー?』
「お、おお……」
辛うじて、生きてはいる。
王の魔力の籠った一撃が水の渦を全く意に介さず、見事本体に一撃入れてくれた。
おかげで出口とは真逆の方向に吹っ飛ばされた。外の光がえらく遠くに行ってしまったが、その代わりでかい柱の影に身を隠せる事ができたのは不幸中の幸いか。
本能的にガードはしたんだ。見様見真似のポーズで両腕をとっさに重ね合わせた。
それを平たいヘラで思い切りぶん殴ってくれた、そのおかげで……今両腕が猛烈に”痛い”。
「……っでええええええええ!!」
『うーわー、まっかっかや』
両の二の腕が赤く腫れ上がり、その部分に電気が流れているかのようなビリビリした感触が走る。
あんな気合いの入った一撃を食らってミミズ腫れで済んでいるのは、この戦いが王にとってあくまで”お仕置き”であるからだ。
じゃなけりゃ僕の腕はとっくの昔にきたない花火になっている……そう思えるくらい”実力の差”と言うものを見せつけられた。
「じゃあアレ……しおき棒かよ!」
『あー、あのおっさん元先公やったっけ……』
妙に古めかしいのは昔から愛用していた物だからか? じゃあ魔道院時代はやんちゃな生徒をアレでビシバシ叩きまくってたわけか……
なるほど、あんなものを食らってはさすがのオーマも値を上げるはずだ。
アレの目的は殺傷ではなく痛みを与える為に作られた物だ。厳密に言うと武器じゃない。
王の言う通り、「口で言ってもわからないなら……」その言葉を地で行くような、あくまで”痛みだけ”に特化した得物。
原始的だが事しつけに置いてあれほど効果的な物はない。
誰でも簡単お手軽に。ある程度の長さと平べったさがあれば、なんだっていいのだから。
「どーりで……くそ! なんであんな汚いヘラ持ってんだと思ったよ!」
「コポォ……」
そして問題は……そんな今時坊さんしか持ってなさそうなしおき棒が、何故か水を貫通して僕にダメージを加えて来た事だ。
先ほど食らった一撃。あの時の水は、ちゃんと回転を施してた。
山岳隊宿舎の時の戦いとは違う。精霊石の回転作用により、触れても割れない確かな防御力が身についた……はずだったのに。
『流体の特性やな……流体の密度による反力。これたぶん理科の授業でやってる思うねんけど』
「そんなもん聞いてるわけねーだろ!?」
『まぁまぁそんな難しい話じゃない。水面を手のひらで叩くとちょっと痛いやろ? あれと同じや』
――――流体の密度と反力。水面に向けて物体を急速に叩きつけると、勢いに応じて水面が飛び散る。
この時水面では触れた物体に対し逃げる力が働くが、水の密度により力が物体に対し逃げきれず、結果衝撃として物体に反力が加わってしまう。
これを利用して流体に反力を加えたい場合。より力を逃さぬべく、表面積の大きい”平ら”な物を水に叩きつけると効率的に反力を得る事ができる。
手の平で水を叩くと痛いのはこの作用の為である。
……と、スマホの言い分そっくりそのまま復唱しただけなのだが、何を言っているのかサッパリわからない。
辛うじてわかるのは”平たい物は水に衝撃を加える”という事だけだ。
そしてそれは、まとめるとこういう意味になる。
『お前とあのおっさん、相性”最悪”ちゅーこっちゃ』
「マジかよ……!」
「――――マジだ」
「うあッ!?」
そしてまたもや、振出しに戻る。いつの間にかあの必殺仕置き人が背後に迫っていたんだ。
突然の発覚。ワープと一瞬勘違いしたが、少しばかり髪が乱れている事から自走で走ってきたらしい。
相性最悪のあの武器もそうだが、このバカげたスピードも十分すぎる脅威だ。
「そろそろ、諦めたらどうだ?」
「ぐぐぅ……」
時速931kmて……なんだよそれ。もうちょっとがんばればマッハに届きそうじゃないか。
むしろ何故そこは突き抜けなかったのかが気になる。ていうか、新幹線レベルの速度で一喜一憂していた自分が恥ずかしくなってきた。
スマホのスピードガンがバグを起こした。そんな考えにくい不具合に、一縷の望みをかけたい今日この頃である。
『スピードもパワーも完全に上位互換や……アカン、勝ち目あらへんで』
「コポォ……」
何より恐ろしいのが、さっきまで怒鳴り散らしていた雷オヤジとは思えないこの”冷静”な顔つきが、僕の考えが以下に甘かったかを知らしめてくれる。
とりあえず、怒らせて周りが見えなくなった隙をついて……
そんなベタな作戦を考えていたのだが、よくよく考えれば野生動物じゃあるまいし。多少生意気言われたくらいで人間がそこまで取り乱すわけがない。
しかもこの人の場合は元教師。僕とは比べ物にならないくらいの問題児相手に日々奮闘していたのだから、生徒に対する”怒り方”と言うものを熟知している。
「少年よ、理解れ。私が殺す気で向かってなどいないと言う事は十分伝わっただろう?」
(じゃなけりゃさっきの一発で死んでたよ……)
「だが……英騎はこんなものではないぞ。私に近しい実力を持った軍人、魔導士、傭兵達が悉く敗れ去ったのだ」
「英騎は対面する者の命を必ず奪う。私が君に振るった一撃なぞ、まるで重みが違う」
「多少精霊の扱いを心得た程度で……そのような水遊びが通じる相手ではないわッ!」
(うう……)
事実、あれほどの大暴れを見せたのにこの正門前廊下は”傷一つ付いてはいない”。
その気になれば柱を素手でぶち割って投げつける事ができそうなのに、ただの棒キレ一本で僕を”完全に”封じ込んだ。
スピードもダメ。防御もダメ。なのに手加減に次ぐ手加減。
実力で突破する事はもはや不可能と判断せざるを得なかった。
「……しかし、君の思いは十分伝わった」
(……あ?)
「その熱き思い成就すべく、きっとわが帝国が英騎を捕えて見せようぞ」
「だから……その時まで、待ってほしい。来るべき日が来るまで、我らを”信じてほしい”」
(信……じる……?)
そんな王が一国を用いても手をこまねいているのが、英騎と言うテロリスト。あの女騎士はこれよりさらに上なのか……?
力の差は十分思い知った。確かに、僕程度の実力では会った所でミスミス殺されに行くようなものだ。
(水玉……ちょっと)
「コポ?」
――――英騎。無意識ながら奴に芽衣子の姿を重ねた。姿形が全くの同じなのだからそれは当然だ。
仮に芽衣子がこちらでも王の生徒であったならば、きっとさぞかし可愛がられたことだろう。
あの子には人に愛される才能がある。人柄の良さが顔に出ているのか、見ているだけで落ち着くんだ。
そして僕は、芽衣子とは対照的に……認めたくないが人から”疎まれる”才能があるらしい。
「まったく、手間をかけさせおって……」
「うぐっ!」
性格は顔に出るとよく言うが、それが仮に根拠に基づいた事実だったとして。だったら僕は人からどういう目で見られているのだろう。
人付き合いが嫌いで好意を疎ましく思い、特に誰からも褒められる事もなくただ流されるままに生きる、この僕を。
信じる気持ち。思いやり。真心……そう言った美しい言葉は、僕の中では全て”綺麗事”として消化されるのだ。
「客室は君が大穴を開けたからな……別室に案内しよう」
「そこで事が終わるまで、厳重に封をかけておく。無論装備も没収だ」
王は僕の襟を荒々しく掴み、部屋と言う名の牢獄にブチ込むべく強く引っ張り上げた。
しょっぴかれるとはまさにこの事。首根っこを掴まれる飼い猫になった気分だ。
僕の考えは実に甘かった。王は、下らない小細工が通用する相手では到底なかった。
こうなれば嫌が応にも従わざるを得ない。僕はただひたすら、首を縦に振った。
「若造め、余計なものを与え追って……さあ、行くぞ!」
「……」
そして、同じく王も甘かった――――僕は基本的に、口だけの人間だと言う事。
(水玉…………!)
―――― ブ ッ
「ぬおあっ!?」
王の手が、僕から離れた。突然の事で驚いたのだろう。
アンタのせいで両手がヒリヒリして動かせないからな。文字通り”口”を使わせてもらったよ。
――――口に含んだ水を、その目に吐きかけてやった。
「ハァ……ハァ……誰が、行くか……」
「この…………小僧ォ…………!」
基本的に僕は怒られるとわかったらすぐに謝る。謝りさえすれば大体それ以上追及される事はないからだ。
それはただ面倒な場面をサッサと終わらせたいからなだけであり、本心から出る謝罪なんかじゃなかった。
得意の土下座の裏では、内心様々な文句を垂れている事を相手は知らない。
そらそうだ。エスパーじゃあるまいし。何を言ってもどうせ相手に僕の内心はわからない。
「なぜ……そこまで抵抗する!? もう気は済んだはずだろう!?」
王の言い分も一理ある。というかむしろそっちのほうが正しいと思う。
気持ちじゃどうする事もできない”実力”と言う現実が、僕と英騎を分け隔てている。
王の言う通り、ここは帝国軍に任せる選択肢も十分ある。さっきの一撃と同じだ。僕はスマホと水玉に任せっきりで何もできなかった。
(気は済んだ……ってーか……)
「くっ、目が……だが、所詮こんなもの。何をやろうと、英騎の元へは絶対に行かさんぞ!」
王が目を吹いている間に、少し距離をとった。マッハ寸前の速度を出せる王には焼け石に水だが、少なくともこれで首根っこ掴まれる心配はなくなったわけだ。
英騎に会う……理由は芽衣子の手がかりを知ってそうだから。
無論それが目的でこんな所まで来たのだから、ここまで粘るのも無理はない。
だが――――あくまでそれはさっきまでの話なんだ。つい今しがた、”目的が建前に”変わった。
それは王様、アンタの言葉が”キッカケ”だった。
「……僕さぁ、前から思ってた事があるんだよね」
「は……?」
「何の時だったか忘れたけど、”頼む! 俺を信じてくれェ!”つって声高らかに叫ぶ奴、いたのよ。うちのクラスで」
「でも普通、そんな言い回しする? 普通にこうこうこうだから従ってください。でいいじゃん」
「一人でなんか勝手に熱くなりだしてさ。口ぶりが漫画かアニメの影響受けたの丸出しなわけよ」
「じゃあ結局それ、自分の言葉じゃないじゃん。ただなりきりごっこに酔ってるだけじゃんって言う」
「何を……言っているんだ?」
「僕の周りはそんなのばかりでね。まぁ、中二病って言葉があるくらいだから当然なんだけど」
「そういう演劇臭いセリフ吐く奴、マジ嫌いでさぁ……基本的に自分に酔ってる気配がしたら、徹底的に逆らってやるんだけど」
そしてそういう中二な奴がよく言うセリフ回しをランキング形式にすると、トップ10に見事。先ほどの王の言葉が被っていた。
(来るべき日が来るまで、我らを”信じてほしい”)
「きめえんだよ。バーカ」
「………………ッ!」
その瞬間。王の顔からまた、クッキリ浮き立つ青筋が見えた。
今度のそれは蜘蛛の巣のようにこめかみを多い、増えた本数の数だけ怒りの度合いが目視でわかる。
我ながら、なんとイヤな奴だろう。王でなくとも、こんな事言われちゃ是が非でもしおきしたくなると言う物だな。
『お前はなんでいちいち……』
「普段思ってた事を口に出しただけだよ」
「お前……だけは……!」
もちろん思うだけで、普段は絶対に口に出すことはない。
だがこの状況。回避するまでもなくすでにキレられているわけで、そんな時にいちいち相手を気遣う余裕なんぞないわけで。
思い描いていた計画の失敗に次ぐ失敗。加えて今まで味わったことのない痛みで、こっちもやや気が立ってるんだ。
そこはまぁ、許してくれよ――――ただ単に「気持ち悪いな」って、思っただけなんだから。
「この…… バ ッ カ モ ン ガ ァ ァ ァ ァ ー ー ー ー ! ! 」
「~~~~~~~~~ッ!」
さしずめさっきのやりとりは第1ラウンド。これから始まるのは2ラウンド目と言った所か?
王の咆哮が、ものの見事にゴング代わりになってくれている。
スピード、防御、加えて怒りと人間性。すべてが僕を上回っている。
特にスピードを上回られたのはショックだったな……逃げ足の速さだけは、上位陣でいたかったのに。
『おああああめっちゃ怖いってぇーーーーッ!』
「コポポポポ~~~~ッ!」
うるさいぞお供共。お前らは何もされる心配ないだろが。
生命体なのかすら怪しいお前らと違って、僕ど真ん中ホモサピエンスだ。水を利用するのも情報端末を作ったのも、僕ら人間の培った英知の賜物なのだよ。
だからこの場面。歴史の先人方に倣って、人間の英知でなんとかしたいところなのだが。
「……やっぱ無理!」
――――さて、ここからどうしよう。
つづく