正申
「イッテー。絶対タンコブ出来タダロコレ」
(モ、モノクロ……!)
それは、あまりに突然すぎる訪問だった。
昨日のあの火災現場にいた、僕と芽衣子を除く唯一の部外者。
白と黒の怪人――――元い不審者。
ともすれば、これは訪問と言うよりむしろ奇襲に近いと言える。
そんな件の”超重要参考人”とも言える人物が、今再び、こうして僕の目の前に現れてしまったのだから。
「ドーシテクレンダヨテメー。覚悟デキテンダロナ?」
(う…………)
加えてそんな悪しき状況に、余計なオプションまで付けてしまったのだから世話はない。
仮面越しでも伝わる感情。モノクロは今、僕に対し軽く「おこ」である。
その理由は簡単だ。どうやら、さっき蹴った石ころがこいつの頭に直撃してしまったらしい。
「消火器ブッカケルワ石投ゲツケルワ、何ナンダオ前マジデ」
「ナンカ……ナンカ僕ニ、恨ミデモアンノカ!」
そして自らに起こった不運に八つ当たりするように、昨日と同じく「機械混じりの声」でねちねちと文句を垂れて来る始末。
普段ならカチンと来る事請け合いの、クソだカスだと罵詈雑言を繰り返すモノクロ。
しかしそれに対し、僕は最後まで言い返す事はできなかった
何故なら……思い出したんだ。芽衣子が昨日送って来た意味不明な長文。
その中にあった、「モノクロが僕に付きまとってくる」と言う一文を。
(やっべぇ……)
その時はまるで意味がわからなかった……だが今ならわかる。
だって、こうして本当に目の前に現れたんだから。
「――――マ、トカ言イツツ何モシナインダケドネ」
(んだよそれ……)
意味不明だったあの長文が、繋がる線のように連鎖して紐解かれる。
「付きまとい」。ストーカーの代表格とも言える行為だが、問題はその対象である。
モノクロの付きまとい対象は、明らかに芽衣子だった。
どんな理由があるのか知らないが……わざわざあんな事件を起こしてまで、芽衣子を集団を引き離し、そして襲う程だ。
よほどよろしくない目的があるのは明白である。
そして、モノクロは、その目的を遂げたんだ。一体それが何かは知る由もない。
だがその事によって、狙いは自然と芽衣子から他者へと移った――――つまり、僕である。
「テーワケデ、チョットイイカナ?」
(いいわけ……ないだろ……)
モノクロはマントの端を引きづりながら、ゆっくりと僕に近寄ってきた。
相変わらずの機会音声。見た目の異様さも相まって、奴の存在は僕に「恐怖」の二文字を植え付けてくれる。
あいつのマントがズルリと擦れる度に、僕の喉がヒクッと動く。
実にいやな緊張感だ。背中が冷たい湿り気すらをも帯び始めている。
同時に足も震えだした。「逃げなきゃ……」なのに、心に反して体が思い通りに動いてくれない。
「ナンデ逃ゲルノ」
(く、くんな!)
今の僕が出来るのは、モノクロの歩に合わせて後ずさりする事だけだ。
そうする事によって、モノクロと僕との距離は辛うじて縮まる事はない。
だが、同じく伸びる事もない。
このまま振り向いて、全力で走り去る事が出来れば、一体どれだけ楽な事だったろう。
「ンーナンテイウカ、ソノ」
「よ、寄んな! 止まれ! そこから動くな!」
でも、出来なかった。それは自分でもよくわからない。
こいつに背中を見せる事に、何故だろう。
得体の知れない、強い”抵抗感”を感じたんだ――――。
「ドウミテモ、話聞ク気ナサソウダナァ」
「う……」
曰くどうやら、僕に話があるらしい。だがそれを聞く気はない。
聞く必要性を、感じなかった。
当然だ。見るからに不審なこいつに、一体何を話す事があると言うのだ。
「ア、ソッカ。コレ見セレバイインジャン」
(……?)
――――そんな考えは、直ちに撤回される事となる。
「ホレ」
――――芽衣子の名を、出された事によって。
(な――――)
話を聞く素振りを見せない僕に、モノクロが提示した物――――それは、「名札」だった。
大凡全国各地の中学校が配布する、薄く平べったい学生の証。
それを見せられた瞬間、「逃げる」の三文字が脳裏から消え失せた。
その理由は、何故モノクロがそんな物を持っているのか――――ではない。
その名札に記された苗字。それが、今日一日”いなくなった事にされた人物”と同じ物だったから。
(芽衣子の名札……!)
「ヤッパソコ、食イツクンダ」
名札の形態は学校によって違うのだろうが、学校の場合は、所謂「苗字だけパターン」だ。
苗字だけだから精々長くて四文字程度。
そして余った箇所には「学校名」・「クラス」が記されているという……まぁなんら特別ではないごく一般的な名札だろう。
そして名札は、基本的に校則で「制服の胸ポケットに付ける事」が義務づけられているのだが……そんなの、誰も守っちゃいない。
「イヤサ、実ハ”オ礼”ガ言イタクテネ」
(お礼……だ……?)
僕だってそう。名札なんて入学当初から付けた記憶がない。
何なら配布されたその日から、どこへ行ったのかもわからないくらいなのに。
だが、ある意味それでよかったのかもしれない。
名札の着用なんて誰も守ってない校則を、真面目に守る事が――――逆に、命取りになっただなんて。
「マァ、君モ昨日見テタト思ウンダケド」
「アイツ、僕ヲ見ルナリイキナリエライ剣幕デ襲イカカッテキテサ。ダカラ、トットト”名前奪ッテ”黙ラセネートナッテ思ッテタンダケド」
「デモコレ、苗字シカ書カレテナイシ、肝心ノ下ガワカンナイカラヤッベーナーッテ」
昨日の出来事を掻い摘んで話すモノクロの語りに、嘘偽りはなかった。
突然の爆発。その中にいたモノクロ。そしてそのモノクロを襲う芽衣子。
それら一連の流れは、しかとこの目で見たんだ。
そしてその流れが、一体”どういう結末を迎えたのか”も。
「ダガ……ソノ問題ハスグニ解決サレタ」
「ま、まさか……」
「私は名前を知られた。だから戻れなくなる」――――そんな昨晩の一文が脳裏を過る。
「だから私は存在しなかった事になってしまう」――――あの文はそう続いていた。
「あいつの目的は人の名前を奪う事」――――その文章の中には、自分の事のみならず、モノクロの事でさえも事細かに。
そして、それらを統合して導き出された一つの答え。
あの時、モノクロの問題を解決に至らせた助け人。
それが――――
(――――芽衣子ォーーーーッ!)
「ぼ……く……」
――――芽衣子の名を教えたのは、僕自身だった。
「……ダカラ、アンマソンナ風ニ身構エナイデ欲シイナ~」
「僕ハ君ニ復讐シニ来タンジャナイ。感謝ノ言葉ヲ述べル為ニ、コウヤッテワザワザ姿ヲ現シニ来タンダカラ」
モノクロが何の用事で姿を現したのか、今その理由を、本人の口からハッキリと言われてしまった。
自分の「仕事」を手伝ってくれた事に対しての感謝。
それは、そのまま「芽衣子が行方を眩ませた事」に言い換える事が出来る。
「猛獣ミテーデホントドウシヨウカッテ思ッテタケド、オカゲデ悩ミノ種ガ一ツ消エタ」
「ソコハ本当ニ感謝シテイルヨ。本当ニ――――”アリガトウ”」
(そんな……)
事実、今日一日芽衣子は姿を現さず、どころか話題にすらも上がらぬと言う完全なる消失ぶりであった。
まるで人々の記憶からポッカリ抜け落ちてしまったかのような……
それが、誰のせいでもない”僕のせい”だとしたら。
「消火器ブッカケラレタ事、怒ッテナイヨ。今サッキ石ブツケラレタ事モ、マァ不問ニシテヤル」
「デモ、”シカト”ハチョットカチントキタカナ。ダカラ謝罪ノ一言クライハアッテイインジャナイカナッテ思ッテル所ナンダケド」
「ドウ、思ウ?」
あの時……一人で勝手に舞い上がって、自らの意志で突撃して行った。
突然の爆発。その中にいる芽衣子。そしてその事実にいち早く気づいた僕。
「大事な人を守ろうとする自分」。そんなヒロイックさに酔って、その時は自分の事を英雄だとすら思っていた。
――――だが。
「……ごめん」
「オ、意外ト素直」
これほどの道化がいるだろうか。
僕は、一番守りたかった人を、助ける所か一番の危険に晒してしまったのだ。
「ごめん」。ただその一言でモノクロの機嫌はトンと収まった。
だがその言葉がモノクロに対する物ではないとは、僕以外に知る由もない事。
今しがた発した本心からの謝罪――――それは、芽衣子に対してだったんだ。
「……芽衣子はどうしたんだよ」
「サァー、多分マタ昨日ノ調子デ暴レ回ッテルンダト思ウケド」
「……どこでだよ」
「”アッチ”デ」
モノクロの説明は一切の要領を掴ませない。
僕のおかげで名前を奪う事に成功したモノクロ。じゃあ、肝心の芽衣子は一体どうなってしまったのか。
是が非でも知りたい。いや、知らねばならない。
何せ、そう仕向けたのは”僕自身”なのだから。
「ちゃんと説明しろよ!」
「謝ッタリキレタリ、忙シナイ奴ダネ」
「お前がいちいち……!」
「テカ説明スル必要ナンテ、コッチニハナインダケド?」
「自分はあくまでお礼を言いに来ただけ」――――。
そのスタンスを崩さないモノクロに、ただでさえおちょくるような口調も相まって、一層苛立ちが募る。
説明する義務はないと言うのであれば、だったら、初めから言わないでほしかった。
そんな事を聞かされてしまったら――――もう僕は”逃げ出せない”。
「責任、感ジテルンダ」
「ぐ……!」
「ソンナ間柄ニハ、見エナカッタケド」
「それは……!」
「ア、ワカッタ。モシカシテ君アイツニ――――」
「 だ ま れ ! 」
そんな内心を見透かされたのか、モノクロのおちょくりが少し強まったように感じられた。
僕が腸を煮え繰り返せば返す程、比例して嬉々とした嘲りが跳ね返ってくる。
中々に、性根が腐った奴だと思った。
そりゃそうだ。モノクロは明らかに、”わかってて”言っているのだから。
「ハハーン。ソーイウ事ナラ、スルーデキナイネー」
「ワカルワカル。汚名挽回って奴ダネ」
「アレ……返上? ドッチダッケ」
「知るか……!」
仮面の奥で今奴はどんな表情をしているのか、それを僕に知る術はない。
返上と挽回の違いなんてこの場ではどうでもいい事。
「意味が伝わればそれでイイ」とは双方が感じる見解だろう。
だが……そんな無駄なやり取りのおかげで、一つだけわかった事がある。
モノクロの目的は、やはりお礼を言いに来た”だけ”じゃなかったと言う事だ。
「お前……一体何の目的だ……!」
「オイオイ勘違イスルナ。目的ガアルノハソッチダロ」
「……ア!?」
「”ドウヤッタラモウ一度北瀬芽衣子ト会エルノデスカ”――――ダロ?」
そして出された課題に対する返答も、これまた双方同じ見解だと言う事は十二分に伝わった。
モノクロの言う通り、用事ができたのはむしろ僕の方。
どこから。どうやって。何の目的で。そして芽衣子をどこへやったのか――――
それらをわざわざ、探し出して問いただす手間を省いてくれたのだ。
「違ウナラ、帰ルケド」
「――――待て!」
悔しいが、良いようにされている感は否めない。
こいつは昨晩のメッセージ通り、僕に的を絞った事は確定なようだ。
目的は「名前を奪う事」。それが達成されるまで、延々と付きまとってくるとは芽衣子談。
それがまさに今、本人を目の前にすることで証明された。
「逃ゲヨウトシテタ癖ニ、呼ビ止メルトカ、ナンダカナー」
「るせえんだよ……この詐欺野郎……!」
だが……その手段は予想外だった。
「無理やり拉致って実力行使で吐かせる」――――誰でも思いつきそうでな単純明快な方法。
だがそれは、実は「リスクが高い方法」だと言う事を、こいつは知っていたんだ。
奴は、そんな事よりもっと”確実”な方法で来た。
痛みを伴わず、労せず、一切の負担を背負わず、目的だけを掠め取るような……
そんな都合のイイ事が可能とされる、最も”卑怯”な手段を用いて。
「要するに……”人質”だろが……!」
「……ソウトモイウカナ」
名前を奪う行為――――。
それをこいつは、自分は何もせずにいいように、僕が”自ら進んで”協力したくなるように仕向けたかったらしい。
偶然か、もしくは最初から計算ずくだったのか……
しかしそんな目論見にまんまと絡め取られてしまったのは、紛れもない事実だ。
「礼を言に来た」なんて白々しいにも程がある。
「礼を言わせたかった」の間違いだったんだ。
僕に、芽衣子の存在をちらつかせることで。
「どこだ! 芽衣子をどこへやった!」
「……ソノ辺ヲ説明スルノニハ、チョット長クナルンダヨネ」
「それでも構わない! 吐け!」
「エーメンドイィー」
シーン――――モノクロは、押し黙ったまま動かない。
僕の悲痛な訴えを知った上でのそれは、現在立場が完全に逆転している事を意味している。
「メンドクサイ」。そんな一発ぶん殴られても文句が言えないようなふざけた態度が、それでも逆らう事ができない僕の無力さを表していた。
「協力」してもらうしかないんだ。真面目だろうが不真面目だろうがもう関係ない。
手がかりを握るのは、今は唯一モノクロだけなのだから。
「てめえマジいい加減にしろよ!? 芽衣子の次は僕なんだろーが!」
「ソーナンダケドサァ……ブッチャケチョットオ眠ナウ」
歯切れの悪い語尾を残し、そしてモノクロは大きく息を吐いた。
「ふわぁ……」やる気のないあくびとも取れる動きに、またも腸が煮えくり返りそうになる。
「名前を奪う」そんな意味不明な事を生業にするモノクロの、目的も意図も、現状何もかもがわからないまま。
「昨日カラ働キッパナシダゼ……サスガニチョットバテルッテ」
が、唯一一つだけわかるとすれば、こいつからは、気概と言う物が感じられない事。
誰かに命令されたのか、自発的に行っているのかは知る由もない。
だがどちらにせよ、こいつの態度からして……自分がすべき本分に対する「やる気」が、まるで感じられなかったのだ。
「こいつ……!」
「アーモウ、ワカッタワカッタ」
「ジャア……コウシヨウ」
僕の意志に屈し渋々代替え案を出すモノクロ。
どうやら、これ以上ふざけていると本当に殴られると思ったらみたいだ。
そして、その勘は正しかった。
僕の掌は今……薄らと血すら滲むほど、強く握られていたのだから。
「僕、今カラチョット仮眠取リタイカラ。ダカラ――――」
掌を強く握る僕とは対照的に、モノクロは力なく開いた手を、ゆっくりと空に掲げ始めた。
続いて、これまた力なく指を一本だけ突き立てると、その先を太陽へと指し示し――――そして止まった。
指し示られた太陽は、薄らと橙を帯び始めていた。
水平線に落ちていくオレンジの光。
そこにモノクロの黒が合わさり、まるで影絵のようなシルエットが出来上がった事を本人は気づいていないだろう。
そしてモノクロは――――告げた。
「――――月ト星ト 闇ガ支配スル 時間」
「――――モウ一度 ”教室”ニ コイ」
(教室……?)
それは、人知れず眠気と戦うモノクロができる、精いっぱいの”妥協”だった。
「ジャ、ソユ事デ――――」
「あ、おい!? 待て……ッ!」
バサリ――――僕の制止も聞かず、モノクロはその身を包むマントを大きく払った。
モノクロを軸に回るような動きを見せたマントは、そのまま重力にかまけストンと地面に落ちる。
マントが落ちた場所は――――ちょうど電柱の影に重なる場所だった。
黒に黒――――同色同士の色味は、境も悟らせぬ程混ざり、溶け、そしてよく馴染んだ。
そしてそれが故になのか。
刹那でしかない瞬きの間に、マントは、すでに影との区別が付かなくなっていた。
――――……
突然現れ、突然消し、突然押しかけ突然助言を下す。
人の都合など一切考慮しない、そんなモノクロだったからこそ。
ただ気の向くままに、好き放題を言い終えた頃――――
(消え…………!)
――――モノクロは、いなかった事になった。
つづく