申
――――チュンチュン
「ん……」
朝。重い瞼を擦りながら体を起こす。
どうやら昨晩は、なんだかんだでいつの間にか寝付いてしまったらしい。
その原因はわかっている――――昨日のあの、長文の連打のせいだ。
「イタズラ……だったのかな」
芽衣子のアカウントから送られるあの怒涛の一斉送信。
その一つ一つが、まるで子守歌のように僕を眠りへと誘ったんだ。
長ったらしい文章が眠気を誘うのは、何も授業だけじゃない。
眠気を誘発する物は、実は日常のそこかしこに潜んでたりするのだ。
――――例えば。
「……あった!」
長文の代表格。それが毎朝・夕各家庭に届く「新聞」って奴だ。
目覚めた僕は真っ先にリビングへと降り、そして父さんが読み捨てた朝刊を、朝食も後回しにしていの一番に読みふけった。
昨日のあれだけの騒動。記事になっていないはずがない。
そう思い、初めて四コマ以外の部分に目を通したのだが――――ま、所詮現実なんてこんなもんだ。
『――――○県○市内の中学校でボヤ騒ぎ』
「しょぼ……」
僕が昨日繰り広げた一大救出劇は、世間的に見ればどこぞの芸能人の整形疑惑以下でしかなかったのだ。
にしても、ボヤって……まぁ確かに、今思えばそんなに大それた規模の物ではなかったのかもしれない。
全国ネットのトップニュースに載る程、激しい火の海に包まれたわけでもない。
あの程度の火事は全国どこの学校でも……まぁ、一回くらいはある事、か。
『――――では今朝の占いコ~ナ~!』
「……どうでもいい」
そんないくらでもあり得る事態に、幸か不幸かたまたま僕が居合わせてしまった。ただそれだけの事だ。
そしてその場面での僕の役目は、昨晩の時点で”すでに終えた”。
原因究明は警察の仕事。そして学校は通常運転。
正直臨時休校を少し期待していたのだが、残念ながらそうとはならなかったわけで。
故に、また今日も――――退屈な日常が、幕を開けるのだ。
「はいこ~ちゃん、さっさと食べちゃって、今日も一日ガンバッテきなさいな~」
「……うい」
この今出された「ザ・家庭の朝食」が、そんな「現実」の二文字を容赦なく突きつけてくる。
そしてそれにありつかないと、生きる事すらままならない自分。
少々の落胆を覚えるのは否めない。だが、だからと言って抗う術もない。
こうやって、相反する二つの気持ちが僕の脳裏に湧いた時……僕は基本、”何も考えない”ようにしている。
「いただきま……す」
考えても無意味なのだ。よく言えば「為せば成る」。悪く言えば「なるようにしかならない」。
未来何て誰にも見えるはずがないし、過ぎた過去はもう戻らない。
だから僕は――――全てを受け入れる。何故なら、”それしかできない”から。
訪れる運命は、何人たりとも避ける事などできないと、僕はすでに知っているのだ――――
――――
……
「おお……」
眠気眼を擦り、いつものノリでいつもの登校を澄ます。
そしていつもの癖で、自分の教室へと歩みを進めたのだが……
朝一発目、軽く眠気を吹き飛ばしてくれる出来事が舞い起こった。
「入れねーじゃん!」
教室の扉は何重にも黄色いテープが張り巡らされ、ご丁寧に「立ち入り禁止」を明記した看板が、堂々と目の前にそびえ立っているのだ。
そうだった……今の我がクラスの姿は、まさに大怪我の真っ最中。
ガラスは割れ、至る所が黒焦げ。その床には、誰のか知らんが体操服らしき布のカケラ。
加えて置き溜めされた教科書の切れ端。焦げて石炭みたいになったチョーク。そしてほんのり香る焦げ臭さ、等々……
惨劇の痕跡が、未だ至る所に点在しているのだ。
「じゃあ今日は……」
そんな見るも無残な教室に、一つだけ真新しい貼り紙があった。
「今日の授業は理科室へ」――――教室がこのありさまなので、代替として理科室を使うらしい。
中々に、かったるい。うちの教室は4階だが、理科室は2階にある。
つまり、折角わざわざ登って来た所をまた引き返さねばならぬハメになったのだ。
「事前に教えとけよ……もう……」
朝の占いを見逃したのが悔やまれる。
きっと今日の僕の運勢は「凶」。最悪な代わりに、その分悪い運を回避する「開運方法」が載せられていたはずなのに。
……なんだが、だんだん腹が立ってきた。こうなったのもあの変態コスプレ野郎のせいだ。
モノクロだかなんだか知らんが、本ッ当にいい迷惑だ。
とっとと捕まって、未来永劫出れぬよう終身刑を下されるのを、切に願う今日この頃である。
――――ガラ
「お、狙いすましたかのように現れたな」
「……すんません」
そして案の定のプチ遅刻。
理科室へ入るや否やすでに朝礼は始まっており、その為入った途端軽く白い目を剥けられた次第だ。
今日は急な変更があったので許されたが、僕は出席順的にド頭にくるので、基本的に遅れる事は許されない。
我ながら不便な立ち位置である。
石田とか上田とか、そんなア行前半の苗字の奴が、このクラスにいればよかったのに……。
「そしたら、主役も現れた事だし、出席とるぞー」
「江浦ー」
主役の意味がわからんが、まぁそこはおっさん特有のプチジョークって奴だ。
これもまぁ、別に今に限った話じゃない。
こいつはいつもそうやって、朝一番意味不なギャグで、クラスを沸かそうと試みるのだ。
「奥田ー、織田ー」
「加藤ー、久保ー」
朝一番は笑顔で始めたい――――とかなんとか思ってるのかもしれないが、だったらセンスをもうちょっと磨いて欲しいと思う今日この頃。
基本的におもしろくないし、この空回りしてる感じが、時にサブイボが立つくらい寒い時もある。
だが……代わりに目は覚める。
これもまたいつもの光景のいつもの一幕。
このプチギャグがいつの間にか、僕に取っての「一日の始まり」の合図となっていたのだ。
「沢村ー、島本ー」
「清水ー、外村ー」
そしてまた、今日も退屈で緩い一日が始まる。
そう思うや否や、いつもの気だるい気持ちが僕を襲――――わなかった。
(……待て)
「多田ー、田村ー、寺内ー」
(待て。待て待て待て!)
気だるくなるより先に、心に一つしこりが残った。
今明らかに……一人”飛んだ”。
出席はいつも名前順で取る。だから僕を先頭にア行が終わったら、当然次はカ行となる。
そして「カキクケコ」のカの次。
その行の出席は、僕にとって、日々を送る上での”最も大事な行”なのに――――。
「あの、先生……」
「ん? どうした江浦」
「あの、一人……忘れてますよね」
「……ん? 誰をだ?」
(”北瀬”だよ。このボンクラ教師。)
割とマジで、ありえないと思った。
担任が生徒の名前を……しかもあんなにお気に入りだった「北瀬芽衣子」を、普通忘れるか?
いや、百歩譲ってそこはギリギリ許すとしよう。
直ちに修正するのであれば、ただのうっかりミスだったと言う事で片づけてやる。
だが……もしも担任が、それでも自分の間違いを”認めなければ”。
「……先生、長年教師をやっているがな」
「初めての経験だよ……まさか、出席にいちゃもんをつけられるなんて」
ドッ――――教室に、笑いの渦が起こった。
野郎のドヤ顔が腹正しい。僕の指摘を、担任は事もあろうに「フリ」にしやがったのだ。
「朝一でウケて今日はいい事ありそうだ」。
そんな内心が、言葉に出さず共顔に出ているのがひしひしと伺える。
「じゃ、続きを――――」
「ちょちょちょ! ちょっと!」
そして、このザマである。
どうやら……ハッキリと言ってやらねば理解できないらしい。
僕よりはるかに年上のオッサンが、この低能っぷり。朝一番から中々のストレスだ。
やっぱり今日の占いは「凶」。
開運方法は多分「言いたい事をハッキリ言う」だろうと、直感で理解せざるを得ない。
「……北瀬さん」
「え?」
「北瀬さん、飛ばしましたよね」
「北…………瀬…………?」
何で僕がわざわざこんな事をと思ったが、教師が生徒以上に寝ぼけているのだから仕方がない。
というわけで、ハッキリ「キタセ」と教えてやった次第だ。
名簿をよく見て見ろ。その名がしっかりと記されているはずだ。
遅刻早退欠席オール0。名簿上でもひと際目を引くはずの、超優良生徒の名前が。
「北瀬……北瀬……」
「……ああっ!」
「どらーげなーどらーげなー? の奴だよな?」
(――――は!?)
ドッ――――またも教室に笑いが起こる。
このクソ教師……やりやがった。僕の渾身の指摘を、さらに新たな受け狙いに昇華させて!
同時に、野郎のドヤ顔がより一層濃くなった。
ウケと同時に流行アピールまでできたのだから、そりゃぁ気分がいいだろう。
向こうからすれば今日は「大吉」。僕とは対照的に、これ以上なき幸先のいいスタートだと言える。
「だから……」
「江浦、いい加減にしろ。お前さっきからちょっとしつこいぞ」
そしてフリを与えてしまう所か、綺麗なクロスカウンターまで貰ってしまった次第だ。
言うに事欠いて「しつこい」ってなんだ。
それはまさに「こっちのセリフ」って奴なのだが。
「「構って欲しいんだよ――――キャハハ――――どらげなー歌えよ――――」」
(なんだ……この感じ……)
でも、どうやらこの空気……
認めたくないが、”おかしいのは僕の方”らしい。
「先生ェー、ほら、こいつ昨日ちょっと”アレ”だったから」
「あー……そうか、そうだな」
「江浦、先生ちょっとふざけ過ぎた。すまない」
(何が……だよ……)
ギャグで温まったはずの雰囲気が、少しだけピリつくのがでわかった。
なんというかこう……気遣いに満ちた、そんな気持ちの悪いよそよそしさを感じる空気だ。
そしてその空気を発生させた発生源が、よりにもよってこの担任自らだから始末に置けないと言う物。
生徒の指摘からの流れるような担任の謝罪。
何に対しての謝罪なのかがまるでわからないし、そもそもその前の一言。
「昨日のアレ」とは一体何なのか、直ちに説明願いたい所である。
「「おい――――こいつ――――やっぱ昨日の――――」」
(やっぱってなんだよ……)
「昨日」と言う言葉が入る点からして、この謎の気遣いは、やはり昨日の爆破事件が関係してるようだ。
しかしだからと言って、そんなによそよそしくされちゃあこっちも困る。
確かに、心配をかけた自覚はある。昨日の僕の行動は、紛れもない独断行動だった。
だが結果として僕は全然無事だったし、その辺は医者から聞いているはずだ。
そして話を戻すが、僕が気にかけているのは、自分の事じゃなくて芽衣子の事なのだが……
(……あれ?)
――――そんな折に、ふと気が付いた。
不意に振り返れば、その肝心の、”芽衣子の姿が見えなかった”のだ。
(……え? 休み?)
出席を飛ばしたって事は……もしかして今日は欠席なのか?
でも待ってほしい。昨日の件で入院になったとかならわかるが、僕と同じく芽衣子も無事そのものだった。
あの真面目な芽衣子が、そんな折角の皆勤を断念する程だとは思えないのだが……。
それに加え、僕が爆睡こいてた間に「先に帰した」と判断を下したのも、僕を診た医者と同じ人だ。
そりゃそうだ。だって昨日の芽衣子は、何ならいつもよりパワフルなくらいだったのに。
「えーっと……どこまで行ったっけ」
「…………」
担任は、引き続き何食わぬ顔で出席を取り続けた。
先程と同じく一人一人を名前順に呼んでいき、そして最後の出席を取り終えた頃――――
当たり前のように、いつもの日々が”始まってしまった”。
けだるい授業に自由奔放な同級生。
教室が変わろうが結局同じ。相も変わらず、教鞭なぞ誰も聞いちゃいない。
しかしいつもならそこにいるはずの、周りが不真面目なだけに余計に目立つ一筋の光。
いつも窓の中で凛と輝く「北瀬芽衣子」の姿は――――最後まで現れなかった。
(なんで……だよ……)
――――
……
結局、いくら待てども芽衣子は来なかった。
一時間目、二時間目、三時間目、四時間目とんで昼休み。
そして気が付けば、放課後――――どれだけ待とうと、とうとう芽衣子は”姿を現さなかった”。
「――――じゃあみんな、気を付けて帰れよ!」
「「部活部活――――ねえねえ、どっか遊びに行こうよ――――なぁ、明日空いてる――――」」
ひょっとしたら初めてなんじゃないだろうか。芽衣子が学校を休む事って。
そして僕自身、初めてだった……”芽衣子がいない学校を過ごす”と言う事を。
「…………ハァ」
目的のない学び舎はただの退屈でしかなく、おかげで「下校までにスマホの充電が持たなかった」事も、これまた初めての経験だった。
そしてやはり、朝の占いは見とくべきだったと思い知らされた。
これはもはや「凶」どころではない。列記とした「大凶」だ。
それはまるで、光を失った影が、ただの黒へとなり下がるように。
僕のその日一日は、いつも以上に「暗ぁ~い」ままで終わってしまった。
「なんなんだよ……クソ……」
下校の帰路は、実に歪んで見えた。
とめどないイライラが、道も風景も、何もかもを歪んでみせるのだ。
その原因はすでにわかり切っている――――芽衣子の事だ。
「あそこまで……スルーするかよ」
芽衣子が学校を休んだ。
それだけでも十分衝撃的だったが、そこは何か僕の知らない事情があったのだと、”無理やり”納得する事はできる。
僕がイライラする原因はそこじゃない――――芽衣子の”周り”の事だ。
他人事でこんなにムカッ腹が立ったのは初めてかもしれない。
だってそうだろう? あんなに愛想がよく、あんなに人気者だった芽衣子が……
今日一日、まるで”最初からいなかった”かのような扱いを受けたのだから。
「普段あんなに……持て囃しといてさぁ……」
普段はバカ面下げて、忘れた宿題やらなんやら、あんなに世話をしてもらっているのに。
それがどうだ。今日一日現れないとわかるや否や――――まるで、全くの無視。
奴らの話題には芽衣子のめの字すらも出ず、代わりに出るのはどうでもいいテレビ番組や遊びの話題。
その他イケメンの先輩がどうとか、どのアイドルがかわいいとか、そんな下らぬことばかり……
いくらテキトーなクラスとは言え限度がある。さすがの僕も、あれには辟易せざるを得なかった。
「やっぱりどこか……怪我してたとか……?」
その辺はあの担任に対しても同じだ。
無断欠席なわけでもあるまいし。芽衣子が一体どうしたのか、一言くらい教えてくれたっていいだろう。
だが奴も同様。芽衣子のめの字も出さず、いつまで経っても完全なるスルー。
あいつだって、授業進行に詰まる度に、芽衣子を当てて助けてもらってる癖に。
あんなに可愛がってて、あんなにえこひいきしてた癖に。
心配……じゃないのか? 自分が受け持つ生徒なのに。
本心じゃなかったとしても、せめて心配する”フリ”くらいはやっとくべきだと、切に思うのだが。
「…………オラッ!」
嗚呼、不快な気分が晴れない――――。
そんな気分が我慢できなかったから、ついつい足元にあった石ころに八つ当たりしてしまったわけで。
石ころは、蹴飛ばすと同時にポーンと宙に弧を描き、「カンッ」と何かに当たった音を立てつつ何処かへと消えて行った。
わかっている。石ころは何も悪くない。
悪いのは、不機嫌な僕に見つかってしまった、石ころの「運」の方だ。
「……どっかいったでやんの」
僕もあの石ころと一緒だ。不運と出会ってしまった、僕の運が悪かったのだ。
まるで悪夢を見ているようだ……こんな日は、さっさと帰って寝てしまうに限る。
そして誓おう。明日からは、朝の占いを必ずチェックしようと――――
「オイ」
「 う あ ッ ! ? 」
――――無事、帰る事ができれば。
「オ前サ……何度モ呼ンデルノニ、何シカト扱イテンダヨ」
「マルデ見エテネーヨウナ素振リシヤガッテ。ソウイウノヲ”イジメ”ッテ言ウンダゾ」
(う……あ……)
だがそれは、現状少し厳しそうだ。
何故なら、今最も警戒すべき存在に、たった今”二回目”の危害を加えてしまったが為に。
「消火器ノ次ハ投石。ソシテシカト、カ。モハヤワザトトシカ思エネーナ?」
(な……んで……)
その時――――慣れ親しんだはずの帰り道が、永遠に感じる程、遠くに見えたんだ。
「特ニ何カシタ覚エハ、ナインダケドナー」
(モノ……クロ……!)
――――黒と白の”無彩色”が、道を隔てるから。
つづく